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2008年01月12日(土)
君は、僕の何をみてきたのか?

先日購入した、スローライフ雑誌「自休自足」
最新号は、「旅の途中のカフェ」本当にすばらしい、旅の途中の、田舎のカフェがたくさん、素敵な文章と写真とともに紹介されている。その中で・・・私の感性にぴったりはまったのが、おとなり岡山県井原市にある「三村珈琲店」昭和5年に建てられた、西洋風建築の古い郵便局だった建物に、若い夫婦が2人移り住んで始めた珈琲店。その佇まい、空気、ご夫婦のひたむきさ、純粋さ、レトロな世界は、読んでいて魅了されました。奥さまは、パディシエをされてたそうで、手作りのケーキがご自慢だそうだ。お二人の、カフェに対する想い、ゆったりとした生き方に、非常に興味を覚えました。ぜひぜひ、書店でお手にとって見てもらいたい!

「自休自足」公式サイト内の、三村珈琲店紹介ページ
http://www.yumeinaka.net/jikyu/20preview04.htm

三村珈琲店のホームページ
http://mimuracoffee.com/

ことし、機会作って、行って見たい。
ひとりのんびり過ごしてみたいと想わされた。本当に・・・

スローライフというものを、もっと意識した生き方が出来れば、幸せなのだが。夫婦も、家族も、自然体で。着飾らず、シンプルに。本質を見極め、おだやかな時間を好み、人を愛し、街を愛し、自然を愛し・・・生きることを見つめなおすと、いきつくものがある。スローライフという概念って、まさにそこに近いのかもしれない。この三村珈琲店のお二人も、そこに行き着いたのかもしれないですね。


<話すということ>
きょう、夕方前、三越前のタリーズで、親しい方と待ち合わせる。限られた時間だったが、お互いいろんな胸の中にあるものを、お話した。僕も、このときだけは、胸の中の一部を話し、少し楽になった。ささやかでも甘えさせてもらいました。もちろん、相手の愚痴も聞かせてもらって。人から元気つけられたことって、最近なかったなぁと感じた。反対の立場ばかりで。人を元気つけることばかり、人を想うばかりだったもの・・・いままで、本当に自分の心を割って、話すということが、まったくなかったんだなということに、改めて気がついた。いったいこの数年、私は本当になにをしていたのだろう・・・私が私でなかったのか?私を許してくれる人がいなかったのか?


<ソレイユへ>
もう7時過ぎになったが、どうしても手に入れたい本と食べ物があったので、ソレイユへ立ち寄った。アバンセ前の広場に、マツダ車がたくさん展示されていた。たくさんの人が乗ったり触ったり。マツダの車って、ほんと若々しくなりましたよね。カラフルで。こと、新型デミオのカラーバリエーションって、なかなかいいとおもう。マツダ車は、赤が似合う。RX−8から、デミオまで。それは、かつてのファミリアからの伝統のような気がした。土曜日の、まったりした夜のソレイユ、意外と好きな時間帯です。人々の幸せそうな姿をみているのもいいし。適度に人がたくさんいて、寂しくないし。ソレイユは、私の一番身近な珈琲をいただくスポット。だから、また珈琲を!と想ったが、きょうはやめておいた。


きょうも、ありがとうございました。
メトロポリタンカメラも更新しました
あしたも、みなさんにとって、笑顔の多い、すてきな日曜日となりますように、願っています。
あすも、3つの文章で日記を書いていきます。1つは、すてきな本の紹介でもしましょね。

さ、この後は、おまけの日記です。よかったらどうぞ↓

<私という私>

私は、自分という人間をよくわかっている。思い詰めるくらい、いつも考えて、本当に傷つきやすくて、一途すぎて、相手を想う余り、いいたいことを、胸に収めがちで、人をしっかりと本質を見すぎる・・・私は、本当に悪いところばかり。きっと、人はそんな私を見つけたときに、見切ってしまうのだろう。そして、私はひとり取り残される。私という人間は、常に慎重にブロックを積み重ねていく。しかし、思いもよらぬカタチで、その積み重ねたブロックのひとつを引き抜かれると、もろくもすべて崩れてしまう・・・だから、絶対引き抜くようなことをしない人と、深く付き合おうとする。でも、やはり引き抜かれ、もろくも崩れ去る。そしてまた長い時間をかけて、ひとつひとつ積み重ねていく・・・その作業が繰り返される。

きっと、人はそういう私を知らない。
私は、おおらかで、人を傷つけるようなことを決していわない、まじめで、笑顔で、いい人だと想っているのだろう。でも、実際は、違うのです。最初出逢ってから、人は勝手に創り上げた先入観があるのかもしれない。そこで判断されることは、本当に辛いのだ。そんなに私は完璧じゃないといけない?なぜ、私の本質、私のこころのおくに秘めている強いものを見ようとしない?なぜ、私を信じない?なぜ、裏側にあるものに気がつかない?なぜ、私の弱さを出すことを許してくれない?そう、叫びたいときがときどきある。私は、人のことをしっかり聞いて、きちんと待って、相手がどういうときでも、ずっと変わらないで、どんなこと言われても、信じている・・・と想うのは、自分勝手な言い分だ。自分だって、人のことをすべてわかるわけではないから。それを求めるのは、酷かもしれない。人と人が、本当に分かり合えるのは、難しい。(だから、信じ、待ち、許すことが必要なのだろう)

君は、私の何を見てきたのか?たくさんの人に、そう言いたい。
それは、やはり贅沢なのか?


私の悲しい
ただただ、せつない毎日は、
まだまだ続くみたいだ



とはいえ、あしたはやってくる。またもうひとつの、自分で。笑顔の元気な自分で・・・だって、人を悲しませたりしたくないもの。以上、愚痴ってみました。


2008年01月11日(金)
「切に生ききる」ということ

雨の1日。でも、笑顔は忘れずに・・・
みなさん、こんばんわ。コバルトです。きょうはどんな1日でしたか?いろんなことを想いながら、過ごしている私ですが、きょうのようなシトシトとやわらかい雨が降る日、都心の街は、とても好きなのです。喧騒を、上品な雨音が静かに消し去るから・・・私のせつない気持ちにはちょうどいいのです

きょうも3つの文章で書いていきます。メトロポリタンカメラも更新しました。みなさん、どうぞお付き合いください♪


<切に生きる>

「吾れ、常に、ここにおいて切なり」
先日の日記で、私の座右の銘のお話しましたが、この言葉は、作家・瀬戸内寂聴さんの座右の銘。切っても切れないもの=しているものになりきること・・・食べることも切、眠ることも切、愛することも切、学ぶことも切、今日生きることも切、すべて一瞬一瞬、切に生きなさい。そうすれば、やがてくる、死や、やがて来る別れに取り越し苦労する間がない。切に生き切れば、死に襲われても悔いがないのではないかということだそうです。ふーむ。私は博学ではないので、こうして本を読むことで、深く考える機会を与えられるのだが・・・切に生きることか、何ごとも。人生は長いようで短い。ならば、切に生きるべきなのかもしれない。悔いのないように。きのうの日記ではないが、大切なのは、「愛する」「生きる」ではなく、「愛しきる」「生ききる」ことなのかもしれませんね。みなさんは、どう考えますか?

私は、いつ死がくるかわからないのが人生だと思っています。だから、人に対しても、好きな人に対しても、真剣に想い、きちんと想いを言葉にして伝えなくちゃいけないと想ってる。ひたむきに愛さないととおもう。たとえ、別れてしまっても、自分がこの世からいなくなっても、その言葉、想いのひとつひとつが、やさしい想い出のひとつひとつが、ずっと人のこころの中に生きてくれれば、自分は悔いはないような気がするのです。愛してるなら、懸命に愛したいと想う。ひたむきに何かに傾けるのならば、ひたむきに

生きることって、案外大変で、難しいことでもある。悲しいことも、不条理なこともある。それでも生きなくちゃいけないから。いろんな現実を直視しなくちゃいけないし、そのためには、強さが必要だと思います。強くあるためには、「なにかを守るため」というものがあるかないかが、重要な気がします。生きる以上は、切に生きたいものです。私はまだまだ未熟者ですが、そうあるように、切に生きてきたつもりなのだが・・・難しいお話になったので、この辺で。



<その街の片隅で我何想う>
買い物をするので、帰りに基町クレドに立ち寄った。ひとつひとつ、品を選ぶ。バーゲンも、もう終わりに近いので、そういうものをあえて狙わず、いいものを買いました。ファッションに、妥協はしません(笑)パセーラの様子を写真に。新年の雰囲気がよーく伝わりますよね。買い物は、一人で行くことがほとんど。独身者だから、当たり前か(笑)ただ、ときどき、気分一新したいと想って、ガラっと姿をイメージチェンジすることがある。まさにいまがそうみたいだ。おかげで、財布が軽くなりました。

私のこれからの自分の方向性はきまっている。
あとは無心にやるのみです。


きょうもありがとうございました。
あしたも、みなさんにとって、やさしい時間が流れるように。こころから願っています。
あすも、もう少し早い時間に日記をUPできたら。3つの文章で書きます
では、この後はおまけの日記。よかったらお読みください↓

<斉藤さん>

水曜22時。日本テレビ系。たまたま見たら、これがとても痛快で面白かった。幼稚園の母親たちから嫌われている、同じ幼稚園の保護者である一人の母親が主人公。観月ありさが演じている。なぜ嫌われているかというと・・・曲がったことが大嫌いな母親だから。カフェで子供が駆け回っていると、子供と母親を厳しくしかりつける。街で、男の歩きタバコが、ミムラ演じる母親の息子の顔にぶつかったときには、その男を叱り飛ばし、喧嘩になって、男にケガさせられる、自転車マナーの悪い高校生も厳しくしかりつける・・・などなど。でも、正義感が強く、融通は利かない女性かもしれないけれど、社会的に間違っていないし、最後には、それは正しくて。奥に秘めたやさしさもちょっとだけ垣間見せて・・・というように彼女の魅力として描かれていく。ミムラさんは、唯一彼女を理解しだすけれど、他のお母さんたち(高島礼子や浜田マリら)からは、いつも嫌われ、煙たがられている。まぁ、そういうわかりやすいストーリー。ほら、昔は街に、ひとりくらい、他人の子供の悪さを、厳しく叱るおじさんっていたでしょ?藤子アニメに出てくる「神成さん」みたいな。あれを、いまの若い母親に当てはめた感じでしょう。こういう人って、案外ひとりくらいいたほうがいいかもしれない。(私も、曲がったことが大嫌いなので、似てるかも)


2008年01月10日(木)
2人で分かち合う、やさしい恋をしよう

みなさん、こんばんわ。きょうも1日、おつかれさまでした。昨日スタートしたドラマ「斉藤さん」が妙にハマったコバルトです。みなさん、見ました?おすすめです!

昨年12月後半の日記・13日分、遅くなりましたがUPしました。お暇であれば、気楽にお読みくださいな。テレビネタ満載ですよん。さ、きょうも日記にお付き合いください。4つの文章でまとめました。


<やさしい恋をしましょう>

私は、いままでの恋で、自分から相手を振ったことは一度もない。ずっと好きなまま。本当に。だからすべての恋は、相手から去ったか、周りの状況から仕方なく別れに至るか。つくづく、私は一途な人間なんだと改めて思います。「さよなら」のない恋をしようと想うけれど、いつしか「さよならまでの恋」と考えるようになってる気がします(笑)。人のこころも、恋も、どうしても変わってしまう、はかないものだから。泣いても嘆いても、人のこころは、どうにもならない。だから、渇愛に陥るのです。まぁ、それはともかく、どうしてそういうかというと・・・

昨年の12月、私はある知人の相談に乗ることと相成りました。それは「離婚」という問題。かなり深刻です。私は、愛とはなにかという問題に、精神的に、相当参っていた当人といっしょに、すごく考えさせられました。とはいえ、いっしょにゆっくり話を聞いてあげて、いっしょに泣いてあげることしか、出来なかったわけですが。こうしなさいというアドバイスは出来ません。(結婚相手の方も、私が知っている人なので余計に)本当に愛し合っていたのにどうして別れることになったのか?僕も非常にショックで悩みました。ただ、どうにもならないこともありますよね。人のこころも、愛も。どうにもならないことってあるわけですよね・・・昨年12月は、仕事の忙しさとともに、いろいろなことで、私も悩んでいたわけです


先日読んだ、聖路加国際病院の日野原重明先生の著書の中で、先生は、こうしたことを言われている

「喜びや楽しみは、人と分かち合った分だけ大きくなると信じている。愛することを心の習慣にしなさい」

愛することの意味が、この言葉に凝縮されているのかもしれないですね。大きな意味のある言葉のように思えた。


話はちょっと変わるけれど、年末に結婚会見したオダギリジョーさんと香椎由宇さん。記者の「お互いのどこに惹かれたのですか?」との問いに、オダギリくんは「彼女のひたむきな生き方を尊敬したから」香椎さんは「話を静かにしっかり聞いてくれる」。僕は、この会見、この言葉を聴いて、直感でこの2人はいい結婚生活を送るのでは?って思いました。お互いを尊敬できる。しっかり話を聴く。なかなか出来ないこと。とくに「尊敬」って言葉は、夫婦の間でなかなか言えないことだもの。私もいつか結婚するとき、相手と尊敬しあい、話を聞きあえる関係でなくちゃって想ったもの。(2人の誕生日がいっしょとの指摘で、2人とも「キムジョンイル」とも同じですと言って、会場を笑わせていましたよね)私の知人の2人も、もっと2人にとって、基本的でシンプルなことに気がついて、それをきちんと見つめていれば・・・と、ちょっぴり想った。1度歯車が合わなくなると・・・


やさしい恋をしましょう。お互いを尊重しあって、思いやって。時に謙虚に、時に強く。2人がいっしょにいることで、お互いが向上しあえる。やっぱり、2人でいる時間が、おだやかで、やさしい時間であることが一番ですから。やさしい恋は、シンプルなものです(現実的なこともあるにはあるが)


<人生の歯車>

人には、人生の歯車というものがあると思います。その一番の素になる歯車を動かさない限り、すべての歯車が動かないものです。逆にいえば、それを回すことが一番大切。一度歯車が狂うと、すべてが動かなくなる。あなたの一番の素になっている歯車ってなんでしょう??仕事かな?恋人かな?家族かな?それさえまわせば、そのほかの歯車も順調に回りだすのです。恋も、趣味も、健康も、夢も、生活も。人生は、案外シンプルな機構で動いているって、僕は思います。そう想ったほうが、幸せに生きれるはずだから。ただし、まわすには、ときに潤滑油が必要です。それは、周りの人のやさしさであり、笑うことであり。自分にとっての楽しみであり。それも忘れないように。かくいう私も、素の歯車がぎしぎし音を立てていたのです。(おそらく仕事かな?)だからいったん止めて、メンテナンスして、再びフル回転しなくちゃって想うのです。

きょうも、ありがとうございました
あすは、雨が降るみたいです。傘を忘れずにね。
あすの日記も3テーマで。1つは、こころについて、生きることについて。あとの2つは、またなにかを書きます。22時前後にUPできたら
この後は、おまけの日記。よろしかったら、お読みください↓


<友人と親友>

私は、親友と呼べる人は、数少ない。どうも、ながく関係を保つことが上手くない人間のようだ。小さい頃から、転勤の連続で、1〜2年で小学校も変わっていた。1から、人間関係を築いていく必要になんども迫られた。だからか、幼馴染というものがまったく存在しない。

そうしたひずみが、高校生ころに大きく出てしまった。私の高校生時代は、親友といえるものははほとんどいなかった。ひとりでいることがここちよかったから。本ばかり読んでいた。(部活や生徒会は懸命だったけれど、いつも一匹狼でした)


でも、友人は、大切にするべきです。
出逢いは大切にすべきだけれど
親友は、たくさんいなくてもいい。
ただ、困ったときには、助け、
離れていても、静かに見守る
なんでも言い合えて
許しあえて、思う存分泣かせてくれる

ただ、いい関係を持続するのには、自らの人間性が問われる。私は、やはりどこか不適合なところがあるのかもしれない。それでも、常に志を高く、人にたいしても、いくつかの心がけというか、こうありたいという部分がある。そこには、つねに、「去るものは追わず」という部分と同居しているわけです。 自分は、どうも対人関係が苦手なタイプのようだ。けっこう懸命に向き合っているんだけれど、どこかに問題があるのでしょうね。

友人関係、恋愛関係、人間関係、どれも、ちょっとしたことで、もろくも崩れていくものです。いままで積み重ねた信頼や時間なんてほとんど無意味で、いっぺんにもろくも崩れてしまう。崩れたら、元には戻らない。たとえば、言葉ひとつでも簡単に崩れるもの。いまの私は本当に肝に銘じないといけませんね。反対に、人に対して、寛容で、許せるくらいのこころの大きさって、必要かもしれないし、それが出来て、初めて、本当の関係になれるような気がします


ホームページで、数多くオフ会をやりますが、そこには、「自分が、いい友人と出会って、楽しくやりたい」という考えではなく、「人と人をつなごう」「みなの出逢いのきっかけになれば」との想いのほうが断然つよいのです。

そういう役割が出来ることが、私にとって、一番の幸せなのです


2008年01月09日(水)
いつも笑顔でニコニコで

こんばんわ。きょうも本当にポカポカの陽気でした。昼食を買いに、出かけたとき、都心中心部は春?って勘違いしてしまったもの。ビル群は黄砂のようにかすんでいたけれど。この暖かさ、あしたまでですよ。ハンドボールの五輪アジア予選のやり直し拒否する中東の国々に、喝!を入れたいコバルトです。きょうも3つの文章で書いていきます。メトロポリタンカメラも更新しました。どうぞお付き合いくださいませ・・・♪



<いつも笑顔でニコニコで>

自分がニコニコの笑顔じゃないと、幸せは来ません!これ、私の持論。
だから、できるだけ自分は笑顔で過ごすことを意識しています。もちろん!出会う人を笑顔に出来るようにって、必ず思うのだけれどね。ささやかなことでも。たとえば、定食屋のおやじさんには、「おいしかったです」レジの人にも「ありがとう」、バスの運転手さんにも「ありがとう」と、スマイル!こういう小さいことも、しっかり心がけていたいと、思うんですよ。もちん、家族、同僚、友人は当たり前で・・・いつも笑顔で、おだやかに。ありがとうという言葉を添えて。そうしたら、「自分はみんなによって生かされている」ってことを、その都度感じることが出来るから。


「ありがとうを多くいうと、ストレスが少なくなる」
これは、斉藤茂太先生の著書の中の言葉。本当にそうですよね。まずは感謝の気持ちを表すことは、自分を守ることになるってことです。みなさんも、そう思いません??


笑顔でいれば、自然といい顔になっていく。美人になったり、やさしい顔になったりするものだもの。うん。一番の美顔術は「ニコニコ」でいることです。でも、悲しいときは、思い切り泣けばいいんです。愚痴も言えばいいんです。要は「自分に無理しないように」いつも人に言う言葉だけど、いまは自分に言い聞かせているんですね。うん。まずは、こころが健康でなくては、なにもはじまりません。

みなさんも、笑顔、忘れてませんか?
笑顔ってね、意外ととすぐ消えてしまう。だから笑顔は絶やさないほうがいい。愛しい人の笑顔は、ずっと消えず、自らのこころを、どんなときでも温めてくれるはずですもの。



<七草がゆをおなかいっぱい>

ここ、調子が悪いのもあって、数日間、七草粥ばかり食べている。胃に本当にやさしいもの。お正月だからといって、特段豪華なものをたくさん食べたわけでもないので、胃もたれもないのだが(笑)ドクターコパさんの本を読んでいると、日本の恒例行事を、きちんと行うことが、運気を大幅に上げる。生活の、当たり前のことをきちんとすることなんですよね。やはり。その意見、同感。私も行事好きな人なので特に。そういえば、モノを捨てることも、風水ではよく言われるけれど、これも当たり前のこと。昨年末、自室のいらないものは捨てに捨て、無駄なものがなくなった。その代わり、干支の置物をきちんと東側においてたりしてる。七草粥も、そういう、運気をUPさせる意識でも食べています(風水ってそこまで信じているわけではないけれど、やらないよりはいいだろうくらいの意識)


明日も3つの文書を書いていきます(なるべく夜9時に間に合わせます。来週は食事とかいくつか予定があったりしますので、遅くなるかも)あすの内容は、やさしさと恋について、友人について、そしてもう1テーマ。おだやかに明るく書いていきますぜ♪この日記への感想がありましたら、お気軽にどうぞ。

きょうも、ありがとうございました
あしたも、みなさんにとって、やさしい時間が流れていきますように・・・
こころから、願っています。
さて、この後は、おまけの日記です。
よかったらどうぞ↓


<家族へ>

私は、父や母を、どちらかとえいば好きではない。
ひとりの人間として捕らえたとき、もし親でなかったら、きっと付き合わない人間のような気がする(笑)と書くと、とんでもない人のように想うが、そうではなくて・・・

小さいときはなついていた。ただ、いろんな面を見て、子供心に影響を受けた面もあるし。とにかく、父も母も、人の話はあまり聞かないし、こと子供のことを理解しようという姿勢は、そこまでない人だった だから、家族旅行などほとんどなく、一家で食事することもまったくなく。でも、どこか慎ましく、派手なことが嫌いで。 社会のルールに反することに対しては、本当に厳しかった。ただ、どういう人であっても、親であることは変わりない
言葉はきちんと交わさないけれど、本当は、感謝の念をとても感じている。


幼い頃から、引越しすること10回以上。短いときは1週間、長くて2年。
そのたび、荷造りし、友達と別れ、知らない土地へ行く。そのストレスは、多感な子供のころだからこそ、計り知れなかった。(父は治安を守る職種の公務員だったので、転勤は日常茶飯事だった)いまの自分を形成するのに、悪い部分で、多分に影響したことは間違いない。幼なじみというものも存在しないし。寂しがりやなのも、そこから来ているのかもしれない。その引越しのことを、母は、いまでも私に詫びることがある。本当にすまなかったと。 そのとき、感じるのは、その苦労は、父も母も、相当しているに違いない。だから責められないのです

生きた言葉を日ごろ、交わすことがない家族であっても、その裏では、各々いろんなものが存在する。感謝の気持ち、わびる気持ち、後悔の気持ち。きっといつか、それらを、たくさん言葉として出るときが、いずれやってくるでしょう。


私は、両親のような親にはなりたくない。とくに、父は、父親としての尊敬は残念ながらしていない。ただ、仕事に対しての、ひたむきさに関しては、誰よりも尊敬しているのです。これも言葉にすること、この先あるかもしれないけれど

家族を顧みず、仕事に打ち込む。こと、自分勝手で、短気で。人間としては、どうなのかと疑うところはある。僕が小さいときから、「この人」のようになってはいけないと、堅く誓ったものです。だからって、父には、感謝の念も強いのです。

両親も、もう年老いて、人間が丸くなってしまった。あんなにも厳しかった父も、私には、何も言わなくなった。私が仕事疲れで、帰宅してすぐソファーで寝ていても、父はなにも言わない。(「これから先、おまえに面倒を見てもらおうと思わん、だからお前はひとりしっかりやれ」」が、最近の唯一の口癖)何もいわないのが、せめてもの、家族への償いなのかもしれない。

そして、親に苦労かけさせ、心配させた、親不孝モノの僕は、これから先、何かの形で、この父と母に、お返ししなくてはならない。



時間は、あっという間に過ぎていく
人生も、あっという間なのです。

ならば、本当に愛し合った伴侶と子供に囲まれて、ささやかでも家族を築いて、穏やかに、当たり前のことを生きたいと、心から思う。要は、そういう相手が、いそうでいないということだけどね(笑) ただ、いますぐでも、ホントそうしたいものです

でも、正直なところ、私は、結婚しないかもしれません。それならそれが、宿命だと想うのです。人生は、自然な流れというのもあるから。
でも、両親の感謝の気持ちは、忘れずにいたい。こうした感謝の気持ちをもてないと、たとえ、仮に自分が親になったとして、同じように子供や妻に感謝されない父親に、そして家族になりそうな気がするから。それはやはり、悲しい。

一度、離れてしまったこころや絆は、元に戻すことは難しいのだから

以上、おまけの日記でした(おまけの方が長い!)


2008年01月08日(火)
穏やかに生きる、強く生きる、自分を生きる

みなさん、こんばんわ。3月のようなすがすがしい暖かい1日でしたね。笑顔で1日を過ごしましたか?おつかれさまでした!

きょうは、3つのテーマで、大切なことを書きます。
なお、この日記は、今年から、その日の夜(9時〜11時前後)に更新しています。1つの日記に、多いときは3つの文章を書いていくつもり。だから、1日分がすごい文章量になるかもしれません。お願いですので、最後まで読んでくださいね。元気になれる、笑える、あったかいものを伝えれたらって想うので。


<穏やかに生きる>

人間は、絶対に「おだやか」でなくてはいけない。
人に決して怒ったり、冷たかったり、悪口や酷い言葉を言ったりしてはいけないと常日頃思っている。もちろん、裏切ったり、嘘をついたしてはいけない。こと、自分にとって大切な人、身近な人に対してはなおさら。笑顔で、やさしく、おだやかに生きること。それを、けっして否定されたくない。一度、言葉に出してしまったことは、もう消すことは出来ないことを、肝に銘じて。一度、人を裏切ったら、その何倍の裏切りを、きっといつか自分は受けるようになるから。後で後悔しても遅い。日ごろから、何事にも穏やかに生きる努力しないと。そして穏やかに生きると、周りの人のやさしさ、暖かさなど、本質がしっかり見えてくるはずだから。おだやかに生きること、それは、「誰かといっしょに」が出来る人でもある。夫婦でも、仲間でも、仕事でも、「いっしょに」が基本の人が理想だと僕は思います。喜びも、悲しみも、いっしょに。
いっしょにというのは、やはり「おだやか」じゃないと、そうはいかないもの。

そうできるとね・・・ささかやか日常のありがたさを、毎日ひしと感じながら生きていけるはずですから。

穏やかに生きる。それは、自分に素直なこころで、ゆっくり生きるということ。



<強く生きる>

強く生きるということは、大切な、誰かを守るということ。誰かのために生きるという使命を持つと、何倍も強く生きられると想う。決して、いまだけをみてしまわないようように、楽な方、安易な方へ逃げないように、一歩前へ進んで、殻から飛び出して。これからを見て。いま、見えていないかもしれない、本当に大切なことに、いつか気がつくということ。愛する人をしっかり信じて、その人の為に生きるようにと。決して、人を見捨てたりしないことも、ひとつの強さでもあるとおもう。難しいけれどね。強く生きるというのは、決して、人を押しのけたり、勝ったりする強さじゃない。私は、人と競ったりするのは本当に苦手です。人を悲しませたり、裏切ったりしてまで幸せになろうとは想わない。そして、人を許すことができること。それだって、強く生きることになるのではないかと、想うのです。
辛いとき、悲しいとき、負けないように。まだまだしんどいところはあるけれど、強く!

強く生きる。それは、自分を信じて、志を高く生きるということ
誰かのために生きるということ



<自分を生きる>

自分を生きるということは、自分のぶれない信念を持って生きること。本当の自分を、見つけられたとき、自分を生きることの大切さに気がつく。

私は、仕事に区切りをつけようと思います
自分を生きるため。

素直なこころを、はじめて大切に、生きてみようと想う。すこし、自分を見つめなおす時間をつくって、こころゆっくりとさせて。本当の自分を生きたい。本当に、本当に・・・


この11月末から、私は情緒不安定でした。眠れないし。しんどくて。それは、仕事が多忙で、もうストレスも限界でした。私はこのままでいいのか?悩みに悩んだ。また、友人のことなど、そのほかのいろんな大きな出来事が、次々私にやってきて、自分が、正常な判断や行動が出来てなった気がします。ただね、自分のこころの支えにしてきた「大切なもの」があったからこそ、なんとかやってこれた。そういう状態の中で、多くの人に迷惑をかけてしまった。本当に、申し訳ありませんでした。こころから、謝りたい。本当にごめんなさい

前に進まないといけないから。私は、大切なものを守らなくてはいけない。守れるような人間にならなくてはいけない!

人を愛して、信じて。ずっとずっと、人を幸せにしたいという変わらない想い、何があっても自分だけは絶対に変わらない一途な想いは、けっして恥じることはないと想うのです。間違っていない。私は、たとえ、自分の想いや行動が、人から見えないこと、理解されないことであっても、それを信じて、懸命でありたい。そして、いつか、私がやってきた、伝えてきた本当の意味に、人々が気がついてくれるときが必ずくればいいなと。それだけを望む(私という人間は、なかなかそのときに、理解してもらえる人ではないことは、よくわかっているから。時を経て、人に「あのとき、あなたにいわれたことの意味が、いま本当にわかった」といわれることがけっこう多いのです。ぶれない想いがあるから、先のことをしっかり考えて伝えよう、あわてず行動しよう、大切なこと、本質を見定めようと、いつもしている自負があるから)とはいえ、それがすべてではないですけれどね。無論、自分が間違ってることなんて、たくさんあるし。引くときは引くことも大切です)


自分の想い、それを、こころからわかってくれる人は、どこかになからずいると信じたいのです。

自分を生きる。それは、後悔しないこと。


私は、これから自分をしっかり生きていく。
そう誓いたい。
自分を律して。反省して。
本当の笑顔に戻れるように



石田ゆり子さんは、著書のなかで、
「澱まないように」「止まらないように」

と書かれています。その言葉は、ずっと僕は忘れないようにしてきたつもりです。彼女のいうとおりだと想うから


きょう、会社をちょっと早めに退社して、所用を済ませ、時間があったので、またいつものタリーズへ。1時間くらいか、いつもの席でのんびり本を読んだ。その後、書店で本を漁る。

ふっと、文庫新刊台のひな壇手前にあった、ある文庫に手が伸びた。それは、「禅」の言葉を集めたもの。でね、ふっと開いたページが、なんと偶然にも、私が専門学校の学生のころ、座右の銘にしていた言葉だったので、びっくりしたのです。(書道サークルで、この言葉を書いて、発表会に出品した)


それは、

「行雲流水」

空に漂う雲、果てしない空、流れる水のように、自然に身をゆだねるようにおだやかに生きる。人のこころ、自らのこころが、小さなことでわだかまったりしないように。物事に執着せず、淡々と生きていくということ

もっと、こころおだやかに、人にもおだやかに、生きてゆきたい。
たとえ、これから、困難なことや、悲しいことがあっても、裏切られたりしても、自分だけは、しっかり強く、おだやかに、自分を生きたいとこころから想う。この本で偶然みつけた、懐かしい言葉。なんだか初心に帰れといわんばかりの出来事だった。


あしたは、3つのうち、1つは、「家族」について書くつもりです。あと2つは、あしたまた。


きょうも、ありがとうございました
あしたも、みなさんにとって、すてきな1日になることを祈っています。


2008年01月07日(月)
ただただ、待ってみるということ

ゆっくりと、待ってみることにしよう。
こころはそのままで。見守りつつ
そう、想うようになった。

その人、その物事、その未来・・・

どう、これから、どう変わるか変わらない
この世の中だって。

ただ、自らの素直な気持ちだけは、大切にしておきたいと想う
時間が経て、なにかが変わり、なにかが見えてくるかもしれない

きょう、いくつか、小さな幸せな出来事があった。
昨年末、心配していた知人から、丁寧にお手紙をいただいた。少しずつ、よい方向に向いつつあるようだ。思わず、涙ぐんでしまった。謙虚に書かれたその文面は、かなり印象的だ

探していた本が見つかった。即買ってしまった
注文しないと手に入らないかと想ったから。年末、自室の書棚の本を大量処分したので、かなり空きスペースが出来た。今年は、久々に読書をする1年にするつもりだ。自室の書棚も、新しい本が、再び並ぶだろう

昨日、泣きつかれて、眼が腫れている
いろんな出来事を振り返り、そのひとつひとつを想う
ただ、そこまでしてでも、自分を追い込まないと、何かを整理し、答えを出せないから。私には、こうしたストイックな面がある。泣いた後は、不思議と穏やかなのだ。

これからのことはわからない
だから、待ってみる

「美の巨人たち」
この番組が本当に大好き。土曜日に1時間スペシャルも放送されていた。スペシャルでは、西洋絵画の歴史をわかりやすく伝えていた。印象派について特に。
毎回、1つのアート作品に焦点を当てて、30分、その絵やオブジェなどに秘められたドラマ、作者の葛藤や人生を、わかりやすく、ドラマ風に、伝えている。(日本の作品と西洋の作品を、1回づつ交互に)美術を紹介する番組でいえば同じ、NHK新日曜美術館は、いささか堅苦しいが、美の巨人たちは、その点見やすい
なにより、ナレーターの俳優・小林薫さんの、やさしい語り口が、秀逸である。番組中流れるキリンのCMも、普段見れないロングバージョンのCMだったりして。番組の独特の雰囲気を壊さない。紹介される作品の奥に潜むもの、そして作者の苦悩やストイックさを、いつも感じてしまう。

次回は、ピカソのゲルニカ。大変楽しみ

「篤姫」
初回を見ました。とてもフレッシュな感じがしたのは、やはり主役の宮崎あおいさんの、聡明で明るい主人公・於一(篤姫)なせばこそ。見続けるかどうかは、わからないけれど。

「情熱大陸」
昨年の大河ドラマで、信玄を演じていた 市川亀治郎さんだった。こと、無口で、いつも、スタッフの質問に対して「わからない」を繰り返す人だった。毎回、歌舞伎に対して、無心で演じていることが、よくわかる。この人、私より年下だったんだね。驚きでした


日曜日に見た、番組のことについて


きょうも、ありがとうございました
あしたも、みなさんが、笑顔のいっぱいの、すてきな1日となりますように・・・

私は、時間作って、コーヒーのみにいきたい気持ちでいっぱいです
さ、きょうも元気だして♪


2008年01月06日(日)
想いは、リレーする

想いは、リレーする


幸せを願う想い、
愛する想い、
いとしい想い
励ましの想い


それらの想いは、バトンのごとく、
人から人へリレーされる


それは、親から子へかもしれない
それは、愛する人から愛される人へかもしれない
それは、仲間から仲間かもしれない

その「想い」のバトンは、
しっかり、受け取られ、
それは、また人へとリレーされる

人は、つながっている
生きている以上
たくさんの人とつながっている

これから出会う人たち、
これから出会う愛する人に、
僕らは、バトンを、しっかりと渡していかなくてはいけない

それが、絆となって
人と人がつながっていく

そのバトンは、どこかで途切れるかもしれない
悲しいけれど

でも、君はひとりじゃない

決して、リレーすることをやめてはいけない
いつか、そのバトンは、再び、自分にリレーされるから。

親から子へならば、親孝行というカタチで、親から子、子から孫へと
愛する人から愛される人ならば、結婚という永遠の愛というカタチで
時を越えて、その想いはリレーされるのです

リレーは、終わることがない
終わらしてはいけないと、僕は思う



人は、人を想い、生きていくのだから

人とつながって、生きていくのだから



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本当に久しぶりに、図書館で過ごした気がします。ゆっくりと、ページをめくり、文字に目をやる。すーっと文字がこころに入っていく感覚は、非常にここちいい。

仕事柄、書店や取次ぎ所を回ることが多いのだが、意外とゆっくり本を読むことはないから。

上の文章、ふっと思い浮かんだ言葉。
本当にそう想うのです
人は、ひとりじゃ生きていけないですもの。


僕は、なんどとなく、人の言葉ややさしさですくわれました
いまでも、その言葉や、その想い、そのやさしさは、決して忘れない
それを胸に、今度は、人にそのバトンを渡していこうって
想うんです。いつも

人を傷つける言葉、人のこころを思いやれない、冷たいこころは、
けっしてバトンを渡してはいけません。
渡してしまうと、それは、必ず自分に戻ってくる。絶対に

涙というバトンを渡していくと・・・いつかそのバトンは、希望というバトンへと変化していく



コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
ホームページ⇒http://www.geocities.jp/cobaltblue21jp/

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