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みなさん、こんばんわ。きょうもおつかれさまでした。
12月6日前後の日記に、映画レビューをいくつか書いたので同時に読んでください
6年半続けてきた、このホームページには、
功罪がある。
功は、たくさんの方たちに出会え、人と人を結びつけることが出来たこと。たくさんの人生に、ささやかな時間でも関われたこと。みなさんにたくさんのことを与えられた。本当に感謝してもしきれません。
罪の部分は、このホームページと出会ってしまった人を、悪い意味で巻き込んでしまったこと。その点が、いまだに大きく私の中で影を落とす
現在、ホームページの訪問者数も、少なくなりました。BBSのコメントも、書き込みされることは、特に少なく。6年半、ほぼ毎日休むことなく更新し、内容もまったく変えなかったのですが。
ホームページ立ち上げの頃は、まだ個人がホームページを持つこともめずらしい時代。「ブログ」って言葉も世に登場していなかった。それが、チャット、ブログ、そしてmixi・・・個人が情報を発信し、交流する手段も、多様化しました。こと、mixiに移った人は、このホームページを見る頻度は少ない。また、昔から訪問してくださったり、オフ会に参加くださったたくさんの人たちも、いい恋愛したり、結婚されたり、出産されたり、広島を離れたり、仕事を変わられたり・・・そんなみなさんのライフスタイルも大きく変わりました。
ずっと書き続けてきた日記には、私の精魂込めて文字にした、「生きた文章」を、しんどいときも、6年半、ただひたすら、文字を打ち込んできました。ある意味、「私の分身」だと思っています。それを多くの方に読んでいただきました。深く共感していただいた。ただ、いま強く思うのは、この日記によって、人の人生を大きく変えてしまうことにもつながった。いい意味でも悪い意味でも。だから、私が日記を書くことの、ある意味「怖さ」を、いま感じるのです。
やはり、書き手として、大きな責任があるのです。
私のためのホームページとして考えると、いまの私の状況では、正直しんどい。6年半で、初期には想像もしない、意図しない方向に向って大きくなりすぎたのかもしれません。
いまの私は、ちと調子を崩しています。
情緒不安定といいますか。しんどいのは事実。ま、忙しいのもありますけれど。
これから、先のこともいろいろと、いくつも答えを出さなくてはならないこともあります。かなしいこともあります。きちんと整理しないと
そんな、さまざまな想いがありまして
このホームページは休止しますが
みなさんの、これからの幸せを、しっかり祈っています。
このサイトのテーマ「やさしい時間」を、それぞれが大切にしてください。もちろん、笑顔でね!!ひたむきに想い、愛する人を信じて、大切にして、未来を信じること。忘れないようにね。
また気が向けば、突然再開するかもしれません。あくまで気まぐれってことで
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私はアンジェラ・アキさんの「サクラ色」という曲が本当に大好きです
ことし、私がもっとも数を聴いた楽曲です。そして何度となく涙した。
「サクラ色のあなたを忘れない」
「サクラ色の時代を忘れない ずっと、ずっと、ずっと」
この6年半という時間は
私にとっての「サクラ色の時代」でした
※リンク貼られている方にお願い
リンクを外していただいてもかまいません。お手数ですがよろしくお願いします
※mixiは、連絡用として使うので、とりあえず残しておきます。
※メトロポリタンカメラは、写真の整理のため、もうちょっと動かします
※カフェ案内はそのまま。今後もご利用ください
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あの時、あの人はこんなことをいっていた
あの時、あの人はいてくれた
あの時見えなかった、
やさしさ
言葉
愛
それは、時を越えて、きっと改めて思い出すときが来ます。
その「本当の意味」「見えなかったこと」が、
時間を経て、はじめて気がつき
痛切にこころに響くことがあります。
その人のやさしさ、なにを伝えたかったのか
その人はこんなにも愛してくれていたのに・・・
そういうことを、はじめて、時間が経った、いま気がつくことって、誰しも1つくらいはあると思います
それらは、「時を越える」のです。
無論、その人は、自分のもとから去ってしまったかもしれない
亡くなられたかもしれない
そして、時代も、状況も、
まったく変わってしまっている
でも、共に生きた・時間を共有したことだけは、
紛れのない事実です。
そんな時代は、たとえ、風化し色褪せたとしても
「時を越える」
ものがあると思うのです。
時を越えたからこそ
自分のこれからの人生にとって
ひとつの宝物になって、これから生きる指針として
強く残っていく。
忘れかけていたことを想い出させてくれるのです
僕は、なにを伝えられただろう
なにを、与えることができただろう
そうやって、自問自答することが多い。
後悔も多い。
結局、残らなかったってことだってある
「時計の針は、決して戻すことが出来ない。でも、時を越えるものも存在する」
悲しくても、それが現実。
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ありがとう
その感謝の言葉は、出し惜しみするものではない。生きていく上で、必要な言葉だし、気持ちです
僕は、過去にいくつかしんどい時期がありました
裏切られたこと、絶望したこと。
ここではいえないことも多い。
明日が見えず、自分を責めて・・・
でもね、時間は、必ずこころを癒してくれる
過去の想いでも、少しずつ忘れさせてくれる
そして、人とのかかわりの中で
救われたことも、もちろんありました。
ただ、そのかかわりは、ずっと続くものではありません。悲しいかな。
自分を大切に想ってくれている人を、大切にする
シンプルで単純なことなのですけれど・・・
でも、その限られたかかわりの中で、
私は懸命に向き合って、お互いにとって、いい時間に出来たらって。
そう、常に想うようにしています
たくさんの「ありがとう」
こころから「ありがとう」
その気持ち、その言葉が積み重なって、いまの自分がある。
昔に、ある人が、ふと語った
「私は、みんなに生かされている」
その言葉は、時を越えて、自分の中に、いまもいきづいています。
「さよならだけが人生だ」
寺山修司の本に書いてあったこの言葉
それも、自分のこころの中に刻まれている
ありがとうの気持ち
謙虚な気持ち
これからも、僕の中で、それらを、しっかり大切にして生きてゆかなくてはなりません。まだまだ、弱く、未熟で、ダメダメですが。
誰かを幸せにする力を、持ちえる強さを、ひとつひとつ積み重ねていこうとはしています。少しずつですが
次の日記は、「お知らせ」です
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本当のことを言うと
ことしの春前くらいからだろうか
ほんとこころにぽっかり穴があいたような感じでして・・・
それを埋められない分、ほんと仕事に懸命になり、くたくたになったあと、ひとりでぼんやり考えごとして、休日過ごしたり。だから、あまりどこか遠くへでかけたということもなく。ひとりでいることがほとんど。
7月はこと忙しくて、また仕事中にケガをして大変でした。でも、バカみたいな明るさでなんとか乗り切ったけれど、やはり、「から元気」でした
そう、むなしさとか、寂しさとか。でも、そういうもの以上に、「過去」と同じことをしてはならないというプレッシャーが大きかったのがしんどかったです。
この日記も、なるべく、読み手にとって、元気になれる、ここちいい、笑えるものにしようと、ことさら努めて書き綴ってきましたが、やはり更新がしんどかったのも事実です。
=裏日記1=
私は、自分のことを話すのが苦手です。嫌いです。
悩みとかを人に相談することが出来ない
相談できる人もほとんどいない
人を信じない性格が、ある出来事以降、トラウマとしてずっと染み付いているから
だから、常に聞き手でありたい。静かに聴いてあげたい。そしていっしょに考えたい
そもそも、悩みを相談しても、
私の周りにいる人間は、こと話したところで・・・って人ばかりです。
たとえば、悩みを話すとしよう
すると、最初はいいけれど、そのうち、「自分も昔は・・・」といったような、こと自分の経験談に話が移り、相談者そっちのけで、ずーっとそれらをしゃべりつづける。以前、私はこうだったとか。、自分はこうしただとか、自分ならこうするとか。そんなくだらないことを聞きたいわけじゃないのに。(いつのまにか自分の悩み相談に話をすりかえるひともいる)
「結局、自分がしゃべりたいだけじゃん!」
と、突っ込みいれたくなる
でも、意外とそういう人、多いんですよね。
また、悩み相談しても、精神論で一蹴するやつ。「気の持ちよう」だとか、「ガンバレよ!」とか、「そんなことでクヨクヨして」とか。そんな、ありきたりの精神論しかいえない人間を、私は、鼻から「人間」として相手にしない。自分が正しいことを言っている。だからそれを強要する言い方する人って感じでしょうか。そういう人は、私から見ると、「じゃあ、あんたはどうなん?そんなに立派な人間か?」って言い返したくなる
あと、「バカ」がつくほど、ポジティブな人。(本人は悩むことがないのだろう)なにを話しても、うすっぺらい答えしかしない。重い話していても、突然笑い出したり。最近でいう「空気の読めない人」といいましょうか
空気が読めないといえば、相手が話したくないことまで、ねほりはほり聴きたがる人も、たまにいますよね。「私が無理やりでも聞き出さないと、相手は吐き出せない・・・」と想うのでしょう。それはちとピントがずれている
勘違い甚だしい
上で述べた人たちに共通するのは、
人を一面だけみて、簡単に決め付ける傾向が強い。傍らで、その分析を聞いていて、「よくそこまでその人のことを言い切れるな」と想うものです。
そういう人たちに、こころの中では、辟易している
こういうところで、私は人を見ています!
人間関係の基本は「聴く力」ですからね!!
とにかく、私は、誰に何をいうこともなく、もうひとつの自分で生活している。この日記は、本音というか、自分のこころの中の想いの一部分を出している。けっして、人前では、ここで記してることを話すことはない。そういう意味での役割を担ってきた
人を信じられないから、孤独になる
信じられる人がいても、信じようとしない。
これは、かなりの重傷かもしれません
私の欠点です
ただ、自分をとことん理解いしてくれ、ずっとそばにいてくれる人が、ひとりいてくれれば、それでいい。大切な人を、ずっとずっと、いっしょにいて、大切に出来れば。シンプルなことなのです。
=裏日記2=
恋愛をしていたとしてね、
「ずっとそばにいるから」
「ずっと、そばにいたい」
そう、いう人は、結局いなくなってしまう
そんなもののように、僕は想います。
だから、まともにその言葉を信じられない
人のこころは移ろいやすい
でも、それを責めるのは、大人げないかもしれない
時がたては、相手の状況も、気持ちも変わります
この人とは、もう付き合えないと想うのも、理由があるわけだし
不変の愛は、なかなかないものです
私は、変わらないことが愛だと想う
出逢ったときのまま。
私は、出逢ったときから、人間不信なところがあるから、マイナスから入って、少しづつ、相手のことをプラスで積み重ねていく。だから、相手に理解されるまで、時間がかかります。だから、信用や理解されるまでに、人は去っていく。でもね、好きという気持ちの急激な抑揚がない分、相手が、どういう状況になっても、自分はブレないでいたいと思う。たとえ離れてしまっても、逢えなくなっても。ずーっと平均値で。(そうなくてはいけないと想います)結婚するとなると、なおさら。結婚を考えたとしても、ひとつひとつ、確実にクリアすることはたくさんあるし。きちんと状況を整備して積み重ねて。だからあせることはいけない。それを乗り切るためには、時間は多少かかっても、お互いが信じあって、変わらないことであるし。その中で訪れるチャンス・・・いや決断の時期をしっかり逃さないことです。結婚してずっといい夫婦でいるってことは、そういうことが根底にしっかりないと、難しいと、僕個人は考える
何か判断を求められたとき、私は、相手に判断を任せる。
それを尊重してあげることをしたい。
「去るものを追わず」
ある意味で、一番の相手への優しさ。愛情の言葉でもあるように想う。
ほんとうに自分にとって、大切な人だからこそ、
相手が選んだことを尊重したい。
決めたことを、責めたり追ったりしないほうがいい
ただし、私がダメなところは、
そうなる前に、自分の意見や想いを押し殺してしまうことである。
「好きなら好き。」「ずっといっしょにいてほしいならいてほしい」
それを、きちんと伝えられていれば・・・
後悔することがたくさんです。
ただ、別れが嫌いだから。
自分からはなにもいえずにいる傾向は強い。
本心とは裏腹に
無論、現実というものは、いろいろあるわけですし
=裏日記3=
ひたむきに、生きていれば
きっと想いは届きます
ひたむきに、人を愛せば
きっと、それに答えてくれる
私も、ひたむきに、生きていきたい
大切にしたい人を、大切にできないことは、なにより悲しいことです
自分にとって、大切な人、好きな人、かけがえのない人
そういう人が、こころ離れてしまう、コロッと変わってしまうのは、本当に悲しい。
私にとってこれほど「しんどい」ことはないのです。
でも、それが現実であり、やはり、こと、その原因は自らにあるものです。
私は変わらない。
大切な人が、「ただいま」って、戻ってこれる
そんな立場で私はいたかった。
自分にとって、かけがえのない人を、
ひとりを、変わらず大切にしたいけれど
やはり、その中で、「誤解」や「嘘」や、「裏切り」・・・
そういうものもあるかもしれません。
失うこともあります
その時、自分自身の人間性が試されるわけです。
どう、捉え、どう選択し、どう動くか
時間は、容赦なく過ぎていきます
いや、時間は容赦なくやってくるもの。
のんびりしているわけにもいかない
すぐ最後だから、この際、ちょっぴり辛口に言いたい放題言わせてもらっていました。最後くらい良しとしよう!
そもそも、辛口な本音はたくさんあるけれど、あまり書くと、問題があるので(笑)
きょうもおつかれさまでした
みなさん、体調大丈夫ですか?
年末ということで、私もかなりお疲れです。バタバタ追い立てられるように、仕事もあって。
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私が、命を閉じようとするときを想う。
「誰かのために生きること」
その言葉が大きく頭をよぎるだろう
人生は限りがある。はかなくも、現実として。
残された時間、誰かのために生きることができるか?
だれかが、わたしのそばにずっと居てくれるだろうか。
自分の生きてきた人生の価値、いや、意味が、こうしたことで
大きく変わってくるんじゃないだろうか
孤独って、やはり怖いのです
私のような、誰よりも醜く、弱い人間でも、
孤独になることに対し、
四六時中、常に大きな恐怖感を持っています。
いつも、こころの片隅で、おびえている
だから、人を愛し、恋をする。大切にしたいと想う
しかしながら、結果的に、そういかないことになる
居てほしくても・・・いつかはいなくなる
それは、きのう書いたとおり。
何を持ってしても、
どうにもならないことの方がおおいかもしれない
人を愛することは、複雑で、難しい。
人の心も、想いも、時とともに、必ず風化するのです
どんな愛を持ってしても
簡単に、自分だって、過去の存在になってしまう
忘れ去られる。それは、僕だって、誰だってそうだろう
悲しくて、悲しくて
涙を流しても
過去に時間を戻すことは、誰にもできないのです。
「変化」することで、僕らは成長するとするならば
「忘却」は、残酷である反面、必然ともいえる
忘れることで、
風化することで、
どんな悲しみも、ある程度乗り越えていける
悲しみの涙も、そうすることで、いつかは枯れ果てる
こころから、笑えるようなるために向う
一筋の光が射していく
そのときに・・・
誰かがぞばに居てくれることの大きさ
かけがえのない、存在というものに気がつくこと
孤独は、一人でいる孤独よりも
二人でいる孤独の方がいいかもしれない
私だけは、あなたのために生きていく
私は、あなたのそばにいつもいる
離れていても、味方でいるから・・・
どんな悲しみも、その言葉、その存在、その思いで
すくわれる。生きることに、力を与える
そして、与えられた自らも、その人に対して
同じ想いを抱きながら生きていく
ずっとずっと、いっしょにいることができる、
ずっと、信じあえ、愛し合える人は、
長い人生で、ひとりいるかいないかであるはずです
離れないで
信じあって
誰かのために生きること
その意味は人生のうちで、非常に大きいもののように、
想うのです
ぜひ、「この人のために生きていく」
そんな生き方、
せめて、みんなだけは、してほしいと、こころから想うのです
静かに、穏やかに、
その思いは、きっと、愛する人のこころにも、自分にも積み重ねられ
強く、強く、どんなハガネにもかけない
「絆」
となって、2人を、ずっと結び付けていくものと、僕は信じている