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2007年12月11日(火)
時を越えて、ありがとう

あの時、あの人はこんなことをいっていた
あの時、あの人はいてくれた
あの時見えなかった、

やさしさ
言葉


それは、時を越えて、きっと改めて思い出すときが来ます。
その「本当の意味」「見えなかったこと」が、
時間を経て、はじめて気がつき
痛切にこころに響くことがあります。
その人のやさしさ、なにを伝えたかったのか
その人はこんなにも愛してくれていたのに・・・
そういうことを、はじめて、時間が経った、いま気がつくことって、誰しも1つくらいはあると思います

それらは、「時を越える」のです。


無論、その人は、自分のもとから去ってしまったかもしれない
亡くなられたかもしれない
そして、時代も、状況も、
まったく変わってしまっている

でも、共に生きた・時間を共有したことだけは、
紛れのない事実です。
そんな時代は、たとえ、風化し色褪せたとしても


「時を越える」


ものがあると思うのです。
時を越えたからこそ
自分のこれからの人生にとって
ひとつの宝物になって、これから生きる指針として
強く残っていく。
忘れかけていたことを想い出させてくれるのです


僕は、なにを伝えられただろう
なにを、与えることができただろう

そうやって、自問自答することが多い。
後悔も多い。
結局、残らなかったってことだってある



「時計の針は、決して戻すことが出来ない。でも、時を越えるものも存在する」

悲しくても、それが現実。

===============

ありがとう

その感謝の言葉は、出し惜しみするものではない。生きていく上で、必要な言葉だし、気持ちです



僕は、過去にいくつかしんどい時期がありました
裏切られたこと、絶望したこと。
ここではいえないことも多い。
明日が見えず、自分を責めて・・・


でもね、時間は、必ずこころを癒してくれる
過去の想いでも、少しずつ忘れさせてくれる
そして、人とのかかわりの中で
救われたことも、もちろんありました。
ただ、そのかかわりは、ずっと続くものではありません。悲しいかな。

自分を大切に想ってくれている人を、大切にする
シンプルで単純なことなのですけれど・・・

でも、その限られたかかわりの中で、
私は懸命に向き合って、お互いにとって、いい時間に出来たらって。
そう、常に想うようにしています

たくさんの「ありがとう」
こころから「ありがとう」

その気持ち、その言葉が積み重なって、いまの自分がある。


昔に、ある人が、ふと語った


「私は、みんなに生かされている」

その言葉は、時を越えて、自分の中に、いまもいきづいています。



「さよならだけが人生だ」

寺山修司の本に書いてあったこの言葉
それも、自分のこころの中に刻まれている


ありがとうの気持ち
謙虚な気持ち

これからも、僕の中で、それらを、しっかり大切にして生きてゆかなくてはなりません。まだまだ、弱く、未熟で、ダメダメですが。
誰かを幸せにする力を、持ちえる強さを、ひとつひとつ積み重ねていこうとはしています。少しずつですが


次の日記は、「お知らせ」です


2007年12月10日(月)
本音

本当のことを言うと
ことしの春前くらいからだろうか
ほんとこころにぽっかり穴があいたような感じでして・・・

それを埋められない分、ほんと仕事に懸命になり、くたくたになったあと、ひとりでぼんやり考えごとして、休日過ごしたり。だから、あまりどこか遠くへでかけたということもなく。ひとりでいることがほとんど。
7月はこと忙しくて、また仕事中にケガをして大変でした。でも、バカみたいな明るさでなんとか乗り切ったけれど、やはり、「から元気」でした

そう、むなしさとか、寂しさとか。でも、そういうもの以上に、「過去」と同じことをしてはならないというプレッシャーが大きかったのがしんどかったです。

この日記も、なるべく、読み手にとって、元気になれる、ここちいい、笑えるものにしようと、ことさら努めて書き綴ってきましたが、やはり更新がしんどかったのも事実です。



=裏日記1=

私は、自分のことを話すのが苦手です。嫌いです。
悩みとかを人に相談することが出来ない
相談できる人もほとんどいない
人を信じない性格が、ある出来事以降、トラウマとしてずっと染み付いているから
だから、常に聞き手でありたい。静かに聴いてあげたい。そしていっしょに考えたい

そもそも、悩みを相談しても、
私の周りにいる人間は、こと話したところで・・・って人ばかりです。

たとえば、悩みを話すとしよう

すると、最初はいいけれど、そのうち、「自分も昔は・・・」といったような、こと自分の経験談に話が移り、相談者そっちのけで、ずーっとそれらをしゃべりつづける。以前、私はこうだったとか。、自分はこうしただとか、自分ならこうするとか。そんなくだらないことを聞きたいわけじゃないのに。(いつのまにか自分の悩み相談に話をすりかえるひともいる)

「結局、自分がしゃべりたいだけじゃん!」

と、突っ込みいれたくなる

でも、意外とそういう人、多いんですよね。
また、悩み相談しても、精神論で一蹴するやつ。「気の持ちよう」だとか、「ガンバレよ!」とか、「そんなことでクヨクヨして」とか。そんな、ありきたりの精神論しかいえない人間を、私は、鼻から「人間」として相手にしない。自分が正しいことを言っている。だからそれを強要する言い方する人って感じでしょうか。そういう人は、私から見ると、「じゃあ、あんたはどうなん?そんなに立派な人間か?」って言い返したくなる


あと、「バカ」がつくほど、ポジティブな人。(本人は悩むことがないのだろう)なにを話しても、うすっぺらい答えしかしない。重い話していても、突然笑い出したり。最近でいう「空気の読めない人」といいましょうか

空気が読めないといえば、相手が話したくないことまで、ねほりはほり聴きたがる人も、たまにいますよね。「私が無理やりでも聞き出さないと、相手は吐き出せない・・・」と想うのでしょう。それはちとピントがずれている
勘違い甚だしい

上で述べた人たちに共通するのは、
人を一面だけみて、簡単に決め付ける傾向が強い。傍らで、その分析を聞いていて、「よくそこまでその人のことを言い切れるな」と想うものです。


そういう人たちに、こころの中では、辟易している
こういうところで、私は人を見ています!


人間関係の基本は「聴く力」ですからね!!



とにかく、私は、誰に何をいうこともなく、もうひとつの自分で生活している。この日記は、本音というか、自分のこころの中の想いの一部分を出している。けっして、人前では、ここで記してることを話すことはない。そういう意味での役割を担ってきた


人を信じられないから、孤独になる
信じられる人がいても、信じようとしない。
これは、かなりの重傷かもしれません
私の欠点です

ただ、自分をとことん理解いしてくれ、ずっとそばにいてくれる人が、ひとりいてくれれば、それでいい。大切な人を、ずっとずっと、いっしょにいて、大切に出来れば。シンプルなことなのです。


=裏日記2=

恋愛をしていたとしてね、
「ずっとそばにいるから」
「ずっと、そばにいたい」

そう、いう人は、結局いなくなってしまう
そんなもののように、僕は想います。
だから、まともにその言葉を信じられない

人のこころは移ろいやすい
でも、それを責めるのは、大人げないかもしれない
時がたては、相手の状況も、気持ちも変わります
この人とは、もう付き合えないと想うのも、理由があるわけだし
不変の愛は、なかなかないものです



私は、変わらないことが愛だと想う
出逢ったときのまま。
私は、出逢ったときから、人間不信なところがあるから、マイナスから入って、少しづつ、相手のことをプラスで積み重ねていく。だから、相手に理解されるまで、時間がかかります。だから、信用や理解されるまでに、人は去っていく。でもね、好きという気持ちの急激な抑揚がない分、相手が、どういう状況になっても、自分はブレないでいたいと思う。たとえ離れてしまっても、逢えなくなっても。ずーっと平均値で。(そうなくてはいけないと想います)結婚するとなると、なおさら。結婚を考えたとしても、ひとつひとつ、確実にクリアすることはたくさんあるし。きちんと状況を整備して積み重ねて。だからあせることはいけない。それを乗り切るためには、時間は多少かかっても、お互いが信じあって、変わらないことであるし。その中で訪れるチャンス・・・いや決断の時期をしっかり逃さないことです。結婚してずっといい夫婦でいるってことは、そういうことが根底にしっかりないと、難しいと、僕個人は考える


何か判断を求められたとき、私は、相手に判断を任せる。
それを尊重してあげることをしたい。

「去るものを追わず」
ある意味で、一番の相手への優しさ。愛情の言葉でもあるように想う。
ほんとうに自分にとって、大切な人だからこそ、
相手が選んだことを尊重したい。
決めたことを、責めたり追ったりしないほうがいい

ただし、私がダメなところは、
そうなる前に、自分の意見や想いを押し殺してしまうことである。
「好きなら好き。」「ずっといっしょにいてほしいならいてほしい」
それを、きちんと伝えられていれば・・・
後悔することがたくさんです。
ただ、別れが嫌いだから。
自分からはなにもいえずにいる傾向は強い。
本心とは裏腹に
無論、現実というものは、いろいろあるわけですし

=裏日記3=

ひたむきに、生きていれば
きっと想いは届きます
ひたむきに、人を愛せば
きっと、それに答えてくれる

私も、ひたむきに、生きていきたい
大切にしたい人を、大切にできないことは、なにより悲しいことです

自分にとって、大切な人、好きな人、かけがえのない人
そういう人が、こころ離れてしまう、コロッと変わってしまうのは、本当に悲しい。

私にとってこれほど「しんどい」ことはないのです。
でも、それが現実であり、やはり、こと、その原因は自らにあるものです。

私は変わらない。
大切な人が、「ただいま」って、戻ってこれる
そんな立場で私はいたかった。

自分にとって、かけがえのない人を、
ひとりを、変わらず大切にしたいけれど
やはり、その中で、「誤解」や「嘘」や、「裏切り」・・・
そういうものもあるかもしれません。
失うこともあります
その時、自分自身の人間性が試されるわけです。
どう、捉え、どう選択し、どう動くか



時間は、容赦なく過ぎていきます
いや、時間は容赦なくやってくるもの。
のんびりしているわけにもいかない



すぐ最後だから、この際、ちょっぴり辛口に言いたい放題言わせてもらっていました。最後くらい良しとしよう!

そもそも、辛口な本音はたくさんあるけれど、あまり書くと、問題があるので(笑)





きょうもおつかれさまでした
みなさん、体調大丈夫ですか?
年末ということで、私もかなりお疲れです。バタバタ追い立てられるように、仕事もあって。


2007年12月09日(日)
無題2

私が、命を閉じようとするときを想う。

「誰かのために生きること」
その言葉が大きく頭をよぎるだろう

人生は限りがある。はかなくも、現実として。
残された時間、誰かのために生きることができるか?
だれかが、わたしのそばにずっと居てくれるだろうか。

自分の生きてきた人生の価値、いや、意味が、こうしたことで
大きく変わってくるんじゃないだろうか


孤独って、やはり怖いのです

私のような、誰よりも醜く、弱い人間でも、
孤独になることに対し、
四六時中、常に大きな恐怖感を持っています。
いつも、こころの片隅で、おびえている

だから、人を愛し、恋をする。大切にしたいと想う
しかしながら、結果的に、そういかないことになる
居てほしくても・・・いつかはいなくなる
それは、きのう書いたとおり。

何を持ってしても、
どうにもならないことの方がおおいかもしれない

人を愛することは、複雑で、難しい。
人の心も、想いも、時とともに、必ず風化するのです
どんな愛を持ってしても
簡単に、自分だって、過去の存在になってしまう
忘れ去られる。それは、僕だって、誰だってそうだろう


悲しくて、悲しくて
涙を流しても
過去に時間を戻すことは、誰にもできないのです。


「変化」することで、僕らは成長するとするならば
「忘却」は、残酷である反面、必然ともいえる



忘れることで、
風化することで、
どんな悲しみも、ある程度乗り越えていける
悲しみの涙も、そうすることで、いつかは枯れ果てる
こころから、笑えるようなるために向う
一筋の光が射していく


そのときに・・・

誰かがぞばに居てくれることの大きさ
かけがえのない、存在というものに気がつくこと


孤独は、一人でいる孤独よりも
二人でいる孤独の方がいいかもしれない

私だけは、あなたのために生きていく
私は、あなたのそばにいつもいる
離れていても、味方でいるから・・・

どんな悲しみも、その言葉、その存在、その思いで
すくわれる。生きることに、力を与える

そして、与えられた自らも、その人に対して
同じ想いを抱きながら生きていく


ずっとずっと、いっしょにいることができる、
ずっと、信じあえ、愛し合える人は、
長い人生で、ひとりいるかいないかであるはずです


離れないで
信じあって
誰かのために生きること
その意味は人生のうちで、非常に大きいもののように、
想うのです

ぜひ、「この人のために生きていく」
そんな生き方、
せめて、みんなだけは、してほしいと、こころから想うのです


静かに、穏やかに、
その思いは、きっと、愛する人のこころにも、自分にも積み重ねられ
強く、強く、どんなハガネにもかけない

「絆」

となって、2人を、ずっと結び付けていくものと、僕は信じている


2007年12月08日(土)
無題

日記を書くのも苦痛です。
やはり、なにか自分の中で、いろいろと複雑な思いが混濁しているから。


わたしは、ひとり
誰にも理解されない。
理解してもらおうと、することに疲れた

人は、私の前を通り過ぎていく
どんなに愛の言葉を与えられても
どんなに想ってもらえても
必ず、人は去っていく
その繰り返しです。
それが、ある地点でわかったから

想いが強い人ほど、去っていくのも、気持ちが冷めるのも急激なもの
恋愛にしてもそうです
好きという気持ちが大きくて、そのときは、その人のことだけしか考えられなくても
それが大きいほど、持続はしないもの
いずれ、気持ちは急激に冷めていく。
相手の態度にたいして、状況や現実にたいして、こころの行き違いにたいして。さまざまなことに対して
そして、その人から去っていき、新しい道を歩む。そんな人ほど気持ちいいほどの切換ができる。

結局、後から想うと、そうした人の姿は、単なる「幻想」でしかない。
でも、人によっては、その幻想をいつまでも、追い続けてしまう

それは、当然のことでもある。
それが懸命なのです。最終的には
いつのころからか、
私は、去っていく人を追うこともしなくなった。
本当の気持ちを伝えることもしなくなった
相手の誤解や、勝手な思い込みに対して、後からこうだったのだと伝えることもしない。

一度変わったこころには、無意味なこと

人のこころはすぐ変わる・・・すぐ変わる。

たとえ、すぐ変わらなくても、成長するためには、人に恨まれようと、い
ままでのことを覆し変わることをしないちゃならないことだってあるかもしれない

ただ、私は変わらないこと
ずっとずっと、できるだけ、気持ちや愛情の抑揚がないように
与えられた時間を懸命に
いろんな出来事もあり、状況も変わる。
でも、気持ちだけはかわならい。
「言葉にしない」やさしさというものも、存在する。
それが、相手に対しての愛情だと想っている。
いまの自分にとって

やはり、どうにもならないことってある。
ときに、あきらめ、ときにやりすごし、ときに、自分を責め。
でも、どうにもならない。どうにもならないのです
とくに、人の心は、どうにもなりませんし。
なにをするにも、物理的に、社会的に、どうにもならない現実っていくつもあるわけです。生きていると。もちろん、この世の中ってね

そうやって、いろいろな壁にぶち当たりながら、ひとつひとつ、自分が、自分で選んでいかなくちゃならない。

どんなに強い思いも、愛する気持ちも、
ときに、それらをこころから封じ込める勇気が必要なのです。
本当に、相手のことを想えばこそ。相手の気持ちや言葉を尊重すること。それがたとえ、別れであっても。理不尽なことであっても。誤解があっても。なんにしてもです。

自分がどうこうということは、言うことができないし、いうだけの力もない
なにも、自分からは言えない。


わたしが、これからも、ひとりでいることを選んだとしてもそれは、自分の宿命だと想う。いろいろな理由もある。単に、悲しい「別れ」をするのが、精神的にしんどいというのも。だから、その影響で、愛することもどこか消極的で、ゆがんだものになっているのかもしれない。決して本音はそうではなくても、結果的に自分から人に伝わるものとしてこういう結果となる

自分は理解されなくてもいい。いまさら
結局、いままでだって、理解してくれる人がいても
みんな去っていった。
そもそも、理解してくれというのがおこがましいこと

その分、自分が愛した人のことは、
理解して、受け止めていきたい。できるかぎり。
それが、本当の愛なんじゃないでしょうか?

ただ、たとえひとりきりになっても、自分はこうだという芯となるものは、ぶれない人間でありたいのです


2007年12月07日(金)
吉田類の酒場放浪記

BSには、いろいろ面白い番組が多い。
以前、ここでも書いたホーリング番組「PLeague」http://www.p-league.net/も、つい毎週見ているが、(最近は女子プロボウラーについてかなり詳しくなった)、きょう書く番組も、私がはまってしまった番組

「吉田類の酒場放浪記」
月〜金、毎日、15分の番組。毎日、首都圏の味のある居酒屋・酒場を1店、イラストレーターで俳人の吉田類さんが訪れるというもの。最初、駅の前からスタートして、商店街の気になるスポットへ立ち寄りして、酒場へ。最初はビール生から始まって、付け出し、煮込み、焼き鳥・・・1週間録画して、まとめて見ている
http://sakaba.box.co.jp/

とにかく、居酒屋・酒場は千差万別。さまざまなお店があり、人がいて、味がある。どのお店も新鮮でおもしろい!(付け出しでも、塩せんべいのようなお菓子を出すお店も)
吉田類さん、そんなに飲んで大丈夫?と心配になるくらい。きっと1回のロケで、1週間のうち何本かまとめて撮影しているのだろうから(最近は、月の第1週は新作。他の週は、過去の再放送というパターンが多い)番組中ながれる「ジャズ」のセレクトもなかなか!

私は、カフェ案内というページを作ってきたが、それと視点が共通するところがあって。


吉田さんの、人間性もなかなか。ほら、着かず離れずという感じで酒場を楽しんでいる。

いつも注目しているのが、お店のお客さんと溶け込むのだが、何気にきちんと距離をわきまえて、すごく丁寧なところ。

いつも、お客さんに乾杯をしにいくのだが、
「せっかくなんで、乾杯なんぞ・・・」と、いう定番フレーズで求めていく

撮影してるときには、きっと、酔いつぶれた人に絡まれたりしてるんだろうな。裏では・・・などとかんぐってしまうけれど

居酒屋や酒場って、ほんと多種多様。メニューも、人も。
こういう世界を、追究している吉田さん、個人的に注目している

番組は、最後、店を出た吉田さんが、締めの言葉のあと、「このあと、もう2〜3件、探してみますよ〜」って、通りから去っていくところで、きょうの俳句とともに終わる


ところで、よくこの番組で登場する「ホッピー」
きっと関東、特に神奈川あたりの文化なのだろうが、広島で飲むこと、手に入れることできるのかな?すごく気になるのだが。(焼酎の中に、ビールのような「ホッピー」をそそいで飲むというもの。見た目はビールそのもの)


2007年12月06日(木)
一気に映画レビュー!!

とことん映画レビュー
最近みた映画をいくつか・・

「幸福のスイッチ」
和歌山の田舎町で、小さな電気屋を営んでいる、仕事一徹・家族や儲けよりお客さんのことが第一の父(沢田研二)と、その父に反発する次女(上野樹里)。骨折して入院した父の変わりに、上司と喧嘩し仕事を辞めた次女(かなり意地っ張りでかわいげがない)が、東京から戻ってきて電器屋をいやいや手伝うことに。家族思いの姉(本上まなみ)と、妹(中村静香)や、幼馴染、地元の人々やお客さんとの交流で、少しずつ、次女は変わっていく。

田舎のあったかい人たちに接していくと、こころのとがったものがだんだん丸くなっていくのかもしれない。そのひとつひとつのエピソードがあったかくて。地元のお客さんの為なら24時間駆けつけるくらいの父。雷が落ちたときは、大雨のなか、病院から駆けつけて、二人で修理に奔走する・・・

すごくすごく、あったかい気持ちにさせられる、いい映画だったと想います

なにより、本上まなみちゃんが、最高にいい!これほど、やさしい、世話焼きの家族思いの姉がいたらいいだろうな。もともとまなみさんの大ファンでしたが、この映画で、さらに大・大ファンになりました。妊婦さんの設定でした。かなり演技も大変でしたでしょうね


「ジョゼと虎と魚たち」
ふーむ。うわさどおりの異端な映画でした。純愛映画といえども、結末まで見終わると、なんだか複雑な心境になる。足の不自由な女の子(池脇千鶴)と、大学生(妻夫木聡)。でも、僕が見ると、どこか一貫して屈折した愛だったような印象を受けた。ラストも、なんだか不可解で、悲しくて


「スピード」
いやぁ、見ていて痛快で面白かった。いかにもアメリカの映画らしい。
最後、バスから地下鉄へと舞台が移ってしまったのは意外でしたが。派手なカーアクション!スカッとしました


「TAXI」
リュックベッソン監督作品。フランスの警察って、あんなにルーズなのか?と想ったけれどね(笑)違反取り消しの取引をした腕利きのタクシードライバーとコンビを組んで、連続強盗犯逮捕に奮闘する。ところで、犯人のベンツ、簡単に赤から白に塗り替えていたけれど、実際可能なのだろうか??


最後に、これから見る映画

「さくらん」
もちろん林檎嬢が音楽監督を務めた、写真家・蜷川実花監督作品。非常に楽しみ

「どろろ」
ま、見てみましょう!

「パプリカ」
こちらも、前々から気になっていたサスペンスアニメーション。



2007年12月05日(水)
ど根性ガエルを改めて見ると・・・

ど根性ガエルってご存知?
私は、小学生のころ、よーく、4チャンネル(RCC)で夕方、再放送していたアニメ。まぁ、当時夢中で見たものです。はい。

以前、BSマンガ夜話という番組で、1時間、「ど根性ガエル」の魅力を、スタジオで漫画家さんたちが討論する番組を、たまたま見てしまって。気にはなっていた。

スカパーの無料放送で、何話か録画して見てしまうと、つい「続きが見たい」と、ついにはDVD借りてみてしまった。いやぁ、いま見てもほんと面白い


昔の下町の話なのに、その下町の風景の描き方が、シンプルかつなかなかいまでもデザインされていて、おしゃれな世界に見えるのがフシギです。


でね、ある回で、ひろしの母ちゃんの年齢のお話があった。
ガールフレンドの京子ちゃんのお母さんの誕生日会にひろしが参加して、若々しいおしゃれな、京子ちゃんのお母さんの年齢を聴くとびっくり・・・35才。それに大ショックを受けるというストーリー

ひろしの母ちゃんが34才だったから。

正直、見ている私がびっくり。そしてショックでした(笑)
だって、ずーっと50才近いって想ってたもの

梅さんやよし子先生も、僕とおなじこと思っていて、それに怒ったひろしに飛び蹴りされていた

小学生以来で、改めて見ると、いろんなことに気がつく
京子ちゃんって、こんなにおてんばだったっけ?とか。梅さんとひろしは、こんなに喧嘩してたっけとかとか。まぁ、子供のころの記憶がいまだよーく覚えていることも、すごいが。
それだけ、大好きだったアニメだったってことだね



コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
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