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2007年11月17日(土)
映画「ただ、君を愛してる」

映画レビュー

「ただ、君を愛してる」
見終わって、こころ洗われたね。こういう純粋で切ないラブストーリー、きっと自分が学生のころだと、もっと共感できたものと思う。

秘密を抱えている、身体も大人になれない静流(宮崎あおい)と、コンプレックスを抱えている誠人(玉木宏)が、大学の入学式の日に横断歩道で偶然出会うところから物語がはじまる。みずみずしい情景の中での、2人の世界。一途に誠人を思う静流。そこには、「写真」が密接に関係しながら、恋の行方は意外な展開に・・・という感じかな

2人が、森の中で写真を撮りあったり、誠人の部屋の暗室で写真を現像したり。写真で恋が発展するというのも、なんだかすてきだなって、とても思いました。

とにかく「みずみずしい」がぴったりのストーリー


静流が、誠人の影響で写真を始めて、ある時期から「人」を撮影するようになっていった。子供の何気ない笑顔とか。その静流の撮影した写真を見てると、ふと、「ウメカヨ」さんと、ダブってしまった。たしかに、静流も、ちょっと感性が人と違う、我が道を行く、子供っぽいフシギちゃんだし。いつものファッションも、髪がちょっとぼさぼさなところも含め個性的だし。宮崎あおいちゃん、役がぴったりはまっていました。

きっと、ラストシーンは、泣ける人は泣けると思います!

(当初は「天国の森で君を想う」という映画タイトルだったそうです。大塚愛さんの主題歌のサビが印象的だったから、変更したとか。そういえば、大塚愛さんって、この曲を歌ってるとき、いつも眼を潤ませてる印象が強い。彼女にとっても、思い入れの強い曲なのでしょうね。)




もうひとつ、
「戦国自衛隊1549」
最初に作られた「戦国自衛隊」とは、似て非なるストーリーなのだろうか?私は見たことないのでなんともいえないけれど。きっと30年前の「戦国自衛隊」は、綿密にストーリーが作られていたからこそ、大ブームを起こす作品となったのでしょうね。どうも、「1549」の方は、最後まで見終わって、ここのつじつまが合わない!って思う部分がいくつも出てくる作品だと思います。(なんとか、最後に信長・秀吉につながるストーリーにしてたけれど)ただ、自衛隊が協力しただけあって、戦闘シーンは迫力あった気がします。生瀬さんや、嶋さんらが演じた隊員がたくさん、命を落とした割には、生還した隊員は、何事もなかったように笑顔だったのが、違和感感じたけれど。まぁ、歴史を捻じ曲げず、平成の日本を守ったのではあるが
個人的主観として、「日本沈没」よりは、楽しめたかな?という感じ。


2007年11月16日(金)
年賀状は贈り物か?

今週もおつかれさまでした。
わたしも、正直くったくたです(笑)

だんだん、カレンダーを見るのが滅入ってきました。
年の瀬という言葉を聞くようになったし。

年賀状のCMを見ると、特にそう思う
ほら、二宮くんや、上野樹里ちゃんや、養老先生が出演している。あの静かな寂しい雰囲気だけれど、せっせと年賀状を書いている。


「年賀状は贈り物だとおもう」

そのキャッチコピーが、適当かどうかはわからないが

僕にとって、「年賀状は、子供のころの夏休みの宿題だとおもう」

結局、年末、いや、最悪年始に追い立てられて書くもの。
そんな感じでしょうか


と、いいつつ
仕事帰りに、気がついたら、年賀状ソフトコーナーを物色してしまう私であった。今年はどうしようか・・・


2007年11月14日(水)
ガンバレは無意味な言葉

わたしは、「頑張れ」という言葉が大嫌いです。
普段、人は簡単に、人に対して「頑張れ!」「がんばって」って言っていると思う。でも、誰しも懸命に生きているし、何かに対しても懸命なのです。これ以上、何を頑張れ!って言うの?って。こと、病気している人、限界まで物事に取り組んでいる人に、簡単に「頑張れ」って言うのって、逆に傷つける、ただただ無神経な言葉にしか聞こえない!ほんとに無意味な言葉である

頑張っても、上手くいかないことだってある。この世の中、頑張っている人が、損をする、どこか間違っている世の中でもあったりする

本当に、シレっとして生きている人は、
がんばらずに、がんばってる。さりげなく、がんばってる。
けっして、言葉にすることじゃないと思うんです


人はそれぞれ、複雑なものをこころに抱えていたり、表面上では見えない背景があったり。裏では、懸命に考えたり、取り組んでいたりするし、死にたいくらい悩んでいたり辛かったり。これ以上頑張れないっていうこともある。

そういうことをわかっている人は、きっと簡単に「頑張れ」って言葉って出ないと思うんです。



苦しいこと、辛いこと、悲しいことを、いくつも経験し、そのときしっかり考えて、乗り越えて行動した人でないとわからないことってある。つまり、人の気持ちをわかって、思いやること。そうじゃない人は、ほかの人に対しての想像力が広がらないというか乏しくなってしまう。相手のためといいつつ、結局自分本位になってしまう。そういう人って、けっこういるものだし、そんな人に限って、「じゃ、頑張ってねぇ〜」ってことを簡単に言って済ませてしまうものです。


幸せに、静かに、おだやかに生きていく
それは、僕も含めて、おそらく多くの人が願っていること。そのためには、努力することも、志を高く持つことも大切です。ただ、頑張らない生き方を、本当の意味でわかりきることも、また大切なこと。


2007年11月13日(火)
メガネのお話

仕事が終わって、ちょっと時間が出来たので、メガネのレンズ交換へ行ってきました。仕事しているとき、私の不注意でレンズがちょっと欠けてしまったので。(このメガネ、フレームがレンズの上部分しかないので、下部分はレンズのまま、だから欠けやすい)

デパートの中の、メガネショップ。
ひさびさに訪れました。
ひさびさに視力検査もしました。

視力落ちてないかな?って不安だったが、15分くらい検査してもらって、ほぼ、3年前と視力が変わっていないようだったので一安心

作っていただいてる間、店内のフレームを見て回る。カラフルで、モダンなフレーム。そういうフレームをかけてみると、まったく顔の雰囲気が変わるものです。気に入ったものを見つけたので、近いうち、また作りにいこうと思っている。メガネを、オンとオフで使い分けることも、必要だと思ってね。


私は、数年前までは、車運転するときと、パソコンするときくらいしか眼がねをかけなかった。にもかかわらず、よーく眼がねを壊していて、何本だめにしたか・・・一番ひどいのは、高校生のころ、ストーブの上に、ちょっと置いたメガネ。しかし、母親がそれを気づかず、ストーブに火をつけ、メガネは炎を上げて燃えてしまった・・・なんてことも。テニスプレー中、メガネが外れて、私のペアだった人に踏まれてしまったとか。だから、わたしにとって、メガネは消耗品のような感覚がある。でも、これじゃいけないんですけれどね。もうちょっと大切にしなくては。

人と正面でお話するとき、写真を撮られる時は、いまだにメガネを外してしまう。あくまで、わたしは、メガネで飾らない顔なのです。


2007年11月12日(月)
こういうことでしか











こんばんわ。きょうも1日おつかれさまでした
帰宅途中、スーパーで夕食の買い物をしていました。
もう、写真のような、クリスマスブーツがずらーーっとならんでいる。また、おせちやクリスマスケーキのポスターやチラシが置いてある。年賀状もうられていた


もう、年の瀬に近づいているんですね
わたしは、こういうことでしか、季節感を感じることが出来ない毎日です。


2007年11月11日(日)
日本は沈没か?な夜

東京競馬場のレースで、注目の馬が、デビュー戦で6着に入った。
その馬の名は

「ソンナノカンケーネ」

そういう名前をつけるオーナーさんも、なかなかのセンスだ。
私はまったく競馬に興味がないので、わからないけれど、
こういうウケをねらった名前って、けっこうあるのだろうか?
このニュースを見て、ふと考えたのが、
旬のお笑い芸人さんのネタを馬の名前につけるという、2匹目のどじょうを狙う人がいたら、どんな名前つけるか?

「オウベイカー」
「コノブタヤロー」
「ヒダリニウケナガスー」

なんか、いかがでしょうか?だめか・・・


みなさん、こんばんわ。
きょうは寒い1日でしたねー。日中でも。

昨夜夜遅く
どうも眠れなくて、その日、WOWOWでやっていたので録画していた「日本沈没」を見て、夜を明かしました。

感想としては、どうも、リアリティーを感じなかったのは、僕だからだろうか?こういうパニック映画を日本が作ると、これが限界なんだろうな・・・と、ちょっぴり思った。ストーリーも予定調和すぎるし。人が亡くなる生々しいシーンが控えられていた(石坂浩二さんって、髪型も、小泉総理に似せていたのが印象的だったけれど。)

でも、日本は火山列島・地震列島だから、ありえない話ではないけれどね


余談だが、子供のころ、「地震列島」という映画をみたのだが。その映画は、子供心にあまりの怖さで泣いてしまった。いまだに脳裏に焼きついている。もちろんCGなんてなく、すべて(ウルトラマンのような)特撮で、東京タワーとかビルが倒壊するシーンが満載だったし、人が亡くなるさまを、生々しく、ストレートに映像としていた。こちらも、最後は、主演の勝野洋さんが、水で冠水寸前の地下鉄で、自ら命を投げて、地下鉄トンネルを爆発させて、最後まで残った地下鉄乗客を助けた。


日本沈没が昨年公開されたのと同時期に、
「日本以外全部沈没」
っていう、「日本沈没」の真逆バージョンのB級映画も公開された。(日本列島のみ残るから、各国の人々が、日本に押し寄せるというお話)こちらの方も、見てみたい。


2007年11月10日(土)
「恋」と「愛」との境界線

恋って、「いま、いっしょにいてほしい人」

愛って、「ずっと、いっしょにいてほしい人」

その差だと想うんです。


いま、そのときの自分にとって、いてほしい異性。
寂しいとき、そばにいてくれる人、
抱きしめてくれる人
想いを同じように共有できる人
美しさや、こころのおおらかさに惹かれる。
そして、もっとその人を知りたいという欲求が強い状態

つまり、感性で求めるもの。それが恋。

(たとえば、不倫なんていうのは、愛ではなく、恋なんじゃなかろうかと、ぼんやり想ったりする。限られた時間で、こころと身体で共有する。ひそかに、スリリングに。不倫で一生を考えるカタチは、稀であろう。もちろん、そういう形で、お互いが高めあうというのもあるのだろうけれど。社会的ルールには反しているわけだしね)


恋は、愛への前段階です。
恋から愛へのステップを踏む過程で、
大きな壁がある。
だからこそ、恋をしたり別れたり。
それを繰り返す
だから、恋はひとつじゃなくてもいいと想うんです。
いくつしても。
長い人生の中ではね。
なんどでも、やり直しが出来る
恋する対象の基準なんて、そのときで変わっていくし



では、愛とは?

愛とは、重いものなのです。
一生、この人を守りたい。幸せにしたい
ありのままのその人を自分が受け入れるということになる。
覚悟も、甘えも許されない
精神的な部分で深く、かけがえのない結びつき
どんなときでも、その人の味方でいられるか
ある意味、十字架を背負う覚悟で。

(要は、恋する人は、この世界で何人もいると思う。だから、別れがいくつもあったとしても、それは当然のことなのかもしれない。だけれど、この広い世界で、愛を捧げる人は、限りなく少ないわけで。)


最近、その愛の意味を、
履き違えている人が、軽々しく考えてる人が
あまりに多いと想うのは、
僕だけだろうか?
いろんな意味で。

ほんとうの愛は、ムダな言葉はありえない
ごくシンプルで、強いもの。
その人の眼で分かり合える
ぬくもりですべてを感じあえる
ただひと言の、生きた言葉で、通じ合えると想う。

本当の愛というものは・・・



コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
ホームページ⇒http://www.geocities.jp/cobaltblue21jp/

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