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きのうの日記の続きになるかもしれないな・・・
一時期は、本気で「雑貨店の店員になりたい」などと思ったりしたものです。「雑貨屋さんになるには」なんて本を読んだり。まぁ、やはり、買い付けとかする時に、必要なのは、「センス」なわけで。わたしにはそんなセンスはなさそうだ。でも、北欧とかに、買い付けに出かける・・・なんて、楽しそうではある。気に入ったステーショナリーを、どっかのビルの片隅に店を開いて揃えて・・・なんてね。
なりたい!といえば、図書館員とか、古書店なんかの仕事もいいなと思ったり。どちらも、自分がよく昔から訪れる場所。どちらも、無限の本の世界から、宝探しするような感覚です。古書店の場合は、はるか昔の、ほしかった本とかに出会えたとき、「いま手に入れないと!」という衝動に駆られる。ここで逃したら、もう二度と逢えない可能性も高いからだ。そういう古書の魔力に引き寄せられるわけです。高校生のころ、僕は、アカデミィ書店にて、「太宰治全集」を購入した。昭和30年代に出版された、かなり古い本。でも、そのもともとの持ち主のメモ書きや、当時のしおりが挟まれていて、本の内容よりも、その本自身の時の流れに、感慨深い想いをしたものです。そういう楽しみも、古書の魅力かもしれません。
広島というと、大都市の中での古書店数は極端に少ない。(原爆があって、そこで古書店文化がリセットされたという理由を、以前、なにかの本で読んだことがある)中心部でも、「アカデミィ書店」「ぶんろ書店」くらいしか老舗の古書店はないわけで。こと、「アカデミィ」は、東京の神田神保町の古書店のような雰囲気の、敷居の高い店ではある。ほら、かなり貴重な歴史的な資料や、古地図、昭和30年代の雑誌とか映画パンフレット、全集とかとか。天井までうずたかく積まれた本は、けっこう迫力があるものです。ここで本を選ぶのは、けっこう緊張する。昨今は、ブックオフのような大型店が、市内中心部にも出来て、かなりみんなにとって、とっつきやすくなったと思います。そうそう、千田町の、ある老舗古書店が、昨年末閉店し、新聞でも記事になっていた。広島大学の移転で、本来の古書の街も、いまは、その面影がかなり消えてしまった。
映画「珈琲時光」で、浅野忠信が、神田神保町の古書店の店主を演じていた。古い佇まいの店。ずーっと奥の、レジと机のところで、静かに佇んでいる。近くの喫茶店から、決まった時間には、出前の珈琲(ウエーターが、ポットとカップを持って現れる)が届けられる・・・なんとも、静かで地味で、でも、街の中で息づいている。そんな空間で仕事してる姿が、なんともいいなと感じたものです。ヒロインの一青窈とともに、古書を探し求めたり。神保町の名店の「喫茶エリカ」で、珈琲をゆっくりいただいたり・・・あぁ、映画の世界とはいえ、いいなぁ!
先日買った本、「東京ホリディ」(杉浦さやか著・絵)の中でも、神田を散歩するページは「古本ハンティング」と題して、古書店の街巡りを、楽しく描いている。「本の背に目をやり、じっくりと宝を掘り当てる楽しみ」そして「裏通りの喫茶店に入って、戦利品を眺めながら、いい1日を過ごしたなぁ」と思う・・・杉浦さんのその楽しみ方、とてもよーくわかります。いま、ここでしか出会えない本があるわけで。そういう街には、本好きの、渋い喫茶店の名店があるものです。本と珈琲の密接な関係は、ここでも現れている。(この本によると、神保町には、カレーライス店も15店ある、カレーライスの街でもあるそうです。)
この本、杉浦さんのやさしいイラストがメインの、散歩が楽しくなる東京ガイド。なかなか素敵な本なので、おすすめですよ!
ただ、古書店は、買う分には、楽しいが、売る分には、シビアな現実が待っている。前の引越しの際、かなりの冊数を、もって行ったが、ほとんどが、値が付かず・・・改めて、本の管理方法をきちんとしとけばよかったと後悔したのでした。でも、僕の書棚でも、これは価値がある!というものもあるのです。それは、子どもの頃、小遣いをつぎ込んで買い集めたたくさんの「地図」「時刻表」状態もよいものばかり。いつか、値を聞いて見たいものだわ。ま、古書は、その人にとっての宝物にはなるわけであって、現実的な評価としての宝物には、なかなかならないものです。
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雑貨店や、インテリアショップを歩くのが大好き!
広島も案外、いろんな指向のお店があるもの。それを極めてみるのも楽しい。
例えば、写真左にある「フランフラン」パルコのリニューアルにあわせ、本館地下から、私の大好きな本屋「リブロ」と同じフロアに移転して、「フォーライフ」というタイプのショップになりました。ふーむ。以前のような、チープさがまったくなくなり、高級っぽいインテリアショップに変わってしまった。店員さんもスーツ姿。ステーショナリーとか、生活雑貨のアイテム数も絞られてしまってる。フランフランも、いろいろなタイプの店があるもの。(以前、和風専門のJピリオドって店も展開してたね。アルパーク店は、いまはなくなったが・・・)
以前、この場所にお店を構えてた、「ルブラック」(写真3番目)は、個人的には利用する機会は多い。いまは、新館3階に移られた。僕の、ステーショナリーを集める趣味は、いまだ衰えず。それにね、輸入したものがおおいから、いま買い逃すと、手に入らない可能性があるから、いま買わなくては・・・ということで、衝動買いしがち。広島市内で、トイカメラの最高峰「HOLGA」を手に入れるとしたら、ここしかなかろうしね。僕は、「ブルボンキーホルダー」を、いつかひとつほしいなと思っている。ルブラックでも、見かけない。(確か東急ハンズには、あったような気が・・・)ぜひ、入れてほしいな。
右の写真の「ペンシル」もうおなじみのショップになりましたね。さすがに、チェアーやソファー、テーブルなんかは、見るだけになってしまうけれど、でも、その機能性とデザイン性は、見るだけでも楽しい。ここのね、奥の入口付近に、和風でもつかえそうな器が並んでいる。そのデザインは、前々から気になっている。おちついた食器。ここは、なぜか、ムーミンのアイテムがおおい。ムーミンに限らず、クルテクあたりのキャラクターのアイテムも含め、かなり北欧の製品を意識して、店頭に持ってきてるところがわかるな。うん。
パルコにあった、「ブラウンストーン」は、並木通りのビルの2階に移転された。こんど時間があったら、ここも立ち寄らないと。そのときは、同じ並木通りのカフェに寄り道しながら。「Rカフェ」で北欧気分の時間を過ごすのも悪くない。
確かに、大都市と肩を並べるように、ロフトや東急ハンズ、無印良品・・・広島の街にあることは、とてもシアワセに思います。
でも、いろいろ奥深く追求してみると、
「+C」の、北欧的な雑貨と、カフェと、オーナーの指向が融合した空間も、ここちいい。「アクタス」のような、倉庫を改造した大きなショップも、普段出会うことのできない、ヤコブセンのチェアーに触れられたり、北欧やアメリカのデザイナーのマグカップや食器の美しさに目を奪われたり。かと思えば、的場町の「LIME」のような、小さな、地元のデザイナーのインテリアショップなど、この付近の、隠れ家的な雑貨店を探し出して、なんか嬉しい気持ちになるのも楽しい。以前、「LIME」へ訪れた時、店の女性に、ここの商品やデザインの思いいれを、説明していただいた。いままでの作品をおさめたフォトブックも、手作りでね。テレビに映し出されてる「イクラちゃん」のポラロイド写真なんぞが、ふっと表紙に挟まれている)あ、そうそう、「foo」って雑貨店へ訪れた時も、飄々とした店のオーナーの男性が、そのアイテムのことを楽しそうに話されていたのが印象的だった。店を出るときには、店の名刺まで丁寧に渡していただいて。ヨーロッパの文房具が、古いシンプルな木の台にやさしく置かれている。消しゴムとか、ネームタグとか・・・だけど、味があるんですよねー。その店内の雰囲気って。まぁ、ひとりで店にはいるには、勇気がいるが(笑)
いろんなデザイン、作家、雰囲気、店の人との会話、そして、自分の好きなモノを探すこと。ちょっとした生活のこだわりを持つだけのも、いいと思いますぜ。うん。最近そんな部類の雑誌や本が部屋に増えてきているなぁ・・・
まぁ、東京の代官山あたりに比べたら、広島はまだまだ少ないけれどね・・・
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○HPの更新情報
メトロポリタンカメラブログ、2つUPしました。
ブログのデザインを変更しました。前より見やすくなったはずです
その人に、素直な気持ちを伝えること
言葉にして、伝えるということ
それは、いたってシンプルなこと。だけど・・・
その言葉は、鋭い刃のような言葉としても、やさしく包み込むような言葉にしても。その言葉の真意はなにか?そこを理解されなくては意味が無い。逆にね、言葉の真意を理解する、そんなこころをもちたいものです。
僕は、きっと言葉を慎重に選んで伝えてると思っています。自分の言った言葉をふと振り返り、あぁ、なんでそんなことしかいえなかったんだろうか?なんで、このことを聞かなかったのだろうか?って後悔することもおおいのです。これは、僕の欠点。ほんとに。
僕なんかも、凄くすごく、気持ちは大きくなること。繊細に考えること。考えて、考えて、考えて!!!ひとり考え疲れること。そんなことはおおい。それが、相手があることならばなおさら。結局、伝えるべきことか、伝えないことを、どこかで精査しているわけですけどね。
相手を悲しませることはいいたくない。たとえ、真実であったとしても、それなりに伝え方ってあると思う。
相手のこころの、だれにも見せない悲しみや、深い深いところまで、すっと入って、その人のこころを受け止めてゆきたい。たとえ、僕の全てを投げ出しても。などと、思うほうではある。まぁ、そんなことをしたら、相手も重たくなってしまうだろうから(笑)ただ、ナンバーワンよりオンリーワンの指向が強い人ではある。
こころの深いところ、その相手の感性とわたしの感性が、結びついた時、切ることのできない絆へとつながっていく。それは、どんなに他の人ががんばっても、入り込めず、結ばれるものではない。その2人だけの固有のもの。
やはり、自分の素直な気持ちだけは、言葉で伝えたほうがいい。
伝えなければ、はじまらないって思います。みなさん。
好きなら好き、ずっといてほしいなら、ずっといてほしい
アイシテルなら、アイシテルと。
そこから、はじまるのです。なにもかも。
わたしは、そういうのが苦手だから・・・
その点を察してくれる、人でないと、だめだろうなー
自分は、伝えることより、どれだけ、相手のこころを引き出せるか、相手の言葉をちゃんと聞いて理解して、いっしょに考えられるか・・・そちらのほうへと向かってしまうんです。でも、芯は強く。強くないと、相手を幸せにはできないから
こんばんわ。今週もみなさん、おつかれさまでした。
あしたは、雨のようです。うーん、残念。
よくね、もう絶対に落ちた、あきらめた。また来年があるさ・・・なっておもっていたら、ひょこっと、追加合格の通知がやってきた・・・ってことがあるでしょ?
(そういや、かなり昔に読んだ、マンガ「冬物語」⇒大学受験と恋愛をテーマにしたストーリー。知ってるかな?・・・がそんなエンディングだったよな
いまのWBCの日本代表が、きっとそれに近い心境だろうな。
王監督も、99%あきらめてたそうだもの。まぁ、悪意のある審判がまた、悪意の判定をやっても、負けてしまったアメリカ。言葉は悪いが、バチがあたったのさ。
日曜日、韓国との準決勝。3度目の正直となるか。これで負けたら、ますます日本に帰りづらくなるんじゃないだろうか?勝ちなさい!!
ボーダフォンを長年使ってる僕としては、
きょうのソフトバンク孫さんの、買収会見を聞いて、とても希望を抱かされました。あの悪評たかき「ボーダフォン」の名前も、あと半年〜1年で消えることも正式に発表しました。じゃあ、「ヤフーフォン」とかになるのかな?まぁ、どんな名前になってもいいから、僕はボーダフォンじゃなくなるだけでも、せいぜいしていますぞ。うん。他社にない革新的な機能やサービス、料金を打ち出せそうな予感がします。Jフォンのころの勢いの再来を願ってるひとりです。
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春を感じよう!
こんばんわ。もう、だいぶ春が街にあふれてきてる気がします。
写真のように、桃の花・梅が咲いている。青い空に、鮮やかで淡い桃色がとても印象的です。また、「青春18きっぷ」の広告を目にするようになると、春の旅情を掻き立てられるわけです。春、夏、冬・・・青春18きっぷは、年に3回発売されるけれど、僕は過去に、春のきっぷをいちばん使っているような気がする。最近は、ゆったり電車旅はできてないけれど・・・
ちなみに、この春の広告の写真は、木次線のスイッチバックの風景。一度は、この路線に乗ってみたいものです。新緑の季節よさそうだ。
みなさんは、春をいくつ見つけましたが?
たとえば、ファッション。ことしの流行色は、「白」。デパートのショーウインドーも、やはり白がおおいようだ。街を仕事で歩いてると、卒業式だろう、袴姿の女性や、真新しいスーツ姿の学生が目に付くわけですよねー
サクラの開花予想は今月26日。もう、春はすぐそこなんですよね。うん。
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○HPの更新情報
写真日記を更新しました。
メトロポリタンカメラブログ更新(というか、ほぼ毎日更新中)
きのうの日記に関連するかもしれないけれど・・・
僕のまわりの人たちを見ていると、やはり、親友にしても、素敵な恋人同士にしても、お互いが、しっかりお互いのお話を聴くことができるものなんですよね。恋人どうしだと、例えばよく、男性が「だまってついてこい!」という人も、いるけれど、逆に、男性の方が静かに、しっかり、彼女の話すことを聞いている。こころを理解しようとする人もいるわけで。
同じ感性を持ちうる2人というのは、理解度の度合いもかなり深くなるもの。本当に、この人ならば、なぜか不思議と本音で話せる、辛いとき、寂しいとき、どうしてもこの人が浮かんでしまう・・・そういう存在の人は、往々にして、しっかり静かに聞くことが出来る人のように思うんです。
僕は、人にアドバイスとか、過去の経験談とか、叱咤激励とかするのが、嫌いです。それが、相手にプラスになるとは思えないから。無責任な言葉になりはしないか・・・と、考える。
大切なのは、その人に自分が近づいて、接していけるかだと思う。話も聴かず、なにも理解しえないのに、無責任なことを言うのはおかしいしね。
身体を重ねあうだけが恋愛じゃない。精神的な部分も、会話も、相手の言葉のひとつひとつも、受け止めあい、交わしあえたほうがいいような気がするのといっしょで。人のいろいろな部分、多面性、深い内面、弱さ・・・それぞれを、しっかり、やさしく包み込むように受け止めて、やさしく、静かに伝えることこそ、ほんとうの関係になっていくのじゃないだろうか?
わたしが、人生でいちばん、つらかった時、
いちばん欲していたのは、静かに自分の話を聞いてくれる人だった。思う存分、泣かせてくれる人だった。胸の中の思いを、吐き出せる相手だった。「大丈夫」「我慢しなくていいよ」と、ひと言でも言ってくれる人だった・・・
ここ最近、考えることが多くて。
一喜一憂することは、日常的にあることだが、僕の場合、その振れ方が、人の数倍もあるから。人との関係って、切ないよね。本当に・・・
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あまり深く考えないようにと、思っている。でも、自分は、内にこもると、かなり考え込む性格ではある。
例えば、恋をするとしよう。
だれかを、好きになるとして、どんどん想いは募っていく。だれよりも、その人のことを大切に思う。深く想う。だけど、自ら、「好きだ」といえない。陰で、見守っていく。自分を必要とされたとき、その限られた時間、言葉と思いで、答えていこうとする。あくまで好きということは伝えられないまま。そのうち、その人は、誰かと恋に落ちる・・・ま、そんな感じなんですねー。昔から。とはいえ、現在の自分って、ちょっと違ってて・・・いろいろなものを見て、経験して、感じてきたからこそ、恋をすることに、どこか臆病になる。どれだけ想って、どれだけその人の為に、懸命になるとしても、いつか、離れてしまうのではないだろうか?結局、人はこころ変わりするものさ・・・と。いや、それもあるけれど、必要以上に、恋をすることって、深いことなのだと錯覚してるのかもしれません。もう少し簡単に考えればよいのだろうが。
過去に、この日記で、いろんなことを書いてきました
ただ、ひとつ言いたいのは、恋の形って、ほんと人それぞれ。どれかいいかわるいかなんて計れるもので決してない。そこに共通するのは、「この人が好き」という、純粋でシンプルなことのみ。でも、それがいちばん大切なのです。
その人の、言葉のひともじ一文字、香り、ひとみ、あたたかさ、しぐさ・・・
五感を駆使して、それらをたよりに、その人のこころにつながってる糸を手繰っていく。つながるかつながらないかはわからない。でも、近づきたいの一心で。そしてその人のパンドラの箱を開いたとき、恋に苦悩するはじまりにもなることもある。
ピュアで、ごく単純な恋心、人を愛する気持ち。
どんな恋の形であっても・・・
そういう感覚は、忘れちゃいけないと思いますね。