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人は、出会いと別れを繰り返して、成長してくものだ
そう、人はいう。
ただ、僕は、必ずしもそうだとは思わないのです。私も含めて、やはり別れというものが怖く、とてもストレスに感じる人もいる。辛い別れ・・・ある種、過去の思い出との決別と忘却という、大きな作業が待っている。それは、なかなか大変なこと。自己否定の部分もあるし、人への憎しみ、くやしさの部分もある。
別れが怖いから、出会いに躊躇する。それは、もう自分のこころの奥底に出来上がってしまった公式のよう。だからといって、人と出会わないわけにはいかない。無論、出会いは、なにものにも変えられない財産だったり、自分を変えるための手段だったり。しかし、出会った人たちは、絶対ではない。こころもとないものでもあるし、ずーっと残っていくものでも必ずしも無い。
僕らは、出会いと別れを繰り返す生き物。出会いは喜びという感情を生み、別れは悲しみ・涙という感情を生む。別れがあるから出逢いがある。出逢いがあるから別れがある。
いつも、僕がこころに秘めている言葉
「サヨナラダケガジンセイダ」
そう、割り切る呪文を唱えることで、あるラインで「あきらめる」という公式を作り上げた。それは、悪いことではない。
あきらめるやさしさというのもあると思う。なにかを踏み出し、何かに懸命になる。自分自身を捧げるくらい。でも、そればかりでは、いずれ自ら疲れてしまう。自分以外のものを許せなくなる。どこかであきらめるやさしさ。
それは、人との関係でも、言える部分があるかもしれないな。
ほら、愛情とか、恋とか、りくつでは割り切れない、純粋な感情というものもある。僕はその感情がとても強い人間です。
現実を相対したとき、それらを、綺麗なものとして静かに収められるか、収められないかで、それ以降のものが変わってくるが。
出逢いというのは、どこでどうつながり、派生し、自分の人生を大きく変えるかわからない部分がある。だから、ある人は面白いとおもえるだろうし、ある人は慎重になってしまうだろうし。
こころが疲れてるときは、出逢いもおっくうになる。別れを経験すると、悪いイメージの方向軸へ向かいがち。ただね、どんなにひとりきりになっても、いずれだれかにつながる。ひとり、ふたりとつながっていくうちに、知らぬ間に、昔とは違う、可能性を感じつつ、自分自身のあらゆるものが、新しく変わっていくと思います。後から気づくことのかもしれないね。
しんどい時、疑心暗鬼のとき、自分を責めてしまう時。そういうときは、僕だってあるけれど、ゆるやかに流れていく時間に、身体を預けて、静かにしている時間も、大切なことだろうなぁ。
ある時点で、こころよくあきらめること。
出逢いと別れを繰り返すという宿命をもった僕らに課せられたことのように思う。
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○きのう(月曜)の日記も同時にUPしましたので、こちらも読んでください
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こんばんわ。みなさん、きょうもおつかれさま
きょうのテーマは、「あしたをつかめ」
毎週見てる番組に、NHK教育テレビの「あしたをつかめ 平成若者仕事図鑑」がある。
GOING UNDER GROUNDの「トワイライト」という、いい曲が主題歌で、毎回、ある一つの業種をとりあげて、頑張ってる一人の若者の仕事の様子を取り上げる番組。きっと、将来どんな仕事に就こうかな?と悩んでる高校生や大学生に、そのヒントを与えるのが主旨なのだろう。だから、番組の終わりには、きちんと、その職種に就くためには、どういう学校へ行って、どうすればいいか?資格は?毎月の収入と待遇は?などをことこまかく解説してくれる。
今回は、「バリスタ」がテーマ。
神戸のあるバリスタの女性を取り上げてた。カフェのある建物は、きっと「神戸大丸」だったから、その1階のオープンカフェなのでしょう。毎日、その日にあった濃さのコーヒーを作る。シェイカーでシェイクしたり、サマーフェスタに向けて、従業員を指導したり・・・きめ細かな接客と味の追求。それを必死に取り組んでる様子が放送されていた。学生時代のカフェでのアルバイトがきっかけで、バリスタにのめりこんで、バリスタコンクール4位になって、正社員になった経歴。やはり、根底には、「仕事が好き」というものがよーく伝わるな。この番組でとりあげられる人の周りは、いい人間関係が成り立ってるのも特徴だったりする。仕事を楽しめてるし、どこか誇りを持ってる。ま、みんな最後にはいい笑顔で、自分にとってのこの仕事を「ひと言」で言い表す。なんかうらやましいな。僕も10年前に戻って、軌道修正したいや。いや、まだ遅くないかな?
仕事って、ある時期、条件とか、将来性とかとかをどうしても見がちだったりする。ほら、学生の頃の苦しい就職活動のなかで、仕事についての感覚がどこか麻痺する。だけど、「本当にこの仕事が好き」というものを持ってる人は強いなって、このごろ思うようになった。もし、この番組で出演されてる人たちのように、「本当にこの仕事が好き」で、強い意志で仕事を選んでいたら・・・もっと自分のこころの中での仕事の占める割合が大きくなっていただろうな。うん。
さて、見ていてひとつ発見したのが、
「バリスタ」とはイタリア語。「バール」で働く人という意味だと番組内で説明されていた。バールといえば、広島駅前の古い純喫茶「バール」を思い出しました。じゃあ、「バール」を切り盛りされているおばあさんも、まさに「バリスタ」なのだなぁ。きっと。
普段何気なくいく、カフェだけど、みんな、こだわりと技術と、誇りを持って、みなさんお仕事されているのだろうな。ちょっと見方が変わってしまうよ。今回とりあげられてたカフェでのサマーフェアのスペシャルドリンク、おいしそうだぁ。マ
ンゴーのゼリーに炭酸のドリンクをいれてる・・・
(あとで調べたら、このカフェ、そごう広島店にもあるそうだ)
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「コバルトのつぶやき」
兄弟は仲良く・・・よくしらないけれど、若・貴のニュースを耳にすると、あぁ、一度、口にしてしまったら、そのことは、もう消せないものだのだろうな・・・などと思う。一時の感情で、ぶちまけてしまうと、そこで出来た溝は、埋めることは容易ではない。僕も日常のちょっとしたことでも、気をつけないと・・・あとで、一人ぼっちになってしまってから、後悔してもしらないよ。
ワカっタカ!(←やまだくんに座布団とられそうだ・・・)
お後がよろしいようで・・・
おやすみなさい。
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こんにちは。コバルトです。
きょうも暑い中、おつかれさま。空をみると、雲がまったくありません。もう夏の空になってる気がします。向こう1週間は、晴天が続くようですよ。
わたしは、たまってるお仕事をせっせと片付けました。帰りにね、同僚とスタバでお茶したのだけど、さすがにきょうばかりは、アイスコーヒーだわ。
まぁ、昨日はあれこれ書いたけれど、のんびりやさしい1日を!と、おだやかに暮らしています。ひとつでも、ニコニコが多いようにって。
その裏には、いろいろなこともあるんだけどね。自分の弱さ、そして孤独感は、いつでもしっかり認識してて、元気との紙一重。いつまた、落ち込んだり、孤独感にさいなまれるか・・・だから、無理だけはしないようにと思っています。無理すると、人にも伝染しちゃうからね。プラスの球を人に投げてあげられるように。
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さてと、きょうのテーマは「ここちいい街で生活を」
わたしのいまの仕事は、幸い転勤というものはありません。しかし、自分のいままで生きていて、十数回引越しをしてきました。公務員だった父のことです。それは宿命だと、幼いころから割り切ってはいました。でもね、無理は来るのです。なんどもなんども、知らない土地で、いちから人間関係を築いていくのは、幼い自分にはしんどかったのでしょうね。いまの自分を形成してる多くの要素は、このこともあると思うのです。
小学校は4つ変わりました。いまでも、物置には、さよならの寄書きと、文集・手紙類がとってあると思います。さすがにわかれるときは、寂しくて泣いたり。もともと、あたたかみのある家族ではなかったから、けっこう孤独感は強かったな。のちのち高校のころ、無理が来てしまったが。
引越しって、僕はしないほうがいいと思う。ものごころついたときからの、幼馴染とか、ご近所さんとか。そういう存在はあったほうが、なにかといい。まぁ、サザエさんみたいにとは言わないけれど、子供って、家庭以上に、地域が育てるものだから。僕が専門学校時代、就職活動しているとき、どうしても譲れなかったのが、転勤のある職種。このころは、広島で暮らそうと思っていたから、どうせなら、しっかり広島にとどまって、この街を愛していこう!と決めたわけだね。
いまは、地元の街でけっこう長く住んでいます。しかし幼馴染は皆無ですね。それは寂しいものです。僕の人間関係は、高校以降しかまったく残っていない。よく、地元の夏祭りとかで、歩いてると誰かに出会って・・・ってことないしね。
でね、せっかくなら、街を愛せるような生活をしたいもの。散歩して、ここちいい。おちつく。発見があるなどなど、いろんな要素はあると思うけれど、自分にぴったりはまる街ってあるはず。そこを好きになって、ひとつひとつ、想い出を重ねていくことは、最終的にみて、意味のあることだと思います。
もちろん、嫌いな街もあるだろうけれど・・・(私も嫌いな街ってあります。県内の南のとある街。自分に密接に関わってるのに、いろんな理由もあってなんかしっくりこない)
一人暮らしされてる人などは、自分がいざ住むとき、かりる部屋をどこの街にしようか考えるでしょ?会社や学校に近いとか、駅があるとか、緑がおおいとかとか。ある程度のハードルなり譲れない要素はあって、それが大まかな方向性をつくるわけだね。
生活してて、散歩してて、買い物してて、せっかくなら、週末の散歩ルートを組み立てるだけの想像が広がるほうがいい。立ち止まって、その光景で季節をふっと感じられるほうがいい。懐かしい人と出会えたほうがい。そして、自分のストーリーを演出する舞台でありうるほうがいい。
「ここちいい」がキーワード。
ここちいい街、ここちいい人と出会うと、それはささやかでも自分の財産になる。時間が流れていっても、色あせることのない想い出となる。そのためには、嘘も惰性もない、しっかりした時間なり自分を築くことからかな。自分は、まだまだですねー。
だだ、すくなくとも、広島人ですわ。どんな素敵な街や、大都市へ旅行してても、新幹線から広島の街やビル群が見えたとき、こころが「ほっ」としてしまうもの。また、車を運転していても、バイパスから地元のガスタンクが見えた瞬間、帰ってきたなぁ。ふぅーって感じるもの。そういう瞬間、この街はここちいい街なのだと実感するのです
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○土曜日の日記もUPしました。
○写真日記5テーマUP
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日曜日、いかがお過ごしでしたか?
昨日、梅雨入りしたかと思えば、きょうは、晴れ間の見える1日。なんだか、ことしも異常気象の予感がしてしまうのは僕だけだろうか?
質問
「友達の車に4人で乗っている。前席の2人が話し盛り上げっているとして、後席に座ってる自分は、どうする?割り込む?それとも邪魔はせず、ふられるまで静かにしておく?もしその中で、自分が逆に、会話の中心のポジションになったとして、たとえば、横の人、一番話したい人、好きな人との1対1の会話に懸命になってしまう?それとも、あとの2人にも同じように話題を振るよう、気を遣う?」
人との会話、人との付き合い方って、いろいろ考えること多いし。ひとそれぞれ、十人十色だと僕は思うのです。そのなかで、自分はどういう役割、どういうポジションで、どうありたいかをきちんと考えていたりする。ちなみに、僕は、前者の質問では、じゃましたくないし、話に割ってはいるような勇気もないので、黙っておとなしくしておく。後者の質問では、あとの2人にも、同じように話題をふる。トーク番組の司会者になった気持ちで。でも、それは人によって、まったく違う答えになるだろうな。
タイミングやその場の流れというものもあるし、話す人の個性に合わせた接し方を、的確に出来るだけのセンスは、持ちたいものです。ほら、こと、自分の事だけを一方的に・・・ではなくてね。自分なんて所詮こんなやつだもの・・・っていうのもあるし。聞き役なのは、自分のスタンス。自分の役回り。相手により、100%聞き役でいることがいい場合もあるし、半々の時もあるはず。臨機応変に。
単純に、いっしょに誰かと接してる時間は、その人にここちいい時間になれさえすればいいかな?って。なにも、人を変えようとか、こうしなくちゃ、ああしなくちゃなんて、考えすぎると、よくない気がする。(自分の過去の反省を込めて)ただし、恋愛とか、結婚とか、そういうのは、ある部分、別だけど。
こと、仲間とか、近しい人のことを、マイナス批評したり、あと、「この人は、こう言っていたよ」とか、「この人はこう思ってるんじゃない」とか。あまり裏打ちのないことは、言わないに越したことは無い。きっと、誰かを批評してしまうと、かならず何らかの形で、自分に同じように返ってくる。だれだって、人に批評されたり、きついこといわれたりしたくない。まぁ、言われるのを気にする人というのは、無意識に、そういうのの予防線を貼る意味で、自分が人のことを、あれこれ言ってしまうということもあるだろうけれど。
先日、会社の人と話していて、果たして、アドバイスとか指導とかで、いろいろ言ってしまうことは、どうなんだろう?って。
でね、僕は、これだけははっきり思う。
的確なアドバイスはあっていい。厳しい仕事上でのことでは特にね。でも、社会だって、会社だって、すべてが正しいわけじゃない。矛盾してることも多いし、許せないこともある。所詮、誰かにアドバイスや助言、叱咤しても、人のことを理解することは容易ではない。簡単にわかるわかる訳ない。だから、アドバイスとか「こうするべき!」とか、僕は人に、簡単にあれこれいうことは嫌い。その人が頑張ってること、悩んでることを、自分の経験の押し付けや、安易な決め付けによって、その人を否定しかねないもの。大切なのは、しっかり聴いて、うんうんと、共感できるかだし、それがあって、初めて、自分が何かを人に伝えられるのではないかな?また、さらっと忘れることもやさしさ・・・ではあるし。逆に、人からそういうアドバイスや叱咤激励を受けるときも、それらは半分くらい聴いていればいいのです。いろいろな人のいろいろなアドバイスらを、全て背負い込むと、自分いくらあっても足りません。本当の答えは、いずれ自分が出していくこと。自分に合った答え。なーんて、難しいこと書いちゃったけれど。これでも、いろいろこころでは考えてるんですよ。うん。
さいしょの話にもどるとね、まぁ、根本的には、引っ込み思案なのです。複数いる輪の中で、自分が話すということは、常にバランスを考えるのだよ。それと、人の会話の邪魔したくないという遠慮と。だから、時に疎外感を感じることもあるけれど、そういうのはやり過ごせるだけの余裕は持ちたい。やり過ごすためには、自分にとって、自分を認めてくれる人、この人さえいれば、この人がいるから・・・っていう存在がいることが、大切なのだということに気がつく。孤独は最大の敵だから。
人との関係も、会話も、バランス感覚って、きっと大切ですからねー
人との距離は、熱いと感じる距離よりも、あったかいと感じる距離がここちいい。
いざという時には、こころのそばにいるからね!って思える距離。
「話し上手は聴き上手」「言葉のキャッチボール」「共感すること」・・・地味にこころがけてはいきたいな。
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「コバルトのつぶやき」
カープ単独最下位・・・毎年言ってるけれど、「こいのぼりの季節まで」というジンクスなんとかしてよ!って思うのだけど。とほほ・・・何位でもいい。とにかく、巨人よりは上にいてください。ナベツネが球団会長に復帰!巨人のフロントにの見識のなさには、呆れるばかりだわ。また、球界再編の足を引っ張るのだろうな・・・巨人が低迷してるいまの状況が正しいのだよ。またナベツネさんによって、大切に育てた他のチームの主力選手を奪い取っていくのだろうか?
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海を見にいく・・・
こと、はーっと晴れた日よりも、今日のように、雨が降りそうな、雲がどんよりしてる空の日の海が好きです。冬に日本海の海岸へ行くのが大好きだったり。
写真日記に詳しく載せています
竹原の海岸沿いのカフェで、海を見ながらぼんやりする時間。そのカフェは、とてもモダーン。大きなガラスと、高い天井。エレナチェアと、ジャズのBGM。テラスからは、海が一望。建築の雑誌や、DIMEのような雑誌、洋雑誌が、白い回転式のマガジンラックにきちんと並べられている。テーブル席には、若いカップルや女性の友達らが座って、海を見ながら、ピザやコーヒーを食してる。カウンターには、地元のおじさまが、まるで自分の定位置の席のごとく、座ってコーヒーを楽しんでいる。コーヒーをいただいていると、海からの風がここちいい。いまの日常とはかけ離れた時間の流れ方をしている。携帯を持っていることすら忘れさせる。
まぁ、そんな時間がささやかでも持てることは、ほんとうに幸せだし、ありがたいことです。
夕方、久しぶりに呉の屋台でラーメンを食しました。そもそも呉の街中へ行くこと自体、2年近くぶりだもの。(駅と港の行き来がおおかったから)
よく、地元のデパートでお仕事してた頃、ここで食べていた想い出がふっとよぎる。いまでは、古くからの屋台の中にまぎれて、イタメシや、無国籍料理など、若い人がやられてるおしゃれな屋台が増えていた。ここも、時代とともに、かわりつつあるんだなぁと。でも、つい、昔よく言っていたラーメン屋台へ足を運んでしまうものです。おいしいおいしい。懐かしい。
ま、ささやかな時間を過ごした1日でした。
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○モノブログ、カフェ本2冊をUP
○写真日記、2テーマUP
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ドンドンドン、ベタベッター、ドドンドドン♪
こんばんわー。コバルトです。
今週も、みなさん、おつかれさまでした。
あすは雨のよう。ほんとうっとうしい季節がいよいよスタートですね。
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きょうのテーマは、「その先のカフェへ」
「スーベニア京都案内」のような、おしゃれな京都街歩きの本を読んでいると、必ず紹介されているお店・・・喫茶「ソワレ」
四条河原町から少し入った場所にある。東郷青児の、気品漂う、ロマンチックな絵と、薄暗く、青い照明、七色のステンドグラス、木彫りの装飾・・・独特の世界を作り出している、美しいカフェ。ここの代表的なメニューが、いろんな色の真四角なゼリーが入ってる、ゼリーヨーグルト、ゼリーポンチ。ほんとそれ自体がステンドグラスのごとく、見るだけで美しく、美味しいそう。必ず、女性向けの京都案内本には、紹介されている。スーベニア・・・では、大正や昭和初期のようないでたちの、モデルの女性が、この店を訪れてる写真が載っている。僕はこれを見たとき、すごく衝撃を受けた。この世界にピーンと感じるものがあったのでしょう。はやく、このお店の存在としっていなら、京都行くたびに立ち寄っていただろうに。(阪急でいつも四条河原町駅に降りていたのに)こういう、その先のカフェを、ひとつひとつ見つける作業は楽しいものです。
数日前、友達にこのカフェのことを聴くと、いろいろ教えてくださいました。京都には、京都3大アンティーク喫茶店というのがあって、「ソワレ」「築地」「フランソワ」・・・だそうです。知る人ぞ知る、街の情報ってとても楽しい。ありがとう。この3店、次回、京都行った時は、必ず行く!!なんとしても!!京都へは、もう数え切れないほど行っているが、まだまだ、行きたい場所、やりたいことが山ほどあるのです
モノブログにて紹介した、「東京カフェマニア」のサマンサさんが、
「カフェは街の猫のようなもの。ある日急に思いがけない路地に現れて、散策者を誘います」と、本の巻頭で、書かれている。ここちいい言葉である。旅にしても、散歩にしても、移り住んだ街にしても、素敵なカフェがあるだけで、こころがちょっぴり豊かになるものだ。
東京に、自由ヶ丘の近くに、「D&DEPARTMENT」という、古きよき60〜70年代の家具や雑貨のビンテージ的なモノを集めたお店がある。カリモク60を中心とした、とてもシンプルながら工業デザイン的にすぐれた、あらゆる逸品が揃っている。この空間に一度身を置いてみたい。ここにも、カフェが併設されていて、とても気になる。クリームブリュレとか、コーヒーゼリーとかとか・・・いろいろ欲が出るものだ。(昨今、大阪にも出店されてはいるが)東京は、本当に個性的な空間が多い。私の好きなファイヤーキングのカフェとか、古本屋と併設してるカフェとか・・・きりが無い。こうやって、日常や、旅で、なんらかの形で、カフェと関わっていく、そんな人生もいいではないか!と、思ったりするのです。
旅や散歩の目的は、人それぞれ。たとえば、鉄道を目的にする人もいれば、駅弁を目的にする人も。「いい旅夢気分」って番組みたいに、温泉や、宿を目的にする人もいる。古本屋をめぐるとかもある。散歩だって、面白いお店を見つけたりする人、公園でのんびりする人。図書館をめぐる人、坂や通りをいろいろ見つけるのが楽しい人。散歩途中のB級グルメを楽しむ人・・・
きっと、それも人それぞれの個性。そういうのを持ってることって、ちょっとしたこころのポケットをもてる人ってことのように思います。みなさんも、ふっと、そうしたことを、再確認してみるのも、いいのでは??出来ることなら、散歩や旅のノートとか、アルバムでも作ってみたり。
ちょっと話は逸れたけれど、まぁ、コーヒーが単純に好きな僕は、とりあえず、カフェとか、喫茶店は、生活の中から切っても切れないものになっていることは、言えるかもしれません。
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「コバルトのつぶやき」
嘘をつかないに越したことは無い。嘘はつきたくないものです。そのためには、やはり、ある程度、自分自身に優しくなってあげないとね。少々、間違ったり、失敗したり、つまずいても、それも人間だもの。そういう時もあるさ!と。正直になることに対しての勇気を持つたための、そんなやさしさは、大切だと思われる。人に嘘をつくことも、自分自身の気持に嘘をつくことも、先さきで、行き詰まることが多いようだ。ただし、やさしい嘘、必要な嘘もあるのも事実。その兼ね合いは、ある程度必要だけどね。
と、いうことで、みなさん、よい週末を過ごしてくださいね。
あすは、ちょっと考えてること、まじめなことをかく予定です。