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2010年01月31日(日)
雨上がり散歩へ










夕方、雨上がりの散歩に繰り出した。
瀬野川の河川敷に。

さすがに、誰もいないだろうと想っていたら、
たとえ夕暮れ時であっても、雨が止んだとともに、ウォーキングやランニングの人がたくさん。これはちとびっくりしました。それだけ、この河川敷遊歩道が、愛されてるってことかもしれない。ただ、さすがにスケートボード場だけは誰もいなくて閑散としてた。


空は、厚い重たい雲。その中で、うっすら青い空が見える感じ。
ただ、夕暮れの赤い光はまったくなく。ただ、空気が澄んで、不安げな暗い空のまま。


ゆっくり、カメラを持って、歩いてみた。
遠く、遠く、その先まで。
たくさんの人が、行き来していたので、さみしくはないよ。

いろんなもの、いろんなことを、発見してカメラにおさめてみました。









ひまわりの壁画も、きょうばかりは冷たい雰囲気。カモ、いやアビかな?仲良くゆるりと水面をスイスイ漂っていた。









各橋に、こうしたウォーキングの標語がかかれてる。途中でやめないように、いや、応援してるってことかな。これを見ると、もっと先まで歩こうと頑張りたくなるよね。











雨上がりって、僕は水溜りを探してしまいます。ほら、水溜りの水面って、「鏡」に変身するでしょ?水溜りにもうひとつの世界が生まれるから。そっちの世界へ行ってみたいって錯覚をしてしまう。きょうは、茜空ではなかったけれど、深く暗い空が、映し出されてた。


2010年01月30日(土)
The Golden mountain








車での帰り道、ふっと黄金山へ。

ここ数日、気持ちが沈んでいた。そんなとき、きまって訪れる場所。

山頂の展望台で、ぼんやりと、都心を見渡しながら、物思いにふける。

暖かな陽射しがやさしく身体を包んでくれる。


過去・現在・未来

悲しいことも、楽しいことも、辛いことも、泣いたことも、笑ったことも

すべてこの山頂から見渡せる街の中で毎日起きていること。

この小さな街の中には、いつもそばにいてくれる仲間もいる。

でも、もう二度と逢いたくない人もいる。

同じ街にいるはずなのに、何十年も逢えないでいる、旧友もいるはず。

これから出会うであろう人も存在する。

この見渡すだけの狭い範囲で、僕の人生のほぼすべてが廻り続け、すべてが、ストーリーが展開されていて、毎日が動いていると想うと、

なんて小さい範囲で物事を見てるのだろうということに気がつく。

いま想い続けていることも、ほんとうはとても小さいことなのだろう。

ここに身をおくことは、自分の存在のスケールを、再確認するための場所のように想います。

また、あしたから、この小さな街の中に、入っていって、ささやかでも幸せを重ねてゆきたい。誰かの幸せになれるように。

時間は容赦なく、進んでいって、あらゆること、あらゆる人、あらゆる絆を過去のものにするけれど。でも、きっと、

未来は変えられる。想い出は乗り越えられる・・・


ここから、眺める光景は、数え切れない記憶を思い出させる、記憶のアルバムでもある。この小さい都心の街、どこを見ても、さまざまな想い出があるからね。
























黄金山という場所のイメージって、みなさんはどんなだろう?
僕は、小さいときから、お花見で訪れる場所の印象が強かった。
高校の時、テニス部の恒例トレーニングとして、海田町にある母校〜バイパス〜黄金山山頂まで往復マラソンをたびたびした、苦しい思い出も。

その後は、夜景を見に行ったりもたびたびしたけれど
どうも、自分が行き詰まったとき、ふっと訪れてしまう場所としての存在に変わってしまった気がします。


東京には、東京タワーとか、東京シティビューなどなど
都心を一望する展望台は数多いですが、広島でとなると、一番ピッタリなのが黄金山になるのだと想います。(もっと都心に近い比治山では、高層ビルの高さと同じくらいだから、遠くまで見渡す感じではない)
広島シティビュー・・・そう命名したくなる。


きょうは、日焼けするのでは?と想うほど
陽射しがあたたか。
山頂のベンチでは、女子大生のグループが、ずっとまったり過ごしていたくらい。お孫さんを背負ったおじさんが、ほほえましかった(車で降りるとき、背負ったまま、歩いて降りている姿をみました。ご苦労様です)きょうばかりは、一足速く、黄金山は春の光景になっていました。ネコちゃんも、のーんびり。ちなみに、写真に映っているのは、わたしです。


春は、容赦なくこの街にも訪れています。
僕のなかの春は、まだ先かな?




仁保までの黄金山通りを走ってみたけれど、広島高速がほぼ出来上がっていた。道もひろびろ、綺麗になっていて走りやすい。ただ、この工事のために休業となった「y’s cafe」は、まだ再開していないようだった。ここからの東洋大橋や広島ベイブリッジの美しい景色が、広島高速の橋げたで失われてしまうのは、なんだか残念です。

ここ最近、訪れたカフェについて、また機会があったら、まとめて書き加えますね。


きょうもありがとうございました。
あしたも、みなさんにとって、やさしい時間が流れる1日になりますように


2010年01月29日(金)
槇原敬之「Personal Soundtracs」〜マッキーの思い出/月明かりの夜に何を想う








槇原敬之「Personal Soundtracs」
昨年末から、槇原さんのCDを、たくさん聴いていると想います。家にあるたくさんのCDを。その中で、オリジナルアルバムとして、新しいこの作品、歌詞をじっくり読んでいることが多々あるんです。


マッキーの曲や詩というのは、なんだろうなぁ。あたりまえの日常、あたりまえの光景のなかで、純粋に人を好きになって、純粋に失恋して。等身大の歌詞が、すーっと引き込まれるのです。だから、単純に詩だけ読んでも、こころが痛くなるようなこともあったりします。


もう高校生のころからずーっと聞き続けてる。コンサートも何度も行った。
3年前くらい前のコンサートも、涙止まらなくて。

自分の青春期から歩んできた歴史と、マッキーのデビューから現在までとが、密接にリンクしている感覚

「Taking The Central Course」
「Firefly」

このアルバムに入ってる中でも、この2曲は、単純に詩だけ読んだとき、特にこころが痛い。ふーっと、過去のことがフラッシュバックしてしまったり、現在のことを想ったり。

槇原さんのこれまでの楽曲は、過去と現在と未来を、自由自在に行き来させられてしまう不思議な曲なんですね。僕にとって。


そのスタートは、「どんなときも」になります。高校の生徒会室(当時生徒会副会長をしてた)で、リピートでなんども流れていた記憶が非常に強いんです。そこがはじまりなのですね。

マッキーの歌で、泣いたり、笑ったり、語り合ったり。こころの傷を癒したり。
それぞれの歌に、それぞれの時代の思い出ってあるんです。
語りだしたら、本当にきりが無い。

これからの新しい曲、楽しみだし、どんな思い出の曲に変化していくのか・・・

次回の、コンサート、行きたいな。










きょうの夜の駅前。満月に近い感じで、月明かりが眩しいくらい明るかった。月明かりに照らされた、自分の影を追いながら、家路に急ぐ。
夜の月でも、こころが癒されるものです。
孤独に打ちひしがれそうになるけれど、なんとか綱渡りしながら生きていけるのは、こうしたささやかな日常にあふれる美しいもの、やさしいものを、感じられる、やさしい繊細なこころを、持てることができてるからだと、再確認してしまいます。

人がどう僕も想っても、僕はさらっと、美しく、ひとり生きていく。





2010年01月28日(木)
恋は残酷なもの








みなさん、こんばんわ。
きょうも1日、おつかれさまでした。どんな1日でしたか?
笑顔がひとつでも多い1日だったらいいのだけれど。

朝、通勤で広島駅を降りると、まず一番最初にするのが、空を見上げること。冬の透き通るような青い空を見ると、こころが浄化されるように、風が吹き抜ける。さぁ、きょうも新しい自分、あたらしい時間が始まるということを、確認するのです。


私はずっと独身ですし、家族を守るということも、残念ながら、課せられていない。独身なのも、こころの問題も大きくて、恋愛が臆病になって、もうかなりの年月となりますが。

ただ、日々出会う人たち、友人、仲間を、大切に想うこと。
みんなの幸せを、純粋に喜んでいられる人でありたい。

それが、いまの生きる支えになってる一つなんです。

誰しも、「人は、幸せになるために生まれてきた」わけですから。


周りの環境や、いろんな出来事、そしてなにより、人との縁・・・
それによって、人生は招き選びしながら、さまざまに変化していきます。

その限りない分岐点の末にある変化の形が、いまの自分。

なかには、結婚して幸せな家族を持っている人生かもしれないし、悲しみに打ちひしがれている人生かもしれない、強く前へ前へ進んでいる人生かもしれない。

過去に時間を戻すことは許されない。
だけれど、逃れられない過去がある。


孤独というのは、なにより怖いし、なにより辛いこと。
だけれど、けっして望まないのに、結果的に、そう向わざるを得なくなった人生っていうのも、あるわけですし。

何かをあきらめ、なにか大切なものを手放すことでしか、
先に進めないこともあります。

僕は、大切に想えば想うほと、急に消え去ってしまう。
そういう経験は本当に辛い。死ぬほどつらい。

自分にとっての限界点は、そこなんろう。
愛する人を大切にする。あたりまえのこととわかっているのに、その幸せは、突然手元から消えてしまう。

人は変わってしまうし、いろんな状況がそれを許さないこともあるし。
だから、すべてを信じられなくなる。


別れが怖いから、いつかくる別れを想うから、本当の意味で恋ができなくなってしまう。人を深く愛することが怖い・・・


世界の誰よりも一番、自分に近い、身体のぬくもりさえ感じられる、誰よりも理解し許しあえる存在だった人が、
ある地点を境にして、二度と逢うことが許されなくなる。誰よりももっとも遠い、存在・世界の中で、もっとも遠い「他人」になる。

むしろ、もともと友人関係だったほうが、長い付き合いになったりします。

恋というのは、そういう残酷なリスクもある。
私は、それがすごく怖い。



自分って、特異な人間なのかな?って想ったりします。
時間を越えて、ずっと愛されるような人間ではないってことなのかな(笑)って、ある時点で、人から教わったきがするんですよね。

ただ、孤独だけは、本当に怖い・・・



恋愛だって、結婚だって、家族を持つことだって、子どもがいることだって、
すばらしいことって、僕はだれより思っている。
慈しむ愛は、かけがえのないもの。それが人として、一番の幸せ。
ずっと変わらず、想い続ける、この人のために


ただ、僕のこころのどこかに、それが許されないような、なにか消えないものが残り続けてしまう。悲しいことだけれど、これも自分が歩んできた人生の結果ですもの


あのときの、こころの痛みを忘れない。
自らの過ちは、決して繰り返さない。
1日1日、ひとつひとつ、しっかりきちんと生きていく。
それが、課せられたおおきなこと。大切なこと。ずっとずっと、これからも




話が、それてしまいました。



人前では、いつもの自分なので、ご心配なく。相変わらず、バカなこと言って、笑わせることが楽しみだったり。ここちよい時間を作れればそれで・・・



あしたも、よい1日になりますように
やさしい時間が流れてゆきますように。



コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
ホームページ⇒http://www.geocities.jp/cobaltblue21jp/

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