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おもいがけず、夕方は雷雨となってしまいました。
都心で、ゆったりコーヒーをいただくこともできて、お相手していただいた方には、感謝です。ささやかなお休みの日、ゆっくりゆっくりと。
傘を持っていなかったのですが、雨の日は大好きで。つい歩いてしまいます。雨の都心は、どこの光景も、なにか映画のワンシーンンのように移ってしまう。雨は、「ストーリー」があるものです。ただ、ひとりきりで歩く雨の街も、どこか寂しさも感じてしまう。涙雨っていう言葉があるけれど、雨は涙と似ていて、街の喧騒を掻き消して、人の寂しさ、悲しさをを包み込むように、洗い流していくような気がします
涙といえば、最近映画をゆっくり見ることもなかったので、涙を流して、心身を浄化することもなく過ごしていたことに気がついた。テレビドラマは、見ること多いですが、連続ドラマで、涙を流すような秀作は昨今無いから。不況や殺伐とした昨今だからこそ、うっぷん晴らしできるような作品にシフトしてるんでしょうね。(このクールは、「臨場」「BOSS」がおすすめ)小説も、月に1冊ペースで読んでいるものの、よく読むのは小説ではなく、旅の本、カフェのエッセイ、雑貨や食べ物のエッセイ、散歩エッセイ、写真の本・・・まさに、気分転換というか、本の中で「旅をしてる感覚」になれるものが多い。(モノブログをご覧になったらわかると想うけれど)
悲しいことで涙するのは、辛いけれど、僕の中のもっとも大切にしているもの、純粋なものを、涙を流すということで、あからさまにする、そこで、自分を再確認する。
自分を再確認する行為は、生きていく上で、きっと重要なことなんだと想う。
涙を流すことと同じように、ひとり誰も知らない街に身を置いて、旅をすることも、自分を再確認する=自分の存在に気づく・・・大きな意味のあることです。
かけがえのない人と、対峙して、時間を共有すること、友人たちと言いたいこといいながら過ごすこと。
「あっ、こころから笑ってる、自分ってこんなに笑えたんだ・・・」とか、「この人は、わたしに無くてはならない、かけがえのない人なんだ・・・」とか、そういう瞬間を、日々の暮らしの中で、ひとつでも重ねていけることは、きっと本当の意味でのしあわせに繋がると想うんです。
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私という、ひとりの人間を、しっかりわかってもらうのは、ある程度の時間が必要なのだと想います。
不器用な人なので、短い時間だけで、自分はこういう人間ですということ、うまく伝えられない部分が大きくて。こうして文筆により、的確に深く、自分について、そして想い、考え方を記することが、一番の自分のありのままを表現し、伝えることが出来ているのですが。
日々の暮らしの中で、いろんな人間関係があって、でも、大切なのは、私そのもの。文筆とかは関係なく、会話やしぐさで、一発勝負で向き合う。
そうして、人と対峙する。
でも、わかってもらおうとか、いろんなことを話したいとか、伝えたいとか、頑張れば頑張るほど、空回りしたり、間違った自分が伝わることもあって、本当に、そのバランスって難しいのです。
普段、対峙する人のお話をしっかり聴く、そんな聞き手になることが多いせいもあって、自分のことを話すことより、まず相手のことを知りたい、相手の話をたくさん引き出したいと、もう条件反射的にそういう姿勢になってしまう。
でも、逆に、僕がどんな人間で、どんな人で、たくさんお話を聞きたいと想う人がいることもあるので、そのとき、思う存分、たくさんおしゃべりすることも大切なのかもしれません。ただ、それがどのとき、どのタイミング?っていうのが、計れないところはあるのだけれど。
会話にしても、人と対峙するにしても、
やはり50/50に近いのが理想で。お互いがお互いのペースを想い計って、言葉やこころや、想いを、しっかりキャッチボールできることが大切。そうして、こころがしっかり通っていければ、その時間は、しなやかで意味のある時間になっていくし、相手をきちんと理解する、言葉は悪いけれど、相手を見抜くことになるんだろうし。
もっと知りたいとか、もっと近づきたいとか
そう思えたとき、自分もきちんと伝えて、相手ももっと知ろうと想う気持ちが大切になります。
でも、それには、時間って、たくさんいるし、なかなか足りないものです
最近ね、ふと自分の人に対しての接し方、向き合う姿勢というものを、いま一度考え直さないといけないなって想わされる出来事が多く。もっとも自分にとってスタンダードだと想っていたことが、間違っているのでは?って。
聞き役一辺倒というのもよくないんだろうな。
自分の素直な心の声をしっかり聴いて、そのときに、きちんと伝えないといけないんだろうな。
直感とか、タイミングを、もっと素直に受け入れたほうがいいんだろうな
こう、考え方が変わりつつあるのも
いろんな人たちを見て、接していることで、
少しずつ、自分がいい方向に変わっていっているの、その形なのでしょうね。もちろん、悲しいことも、たくさんの失敗もあってのことだけれど。