メール|
Twitter
愛用のカメラを先日不覚にも落としてしまった。
メーカーで内部を点検してもらったが、異常は無かったのが幸い。しっかり調整してもらって、機構的にはバッチリ。でも、外観はけっこう傷とへこみが。修理するとけっこうお金がかかる。その修理はやめました。
ちなみに、後日、カメラのキタムラへ出向いたとき、ふと中古品フロアで、その機種を見てみると・・・ひとつ前のモデルで、前の修理代金と同額。修理するくらいなら、中古で2台目を買ってもいいわけで。それに最新モデルでも、そんなに高くない。(ただ、最新モデルは、私が使う機能「シャッター優先モード」「絞り優先モード」が廃止になってしまったので、この機種にする意味がなくなってしまった)
デジタルカメラって、携帯電話やパソコンなどと一緒で、技術的な進歩が目覚しい上に、値段も、あっという間に下がる。となると、どんどん使い捨てっぽくなってきてる気がして。僕は、愛着を持ってできるだけ長くモノを使いたい。流行に左右されすぎず、自分にピッタリくる「モノ」に思い入れを持つタイプです。ただ、デジタル機器となると・・・進歩が目ざましいから、そうは行かないこともある。綺麗にに丁寧に使っても、壊したり傷つくのは仕方ない。たとえ傷だらけになろうとも、壊れるまで、使い倒してやろう。その代わり、撮りたいときにすぐ撮れるように。カメラを持つことの満足感じゃなく、撮りたいものを撮る満足感を大切にしようと、考え直すことにした。傷もへこみも、私がこのカメラといっしょに生きてきた証と想って・・・
とはいえ、今後は落とさないよう、気をつけないといけないね。
仕事帰り、よく訪れるショッピングモールへ。
夏のセールがはじまったということで、夜遅いにも関わらず、たくさんのお客さんでにぎわっていた。
それぞれのショップには、「SALE」と書かれたポップが派手に取り付けられていて。このモールだけは、もう夏の総決算の感覚なんだなと、感じてしまった。モールの通路には、色とりどりの水着がずらっと並んでいた。暑い夏の苦手な私には、はやくも「総決算」というのは、気持ち的にホッとさせられる。
書店へ向った。広島でもっとも広い本屋さん。いつもは、決まったコースを歩いて、店内をめぐるのだが、きょうは、すぐに地図コーナーへ向った。
目の前に積み上げられている「広島県道路地図」を手にしてパラパラ。調べなくてはならないページを確認して、その後最後のページまでぺらぺらめくってみた。
まだまだ、私の知らない街がたくさんあることに気がつく。
「瀬戸田」「神石高原町」といった、県内の遠くの街から、「美鈴が丘」というように近い街まで。何度も口にはする街の名なのだが、実際訪れたことはない。
京都のガイドブックや、大阪のグルメ本、神戸の雑貨を取り上げた雑誌など・・・目にしたとき、なんども訪れているにも関わらず、いかにこの街を知っていなかったのか!っていうことに気がつく。
ここでとどまっていてはいけない。
もっともっと、歩いていかないといけないのだ・・・
駅のホームに立って、果てしなく続く暗闇の中のレールのその先を見つめる。その先へ、その先へ・・・
いまの私は、「逃避」したいのだろう。
それは、こころが満たされていないサインでもあるように想った
メール|
Twitter

感情をあまり表に出さず、人よりゆるやか。自己主張をまったくせず、ずっとクヨクヨしている。かなりの優柔不断なのだが。そんな、のゆり。しかし、夫である卓哉は、そんなのゆりに愛想をついたのか、会社の女性とずっと不倫をしていた。
そんな関係を、のゆりの視点から、淡々と、でも繊細な描写で綴られている。まぁ、とにかくのゆりはクヨクヨしつつどうしようかどうしようかと、考えるばかり。でも、誰かを傷つけたくないという、優しさからきているものなのだろう。卓哉に対しても、怒ったりも、何もいえないのは、それも愛情からなのだろう。そういう主人公が、一番強いような気も、最後を読んでいてした。
男性からすると、のゆりみたいな女性は、「守ってやりたい」と想うだろうし、たとえ夫が不倫していても、「別れたくない」と想い続けるz女性は、いろいろ見方があるだろうな。
「わたし卓ちゃんとわかれたくないんだ。別れようとはっきり言われて、はじめてわかった。わたし、反応が遅すぎる」
そんなのゆりの言葉、ふっと印象に残った。そういう女性って、けっこういると思うし
不倫相手と、高級料理店で会ったときの、2人の対比が印象的だった。無言電話の件は、意外だったが。個人的に想ったのは、旅行の件(くだり)は、いらないように想った。
結婚ってなんでしょう?いいものなのだろうか?
この夫婦のストーリーを読んでいると、考えてしまいます。夫婦の形って、いろいろあるけれど、結婚したのだから・・・分かり合えるまで、時間をかけて、言葉を交わして。そうすれば、なにか光明が見えてくることも、あるのかな・・・
メール|
Twitter
出会いというものは、多くなくてもいい。
僕だって、そんなに社交的というわけではなく、本当に自分にとって居心地のよい、相手にこうしてあげたいと思える人を、慎重にも無意識にも選んでいると想うのです。もちろん、自分から出会っていくこころを忘れてしまうと、人生なにも始まらないですし、友人も、少ないよりは、ある程度多いほうがいいとは想います。
出会いもあれば、別れもある。別れがあるから出会いもある。
その気持ち、きっと大切なことのように思える。
でも、僕は思う。たとえば、恋愛にしても、結婚にしても、出会いもあれば別れもあって。永遠の愛を誓うなんて到底無理なことで。あくまで、その地点で、こうありたいという希望の域を出ないのではないでしょうか。
僕が、人を信じない、信じることが出来ないのは、理由はいくつもあるけれど、そうした人、言葉などに、過大な期待を持ちすぎると、いずれ、うまくいなかくなったとき、自分を精神的に追い詰めることになりうる気がするのです。
愛すること、好きになることって、自然なものであり、別れること、気持ちが変わることも自然。ただ、倫理的なルールが存在することはあるのも事実。別れは、身を裂かれるほど、辛いものであるし。ただ、現実として、人の気持ちは縛れない。出会いとは幸福でもあり、残酷でもあり。
出会いとは、そういうもののような気がしています。
そうなるとね、人と出会うことも、無理に出逢いを求めたり、交友関係を広げようとするのが、不自然に思えてくる。
要は、「ひとりでいれるけれど、あなたといれば、もっといい時間が過ごせる」それでいいんです。はい。「あなたがいないとダメ」じゃなくて。