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雨の1日。でも、笑顔は忘れずに・・・
みなさん、こんばんわ。コバルトです。きょうはどんな1日でしたか?いろんなことを想いながら、過ごしている私ですが、きょうのようなシトシトとやわらかい雨が降る日、都心の街は、とても好きなのです。喧騒を、上品な雨音が静かに消し去るから・・・私のせつない気持ちにはちょうどいいのです
きょうも3つの文章で書いていきます。メトロポリタンカメラも更新しました。みなさん、どうぞお付き合いください♪
<切に生きる>
「吾れ、常に、ここにおいて切なり」
先日の日記で、私の座右の銘のお話しましたが、この言葉は、作家・瀬戸内寂聴さんの座右の銘。切っても切れないもの=しているものになりきること・・・食べることも切、眠ることも切、愛することも切、学ぶことも切、今日生きることも切、すべて一瞬一瞬、切に生きなさい。そうすれば、やがてくる、死や、やがて来る別れに取り越し苦労する間がない。切に生き切れば、死に襲われても悔いがないのではないかということだそうです。ふーむ。私は博学ではないので、こうして本を読むことで、深く考える機会を与えられるのだが・・・切に生きることか、何ごとも。人生は長いようで短い。ならば、切に生きるべきなのかもしれない。悔いのないように。きのうの日記ではないが、大切なのは、「愛する」「生きる」ではなく、「愛しきる」「生ききる」ことなのかもしれませんね。みなさんは、どう考えますか?
私は、いつ死がくるかわからないのが人生だと思っています。だから、人に対しても、好きな人に対しても、真剣に想い、きちんと想いを言葉にして伝えなくちゃいけないと想ってる。ひたむきに愛さないととおもう。たとえ、別れてしまっても、自分がこの世からいなくなっても、その言葉、想いのひとつひとつが、やさしい想い出のひとつひとつが、ずっと人のこころの中に生きてくれれば、自分は悔いはないような気がするのです。愛してるなら、懸命に愛したいと想う。ひたむきに何かに傾けるのならば、ひたむきに
生きることって、案外大変で、難しいことでもある。悲しいことも、不条理なこともある。それでも生きなくちゃいけないから。いろんな現実を直視しなくちゃいけないし、そのためには、強さが必要だと思います。強くあるためには、「なにかを守るため」というものがあるかないかが、重要な気がします。生きる以上は、切に生きたいものです。私はまだまだ未熟者ですが、そうあるように、切に生きてきたつもりなのだが・・・難しいお話になったので、この辺で。
<その街の片隅で我何想う>
買い物をするので、帰りに基町クレドに立ち寄った。ひとつひとつ、品を選ぶ。バーゲンも、もう終わりに近いので、そういうものをあえて狙わず、いいものを買いました。ファッションに、妥協はしません(笑)パセーラの様子を写真に。新年の雰囲気がよーく伝わりますよね。買い物は、一人で行くことがほとんど。独身者だから、当たり前か(笑)ただ、ときどき、気分一新したいと想って、ガラっと姿をイメージチェンジすることがある。まさにいまがそうみたいだ。おかげで、財布が軽くなりました。
私のこれからの自分の方向性はきまっている。
あとは無心にやるのみです。
きょうもありがとうございました。
あしたも、みなさんにとって、やさしい時間が流れるように。こころから願っています。
あすも、もう少し早い時間に日記をUPできたら。3つの文章で書きます
では、この後はおまけの日記。よかったらお読みください↓
<斉藤さん>
水曜22時。日本テレビ系。たまたま見たら、これがとても痛快で面白かった。幼稚園の母親たちから嫌われている、同じ幼稚園の保護者である一人の母親が主人公。観月ありさが演じている。なぜ嫌われているかというと・・・曲がったことが大嫌いな母親だから。カフェで子供が駆け回っていると、子供と母親を厳しくしかりつける。街で、男の歩きタバコが、ミムラ演じる母親の息子の顔にぶつかったときには、その男を叱り飛ばし、喧嘩になって、男にケガさせられる、自転車マナーの悪い高校生も厳しくしかりつける・・・などなど。でも、正義感が強く、融通は利かない女性かもしれないけれど、社会的に間違っていないし、最後には、それは正しくて。奥に秘めたやさしさもちょっとだけ垣間見せて・・・というように彼女の魅力として描かれていく。ミムラさんは、唯一彼女を理解しだすけれど、他のお母さんたち(高島礼子や浜田マリら)からは、いつも嫌われ、煙たがられている。まぁ、そういうわかりやすいストーリー。ほら、昔は街に、ひとりくらい、他人の子供の悪さを、厳しく叱るおじさんっていたでしょ?藤子アニメに出てくる「神成さん」みたいな。あれを、いまの若い母親に当てはめた感じでしょう。こういう人って、案外ひとりくらいいたほうがいいかもしれない。(私も、曲がったことが大嫌いなので、似てるかも)
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みなさん、こんばんわ。きょうも1日、おつかれさまでした。昨日スタートしたドラマ「斉藤さん」が妙にハマったコバルトです。みなさん、見ました?おすすめです!
昨年12月後半の日記・13日分、遅くなりましたがUPしました。お暇であれば、気楽にお読みくださいな。テレビネタ満載ですよん。さ、きょうも日記にお付き合いください。4つの文章でまとめました。
<やさしい恋をしましょう>
私は、いままでの恋で、自分から相手を振ったことは一度もない。ずっと好きなまま。本当に。だからすべての恋は、相手から去ったか、周りの状況から仕方なく別れに至るか。つくづく、私は一途な人間なんだと改めて思います。「さよなら」のない恋をしようと想うけれど、いつしか「さよならまでの恋」と考えるようになってる気がします(笑)。人のこころも、恋も、どうしても変わってしまう、はかないものだから。泣いても嘆いても、人のこころは、どうにもならない。だから、渇愛に陥るのです。まぁ、それはともかく、どうしてそういうかというと・・・
昨年の12月、私はある知人の相談に乗ることと相成りました。それは「離婚」という問題。かなり深刻です。私は、愛とはなにかという問題に、精神的に、相当参っていた当人といっしょに、すごく考えさせられました。とはいえ、いっしょにゆっくり話を聞いてあげて、いっしょに泣いてあげることしか、出来なかったわけですが。こうしなさいというアドバイスは出来ません。(結婚相手の方も、私が知っている人なので余計に)本当に愛し合っていたのにどうして別れることになったのか?僕も非常にショックで悩みました。ただ、どうにもならないこともありますよね。人のこころも、愛も。どうにもならないことってあるわけですよね・・・昨年12月は、仕事の忙しさとともに、いろいろなことで、私も悩んでいたわけです
先日読んだ、聖路加国際病院の日野原重明先生の著書の中で、先生は、こうしたことを言われている
「喜びや楽しみは、人と分かち合った分だけ大きくなると信じている。愛することを心の習慣にしなさい」
愛することの意味が、この言葉に凝縮されているのかもしれないですね。大きな意味のある言葉のように思えた。
話はちょっと変わるけれど、年末に結婚会見したオダギリジョーさんと香椎由宇さん。記者の「お互いのどこに惹かれたのですか?」との問いに、オダギリくんは「彼女のひたむきな生き方を尊敬したから」香椎さんは「話を静かにしっかり聞いてくれる」。僕は、この会見、この言葉を聴いて、直感でこの2人はいい結婚生活を送るのでは?って思いました。お互いを尊敬できる。しっかり話を聴く。なかなか出来ないこと。とくに「尊敬」って言葉は、夫婦の間でなかなか言えないことだもの。私もいつか結婚するとき、相手と尊敬しあい、話を聞きあえる関係でなくちゃって想ったもの。(2人の誕生日がいっしょとの指摘で、2人とも「キムジョンイル」とも同じですと言って、会場を笑わせていましたよね)私の知人の2人も、もっと2人にとって、基本的でシンプルなことに気がついて、それをきちんと見つめていれば・・・と、ちょっぴり想った。1度歯車が合わなくなると・・・
やさしい恋をしましょう。お互いを尊重しあって、思いやって。時に謙虚に、時に強く。2人がいっしょにいることで、お互いが向上しあえる。やっぱり、2人でいる時間が、おだやかで、やさしい時間であることが一番ですから。やさしい恋は、シンプルなものです(現実的なこともあるにはあるが)
<人生の歯車>
人には、人生の歯車というものがあると思います。その一番の素になる歯車を動かさない限り、すべての歯車が動かないものです。逆にいえば、それを回すことが一番大切。一度歯車が狂うと、すべてが動かなくなる。あなたの一番の素になっている歯車ってなんでしょう??仕事かな?恋人かな?家族かな?それさえまわせば、そのほかの歯車も順調に回りだすのです。恋も、趣味も、健康も、夢も、生活も。人生は、案外シンプルな機構で動いているって、僕は思います。そう想ったほうが、幸せに生きれるはずだから。ただし、まわすには、ときに潤滑油が必要です。それは、周りの人のやさしさであり、笑うことであり。自分にとっての楽しみであり。それも忘れないように。かくいう私も、素の歯車がぎしぎし音を立てていたのです。(おそらく仕事かな?)だからいったん止めて、メンテナンスして、再びフル回転しなくちゃって想うのです。
きょうも、ありがとうございました
あすは、雨が降るみたいです。傘を忘れずにね。
あすの日記も3テーマで。1つは、こころについて、生きることについて。あとの2つは、またなにかを書きます。22時前後にUPできたら
この後は、おまけの日記。よろしかったら、お読みください↓
<友人と親友>
私は、親友と呼べる人は、数少ない。どうも、ながく関係を保つことが上手くない人間のようだ。小さい頃から、転勤の連続で、1〜2年で小学校も変わっていた。1から、人間関係を築いていく必要になんども迫られた。だからか、幼馴染というものがまったく存在しない。
そうしたひずみが、高校生ころに大きく出てしまった。私の高校生時代は、親友といえるものははほとんどいなかった。ひとりでいることがここちよかったから。本ばかり読んでいた。(部活や生徒会は懸命だったけれど、いつも一匹狼でした)
でも、友人は、大切にするべきです。
出逢いは大切にすべきだけれど
親友は、たくさんいなくてもいい。
ただ、困ったときには、助け、
離れていても、静かに見守る
なんでも言い合えて
許しあえて、思う存分泣かせてくれる
ただ、いい関係を持続するのには、自らの人間性が問われる。私は、やはりどこか不適合なところがあるのかもしれない。それでも、常に志を高く、人にたいしても、いくつかの心がけというか、こうありたいという部分がある。そこには、つねに、「去るものは追わず」という部分と同居しているわけです。 自分は、どうも対人関係が苦手なタイプのようだ。けっこう懸命に向き合っているんだけれど、どこかに問題があるのでしょうね。
友人関係、恋愛関係、人間関係、どれも、ちょっとしたことで、もろくも崩れていくものです。いままで積み重ねた信頼や時間なんてほとんど無意味で、いっぺんにもろくも崩れてしまう。崩れたら、元には戻らない。たとえば、言葉ひとつでも簡単に崩れるもの。いまの私は本当に肝に銘じないといけませんね。反対に、人に対して、寛容で、許せるくらいのこころの大きさって、必要かもしれないし、それが出来て、初めて、本当の関係になれるような気がします
ホームページで、数多くオフ会をやりますが、そこには、「自分が、いい友人と出会って、楽しくやりたい」という考えではなく、「人と人をつなごう」「みなの出逢いのきっかけになれば」との想いのほうが断然つよいのです。
そういう役割が出来ることが、私にとって、一番の幸せなのです
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こんばんわ。きょうも本当にポカポカの陽気でした。昼食を買いに、出かけたとき、都心中心部は春?って勘違いしてしまったもの。ビル群は黄砂のようにかすんでいたけれど。この暖かさ、あしたまでですよ。ハンドボールの五輪アジア予選のやり直し拒否する中東の国々に、喝!を入れたいコバルトです。きょうも3つの文章で書いていきます。メトロポリタンカメラも更新しました。どうぞお付き合いくださいませ・・・♪
<いつも笑顔でニコニコで>
自分がニコニコの笑顔じゃないと、幸せは来ません!これ、私の持論。
だから、できるだけ自分は笑顔で過ごすことを意識しています。もちろん!出会う人を笑顔に出来るようにって、必ず思うのだけれどね。ささやかなことでも。たとえば、定食屋のおやじさんには、「おいしかったです」レジの人にも「ありがとう」、バスの運転手さんにも「ありがとう」と、スマイル!こういう小さいことも、しっかり心がけていたいと、思うんですよ。もちん、家族、同僚、友人は当たり前で・・・いつも笑顔で、おだやかに。ありがとうという言葉を添えて。そうしたら、「自分はみんなによって生かされている」ってことを、その都度感じることが出来るから。
「ありがとうを多くいうと、ストレスが少なくなる」
これは、斉藤茂太先生の著書の中の言葉。本当にそうですよね。まずは感謝の気持ちを表すことは、自分を守ることになるってことです。みなさんも、そう思いません??
笑顔でいれば、自然といい顔になっていく。美人になったり、やさしい顔になったりするものだもの。うん。一番の美顔術は「ニコニコ」でいることです。でも、悲しいときは、思い切り泣けばいいんです。愚痴も言えばいいんです。要は「自分に無理しないように」いつも人に言う言葉だけど、いまは自分に言い聞かせているんですね。うん。まずは、こころが健康でなくては、なにもはじまりません。
みなさんも、笑顔、忘れてませんか?
笑顔ってね、意外ととすぐ消えてしまう。だから笑顔は絶やさないほうがいい。愛しい人の笑顔は、ずっと消えず、自らのこころを、どんなときでも温めてくれるはずですもの。
<七草がゆをおなかいっぱい>
ここ、調子が悪いのもあって、数日間、七草粥ばかり食べている。胃に本当にやさしいもの。お正月だからといって、特段豪華なものをたくさん食べたわけでもないので、胃もたれもないのだが(笑)ドクターコパさんの本を読んでいると、日本の恒例行事を、きちんと行うことが、運気を大幅に上げる。生活の、当たり前のことをきちんとすることなんですよね。やはり。その意見、同感。私も行事好きな人なので特に。そういえば、モノを捨てることも、風水ではよく言われるけれど、これも当たり前のこと。昨年末、自室のいらないものは捨てに捨て、無駄なものがなくなった。その代わり、干支の置物をきちんと東側においてたりしてる。七草粥も、そういう、運気をUPさせる意識でも食べています(風水ってそこまで信じているわけではないけれど、やらないよりはいいだろうくらいの意識)
明日も3つの文書を書いていきます(なるべく夜9時に間に合わせます。来週は食事とかいくつか予定があったりしますので、遅くなるかも)あすの内容は、やさしさと恋について、友人について、そしてもう1テーマ。おだやかに明るく書いていきますぜ♪この日記への感想がありましたら、お気軽にどうぞ。
きょうも、ありがとうございました
あしたも、みなさんにとって、やさしい時間が流れていきますように・・・
こころから、願っています。
さて、この後は、おまけの日記です。
よかったらどうぞ↓
<家族へ>
私は、父や母を、どちらかとえいば好きではない。
ひとりの人間として捕らえたとき、もし親でなかったら、きっと付き合わない人間のような気がする(笑)と書くと、とんでもない人のように想うが、そうではなくて・・・
小さいときはなついていた。ただ、いろんな面を見て、子供心に影響を受けた面もあるし。とにかく、父も母も、人の話はあまり聞かないし、こと子供のことを理解しようという姿勢は、そこまでない人だった だから、家族旅行などほとんどなく、一家で食事することもまったくなく。でも、どこか慎ましく、派手なことが嫌いで。 社会のルールに反することに対しては、本当に厳しかった。ただ、どういう人であっても、親であることは変わりない
言葉はきちんと交わさないけれど、本当は、感謝の念をとても感じている。
幼い頃から、引越しすること10回以上。短いときは1週間、長くて2年。
そのたび、荷造りし、友達と別れ、知らない土地へ行く。そのストレスは、多感な子供のころだからこそ、計り知れなかった。(父は治安を守る職種の公務員だったので、転勤は日常茶飯事だった)いまの自分を形成するのに、悪い部分で、多分に影響したことは間違いない。幼なじみというものも存在しないし。寂しがりやなのも、そこから来ているのかもしれない。その引越しのことを、母は、いまでも私に詫びることがある。本当にすまなかったと。 そのとき、感じるのは、その苦労は、父も母も、相当しているに違いない。だから責められないのです
生きた言葉を日ごろ、交わすことがない家族であっても、その裏では、各々いろんなものが存在する。感謝の気持ち、わびる気持ち、後悔の気持ち。きっといつか、それらを、たくさん言葉として出るときが、いずれやってくるでしょう。
私は、両親のような親にはなりたくない。とくに、父は、父親としての尊敬は残念ながらしていない。ただ、仕事に対しての、ひたむきさに関しては、誰よりも尊敬しているのです。これも言葉にすること、この先あるかもしれないけれど
家族を顧みず、仕事に打ち込む。こと、自分勝手で、短気で。人間としては、どうなのかと疑うところはある。僕が小さいときから、「この人」のようになってはいけないと、堅く誓ったものです。だからって、父には、感謝の念も強いのです。
両親も、もう年老いて、人間が丸くなってしまった。あんなにも厳しかった父も、私には、何も言わなくなった。私が仕事疲れで、帰宅してすぐソファーで寝ていても、父はなにも言わない。(「これから先、おまえに面倒を見てもらおうと思わん、だからお前はひとりしっかりやれ」」が、最近の唯一の口癖)何もいわないのが、せめてもの、家族への償いなのかもしれない。
そして、親に苦労かけさせ、心配させた、親不孝モノの僕は、これから先、何かの形で、この父と母に、お返ししなくてはならない。
時間は、あっという間に過ぎていく
人生も、あっという間なのです。
ならば、本当に愛し合った伴侶と子供に囲まれて、ささやかでも家族を築いて、穏やかに、当たり前のことを生きたいと、心から思う。要は、そういう相手が、いそうでいないということだけどね(笑) ただ、いますぐでも、ホントそうしたいものです
でも、正直なところ、私は、結婚しないかもしれません。それならそれが、宿命だと想うのです。人生は、自然な流れというのもあるから。
でも、両親の感謝の気持ちは、忘れずにいたい。こうした感謝の気持ちをもてないと、たとえ、仮に自分が親になったとして、同じように子供や妻に感謝されない父親に、そして家族になりそうな気がするから。それはやはり、悲しい。
一度、離れてしまったこころや絆は、元に戻すことは難しいのだから
以上、おまけの日記でした(おまけの方が長い!)