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指輪物語関連ファイル

YUKI


2003年02月23日(日)
 <ビデオ>ジム・ヘンソンのストーリーテラー


シャープと一緒にストーリーテラーも見せてもらいました。
アマゾンの「このDVDを買った人は他にもこんなものを買っています」
を見ると並んでいるのは、ショーン・ビーン出演作のオンパレード・・・・
指輪の魔力はこんなところにも及んでいるのでした。

さて、一話25分のドラマが九本あるのですが、ヨーロッパに伝わる伝説や民話に材をとった
おとぎ話の映像化。ショーン・ビーンは『本当の花嫁』という作品に出ています。
トロルにこき使われていた女の子が夢の中のライオンの助けでトロルから逃れ、
お城で幸せに暮らすようになって、見初めたのが庭師のショーンビーン。
しかしショーンはトロルの娘に、さらわれてしまいます。
女の子はショーンを取り戻すべく、トロルの娘の城へ行って、
ライオンがくれた三つの贈り物を一個づつ引き換えてショーンと夜を過ごすのですが、
眠り薬を飲まされている彼は目覚めない。
しかし、最後の夜に、ショーンは女の子のキスで自分を取り戻すのでした。

・・・ファンサイトでは「本当の花嫁」はショーンよね!というご意見がとびかっておりました。
髪を後で束ねて王子の衣装をつけたショーンはたいそうハンサムです。
ぼーっとしていて、あまり活躍しないのが残念ですが(笑)

全九話のうちいくつか見たんですけれど、これはかなり私の好みでした。
昔、小学校の図書館に毎日通って手当たり次第に童話の類を読んでいた頃、
その中でも特に好きだったおとぎ話のエッセンスを映像化したものだったからです。
無理難題を言いつけられた女の子が泣いていると、妖精が助けてくれるとか。
三つの贈り物をもらって、一個づつ使って王子様をとりもどす、とか。
その贈り物は、金貨がざくざくあふれるとか、宝石がざくざくでてくるとか
とにかくヒカリモノなわけで、おさな心にそういうものにひかれていたわけですね。
『白鳥の王子』のお話が、このシリーズではカラスに変えられた王子様でした。
呪いが解けるより三分早く妹姫が話をしてしまったので、片手だけ羽根が残ってしまったとか。
原型は同じでもアレンジの違う話がたくさんあるようです。
王女も王子も魔女も良い役者さんがやっていて、衣装も立派で、
これはなかなか昔童話好きだった方々にもおすすめ。

Amazon.co.jp: ジム・ヘンソンのストーリーテラー vol.1
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005QYPI/qid=1045711172/


2003年02月24日(月)
 スクリプトを読む


明日の二回目を見る前にネットの非公式スクリプトをプリントアウトして
最初から読んでみた。セリフを読んでいると映像が浮かぶ。
映画を見ているときよりも、ストーリーの構造がよくわかる。
とても上手に三つのストーリーを組み合わせてあって、
どのラインにも、人の心や局面が変わる瞬間がある。
ラストクライマックスで、それぞれの場面で変化が訪れるのだが
その描き方に説得力が欠けているような気がする。
エントムートでこの戦いには関係ないという結論に達したエントが
アイゼンガルドを攻撃するに至った経緯。
陥落寸前だったヘルムズディープの砦が、ぎりぎりのところで勝利した理由。
ファラミアが、フロドとサムの行動を理解して彼らを放した理由。
ゴクリが、フロドへの信頼を失った場面が一番納得できるかもしれない。
細かいところまでよく作ってあるのは、第一部と同じだが
一番大事なところをあっさり済ませているのでご都合主義的に見えてしまうみたい。
SEEが出たとして、カットした場面を入れたら、少しは流れがよくなるかしら。

The Seat of Kings Home to the Two Towers Movie Script
www.dreamwater.net/seatofkings/script_ttt.html


2003年02月25日(火)
 <映画>『二つの塔』(二回目)


■2003/02/22 (土)
いやー、二回目はおもしろかったです。
一回目は、自分の中の原作に対する思い入れとか、
『旅の仲間』を何回も見てふくらんだイメージとか
他の人のファンフィクションでできあがった妄想が
ブレーキになっていたんだと思います。
それが無くなってみると、とても楽しい。
その上でやっぱり足りないところもあるけれど良いところも見えてきました。

文章と映像というのは質が全然違うものなんだ、と改めて思いました。
小説を読むということは、言葉の持つイメージをやりとりすることかもしれない。
書いた人のイメージ、読む人のイメージ、一般的なイメージはそれぞれ違う。
読者のひとりひとりが、自分の持っている直接的な体験や間接的な体験をもとに
読んだお話を自分の中に再構築する。
それは他の人のイメージとは違うし、作者自身のイメージとも違う。

絵や音や映像はダイレクトにできあがったイメージを提示する。
PJの映画のビジュアルは、私の持っているイメージをはるかに超えて
いろいろな情報を与えてくれる。それは、なかなか楽しい体験だと思いました。
背景となっているすばらしい自然や、それぞれの個性的な俳優さんたちは、
この映画を越えて、違う世界への入り口でもあります。

目に見えるイメージとは違って、抽象的なイメージというのは
人と共有しやすいでしょうか。もっと人それぞれでしょうか。
人間に対する信頼や、何が真で善で美なのかは、共通のものを共有しやすいでしょうか。
小説を読んでいる時に、映像的な表現が華やかな文章もあるし、
内面を深く追求していく作品もあります。文章はどちらに重点をおくのも自由自在ですね。
映画は、どうしてもビジュアルが先にたってしまうけれど。

指輪物語を読んで、私が一番心を惹かれたのは、何だったのでしょう。
なかなか一言で言うのは難しいです。PJや他の脚本家たちや製作者たちは
同じところを見ているでしょうか?国籍や文化が違ういろいろな読者が
多少の幅はあっても、指輪の中に共通のものを見ているかどうか・・・
様々な要素がからんでいるとしたら、どこに一番惹かれているのか、
その判断はやっぱり第三部を見てからということになりそうです。

個々の登場人物の解釈は違っていても、最後にたどりついたところが
同じなら、それはそれでいいかもしれないと、今日は思いました。

☆今日の感想

セオデン王のラインを追っかけていたら、いい話だと思いました。
現実から目をつぶっていた彼が目覚め、絶望的な状況に打ち負かされそうになりながらも
周囲に励まされて、「エオルの子よ!」と出陣していくシーンはいいなあ。
シンベルミネのことを入れたのも原作ファンにはうれしいところ。
ハマとギャムリングはなかなかよいキャスティングでした。
ハマの息子(脚本のフィリッパ・ボーエンの息子)はけっこうよく映っていたなあ。
PJとフランウォルシュの子供達は洞窟に隠れる親子として、カツラを換えて再登場。
PJは二度でてくるそうですが、まあ、見つけられなくてもいいや。
アランリーもDVDになってから確認しよう。
やっぱり蛇の舌が私は好きなんですわ。
なーんか薄ら汚れたハンカチをかみ締めつつ、エオウィンに懸想しているところが
昔のお話にはこういうキャラがつきものだったわよねえ、という既視感があります。
完全に目がいっちゃってるフロド演ずるイライジャはすごかったです。
ゴラムとの関係も含めて、けっこう評価してもいいかも。
ファラミア様(!)は親の愛に飢えた次男坊として見ればいいかもしれない。無表情がすてき。
ゴンドールの紋章の入った鎧を身に付けてるんですよね。ヴィゴもあれを着るのか。
「我々は理解できた」という場面で、やっぱり「何を理解したんだよ!」とつっこみたくなりますが。
オスギリアスの廃墟に現われる翼竜に乗ったナズグルと、いっちゃったフロドの出会うあのシーンは、
もう全然原作とかファンの思惑とか切り離して映像として好きですー
あの場面はフロドのファンの方々には評判が悪いのですが、あそこでナズグルに近づいた事で
サウロン側が指輪がゴンドール領内にあると思い込むという伏線かもしれません。
(アラゴルンのパランティアのかわり)
アルウェンは、出来る限り控え目にしたという作り。それでもラブシーンはいらないとか
王様二度も回想してんじゃないよ。と評判は悪い。リブでさえなければ、よかったんだが。
もうちょっと、エルフっぽい女優さんはいなかったのか。ヴィゴ・アラゴルンがへたれて見えるのは
選んだ恋人がリブだからというのもあると思う。女を見る目がないのかこいつ、とか思われそう・・・
しかし、原作を読まずにこの映画を見ている人たちは、アラゴルンがいったい
どこの王様かわかってるかな〜不安。


2003年02月26日(水)
 字幕にでなかったセリフ


映画を見ながら、字幕出ていないセリフをチェックしていました。
以下、私が把握した部分。スクリプトから英語に翻訳された部分抜き書き。

☆エオメル達と会った後、オークの死体を焼いた場所でレゴラスがつぶやくセリフ

 May they find peace after death.

☆セオドレドの墓の前で、ガンダルフが言うセリフ

 −スクリプトに記載なしー

☆ガラドリエルが出てくる冒頭部分のセリフ

 The world is changed; I can feel it in the water I can feel it in the earth I can smell it in the air.

☆河から帰ってくる時にアラゴルンが言うセリフ

 Well done Brego my friend.

☆レゴラスからペンダントを渡されてアラゴルンが言うセリフ

 Thank you.

☆ハルディアに抱きついてアラゴルンが言うセリフ

 : Welcome Haldir

☆戦闘中にギムリが落ちた時に、アラゴルンが言うセリフ

   Hurl the arrows! Charge!

気がついたのはこれくらい。たいしたセリフはないんだけれど、
他のエルフ語は英語字幕がでるのに、なんで出ないのかな?
これもある種のファンサービス?

おおっと。ここにこんなに詳細な解説が!
(鉄の足ダインさんのページで紹介されていました。)

Dialogs TTT
http://www.elvish.org/gwaith/movie_ttt.htm


2003年02月27日(木)
 フロドとサム


ところで、いろんなところで感動したというコメントがでているラストのサムのセリフ・・・
私はあの場面が好きではないです。
ああ、またサムがスピーチを始めた。やめてくれ、と思ってしまうのでした。
それは、ショーンアスティン演じるサムに違和感を持っているせいかもしれません。
サムとフロドは原作よりも若くなっています。
映画は主従の信頼関係でふたりの関係をとらえることはしていないのかも。
かわりにあるのは、友情・・・でしょうか。保護者的な気持ちでしょうか。
そこのところがあいまいなのでサムがフロドを支える根拠がわかりにくいです。
ホビット四人組の中で、サムが一番育ちが良くて、教養がありそうに見えるつーのも問題だ。
サム以外の三人は名家の坊ちゃんのはずだけれど・・・・そう見えないよね?
原作のサムは、なんともいえない深みのある人物です。
彼には固い意志と、生活の中から生まれた知恵があります。
詩を読んだりする教養もあります。だけれども、主人であるフロドより
先に立つことも上にたつこともしない。
イライジャフロドはショーンアスティンのサムのご主人には見えない。
『二つの塔』ですでに、ふたりの力関係は逆転しているように見えます。
そうすると、サムが自分の意志で動き始める場面の、あの変化は出しにくいのではないかと
ちょっと心配です。ゴラムに対する態度も、あまりに冷たい感じかな。
もともとサムはアラゴルンを最初は疑っていたように、
なかなか人に打ち解けないところはあるけれど映画のああいう感じじゃないんだよね。
使用人という分を守りつつ、ご主人をとことんお守りする・・・という関係は
若いふたりには難しいかなあ・・・
そんなサムが炉辺で物語を読むようには、見えないので
最後のセリフが浮いてるように思うのかもしれません。

4月2日追記

メイキングブックを読んだんですが、ショーンアスティンが、PJと意見が対立したことがしばしばあったという記述があって、やっぱり、と思いました。彼はサムを英雄的な人物ととらえてるんだって。サムは自分のことそんなふうには思わないだろうなあ・・・SEEの俳優達のコメントを聞いていても、彼だけは製作者的視点で見てるの。微妙にそれが表れてるから私は嫌なのかしらん。

角川書店『ロード・オブ・ザ・リング』公式メイキングブック
P145〜146より引用

「ピーターは、ハリウッド風の役柄を嫌った。もっと現実的な人間にしたかったんだ。でもぼくは、サムの気高く、英雄的な資質に注目したかった。ピーターは、ホビットたちが演じるおかしみのあるシーンを気に入っていたんだけれど、ぼくはそっちを強調したくないと思っていたし、物語のそこここで彼らがみせる英雄的行為の信頼性を損ねたくないと考えていた。」そのため彼らの間には意見の相違がしばしば見られた。「ぼくは時々、決められたことを守らずに、自分の考えを主張した。はっきり言ってぼくは、頭でっかちで誇大妄想の役者バカでどうしても我慢できなくなってしまう時があるんだ!でもピーターはいつだって辛抱強くて、時にはぼくの意見も入れてくれて、最終的にはちょうどいいところでバランスの取れた役柄が出来上がったと思う。」


2003年02月28日(金)
 宮崎駿と指輪物語


TTTの映画の数少ないサルマンの場面で
クリストファーリーの言うせりふ

The old world will burn in the fires of industry.
Forests will fall. A new order will rise.
We will drive the machinery of war with the sword
and the spear and the iron fist of the Orcs.
We now have only to remove those who oppose us.

友人が、戦闘場面での宮崎アニメとPJ映画のの類似性を指摘しましたが、
原作とも宮崎アニメは似てるんだわ。考え方が。
現代文明が自然を破壊することが許せない・・・みたいなところが。

それなのに、『ダークブルー』のパンフの談話では、宮崎さんはLOTRの映画のことを
白人至上主義のハリウッド映画みたいに言ってるんだなあ・・・
原作を読んでいないのかな?まさか?

『映画秘宝』の今月号のTTT特集ページのあおり文句がおもしろかった。
立ち読みなので、うろ覚えだけれど
「原作を読みもせずに『指輪物語は東洋人蔑視だ』などと
 意味不明なことを言うスタジオジブリの髭たちをやっつけろ」とかなんとか。
この雑誌の特集は、映画の紹介文や登場人物の紹介文が、
他の雑誌にはない視点でとてもおもしろかった。
PJ監督作品、『乙女の祈り』のとても丁寧な紹介記事もありました。

アメリカのテレビ版の『指輪物語』を製作した日本の「トップクラフト」
のスタッフの多くがスタジオジブリに行ったそうだから
指輪と無縁のわけでもないみたい。
さてさて、本当のところ、どう思ってるんだろうか。


2003年03月01日(土)
 <本>ジョン・ハウの画集


■2003/02/23 (日)
今日、本屋で見かけて買ってきたのは、ジョン・ハウの『指輪物語の世界』という本。
映画にアラン・リーとともに、コンセプチュアルデザイナーとして参加したジョンの
これまでのイラストをたくさん集めた画集。
指輪関連だけでなく、彼がこれまで手がけた他の本からも作品がたくさん掲載されている。
きれいな印刷だけれど、絵のサイズはあまり大きくないのでちょっともの足りないかも。
でも、これをフルサイズの画集にしたら、値段も大きさもこれくらいじゃ済まなくなるのかな。

ジョンハウのイラストは、まるで写真で撮ったかのように、ある瞬間を切り取る事に長けている。
そして、精緻に描かれた鎧や甲冑や竜やお城は、読者の想像力を妨げない。
不思議な事だけれど、妨げないどころか想像力はもっとかきたてられるような気がする。
ジョンハウの気配はあまりしないのだが、どの絵もジョン・ハウにしか描けない絵だ。

クノップフの『見捨てられた町』にインスパイアされた小説につけた挿絵もあった。
「こんなに物語をつけたいと思わせる絵はない」と、ジョン・ハウは書いている。
私はこの絵が好きで、展覧会が東京に来た時に買ったポスターを、
何年も部屋に飾っていた。絵としてのバランスは良くないが、とても惹かれる絵だった。
同じ絵が好きだと知って、ちょっとうれしかった。
もう一つ、ジョンハウの祖母が描いたという、シヨン城のスケッチを見て
小さい頃家にあって、いつも見ていた画集のシヨン城の絵を思い出した。
作者は誰か忘れてしまった。もしかしたらクールベか?
クールベも好きだ。波の荒い海の絵とか。
きっとジョン・ハウもクールベは好きだろうと想像したりする。

ピータージャクソン、イアン・マッケラン、アラン・リーが文章を寄せている。
アン・マキャフリーなど本の表紙を描いた作家の文章もいくつか。
『琥珀の望遠鏡』の表紙は、二種類も描いたのに他の人のイラストになってしまったのだそうだ。

☆ジョンハウのイラストを見る。

353-Tolkien Graphics of John Howe--Images 1-10 on Gandolf dot Com
http://www.gandolf.com/graphics/tolkien/howe.shtml


エオウィンとナズグルのイラストがすごい。
これが映像で見ることができると思うと『王の帰還』が待ち遠しいです。