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指輪物語関連ファイル

YUKI


2002年03月27日(水)
 <映画>『The Lord of the Rings』


大昔に『ホビットの冒険』を読んだきり、結局原作を読む時間がなくて、
予備知識なしに映画を見ることになりました。ネットの感想は読まないように避けつつ、
それでも吹き替え版を見るべしというご忠告に従って、レイトショーで見てきました。

おもしろかったです。でもちょっと変な面白がり方かもしれない。
映画の冒頭から、自分のバランス感覚を崩すような映像なのね。
それは、ホビット族と他の種族の大きさの違いのせいかもしれない。
居心地の良さそうなビルボの家の中で、窮屈そうなガンダルフ。
整っているのにアンバランスなフロドの顔。
とても美しいはずなのに、ちょっと私の趣味から外れているエルフ達。
全編を彩る邪悪な意志と闇と暴力。
じゃあ、一体、自分は何に軸足をおいて、この映画を見ればいいんだろう
と自問自答しつつ見るうちに、それはだんだん、ひとつの言葉に収束していきました。
どこかで聞いたせりふですが「悲しみ」もしくは「哀しみ」みたいなもの。

フロド演じるイライジャ・ウッドの顔を写真で見て、映画を見る前から、
ジェルミに似ていると思っていました。映画見てる最中も思ってました。
アンバランスで、妙にきれいな所が似てる。
あんまりあの作品と結びつけるつもりはないけれど、指輪をはめた時に見える幻影は
ジェルミの悪夢の感触によく似ている。
理由のない悪意の支配からどうやって逃げるのか?どうやって戦うのか?
仲間を助けることができるのか?

物語の結末は知らないけれど、この映画だけでもお話としてはまとまっていると思います。
クライマックスのボロミアの戦いは『シャイニング』のお父さんのようだわ。
絶望的な戦いの中で最後に光る物・・・というのは、キングが指輪の影響を受けたのかしら。

ちなみに一番かっこいいと思ったのは、アラゴルンでした。ミーハー?
原作を読むべきか?それとも映画を全部見てから手をつけるべきか?
盛り上がっているいろんなサイトを楽しむためには、読んだほうがいいかしら。


2002年03月31日(日)
 <本>『指輪物語 旅の仲間』 by トールキン


まともな本を読んだのはずいぶん久しぶりかもしれない。
『ロード・オブ・ザ・リング』の映画を見て、それから原作を読んだ。
映画は『二つの塔』の一部を含んでいるようだが、まだそこまでは読んでいない。

読んで思ったのは、映画はかなり上手に原作のエッセンスを拾っているということだった。
ガンダルフの知恵、アラゴルンの気品、ボロミアの苦悩、レゴラスとギムリの友情、
ホビット達の誠実さ、そしてフロドの勇気。
重い荷物は自分で背負わなければいけないこと。
誰にもそれは、肩代わりできないこと。
それでも、孤独ではないこと。
代わってあげることはできないけれど、
互いの思いやりが、荷物を少し軽くする。
そんな仲間達の気持ちが、読んでいる私の心を
悲しいようなほっとするような場所へ連れて行く。
それは、映画を見ているときにも感じたことだった。

では、映画で拾いきれなかったものは何だろう。
満天の星や、草原をわたる風や、エルフの歌が響き消えていく空間や
おいしい食事をたっぷり食べて、仲間と語らい歌い踊る楽しさや
葉陰の涼やかさ、森の静けさ、水の冷たさ、火の暖かさ、
そういったものかもしれない。
それから、風のように軽々と歩くエルフの姿に象徴される
美へのあこがれとか、そういったもの。
色彩あふれる森の描写とか。
恐怖と戦いさえ、原作ではもう少し穏やかに語られている。
こればっかりは、今の映画だからしょうがないかしら。

もう少し早く原作を読んでおけばよかった。心のやわらかい10代の頃に。
そうしたら、もっと、指輪の世界に入り込めたと思う。
それはものすごく楽しい時間だっただろう。

ところで、文庫二冊目の翻訳者の解説によれば、
指輪は容易に時代への警鐘とか象徴として語られやすいけれども、
それは原作者の本意ではないだろうとのこと。私もそう思う。
でも、それぞれの時代に通じる何かがあるからこそ
読んで勇気付けられるのかもしれない。


2002年04月01日(月)
 <本>『指輪物語 二つの塔』 by トールキン


『旅の仲間』がそもそもの話の始まりと、仲間達の友情の始まりだとしたら、
『二つの塔』は試練の時を描いているのかもしれない。
ばらばらになった彼らは、それぞれが最善を尽くす。
足元にはたくさんの誘惑の罠がある。
誰もが、ぎりぎりのところで選択し、進んでいく。
再会、おもいがけない出会い。ゴクリさえも、善悪の狭間で
与えられた役割を果たしていく。

そして様々なイメージの奔流に押し流されるようにして本を読み終えた。
ストーリーは暗いけれども、その中で光る物がある。
あのシーンもこのシーンも映像になったらさぞ、すごいだろう。
でもまず自分の想像力の中で組み立てることができてよかった。
個人的には死者の沼の場面が心に残った。
既視感があると思うのは、この本にインスパイアされた作品を
どこかで見たことがあるのかな?
誰も知らない場所に、ああいう場所があるような気がしている。
しんと静まり返った谷間にひっそりと。
もしかしたら、25年前に買ったリーのイラスト集に
そういう絵があったのかもしれない。

サム!どうしてこの純朴な庭師にたくさんのファンがいるのか
よーくわかりました。メリーとピピンもね。


2002年04月14日(日)
 <本>『指輪物語 王の帰還』 by トールキン


実家に帰って、何も手伝わずに座敷の布団に寝っころがって
最後の二冊を読了しました。
冥王サウロンとは何者だったのか?
それは生身の人物なのか?
ということは明らかにはされないまま、クライマックスに至るまでの
戦いの激しさと旅の仲間達にふりかかる危機の大きさが
フロドとサムの背負った重荷の大きさを読者に思い知らせます。
暗くて重い空気の中、時に絶望にとりつかれながら
それでもなすべきことをなす彼らに
物語を越えてこころを寄せる人達がたくさんいる理由が
読んでいてわかりました。
暗闇の中に光るものはいっそう明るく、美しいものはさらに美しく、
平凡な日常はかけがえのない貴重なものとして、心に迫ってくるようでした。
最終巻の半ばで物語りはクライマックスを迎え、そのあとは
戦いの後の、旅の仲間のそれぞれについて、おだやかなエピローグが続きます。
激しい戦いの最中死んでいった人々も、丁重に弔われ、追悼の歌に歌われることによって
彼らの死は無駄ではなく、永遠の命を与えられる・・・ということが
疲れた読者の心にも染み透っていくようでした。
荒らされた故郷もやがて緑に包まれて、子供達の笑い声が響くようになる。
しかし、もうそこには住めない人もいる。
この長い物語も、作品の世界の歴史の中ではほんの一場面で、
物語に先立つ物語があり、物語のあとにも世界は続く。
そういう世界に遊ぶことができるということは
なんて幸せなことでしょう!


2002年04月17日(水)
 <映画>『ロード・オブ・ザ・リング』(字幕版)


二回目を見に行きました。
吹き替え版を最初に見て、原作を全部読んで、関連サイトを熟読して
満を持しての二回目。・・・・おもしろかったです。

最初のホビット庄の風景で、涙がでそうになりました。
この風景のためにフロドは旅をしたんだなと。
そして画面の隅々に目をこらして映画を見ました。
ガンダルフは二度ウィンクをします。どことどこでしょう。
ロリエンの森を出たところでエルフのマントとエルフのブローチを確認。
旅の仲間全員が同じ葉っぱの形のブローチをつけていてかわいい。
レゴラスの弓が変わっているところ。
サムが鍋で敵の頭をなぐっているところ。
アラゴルンがボロミアの篭手を身につけているところ。
レゴラスは雪の上をするすると歩いているところ。(ごぼっていない)
ボロミアの角笛がもう少しなんとかならないかというところ。

できるだけ原作に忠実にしようとするあまり、それぞれのカットに
情報量が多すぎて、最初に見たときはずいぶん見落としていたようです。
裂け谷に各種族が集まる時に、それぞれワンカット割り当ててあるとか、
ギムリが最初はエルフに対して敵意を剥き出しにしているところとか。
そして、物語は後半ほとんど、ボロミアの物語を描くことに集中しています。
ボロミアに注目して見ると、いろいろと伏線がはってある。
字幕がそれを考慮していないのが残念。

今回、アラゴルンとボロミアの見分けはばっちりだったわ。
メリーとピピンはまだわからなかった・・・・
ゴラム(ゴクリ)の「マイ、プレシャ〜〜ス」が哀れをさそいました。
ゴラムが「シャイア」「バギンズ」と言ったことで、黒の騎士達が
出発する・・・なんて一回目じゃ気がつきもしなかった。
指輪は常に、誘惑の言葉を低い言葉でつぶやいているようでした。
刻まれた文字の言葉のこともあれば、誘惑しようとする相手の名前の時もありました。
心の声、実際の声、マンガのネームのようにフキダシ部分と地の文が
使い分けされているのを、もう少しなんとか伝えてくれたらよかったな。

戸田奈津子氏の字幕について。
いろいろなサイトで話題になっているように、
字幕は後半部分のアラゴルンとボロミアのセリフについて不備があるようです。
それでも、普通の映画の字幕並みの役割は果たしているかも。
普通の映画だったら、字幕にそんなに多くのものは求めない。
適宜自分で補って、画面の情報を中心に見ていくので。
指輪の用語や世界観を理解した上でなんて言わないから
ボロミアの人物造形だけしっかりやってほしかったなあ・・・

エルフ族のキャスティングがレゴラス以外はまるで私の趣味でないのを再確認し、
オークやウルクハイはちょっと切り離して見てしまったんですが
9人の旅の仲間はみんな好きだなあと思いました。
実は一回目の時、ガンダルフとサルマンに、一番違和感を感じていたのだけれど、
ガンダルフはよく見ると適役かもと思いました。
だって、ウィンクするんだもん。かわいいんだもん。
もう少しカリスマ性があるといいんですけど。
クリストファーリー御大は本当はガンダルフを希望されていたそうだけど
ちょっとちがうかなと思う。

監督は女の人があまり好きではないのかしら。
美人の基準がどうも普通とは違うみたい。
でも、エルフや女の人があまりきれいじゃないので、
旅の仲間に観客の目は集中する・・・という効果をねらったのかな?
私は、フロドにイライジャ・ウッドを起用したことがすごいと思いました。
フロドは何もできないし、力もないし、本当に小さい人なんだけど、
そういう人物に全ての運命を託すというお話に
イライジャの大きな青い目は説得力を与えています。
あれは悲劇のヒロインの目だと思いました。
だからアラゴルンはいつもフロドを助けているし
ガンダルフは彼を守り、サムはひたすらついて行く。
そしてフロドはにっこり笑ってこう言うの。
「君がいてくれてうれしいよ。」
そして騎士は姫君の前にひざまずく・・・
(あれれ?)

もう一回くらい見てもいいかも。


2002年04月23日(火)
 <映画>『ロード・オブ・ザ・リング』(字幕)+予告


わはは、またしてもレイトショーで見てきました。来年の『二つの塔』予告付き。
今回は、ひたすらガンダルフの顔のシワを鑑賞してきました。
なんだかだんだん本筋を離れた見方になってきてますな。
ガンダルフに違和感を感じたと以前書きましたけれど、もうそんなことは言いません。
くるくると表情が変わって、お茶目だったり、悲しそうだったり、威厳があったり。
私、このおじさん好きだわ。
サルマンも、クリストファー・リーの声はいいなあと、
塔の上で呪文を唱えるサルマンに見惚れてしまいました。

三回目にして、やっとボロミアの話と、アラゴルンの話が
ストーリーの要になっているということがはっきりわかりました。
ボロミアは人間的な弱さに負けて、アラゴルンはご先祖の弱さに勝った。
裂け谷でのふたりの出会いから、周到に伏線がはってありました。
「・・・then you did what I could not・・・」
だからボロミアのこのセリフは「恥ずかしい」なんて訳しちゃだめなのよね。
「それではあなたは、私のできなかったことをした。」と、ボロミアがアラゴルンを認めて
「my brother, my captain, my king」と続くわけですね。
うーん。ボロミアとアラゴルンも好きだ。ヴィゴの目って、少しあぶないところがいいわね。

次回作の予告編はネットでダウンロードしたものより、画面が鮮明で
木のひげとゴラムの姿がちらっと映りました。
アラゴルンに切りかかっている金髪の女の子はエオウィン姫だろうか。
この子はけっこうかわいかった。
ファラミアはちゃんとボロミアに似ているわ。
セオデン王はやっぱり渋いおじさんでした。
白い人がむちゃくちゃかっこよかったです。
ひょっとすると、この映画のストーリーの柱は
アラゴルンの王としての物語かもしれません。
ちょっと気になるナレーションが入っていたので。

あとは小ネタですが、ブリー村で村人演じるPJを発見。
踊る子馬亭に4人が入る直前にちらっと映ります。
アラン・リーはどういう顔をしているか知らないのでわからなかった。
石化したトロルがいるという噂ですが、それも未確認。
メリーとピピンはなんとなく区別がつくようになりました。

ホビットたちは本当の危機に出会うと、最後の最後に
ものすごく勇敢になるのですが、そのへんもしっかり描かれていて
今後の彼らの活躍が楽しみになりました。


2002年04月24日(水)
 奈落の底へまっしぐら


いったい何をやっているんでしょう。また映画を見てきました。
さすがにもう映画は見なくていいわ。・・・とりあえず今週はね・・・
何度見ても飽きないのは、おじさん達の顔と声。本当にすばらしい。
ガンダルフのサー・イアン・マッケラン
サルマンのクリストファー・リー
ビルボのサー・イアン・ホルム
中堅どころのアラゴルンもボロミアもギムリも素敵。
主人公のフロドはあの目で見つめられるとそれだけでOKだし。
若い人たちは第二作以降でどんなふうに変わるかが楽しみ。
サムもメリーもピピンも、これからが本当の演じどころ。
そんななかでレゴラスが不思議なポジションだった。
素顔のモヒカンのにーちゃん姿を見たのがいけなかったのだろうか。
ものすごく整った顔立ちだが深みというものはない。
きっとこの先もあのまんまだろう。
それでも楽々と歩くあの姿や、すらっとした手足とか
画面に出てくるだけで華やかになる。
それこそがエルフというものを表しているのかもね。

二つの塔の予告編も、二度見たけれど、いろいろと興味深い。
一度見ただけでは把握しきれないほど、情報量が多い。
またしても字幕が重大な誤訳を含んでいるそうだ。何とかならないだろうか。