unsteady diary
riko



 雨垂れがしみこむように

何週間かぶりに、不思議とすっきりしている気がします。
一昨日、昨日とぐるぐるしたあげくに、吐き出しまくった反動かもしれない。
結果的にはたくさんのひとに迷惑をかけちゃったけど。
いまはそうやって支えられてるのが、ちょっと素直に受け入れられそうな感じです。

ぴんと背筋を伸ばして、リュック(腰痛対策のために変えたのです(笑))をカタカタ言わせながら、早足で胸張ってすっすと歩きました。
ジーパンにスプリングコートにリュック…とんでもない格好なんだけど、
全然気にならない。

はじめて、ひとりでレストラン(安いとこだけど)に入って、堂々とパスタを食べました。これまではひとりではファーストフードしか入れなくて、わびしい食事してたんだけど。
割引のチケットがあったのね。友達誘おうと思ってたんだけど、
けっきょくうまく予定も合わないし、ひとりでなんかしたかったの。

昔は好奇心旺盛で、なんでもひとりでしてました。
どこにでも行った。
こわいものなんてなかった。
気が強いって言われるのは、この頃の名残。
ええ、子供の頃は、立ち食いそば屋さんに入って、お金がないからおにぎりくださいって言って、平然としてたもんね。
お店の人が、お味噌汁つけてくれたっけ。(笑)

そんなころの、私。
ずっと忘れてた感覚。
ひとりで知らない街を歩くのは、ほんとうは好き。
でも、忙しいと、そういう時間は、無駄なもので、罪悪感があるんだよね。


そんなふうに。
ほんのちょっとのことなんだけど、少し自分を取り戻したような気がする。
うじうじしてる場合じゃなくて、まわりはすでに将来の為に動いていて、自分のなかでがちがちになってる場合じゃない。
…就職ガイダンスにひさしぶりに出たせいもあるな。(笑)
そういうふうに、妙に意識がはっきりしたというか…。

がちがちに萎縮してたカラダもこころも、すこしだけほぐれた気分。気のせいかもしれないけど、また明日は萎縮して鍵をかけちゃうのかもしれないけど、今日は開いていたい気分なんです。

チャットで、メールで、呑み会で(りょうかさんね)
いろんなところで、言葉をもらってました。
いい加減反応が鈍いかもしれないけど、やっとやっと言葉が沁みこみはじめたような気がします。
やっと、考えるスタートラインに立てただけなんだけどね。
ほんとうに、今日は元気です。
「から元気」じゃなくって…。
ありがとう。>まきこんじゃった大好きな人たちへ

2000年11月07日(火)



 過去の清算

…と書くと、なんだか火遊びの後片付けみたいですが。(笑)
何年も整理してなかった棚とか、プリントとかをやっと整理してます、最近。
自分にとって使いやすいってことが目的だから、いわゆる「模様替え」ってな粋な響きはまったくないんですが、大きくて立派なのに使い勝手の極めて悪いリビングボードと格闘してました。
まだ、机のなかみは一部、小学生のまんまさー。
ほっといても、収まってはいるんだから…とも思うんだけど、
さすがにね、気分を引き締めようと思って、整理中なのです。
いっぱい、モノを捨てるのってほんと気持ちいいよ。
昔の自分のカキモノとかがいっぱい出てきて、かなりえぐいですが。

2000年11月09日(木)



 分裂気味。(笑)

今日の知識社会学で興味深かった話について。

ボルヘス著『伝奇集』のなかに「記憶のイフネス」という短編があるそうです。

主人公フネスは、超人的な記憶能力をもっている。
葉にあたる光の色から、或る日の雨の匂いまで、すべてを彼はそのまま記憶することができるのだ。

極端な例を挙げよう。
3時10分に前を向いていた犬が、3時11分に後ろを向いたとしても、彼には同じ犬であると認識できない。1分の間に、その犬は、細胞レベルでも、その姿勢からも、毛の数からも、とにかく確かに変化してはいるからである。
まったく同じ犬でさえそうなのだから、ましてや、通りがかるすべての違う個体の犬たちも、同じ「犬」という言葉で類型化することができない。
彼にとっては、すべてが、ありのままに、その些細な違いも見落とさないままに存在するからだ。

人間は、言語を発明し、文明を築くことができた。
その恩恵によって、私はこうして生きているのは確かだ。
しかし。
一般には進歩と呼ばれるその発明によって、しかし同時に、ありのままの世界を見ることは叶わなくなったのではないかとも思う。
記憶の不確かさも、言語を得、文字を得たからこそではないか。
言葉に置き換えることによって、「りんご」はあの赤いとも青いとも黄色いともいえない複雑な色に艶めく、不規則にごつごつした物体ではなくなる。
つるんとした、「赤い」「丸い」「果物」である「りんご」という総称をもつ記号で、鮮やかなビジョンは代替されるのである。
固有の甘酸っぱさは、いままで体験した「りんごの味」というものに、還元される。それは、昨日食べたものとも、一年前に食べたものとも、呼ばれ方はなんら変わらない。

フネスほどでなかったにしろ、言語をもち、文字をもつ以前は、たしかに現在より格段に記憶は鮮明で、よりありのままを写し取ろうとしていたはずなのだ。


なーんてね、レポートにしたら、Dがきそうなどうしょーもない内容の駄文を書いてみた。で、飽きた。だめだ、今日は確実に文章の神様のかけらも降ってこないやー。


源氏占いというものがある。
やってみた。
藤壺だった。(笑)
なぜやん?




エレガントな裏側に情熱の炎。自分を素直に表現して!

源氏の永遠の憧れの女性。義理の母親にあたる彼女と源氏はいつしか禁断の愛に落ちます。彼女は罪悪感にさいなまれ、ついに出家してしまいます。ふたりの間には春宮が生まれています。

もえるような情熱がハートで熱く脈打っている女性があなたです。けれど周囲の評判をひどく気にする性格なのも事実。そのため自分の欲望を抑制してしまう経験も少なくありません。いつも、やりたいことがありながらジッと我慢をする傾向なのです。
ところが、いざ目標を定めたときの、あなたのパワーのすさまじさは、まるで火の玉。どんな忠告も、助言にも耳を貸さず、まっしぐらに目標に向かってばく進するはず。しかし、それが計画を練りチャンスをうかがってのことならまだしも、あまたの場合、ほとんど衝動的に動き出すのが不安要素です。まして忍耐することに慣らされたあなたです。衝動的な行動は病み上がりの病人がいきなりプールで泳ぐに等しい危険な行い。周囲の意見に耳を傾ける余裕は絶対に必要です。これを年頭におくだけで、あなたの人生は楽しくパラ色に輝くことでしょう。

激しさを表面では隠しているため、上品でエレガントかつ穏やかな人という評価です。いつも周囲とのバランスを重視しているように見えるので頼れる女性像。でもこの点を逆手にとって無理難題を押し付ける人も。なかなか「ノー」と断れない雰囲気があなたの体から発散されているからです。

衝動的に行動するのは周囲をただ驚かすだけ。日ごろから、自然に悩みを友達に打ち明けていれば、あなたの行動を理解してくれるでしょう。


くーっ、たかが誕生日で、なんでこんなに当たってるんだよ?
他のやってみると、全然違うのも多いのにね。
それにしても、特に嫌いなキャラになってしまった。
藤壺って、いっちゃんあわれで、嫌いなの。

花散る里のほうが、好きだなあ。

http://www.genji-daigaku.com/content/person.asp

で、やれます。やってみたい方、どうぞ〜。

2000年11月10日(金)



 昔の文章、どうしよっかな。

昔の写真が出てきた。
昔の文章も出てきた。
もう、なんちゅうか、昔の自分の「生きてるじたばた」が、妙〜にいとしい。(笑)
みっともなくて、笑っちゃうんだけど、それでも今見ると、ある意味一生懸命生きてる。…そう思うな。
また10年くらいしたら、今の自分の卑怯な「じたばた」も、また可愛いもんだと笑えるようになるといい。

私は、泣きたいときは泣きたいよ。
じたばたしてる自分、無理しても笑うほど、自分を欺きたくない。

無理して笑ってる自分が居て、そのときの自分を抱きしめてあげたいと思う。
だけど、いまのままの自分じゃ、まだ無理。
きっと振り払われる。
過去の自分は、そのくらいには負けず嫌いだ。

大切な物語世界に逃げながら、
ずっとじたばた。
そのうち、じたばたに馴れてしまったのかもしれない。
どうせ世界は変わらないのだと、もう思い知ってしまったら、
蜘蛛の巣のなかでもがくのも、バカみたいだと。
死なないともわかった。
このままなら、息が詰まって死ぬほど苦しくはなくて、
自由は利かないけど、我慢しつづけられる程度の許される部分もあって。

人は有り余るものを持ってはいけないのかもしれない。
未来が有り余っていると思うから、失敗できないのだ。
楽になりたいと、生きることさえある意味厭いながらも、
心の底では、自分がいちばん死から遠い存在だと無条件に思い込んでいるのかもしれない。

やりたいことをやれるのは、もしかしたら今日限りなのかもしれないのにね。
誰にも平等に明日があるわけではないのに。

2000年11月11日(土)



 BBSも仮設置。

一昨日登録したジオシティのサイトを、今日で仮オープンということに。
とにかくHTML言語がまったくわからないので、
不具合を直すのに直接ファイルマネージャーで修正するときに
HTML言語と格闘している。
プレビューで試行錯誤。
とにかくタイヘン。
これを楽しんでやれちゃうひとってすごい。
楽しくないとは云わないが、CGIはあまりに遠い存在。
どうせ、ジオではサポートされてないから、使えないんだけどね。
ああ、がっかり。
すごく使いたい掲示板があったのに…。
なんにせよ、まったく手元に参考書のない状態で
よくぞここまで作った!(笑)>自分

いつになったら、公開出来るでしょうかねえ。
わからないけどとりあえず、GO!

2000年11月13日(月)



 険悪ムード

ゼミで、グループごとにちょっとした研究を発表しなければいけないんですが、
そのためのグループ内で、ちょっと喧嘩になりかけました。

私が悪い。
あとでもっと穏やかに進めればよかったと思った。
だけど、気が強いんです。
理不尽なことは我慢がならないんです。
そういう自分には、最近になってやっと気づいてきた、というか、
取り戻してきたので、
それまではおとなしい人だと見られてしまうのだけど。
だからダメなんでしょう。
ちょっとでも口調を荒げたり、きっぱりと相手を批判したりすると、
角が立つ。
ふだんおとなしく優しそうと言われる私が、
そういうことを言うから、よけいに腹がたつみたい。
ほんとうは。
私が折れて、私が仕事を率先して引き受けて、どこまでも相手の負担を軽くしてあげればいいんでしょうね。
そうしたら、和やかに場は進んだはず。
そして、やっぱり「○○さんは真面目だよねえ、責任感あるよね。よかったよかった」と感謝されるんでしょう。

そうすべきだったのか。
そうすれば、こんな気分の悪い思いはしなくてよかったのだから。
でも、私は、そうできなかった。

こういう私の行動って、協調性がないってことになるんだろうなあ。

うーん、基本的に私は攻撃的なのかもしれない。
だから、議論とかは、相手をやっつけようとしてしまう。
そういうのって、浮くんだよねえ。
実際、極端に真面目な人間だとか怖いオンナだとか、そんなふうには思われたくないっていう打算が私の側にあるのは、確かだ。

でも、穏やかな私も、また私なんだよ?
気を遣う、優しいと言われる、そういうのだって、別に無理してるわけじゃない。
猫かぶってるつもりはないのに。
どっちかじゃなくちゃ、いけないんだろうか。
そうじゃないと、嘘をついてることになるんだろうか。

なんだか、ふだんから自由奔放に生きてる人が、殊更うらやましくなった今日。
同じことを言っても、受け入れられる、それだけの魅力がその人にはあるってことなんだろうから。

2000年11月14日(火)



 久しぶりに。

…いやな気分になった。
昨日に続けてこんなんばっかりでごめんよー。(笑)
でも、やっぱり腹が立った。

買い物にいこうと母と外に出て、郵便受けを除いたら、就職関係のDMが何通か入ってたの。で、それをもって家のなかに戻って、玄関に置いたのね。そしたら母が「なにそれ?」って訊いてきた。
「別に…」というと、「自分のなにかなんだ?」ってにやけながら戻っていって、チェックしてるの。

もう、わかってたこと。
彼女が私の郵便物とか部屋とか、チェックするひとだということは。
どこまでも、子供は勝手なことはしちゃいけないんだって。
自分で稼げるようになってから、好きなことできるんだって。
親に黙ってコンサートに行ったりしたら、もうそれだけで
「聞いてないよ!」と怒る。

だけど、諦めてたけど、今日は自分のなかでの許容量が少なかったのかもしれないが、許せなかった。
思わず食ってかかってしまった。
「なんで?私は自分の好きなことをなにひとつしちゃいけないっていうの?」
って。
実際今回は見られて困る手紙だったわけじゃない。
でも、通販の一つもできない、友達の手紙だって全部親に筒抜けで当たり前っていういまの状況は相当に解せない。

部屋を子供部屋じゃなくしたかった。
最近頑張って随分整理した。あらゆるものを棄てたから。
だけど、親は棄てられない。
私自身も頼って生きてるから。
だから、親のせいばかりにはできないのだけど、
どうにかしてもう少し親の、あの罪悪感のなさ、理不尽なことをしてるとは微塵も思わない態度だけは、変えたい。
でなければ、やっぱり家を出るしかないのかな。

愚痴ばかりでごめん。
明日は元気。
大丈夫。おいしいものも食べたし。
前向きに考えるしかない。

2000年11月15日(水)
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