unsteady diary
riko



 好きな言葉

昔から生き方、考え方がとてもプロフェッショナルで、ほんものの「オトナ」だなと思ってきた役者さんのHPで、イイ言葉をみつけた。

私をとりまく素敵な人たちの魅力的な強さと同じ匂いがした。


「大変なことがおこる」というのは、逆に言えば、それだけ自分が「大きく」「変われる」いいチャンス。私は特定の信仰はないのですが、その人がクリアできないことは、神様は用意されないものだという説は、信じているのですよ。
だから、自分の中に起きているこの変化を、肯定的に受け止めていきたいなぁと。
私がどうなるのか、私が私に対してどういう結論をだすのか、その瞬間がくるまで、私も私の動向を見守っていこうと、今は思っています。さて、どう化けるのか! これ以上になると、やはり……化け物になってしまうのだろうか?(不安)←(笑)

by緒方恵美(知ってる人は知ってるだろう…マニアックだが)


―という言葉です。

私もがんばって化けないと。
そう思う。

2000年10月22日(日)



 周期的下降期について


ときどき、石みたいにぎしぎしと、こころもカラダもぎこちなくなってしまう。
動けない自分に苛立ちながらも、とりあえず、なんとか世の中から外れない生活をしていられる自分が、コピーロボットみたいで、笑っちゃう。
たぶん、徹底的に立ち止まれないで、沈んでも、中途半端なまま人恋しかったり焦りだったりが募ってきて、浮き上がっちゃうんだ。脱皮できてないままなのにね。
けっきょくは、大きな変化の波から、逃げてる。

たかが、一週間でも、ネットから手を引けない自分がいて、
言葉が煮詰まって上滑りしてるのを自覚してても、なんとなくそのまま続けちゃってたりして。そこで、ちゃーんとストップかけられないのが、自分の心の弱さなんだろうなあって最近特に思う。
とことんまで、追いつめられないのね、自分を。

こうやって弱音吐いてるあたりも、まったくもう。

2000年10月31日(火)



 とりあえず、歩きだして。

どっかの誰かに影響されて、レンタル日記のみ、開始。
なにごとも三日坊主の私がいつまで続くやら…。
これまでいろんなところでさまよってた自分の言葉を、どこかに集めてやりたくなったのかもしれない。

いまのところ、誰にも見せるあてなどないけれど、それでも紙ではなくWeb上を選んだのは、どこかで人の目に触れたかったから。
そうやって、こっぴどく露出することで、自分のかたちを確かめたいんだと思う。

最初に読んでほしくて、けれど最後まで見せたくない人たちがいる。
私のだいすきな文章を書く人、ほんとうに自然体で息をしている人。
その姿勢は、価値観は、いつも私を打ちのめす。

いつかは、すでに押し付けてる汚さ以上の、もっとぐちゃぐちゃで腐りきってる自分を、ちゃんと見せられる日が来るんだろうか。
もっとも、見せたところで、相手に迷惑なだけじゃないかって、思わないわけではないけど。

いつだってそんなふうに、独りよがりではた迷惑な文章になってしまわないかって気にしてる。
そんなふうに思ったら、本音のメールなんか出せるわけがない。
手を離したら、終わりだと自分に言い聞かせるけど。
どうやってしがみついたらいいのか、わからなくなりかけている。
どんどん窓が閉じられて、そのすきまから、感じて、切なくなって手を伸ばしたくなって、我に返って、あわててその手をひっこめる。
そんな日々。

なにも神聖視してるわけじゃない。
ただ、どうしようもなく惹かれる、その媚びない姿勢。
だけど、私には好きな人たちにあげられるものなんてなにもない。
惹きつける価値など、そもそもありはしない。
ほんの一時、自信がつきかけたときもあったけれど、どうしてそんな思い上がりをできたのか、もう思い出せないくらい。


変わりたいといいながら、私はありのままのぐっちゃぐちゃの自分を肯定してもらおうと躍起になってるのかもしれない。
「性格が優しい」とか、そういうふうに誉められて、嬉しくないわけがないけど、一方では、それが表面の磨いて繕った自分だと分かってるから、嬉しいぶんだけ恐くなる。
ほんとうの、強情っぱりで甘ったれのどうしようもない自分を知ってほしい。
そのうえで、好きになってほしい。
そうでなければ、いつまでたっても救われないのだ、と。
痛いほど解っているつもりで。
だけど、嫌われてもいいと開き直れるほど、私は潤ってなどいなくて。
すでに渇ききっていて。
眼下にはただ海しかなくって、もっと喉が渇いてあとで辛くなるってわかっててもなお、塩っ辛いその水を口にしてしまう漂流者みたいだ。
目の前の苦しみを癒そうとばかりしていたって、けっきょくは、あとでもっと大きな波にのまれるだけだって、教えてくれるひとが、ちゃんといるのにね。

いろんな人が、ちゃんと私を見ようとしてくれている。
たぶん。
出会って間もないけれど、そう思う。
なのに、なぜ退いちゃうんだろう。
どうしてこんなに臆病になるんだろう。
解りあえてきたような気がして、指先がふれた途端、その手を自ら離してしまう。
見つめ返せないのは、見透かされる気がするから。
これ以上、なにを見せてないというのか、とも思うのだけれど。
きっとまだ、もっとずっと深く私は膿んでいるから。
自分でも意識しないほど、それは深くて、ふと浮き上がってくる断片に、自分でも打ちのめされるほど。
あわててそれを隠して、また、上澄みのところで愛想笑いを。

強く強くつながりたいと願う一方で、相手の姿が近くに見えると突然世界を閉じてしまう…そのくりかえしで。
てんで進歩がない。
そんなんじゃ、見棄てられるって、ずっと焦ってる。
けれど、変われやしない。
すこしずつ、まわりは脱皮してゆくのに。
みにくい毛虫のまんま。

なにも他人を必要としていないわけじゃない。
つながりたいんだ、心の底から。
ただ、その心の底にさえ、自分が自分で、確信をもてないでいるだけで。

どうしようもなく濁っている足もとの世界。


ほんとうは、ひとりで立たなくちゃいけない。
ひとりで戦いに出なくちゃいけない。
愛されたいとばかり泣いていては、誰もふりむかない。
愛せない人間に、愛される資格などないんだから。


こんなふうに王子様を待ってるような自分が嫌だ。
女々しくてとっても嫌だ。
でも、それがきっと本音の部分の、「私」でもあるから。
否定すればするほど、片意地張って生きるしかない。
よけいに苦しくて、引き裂かれて、自分がわからなくなる。

私は女だ。
変えようがなく、すべてが、女だ。
考え方も、愛し方も、そこからはじまる。
強くならなくちゃいけない。
自分の足できちんと立たなくちゃならない。
それだけは、確かで。
そのとき、私は自分の「女」を、どんなふうに肯定してゆけばいいんだろう。

このしゃべり方も、言葉も、声も、しぐさも、実際にはすこしも「可愛くない」自分には似合わないなあって思ってきた。けれど、「可愛くない」自分が、せめて少しでも可愛いと思われるよう、無意識に望んできた結果として現在の「私」があるのだとすれば、それを変えようとするのは、はたして正しいんだろうか。

正しいとか正しくないとか、かっこいいとか、かっこ悪いとか、そんなことばかりで、どこまでいっても、「自分自身がどうしたいのか」だけがさっぱり見えきやしない。
してはいけないことは、わかってる。
正論だっていやっていうほど、わかってるつもりで。
ただ、自分がそこにいない。
核のないまま、どうやって変わろうというんだろうか。

それなら。
私にとって気持ちのいい状態ってなんなんだろう。
はっきりしてるのは、毎日こんなふうに鬱々としていたくなんてないということ。
負の感情だね、これは。
一方では、なにかしたいという正のエネルギーが、どこにもないような気がする。
からっぽで、刺激が肌の表面でしか受け止められない人間なのかもしれない。
いまが、ではなくて、ずっと。
それが、「私」なのだとしたら、変わろうだなんてよく言えたもんだ。

前を向きたい。
うつむくのをやめて。

でも、前ってどこにあるんだ?
どっちに歩き出せばいいんだろう?
誰も教えてくれるわけにはいかないんだ。
だいすきな人とでも、その道は共有はできなくて。
置いてゆかれたくなかったら、必死で自分の道を見つけるしかない。
なのに、私は、ずっとこの狭い部屋のなかで、ぐるぐる廻りつづけている。
そのうち、自分自身の排泄物に埋もれてしまうような気さえ、してくる。


2000年11月01日(水)



 いろんな「好き」があるけれど。

―「好き」の気持ちは、自分を、いちばん無敵で臆病な生きものに、変えるのかもしれない。


ひとつの居場所が復活した。

私は、欠けたままの日々にすこしずつ馴れ始めていたところだった。
替りをさがして、みつけて。
そこもまた居心地のよい場所で。

だから、なにが違うとか言えはしない。
しいて言うなら、たぶん、私の安定度だけ。

あそこは、ただ、きもちが揺れる。
何故だか分からないけれど、もう条件反射みたいに、
声とか、文章とか、これまで残してくれたすこしの言葉とか。
そういうものが、湧き上がってきて、穏やかではいられない。
ざわざわする、皮膚感覚が、なにかを訴える。

人に惹かれるのに、ほんとうは理由なんてないのかもしれない。
すこしずつ、しのびこんでくるそのひとの考え方、言葉が
やがてすごく大きくなって、のみこまれそうになる。
そういうふう。

昼間も、ぼうっとしながら、よく考えている。
めったに会うことのない人のことを
なんでこんなに気にかかるんだろうって思いながら。
どちらも現実の世界なんだけど、妙にふわふわと浮遊してるみたいで。

会うまでは、ただ理想化してるためにふわふわしてるんだと思えた。言い訳ができた。でも、もう逃げ道はなくて。
別に救ってくれる人というわけではなくて。
どっちかというと、突き落とされるかもしれなくて。
こんなに時には苦しいのだし、離れてしまえばその痛みは慢性化してやがて気にならなくなるだろうとさえ思う。

ここ数日、そうやって過ごした。
あちこちで見かける書き込みにも
遠い人だと、ファンでいよう、と。
そう思いながら、引き裂かれる。

ひとりでに卑屈になるのを止めるすべはなくて。
そうやって暗くなればなるほど、重い存在になるってわかってるのに。
それでも、どす黒い塊がずっとずっと喉の奥にひっかかっている感じで。
出したら、どんなにみにくいか、解ってるから、もう一度押し込めるしかない。
うっかり浮き上がってこないように、またいちばん下に仕舞いこむ。

煙たがられないように、明るく笑おう。
そんな手段でしがみついていたって意味がないってわかってるけど。

あかの他人の感情をぶちまけられてもねえ…困るでしょうから。
そもそも、カウンセラーでもなければ、慈善家でもないのだから。
誰もが、自分の世界を大切にすべきで、
そうしてるからこそ魅力的なんだから、専念してほしい、すべきことに。
ええ、無理などしてませんよ。
これは、ホンネ。
そう、信じてるもの。
誰が?
私が。
その私を、私はまた信じられないのだけれどね。


『ゴミはお家に持って帰りましょう。
ここでは棄てないでね。
美化のためです。』

はーい、「いいこ」は、ちゃんとお部屋までもって帰ります。
他人に迷惑をかけちゃいけないですからね。
ここはもう、お部屋のひとつにしちゃいましたけど。
そのうち、こうやってゴミと埃とに埋まるのかもしれませんね。
ああ、いまも半分そうかあ。
いやだなあ、忘れてました。

なんたって、自業自得ですから。
ええ、大丈夫。今日も私は元気です。


2000年11月02日(木)



 日記を書くことの難しさ。

うっとりいじけ虫の日記になるだろうことは、想像はついてたけど。
…どうしようかなあ。
思った以上に日記を書けない体質らしい。

以前、「『病んで』ると口にすることで逃げている」と言われたことがある。
心当たりはあったから、それなりにぐさっとキた。
免罪符みたいな言葉だ。
変わってることを誇りにしちゃうオタク心理と似てる気がする。

ぐるぐるしてる自分は、嫌だけど、否定はしたくない。
と思うのも、病んでるっぽい状態にうっとりしてるからなのか。

いやな気分になるキーワード。
「(いやんなるほど)変わってないね」

これを言われないために、自分をすこしずつ遠ざからせていくような気がする。
大切な人から、好きな人から、遠ざかるのは、とても愚かで、哀しくて。
でも、そうやってかろうじて、悪化をふせぐ。

変わりたくないというより、もっと悪くなることを
心の底から怖れている。
これ以上なにがあるというのか。



2000年11月03日(金)



 ライブ×お泊り×ノックアウト(笑)

お気に入りのストリートミュージシャンのSHUくんのライブin四谷三丁目。
4時半からのスタートだと思ってたんだけど、若手がいっぱい集まったジョイントライブだったということで、SHUくんは8時からの一時間半でした。
もっとも、いかにも路上のギター一本って感じの男の子2人組のユニットが2組出てて、すごくよかった〜。
好きなことをやってる瞳をしてた。輝いてたね、
なんで好きなことをやれちゃうんだろうって、思う。
あんなに生き生き、とね。
苦しいことだっていっぱいあるはずだし、自分の才能をずっと信じつづけられるほど自惚れが強いとは限らない。
それでも、好きなことだから、やらなくちゃ自分が生きていけないくらい、きっと好きなことだから、やれちゃうんだね。

ほんとうに、自分にはないエネルギーだった。
「好き」の強さを、見せつけられた気がした。

私はこれまでの日記を読んでもわかるかもしれないけど、
ずっと鬱状態だった。
寂しくて、つながりたいのに、それができないくらいぐるぐるしてて、
とにかくわけわかんなくなってて。
なにも見えなくなってて。
少しでも見えるものに、しがみつきたくってたまらなかった。

ライブに一緒に行ったmeeさんは、隣にいても、ライブに集中してて、「生き生き」してて、考えごとしてた。
私は、物理的距離がこんなに近くても、寂しくなるんだなって思った。
手を伸ばして触れるくらいなのに、世界は別なの。
あたりまえなんだけど、そういう当たり前の事実に傷ついてる自分の幼さ加減がとても嫌だった。
私だって、好きなことに没頭してるときは、まわりなんて関係ないのくせにね。

SHUくんのライブが終わって、なんだかギターの音よりも打ち込みのほうが多くて、消化不良だったんだけど、それでもじゅうぶん楽しんで、会場をあとにした。
もう10時過ぎで、どこもお店なんて開いてなかったし、私もそのあとの予定があったので、meeさんとはそのまま駅でおとなしく別れることになった。

言葉にならないぐちゃぐちゃが、アメーバみたいに、ずっと喉をふさいで声を出なくしてる気がした。
電車がくるまで、とねだって一緒にいてもらう。
ほんのちょっとの間だったけど、少しほっとする。

電車はあっという間に来て。
あわててホームにかけこむ。
だけど、それは回送電車で。
そのうち、meeさんの姿がむこうのホームに見えて、
「回送電車だったんだ〜」と叫ぶ。
遠いからなにもしゃべれないし、別になにかしゃべりたいことが明確にあったわけでもなく。
そのうち、本当に電車が来て、乗り込み、手を振る。
たぶん、切ない表情をしてたと思う。
みっともないくらい。

気持ちが揺れて、どうしようもなかった。
meeさんのすっきりしたと見てわかる笑顔とか、
自分のすっきりしなさ加減とか。
meeさんに、まだつかわれてしまう敬語とか。
一方で私はもうコントロールできずにタメ口になってるとか。
とにかくいろんなことで、私ばかりが気持ちが揺れて、隠せなくて、みっともなくて、いやな人間になってる気がして、そういうふうに被害妄想気味に、気持ちが揺れに揺れてた。
ちょっと落ち着けば、ほんとうにバカみたいなんだけど。

そのまま、りょうかさんに電話をかける。
泊まりで呑む約束をしてたので。
12時半ごろにやっとはじめられた。

なにを話しただろう。
くだらない話から、いろいろ。
ほんとうに、いろいろ。
呑んで、食べて、パソコン見て、ある人のHPをふたりで見て、声に出して朗読。
あまりの言葉のストレートさに、ひねくれてるりょうかさんは地球の裏側までもぐってしまった。
私はというと、とにかくすごく響いたんだ。

…タイムリーだったんだと思う。
自分のぐるぐるの本質が、かなりそこにあって、どうしようもなくずきずきキてしまった。ノックアウト。
彼の文章を読んだのが初めてなわけではないんだけど、読むときの自分の状況によって、同じ言葉でも響き方ってちがうものなんだよう。

以前そのサイトに来ているある人に、彼と私が部分的に「似てる」って言われたことがあったの。
そのときは、正直ピンとこなかった。
昨日、少しだけ分かった気がした。
といっても、似てないってことに気づいたんだけど。
考え方、感じ方のさいしょの半分は確かに(おこがましいことこの上ないんだけど…)近いのね。
りょうかさんにも、その繊細っぷりに、「親戚か?」とからかわれた。(笑)
ただね、その結果、選ぶ道が正反対で。
彼はとにかく前向きで、強くて。

ノックアウトされっぱなしじゃなく、打たれ強く立ち上がれるようにならないといけないなあと思う。
思うだけで、なかなかへこむと起き上がれないけど。
でも、いい文章にあったとき、しみこむだけの余裕がある人でいたい。
せめて、素直に受け取りたいよ。


2000年11月04日(土)



 ひとりごと。

やきもち。
かっこわるい。
身の丈に合わない。
相手に迷惑。
好きな人なのに。
嫉妬するなんて、いや。

だめだよ。
こんなの。
だめだよ、自分。



2000年11月05日(日)
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