日記×エッセイ...みち

 

 

映画「明日の記憶」を見てきました。 - 2006年05月13日(土)

今日はお休みでした。で、ぐうたらと過ごしていました。
あ、「ほぼ日」でも見ようかな、とネットに自分を繋ぎました。これが午後1時くらいの話かな?

あー、映画「明日の記憶」って公開今日からだっけ。ずっと「ほぼ日」で紹介してたよねえ。
と、今日更新の「ほぼ日」コンテンツを見ながらそう思いました。

そう。わたしはこの時まで、自分がこの映画を見に行こうと思うなんて、考えてもいなかった(笑)
そして、「ほぼ日」は見に来てたけど、この映画のことが紹介してあるコンテンツも、1日分も読んだことがなかった。

木曜に「みなさんのおかげでした」を見てて、木梨さんが出てると知って、へえーとちょっと興味を持ち、そして昨日だったかな、渡辺謙さんがTVでこの映画のことを話しているのを見たんですね。それで、あーがんばっているなー、と感じたんですね。そこがまず一歩でした。がんばっている、というのも、仕事にっていうよりも作品に対してとか、人とか気持ちに対して、「がんばっている」と思って、それが印象に残ったのでした。
それで、二歩目として図書館に原作本を予約しました。

もしかしたら、そこで終わってたんですけど。

今日、なんとなく、本当に「なんとなく」、この映画についてのコンテンツを読んだのですよ。今まで読んでたわけでもないのに何で見たの?と聞かれたら、やっぱり昨日の謙さんが印象深かったからもっと知ってみたいなと思って、となるから、やっぱり謙さんの熱意がわたしまで届いたのでしょう、きっと。

読み始めたらおもしろくなってしまった…。
糸井さんと謙さんのメール交換を何通分か読んだら、「今何時?次の上映時間って何分後?」とネットで調べてました。
次の上映時間まで、支度して到着するまでの時間に余裕もあってちょうど良い時間。行くことに決定(笑)
それまでにもう少し読もうと、コンテンツを更に読み進める。

え?堤監督なの!? ←本当にチェックしていなかった
映画のイメージがよくわからなくなる。堤監督の対談部分も読んで、更に見てみたい気持ちが高まった。
ということで、用意も出来たし、コンテンツの続きは帰ってきてから読もうと、映画館へGO!

初め、自転車で行こうと思っていました。でも、なんだか雲行きがおかしいし、雨もちらついてきている。ああ、そういえば今日午後から雨だっけ…と思い出し、車で行くことにした。上映時間までに駐車場探せるかなあ…と心配になりながら。
(自転車ではその心配がないのがうれしい)

車に乗り込んでめがねをかけて、あ、めがね忘れるところだった!と思い出す。うーん、自転車で行けてたらめがね忘れてたよねー。良かったー、と思いながら運転する。
駐車場も、止めようと思っていた駐車場は、初め満車ランプがついてて「あー、どうしようー」と思ったのだけど、近くに行ったらランプが消えた。ラッキー!と入る。ただし、いちばん端っこだったので、切り替えしを何度も何度もして苦労しながら入れました。(バックで入れたい人)

で。
ちょっとだけ時間を過ぎてしまったのですが、映画館に着きました。たぶん、予告編とか流しているから大丈夫だろうと、中に入りました。なんともいいタイミングで入れました。

ところが、結局めがねを忘れた(笑)
いつものように外して、車に置いてきちゃった。 (^^;)
ま、まあ、記憶のお話でもあるし、病気じゃなくても忘れますよと、なんら変わりはないですよと、自分を納得させながら見始めることに。まあ、字幕でもないから見れなくもないので。


…。
確かに堤監督の絵だけど、堤監督ってこういうのも撮るのか…ってうれしくなりました。あの、夢なのか本当なのかわからなくなるような感覚になる映像は、堤さん得意だと思います。

えーと、あまり外ではわたしは泣かないのですが、3ヶ所くらい我慢できずに涙が出てしまいました。(一応、我慢した) ちなみに、香川さんと電話のシーンと、披露宴のあいさつのシーンと、病気のせいで自分を追い込んでしまうシーン。あ、もう1個あった。会社をやめる日の出口でのシーンでも泣いてる。
こういう映画は、あまり感情移入すると泣くのが自分でわかっているので、感情移入しないようにしてたんだけど泣いてた(苦笑)

及川ミッチーも出てた。(キャストさん全然わからないまま行った)
そうなんだよねえ、と思いながらミッチーのシーンを見てました。ミッチー、ああいう役柄もいいね。

大滝さんの役柄も良かった。かっこよかった。パダライスもよかった。

自分には関係のない、という態度に対して、わたしはいつも怒っているなーということも気づいた。

ファンタジーが好きな理由もわかった。
それが夢のようなものであったとしても、夢を見たから上に行ける。

悪気がなくてもどうしようもなくても、傷ついてしまうことってあるなあ。
相手が本当のことを言っているのか自分で判断できなくなるし、だからってひとを疑うようにもなりたくないから、離れてしまう。切ない。

男性は見るべきだと思います。特に、仕事ができるという人は。そういう人って絶対辛くなるもん、こういう時。自分が引っ張っていかないと、って思いすぎるとそれだけが自分の役柄だと決めちゃうんだよね…。聞こえなくなっちゃう…。

テーマは重いんだけど、清らかで、明かりも見れて、とてもよい映画でした。また見たい。
おすすめです。


追記。
まず映画のこと。
パンフレットを読みました。見た者に作り手の方々の気持ちは伝わってましたよ!といいたくなりました。確かに悪人がいない映画だ…。タイミングや捉え方、その時の心情によるだけだよね、この映画で味わうことのある苦味は。だから清清しく思うんだ…。


そして母の日のこと。
一足お先に母の日のプレゼントを送りました。完成品がステンドグラスみたいになる塗り絵です。
いつもいろいろしてもらってるからいいのよ、と電話が来た。うれしかった。お礼の電話にどうせ年に1回のことだからー、と答えつつ、年に1回じゃだめよねーと思っているから、そういわれるとうれしい。

しかしまあ、あれですね。身内の話は真剣に聞いていないものです。母は今日、銀行で女性誌を見て、江原さんの文章を読んだんですって。読んでたらおもしろくなっちゃったらしいが、呼ばれて席を立ったら違うひとに読まれてて続きを読めなかった!と言っていた。そして、そういえば当たっているなと思うことがたくさん書いてあったよ、と興奮気味でした。
それなので、江原さんが言ってることをわたし何度も言ってるじゃん!、と言ったら、ああーそうねー同じこと書いてあったよー!と言ってた。
他人の話の方が聞けるらしいな…(苦笑)


5/14追記。
映画のこと。
うわー。その仕掛け、言われてみればそうだ!と思ったことがあって、うーん、やっぱりもう1度見たいなあと思う。
確かに何か気になってたんだよなあ。でも、違うよきっと、と打ち消したんだよ。そのぼんやり気になるくらいの背景…うわー!堤さんって!
「AIKI」の映画でも思ったけど、重いテーマを、嫌味なく、楽しく、清清しく見せることができるって素晴らしいと思います。


...

マザー3についてまた考えている。 - 2006年05月08日(月)

おもしろいなーと思うのは、「マザーらしい!」と喜んでいる人と、「今までのマザーとは別物!」と不満な人との両者がいるということ。
同じひとつのものであっても、それに対してそれぞれが持つイメージって、これだけ違うもんなんだなあと惚れ惚れしています。

思うのは、不満な方のコメントを読むと、小ネタについてのコメントがほとんどないような…。ストーリーとかシステムに関しては書かれているのに、そういう話題をおもしろいほどに見ない。ネタバレを避けて?
わたしはそこに喜びっぱなしだったのに…、と思って、ああーそういうことなのかー、と。

マザー3は、小ネタが好きな人ほど楽しいんじゃないかと。

くだらないことに出会った時、くだらなさを怒ってしまいがちな人はこのゲームに合わないんじゃないかな。スルーしがちな人も、楽しみきれないのかもしれない。
わたしの場合は、くだらなさは善であり、勝手に意味を持たせてさらにくだらなくしたくなる人です…。

目的に向かってきっちりと計画を立ててそのまま実施するみたいに、無駄がないことが好きな人は、どちらかといえば合わないのかもしれません。
わたしの場合、とにかくいちばんやらなきゃいけないことは最後まで後回しにする人…。

ろくな大人じゃないですね(笑)
いや、ゲームの遊び方の話、として聞いてくださいね。
もちろん普段のわたしとは全くもって別!、ともいいませんが。

後は、痛みや悲しみを、未来や今まで見ていなかった世界のための「楽しむ力」に変えられるかどうかかなあ。
かなり辛いですからねえ…。クリアしたら、わたしは今やすっかりその辛さを忘れているけど、日記を読み返したら思い出しました。確かに辛かった。
辛さで楽しいところを見られないままに進んでしまうと、おもしろくない感じで終わっちゃうんだろうなーと思います。

ほう。そうか。
辛い時に、楽しいことを見る見ない、っていうのはその人次第なのか。
辛い時に楽しめるわけがない。それも一理ある。逆に言えば、少しでも楽しめたら、少しでも辛い時じゃなくなるんだよねえ。
楽しい方が、力が出る。例えば証明として、Oリングテストとかね。
辛いなら、力を出した方が、それに戦えると思うんだよね。わたしはそういう部分でのまわり道をするのが嫌なので、だから辛いなら笑って行きたい。

うーん。取り巻くことでもいろいろ考えられて、わたしは満足ですよ。 (*^^*)


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マザー3の曲を聞きながら読書。 - 2006年05月06日(土)

なんとなく、本を読みたい気分になったので、ゲームをするのはちょっと止めて本を読むことにした。

マザー3の曲、全曲聞いてみようかなー。
と思ったわたしは、イヤホンをし、本を読み始めた。

何時間流れるんだろう…。
いまだに全部聞き終えることが出来ない。もう2時間くらい本を読んだような気がするのだけど…。

というか。
ゲームしている間に聞いた覚えのない曲がはいってるような。

確かにお店とかあまり長居しなかった(買わない)から、あまり聞いてない曲もあるんだけど…あれ?

サウンドプレイヤーいいですね。
ちゃんとボタンのロックもできるから、ポケットに入れて歩きながら聞くこともできますよ。お気に入り曲は、聞く順番入れ替えもできるし、ほくほくです。

思ったのですけど、わたしが取説を読まないのって楽しむためなのかもしれないなあと。
わたしはゲームの取説を遊ぶ前にほとんど読みません。いかにも作り方に凝りました!というおもしろそうなものには目を通しますが、あまりよく読みません。(読むというより、眺めるって感じ)
これって、いじっている内に使い方がわかる喜びを求めているのかもなー、なんて思いました。

これって何だろう?…ああ、お気に入りにセットするボタンか。
これって何だろう?…おー、これで曲が消えるのか。
(ちなみに取説を読めば、これらはきちんと説明されていることです)

何かな?と思ってから、どうにかこうにか知ろうとすると、それに対してのレスポンスが返ってくる。それが楽しいんだろうなと、それをわたしは取説を読まないことで楽しんでいたんだなと思いました。
(単純に、読むのが面倒というのも大きいのだが。←本読みのくせに)

何かな?と興味を持つ前に仕組みを教えてもらえちゃうと、だんだんどうでもよくなってくるんだな…。
目に入っているのと、何かな?って興味を持つのって、違うよね。
ああ、そういえばそんなこと、ゲームのレポートに書いてあったね。

わたしがゲームがつまらなく感じる時の要素のひとつ、確認できた。
わかってしまえばこっちのもの。わたしが好きなものか、わたしではないひとのためにあるものか、っていうのがわかればいいんだ。

ちなみに、何度遊んでも「何かな?」ってわたしが思えるゲームがマザーシリーズだなあ。
時が経って、知っているものとか経験したこととかが変わって、その変わった目線から見て、変わるんだよね、ゲームも。ゲームのおもしろさというわけではなく、自分が思うことが。

わたし、ギャップを感じることが好きなのですが、それってひとりの人でも言えて、「前はできないって初めからやろうとしなかったのに!」とか、それまで持ってたその人のイメージを変えてこられると、きゃー♪ってなります。
以前までのそのひとのイメージとのギャップに、きゃー♪
だから変わっていける人が好きなのかもしれない。それがゆっくりであったとしても。
そして、変わっていくからいつも新しい。マザーシリーズが、古さを感じないのはそういう部分もあるかもなあと思ったりする。
刺激する言葉たちに、落ち着いてなんかいられないから、新しいと感じるのかもなあ。

マザーに関連づけたことだったらいくらでもかけるような気になる今日この頃。
ゲームの内容以外なら。
(ネタバレを気にする以上に、記憶力がないという強力な理由)


...

イヤホンをしてみた。(マザー3ちょこっとネタバレ入り) - 2006年05月05日(金)

マザー3、予定外の2周目に入りました。
(通常、わたしはクリアしたゲームを続けてプレイすることはない)

なぜかというと、27時間近く遊んで隅々見てまわったつもりなのに、知らないネタがある!ということで、再度旅立ったのでした。
選択も前回と違うものを選んだりしてます。
おお!ドラゴってこんなに周りにいたんだ!と驚いたりしてます。
わざわざドラゴに潰されてみたり、いろんなことをしています。

で、ヘッドホンやスピーカーをおすすめするほど音がいいといううわさを聞いたので、イヤホンしてプレイしてみようかなーと軽く思ったら…全然違う音なのね…。あらー、こんなに音を組み合わせていたの!?とそれが新たな発見になって、とても楽しいみたい。

1度エンディングを見た後のオープニングは、なんというか、すごい勢いで切ない…。
助けられるものなら助けたいと、思う。
タイムマシンで過去に来たけれど、過去に現在の自分が手出しはしてはいけない、手出しは出来ないでただ見ているしかない、というような気持ちがする。
おにいちゃんに体当たりだー!と向かっていくだけで、切ない。

今回はボスさんなどにわざと負けてみたりして、テキストを読んだりしようかなと思います。
それで思ったのですけど、このゲームって死んでしまうのが怖くないんですよね。…っていうと、命を大事にしないとうんぬん、とか言われそうだけど、んー、そうじゃなくて、失敗してもぶつかっていくことが大事、っていうことを言われているように感ずる作り方だなあって思う。
何度失敗しても大丈夫だよ、失敗しないと得られないものもあるよ、と言われているような。

うーむ。どんどん好きになるなあ…。

ゲームをクリアしてから、マザー3のサイトに飛んで、もう1度柴崎コウさんのCMを見てみました。
…。
これ、CM用に言わされているんじゃなくて、ほんとにプレイして楽しんだ時の言葉だね…。


追記。
再プレイを始めて、○○○がメイクをしなくなったきっかけなんかを考えてしまう。
そして、このひとたちはみんないい人(?)だと、自分が思い込んでいたことにも気づいた。
そしてその後に、思い込みでもないのかもしれない、とも思った。
いい人ってなんだろうと思った。

3が終わったら、マザー1+2もやってみようっと。
3作品の中で3はわたしに最もいろいろ考えさせてくれる作品のように思う。


さらに追記。
こっちのみーずはあーまいぞ。こっちのみーずはにーがいぞ。
ってな具合で、サイトさんによって褒めている人の方が圧倒的に多かったりすることを知って、かなりほっとしております。よかったー。おもしろいよねー!
「2を遊ばなきゃわかんないネタだよ!」「みんなに好かれるのがマザーなんじゃないの!?難しいし暗いよ!」と“新規プレイヤーを想って”怒っているヒトもいる一方で、「初めて遊びました〜。おもしろかったですー♪」という新規プレイヤーの方のメッセージを結構な量、見たりして…。
…えーと。誰のために怒っているんだろう?と思ってみました。
自分のためなんだろうな…。これ。
そして思うに。
遊んでてもはっきり理解できないようなネタがあるのがマザーだと思われ。^^;


...

他の方のマザー3の評価と比べてみた。 - 2006年05月04日(木)

良くない、って言われている部分と自分の感じたことを比べてみました。
なるほどね〜、だから賛否の差が出るのね〜ってわかった部分、多し。
ひとの好みってやっぱり違うんだなーって思っておもしろい。

やっぱりひとつはサウンドバトル。
わたしは取説を読まずにゲームを始めるひとですが、NPCに話しかけるのが大好きなので、そこで教えてもらったことで気づいて使い始めるようになりました。
ああ、だから連打したら時々数回のヒットが出たりしてたわけね〜、と納得したりして楽しんでました。
もちろん、いつもサウンドバトルを使えるわけじゃあない。死んでしまうくらい大きいダメージを受けてしまったら、時間が経つにつれてどんどんHPが減っていくから、早く次のターンにして回復させないといけない。そんな時に悠長に、時間をかけて戦うサウンドバトルをしている場合ではない。連打して早く終わらせてしまわないといけないから。
うーん、だからそれを使い分けることが、わたしは楽しいと思ったんだけどなあ。
ひとつのことでやっていたい人が多いのかなあ。

レベル上げが辛いとも感じなかったんだなあ。
だって、勝手にちょうど良いくらいに上がってたよ?
寄り道ばかりしているからかしら…。
そうなると、各章が短いとも感じてないのも、寄り道のおかげなのかもしれない。

ストーリーの暗さ。
ああー。
…。
わたし、暗い重い話が好物だ(笑)
ラストが明るく(希望があって)終われるならオッケーなんですよねえ。
世の中で弱いとされる者の物語でもあるかもしれない。そこにスポットライトを送ったことも、わたしは好きなところです。

世界の範囲が狭い。
ああー。
知らない町に1度立ち寄ったっきりでもう足を踏み入れない、のではなく、自分の町のこと、自分の知っている人がいる土地のこと、と限定したところにわたしは良さを感じたなあ。

ストーリーが一本道。
これは、いくつも道があっても逆に言われてしまうものではあるな…。

シナリオが短い。
んー。
GBAなのだが…。

わたしは、なんとかさんはおまけだと思っているので、あまり行き来できないほうがいいと思うんだけどなあ。何度も行けたとしたら、媚びうってるようになっちゃうでしょ、きっと。

はあ。なるほど。
マザーシリーズはどんなものなのか、っていうイメージの違いもあるかもなあ。
ほのぼのかわいい、っていうものがメインで持っていると確かに辛いのかも。
わたしは切なさとか、現実的な部分とか、他のRPGで味わえないものがマザーなので…問題なかったと。グラフィックスの感じは同じだし。

問題の某人は、受け止め方によるかもな、という感じです。批判の理由もわかるし、わたしも積極的に良い!とは思う感じじゃないけど、某人が出てくることで「何を表したかったか」ということを考えることがわたしはおもしろかったので、これはこれで良しです。

カエルも、都合のいいところにいるだの、絶妙な場所にいるだのひとによるなあ…。

ああ、確かにキャラクターに個性はあまり強くないかなあ。
でも、最後の方の話の展開を考えるとその方が納得するような気もするし、個性が無かったかといえばそんなこともないような。説明されない分そう思うのかもしれない。でも、ことが起きた時の行動などで想像していったら出てくるけどなあ、個性。

前にできたことはできないといけないのかなあ?とも。
メーカーさんが冒険できなくなる気持ちがわかってきた…。そんでそれはそれでまた非難されるしねえ…。

はあー。なるほど。
確かに、仲間で紡ぐお話って言うより家族のお話。
それじゃだめなのかなあ…。

というか、みなさん前の作品とか結構覚えてますねえ…。←わたしが忘れてしまうだけ?
だから比べてしまうんだなあ…。

章末テロップとEND?は確かにわたしもあまり好きではないなあ。うん。

うーん。
イベント後のセリフ、結構変わっているんだけどなあ…。同じ町の中だからあまり話しかけないのかなあ。

みんな変化が嫌いなんだね…、と思うことが多いみたい。
わたしは変わるのが好きだからなあ…変わった部分を楽しむのが好きだからなあ…。意見が合わないはずだ。納得。

わたしは好きですよ。マザー3。
ただ、万人向けじゃないかもなと。
(解説:あまりにも集中的にうれしくない評価を見たので、ちょっといじけた時の発言)
マザーシリーズは万人向けを狙っているわけでもないんじゃ?とも思う。2はとっつきやすいけどね。シリーズのどれがいちばん良かったか?とか思う必要が、マザーに対してはわたしは無意味です。わたしにとっては、みんな違うものだから。


...

マザー3クリアしました。 - 2006年05月03日(水)

うーん。やっぱり止められませんでした。一気にプレイしてしまった…。
1+2の時のプレイと同じ…もったいない。でも、満足しています。

わたしは最後は今回も泣いてしまいました。
おかあさん…おとうさん…おにいちゃん…と泣いていました。

憎しみよりも、悲しみとか寂しさとかかわいそうとか、そういう気持ちが出てくる。最後の方の戦闘は、相手を守りたくなる。そこがたまらなくなってしまう。
「寂しい」ってひとことを言ってしまえればいいのに。そうしたら、あなたはたいくつじゃなくなるよ…きっと。


ネタバレは嫌なので、とりあえず箇条書きでプレイ中に思ったことを細切れに。時間軸もバラバラに書くです。

・ああっ!よく見たらみどりっ!

・ガチャ。はっ!ご、ごめんなさい…そりゃ怒るよね(苦笑)

・アレはほんとにダメだ。名前が変わってもダメだ。固くなればなるほどダメだ。

・あの映画みたい!あのゲームみたい!と思うと裏切られていい感じ。

・アイテム収集の為なら死ねます!食われても行きます!…という自分の意気込みを知る。今までにわたしは、RPGで○○○で死んだ経験はない…初です。

・はっ!大丈夫ですか!? …あ、そですか。

・バナナの皮を見てやっと気づいて、でもだから何だという感じではあるけれど、何か複雑な気持ちがした。

・訓練の邪魔をするのは楽しい。バラバラにしてやる〜。

・備えは計画的に行わないと、無駄になるし損をする。

・温泉はいいなあ〜

・戦闘シーンでの「にげる」というコマンド。ある場面で何度か使った。「にげだした!」「にげだせなかった!」という言葉が、違う意味に聞こえた。

・吸われているようだがわたしが吸っているのか…と思うと、何とも言えない気持ち。

・戦闘は、ちゃんと頃合いまで待つ時間も重要だと思うゲームだ。

・言葉は剣にも暴力にもなる。

・しゃ、しゃべるのか…。

・あ、デザインが変わった…。

・名前の威力ってすごいなあ。何となく、逃げないと得したような気になる名前だ。

・時間を戻すことでも解決することだけど、時間を進ませることで解決させているところがとても好ましく思った。


とても楽しかったです。
ちなみに音楽も良かった。今回、サウンドプレイヤーというものがあって、ゲームをせずに音楽を聞くことができます。そこでわたしが「お気に入りメニュー」に入れている曲は18曲。
ラグタイム・オソヘ、師匠で父で〜、〜ゴマどうふ、サルにはサルのラブソング、ビンビン・ポークビーン、おサルの宅配便、いささかエレジー、この子たちに名前を、スノーマン、ソラトブナニーカ、なんとかさん、はみんぐ〜、ホントのWELCOME!、内輪差だよ人生は、ニューポーク・ボッサ、汚れきったアパートメント、タイム・パッセージ、だれかさんのおもいで。
鼻歌で歌ってしまうのはなぜかブタマスク系統…。なぜだろう…。



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