薄命
 昨日から不快なメールが知人から來る。
 「不快」といふのは少し間違つてゐるのかも知れぬ。彼らは僕を思ひ遣つてゐる心算ださうだから。

 皆一樣に同じ事について言及し、僕はまう大丈夫なのかと訊いてゐた。
 TVで餘命一年と宣告された子供が映し出されていたらしい。其の子は命を永らえる度に「奇跡」と云はれ續け、六歳であの世に旅立つたのださうだ。
 其の子をTVで見て、僕の事を思ひ出して心配になつたのだと知人達からのメールにはあつた。知人達の言葉の言ひ表し樣は人夫々違へども、皆同じTV番組について述べ、同じ質問を僕に投げかけてゐた。

 擔當醫に診察を受ける度に「奇跡」だと云はれた過去が僕にはある。
 今も同じ醫者のもとに診察を受けに行くと、冗談の樣に、だが妙に眞劍な眼差しで、彼は僕の生が「奇跡」だと云ふ。
 彼は僕が十歳過ぎ迄生きるとは全く思つてゐなかつたさうだ。
 さう、十年過ぎ、二十年過ぎた今では冗談の樣に口に出す。「こんなにしぶといとは思はなかった。」と。

 亡くなつた子供には其の子なりの日々の喜びや哀しみがあつただらう。生き永らえてる僕とは違ふ何かを其の子は得てゐたのだと思ひたい。
 でも、僕は僕。其の子は其の子。
 其の子をTVで見たからと云つて僕を心配するそぶりを見せられても僕は嬉しくは無い。
2004年01月30日(金)
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