御伽噺
 『お伽噺の王子はいつも最後には幸せを掴めるもの』
 僕の知ってるお伽噺の王子様たちは皆『心も姿も麗しく』『最後には幸せを掴』んでいる。王位を狙う叔父に牢に閉じ込められようが、自国から追放されようが、お伽噺の最後には王子は幸せを手にしている。
 では、『御伽噺の王子』に成り損ねたものはどうなるのだろう?どれだけ苦労しても報われなかった王子は?没落するだけで自分の幸福を見出せなかった王子は?
 それは矢張りただの並の人に成り下がるのだろうか?対して人に評価されず終わってしまうのだろうか?
 それでは僕は厭だ。『幸せを掴』んで終わるだけでもつまらないというのに、幸せさえ掴めずに終わっては全く価値が無い様に思えるではないか。
 「並の人」で終わるのが悪いわけじゃない。単に僕にとって退屈なだけ。どうせ「人並み以上の外見と優しい心」を持って「王子」として生まれ出でるのなら、山あり谷ありを乗り越えて最後まで決めて欲しいだけ。
 どうせこれは僕の変な思いこみ+我侭だ。僕がどう思おうが、御伽噺の端っこには不幸なまま人生を過ごし、話にさえ残らないような王子が居たんだろう。精々主人公である「最後に幸せを掴む」王子を褒め称えるための比較対象程度に一文があるぐらいなんだろう。

 『御伽噺の王子は最後には幸せになる』
 これは、嘗て「王子」に成りたがった僕の残骸がささやく虚言かもしれない。

2000年03月30日(木)


 僕が気にしている事
 親とまた大喧嘩してしまった。
 少なくとも4年間は自分のテリトリーから僕がいなくなるはずだと思っていた親にとっては、後一年、もしかしたら更にいるかもしれないという状態は耐えがたいのだろう。
 適当な大学に行く筈だったのに、もっと上の大学を受けようとし始めたときも、親はいらついていた。
 僕が一番変えたいのは僕。僕が一番わからないのも僕。僕が一番嫌いなのも僕。僕が一番気にしてしまうのも僕。   
 だから、僕が一番気にいる友達はいつも、僕と行動パターンが似ている娘。  
 僕によく似ていて、それでも僕とは違う僕、それが僕は好き。  
 完全には僕じゃない、だから完全には嫌いじゃないまま、好きな部分だけが感じられる。
 そんな友達ばかりだ。僕の親友は。

 僕は自分が嫌いだから、僕の母親も嫌いなんだろう。僕の母親は僕が自分に似てるのに違う部分があるから厭だって言った事があるし。
 嫌いなものは嫌い。でも、僕は僕が変えなきゃ誰も変えてくれない。
2000年03月25日(土)


 機械仕掛け
 
2000年03月24日(金)


 受験意識
 はぁ…僕がかなりいい加減な気持ちで、大学受験していた事が、やっとわかりました。
 受験結果を知らせる郵便局の「レタックス」の申しこみ学部を間違えて…「文学部」を受けたのに、「法学部」としてしまったんです。
 前期日程で受けた大学は法学部を受けたので間違えたようです。

 こんな間違いをして一番困ったのは、後期日程で受けた大学に受かってるのかどうかさっぱりわからない事です。
2000年03月22日(水)
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