思考過多の記録
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2010年06月10日(木) 焦り

 1年前の今頃、何をしていたのか全く思い出せない。
 おそらく、日がな1日、家の中に閉じこもってぼんやりしていたり、布団に寝込んでいたりしていたのだろう。
 5月に2回ほど、今年の9月に予定していた芝居のオーディションで役者さん達に会ったりしたが、その後は特に何もしていなかった気がする。



 もともと僕から芝居をとったら何が残るのかという状態の中で、2007年12月以来芝居を打っていなかった上に、健康上のことがあって2008年7月と今年の9月の2回の芝居を流してしまった。
 その間に、僕の芝居に出てくれた役者さん達、またオーディションに参加してくれた役者さん達は、様々に動いていた。
 いろんな舞台に出演する人、新たに仲間とユニットを結成した人、映像やナレーションを中心にした事務所に所属した人、またフリーから劇団所属になった人…。
 実に様々である。
 これまでよりも大きな劇場で公演をするようになった人達もいる。
 また、その活動をブログで報告したり、「いつからいつまで、こういう芝居に出ますので見に来ませんか」というお誘いのメールをくれるなど、自分の活動のアピールに余念がない。



 こういう動きを見ていると、何だか自分だけが何年も前から動きを止めてしまっているように思えてくる。
 確かに昨年、僕は自分の劇作方法を見つめ直そうと、日本劇作家協会主催の戯曲セミナーに参加した。が、これも病気のお陰で、かなり中途半端な参加になってしまい、全日程の半分ほどしか受講できなかったばかりか、受講生の最終的な課題である、上演時間60分の戯曲を書き、希望する講師(劇作家)に提出するということもできなかった。
 結局、2008年、2009年、そして2010年の半分を、僕は何もせずに過ごしていたようなものである。



 「時は金なり」という。過ぎ去った時間を取り戻すことはできない。
 それ以上に、僕が止まっていた間に、今まで僕と絡んだ人達が充実した時間を過ごし、それぞれにいろんなものを得て成長していった、その差を縮めることはできない。
 その事実が、僕を焦らせる。
 その上、僕はこのところ、自分が確実に年老いているという事実を再確認させられ続けている。
 何しろ、気力・体力が続かないのである。
 休みの日でも、平日に時間がないために書けなかった文章を書こうと思うのだが、思うだけで、まるきり頭が働かない。それに、文章をまとめる作業が億劫に感じてしまうのだ。こんなことは、10年前には考えられなかったことだ。
 あんなに楽しかった劇作も、遅々としてすすまない。
 物事を構想する力、そしてそれを作品として構築していく力が、確実に落ちているのを感じる。



 そうはいっても、最近亡くなった井上ひさしさんなどは、僕よりも随分年上で、なおかつ最後まで現役でいらっしゃった。「遅筆道」と自ら名乗りながら、ちゃんと最後には素晴らしい作品を毎回作り上げていた。
 年齢的な限界は人それぞれだとは思うが、僕もまだまだ終わりというわけではない。
 そう思いたい。



 それでもやはり、焦りは募る。
 僕はどこまで行けるのか。
 僕は、先に行ってしまった彼等に追いつくことができるのか。
 誰にも答えが分からないだけに、なおさら焦る。
 焦っても焦っても、今はまるで夢の中で必死に走っても足がもつれて動かないような状態。
 何かきっかけがあれば動き出せそうな気もするのだが、誰がそのきっかけを与えてくれるのか、それさえも分からない。



 夢ならば、早く醒めて欲しい。


2010年06月07日(月) 略奪愛に向けて

 この前書いた彼女のことだが、よく考えてみると、どうして彼女なのかがよく分からない。
 彼女とは4年ほど前に芝居で知り合った。
 当時制作スタッフをやってくれていた人から紹介された女優の卵で、会った時、彼女は19だった。
 結局僕は、彼女と2本の「仕事」をした。



 彼女は年齢の割には落ち着いていたが、芝居の時等に出してくるアイデアは奇抜で、普段は元気な女の子、というイメージだった。
 芸能人でいうと、女優の岩崎ひろみをちょっとマイルドにした感じである。
 もっともこの頃、僕は彼女のことを普通の「出演者」としか見ていなかった。
 彼女に、もう付き合っている男がいて、週末というと稽古場から彼氏の家に帰って行くところを見ていたし、第一年齢が違い過ぎていた。



 彼女とプライベートで出かけたのも、この間一回だけ。確か渋谷に観劇に行ったくらいである。開演が19時だったため、職場から直行した僕には芝居の前には話す時間などなく、芝居が終わってから1時間くらいお茶した程度である。
 あとは、昨年の夏、その当時通っていた日本劇作家協会主催の戯曲セミナーの受講生で作品の「自主発表会」があり、そこに役者として出演してもらった。
 ただ、この時は彼女が別の現場を抱えていたこともあってなかなか稽古場に来られず、しかも本番の日は僕が体調を崩してしまって現場に行かれなかったため、このときもあまり話す機会はなかった。



 ただ、その限られた稽古の後、彼女とうだうだと馬鹿話をしながら帰るのが、僕にとってはとてもリラックスできて、楽しい時間だったように記憶している。
 今回の感情の迸りは、おそらくその辺から出ているのではないかと思われる。



 いずれにしても、もっと彼女との時間を過ごしたい。
 彼女に側にいて欲しい。
 そうしたらどんな生活になるのか。僕は、そして彼女は、何を感じるのか。
 それを知りたいのである。
 動機といえば、おそらくそれが一番大きいだろう。
 勿論、彼女が愛嬌ある可愛い女性だということも大きいが。
 大きいといえば、女性の中でもやや大柄な彼女は、僕よりも身長が高い。
 したがって、2人が並んだ時の見た目のバランスはあまりよろしくない。
 彼女自身、自分の彼氏の条件に「自分よりも背が高いこと」を挙げている。
 残念ながら、この条件に僕は見事に当てはまらない。



 しかし、それが何だというのだろうか。
 世の中に男の方が背が低いカップルは結構いる(筈だ)。
 とにかく僕は、繰り返すが、彼女ともっと長く一緒に過ごしたいのだ。
 あの去年の夏のような緩やかで癒される時間が流れるのだとしたら、こんなに幸せなことはない。
 そのためには、当然今の彼氏から彼女を奪い取る必要がある。



 もしうまくいけば、これは紛れもなく「略奪愛」となる。
 「他人様のものには手を着けない」
というのを基本方針にしてきた僕にとっては、大きな方針転換となる。
 しかし、そう簡単にうまくはいかないだろう。
 失敗した時、こちらの受ける傷は深い。
 場合によっては、もう二度と彼女と会えなくなるかも知れない。
 今までは、それを恐れて行動できなかったのだ。
 だが、今度ばかりは後に行くわけには行かない。



 まず、決戦は今月末。
 2人で観劇を氏に生き、食事をしようと約束している。
 そこでどういう行動に出るのが一番いい結果をもたらすか。
 今からじっくり考えておかなければならない。


2010年06月04日(金) 何故当たり前の幸せが許されないのか

 やはり、こうい結末になるのか、そう思わざるを得ない。



 前に、僕の誕生日にメールをくれた女性のことを書いたと思う。
 僕は、彼女のことがずっと気になっていた。
 そして、彼女を好きになった。理由は分からなかった。でも、好きだった。



 前に彼女によく会っていた時、それはもう3年も前になるのだが、その時彼女には彼氏がいた。しかし、その後、彼女のブログなどから彼女の動向を見ていると、何故かその「男」の影が見えなくなっているように僕には思えた。
 僕はチャンスだと思った。
 僕は、彼女を食事に誘った。



 そして昨日届いたメールには、
「彼氏がヤキモチヤキなので、…」
と書かれていた。
 食事にはOKしてくれたものの、僕は彼女が男と別れていない(または、別の男を作った)という事実を知ったのだった。
 僕のカンも随分といい加減なものだと思った。
 それとも、「彼氏がいて欲しくはない」という思いが、僕の目を狂わせたのだろうか。



 いずれにしても、彼女には恋人がいた。
 もしかしたら、彼女と一緒に人生を歩いて行けたら、とまで思っていた。
 彼女のことを考えれば幸せで、側にいてくれたらもっともっと幸せだろうと思っていた。
 そして、僕も彼女を幸せにしてあげようと思った。
 どんなことをしても、彼女の幸せを守りたい、彼女の笑顔を見続けていたい、本気でそう思っていた。
 そんな気持ちになるのは久し振りだった。いや、もしかすると初めてだったかも知れない。



 もし神様がいたら、問いたい。

 何故僕はこんなに試練に耐えなければならないのですか。
 愛する人と一緒にいる、愛する人が自分を愛してくれる。そして、ふたりで幸せを築き上げる、そんな人として当たり前の幸せを享受することを何故あなたは許してはくれないのですか。
 こんな惨い仕打ちに耐えなければならない悪行を、僕がいつやったというのでしょうか。
 一体これは、何に対する報いなのですか。
 一体僕がどうすれば、この呪いが解け、人として当たり前の「愛」を僕は受け取ることができるのでしょうか。



 どうして彼女は、「僕」でななく「彼」を選んだのか。
 単に出会った順番なのか。それとも、もっと別の理由なのか。



 久し振りに人を本気で愛した、体中に力を漲らせてくれるような喜ばしい気持ちは、一瞬にして体中を締め付ける茨へと変わってしまった。
 人を愛することが苦痛ではなく、苦難でもなく、本当に喜びであるような時を、僕は死ぬまでに迎えることができるのだろうか。



 彼女は、本当に幸せをもたらしてくれる「その人」ではなかったのだろうか。


hajime |MAILHomePage

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