思考過多の記録
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2001年02月24日(土) 顔の見えないコミュニケーション

 以前この日記で、メールの方が手紙よりも直接相手とつながっているように感じる、という趣旨の文章を書いた。ネット人口は増えたが、当然のようにやってない人も世の中には存在してる。そういう人達の目には、ネットをやっている人間というのは、かつてのパソコン通信をやっている人種と同じ、得体の知れない存在に映るらしい。
 先日、20代後半と若いにも関わらず、これまで携帯メールを含めてネットには一切手を出していない女性と話した。人間関係、特に言葉によるコミュニケーションにこだわりを持つ彼女は、ネットでのコミュニケーションに対して批判的であった。彼女曰く、ホームページにしろメールにしろ、全く面識のない相手に対して自分の内面を表出するという行為は、自分には全く理解できない。自分を表現したい(言いたいこと、考えていることを伝えいた)のであれば、自分の周囲の人間に、顔を実際に見ながら伝えればいいではないか。なぜわざわざ普段会えないような、知らない人間を相手にしなければならないのか。それに、ホームページや掲示板等で自分の意見を表明することは、伝わっても伝わらなくても構わない、どんな影響があっても関知しないという、いわば一方的な言いっ放しであり、無責任なのではないのか。
 彼女の主張にはある種の誤解と偏見がある。それは、彼女がネット出現前のコミュニケーションのルールを、ネットに当てはめて考えているからだ。確かに顔の見えないコミュニケーションは不安である。匿名性を悪用した犯罪も数多く起こっているし、それがセンセーショナルに報じられ、社会問題化することもある。年齢を詐称していたがために相手と実際に会うことができず、ストーカーと化してしまった判事の妻の話は記憶に新しい。また、悪意かちょっとした悪戯心かは別として、ネット上で性別や職業を偽っている人間はこれまた星の数ほど存在しているだろう。チャットのように他愛もないお喋りを延々と続ける使い方もあるし、あまたのホームページの中には、発信する必要性をあまり感じられない情報を載せている、自己満足としか言えないところも結構多くある。だからといってネット上のコミュニケーションが全て虚偽で無意味なものだとは、僕には思えない。
 ネット上で出会った人とチャットで盛り上がったりメールのやり取りをしたりするというコミュニケーションのあり方は、従来のルールでは表面的で安易な結び付き方かも知れない。もっと時間をかけてお互いを知り、じっくりと深めていくのがこれまでの顔を見ながらの人間関係だったからだ。では、顔が見えなければ人間関係を深めることはできないのだろうか。平たく言えば、メル友は親友にはなれないのか。そうだとも言えるが、必ずしもそうとは言えないというのが、現時点での僕の考えである。というのも、「親友」というもののあり方が、ネット上とその外側とでは違ってきているのだ。そのどちらかが絶対的に正しいというわけでもあるまい。それに、顔が見えていても表面的な付き合いというのは僕達の周りに氾濫している。日常の人間関係の9割方がそうだと言っても過言ではない。また、たとえ面と向かっていても、本心を隠して完璧な演技をする人は数知れない。そもそもコミュニケーション自体が「命懸けの飛躍」なのである。自分の思いがいつでも相手にストレートに届く保証はない。その困難さと、それでもつながりたいという思いは、顔が見えていようといまいと変わらない筈である。むしろ表情や仕草といった伝達手段が使えないネット上でこそ、それは顕著に現れる。だからネット上では、ある種の技術と真剣さが求められるのだ。
 不思議なことに、身近な人よりも、会ったこともない人に対しての方が、素直に自分をさらけ出せるという人間は結構多い。それは一般にいわれるように「現実の人間関係からの逃避」ということではないと思う。そこにあるのは、新しい人間関係である。何故なら、「ネット」という場所にアクセスすること自体が、「関係性」のただ中に飛び込むという行為だからだ。
 顔が見える生身のコミュニケーションには、ネットにはない困難さと楽しさがある。だからといって、それがネットに比べて上位にあるとか正常だということにはならない。僕はネットを通じて何人かの人と知り合い、顔を見たこともない彼(女)等とメールの交換もしている。その人達のメールを読んでいると、「嘘」が書かれていないのが分かる。その言葉からはその人の人となり(「顔」)が浮かび上がってくる。それは、とりもなおさずその人達の生の「心」と向き合っているということなのである。


2001年02月18日(日) 軍隊が守るもの

 日本の漁業実習船とアメリカの原子力潜水艦がハワイ・オアフ島沖で衝突事故を起こし、実習船側に怪我人と行方不明者が出ていることが、連日大きく報道されている。現場の状況から察するに、現在発見されていない人達は、おそらく船とともに水深670メートルの海底に没しており、もはや絶望であろう。生き残った人達も、体は勿論だが、それ以上に心に大きなダメージを受けている。潜水艦と民間の船の衝突事故はこれまでにも何件も起きているのだが、その度に様々な問題が指摘されている。今回も信じられないような事実が徐々に明らかになってきて、あらためて「軍」というものの存在について考えさせられる。
 軍隊の存在目的は、国民の生命と財産を守ることにあるとされる。アメリカなど所謂‘大国’の場合は、これに世界全体(または自国が所属するか、もしくは自国の利益に関係の深い地域)の秩序の維持という、より広い目的が加わる。また、日本にいるとあまり意識しない役割として、自国内の秩序の維持、平たく言えば現政権への反対勢力(や国民)の攻撃の封じ込めというのもある。これが実は結構曲者だったりするのだ。この目的を遂行しようとすれば、軍隊は自国民に対して武器を向けることになる。
 潜水艦の事故で思い出されるのは、昨年夏に起きたロシアの原子力潜水艦の沈没事故である。あの時、乗組員全員が鑑内に閉じこめられた状況の中、ロシア政府は外国からの救援の申し出を頑なに拒み続け、自国の低い能力と技術のみで対応し、徒に時間を浪費した。その結果全員が死亡したわけだが、その理由はひとえにロシアが軍事機密の漏洩を恐れ、人命よりもそれを重視したからに他ならない。事故直後に救援の申し出を受け入れていれば、あるいは生存者がいたかも知れない。しかし、軍隊が守るべきは兵士の命ではなく、「国」の安全(と威信)だというわけで、どんなことがあっても他国に手出しをさせるわけにいかなかったということなのだ。つまり、少なくとも政府や軍の中枢は、始めから兵士達を救おうなどと本気で考えてはいなかったのだ。むしろ原潜もろとも海底に永久に没してくれていた方が都合がいいとすら思ったかも知れない。酷い話であるが、これが軍隊の本質である。
 今回のハワイでの事故は、ロシアの事故とは大分事情が異なる。だが、同乗していた自国の民間人へのデモンストレーション(サービス)のために、本来は行うべきではない場所で危険を伴う緊急浮上を行ったこと、しかもその操作を民間人に「体験」させていたことなどが、結果的に一隻の民間船を沈めることにつながったことを考えると、人命よりも国の威信を重視する軍の体質が現れた事故だといわざるを得ない。また、原潜が自分から電波を発して周りの物体を探知するソナーを使っていなかったのも今回の事故の一因だといわれているが、それがやはり軍事的な理由(潜水艦が自分の場所を知らせることになるのを避けるため)からだということを聞くにつけ、一体軍隊は何を守るために存在しているのかと問いたくなる。
 日本の自衛隊も軍隊である。80年代のある時期に出された「防衛白書」には、「自衛隊が守るべきは自由主義国家体制」とはっきり謳われていた。さすがに今はそういう露骨な表現はしていない。が、自衛隊の性質自体が変わったとは思えない。「国を守る」というときの「国」は国民の生命や財産ではなく、ましてや文化や自然などではなく、「自由主義」や「国家体制」という実態のないものだというわけである。目に見えないものを、人の命よりも優先する。それこそが軍隊なのだ。末端の兵士一人一人はそうは考えていないかも知れない。しかし、組織としての軍隊の本質はそこにある。だから僕達は、軍隊に過剰な幻想を抱かない方がいい。「国」を守るためだと判断すれば、味方である筈の彼等が、僕達の頭上に爆弾の雨を降らせるかも知れないのだ。


2001年02月13日(火) 国政をあずかるということ

 日本史に動乱期はいくつかあるが、有名なものは戦国時代と幕末であろう。戦国時代は多くの映画やドラマに取り上げられるが、幕末はそれ程でもない。NHKの大河ドラマでも、戦国ものは高視聴率を上げるが、幕末ものは低迷するという。同じように国の大きな変わり目でありながら何故受け入れられ方が違うのか。理由のひとつは、戦国時代は混乱を極めながらも、基本的には力のある大名が天下統一を目指してしのぎを削るという分かりやすい展開であるのに対し、幕末は江戸幕府の滅亡と明治維新という結論は見えているものの、そこに至る過程は極めて複雑で、敵・味方の入れ替わりも激しく、非常に分かりにくくとっつきにくいという印象が強いことがある。これは、戦国時代が室町幕府という権力の空白を埋めていく過程であるのに対して、幕末は幕藩体制とそれを支配する徳川幕府という権力の崩壊の過程であり、全くベクトルが異なっているためである。
 幕末で脚光を浴びるのは、坂本龍馬や高杉晋作といった所謂「改革派」の志士たちや、新撰組といったあたりであろう。勝海舟や西郷隆盛をあげる人もいるかも知れない。いずれも若い力を維新に捧げた、もしくはその時代の動乱の中で非業の死を遂げた人達である。当然、多くの人の共感を得やすい。ただ、僕はこうした人達ではなく、普通あまりよいイメージを持たれない一人の政治家のことが何故かずっと気にかかっているのだ。
 井伊直弼といえば、あの歴史に名高い安政の大獄という大弾圧の後で、桜田門外の変で敵討ちのように暗殺されてしまう当時の幕府の(ということは国政の)最高責任者(大老)である。改革派を大勢殺したということで、一般的にイメージは悪い。だが、僕はこの人に非常に興味がある。忘れではならないのは、この人は鎖国を終わらせ、日米間の国交を開くことになった条約を結んでいることだ。これは、今日の僕達の想像をはるかに超える非常に重い決断だったと思う。黒船に脅かされてという側面はあるし、天皇の許可を得なかったということで批判もあった。が、当時の反対派(攘夷派)は自分たちの国の現実を見ずに、外国をうち払うべしと観念的に主張していたのだ。そんな中、国論を二分するような大問題、しかも今後の日本全体の進路を大きく左右する決定を下さなければならない立場になってしまった彼の苦悩は、現代を生きる僕達には推し量ることさえできない。結果としてこれは正しい判断だったことは、その後の歴史を見れば分かる。もしこの時、攘夷派が実権を握ってアメリカとの交渉を決裂させていたら、下手をすれば今頃この場所は欧米のどこかの国の植民地だった可能性もあるのだ。
 こうした幕府の政策をスムーズに推し進めるために、反対派を排除して幕府の基盤を強化しようとしたのが例の大弾圧になってしまうのだが、これは一般に漠然と考えられているような、直弼の個人的な資質に起因する事態ではないのだ。元々文化人である彼が、反対派の弾圧に際してかなり苦悩していたことを示す資料も見つかっている。直弼が独裁的・強権的だったとしても、それは自分自身の利害や権力の維持のためではなく、あくまでも幕府による秩序の安定を回復しようという義務感ゆえである。独裁者ヒトラーの、ゲルマン民族による世界支配という大目標を達成するための強権政治とも違う。外からの脅威と、内からの攻撃で穴だらけになった徳川幕府という巨大な船を、何とか沈まないようにどこかの岸辺まで運ぼうと必死になった彼の姿は、まるでJAL123便の機長のようで、本当に痛々しい。新しい船を造り、時代を変えようとした龍馬のような人達は、苦しくとも希望を語ることができただろう。だが、現体制のトップの直弼にはそんな悠長なことをしている暇はなかったのだ。
 そんなしんどい立場から、彼は最後まで降りなかった。反対派の攻撃から身を守るために身を引けという忠告を無視し、襲撃の噂があるので行列のお供の人数を増やしてはという提案も退けたのは、直弼に「保身」という思想がなかったことを示している。暗殺事件の当日も、所謂「たれ込み」の手紙を受け取っていたのに、予定通りお城に向かったのだった。
 あの混沌とした時代、「自分」を顧みず、文字通り命を懸けて国政を行っていた彼こそ、本当の意味での「政治家」だと思う。勿論、だからといって安政の大獄のような事態を無条件に肯定するわけにはいかない。だが僕にいわせれば、理想に燃えた若者達の力で成し遂げられた「維新」のおいしいところだけを持っていってしまった伊藤博文や大久保利通ら明治の「元老」達の方が、狡猾な分たちが悪い。ましてや、自分の国の船が潜水艦と衝突したという緊急事態が起きても、知人とのゴルフをすぐにやめなかった現在の国の最高責任者とは、全く比べものにならないことはいうまでもないだろう。


2001年02月10日(土) 失われた「場所」

 物理的に区切られたある空間を「場所」というが、それは様々な記憶や感情といった目に見えないものと不可分に存在する。地縛霊の話を持ち出すまでもなく、誰にでも思い出の場所というものがあるだろう。その場所に立てば、かつてそこにいた時の自分が甦ってくるような場所だ。あの時の自分の気持ちや感じていたことが、風や空気の肌触り、臭い等ともにまるでつい昨日のことのように思い出されてくる。勿論楽しいこと、嬉しいことばかりではない。二度と思い出したくない出来事を体験した人は、その記憶と深く結びついた場所を決して訪れようとはしないだろう。「場所」(トポス)には、そこにまつわる情念(パトス)を想起させる力があるのだ。
 一番身近で分かりやすい「場所」は、自分の家である。毎日毎日同じ所で生活しているから、こうしたことは普通意識されない。だが、一度でも引っ越しをしてみればすぐに実感できるだろう。僕自身は、かつて2歳、小学校5年生、中学校2年生、そして社会人になる時の計4回引っ越しをしている。最初の家の記憶は当然のようにない。そして、小学校時代の前半を過ごした東京郊外の小さな平屋は、僕の家族の後、叔父一家が暫く暮らしていた。庭に車庫を作ったりした他は殆ど手を加えずに住んでいたので、たまに遊びに行くと、家の柱に昔の自分の身長をペンで記入した線が何本も残っているのを見ることができた。共働きの両親が帰るのを、この家の暗い部屋で一人でひたすら待っていた心細さが思い出されたものだ。数年前に叔父の家族が引っ越した後も、この家は暫くそのまま残っていたが、去年あたりにとうとう取り壊されてしまったようである。その後に住んだ下町の集合住宅も、演劇に出会う等最も多感な時期を過ごした郊外の家も、今は建て替えられて跡形もない。そんなわけで、僕は自分の生きてきた様々な時代を想起する最も身近な「場所」を失ってしまった。
 そんな僕の中で、思春期の思い出と結びついた大切な「場所」として存在していた所がある。高校時代の友人の家である。郊外に延びた地下鉄の駅から少し歩いた道路沿いに立つマンションの一室で、角部屋のためよく光が入った。高校時代に同じクラスだった彼から、僕は多大な影響を受けた。彼も僕の考え方や演劇、そして演劇部の可愛くてエキセントリックな後輩達に興味を示した。僕はよく彼の家に遊びに行っては、レコードを聴いたりテレビを見たりしながら、時には朝まで色々なことを語り合っていたものである。演劇部の後輩達を連れて行って遊んだこともあった(こうして知り合った後輩の一人と、後年彼は結婚することになる)。そうこうするうちに彼は僕の演劇活動に巻き込まれていき、僕が最初に自分でプロデュースした芝居に出演することになってしまったのだ。その芝居の打ち上げに、当時彼だけが住むようになっていた彼の部屋を使ったのが縁で、その後2回の芝居の打ち上げは彼の家でやることになったのである。
 たった3回だけとはいえ、年に1回しか公演が打てなかった僕なので、その時その時で色々なことがあり、僕自身の当時の状況の変化とも相まって、それぞれに思い出深いものがあった。本番までの苦労を語り合い、役者論や作品論、さらには「これからどうする」といった切実な問題まで、酒を飲みながら朝まで彼も交えて話していた(当然、次の日は彼も僕も仕事を休んだ)。その年によって替わるメンバー達のカラーによって雰囲気は違うし、話される内容も少しずつ変化する。「去年はこんなことで悩んでいたんだな」と少しだけ進歩した自分達の活動を実感したりしたものである。その後、彼が結婚したこともあって、彼の家からは足が遠のいていた。それでも、あの「場所」がそこに存在していることはどこかで僕の支えとなっていた。
 そしてつい昨日、一通の葉書が届いた。それは、彼が懐かしいあの家から転居したことを知らせていた。こうして、僕は自分の家と同様に、大切な「場所」を失うことになった。そして、その「場所」に関わる記憶と情念だけが、戻るべき場所を失って僕の中で浮遊している。


2001年02月07日(水) 雪と日常

 先週末大雪に見舞われた首都圏は、その後1週間概ねよい天気に恵まれた。にもかかわらず、雪がほぼ完全に溶けきるのに1週間以上を要した(まだ残骸が残っている場所もある)。あの雪による交通や生活の混乱と大騒ぎがメディアで大きく報じられ、雪国の人達は「またか」とうんざりしたことだろう。
 都市部で生活する人間にとって、雪はいわば‘非日常’の出来事だ。たとえ積雪2,3センチの「うっすらと雪化粧」程度であっても、僕達の周囲の風景は一変する。あの見慣れた、雑然として何処といって特徴のない街並みがまるで別世界のようになる。夜であれば、月明かりや街の灯が降り積もった雪を照らし出し、まさに「夜の底が白くなった」という『雪国』の描写そのままに、夜の闇の下からぼうっと光を放っている。その天の暗闇から吐き出されるように白い雪が次々と現れ、地上に舞い降りてくる様は圧巻だ。日が昇れば太陽の光を浴びた雪は白く輝き、その照り返しは強烈である。雪外の大抵のものは黒ずんで見え、空の青もその濃さを増す。「銀世界」という言葉はゲレンデだけのものではない。街全体が銀色に輝くのだ。
 こんな風であるから、雪はある特別なイベントのための‘小道具’としては最適だ。クリスマスイブに雪が舞うのと舞わないのとでは、結ばれるカップルの数が一桁は違うのではないかと思われる。ドラマも映画も舞台も、ここぞという場面になると雪を降らせてみせる。‘ベタ’な処理なのだが、それだけでそのシーンが感動的になるから不思議だ。そういえば、桜田門外の変も2.26事件も雪が降っていた。それだけで何かただならぬ悲壮感が漂う。主人公たちが直面する日常とは違うシチュエーション。雪はそれを象徴する。雪はあらゆる錯覚を誘発する薬のようでさえある。
 しかし、都市部の雪景色は1年に数えるほどしか現れず、どんなに頑張っても3日くらいしかもたない。雨でも降ろうものなら、一夜限りで終わりだ。日常は何事もなかったかのように我が物顔で戻ってくる。だから都市部の雪は、儚さの象徴でもあり得る。初恋も、夢も、欲望も、人の命さえ、淡く消えてゆく雪のようだ。僕は空き地や家々の屋根を覆う雪を見る度に、夢は儚く消えゆくもの、この世に常なるものはない、という感慨にとらわれる。だからせめて、できるだけ長い間雪が降り続き、日常への帰り道を遠ざけてほしいと願ってしまうのだ。
 だが、これは僕が太平洋側の都市部の住人であるからこその感慨である。雪国の人々にとっては、おそらく雪は全く違う存在であろう。いつもの風景のちょっとした飾り付けにとどまらない。雪は世界の全てを凌駕する。その時点までの人間の日常生活の都合などお構いなしだ。しかも、容赦はない。あっという間に人間の背丈を遙かに超えて降り積り、吹雪は視界を奪い、生き物たちの動きを封じる。雪国に暮らす人々にとって、一面の雪景色はある時期におけるもう一つの日常風景である。放っておけば道を消し、建物をも押し潰す‘ならず者’と辛抱強く付き合わねばならない人々の多くは、「雪」という言葉に甘美な響きを感じないだろう。むしろ、雪を溶かして流れ出す川の音や、雪の下から芽吹いてくる草花達を、また雪の間から黒々と現れるアスファルトの日常の訪れを待ち焦がれながら、白い日常を黙々と過ごしていることと思われる。
 とはいえ、雪が文学や絵画など芸術一般に多くの素材やインスピレーションを提供し、今も多くの人達の心を動かしているのは、雪が「白い」ことに起因しているのではないかと僕は考えている(雪が黒や赤だった場合を想像してみてほしい)。どんな色にも染まり、純粋さの象徴でもある「白」。決して純粋ではあり得ない僕達の日常を白く覆ってくれるのは、天の仕業以外不可能なことではある。
 今週半ば、首都圏は再び雪の予報が出ていた。が、今回は残念ながら雨になりそうである。


2001年02月02日(金) 話を聞く男、地図が読める女

 「話を聞かない男 地図が読めない女」という本がある。これが結構ベストセラーになっている。この本の著者自身、本に書かれた通りに考えることで夫婦喧嘩をしなくなったという。何とも有り難い本だ。曰く、男と女はそもそも脳の作りが違うのだから、それぞれに適正があり、感覚も違う。「理解できない」とお互いが思う部分があるもの当然である。そのことを分かっていれば、お互いの無理解から衝突を起こすということはなくなるだろう。…なるほど、もっともな主張に思える。しかし、こんなもので目から鱗が落ちたり夫婦が円満になったりするのだろうか。もしそういう人達がいるとしたら、一体彼等はそれまでパートナーの何を見てきたというのだろう。
 人間に限らず、生物の雄と雌には性差がある。これは当然のことだし、否定することはできない。雌雄それぞれに役割が分担されていて、それをこなすことでお互いに生き延び、子孫を残している。それはDNAの中にプログラミングされている営みだ。人間の場合、それに加えてジェンダー、すなわち文化的に規定された性別役割というのがある。この2つがしばしば混同されるのでやっかいなことになるわけだが、ここではそのことには深入りしない。いずれにしても、男女それぞれが認識や感覚の一定の傾向性を持つことは事実であろう。問題なのは、性別による特性や差異ばかりが強調され、個体差が無視されているということだ。「脳」だの「原始の生活」だのを引き合いに出してくると、まるでそれは反論を許さない絶対的なものであり、僕達の存在のあり方を完全に規定しているかのように感じられてしまう。だが、本当にそうなのか。
 例えば、ある時期まで男性の就く職業と女性がつくそれとははっきり区別されていた。だが現在ではその境界線はかなり曖昧になっていて、男性の「保母」=保育士や「看護婦」=看護士がいたり、女性の医者や弁護士、重機の運転士、兵士までいる。家庭を持たずにキャリアを重ねる女性がいるかと思えば、仕事よりも家庭を選ぶ‘主夫’がいたりする。スポーツの種目なども然りである。いずれもかつては男女の性差によって適性が異なると思われていたものだ。だが、その定説に大した根拠がなかったことは、実際の数多くの事例から明らかである。脳における認識の働きを司る部分の構造が如何に違っていようと、育った環境や受けた教育、文化の違い等でそれはいかようにも変わっていく。そこに個体差が生まれ、それがさらに多様な人間の営みや文化を形成していくのだ。
 自分とパートナーとは違う感覚・認識の傾向性を持つのだと認識することは大切なことである。しかしそれは「男と女」だからということではない。人間はどうしても自分の価値観や認識の枠組みに当てはめて物事を見がちだ。そうすると、当然相手の行動や言動が理解不能な場合が出てくる。その時、力関係によって自分の価値観を押しつけたり、無理矢理自分の認識の枠組みに相手を当てはめて理解したような気になったりすることで事態に対処したとすれば、それは思考停止である。これは根本的には何もしていないに等しい。「話を聞かない男 地図が読めない女」的理解および対処法とは、「男と女」という別の枠組みを導入し、それによって全てを解釈しようとしているだけである。言うまでもなくこれは思考停止状態であり、本当の意味で相手(や自分)を理解することにはならない。何故なら、この枠組みからこぼれる人間に対しては、結局は自分固有の認識にあてはまらない人間に対するのと同様の対処法をとるしかないからである。
 基本的に物事は複雑である。ましてや「人間」に関することとなればなおさらだ。それ故僕達は、ついつい単純な図式による理解を求めたがる。「男はこういうもの」「女はこういうもの」と言っていれば、それ以上考えずにすんで楽だからである。そのことに自覚的であるうちはまだよいが、図式が全てだと本気で思い込み始めるとたちが悪い。異性であるパートナーを本当に理解しようと思ったら、そうした図式を捨て、自分の認識の枠組みにできるだけ縛られない状態で相手と向き合うことである。これは言葉で書く程容易いものではない。だが、コミュニケーションとは本来そういうものである。そのことがあらゆる困難を伴いながらも同時に喜びでもあり得るような相手こそが、自分にとっての真のパートナーなのではないだろうか。
 僕の知り合いには「地図を読むのが好きな女」が存在する。そして、僕は「話を聞く男」をでありたいと思っているし、そのためにできるだけ自覚的であろうとしているつもりである。それが「男らしくない」と思われてパートナー不在が続いているのだとすれば、これは僕の認識の枠組みでは対処不能な事態である。


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