Diary?
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2011年07月23日(土) 涼しいので考え事をした

いつから、勇気や元気は与えたりもらったりするものになったんだろう。

最初はたぶん、映画の宣伝か何かで「勇気をもらいました!」などというのを耳にして、だんだんといろんなシーンでマスコミが使うようになったと思う。そう、最初はあくまでも「もらいました!」だったのだ。それにしたって強烈な違和感を感じたけれど。

そしていつの頃からか、「この歌でみなさんに勇気を与えたいと思います!」なんて、与える方の言説まで出現していた。いや、いいんです、与えたい人がいて、もらいたい人がいるんだから。だけれども、個人的には何とも解せない。

勇気や元気なんて、もらうもんじゃないだろう。私の場合は、それは自分の中からしか出てこない。自分でしょうがなく振り絞り、無いものを無理矢理なんとかあるようなことにしてやっていくものなんじゃないのかな。「この歌から元気をもらいました!」ではなく「この歌を聴いて元気が出ました!」なのだ。「勇気をもらいました!」ではなく「勇気づけられました!」なのだ。

与えたりもらったりするようなものは、簡単に奪われてもしまうんじゃないかと思う。もしかしたら失った時の保険のために、もらったことにしてるのかなとも思うけど、勘ぐり過ぎかな。とまあ、そんなふうに言葉尻をとらえてうだうだ考えて遊んでいる性格の悪い中年の戯言よ。


2011年07月10日(日) 阿佐ヶ谷の底力

 阿佐ヶ谷に越してきてから、中央線沿線に在住の友人に「中央線の街の中でも阿佐ヶ谷は魔窟度が終着地点だ、もう抜け出すことはできまい」と言われることがあるのだ。そうなのかなあ?

 越してくる前のイメージとしては、高円寺や西荻窪の方が魔窟的な感じが強くて、阿佐ヶ谷はもう少し穏やかで暮らしやすい、良くも悪くもインテリゲンチャの香りのする街という認識だった。住んで3年経って思うに、それは決して間違いではなく、大変暮らしやすい良い街なのは確かだ。しかし友人の言う「魔窟」の意味も少しずつわかってきた。

 まず、私はお酒が嫌いではないが、そんなにたくさんは飲めないし、飲みたくてたまらないということもない。阿佐ヶ谷に住んでいて、つくづく「この体質で良かった」と思う。酒飲みだったら今頃身体を壊しているところだ。入り浸るに心地良さそうな酒場の多いこと。

 そして昨日、改めて阿佐ヶ谷の底力を実感することとなった。最近はどこの商店街でも、古くからの店が閉店してチェーン店に置き換わっている。阿佐ヶ谷も例外ではないのだが、そんな中なぜか「非常にマニアックな古本屋」が新規オープンしていたのだ。

 古書コンコ堂

 通りかかって仰天した。たぶん他所では潰れていく方の業種だろうこれは。店構えと店頭の安売り棚だけでうっとりしてしまい、店内に吸い寄せられる。たぶん節電中で暑い店内、滝のような汗を流しながらも、楽しすぎてなかなか外に出られない。ご祝儀に1冊は買おうと思ったのだけど、絞りきれない。店頭近くにあった国書刊行会のロシアアヴァンギャルド叢書、箱なしで1冊500円に目眩がして大人買いをしそうになったが、とりあえず芸術左翼戦線の巻を1冊購入した。今後売れてなければちょっとずつ買っていこう。

 お店の人は若い人だった。若い人がこの辺でお店を出すといったら、西荻ならアンティークかカフェ、高円寺なら古着屋とかそういうイメージなのだが、古本屋っていうのが阿佐ヶ谷の文化系底力をしみじみ感じさせる。こういうお店には続いて欲しいから、これからちょくちょく覗いて、時々は高い本も買っていこうっと。


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