NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
kiyo



 夏の思い出 韓国編 その1

NYで英語出来るようになったでしょう?
いえ、全く。代わりに韓国語が・・・。
は?

 こんな会話何度したことでしょう。NYで韓国語ができるようになりました。韓国のお友達が多くできて、寮に住んでいた頃、毎晩のように、コンコンコン!「韓国語の勉強の時間だ(゚∀゚)」ってドアをノックしてくれる方がいたからでしょうか。
 多くの日本人と同じように、NYに来るまで韓国など興味対象でもなかった。焼き肉くらいしか用事が無くて、中国と一緒に大陸の国かー、くらいしか思ってませんでした。
 だから、いま多少韓国語が習得したと行っても、韓国通だとか、韓国好きだとか思われるのは実は違います。(ま、相当韓国の国内事情は詳しくなりましたが。それらの事情はすべてネガティブで、あーこの国には外国からの投資なんてびた一文来るわけ無いんだー、っていう理由が納得できちゃうだけの話)なんとなくできちゃった韓国語でも、あー一応行ってみたい、と思った訳なんです。
 ただ、相当多忙だった私の日本滞在。一日の予定は平均五個。その合間を縫ってどうやって韓国に行こうか。考え出したアイディアは、深夜便でした。深夜十二時出発。帰りの便も明け方三時出発。それでもFAの人とかちゃんと飲み物を配り弁当を出すから不思議だ。
 眠い目をこすって、空港にたどり着く。到着朝二時半。日中動き回り体力の限界なのにバスでホテルまで行く道中、まか不思議な日本語を駆使する韓国人ガイドのテンションの高さが。返事を無視すると切れるし。いや、ツアーといっても、送り迎えだけするツアーなんだから気合い入れないでくださいよ、心の中でつぶやく。そう。ここは日本じゃない異国。空港がある「インチョン」と聞いても私には、あー国際法の講義で国連軍がここで朝鮮戦争の時に上陸したってことを習ったぞ、という、空港があるところというよりも、そんな情報が頭に浮かぶくらい韓国に興味がなかった私。そしてホテルについて一段落。荷物を広げていると部屋の電話が鳴り響く午前四時。何事かと思って、飛びつくと、フロントやらボーイやらが「女を買え!かわいいぞ!」と叫んでる。この国の人は叫ぶのが基本か。なるほど。聞いたとおりだ。っていうか、確かに男一人韓国ツアー参加客なんて風俗目的でしかない、と思うのは納得だけど、朝四時にそんなことをする奴がどこにいるんだ。この国の友達はみんな元気だからなー、とここでも数多くできた友達たちに思いをはせる。
 そして翌日、再会したお友達と有名なミョンドンに。焼き肉屋さんの名前以外に本当にミョンドンという地名があるとは!と、心の中で驚いた。まず、お昼。韓国初食事は餃子だ!十人以上並んでいるのに、数分で席に案内される。色々驚かされる国。お勧めされただけあって、おいしい!(・∀・) ニラとか、食後のにおいなど全く考えなしに入っていて、韓国らしさを感じたけどおいしかった。シュウマイみたいな形した餃子。一緒にキムチがでてくるあたりもコリアーだ!叫びたかった。
 その後、ミョンドンの雑踏を見学。思ったよりも韓国美人が少ない?カップルが多い?女の子同士で手をつないでるぞ。女の子はみんな髪の毛が真っ黒で長い。笑っていない女の子が多い。服装が安っぽい。ピアスが大きい。スタイルがよくない。肌がすごい綺麗。男の子がみんなリードしてる。がっしりしている人が多い。微妙なファッションが多い。路上で売ってるモノが全ておもしろい。その「するめ」を今買ってここにいるカップルたちにどうしろと?地面で食べ物作って売ってるおばさんもいるぞ!不衛生じゃないの?安いぞ!映画館に列が出来ている。身長が日本人より少し高い?っていうか、たった二時間でNYより別世界にいる感じがした。違和感はNYより感じる。そこが面白い!路地裏に入ると妙に中国風だし。
 その後地下鉄を体験。素敵なフリーマーケットや街角があるところ、(名前忘れた。シンチョンの隣だよ。うん。なんとか大学っていうところ)を散歩。へー韓国の若者はこんなところで遊ぶのかー。街角を曲がる度に新鮮な衝撃を覚える。この国で生まれた私の大切なお友達は、この空の下で暮らして育ったのか。そう考えざるを得ませんでした。おわー、おわー、何度叫んだことか。その日の韓国体験はまだまだ続くのだけどまた次の日の記事にしよう。

有名なミョンドンの雑踏


ちょーおいしかった餃子


路上で売っている干物たち・・・イカとかタコとか


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2005年09月26日(月)



 夏の思い出 山中湖編

 東京から車で一時間ちょっと。富士山の麓の山中湖に何度か避難しておりました。日本に帰る前は、ず〜っといるつもりだったのですが、予定が目白押しで、結局三日間くらいしかいることができなかったのでしょうか。それも連続してじゃなくて三回くらいかけて。
 それでも朝晩の自然な涼しさを満喫するには充分です。昼過ぎに起きて、温泉につかり、森の中を散歩。ウィークデイにいったために、誰も誘うことが出来ず、一人で湖の畔を歩いていると、どうもこのまま飛び込んで出てこなくてもいいかな?っていう気分になるから不思議です。
 なによりも!!!富士急ハイランドに行きたい!もう高校生の頃からずっとずっとずっと言い続けてきたのに誰も一緒に行ってくれない。ある人は、絶叫マシーン嫌いだというし、ある人は行くと行っておきながら彼女とかとさくっと行ってきてしまうし。次に日本に帰ったら富士急ツアーやります。堪能します。そして温泉入って帰ってきます。
 写真は山中湖のものはないので、神戸で食べた神戸牛焼き肉。韓国人もびっくりの味だよ。あんなに手間をかけて育てる牛なんて世界中探してもないんでしょうが。


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2005年09月23日(金)



 夏の思い出 岡山編

 ローカル線で長い時間かけて岡山に着いた私は、岡山に住む友人tsutomuくんのところへ。(実名を曝すのに躊躇はないが、なんとなく)彼の自宅前で電話をかけると彼が出てくる。ひさしぶりに会うのに、「久しぶりー!元気だった?」と聞かないのは彼も同じこと。そう。日本に帰り、ほぼ二年ぶりだというのに誰もその言葉を言わない。そんなもの?
 彼の自宅で一休みし、岡山市内で潜水艦の元艦長の講演を拝聴。どうやら潜水艦救難母艦『ちはや』の副長時代の、ハワイ沖での『えひめ丸』引き上げ、捜索の時の模様を語っていた。そんなことより、彼の経歴にある五年前に『ゆうしお』艦長だったあたり、アレは、特殊部隊出撃用のハッチがつけられた特務艦時代なわけだし・・・。彼は今、『潜水医学実験隊』副長と名乗っているが、あれは、その経歴からするの、この学校は実は、特殊部隊訓練の研究もしてるわけですよね・・・?、心の中でずーっとその疑問が続く。ま、聞かないのは約束だ。日本だけなんですかね?ああやって名前とやってることが違うのは?
 その晩念願のワシントンホテルの上の中華料理屋にご家族と一緒に。へー、この部屋でtsutomuさんの家は、お姉様の婚約者の家族との対面をしたのかー。心の中で思うが、それも口に出すのはやめておこう。
 その晩はそのおうちにお世話になり、tsutomuさんと彼のお父様と一緒にドライブに。実を言うと、岡山にきた目的は他ならぬoyaji(もはやハンドルネームといっていい)に会うためなんですね。tsutomuさんよりoyajiの方が絶対気が合うし仲が良い、気がしてならない。
 まずは西大寺。西大寺を有名にしているのが二月に行われる“裸祭り”だ。「宝木(しんぎ)」と呼ばれるお札を裸の男たちが奪いあうという勇壮なものらしい。念願だったので堪能。良い感じにこじんまりしている。ちょっと中国風の門の下でなにやらシートと机を持ち込んで真っ黒に日焼けした少年が、夏休みの宿題の絵を描いているじゃないですか。とても日本な風景ですよね。自由で、のんびりとしていて、なにより生活に余裕がある。他のアジアの国では考えられない。君が「絵」になるよ!と思った。口には出さないけど。
 その後、牛窓、という小さな港町で。そこからフェリーで瀬戸内海の島に渡る。フェリーといっても五分くらいなものだけど。フェリーからはエイが見えたり、瀬戸内海で有名な早い潮流をみたり。全部が素敵だ。見晴らしの良いところからのぞむ瀬戸内海は、いつでも真っ平ら。まだら模様に複雑な「潮目」が確認できるほど。この風景は、やっぱり瀬戸内海でしか見られないし、私が愛してやまない風景の一つだ。
 西日本の風土に本当に惹かれてしまうのです。どうしてでしょうね。いつか住んでみたい、といつも思ってる。なんどもいうけど、八分の一だけ流れる、岡山の血(後の八分の七は東京一だけだけど)が私をそうさせるのでしょうか。口には出さないけど書いてみる。

西大寺山門

門の下で絵を描く少年

牛窓から瀬戸内海を望む

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2005年09月22日(木)



 夏の思い出 神戸編

 日本の夏だな、って思うのはやっぱり日本の夏のにおいがするから。その昔僕が大学生だった頃、それは日本中を駆けめぐった。小さな町の終着駅で電車をおろされ、途方に暮れたときだって、やっぱりこの匂いに包まれていた。湿度が高い日本だと、草いきれのにおいだって立ちこめる。その中で春野翠をほうれん草くらい緑色にしてしまう太陽の光が降り注ぐ。そんな光景に数年ぶりに出会ったのが今年の夏でした。(去年の夏は、アメリカ南東部で長く苦しいドライブ旅行だった。いつでも私の旅行は苦行のようだ。_| ̄|○)
 大阪を後にした私は、友達に会いに神戸に。彼は出会った当日から数時間しゃべり続けたという私にとってすごい友達。それほどしゃべるほうじゃない私が彼といるとエンドレス。昼杉にあった私たちは、明石の市場で、太刀魚とヒラメの刺身を「さく」で買い、彼の自宅でご飯を炊いて、刺身を切り刻んで二人でつまんんだ。その途中もトーク、トーク、トーク。
 そしてドライブ。なんとなく海を見たくて車を出したのだけど、当日花火大会なことに気づき、一転山の方へ行くことに。ついた先が有馬温泉。さすがに温泉の中では会話も小休止。ふたりで温泉につかり、饅頭をほおばり、車で神戸に戻る。そして、夜は神戸牛の焼き肉に舌鼓。焼き肉とは何か、という概念を吹き飛ばしてしまうほどおいしかった。
 それでも、朝の四時まで彼と話し続けたのでした。彼の婚約者も見ちゃったー。また会おう、そして語ろう、と決意する。そして、やっぱり私の旅行=苦行は続く。その日、第二次大戦中の不発弾が発見されてJR線は不通に。おかげでローカル線で延々と岡山に行くことに。それでも、私は夏の匂いに包まれて、幸せだった。しゃべりすぎて少し枯れた喉に神戸牛の余韻は心地良よかった!
 電車の中この思い出と同じ速さで、今年の夏も過ぎていくのを明石大橋を見ながら感じたものでした。



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2005年09月21日(水)



 夏の思い出 大阪編

note:これはmixiで書いたものをほんの少しだけ加筆・修正したものの『夏の思い出』シリーズです。いわばミラーサイトのようなものでしょうか。

 ビザの更新で大阪に行ったんですよ。大阪に行ったら、やっぱり神戸まで行かなくちゃ。そして神戸まで行ったらついでに岡山まで行ってこよう。と、結局六日間くらいの旅行になってしまったんです。
 大阪でのビザの面接は、それはそれは準備は業者を通さず自分でやったので、大変でしたが、いざいってみると一瞬だった。結構面接で落とされる人いたみたいだけど、ちゃんと英語で答えられれば大丈夫。私程度の英語でも合格だった。代行頼むと3万円とか、それ以上かかるんですよね。節約して旅行代にしたわけです。(本当に日本ではお金がなかった)
 そして、大阪ではお友達一人と、USJにいってみたり、骨折をした手でボーリングをしたり。すごいのよ。一球投げる度に、激痛。それをほくそ笑む友達。お礼に写真曝してあげましょう。でも、そのお友達ニートでよかった。平日なのにめいっぱい遊んでくれた。大感謝だ。夜はもう一人追加されて、ご飯を一緒に食べました。そして、そのボーリングの彼女は、酔いつぶれ大変なことになってその日は終わり。写真はボーリング場にて。いや、酔いつぶれたのを曝してもいいのだけど、それは人道的にやばいと思うので、涙をのんで割愛。



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2005年09月19日(月)
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