思い、願い。。
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中学受験日記。 (上の子(娘)の受験は2004年2月まで)

中学受験日記から4年数ヶ月、その間、3人目出産、起業し・・・

2003年05月31日(土) 夢を見た・・・夢の中の弟は子どものまま

夢を見た。

旅行に行くための切符を手にし、友達と弟を連れて一緒に行こうとした。
切符は2枚しかなかった。
考えてみれば、2枚しか買った記憶がない。
きっと友達とだけで行くはずだったが、あとで弟も連れていくことになったのだろう。

どこで追加分の切手を買ったらいいかわからなかったので、改札口のところで尋ねた。
子どもの分をもう一枚買いたいんですけど。

お金を払い、切符をもらう。

そういえば、自分の手の中の切符は、片道切符しかない。
ちょっと遠いところだ。

ホームには、途中で行き先が違う列車が来る。
自分が乗らなければならない電車は何時だろう。
確か、さっき行ったばかりだから、今来た2両しかない電車は違うだろうな。
これは、あまり人が行かないところへ行く電車のようだ。
私たちが乗らなければならない電車は繁華街の方を抜けていくため、
最初は満員だが、1時間もすれば少しずつ空きはじめる、
確かそうだった。
時間も15分置きくらいって聞いたことがあるんだ。
もう一度改札口に行って時間を聞いてみる。

その間に、友達と弟は今来た電車に乗ってしまっていた。

自分の行き先の電車が来るのを待つ人たちの人ごみの隙間から、
電車の窓ガラスの向こうにうつる二人の姿が見えた。
左の車両に座る友達と、右の車両に座る弟。
何も二人で違う車両に座らんでもいいのに。
私は、焦った。
車掌のピーっと扉が閉まる合図を聞き、閉まりかける扉に手をつっこみ、
よくこんなに力があるものだ、と思うくらいの精一杯の力で、扉をこじ開けた。
電車はゆっくり進み始めていた。
車掌が私に気づいたのだろう。
一瞬電車が止まったような気がした。

私は友達と弟が電車に乗ったと気づいた瞬間から、二人の名前を叫び続けていた。
気づいて欲しい、違う電車だということに気づいて欲しい。
気づいて降りてきてほしい。
扉をこじ開けて、やっと友達が私の声に気づき、降りてきてくれた。
私は、まだ気づかない弟の名前を叫び続けていた。
弟はあさっての方向を見たまま、表情ひとつ変わらない。
友達が降りた電車から外に出た瞬間、電車の扉が閉まった。

弟が行ってしまう。
行く方向が違うとも知らない電車に、切符も持たないで行ってしまう。
弟はどこに行くかわかっていないんだ。
どうするんだ。

私は友達と目を合わせると、電車が走り出す方向へ走り出した。
走って、走って、走って、走って、電車は見えなくなってしまった。
走りながら、心のなかで叫んでいた。
私のせいだ。
私がきちんと説明していたら。
私がしっかり手をつないでいたら。
私が目を離さなかったら。
私が、私が、私が。。

次の駅に行っても、弟は見つからなかった。
その次の駅に行っても、弟は見つからなかった。
一体、弟はどこまで行ってしまったんだろう。

とにかく、自分の行くべき場所へ行こう。友達とその場所に向かった。

私が、野菜をたくさん買い物して戻ってくると、
弟はその家族と一緒に食事をしていた。

「どうやって来られたの? よかった、本当によかった。」

私はすごく嬉しくて、私が弟のために、野菜炒めでも作ってやろうと思った。

今、市場で買ってきたばかりの野菜を洗って切り、
共同で料理ができるような場所へ持っていく。
洞窟のようなところだ。
なんだか古臭いどう使ったらいいのかわからないような鉄板に、
やっとの思いで火をつけることができ、
小さなおわんに少し入れてきた油を流し込み、
鉄板に少し煙が上がってか、野菜をほおりこむ。

さて、できあったぞ。

火を消したいがなかなか消えない。
火をつけるときにいじったところを動かしてみるが、
火が大きくなったり小さくなったりするだけで消えてくれない。
困り果ててしまっていると、年老いた男が寄ってきて火を消してくれた。

よかった。ちょっと焦げちゃったけど、食えないことはない。

働き盛りの年配の男たちが寄ってきて、私が作った野菜炒めを見て笑う。

なんだこりゃ。こんなん食えるやつがいるのかよ。
へったくそだなー。口々に言う。

さっきの年老いた男は、軍手をはめた手で、


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私はその行為が信じられなかった。なぜ、そんなことをする?

私は泣きながら、その野菜炒めを拾った。
熱かった。
私の顔がどんどんくしゃくしゃになって、うめき声が出て、
少しずつ少しずつ大きな叫び声となって泣いていた。

これはバツだ、私がこの大人たちと上手くやってこなかったバツだ。
きっと私が仲良くしていたら、手を差し伸べてくれたはずなんだ。
今までのバツだ。

私は自分の泣き声が、くもった声から直接に耳に入るような気がした

私は上を向いて横たわっている。

夢だ、夢だったんだ。


落ち着いて目を開け、更に泣いた。



そういえば、小さいとき、よく家族が別れ別れになる夢をみた。
小2のときだ。
夢のなかで、家族がみんなばらばらになって私が泣き叫んでいる。

あるときは、知らない島で、
「こんにちは」「こんにちわ」のどちらが正しいのか、
と、にわとりに聞かれ、正解したら家族に会わせてあげると言われ、
わからなくて泣いていた夢をみたこともあった。

あるときは、弟が大きなビルのような船に乗っていってしまい、
私が弟の名前を叫び、
弟は「おねえちゃーん」と叫び、
どんどん遠くなる船に向かって「飛び降りろー。」と叫び、
飛び降りた弟は二度と上がって来なかったこともあった。
海の見続けながら、ずっと泣き叫んでいた夢。

2m以上の深いプールに、弟が溺れかけたことがあって、
父が気づいてひょいと弟を引き上げたことがあった。
弟がアップアップしている姿は、本当に怖かった。
気づいた父に対しても、とっさに引き上げた父に対しても、
そういう父であることが嬉しかったものだ。

私は、洗い物をしながら泣いていた。
娘は自分の部屋で寝ている。
夫は和室で寝ている。
息子は部活に行っていない。
私が昼寝したバツだ。
こうやって少しずつ、気持ちを整理しなければならないってことなんだろうか。



2003年05月29日(木) 夫のダイエット

学校代表に選ばれた作文は、参加者したい人のみ、ということだったらしい。
中学受験というこのクソ忙しいときに、何も好き好んで、こんなにやっかいな作業をやるとは、めでたいやつである。

だが、受験は高校でも再トライできるであろが、学校代表なんて、もう一生なれないかもしれないくらいの晴れ舞台である。

一度、低学年のときに作文が選ばれたことがあったが、あっけなく終わったものだ。

小学校で二度目のチャレンジということになろう。

今日、何度も何度も直して清書した作文が、出場申し込みのところに送られたそうだ。昨日の夜中もまだ練習して修正を加えており、最初の頃より形になってきたように思う。娘と向き合ったこの数日間は、自分でも驚いている。不思議と娘への拒否反応がおきなかったからだ。ふつう、勉強でもなんでも、娘に声をかけられるとあとずさりしたくなる思いを抱えつつ、向き合っていたのだから。今回は、娘の気持ちが、「どうせ参加するからには勝ちたい」という強いオーラが発せられているからだろう。

結局、昨日の夜中までには清書できず、朝早く起きてやる、などと言っていたが、いつもと同じ時間に起き、4分の1くらい書いて学校へ行った。学校に着いても、ずっと清書していたのだろう。先生が1時間目の間も書くことを許してくれたそうだ。それで間に合ったらしい。

息子は、数週間、数日頑張っていた2年生のドリルを手をつけない状態が続いていた。その代わり、毎日出される学校の宿題は、言わなくてもやるようだった。http://www2.nkansai.ne.jp/sch/hpkage/陰山英男先生の百マス計算のようなものから、文章問題、漢字の練習を、少しずつだけど毎日宿題として出されていた。昨日も、9時過ぎに息子の部屋を覗くと、一人で漢字の練習をしていた。

「エライねえ。」

「やらないと対戦に参加できないからね。」

面談のときに先生が言っていた、漢字の書き取り対戦のことか。

そのうち、漢字の対戦をやりますから。男の子たちは、勝ちたいからやる気になるんですよ。と、先生が言っていた。

息子が勉強できない、という話をした後の先生の「安心してください。」コールだった。
先生の思惑は、見事的中だったのだ。息子の性格からして、対戦などといったら、遊戯王カードの対戦も、漢字の対戦も、同じことで、勝つか負けるか、なのだ。練習しなければ参加さえもできないのなら、それはエライことである。やるっきゃないのだ。

面談の日に、息子は絵の具セットを忘れたらしく、同じクラスの子たちが絵の具セットを持っていたので、

「あれ? 今日、絵の具必要だったの?」

「○○くんのお母さん! うん、○○くん忘れてたよ。」

次から次へと子どもたちが来て、うちの息子が忘れて一人で漢字の練習をしていたと口々に言う。

「ほら。」

と、黒板の隅に息子の名前が書かれている。忘れた人の名前が書かれるらしい。

おいおい、勘弁してくれよお。

面談で呼ばれてすぐ、

「絵の具セット忘れてしまったようで、すみませんでした。」

「いいえ〜。忘れて困るのは本人ですから。気になさらないでください。
本人も思うところがあったようです。
絵の具セットがないことにはできないんで、漢字の練習をさせたんですが、途中で『「忘れてどうだった?』と聞いたら、『つまらなかったよ。』と言っていました。『忘れて困るのは自分なんだよ。』と言うと、『今度は忘れない。』と言ってましたよ。」

「勉強もできないし、運動神経もないし、救いようがないかと。」

「そんなことないですよ。学力テストだって、79点ですよ。」

「びっくりしました。」

「びっくりとはどちらの意味の?」

「0点かと思ってましたから。」

「去年だって、そこそことってるはずですよ。」

「去年も学力テストあったのですか?」

「ありましたよ。」

「知りませんでした。」

なんという母親だ。

「来年は、80点以上取れるようにしていきますよ。」

私がまだ不安気だったのか、

「ご心配なく。力がある子ですよ。これからぐんぐん伸びてきます。
上のお子さんとタイプが違って、子どもらしいかわいい感じの子ですね。上のお子さんは、繊細な感じでしたが、下の子も自分の意見をしっかり持ってる子ですよ。
素直で明るくて、優しくていい子ですよ。大丈夫ですよ。」

と、まあ、そんな感じである。


ちなみに娘の面談で、受験のことは話した。その他のことは、まあありきたりなことを話した。いつものように、落し物とか、忘れ物とか、まあ、だらしがない話というか。だから詳しいことは思い出すだけ無駄ということにして。





さて、夫は、数日前からダイエットに励んでいる。

彼は、結婚前は、毎日がダイエットだった。バンドのギターリストとして、あるべき体型を維持するためだったらしい。今は68kgくらいらしいが、今よりも10kgは軽く細かったのだ。2年ほど一緒にバンド生活をしていたが、その間、ファミレスに行っても、ビールとサラダしか食わなかった。私は、その頃は食べても太らなかったので、ガンガン食っていた。ただし、もともとフライも天ぷらもグラタンとかも嫌いで、和食好きだったのが功を奏していたのかもしれない。

夫は、もともとは高カロリーもの好きだった。トンカツとか、ドリアとか、ピザとか。私は、結婚して随分と好き嫌いがなくなった。夫が好きな高カロリーの食品も一応食べられるようになった。夫が痩せるとなったら、私も痩せなければなるまい。


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というわけで、夫は走ろうかな、と言うので、
娘が塾に行っている間に、夫が走り、私は歩く、を実行することになった。

そして今日が初日。夫は8時過ぎに帰ってきて、それから公園に行く。
夫は何週か走って歩く、息子は走ったり歩いたり、私は歩く。
以前住んでいたマンションの人と出会う。
彼女は、ずっと続けていたのだ。
以前、聞いたことがあった。
「夜8時くらいから歩いているのよ。」と。
その頃の私は、朝5半時くらいから歩いていた。

続けるってすごいこと。
私は、いつまで続けられるのだろうか。



2003年05月27日(火) 娘が学校の代表に!?

午後4時、娘の担任の先生から電話があった。

先生から電話なんて。。何かあったんだろうか、ちょっとドキマギした。
でも、先生の声のトーンは落ちついている。

「遅くなってしまったので電話しました。授業の後、少し残ってもらって作文の選考会をやっていまして、今終わりましたのでこれから帰ります。選考会の方は、学校代表として選ばれました。おめでとうございます。」

えっ?!

一瞬、理解できなかった。

「あの。。あんな内容で大丈夫なのでしょうか。」

「話しっぷりがよかったのが決め手になりました。おめでとうございます。」

そのあと、自分が何て言ったのかよく覚えていない。
「ありがとうございます。」
と言ったような言わなかったような。。
失礼なことしなかっただろうか、電話を切ってからドキドキした。

夫は、雨で午前中に帰ってきていた。

「昨日の作文、学校代表に選ばれたらしいよ。」

特に返事なし。


ピンポーン。

娘が帰ってくる。

オートロックのインターホンの画面に誇らしげな娘の顔が映っている。

「おめでとう。」

と言って開けてやる。

玄関の外で待ち、
「先生から電話で聞いた。」
「隣りにいたもん。」

おやつに、メロンを食べさせ、塾の用意をさせる。
作ったお弁当を渡し、送り出す。


夫は、娘が家を出たことすら気付かなかった。

夫は、私がお弁当を作るので出しっぱなしにしたチーズとハムを見て、
「出しっぱなしにするな。だらしがない。」
と言った。

「だらしがない。」
の「だ」は、すごーーぐ強い口調でカチンときた。さらに、

夫「人にはあーだこーだ言うクセに、自分には甘いんだからよ。」

私「仕事で帰ってきて出しっぱなしになってたことなんてないじゃない。(夫は通常7時位に帰ってくる)」

夫「そんなんなるまであったら腐ってるわ。ほんと、言われるの嫌なのな。人には散々っぱら文句言うクセに。」

私「そんな文句言ったことないじゃない。どの文句?ゴミ箱に捨てないってこと?
私がいつも言うのは私の仕事増やさないでってことでしょ?
そこ(キッチンの作業台)にポイと置くくらいなら、ゴミ箱に捨てるのも距離的に変わらないでしょ、って言ってるんじゃん。お菓子食べた袋がそこに置きっぱなし、すぐ下にゴミ箱があるんだからそこに入れれば済むことでしょう?

パパが台所のことを全部やってるなら、文句言われても仕方ないと思うよ。パパの仕事を増やしたら申し訳ないと思うから。でも、そうじゃないんだから、出してあって気付いたら、しまってくれればいいじゃない。わざわざカチンとする言い方することないでしょ。」

もっとたくさん言いたかった。あっちにもこっちにも本を置くこととか。
毎日毎日、トイレ、息子の部屋、リビングのあちこちに置かれている本を、集めるのである。
夫は、あっちでもこっちでも違う本を同時進行で読んでいたりするのである。
脱ぎっぱなしの靴下、洗濯機に入れろ、なんて言ってないじゃない。

夫は黙っていた。
だからそれ以上は言わなかった。
でも、他のことがあふれてきた。

昨日、娘は、ずっとこの作文に追われていた。塾から帰ってきて、ご飯を食べ、風呂に入った後も、ずっと作文にかかっていた。結局、夜中の1時までかかった。娘が納得するまで、私もつきあった。娘は自分から「3分以内にスピーチしなければならないから。」と、何度も練習していた。最初は3分ももたなかったので、なぜそう思うのか、とか、例えば的な話をふくらませる作業をしていた。夜中の12時過ぎは、今度は3分超えてしまう部分を削除する作業をしていた。

夫は、その途中で、「それで今日は終わりかい。勉強もしないで。」と言っていた。

そして、今日、一日のほとんどは和室で、

WINのノートパソコンで、ゲームしたり、本を読んでいた。

こんなこと言いたかないけど、言わずにはいられなかった。

「学年代表に選ばれたって言ったって喜ぶわけじゃない。褒めてやるわけじゃない。昨日だって、『勉強もしないで。』て文句言うだけ。文句言ってもいいよ、その分、褒めてやるなら。でも、パパは違うじゃん。本当は嬉しいんじゃないの?『頑張ったな』って言ってやりたいんじゃないの?そう思うなら言ってあげなよ。恥ずかしがらずにさ。親が気持ちの切り替えしなかったら、子どもだって気持ちの切り替えできないよ。すごいことじゃない。昨日、夜中の1時まで頑張って、その結果、選ばれたんでしょ。すごいことだよ。」

夫は何も言わなかった。


娘が塾に行き、私は息子を連れて新聞屋からもらった映画館のチケットで、映画を観に行った。

「めぐりあう時間たち」

という何とも難しい映画だった。
息子はマクドナルドで買ったハンバンガーセットを食べ終わると、さっさと寝てしまった。

夫は、送り迎えするのは面倒だと言った。雨は降っていなけりゃわけない。自転車で行けば10分かからない。さらに、

夫「【行き】だけなら送ってってやるよ。【帰り】はバスでもタクシーでも帰って来い。バスだってタクシーだって変わらないだろう。」

私「変わるよ。バスとタクシーじゃ、倍違う。それに、バスで帰るくらいなら歩いて帰るよ。それなら帰りに迎えに来てほしいよ。」

バス停は大きな道路の向こう側で少し歩く。そこまで行ってさらにバスが来るまで待つくらいなら、少し頑張って家まで歩いてしまった方がいい。

いやいややってもらうのも腹が立つ。
夫は何も言わないので、

「いいよ。それなら歩いて帰ってくるから。」

と行って出かけた。




映画が終わって寝ている息子を起こし、手をつないで階段を上がり、外に出ると夫がいた。

最初、意味がわからなかった。


私「あれ、迎えに来てくれたんだ。ありがとう。」

息子「帰りに来てってママが言ってたよ。だからじゃない?」

車の中で、

私「よく、終わりの時間わかったね。映画館も。」

夫は黙っていた。



ところで、娘が学校の代表に選ばれたのは、作文というより「スピーチ」らしい。その大会に学校代表として出るらしい。

私「学校から何人出るの?」

娘「ひとりだよ。」

私「すごいじゃん!」

娘「なんどもどんどん勝ち進んで


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ま、そんなことはないと思うけど。」



2003年05月25日(日) テスト

塾、テスト。

やっと毎日の計算の成果が表れた。
四角1は、毎日の計算の数値換えだと言われている。
だから、毎日の計算さえしっかりやっていたら、四角1は解けるはずなのだ。

それがここのところほんど取れていない状態だった。
だからやっぱりきちんと勉強しているかどうか見ていなきゃと思い、できる限り一緒に解いた。
私と娘とで競争するのである。
私は先に解き終わり、娘が解くまで家事をやる。
娘が解くとどうやって解いたか説明させる。
娘がどうやっても解けなかった問題は、一緒に考え、娘が納得するまで説明し、翌日以降にもう一度一人で解いてもらうことにしていた。

その成果が表れたのだ。

それから、共通でできなかった問題は、テキストをきちんと復習していないことがわかった。
授業中もわからないままにしてしまっていたりするものもあった。
わからないまま、あやふやで覚えてしまっていて、理解していないから解けないのだった。
それがわかってので、良かったね、ということにする。

娘はテストの後はお弁当、その後に日特というものを受け、夕方に帰ってくる。
帰ってくると疲れてまず寝てしまう。

3時間半くらい寝て、それからの復習だった。
結局、算数しかできなかったけど、毎度こんなんで大丈夫か不安な面もある。

でも、今は算数をわからないままにさせてしまってはいけない、と思うので、仕方ないかなあ。



2003年05月24日(土) 娘が泣いた

朝起きて娘は、また苛立っていた。
机に向かって勉強している風であったが、私が部屋に入るなりそのイライラを私にぶつけた。

「もう反抗しないって約束したんじゃない?あれは嘘だったの?」

娘は黙っている。

私も黙る。

娘は泣き出して
「いい子でいたいもん。反抗なんかしたくないもん。でもいい子でいたいのに、いい子でいられないんだもん。」

私は、椅子に座っている娘を抱きしめた。

「それでいいんだよ。泣いていいんだよ。泣きたいだけ泣きな。泣いてる間は、自分の嫌なとこ、どんどん出てっちゃうから。泣いていっぱい出しちゃいな。怒っててもね、何も変わらないでしょ。怒っててもね、つらいだけ。泣いたらね、泣いた分だけ楽になるから。そう、上手だね。よしよし、よしよし。そう、上手だよ。エライエライ。」

背中をさすって、ずっとさすって、トントンして。

娘は腕の中で、泣きながら小さく頷いていた。

「楽になったでしょう。」

「うん。」

今日は演技じゃなかった。
自然に抱きしめることができた。
母という役と、自分とが、ほんの一瞬だけど重なったような気がした。



2003年05月23日(金) 遠足・・・壊れてしまいそうです。

子どもたちは遠足だった。
1年生から6年生まで、縦割りでグループとなり、学校から徒歩40分くらいの公園まで行く。

先に娘が帰ってきて疲れたと言って寝てしまった。

次に息子が帰ってきて、すぐ友達から電話がかかってきて、その友達と遊ぶんだ、と外に行ってしまった。

今日はピアノがあった。

ピアノに行く日は、通常、学校から直接実家に行く。ピアノは実家にあり、実家からすぐ近くのピアノ教室へ行き、実家で夕食を食べ、おじいちゃん(義父)に送ってもらって帰ってくる。

実家に電話する。
「疲れて寝ちゃったので、後で起こしてから一緒に行きます。」

普通なら、一人で自転車で行かせるのだが、寝ぼけて怪我されてもかなわんし、ついでにピアノのレッスン料を義母に預けようと思ってのこと。

出る15分前に声をかける。
既に1時間は寝ているし、そろそろ疲れもとれているころだろう。

なかなか起きない。
声をかける。
やっと起きる。
この間10分くらい。

自転車の鍵がないという。

仕方がないから歩いて行こう、と声をかけるが、
自転車じゃないと行きたくない、と言う。

今日に限ったことじゃない。
あまりの腹立たしさで日記にも書かなかったが、彼女は歯の矯正用の7万の器具を無くした。先月末のことだ。歯科から直接実家に行き、ピアノ、それからどこにも見当たらないのだ。
彼女は実家でバックにしまったという。でもそのバックには入っていない。

「またティッシュにくるんでその辺に置いちゃったんじゃないの?」
本当にあの時は、大変だったんだ。

何度言ったことだろう。
外す時は必ずケースに入れなさい、と。

何度言ってもティッシュにくるむ、ケースに入れない、その辺にほっぽるのだ。
それでも見つける度に、注意し、見つける度にしまっていた自分。

何度言っても、何度注意しても、何度教えても、直らない。

この子はそういう病気なんだろうか。
何度も何度も思う。今でも思う。
この子は普通の子と違うのかもしれない。
病気なら病気で仕方がない。
一生懸命やっているのに出来ないのなら、無理強いすることはストレスになるだろう。
本当に病気なのか?
そうじゃないのか?

自転車の鍵を無くした。

私だってそんなのはしょっちゅうあったし、今でもごくたまーにある。
たまーにと言っても、大抵すぐ見つかるところに置いてあるし、
いつも置いてあるべきところになくてバックの中に入っているとか、
上着のポケットに入ったままとか、そんな程度だ。
私も無くしてしまう、という思いがあるから、
絶対無くさないよう自分なりの工夫をしているのだ。

鍵を無くした。

別にいいじゃん。今、無いなら仕方ないじゃん。歩いて行こうよ。

いくら言っても嫌だと言って聞かない。

なだめすかしてやっとの思いで家を出ると、今度は全く違う方向に走って行ってしまう。

わかっている。
追いかけて欲しいってこと。
追いかけてひきとめて欲しいんだ。

娘の思い通り、追いかけて引きとめる。
またなだめすかしてやっとの思いで実家の方に向かう。

また次の路地で違う方向にズンズンと歩いていく。
わかっている。
また追いかけて欲しいってこと。
またひきとめてほしいってこと。

なだめすかして歩かせる。
娘は嫌だ嫌だと言いながら、店の看板を蹴ったり、殴ったりする。
「そんなことしちゃいけない。腹が立つなら自分にしなさい。物には人のいろんな思いが入っているのよ。それを他人のあなたが壊す権利なんてない。」
娘は自分の手を噛む。
自分の耳をぐいーっとひっぱって見せる。
ギャーギャー言いながら、私は辛いのよ、という態度をしている。

他の親子が追い越していく。
何やっているのかしら、という顔をして私たちを覗く。
何事もないような顔をして、普通の会話を娘になげかける。

「今日は疲れたねー。1年生の荷物持ってあげたの?」
なんて。今そんなこと聞きたくもないのに。

何度言いたいことか。
勝手に行けよ。
車にでもひかれろよ。

何度思うことか。
私がもう死んでいいよ、と言えば、
腹を立ててそのまま車に飛び込むだろう。
大きな道路に大きなトラックが次から次へと走っている。
娘はひかれてぐしゃぐしゃになって救急車を呼んで死んでお通夜でお葬式で、私は一生この事実を抱えていくのだろう。
いや、娘が飛び込んで、私が飛び込んで、娘が助かって、私が死ぬか、かたわになって、それでようやく自分のしたことに気付いてくれるのだろうか。そうしてようやく、お母さんにもっと優しくすればよかったって思ってくれるのだろうか。そうして初めて後悔してくれるのだろうか。

私が一言言えば、解放される。
それでいいのか、本当にいいのか。

「危ないからいらっしゃい。こっちへいらっしゃい。」

私は自分の自転車を引きながら、娘の手を握りしめた。

手なんてつなぎたくないような手をして、そんな生気のない手を握りしめる悲しさ。
自転車のハンドルに娘の右手を乗せ、私の左手をその上に乗せる。
私の右手は自転車のハンドルの右側にあり、そのまま歩いていく。

徒歩10分ちょい、実家に着く。
入りたくない、と言う。

家の前でうずくまっている。

「とにかく中に入ろう。
お金、払わなきゃならないし。」

娘がドアを開けて私を入らせようとする。
私が入るが娘は入ってこない。
ドアの前でうずくまっている。

義母が出てくる。

疲れてても、自分の仕事はやらなきゃだめ。
ピアノの先生は待っている。
ピアノの先生に迷惑をかけてはいけない。
怒りたいなら、あとでいくらでも怒りなさい。

娘は動じない。

「おいで、ほら、ここは蚊がいっぱいいるよ。刺されちゃうよ。」
手をひっぱって背中を押して中に入らせる。

今度は玄関の隅に座り込んでしまう。

私「とにかく中に入ろう。練習しよう。」

娘「どうして遠足なのにピアノにしたの?」

私「遠足なのにピアノにしたんじゃなくて、ピアノの日が遠足だったんじゃないのかなあ。」

義母「疲れちゃったんでしょう。休ませる?」

私「下(息子)は帰ってくるなり外に遊びに行っちゃったんですけどね。」

義母「この子は違うのよ。1つのことしか出来ないんだから。」

学校から帰ってきて昼寝をする。
ずっとそうだったんだ。

昼寝しなきゃいられない。
ずっとそうだったけど。

私のせいなのかなあ。

私「とにかくピアノ弾いてみようよ。」

娘が弾く。2小節くらいで「やっぱできない。」と手を止める。
私「ママが右手弾くから、左手だけ弾いてよ。」

私の下手さ加減に、自分で弾く。
娘「もういい。ママ弾かなくていいよ。自分でやるから。」

義母「あら、上手じゃない。あと3回くらい弾けば大丈夫よ。身体が覚えているんだからすぐ弾けるわ。」

娘「お腹空いた。」

やっと機嫌が戻ったようだった。お菓子でも食べる?リンゴでも剥いてやろうか?と言われ頷いている娘。

もう5時だし、息子も帰ってくる。そのまま娘を義母にお願いして帰ってきた。

疲れた。私は何なんだろう。考えるだけで涙が流れてくる。私って一体何なんだろう。娘の機嫌をとって、疲れちゃった。娘は変わりたいと思っている。でも、変わらないんだ。部屋だって片づけない。結局片づけないから片づける。私って何なんだろう。

今朝だって、お出かけ用の服を着ていた。遠足だっちゅーのに、なんで出かける用の服を着る?わざとなのか、なんなのか頭が狂いそうになる。それはお出かけ用だから駄目よって、別の服に着替えさせる。

登校班で娘を送り出した後に、班長で先頭を歩いている娘が、班の子たちを置いて一人で戻ってくる。

娘「水筒入れた?」
私「入れてないの?」

テーブルの上に弁当と一緒に置いただろが!と思いつつ、ぐっとこらえ、
優しく言ってみせる。

班の子にはちゃんと先に行くように言ったの?
「5年生の子に、忘れものしたから(私の代わりに)前に行って先に行っててって言った。」
「そう、ちゃんと言えたのね。エライエライ。」
などと言ってみせる。

心の中は煮えたぎっているのに、だ。

テーブルに残された水筒をリュックに入れ、もう一度外に出る娘。
またしばらくして戻ってくる。

娘「時計がいる。」

「時計いらないの?って聞いたら『いる』って言わなかったじゃない。」

「『いる』って言ったもん!」

「あら、そう。聞こえなかったわ。今度からちゃんと前の日に準備しましょうね。」

やっと行く。もう最後、やっと出てった。
時計は8時20分を回っていた。

おいおい、遅刻じゃねえのか?

こんな生活、嫌で嫌でたまらない。
夫に言っても、娘の話は聞きたくない、と言うだけ。
だからそれ以上は何も言えない。

私がどんな時に悩んでいるのか、どんな時にどんな思いして、どんなことを考え、私が苦しいと言っているのに、最後まで話も聞いてもらえない。とりかえしのつかないことをしてしまうかもしれない。とりかえしのつかないことなんてしたくない。だから最後まで聞いてほしいのに、そしたら楽になれるのに、私はこうやって日記に書くしかない。誰かが読んでくれれば、それが救いです。誰かが私がこんなことを思って感じて、生きてるって知ってくれれば、それでまた頑張れそうに思うから。

本当は怒鳴りたくて、本当は叫びたくて、本当は物を壊したくて、本当は傷つけたくて、本当は子どもを殴りたくて、本当は子どもに最悪の言葉を投げたくて、でもそれをしたら今は終わりだと思うから、自分を気持ちを殺すしかない。あとどれほど頑張れば、楽になれるのでしょうか。



2003年05月18日(日) 落ちるとこまで落ちてしまった

夜中の3時過ぎまで仕事をして眠かったので寝た。
娘が「ママ、9時過ぎてる。」と起きてきた。

また寝坊してしまった。
9時に塾に集合なのに、9時過ぎに起きてしまうのなんて、
どう逆立ちしたって無理な話。

塾に電話して、寝坊したことを告げ、午前中のテストを午後に受けさせてください、
とお願いする。

そして私はまた夫と喧嘩する。

夫は起きていた。
夫はいつも通り、6時くらいには起きていた。

娘の目覚ましが7時に鳴り、娘は止めて寝た。
だから起きなくていいのだろう、と思ったという。

私の目覚ましは鳴らなかった。
無意識のうちに止めてしまったのだろう。
止めてしまったことすら覚えていないのだ。

自分が悪いのもわかっている。
娘が悪いのもわかったいる。
でも、無関心の夫も悪いのではないか?

それが引き金で喧嘩みたいになった。

夫は、毎週日曜日は朝からテストがある、と何度も言っているのに頭にない。
起きなければ「どうせ午後なのだろう。」と思うだけだ。
学校見学だって見に行ったりはしない。

私は人を見る目がない、私の目は信じられない、と言うクセに、
私に全てを決めさせてしまっていいのか。
娘の6年間を私に決めさせてしまっていいのか。
娘がどこに行こうとそれは知ったこっちゃないのか。
自分の目で、これから行かせるかもしれない学校を見たいとは思わないのか。

夫は偏差値50前後の学校しか行かせる気はない。
偏差値45以下の学校は興味すらない。

昨日、娘が持って帰ってきた偏差値は、2教科で40以下だった。
4教科でかろうじて40を超えてるくらいだ。
一時偏差値60近くあった2教科も、算数が25点、偏差値30台という最悪なものだった。

偏差値45以下の学校だって、いい学校はいっぱいある。
行かせる気はさらさらない、というが、
その学校の子どもたちの顔を見たことはあるのか。
文化祭へ行ったことはあるのか。

それ以下の学校に行くなら公立に行け、という。
それ以下の学校は公立以下なのか?
本当にそうなのか?

娘の勉強ができなければ、「こいつはバカだ。」というだけ。
いろんなこと考えて考えてそう言っている結果もわかっている。
でも、発した言葉で、人は傷ついたりやる気をなくしたりするんだ。
それはその人が日頃発する相手に対してどういう風に接しているかが大事なんじゃないのか。

「お前がつきっきりでなきゃ、もう受からないだろうな。」
私なのか、全て私なのか。

なぜこんな結果になったのかもわかっている。
私が仕事にかまけてほったらかしていたからだ。
自主性を重んじるなどといってただ放棄していたからだ。

何を理解していて何を理解していないのか。
どの問題が解けてどの問題に弱いのか。
どういうミスをして何に注意しなければならないのか。

中学受験は親がかりなんだ。
親ができることは何なのか、今の時期に必要なことは何なのか。
きちんと考えていかなきゃならないんだ。
それがストレスで胃潰瘍になろうと、今をどう乗り越えるかでこの先が変わるんだ。

原価1000円の品物を1500円の定価をつけると利益はいくらか。
こんなくだらない問題がわからない。
原価って何、だ。

そうさせてしまった自分の責任だ。
ただ声を荒げて何でこんな問題もわからないの、と怒鳴っていたバツだ。

午後のテストまで2時間ちょいしかない。
今更、何ができるわけじゃない。

私は久しぶりに娘を抱きしめた。

ただ怒鳴っていた自分を終わりにするため。
ただ反発していた娘を終わりにするため。
まず自分が気持ちを切り替えなければ、と抱きしめた。

ずっと背中をさすってずっと頭をなでて、しばらくして娘が泣いた。
「もう反抗しないから。反発しないから。ちゃんと勉強するから。教えてください。」

「どこまでできるかわからないけど、悔いがないように頑張ろうね。わからないことを1つ1つ無くしていこうね。」

その日の算数のテストは共通30点だった。わからないから当然のこと。復習させ、線分図を書くことの意味を教える。一から出直しだ。大丈夫、何もわからないところから始まるんじゃない。いろんな問題のパターンに戸惑ってどうとりかかってよいかわからないんだ。数をこなしてパターンを見極める力。確か、百マス計算の陰山先生の話にも書いてあったな。自分も一から勉強し直そう。



2003年05月12日(月) 夢、地震、喘息

夜中に怖い夢を見た。

夢の中の私は、立っているのが辛く、少し立っているとすぐバタンと倒れてしまう。
倒れてしまうと身体がいうこときかなくて意識があるのに言葉を発することもできない。
途中の記憶が抜けてきて気付くと違うところにいる。
例えばエレベーターの中で次に入ってくる人がいるのに「開」を押さないで閉まってしまったり、通常できるはずのちょっとした心配りができなくなっている。
息苦しい。恐怖で身体が震える。
こんな状態が続けば、夫から見放されるかもしれない、という恐怖に押しつぶされそうになり、涙が流れてくる。
怖い、すごく怖い。すごく怖かった。

背中が大きくグラッときて、ハッと目が覚めたと同時に立ち上がった。
夫はびっくりして目を覚まし「何?何?」
「地震。」

地震だった。
蛍光灯のひもは、大きく揺れている。

「ほら」
「ほんとだ。よく気付いたな。」

すぐ娘の部屋へかけつけると、タンスの横に頭を向けて寝ている。「地震だから危ないからね。」と、静かに声をかけ、抱きかかえ、安全な場所へ移動して寝かせる。「ここから動いちゃ駄目よ。タンスが倒れてきたら死んじゃうからね。」
次に息子の部屋へかけつけ、危ないものは周りにないのでそのまま安心して自分の部屋に戻る。

時間を見ると夜中の1時頃だった。

そうか、こんな短時間の間に、あんな夢を見ていたんだ。
大きく感じた地震、一体、震度いくつだったのだろう。

テレビの電源をつけ、震度3と知る。

以前、子どもたちと一緒に寝ていた時は、咄嗟に起きて二人の子どもを自分に引き寄せたものだ。その時、初めて、何かあった時に子どもを守ろうという本能が備わっている自分に気付いた。ずっと恐怖だったのだ。

子どもが溺れてしまったら、助けられるだろうか。
その恐怖で、下の子が幼稚園の時に水泳を習った。そしてなんとか50m泳げるようになった。8mくらい泳ぐのがやっとだったのに、泳げなければ助けることもできない、と、水泳を習った。

子どもの心臓が止まってしまったら。
救命救助の講習を受けた。呼吸が止まった、心臓が止まった、という元に講習を受けるというもの。実際、講習を受けたからと、その時になったら頭が真っ白になってしまうのかもしれない。それが怖くて想像するだけで身体が震えることがある。その度に、子どもの場合はどうだったけっと、調べて確認する。

いろんなことが頭をかけめぐり、やっと自分が喘息だということに気付いた。

苦しかったのは喘息のせいか。薬が切れていて、どうにもならない。
苦しいのと、騒音(大きな道路沿いにマンションがあり、夜はトラックの音がうるさい)
とで眠れないでいたが、いつのまにか眠っていた。

夫は天候で仕事が休みになり、私が眠れないのを知って、子どもたちを起こし仕度させるよう施してくれている。私はギリギリに起き、登校班へ向かい、班の子たちを送り出す。

身体はだるく、息苦しい、洗濯をするのがやっとでだらだらしていた。

私は夫に「夜、映画を観に行こう!」と言った。
夫が休み&娘の予定が何もない、平日は滅多にないからだ。
平日しか使えない招待券があるからだ。
今日の日を逃したら、今月はもうないかもしれないからだ。

夫は、「具合も悪いクセに、無理やり行かなくてもいいじゃないか。」
と言う。しまいに口論にまで発展しそうになる。
こっちも息苦しいのに、声をあらげて喧嘩などしていられない。
口論になりそうになるとだまり、またしばらくしてお伺いを立てる。
そのうち、夫がおれる。

午後3時息子から電話がある。学校から直接囲碁教室に行ったらしい。
15分後、娘から電話がある。学校から直接実家に行ったらしい。

「病院行ってくる。遅くなるようだったら帰ってくる。」

引っ越してから、子供達は既に転院していたが、私は今日は初日となった。

「寝る前にテオドール200mgだけじゃ半日ももたないよ。これじゃあ日中苦しいでしょ。」
「はい。」
「ちゃんと予防もしなきゃ。」
「はい。」
「スプレーも使おう。」
「使っていても効かなくて。」
「それはひどいから効かないんだよ。」

そう、ひどくなっちゃうと、スプレーしても1分後にはまたゼイゼイしてしまう。
10分間吸入する。
薬は、スプレーのメプチンエアー、テオドール200mg、フロモックス100mg、ムコダイン500mgとなった。

映画は、名探偵コナンを観に行った。いつもながら面白かったです。



2003年05月07日(水) 息子が仮性近視に

今日、息子を眼科に連れてった。
学校から要検査の紙をもらってきたのだ。

そこには、0.7と書いてあった。
以前もこんなことがあって連れてったが、実際には1.2だった。
まだ小さいですから、やり方がわからなくて戸惑ったのでしょう。
と、言われ、ホッとしたものでした。
まあ未だに右と左がいまいちわかっておらず、
その都度お箸を持つ方はどっち? などとやっているのだから。

そんなだったから、少し軽い気持ちでもいた。

検査の間は特に呼ばれることもなかったので一人で行かせた。

病院はすごーく混んでいた。
子どもたちはダレてしまっていて息子と同じくらいの子も、
母親の膝枕で寝てしまっていた。
その母親もまた寝ていた。
おじさんもいびきをかきながら座ったまま寝ていた。
若い女の子も、半ケツを見せていた。
そんなこたあおかまいなしなくらい混んでいたのだ。

視力の検査は先に行われずっと待つ。

「ねえ、検査どうだったの?」

「全然見えなかった。
ぼやけちゃっててんで駄目。」

「それ、やばいじゃん。」

「うん、やばいかも。」

「ねえ、あの字見える?」

「廊下の向かいにある掲示板を指す。」

「見えない。」

「うそだろっ。」

「こりゃ、まじでやばいかもしれない。」

やっと名前を呼ばれ、診察室に一緒に入る。
一通り、先生が診察し、

「視力は0.3です。」

えっ?! 0.3って。。

「仮性近視でしょう。前回1.2でしたし、急激に悪くなったのでしょう。
薬で治るかもしれません。一ヶ月寝る前に使って、一ヶ月後にまた検査しましょう。
よくなっているようだったら治っていくでしょう。」

仮性近視って薬で治るんだー。
初めて知りました、私。

しかし、息子の視力がこんなに悪くなっているとは知らなかった自分に、情けない、と思いました。最近、文字が読めるようになったものだから、昔に買った遊戯王の漫画を夜な夜なベッドの上で寝っ転がって読んでいたりしたんです。きっとそのせい。

ホームページでいろいろ見てみると、外で遊ばない子がなる、とか書いてあったが、
息子は毎日のように公園で遅くまで遊んで来るので、それはまずありえない。
やはり本のせいだろう。

私も1、2年の頃、家が本屋で毎晩のようにベッドで寝る前に寝ながら読んでいた。当時、本が好きでたくさんの本を読んだ。そのせいでか、視力はみるみる落ちていった。
小3で、田舎に預けられたお陰で、視力は1.2まで戻ったのだった。

夫もまた、仮性近視だったらしい。
父親がテレビの線をひっぱって壊し、小学生の間はずっとテレビがなかったという。
以前から冗談のように聞かされてはいたが、あまりに具体的な内容に、
あの伝説って本当だったんだ、と、夫に相槌を打った。

さて、息子の初めての目薬体験。そりゃーもう大騒ぎです。目を開けてくれないし、無理やり開こうすると余計ぎゅーってつぶってしまうし、

「じゃあ、メガネにすれば。」

と脅しています。

「メガネかけてマーチングすればいいじゃない。」

「えー、かっこ悪いから嫌だよ。」

とりあえず、今のところ、この路線で攻めようと思う。



2003年05月06日(火) チェックテスト

今日の塾は、通常の授業ではなく「チェックテスト」というものだったらしい。内容は今までの公開模試から出題されていて、問題用紙もいつもの公開模試と何ら変わらないような形態になっていた。

ゴールデンウィークは、3日の日に厚木へいちご狩り、その後に同じく厚木のグリーンパークというところでアスレチック2時間コースというので遊んだ。さらに、アスレチック後は池釣りもしてきたというわけ。閉園の午後5時まで目一杯遊んできた。帰りは一緒に行った3家族で、近くのファミレスで食事し、解散した。

そんなんで、初日は何もしなかった。
翌日は、ゴールデンウィーク用に配られたという国語のチェックプリント5枚ほどをやらせた。後は特別つきっきりでさせなかった。

昨日は、3日からずっとやっていなかった、毎日の計算を一気にやらせた。
もちろん一緒になってやるんだが、1ヘクタールが、何アールだとか、さらにそれが何平方キロメートルで、などと知らんっちゅー。
一緒に算数辞書を見ながら、解いたのだった。ふー。
いい加減、これくらいのこと現役なのだから覚えてくれと、思う。

で。。今日のチェックテストは、というと、悪かったらしい。なぜかというと、帰ってきてから自らテストの復習をしているので、どうだったの?と聞くと、
「必死でやっているのが見えない? テストができなかったら必死で復習しろっていつも言ってるのはママだよ。だから今必死にやっている。」
などと言う。

先手を打たれたっていう感じだ。

今までの公開模試を元に問題が出されているため、その問題の全体正答率を元にこの点数だと偏差値いくつ、などというデータまで書かれていて、「復習しよう」というプリントがもれなくついている。同じ問題なら正答率も異なるとは思うのだけどねー。

一体、うちの子の受験はどうなるだろう。
ちゃんと合格するんだろうか。

今日もまた、夫と口論になった。

発端は、今週の学校の面談である。
受験すると言うべきか、言わざるべきか。
夫は聞かれない限り、言う必要はない、というが、みんなはどうしているのだろう。


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めい [MAIL]

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