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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

(新たなご依頼をいただける場合、あるいは、既刊の作品についてご質問をいただく場合も、
拙著の刊行がある出版社さん宛てにメールにてご連絡をいただけませんでしょうか?
転送してもらえますので、私から返信します)。

夜と平和
2011年12月29日(木)

パーソナルコンピュータが、壊れる。

文藝賞のときいただいた副賞の金で買ったもので、
ゆうに6年は使っている。7年かもしれない。

寿命だろうか。

容量がいっぱいになったのかと思い、
メモリ増設をしたが、
電源を押すと、また意味不明な英語が出てきた。
オープニングシステムが見つかりません。

中の文章もすべて箱の中だ。

(メモリ増設は大変だった。
裏をドライバーで開けて。
ただ、その作業の最中に、
デジャヴの感覚が起きた。
もしかしたら、私はこの6年の間に、
増設したことがあるのかもしれない。
そうだとしたら、本当に意味のない作業だった)。

毎年書いているが、
この微炭酸ニッキは2000年の12月に始めたので、
もう11年書いた。来月から12年目に入る。
この間、母校で授業をしていたとき、
「私も、大学生のときは、イルミネーションをひと粒ひと粒潰したいと考えていました。そして、恋愛をしないままおばあさんになります」
と言った。私は、この日記に、そのことを書いた記憶があった。
しかし、今見返したところ、その記述が見つからない。

私の記憶は曖昧模糊としている。

今日は、年末感を味わうために、
オペラシティで第九を聴いてきた。

金がなくなった。

来年からどうしよう。
会社員と兼業できるか、模索した方が良いのか。

これは、携帯から書いている文章である。

携帯だけはいつも、どこにあるかわかる。
部屋の中で異様な存在感を示す。

私の脳の一部。
触ると痛い。
メールは書けない。
誰とも繋がらない。
だけどいつか開く。
何年後かに開いて、私をどこかへ連れていく。



夕方
2011年12月19日(月)

お墓が夕日に当たるのを見る。

日光は墓石を撫でる。

毎日、何度も何度も撫でていく。




文章を書くのは楽しい
2011年12月18日(日)

毎日苦しい。
ちっとも良いものが書けない。
もう皆に見捨てられたと思う。

今までは、「自信がない」と言ってはいけないと思っていた。
いろいろな人の手を借りて、仕事をするのだ。
本の表紙に名前を載せる自分が、「作品に自信がない」と言ってしまったら、
一緒に仕事をしている人たちはどう思うだろう、読む人はどう思うだろう。
本を作るからには「いい作品です。自信があります」と言わなくてはと思っていた。

いわれのないバッシングにも耐えられなかったが、顔に出してはいけないと思っていた。
ずっと地味な人生を歩んできて、本の作り手という裏側の仕事についたのに、
まるで表舞台にいるかのように、あることないこと言われることが苦しくて、泣いてばかりいた。

何か努力をしなければ、と思う。

この苦しさから逃れるために、
動かなくては。
ノイズに耳を傾けず、
作品に集中しなくては。

私の書くものは、
多くの人に読まれるものではない。
でもかまわない。
ひとりでも読者がいれば、書く。

たくさん読んで、
たくさん書くこと。

だまされてもいいから、
周りの人を信用すること。

文章を書くのは楽しいと思い出すこと。



光と男と男友だち
2011年12月17日(土)

光の粒をいつも、面白く受け取るけれど、それはどうしてなのだろう。
DNAが、太陽がなくては生きていられなかった頃のことを、思い出しているのだろうか。
目は光に対していつも、はっとする。
落ちてくる雨が街灯に当たったときだけ存在感を示すところ、
水道の銀色に映る蛍光灯が棒のようにのびるところ、
薄暗いバーで限りなく丸に近い多面的な氷が宝石のようになるところ、
じっと見ていると、
人生なんて幸せに作れなくてもいい、
という気がしてくる。
この世に生命として存在し、
80年程の歳月という贈り物を手にし、
せっかくもらったその時間をどう使うか考えて、
そうだな、幸せじゃなくても、人間関係が滅茶苦茶になっても、
光さえ見れればいい、と思う。
比喩の光ではなくて、本当の光のことだ。

この間、日食をを見たときに心が躍ったのだが、あれもそうなのだろう。

私は人間関係を築くために生まれたわけではない。
光を見るために生まれたのだ。




2011年12月05日(月)

だいじょうぶになりました。




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