Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2014年02月24日(月) 編集CDR4枚組50曲に厳選したミスチルベストに、幻の5枚目が




今日はお休みです\(^o^)/
8時に娘を送って、耳鼻科の受診を9時に…
のんびり走ると雪景色に目を奪われて( -_-)ジッ
11時に、砂川は幸来のラーメン!今回は醤油!
味覚・嗅覚の復活したオイラ(^_^)v美味しく完食(ノ^^)ノ
12時前に入浴の奈井江温泉北の湯でヽ(´▽`*)ゝあ〜ぃ!
サテサテ、18時の美唄での役員会まで…もちょっと入りますヾ(≧∇≦)

以上よったんFB
北海道の大自然の中でうらやましすぎるぞ!!
老後はたくさんつるもうぜー、全国温泉めぐりの日々だ。
おじさんに温泉アーカイブ貴重データをもらっておいておくれよ。よったん。


もう全然ミスチルの音楽を聴くことがなくなっていたここ5年くらい。
ただ飽きただけなのか、音楽的な状況として響かなくなってきたというのであれば理由を知りたい。


ちゃんと覚えているんだ、ちゃんと覚えてるんだ、こんなに 
「あんまり覚えてないや」


いいことばっか、あるわけないよ、「my life」


みっともないけど すべてが愛しいよ
ふと夕暮れに孤独が爆発する
甘酸っぱいキャンディーが 僕の胸のポケットにあるんだ
君が食べておくれ
「CANDY」


07年に編集CDR4枚組50曲に厳選したミスチルベスト、けいま「おとーちゃん、それ、ベストって言う?笑」

に、幻の5枚目があった。ようだ。全然覚えてないや。

「CANDY」って、いい曲だな。「孤独が爆発する」

誰かに会いたいとかは無いけれど、感情に包まれているのがいい。
CD5、なかなかいい選曲曲順。


CD5
01. あんまり覚えてないや 02. 彩り 03. Replay 04. I’ll Be (live) 04. 靴ひも 05. Bird Cage 06. デルモ 
07. I’m Sorry 08. CANDY 09. my life 10. Image 11. one two three 


CD1
01. 言わせてみてぇもんだ 02. フェイク 03. しるし 04. 箒星 05. ランニングハイ 06. 抱きしめたい 07. クロスロード 08. Innocent World 
09. ありふれたLove Story〜男女問題はいつも面倒だ〜 10. 名もなき詩 11. マシンガンをぶっ放せ 12. 花 −Mémento-Mori−

CD2
01. 蘇生 02. ポケットビスケット 03. 終わりなき旅 04. Any 05. ファスナー 06. Over 07. LOVE 
08. つよがり 09. 君が好き 10. Sign 11. タガタメ 12. Hallelujah 13. ロードムービー 

CD3
01. ロード・アイ・ミス・ユー 02. Tomorrow never knows 03. 虹の彼方へ 04. 天頂バス 05. 雨のち晴れ 06. Alive 07. Everything (It's you) 
08. シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜 09. 光の射す方へ 10. youthful days 11. CENTER OF UNIVERSE 12. 優しい歌 

CD4
01. Dance Dance Dance 02. 星になれたら 03. 車の中でかくれてキスをしよう 04. いつの日にか二人で 05. 口笛 
06. 旅人 07. Not Found 08. PADDLE 09. 風〜The wind knows how I feel〜 10. Mirror 11. くるみ 12. HERO 13.空風の帰り道 


2014年02月23日(日) 三善晃追悼で、「夕焼けこやけ」管弦楽編曲鈴木輝昭




オーケストラアンサンブル金沢
第347回定期公演フィルハーモニー・シリーズ
2014年2月23日(日) @石川県立音楽堂コンサートホール
Reported by 多田雅範/Niseko-Rossy Pi-Pikoe

1 三善晃 / 三つのイメージ(2002年度OEK委嘱作品)
2 (アンコール)三善晃編曲 / 「唱歌の四季」〜夕焼小焼
3 メンデルスゾーン / 交響曲第2番変ロ長調 op.52「讃歌」

演奏
山田和樹指揮
オーケストラ・アンサンブル金沢(コンサートミストレス:アビゲイル・ヤング)
木村かをり(ピアノ*1,2),小林沙羅,熊田祥子(ソプラノ*3),西村悟(テノール*3)
合唱:オーケストラ・アンサンブル金沢合唱団,東京混声合唱団メンバー,金沢大学合唱団メンバー(合唱指揮:富澤裕)
児童合唱:OEKエンジェルコーラス*1,2
プレトーク:山田和樹


四谷三丁目 Tactile Sounds Vol.14 から帰ってすぐに寝て、起きたら朝6時、飛び起きて有楽町線丸の内線東京駅。みどりの窓口で金沢行き大人一枚。腹へった。野菜サンド、ヤマザキのランチパック。

二階建て新幹線、下の座席なので窓際なのに高速コンクリートしか見えない。速い。90分で越後湯沢。雪国。特急に乗り換えると風景が楽しめた。日本海が見えるとたいして雪が無い。金沢には雪がない。

駅から泉鏡花記念館に向かって歩く。暖かくて気持ちいい。電車で座ってただけなので全然金沢まで来ている気がしない(数年前にクレーメルを聴きに来た時は高速道路で山越え来たのだ)。この街に住んでいる自分を想像して、足が嬉しい。新しい靴で、余計に心が軽くなる。鏡花と柳田國男と小村雪岱のコラボという展示。小村雪岱の挿画イラストがかなりいい。鏡花の『山海評判記』は雪岱の挿画で新聞に連載されたもの。昭和4年。1929年。三善晃が生まれる4年前。この本、読んでないや。記念館の売店でちくま文庫を購入する。浅野川まで歩いてうめの橋を渡って徳田秋声記念館は入口だけ見て。あれれ?この通り・・・蛇の目寿司で食べたことあるようなフラッシュバックに襲われる。

バスに乗って金沢駅へ。駅ビル2階の「すし玉」回転寿司。朝獲れ三貫「のどぐろ・石鯛・ほうぼう」525円皿が美味すぎて3度も注文し、寒ブリを食べ忘れた。

長女かなみんが7月20日に上野精養軒で挙式だという連絡。

泉鏡花記念館と回転寿司でもう元が取れたなー。

コンサート開場時にエントランスホールではアンサンブルがグレツキの合奏・・・グレツキじゃないや、何だっけ。コンサートマスターのお話がかわいくて楽しい。金沢、最高だ。

コンサートの冒頭は三善晃「三つのイメージ」、この曲のために新幹線代も有給休暇も家族の反対も家賃滞納も押してやって来たのだ、合唱+オケ形式は聴き逃さないのだ、ほお、童声だけじゃないのだな、「三つのイメージー童声・混声合唱とオーケストラのための」、オケは小さいな、それにしても合唱の響きはこうやってホールでしか聴けないのだな、録音物との差が激しいものだなあ、と、思いながら、何と、いつのまにか気持ちよくて寝てしまう(!)。ここで寝るところが、天性の見逃し気質であるものか。

起きて聴いていた友人は、作品の真価に触れられた名演だったと、山田和樹を讃えていた。

続いて三善晃追悼で、「夕焼けこやけ」管弦楽編曲鈴木輝昭。この世のものとは思えない感興の噴出。合唱。オケ。鐘が鳴る。

夕焼け小焼けで 日が暮れて
山のお寺の 鐘がなる
お手々つないで みなかえろ
からすといっしょにかえりましょ

子どもが帰った あとからは
まあるい大きな お月さま
小鳥が夢を みるころは
空にはきらきら 金の星

作詞:中村雨紅 作曲:草川信 

「こどもがかえったあとからは まるいおおきなおつきさま」

恐るべき子どもだった三善晃、天に召された三善晃。

まるいおおきなおつきさま、すごい音楽だった。

思い出すだけで、嗚咽しそうになる。涙がでてくる。

昼間の金沢駅前は右翼の街宣車が威勢のいい怒声を響かせていたのだった。竹島をこのまま韓国に渡すものか。30代は都議選で田母神を支持した。戦後の日本音楽界に輝いた三善を失った2014年の現在はそんなふうだ。

メンデルスゾーンは合唱もオケも指揮も素晴らしいもの。おそらく曲が素晴らしくない。オルガンが弾いているのは見えるけれど音が聴こえないのはおれの耳がお年寄りなせいかホールのせいか作品のせいか。佐村河内モンダイが明らかにしたのは、やはりクラシック界は怠けているということだ。現代音楽作曲家が高みに安住して大衆を顧みないでいるのは、メンデルスゾーンで手打ちをするしかない現状に出ている。鈴木輝昭が「夕焼けこやけ」でこれだけのものを聴かせることはできるのだ。三善の足元にも及ばない作曲についての必然も動機もない世代が、コンセプトでうそぶいている。

夜行バスまで金沢ゆめのゆ(天然温泉施設)。タクシーのおじさんの金沢言葉がたまらなくいい。金沢は京都の文化圏なのだ。温泉に入ってC級な定食を食べて。金沢発の夜行バス。遮光カーテンで覆われて風景が見えない、これでは揺れる棺桶だ。血圧が高くないのですぐにケツが痛くなって動けない。有磯海サービスエリア松代サービスエリア高坂サービスエリア。抜け出してストレッチ。22時金沢発、6時半東京駅着。もう夜行バスには乗らない。

音楽都市、金沢を堪能してきた。間もなく新幹線が通って2時間ちょっとで来ることができる。井上道義が育てるオーケストラアンサンブル金沢。次に三善晃の合唱+オケ形式の作品を演るのはいつだろう。その時は新幹線で来ようと思うのだった。






















2014年02月22日(土) 「tactile sounds Vol.14」





サックス奏者/作曲家の橋爪亮督と音楽批評の益子博之の二人が「触覚で感じる、いま・ここで生まれる響き」をプレゼンテーションするライヴ・シリーズ
「tactile sounds」


「tactile sounds Vol.14」
森重靖宗(もりしげ・やすむね)
橋爪亮督(はしづめ・りょうすけ)
中村 真(なかむら・まこと)



喫茶茶会記へ、タクタイルサウンズのライブへ。


ライブが終わって、益子さんに「いやあ、これは事件ですねー。すごいものを聴いてしまいました。前半はどーなることかと思いましたが。浅田真央状態ですねー。」などと口走り、それは会場に響いたものだから、お客さんたちがどっと沸いた。


しかしそれは慎まなければならないことなのだ。音楽が、終ってすぐに判定されるわけがないのだ。


即興のジャンルに居ると思われているチェロ奏者の森重さんと、現代ジャズのサックス奏者橋爪さんの取り合わせは、予測不能なものだった。


そして、3にんでの即興演奏が始まると、チェロとサックスの響きの交感、それこそ演奏家の命懸けの跳躍である。感覚を研ぎ澄まし、大袈裟ではなく100分の1秒のタイム感覚とコンマなんちゃらデシベルの音量とウルトラ微分音射程の音程を即座に判断している(このあたりの表現すいません)。


チェロにマイクを装備して持続音を中心に繰り出す森重と、トーンを層にして揺らいで応じる橋爪と。このサウンドに対して、打楽器であるピアノは宿命的に封印されるが如くの様相になるのだが、ピアノの中村はその本能で音を置き、連打にてピアノを反響音の塊にしてさえ見せたのは凄かった、評価にあたいする。聴くワタシも同時に奏者となり、その勇敢さと思い詰めた一瞬に対峙する。これが一部だ。


後半。二部は、チェロもサックスも、持続音系からリズムを内在させる表現へとシフトするようであり、それはピアノの本性を召喚するサウンドとなり、3者は共有する土台を瞬時に把握し、音楽を、即興演奏を飛翔させたのだった。それはもう、ミュージシャンの生命を賭した旅路だ。表面的に激しいとか速度を演出するのではない。足がかりなく、おのれの耳を賭けた演奏の交感なのだった。


ラストは用意していたスコアをやめて即興をすると判断した橋爪。


今日初めて出会った3にんの即興演奏家は、3にんにしかできない世界を拓いていた。これはもうスーパーユニットの出現だ!と唖然としながら聴いた。音楽のマジックとはこういうものだと打たれるわたし。いやまあ当然ですよと言いたげなような清々しい表情の3にん。


おれは帰り道、浅田真央状態ですねーなどと口にした浅はかさに反省と落ち込みだった。会場に抑圧的な感想を刷り込んでしまったのではないか。そんな単純なハナシではなかったろうに。苛烈で予測困難であった一部のほうがむしろ果実ではなかったか。


森重のすぐにECMに録らせるべきヴィジョンの横溢と、橋爪のそばで聴く重層津波のようなトーンの発見、橋爪の持続音でチェロが共鳴し名指しできぬ響きが現出したのはこの喫茶茶会記というハコの奇跡でもあるし、益子博之がこの場所で橋爪をシリーズする慧眼の結果でもあろう、森重と橋爪の相性もさることながら、ピアノの中村の即興感覚と打音に殊更に惹かれた。ピアノ機材自体はしょぼいが(クラシックのに比してね)、中村の演奏が凄かった。


演奏家として歩んできた道のりはそれぞれ異なることであろうことは、耳でわかった。3者が対等に出会い、足がかりなく冒険し、そして体験する。おれはインプロはもういいかなー、なんて構えで暮らしてきたけれども、見事に覆された、圧巻だった。





2014年02月21日(金) マンフレート・アイヒャーはレディオヘッドが好き




旅を終え。日中気温が上がり、車に乗り込むと暖かく。カーステを鳴らすとニールヤングのライブが流れる。

いつだかマンフレート・アイヒャーはレディオヘッドが好きだときいて、一瞬虚を突かれた。そして、それは当然だよなー、と、思い至るまでの数秒。耳のパラダイム・チェンジ。レディオヘッドもメルドーもアイヒャーも、現代を生きている。いや、現代を生きているという書き方は不遜で、単にリスナーであるワタシが聴きたいように聴いていた自閉を思うべきなのだ。

レディオヘッドもスフィアン・スティーヴンスもルーファス・ウェインライトもわたしは大好き。ニック・ドレイクもね。

『Jazz The New Chapter 〜 ロバート・グラスパーから広がる現代ジャズの地平』監修 柳樂光隆
(シンコー・ミュージックMOOK)
では、レディオヘッドもスフィアンもECMも現代ジャズの地平に在ることが記されている。

そこはとても痛快なことなのだ。

ジャズおやじはそんなの聴かない。そして、ジャズファンがそこを通過していない、というのもあるけれど、ワタシもいろんなものを通過していないという恐れもあるなあ。

通過しなければわからないということは確かにあって、何かの理解のために通過するというリスナー生活をワタシはするのかというと、その勤勉さはないし。そうやって、老いてゆくのだな。

それにしても70になるアイヒャーの若さは何なんだ。マヌ・カッチェのECM登用だって、87年のロビー・ロバートソン盤を聴いて当時からスカウトしたというのだから、すごいよな。





(Amazonカスタマーレビュー)

私は十分におっさんだが,The BandのリーダーとしてのRobbie Robertsonはあまり知らない.ただ,本作が出た1987年当時に受けたインパクトは今もはっきりと記憶している.なにせ,プロデューサがDaniel LanoisとRobbie Robertson自身,ほとんどの曲のリズムをManu KatcheとTony Levinが奏で,金字塔アルバム"So"でポピュラリティを獲得したPeter Gabrielが1曲でヴォーカル参加,"The Joshua tree"によってロックシーンでギラギラと輝くことになるU2の面々も2曲で参加しているという豪華さ.そして,かつてのThe Bandのメンバーも脇を固めている.Maria McKee,The BoDeans,Neville Brothersも参加.とどめがミックスのBob Clearmountain.当時の流行りのアーティストと音づくりのスタッフを総動員した,今振り返れば非常にバブリーな作品.

しかし,これだけのコストをかけただけあって曲のクオリティも高い.Robbie Robertsonの「ヘタウマ」なヴォーカルに馴染むのにはちょっと時間がかかったけど,馴染んでしまうと,彼の声の出す味がたまらない.ギターも渋くてうまい.全体的に南部の土臭さを漂わせているものの,リズムから得る硬質な感じは,Peter Gabrielの作品っぽくもあり,その点がオールドファンの鼻につくかもしれないが,上記のアーティストの作品のどれかが好きな人には一聴の価値があると思う.好みが分かれる作品だとは思うが,80年代のロックにおける一つのランドマークであることは間違いないと思う.


2014年02月20日(木) 『Jazz The New Chapter 〜 ロバート・グラスパーから広がる現代ジャズの地平』




『Jazz The New Chapter 〜 ロバート・グラスパーから広がる現代ジャズの地平』監修 柳樂光隆
(シンコー・ミュージックMOOK)

イントロ文立ち読み感動してお買い上げしました!世界初のジャズ本。知らんことだらけだよお…泣
お給金出たので「モンキー2号」とレジに向かいました。Vijay Iyer ECM盤の即日レビュー中です。
えええ?ボーナスディスクレビュー冊子があるのおお!ノオオ!

「必読!!!90年代以降の現代におけるジャズ批評の空白を埋める重要作」タワーレコード池袋店

まさに。

監修する柳樂光隆さんはまだ30代と。そして、国分寺の中古CDショップ「珍屋」店長だったと。国分寺プー横丁のお店の渡辺草店主からのジスモンチやジャズで育ったという。珍屋は開店した頃おれ学生だったよく行った。あの不毛の東京学芸大学からジャズ評論家が出たのだ。不毛だなんて毒づいてどうする。ECMサウンドが満ち溢れている記憶のかたまりだのに。

プー横店主には学生時代以来お目にかかっていないけれど、柳樂さんが中継してくれてお互い元気にやっていることがわかった。ほんとにありがたい事態だ。

テイボーンもモーガンもプーさんもウイリアムパーカーもモチアンメソッドも出てこない現代ジャズ、とは、このような風景なのかと勉強になる。

益子博之による現代ジャズ著作を。いーぐるでの講演やタダマス選曲を並べるだけで、世界は転倒するだろう。

柳樂さんのテキストにスフィアンやECMマジコへの視野が言及されており、太ゴチックなおいらである。えらいっ!

マンフレート・アイヒャーという表記を稲岡グループでは厳守しております。







2014年02月19日(水) 編集CDR 『 きこえるかしら 20140219 』




赤毛のアン2曲を収録するのに編集CDRを作っといた。恐ろしいアニメ主題歌だ。
友だちに2トラックもらっていたのだった。
1曲目は聴きたくて入れたが、いまいちだな洵奈ちゃんのピアノの呼吸に比べるとさ、失敗。

編集CDR 『 きこえるかしら 20140219 』
01 主よ、人の望みの喜びよ / フリードリヒ・ヴィルヘルム・シュヌアー (p) 2013
02 enter / 小谷美紗子 2014
03 きこえるかしら 岸田衿子・作詞 三善晃・作編曲 大和田りつこ・歌唱 1979
04 さめない夢 岸田衿子・作詞 三善晃・作編曲 大和田りつこ・歌唱 1979
05 橋 / レニーニ 1998
06 Rat Now / Mal Waldron Trio from 『Free At Last』ECM1001 1969
07 Sunshades / The Batterd Ornaments from 『Mantle-Piece』 1969
08 Every Breath You Take / The Police 1983
09 Playa Playa / D’angelo from 『Voodoo』 2000
10 In Front / Keith Jarrett from 『Facing You』ECM1017 1971
11 太陽と戦慄パート1 Larks' Tongues in Aspic, Part One 1973
12 戸島美喜夫:鳥の歌(カタルーニャ民謡) / 高橋悠治 from 『solo』

小谷の enter の演奏、リズムの複層具合はヒリヒリするんだ。

ポリスなんて入れたのはほら、一般人がくるまに乗る場合用の緊急避難トラックさ。


函館の小学校で同級生だった彼が区議になって元気かなーとサイトみたら、1年早く生まれていたことがわかって驚く。だからあんなに頭良かったんだ。中学に上がって一緒に校則紛争を起こした仲だけど、なんぼがんばってもテストで勝てなかったな。放課後に一緒に座って作戦会議した亀田港の庭石は、すでに無くなってたよ、当たり前だけどね。

18になって東京で再会して、「ただはさー、おれんちの壁と入口ドアに相合傘をチョークで描いて、のだちゆきちゃんの名前書いて、ひどいイタズラされてたんだ!」と、「ほんとかよ!おれ知らないよー」。丹沢へ山歩きしに行って山頂でコーヒーのんで「ただは天皇制についてどう思う?」なんてきかれて「昔からあるものはあっていい」と応じたり、金大中を救えというデモにもガールフレンドのほうが優先だと応じなかったり、ごめんね。

老後になったら会いたいな。

またいじめてやろ。半世紀ぶりに。

なんて思うのは「モンキー」2号の最初の短編「ザ・パニッシュ」を読んだからだ。

週末の金沢行きは、行きは新幹線で、帰りは夜行バスにした。


2014年02月18日(火) 井上陽水の「Make-Up Shadow」




昨年8月の大通公園で焼きとうきびを食べながらアイフォンで隠し録りしてたパパの声を聴きながら布団をかぶって寝る。風の音や遠くの子どもたちの声や噴水の音が、空間になっている。

あそこにあったものが、もうない。

おれの頭の中にしか、ない。おやじの声、おふくろの声、白石の昔の家、苗穂のアパート、函館の借家、宮下の借家。再現する練習。

おやじとは病室での1日、おふくろとは何度も行ったドライブ、昔話は楽しかったな。いつまでもいつまでも昔話をしたかった、昔話だけをずっと何年でも続けていれば先祖からの歴史の中に消えてゆけるような気がする。というか。山河に溶けてゆける。

寂しくないのは。「アンタほれ、洗濯物たまってるよ」「ステレオを聴けるように部屋を片付けな」「またコンサート?」「いや、それはやめたほうがいい」と、自分の中に声をあげる二人がいるようだからだ。

バレンタインの夕暮れにかなみんから着信があった。折り返しても出ない。数分後かかってきて、「おとーちゃん、電話した?」。「おまえから着信あったんだけど」「あれえ?かけてないよお、かかっちゃったのかなあ」「ならいいわ、元気なの?仕事終わったの?」「いま松坂屋あ、まーくんにチョコ買いに来たのー」「そう」「おとーちゃんに連絡しようと思ってたんだ、部屋の更新で保証人のサインもらいたいの、そのうちでいいから」「わあったー、そのうち都合つけるー、蛇骨湯いくべー」

そうだ、小谷美紗子の『Us』、初回限定盤と通常盤があるから、1枚あげよ。


雪に埋もれた山小屋に居る。恋ちゃんがそこで制作をしているようだ。日本人4人の即興演奏が見える。大太鼓をどんどん叩く奏者がいて、緩んだ賑やかさに湧いているお祭りのような演奏だった。福島さんがそばで観ていて、奏者と話しはじめている。演奏が終って帰ろうとすると恋ちゃんが見送りに来たので財布から1万円札を出して、「きよちゃんの誕生日に贈ろうとしていたんだぜー、ちゃんと美味いもの食べな」と渡す。靴のひもがうまく結べないでいる。福島さんに待ってもらっているのは申し訳ないなと思う。雪道を歩きながら、なぜか井上陽水の「Make-Up Shadow」を口ずさんでしまう。「ああ、その曲は秀逸ですよね」と福島さんが言い、一緒に歌う。「よく知ってますねえ」と言うと、「井上陽水はウォーターダウンシップのうさぎたちの主題歌をカバーしましたね。ブライトアイズというやつ。アートガーファンクルも歌っていました。あれもいいですね。」と言われ、そ!そ!そ!と人差指をあげたら目が醒めた。




2014年02月17日(月) 新着図書の棚に1冊だけ「デレク・ベイリー」




日記さぼってた。いやー、大雪楽しかったー。タイヤが白く摩耗するのだ。

暴風雪のピークの夜中に、サンクスにホットコーヒーを買うためにだけ車を出す。
スタッドレスじゃないタイヤで雪道をエンジンこげ臭くさせて走るの、スリルー。
ぶつかりそうになるのもキュンとしちゃう。うねる、うねる、
ぐわわわわ、と、コンビニの敷地に入ったら、あらら、あらら、立ち往生!!!
大雪の中、若い兄ちゃんがふたりで助けてくれて、その間さらに降雪密度速度早まり、
トラックが断続的に走ってわだちが形成される環八と川越街道以外の道では
次々とウインカー立てて立ち往生している軽自動車、車体の低いスポーツカー、避けながらハンドル切ると道路の端は凹んでいるから電柱に向かって逃れられなくなる、瞬間にエンジンふかしてバウンドして荒波をかきわけてゆく、溺れそうだ。

Jazz Tokyo に、タガララジオ41。コンサート評2本。ヴィジェイアイヤーCD評。書いてた。

書くたびにアタマが悪くなっていることが自分でわかる。老眼が進んでいるのもわかる。

混雑する光が丘図書館に行く。新着図書の棚に1冊だけ「デレク・ベイリー」の文字が見える、20m先、遠視だからな!、ほかの誰にも手に取られませんように!喘ぐように祈って歩いてゆく、ここで急いて走っては、白昼の図書館を走るオジサン不審者に見えてしまう。

よったんの留萌の写真。おお、北海道の冬だ。













2014年02月08日(土) CD10枚




CD10枚いただいた。ビザンチンのは判るが他のはさっぱりわからん。

古楽ばかりな気がする。

手元に届くということは、聴かなければならないという指令かもしれない。

1枚判明した。

『モンセラートの朱い本』(OPUS 111)


2014年02月07日(金) 岩崎洵奈ピアノ・リサイタル@かつしかシンフォニーヒルズアイリスホール




NHKラジオの「音の風景」(これは無形文化遺産だと思う)でニセコの雪を踏みしめる音にみみをすまして。続いて「リサイタル・ノヴァ」で聴こえたショパンに、瞬時に51年間のショパン嫌いが融けて、夜勤明けの川越街道にウインカーをたててみみをすました、昨年の2月22日。CDを買おうと調べてみると、放送された音源はCDではない入手できない収録音源。

そして「2010年、第16回ショパン国際ピアノ・コンクール」二次予選の動画(http://nicoviewer.net/sm12418514)を見つける。この、大舞台で緊張しているはずなのに、音楽の呼吸に寄り添って、そこに視える音楽に鼓舞されて、なだらかな雪の斜面を息が詰まるような正しいカーブに導かれて弾いている、そんなピアノに唖然とさせられる。

ついに今日、ラジオで聴いた日から1年、岩崎洵奈のピアノを最前列で聴くことができた。

椅子に座って、誰にともなくにこっと微笑んで、うなずいて、中空を見上げて。彼女の場合、沈黙の配置の呼吸からすでに音楽になっている。ピアノ・タッチも的確、速度、強度、リズム、ショパンコンクールトップ通過から3年、テクニックに申し分はあるはずがない。わたしが当初から感じていたとおり、あの音楽の呼吸のありようが萌芽であったものがしっかりと完成形になっているようだった。

プログラムは高度な大曲とフレンドリーな名曲が交互に。葛飾区は母親の地元で自分は近くの赤十字病院で生まれたこと、現在学んでいるウィーン市フロリズドルフ区と葛飾区は友好都市提携していること、に、集まったホームグラウンドな聴衆への配慮もある。

調べてみてやっぱりと思ったのは、ショパン・コンクールの1次でトップ通過した岩崎洵奈(http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2010/10/2010-yesno-0237.html)。それはすでにコンクールという競技の器からははみ出るものだった。ショパン国際ピアノ・コンクール、ディプロマ賞受賞。マルタ・アルゲリッチの賞賛。アルゲリッチはコンクールの得点なぞ眼中にないその触手で、岩崎洵奈の可能性を確かに捉えている。

ショパン・コンクールといえば、傑作マンガ『ピアノの森(一色まこと)』の世界しか実は知らない。主人公の天才少年イチノセ・カイのピアノは、わたしの耳の見立てでは世界の岡田博美である。シフでもピリスでもポリーニでもペライアでも、ましてやアファナシエフでもない。(そういえば積年の野島稔は一度聴かなければならないが・・・、あ!4月によこすか芸術劇場で聴けるぞ!ベートーヴェンのピアノ協奏曲かあ、まあいいや、S席1枚!、ああ、いま検索してみて良かったー。)

岩崎洵奈のピアノは『ピアノの森』で描かれるに相応しい特別な輝きを備えている。彼女のピアノに照準を合わせると、他の奏者はかすんでしまうのだからそれはヨーロッパにとっての死活問題だったろう。

ピュアネス、しなやかな強さ、音楽の波、呼吸・・・。決め!決め!決め!でポイントをクリアしてゆくような、またはそこに優雅なタッチなり、文章でいえば決めセリフをどう見事に配置するか構成するか、に、傾くのではなく、そういうラインの芸術点は欲しがらずに。彼女のピアノは句読点のなだらかさの読みを持続させてゆくことに集中している。それは、健気なくらいの旅路だ。

・・・こないだのはしたないゲキチではない。20世紀最高カンペキのポリーニではない。透明な響きのやわらかさの中に重力を失うピリスでもない。その定規で測るようなピアノを彼女はそもそも求めていないのではないか。清楚で潔白でおしとやかで、「ちゃんとわかっていて用意してくれている女性らしさ」というのがある奥千絵子のピアノ、と、形容する枠組みには近しい場所にあるかもしれない・・・。

いろいろピアニストの記憶を辿ってみているのだが、彼女は現代のアルフレッド・コルトーではないか、そう直感するのである。もちろん彼よりもタッチは的確で透明である。

ぼくは岩崎洵奈のピアノを何時間でも冷めないで聴くことができる。それは謎でもあるからだ。そうだ、3日にトリフォニー聴いてきたばかりのエリソ・ヴィルサラーゼのシューマンに感じた自在の境地にも通じている、生命感といったものでもある。

ここにきて音楽の友1月号、月刊ショパン1月号、週刊新潮12月26日号、音楽現代2月号にインタビュー記事が掲載され、今日のリサイタルはほぼ満員御礼。夜半の豪風雪予報にかかわらず単独で来場する眼光鋭いマニアも多かった(おれのことか?)、要注目のピアニストだ。

わたしにとってのクラシック・ピアノ世界ランキング1位はもちろん岡田博美である。2位はアンドラーシュ・シフである。そして3位は、岩崎洵奈だ。この3にんが同日にトリフォニー、サントリー、紀尾井でリサイタルという未来は確実にある。もちろん紀尾井のじゅんちゃんを聴きに出かけるつもり。




2014年02月06日(木) アーロン・パークス・ソロ@コットンクラブ(丸の内)




アーロン・パークス・ソロ@コットンクラブ(丸の内)

そういえば昨日のトリオを4にんで聴いてて、悠さんが「彼はどこの出身?」ときいて、稲岡さんが即座にぼそっと「公園。」と言い、おれが「アメリカでしょ?」、稲岡「だからアメリカなのはわかってるって」と噛み合わないでいて、10秒遅れで「なにそれ!パークスだから公園?」と吹き出し笑い。

アーロン・パークスのソロ。いやはや酔わせていただきました。ECMのソロ空間にトランスする状態も垣間見せつつ、やはりスタンダード曲をコットンクラブで料理する理性も手放さずに、極めて適切なステージを披露したということになるでしょうか。

アーロンのソロに対してはぼくが一番適切なレビューを書いている気もしているので、ステージのピアノ横に座って何度もアーロンと目が合っても、親愛の視線で受けていて、彼のピアノの歩みの所在と同調し尽くしました。

札幌から妹が来ていたので、赤坂のホテルで拾って10分100円のTOKIA東京ビルの地下駐車場へ。赤坂から丸の内なんてオラのテリトリーではなくてこのあたりは階層がチガウわいな、三菱電機本社の社員はコットンクラブが社用レストランみたいで、と、クロークに上着を預けたりして、おのぼりさん中年兄妹はスーツ姿の美人に案内されて、素敵なネッカチーフですね手作りですかお似合いですねなんて言われて、ジュースやパスタを。

帰りにソングエクスの宮野川さんと久しぶりのドキンちゃんに会い。こないだ若林さんたちとサンチョンに会ってきたんですよ、クラシックのほうはアンテナないけど、いいやつですよ、うんぬん。

ぼくはサンチョンの制作した2枚を高く評価していて、今後に注目しています。

そういえば細田さんから「あらためて、多田さん『Yeahwon Shin/Lua Ya』評を読み直して「それにしても、このサウンドの涼しさはどうだ、抑圧の無さは何なのだろう..」そうそう、そうなんだ。他の評者はこの作品を「典型的なECMボイス・ミュージック的」「こういうヴォイスはECMでは他のヴォーカリストでも複数あった...やはりちょっと小品感はあるかなあ..」と、この感覚が分かってないんですね。しかし、このヴォーカルが日本ではなく韓国というのに嫉妬します、このヴォーカルを求めて評やコメントから何人の日本女性ヴォーカルを捜したか、特に朝生愛、青葉市子に期待したが違って失望したものです。」と、メールをいただいていた。

とても嬉しい。

昨年のジャズ界では、せめてトーマス・モーガンが弾くECM3作品そろい踏みしたことに注目が集まり、モーガンのことが知られてほしいと思っていたけれど。

コンサートのあと、スカイツリーを見上げるベストスポットに行って、ジョナサンでお茶した。妹と二人でいると、亡き父母が一緒に居て、4にん家族だった時間にいるようだね。ママはねー、スレンダーなモデルさんみたいな女のひとを見ると「あらまあ可哀想に、ちゃんと食べられなかったんだねえ」といつも言ってたさ。妹は服を買う時間がないからと、おふくろの洋服を揃えで着て来てた。赤坂のホテルまでの道がタクシーの空車渋滞になっていておしっこを我慢するのに大変だった。

気温1度の東京を暖かい暖かいと騒ぐ妹、寒くて死にそうだと震えるおれ、灯油代がかかる家なんだわ、おれはもう北海道で冬を過ごせる体力はないぜよ。




2014年02月05日(水) アーロン・パークス・トリオ@コットンクラブ(丸の内)




夕暮れの東京駅だぜ、おっかさん。

アーロン・パークス・トリオ@コットンクラブ(丸の内)

Aaron Parks (p), Ben Street (b), Billy Hart (ds)

やはり背骨でピアノを弾いていたアーロン・パークス。手堅い実力者ベン・ストリート。そして、よもや73さい老兵ビリー・ハートの破顔一笑で突き崩すタイム感覚での快活のリズムワークに、このトリオのほとんどが支えられているのであった!ストリートとの沸騰するゾクゾクする感覚が3度訪れた。この3にんのコンビネーションは不思議に得難いものだ。


東京駅そばのTOKIAはJPモルガンと三菱電機の本社が入っているビルなのか、本社入口は改札口のようになってる、そこの3階にコットンクラブはあった。人生初コットンクラブ。主幹悠雅彦先生、稲岡編集長、鉄人神野秀雄という Jazz Tokyo カルテットでの鑑賞。

ECMのサン・チョンがプロデュースした森の中を歩み進むような幻惑的なピアノ・ソロ『Arborescence』は、パークスの資質を見抜いたものであったから、彼によるジャズの定番ピアノ・トリオには期待していなかった。3日間の公演日程をパークスの希望でラスト1日はソロになっていた。

アーロン・パークスのピアノは、背骨からスイングが始まっているから頭はグラングラン揺れているし、指はそれなりにちゃんとジャズピアノできているので、制御困難な揺れが両手指先全体を宙に浮かせてしまうんだな。地に足をつけようと指は走るんだが、屋台骨がモアレ状態で揺れるものだからタッチの強弱や、着地のタイミングが揺れてバラけてしまうのだ。その身体感覚が、新らしいタッチとなっている。がっちりと、とか、深く、とかではない、極端に言えば、はぐらかしの切なさが真実だ。

ベン・ストリートは、そうさなあ、グレナディアの余った席を埋めるに相応しいタイプというか、ピチカートぽい挿入もカッコいいし、ね。

73さい老兵ビリー・ハートはECMでマーク・ターナーらを従えたリーダー作を出していたけれど、リーダー名義の譲り合いや契約事情でそうなったかと推測していた。チガウんだなー、この勇敢なタイム感覚崩しのリーダーシップは、「わはは、おまいら、ついてきな!ふん、ふーん」とオヤジの威厳で音楽を持って行ってしまう。

ほんとにもう。笑いながら興奮したぜ。

もちろん若い主役のパークスに充分なソロを取らせて、スポットライトを浴びさせることも忘れない。

キースジャレットトリオ、ブラドメルドートリオ、フレッドハーシュトリオには並べない水準ではあるんさ、ぶっちゃけ、ね、だけどもビリー・ハートが叩くと、すべてのトリオをハートで聴いてみたい気にさせられる。つくづくビリー・ハートには恐れ入った。

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『伝説を超えるNYジャズ新世代、注目の若き天才ピアニスト
ピアノ・ソロで魅せる繊細で美しく、自由自在な音世界』
‘ブラッド・メルドー以来の衝撃’と絶賛されたジャズ・ピアニスト。2013年10月、遂にヨーロッパ随一の名門レーベル、ECMから最新ソロ作品『Arborescence』をリリースしたばかりのアーロン・パークスがコットンクラブで初のソロ公演を行う。1983年シアトル生まれのアーロンは、14歳時に飛び級でワシントン大学に入学し、数学、コンピューター、音楽を専攻。16歳でマンハッタン音楽院に入学するととともに初リーダー作を録音。人気トランペッターのテレンス・ブランチャードに認められ、彼のバンドで本格的な活動を開始。カート・ローゼンウィンケル、アンブローズ・アキンムシーレイなど、数多くの若手ジャズ・ミュージシャンと共演、弱冠24歳にしてブルーノートからメジャーデビューし一躍時の人となる。アーロン特有の繊細さが際立つ美しい旋律と共に、NYジャズ新世代の唯一無二のステージを是非味わってほしい。
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誰だい?そんな上げ底な絶賛したのは。ブランチャードに認められたのが何か。ブルーノートもピアノ布陣は弱いからなー。でも、ブルーノート流に弾きたくはないパークスの心情もよくわかる。


ビリーハートと再会してハグする悠雅彦先生、さすがだな。
気鋭のジャズ評論家柳樂光隆さんも来られている、さすがだなあ。

コットンクラブは、フレッドハーシュといい、アーロンパークスといい、ニューヨークのシャープなところを招聘している。東京駅からすぐだし、新幹線でライブを観に来る女性もたくさん。そうそう、観客におしゃれな若い女性が多いのにもびっくりだわ。パスタが美味しいのにもびっくりだわ。


2014年02月04日(火) 新垣先生に寛大な対処をお願いします




ちょいと脱線するが、佐村河内守交響曲1番HIROSHIMAをゴーストライター事件発覚後にちゃんとCDで聴いた。寒い夜中の吹雪に、カーステで聴いた。ガッツポーズをしながら、素直に感動した。ここまでくるとスポーティでポップでさえあるだろう。沈黙に至る第二楽章、鐘が告げられ開放される第三楽章。おれは、こういう現代のロマン派交響曲を聴きたかったのだ、今までこういうのが無かったのが不思議だ、19世紀ロマン派巨匠たちの交響曲たちにはもう飽きてるんだ、うじうじ退屈なんだ。長木誠司さんのCD解説文の説得力は失っていない。

識者からは、映画音楽ふうだ、現代音楽水準では発注書に応じた課題の実施だ、との、上から目線ばかりだが。スコアの出生はそうだとしても、読み込んで練り上げたこの大友直人の指揮は、この東京交響楽団のちからを尽くした演奏は、どうなのだい?スコアの世界から音楽を断ずる思い上がりは不愉快だ。スコアなんてものは音楽のほんの一部であり時に有害でしかない。そんなしたり顔にはだまされないのさ(Flipper's Guitar 調で)。そして、二度とこのような録音は生成しない。この録音は受胎したのだ、奇跡を起こし、受難し、そしてやがて再生するという、クラシック世界を支える核心にあるストーリーと同型な経緯を辿る可能性は、ある。

音楽は聴く者が創る。荒川修作せんせいから、ぼくはそう教わっている。



多田 雅範 さん、こんにちは。

私たちのキャンペーン「桐朋学園大学: 新垣先生に寛大な対処をお願いします。」にご賛同いただき、ありがとうございます。

Facebookの友達にもキャンペーンを紹介していただけますか?

以下に、友達へ転送できるメッセージの内容を用意しました。

ご支援を心から感謝します。今後ともご協力よろしくお願いします。

新垣先生を慕う学生・音楽家同志一同

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友達とシェアする際のメッセージ:

こんにちは。

突然ですが、Change.orgをご存知ですか?

Change.orgは「変えたい」気持ちを形にする、ソーシャルプラットフォームです。

先ほど、 「桐朋学園大学: 新垣先生に寛大な対処をお願いします。」というキャンペーンに署名しました。

一緒にこのキャンペーンを応援していただけますか?

以下のキャンペーンのリンクからネット上で署名ができる仕組みになっています。

http://www.change.org/ja/キャンペーン/桐朋学園大学-新垣先生に寛大な対処をお願いします?recruiter=79494177&utm_campaign=signature_receipt&utm_medium=email&utm_source=share_petition

ご支援を心から感謝します。

多田 雅範


2014年02月03日(月) エリソ・ヴィルサラーゼ@すみだトリフォニー








錦糸町から見上げるスカイツリー、と、こないだ見下ろした錦糸町。

エリソ・ヴィルサラーゼ

モーツァルト/ドゥゼードの「ジュリ」の「リゾンは眠った」による9つの変奏曲 ハ長調 K.264(315d)
ブラームス/ピアノ・ソナタ第1番 ハ長調 作品1
ハイドン/アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.XVII:6
シューマン/交響的練習曲 作品13

戦後クラシックの黄金期を彩った大御所たちの一端に触れた。スタインウェイを鳴らすとはこういう演奏だということがわかりました!ラダメス師。ほら、ゲルバーは体重でガツンガツンこう弾けと教育的指導をするようなベートーヴェンだったことを憶えているけど。

これが基準で最高値なのだ。モーツァルトらしいモーツァルトはいらない。しっかりと重力を鍵盤に伝えて輪郭をくっきりと歌う。スイングさえしているように自在だ。シューマン弾きというのもうなずける、これ以上が望めないような質感をたたえていた。

こういう例えは適切ではないがキース・ジャレットの最初のソロの1曲目「イン・フロント」を高度にした感じだ。

シフやピリスの現代最高峰のピアノのラインは、無重力とタッチの軽やかさと響きの透明さだから、まったく別のジャンルのように思える。ピアノが違うか。

「音楽の抑揚が大きく、呼吸も深いのですが、一音一音の輪郭が非常に鮮明で、特にトリルの響きの美しさときたら、正に純白の真珠を思わせるような透明感と光沢、そして気品に満ちあふれたものでした。」(中村匠一さん)

歓びとスタンディング・オヴェイションに涌いたすみだトリフォニーホール。

「エリソ・ヴィルサラーゼ ピアノ・リサイタル」は、3/21(金)19:30〜21:10 NHK-FM「ベストオブクラシック」で放送されます。

アンコールはシューマン/『森の情景』より「予言の鳥」、「献呈」(リスト編)、ショパン/『2つのワルツ』より変イ長調「告別」、「華麗なる大円舞曲」の4曲。




大地と灯台 ― エリソ・ヴィルサラーゼのリサイタルに寄せて
青澤隆明(あおさわ たかあきら/音楽評論)

 エリソ・ヴィルサラーゼ。その名前は畏敬を籠めて、ひとつの護符のように、あるいは魔法の呪文のように、人々の心に唱えられてきたのではないだろうか。誇り高きロシア・ピアニズムの良心として、濃密な情念と直観を貫く強烈な演奏表現者として、厳格な教育者として、エリソ・ヴィルサラーゼは現代のピアニストのなかでも独特の存在感を示していた。
 いまわずかに過去形で記したのは、東京で実演に触れる機会がしばらく途切れていたからで、その分の歳月が彼女独自のピアノ芸術にどう影響したか、それを生々しく体験できるのが、多くの聴衆が長らく待望してきたこの度のリサイタルになる。初来日は1970年だが、リヒテル・ファミリーの偉才という言葉とともに日本で改めて女史の魅力が紹介されたのは1993年から、95年、99年、2003年、06年と世紀をまたいだ来訪だった。オール・ショパン、モーツァルトとシューベルトでのリサイタルや、ナターリャ・グートマンとのデュオ、テミルカーノフとのチャイコフスキーの協奏曲なども鮮やかな記憶を残している。
 すみだトリフォニーホールは「ロシア・ピアニズムの系譜」をひとつのテーマに掲げて公演を展開するが、ヴィルサラーゼは20世紀末から現在にかけて、その巨大な大地における灯台のような役割を果たしてきたかのようにみえる。ロシア・ピアニズムの多様な個性と潮流を、祖母アナスタシア、ゲンリヒ・ネイガウス、ザーク、オボーリン、リヒテルらとの交友から肌で感じてきた彼女は、自らの強い確信と個性でその期待に応えてきた。ソヴィエト連邦がロシアになり、グルジアが独立しても、ヴィルサラーゼの演奏にはかの地のピアノの黄金時代の力強い精神がなお鮮やかに脈動しているに違いない。大地に灯台というのは妙な言い回しではあるが、ロシアの内外からみても、ヴィルサラーゼの音楽家としての存在感は大きく、暗い海を照らすに相応しい強さをもってきたのではないか。独特の個性と濃密な主張を展開する演奏家でありつつも、大学院時代から教育活動にも情熱を傾けてきた筋金入りの教育家として、その脈絡を新しい世代に強い信念で伝えている。
 このリサイタルは、秋のマレイ・ペライア、年明けのクリスチャン・ツィメルマンに続く「トリフォニーホール・ピアニスト・シリーズ2013-14」への登場ともなるが、ヴィルサラーゼはドイツ・オーストリアのレパートリーを絶対的な領域として掘り下げてきた名手であるだけに、本シリーズの掉尾を飾るに相応しいプログラムを組んでいる。 プログラミングに関しては「象を産むくらいしんどい」と彼女は微笑んでいたが、ここでは古典派とロマン派の充実作を交互に弾く美しい構成をとった。ヴァリエーションをひとつのテーマとするが、モーツァルトとハイドンの曲はなかなか実演で聴く機会も少ない。ブラームスのハ長調ソナタの第2楽章も主題と変奏だし、シューマンの「交響的練習曲」とともに若い頃の作品でもある。ヴィルサラーゼの深い没入、想像力の沈潜と飛翔、焔のような情熱が多様に沸騰することだろう。
 演奏会の始まりはウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜91)。9つの変奏曲ハ長調 K.264(315d)で、ニコラ・ドゥゼードのジングシュピール『ジュリ』第2幕のアリエッタ「リゾンは眠った」を主題とする。かの喜歌劇は1772年にパリで初演、モーツァルトは1778年の再演に触れてその夏にパリ、もしくはザルツブルクに帰郷して書いたと推定されてきたが、さらに後年の作とみる説もある。86年にウィーンで初版された。1740年代に生まれて名声を極めたドゥゼードの歌劇から、モーツァルトは12の変奏曲変ホ長調K.354(299a)にも旋律を採っている。本作はトリルやグリッサンド、分散オクターブなど高度な技巧を要する変奏曲で、主題をハ長調に転調して用いた(第5変奏はハ短調)のもモーツァルトの大胆な意欲の表れだろう。
 同じ調性をとるヨハネス・ブラームス(1833〜97)のピアノ・ソナタ第1番ハ長調作品1が続けられるが、ハンブルクから出た偉才は1850年代に3曲のピアノ・ソナタを完成させ、その後ピアノ独奏曲に関しては、変奏曲の連作、そして連弾作品、小品群へと歩んでいった。3つのソナタは1852〜53年に集中して作曲され、嬰ヘ短調(作品2) 、ハ長調(作品1)、ヘ短調(作品5)の順に成立したが、その間の53年9月にはロベルトとクララのシューマン夫妻との運命的な出会いがあり、ときの訪問でブラームスが持参して彼らを熱狂させたのも先の2つのソナタとスケルツォ(作品4)だった。シューマンの仲介で出版され、ヨアヒムに献呈されたハ長調ソナタ作品1は、ベートーヴェンのソナタ作品106("ハンマークラヴィーア")やハ長調作品53("ヴァルトシュタイン")を範として、広い音域でのダイナミックな運動を活用している。冒頭楽章はアレグロで、ハ長調主題の輝かしい力強さで始まる。緩徐楽章はアンダンテ(ハ短調)で、作曲者自身が「古いドイツのミンネ・リート」によると注記した12小節の旋律主題に、3つの変奏とコーダが続く。第3楽章スケルツォはアレグロ・モルト・エ・コン・フオーコ(ホ短調)、ピウ・モッソ(ハ長調)のトリオをもつ。フィナーレはアレグロ・コン・フオーコ(ハ長調)のロンドで、終盤に勢いを増し、冒頭主題を力強く歌って締め括られる。
 演奏会後半は、先達ヨゼフ・ハイドン(1732〜1809)の「アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.XVII:6」から。哀切なヘ短調と愛らしいヘ長調の2つの主題をもつ二重変奏曲で、長大なコーダにいたって、ハイドンの変奏技巧の高みが感動的に歌われる。1793年の作曲で、良き理解者だった貴族マリアンネ・フォン・ゲンツィンガー夫人をその死で失ったことが、同年に書かれたこの曲の深い感情表現に繋がっていると言われるいっぽう、モーツァルトの愛弟子だったバルバラ・フォン・プロイアーの思い出に捧げたとみる説もある。
 ドイツ・ロマン主義音楽の象徴的な存在、ロベルト・シューマン(1810〜56)が遺したピアノ独奏曲の多くは、彼の悩み多き20代に集中して書かれている。若きシューマンはパガニーニに魅せられ、ヴィルトゥオージティへの熱狂を抱いたが、超絶技巧が抱くデモーニッシュな求心力とダイナミックな運動性に、彼はロマンティックな夢をみていたに違いない。超絶技巧の名人芸と内密な詩想の対立は、ピアノの演奏から、批評家そして作曲家へと道をつける方向に帰結した。「交響的練習曲 作品13」は、1834年から35年にかけて作曲された大作で、シューマンの独創性が圧倒的なスケールで結実をみせている。1837年ウィーンでの初版では、主題(嬰ハ短調)と12の変奏曲の形式をとり、輝かしいフィナーレでは新しい主題を変奏主題に織りなして、壮麗なクライマックスをかたちづくる。「変奏形式による練習曲」の表題を付した52年の改訂再版では、初版から「第3番」と「第9番」が除かれている。ブラームス監修による1873年旧全集の補巻にはシューマンが発表をしなかった5つの練習曲も遺作として追加されたが、ヴィルサラーゼはこの追補を頑として採らず、今回もおそらく初版の楽曲構成にもとづく演奏を行う。










2014年02月02日(日) 30日のサントリーホールは三善晃のお別れの会




ちょっと丘に登ったくらいで腰まわりの筋肉痛になるなんて。

昨日のみみをすますモードで、夜勤に出ると都心の高層ビルは騒がしい。深夜、ビルとビルの間を音響が洪水になっている。ゴミ収集車の機械音やウインカー注意アナウンス、カラオケ屋のガラス越しの振動のような低音音楽、タクシーのクラクション、たくさんの車のタイヤがアスファルトをこするサウンドが分厚い層になって、高層ビルの空調設備の轟音と混じって、街全体が唸っているのだ。

わん、わん、わん、わん・・・・。犬の遠吠えではない。

いつもは自分の行動判断に必要な音しか耳が拾っていないのがよくわかる。

モニター画面がたくさん並ぶ防犯カメラ集積スペースにデスクがあるけれども、そこにはほとんど居ないように勤務している。理由は他のスタッフよりもあちこちデスクから飛び回る仕事熱心さからではなく、モニターの放つ超音波が耳と脳に痛いからだ。

だがしかし、耳は慣性にすぐに戻る。”みみをすます”指向は3年前のジル・オーブリー『カイロ』盤で不意に到来していた。CDを聴こうとして、そうなった。みみをすまそうとしていたわけではなかった。日常の風景の変容は衝撃的だった。

14世紀の設計図によるクラヴィコードの音色ははかなげで、聴衆に聴かせるものではなく神への祈りであったという出自がいとおしい気がする。ハンマーダルシマーはアジアにもヨーロッパにもあったっけ。クラヴィコードはハンマーダルシマーの拡張だろう。


30日のサントリーホールは三善晃のお別れの会。休みを移動させたので見送っていたが、皇后さまが臨席されたり、岡田博美がこのために帰国してピアノ演奏を披露したり、なかなか得難い会だったようだ。皇后さまが子守唄として口ずさんだ旋律をもとに「おもひ子」を作曲、それを三善晃が編曲したことがあり、長年の交流があったという。おいらも行きたかったなあ。

先週、ユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団とみなとみらい、サントリーを回っていたヴィルサラーゼさんの1日だけリサイタルがトリフォニーで開かれる。

エリソ・ヴィルサラーゼ
”最高のシューマン弾き”女流ピアニストの最高峰
11年ぶり、待望のソロ・リサイタル


『レイヤー化する世界−テクノロジーとの共犯関係が始まる』佐々木俊尚著(NHK出版新書)

レイヤーという文字にひかれて手に取った。イブン・バットゥータの十四世紀の帝国の記述が鮮烈だ。車輪。文字、帆船、印刷、電気、自動車、鉄道といった技術革新が帝国=場のありようを変遷させてきた。超多国籍企業のほとんど無料にちかいITインフラが、最期の帝国状態、ウチとソトの逃げ場の無いフラットな場となってしまう。ネグリ=ハートの『帝国』が土台なのだと。超多国籍企業は国民国家を無視し政府を動かし、という現代までの世界史が見通されている。あらまあ、と。国境も人種も宗教も無くなったら、わたしたちはノルウェーやインドやエチオピアの労働者と競わされるのね、賃金としては。崩壊する民主主義と国民国家までの理路ははなはだ説得力がある。グローバリゼーションは不可避で、その中で、文化や住所や血縁や趣味や、いろんなレイヤーに拡がって草原の上を生きてゆこう、と、希望的に語られている。なんだかご都合主義な未来モデルに思える。

国家は超多国籍企業の商売道具になる。軍隊も紛争も。

じつは明治維新からそうだった、グラバーの暗躍を見よ、ってか?

弱者を支えるしくみはどうなってゆくのだ?




2014年02月01日(土) 「冬の里山でみみをすます午後と夕べ ワークショップ+コンサート at 益子」




「冬の里山でみみをすます午後と夕べ ワークショップ+コンサート at 益子」

益子(ましこ)焼きの益子にはじめて行きました。朝早起きして友だちと3にんで遠足みたい、
お昼ごはんも自然食で美味しい。ひなまつりがたくさん飾ってある。
丘を登る。息が切れる。みみをすます。
肝心のコンサートの音色にうとうとし続ける。何しに来たんだ?でも楽しい。


タガララジオ40更新

トラック317『Stilllife』のサウンドにおののいていた。YouTubeを貼った。
福島恵一さんのブログで、Stilllifeとは津田貴司と笹島裕樹の2人組のユニットであり、このイベントがあると知り、即座に申し込んだ。
jazz & now の寺内久さんに13年ぶりにお会いする。エヴァン・パーカー・エレクトロアクースティック・アンサンブルを寺内さんが招聘した新宿ピットイン以来だ。そういえばエヴァン・パーカーにインタビューさせてもらったのだった。

谷川俊太郎『みみをすます』は初版で読んだ、1982年。

鳴っている音の地にみみをすます、という。

松籟 - 松の梢(こずえ)に吹く風。また、その音。松韻。松濤(しょうとう)。

散策したのは県立自然公園益子の森。手を叩いた反響音の違い、空間を捉えること、山道を来るひとの話し声の聴こえかた。

ナビゲートの津田さんの耳が、今日耳をすまし始めたわたしよりもはるかに遠くで微細な空気の動きを感じていることがわかる。

演奏が終って、1分以上じっと音が消えてゆく残響の彼方に耳をすましているのだった。

選び抜かれた響きの美しさを重ね、その響きの行方を見つづけいている。

弱音系即興というのではない。

コンサートのあとのランチパックがこれまた美味しかった。カルチャーショック的な美味しさ。

帰りの常磐道、友部SAはきれいで、人生何度目かのスターバックスも美味しい。

帰りの高速で聴くジムブラックの黄昏感。

今夜益子はマイナス7度まで下がります。真っ暗な県道を飛ばす。首都高に入ってスカイツリーが見えたらほっとした。























Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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