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2004年10月31日(日)
言葉

・・・・・
「おはよう」とか「おやすみ」とか
「おいしいね」とか「大丈夫?」とか
「ちゃんと眠れた?」とか「こっちに来て」とか
そんな何気ない言葉に全てに愛が宿っている
それが夫婦なんだと僕は思った・・・

映画館でふと目に留まったポスター。その中の一文。
そこの言葉を目で追った。

愛してる人が、自分の前から消えたり、失ったとき
その人の何が一番頭によぎって、忘れられなくて、胸に詰まるか?
やはり、毎日聞いてきた何気ない、いつもの言葉かもしれないな。
でも、もしかしたら、相手のやさしい瞳かもしれない。

愛する人を失ったとき、はじめて、日常のひとつひとつの何気ないものが
大きかったのだと知る。自分の全てだったと気付く
だからこそ、そうした何気ない言葉を、自然と交わせる関係であることは、大切なのだろうなぁ。愛って、そんな日常のたわいのない小さなことから始まってて、その積み重ねで、深まっていくのだろうな・・・って、ふと、このポスターを見て考えた。この映画、ホントに見に行きたい。

恋とか、結婚とか、自分なりの想いはどこかにあります。
純粋だ、理想論だといわれれば、それまで。でも、それは、誰にも変えることはできないものでありたい。相手に、言葉を伝え続けることって、やっぱりきちんとしていくべきだよ。無論、思いやりとか、やさしさとかが詰まった言葉をね。

僕は、いま独身だし、結婚相手もいちおういない。
純粋すぎるこういう価値観って、なかなか受け入れてくれる相手はいなかったりしそうだ。(そうですよねぇ〜みなさん!教えてよ?)そうだなぁ、自分の愛情って、時に相手に重たくさせてしまったりするし、本当の意味での裏打ちのある愛情ではなかったりする部分もあるような気がする。ただ、ひたむきな感情だけで突っ走る感じだね・・・でも、そういうかけがえの無い愛情の部分に依存してしまう自分は、本当にいいのだろうかと、ときに疑問になるときがあります。
やっぱり、ずっとひとりかなぁ?寂しいものだ。

話が変な方向にいったので、このへんにしとこ。
ちなみに、きょうは休出でした。雨の一日は憂鬱だったわ。



2004年10月30日(土)
ソレイユと日本丸のイルミネーション

きょうの出来事をまとめますね

午前=朝一番に病院へ行ってきました。自分の身体で気になるところがあったので・・・うーん。

昼=どうしてもしておかないといけない、仕事のアポイントを1件こなしてきました。そこの社員さんに、ちょっとだけ愚痴を聞いてもらいました。本当に助かりました。ありがとうございます

午後=学生時代の知人と、ダイヤモンドシティソレイユのタリーズコーヒーで過ごす。今日ばかりは、僕の話を沢山聞いてもらった。相手してくれてありがとうな。その後、回転寿司を食べて、シネコンに顔を出しました。ちょうど、きょうから、「いま、会いにいきます」が上映開始されてて、長い行列が出来ていた。モニターに映し出される予告を見ながら、なぜか感傷的になり、ちょっとだけ涙ぐんだ。竹内結子っていいよなぁ・・・って連れに無意識にふと言ってしまったよ。(中村獅童と見詰め合うときの竹内結子の表情と潤んだやさしい瞳がものすごく印象に残ってしまう)いっしょに見に行きたい人と見に行けるかな?とにかく早く、必ず見に行きたいよ〜

(ここからは写真日記参照)
夜=広島でもっとも早いイルミネーションを見ました。もちろん、ダイヤモンドシティーソレイユのね。昨日から始まったのです。待ったかいがあったよ。予想以上に大規模だった。いつものシンボルの煙突は、放射線状にイルミが取り付けられ、広島一巨大なツリーのようになってる。その目の前には、カラフルなイルミによってできた迷宮。ちょっとした迷路状。そこには、つねに色が変化する動物のイルミネーションのオブジェが多数あった。木々には、カラフルなイルミネーションが取り付けられてる。連れをほっぽって、僕は見とれてしまい、携帯のカメラでパシャパシャ取りまくったよ。小さなこともたちが、本当に嬉しそうに走り回ってる。恋人達が見とれてる。みんなイルミネーションを見ると、幸せそうな顔をするものだ。ふむ。再び訪れたい・・・

その後=連れと別れて、電車で帰ったのだが、自宅の手前で友達から電話。日本丸のイルミネーションへのお誘い。ソレイユの余韻もあったので、これは行かなくては!ということで宇品の1万トンバースへ連れて行ってもらった。
ここも想像以上に迫力あった。多分昼間見るよりも、マストの精密さや帆船自体の迫力は数倍も増してると思う。ほんと映画の1シーンのようだった。ここも家族連れが多かったよ。どちらも、もし僕が親だったら絶対子供連れて行くだろうな。
友達の数倍もはしゃいでしまった。きょうまでだそうだから、いい経験ができました。本当にありがとう。

その友達と話してて、ふとこんなことを言われた。
「凄く人前で緊張してるよね。無理してるように感じるんだよ」
僕は人前では、スイッチが切り替わって、明るく元気な人格変わるからな。
その元気さ、明るさが、なにか無理してるように感じるのかもしれない。
わたしには2つないし、3つの自分がある。
たださ、もし人前で、もう一つの自分でいたとしたら、おそらく人間関係は崩壊?もしくはだれもいなくなるような気がする。無口で根暗で、叙情的、依存的になるからなぁ。どの自分も認めてあげたい気がするんですよ。ただ、それで周りの人が違和感を感じるのであれば、少し考えないといけない。
人からね、こうするべきああするべきといわれる。また、ああして欲しいこうして欲しいといわれる・・・でも、自分でもどうしても出来ないことだってあるんだよ。だから、わかってよ。苦しいんだよ。必死なのに伝わらない。わたしっていったい?わたしは必要とされない人間なのか?わからない・・・

正直、きょう帰宅して、暗い部屋の電気をつけたとたん、疲れがどっとでたのです。
きょうは、ここ最近でもっとも喋りまくった気がする。なのに、どうして落ち込んだり、不安感が凄いのだろう・・・なぜ?わからないよ。


2004年10月29日(金)
強く

なんか、今夜は切なくて・・・
ひさびさに深く憂鬱になってる。

コバルトは、思う。いつもいつも。
「もっと強く生きろ!!」

秋の日のやさしい陽射しに包まれて、目の前にある小さな陽だまりに身をゆだねる。その小さな陽だまりが、消えてしまった時、僕は言葉に出来ないほどの深い寂しさに陥る。(写真日記参照)
わたしがいま必要なのは、自分の弱さを認めて、そこから強く生きていくこと。
愛する人を一生幸せに出来るだけの強さを持つこと。
自分のために生きること、それ以上に、誰かの為に生きるということは、なにより自分を強くすると思う。
強く生きることは、人を許すこと、やさしさ、人を傷付けないことでもあるよ。うん。
僕はまだ、人を憎むことも多少あるかもしれない。やさしさも、その場だけの裏打ちの無いやさしさかもしれない。不器用で、生きる価値のない人間かもしれない。誰にも必要とされて無いかもしれない。

強く生きたい。強く生きないと・・・
人に優しく出来ない。自分にもやさしくなれない。自分は愛されない。そして、人を愛することは出来ないだろうね。

このままひとりで生きていくのであれば、もっと強くならないとな。
ひとりで生きていくことは、容易ではないだろうから。


2004年10月27日(水)
秋涙

少しほろ酔いのコバルトです。
さて、ここ数日でホントに朝晩は冷え込みましたよね。僕は幸い馬鹿なので風邪はひいていませんが、僕の周りで風邪引きさんが多いんですよ。みなさんはどうですか?本当に気を付けてくださいね。
とはいえ、あまりきょうはネタにする話題もないのですが・・・ここのところ、わたしの「暗」の方が突出した日記が続いたからね〜

ところで、きょうのニュースは衝撃的でした。
新潟の地震でやっと見つかった母子3人の車の救出劇・・・余震の続く、崩落現場で、レスキュー隊が命がけで懸命に土砂に埋まった車から助けようとしている。長男の子供は奇跡的に助かったものの、お母さんは助けられたが、息をひきとった。娘さんはまだ見つからない。このニュースを見て、思わず涙ぐんでしまった。5日間もつぶれた車の中で耐えていたのですよね・・・悲しいです。ほんとに辛い。
先日、ある人が言ってた。練炭自殺の人が地震で亡くなった人の身代わりになればよかったのに・・・本当に考えさせられた。確かに練炭自殺の9人も、苦しい中、衝動的に命を絶ったのでしょう。ただ、同じ命を絶つという事実の中で、人によって命の重さってこうも違うものかな?っていう気がしてしまった。
命の重さか・・・いろいろ考え出すときりが無いですね。

最近、夜帰宅途中、空を見上げるんです。
オリオン座を中心としたきれいな冬の星が見られる。それを見るだけでも、ほっとするよ。疲れも癒される・・・かな?星は永遠だから、美しいのかもしれない。人間の世界では、永遠なんてありえないからね。ただ、永遠の思いとか愛情とかって、心のなかで、美しさを放つように、永遠ってモノをもっと身近においておけるようにしたほうがいいのかもしれない。(ふむ、よくわからん文章だわ)
「見上げてごらん夜の星を」を思わず歌いたくなるのさ。星空を見て泣くことって、案外あったりする。
子どもの頃、天体望遠鏡をなんども買ってくれとせがんだが、けっきょくこの歳まで手に入れることはなかった。手元にあるのは星座早見版のみ。ただ、これは重宝するんだけどな。夜のドライブやキャンプ行く時は必ず持参するのです
そうそう、夜空のきれいな季節を迎えると、僕は、天文台へ行きたくなる感情が高ぶる。
以前、島根の「日原天文台」へ夜、ドライブしたことがある。ここは、大きい天文台と、いくつもの貸切用の小さい天文台、おしゃれなペンションがある。残念ながら、宿泊は出来なかったが、大きな天文台で土星を観測して、感激した思い出がある。けっこう涙ものなんですよー。僕にとって天文台は、特別な場所だなぁ(そこから見える日本海とイカ漁のような船の灯りも印象的だった)
ここだけは、ぜひまた行きたい。朝まで貸しきって、観測したいものです。とにもかくにも、こんなドライブを好んで、朝まで付き合ってくれる連れは、いませんか?どこかに・・・(笑)

なんだかんだ言って、日記が成立したなぁ。
ようは、コバルトはどんなことでも、ネタに出来るということか。ふむ。
日記だからいいのであって、人との会話では、こう上手くはいかないのだなぁ。
コバルトくんは意外とシャイなので・・・実際話してみればわかるんですって。いや、ほんとよ。

先日、ドラマ見てて、羽田美智子が田村正和に「わたし、マンション買ったし、はいれます終身保険も入ったし」ってセリフで、凄く受けて笑ってしまったコバルトでした。(しつこくCMしてる保険をストレートにセリフでいったことが妙にリアルで思わず笑ってしまったよ)


2004年10月26日(火)
焼酎

最近、複雑な出来事が多くってね。精神的に安定してないのは、よーく自分でも判ってるんですよ。ふむ
それでも、朝になれば、元気出して1日に向かっていく。笑顔だけは大切にしてるのさ。自分の中に、無理は来てても、誰かに依存することは、本当はよくないからね。依存しちゃうと、大変なことになるし(笑)誰かに頼りたくても、頼れる人はごくわずか。しんどいのが正直なところ。逆に僕は「頼ってほしい」と思う人ではある。本来は。

こういう秋の切ない季節だからかもしれないが、あるCMを見るたびに、ジーンとくるものです。
僕は昔から、焼酎のCMが好きでね。
わたしが愛飲してる「いいちこ」と「二階堂」

「いいちこ」の美しい自然の映像とビリーバンバンのやさしい歌声、印象にのこるナレーションのひとこと・・
不思議と土曜、日曜の夕方によく流れるこのCMのシリーズは、希望とか、夢とかそういう印象だ。

「二階堂」の文学的な映像、九州と山口の古いノスタルジックな風景(炭田の建物跡や、駅のホーム、古い食堂など)や街並みの中、一人の男の物語を切なく展開する。時間の流れとかそういうものを上手に映像化してる。本当に切ない。どの作品
も秀作だと思う。
(昨年、大分へ訪れた際、ホテルでテレビ付けるとやたら、ローカル番組の天気やニュースなどは、二階堂が提供スポンサーになっていて、このCMが沢山流れてた)
2005年バージョンの新CMが流れ出した。ナレーションの、「わたしは、わたしのままここにいる」というひと言が妙に印象に残ってる。
僕のいまの心境に近い。わたしは、変わらずここにいる。時を経ても、離れても、いろんな人や愛する人にとって、そういう存在になりたいものです。

わたしは、そこまでお酒を飲む人ではない。だから焼酎も全くといっていいほど、無知。自分の中で、「いいちこ」が一番美味しいのだと思い込んでいる。それ以上にCMの影響も大きいのだろう。これから、焼酎の美味しい季節。コップ半分くらいをひとりで、ロックにして飲むのです。寂しさを紛らわす酒ということだわ。


2004年10月25日(月)
冬の足音

街を歩くと、もうコンビニの窓ガラスに大きく「クリスマスケーキ予約受付中」という貼り紙が貼ってあるのを見つけた。ほっかほっか亭の前には、「おせち」ののぼりが。きょうの朝刊の折込には、「年賀状」のチラシが入ってた。テレビを見てると、「クリスマスコンサート」のCMが・・・
コンビニに入ると、何気にお酒コーナーには、「冬物語」のビールが並んでいる。
もうこんな季節なんですよねぇ〜早いわ。よく考えたら、まだ紅葉すら始まってないのにね〜
なんだか切ないね。切ないと感じるということは、いかに孤独かということをあらわしてるけれどさ(笑)
本当に今年は成長がなかった1年、いや、後退した1年だったような。ま、まだ2ヶ月あるからまだ何とも言えないけれど。ふむ。

夜、帰宅して、すぐ出かけた。
急なことだったので、全速力で走る走る。汗だくで、駅から待ち合わせ場所へ。ここで劇的な再会・・・と、かっこよくは行かなかったが、まったり食事して、お話して、こころ満たされる時間が流れて行きました。

夜半から雨がしとしと降ってきた。やさしい雨とはこういうのを言うのだろう。
やさしい雨に包まれながら、ひとり道を歩く。
ほんとうに静かだ。あったかい時間の後の余韻は、眠るまで続く。これで、なんとかこころも落ち着く・・・
自分が想う気持ちを、きちんと言葉にして、ひとことひとを、きちんと伝えたい。
そう想うこのごろです。まだまだ伝え切れていない。

新潟の地震、これから寒さ厳しくなる季節。被害にあわれた方、本当にお見舞い申し上げます。日本は、地震列島だし、本当に自然の猛威には無力なものです。今年は、洪水や台風、噴火、そして地震と、天災が相次いだ。なにか考えさせられる。


2004年10月24日(日)
対話

おとといの日記では、「人のこころ変わりが怖い」と書いて、昨日の日記では「対話を求めてる」と書いたんですが。これじゃほんとへっぽこな人と思われるなぁ。

たださ、「対話」は本当に必要だと思うんです。
わたしはいつも、人の悩みから、たわいの無いことまで、真剣に聞き入る。
自分は、自己防衛能力が弱い(打たれ弱い)くせに、人の深いこころまで入り込もうとするところがある。だからさ、好きな人といっしょにいる時間の中で、「対話」は大切にしたいと常に思うんです。
たいした人間で無いので、偉そうなアドバイスや助言は出来ないけれど、
やっぱり、情に厚く、共感して、共に泣ける人になりたいと、思ってるんだよ。
僕は静かに聞いてる。ずっと話してくれる相手の顔を見てるのが好きだったりする。

でもね、「言葉は沈黙からくる」
という言葉もあるくらい、沈黙の時間も大切だよ。
見つめあうとか、目で会話するとか。
沈黙の時間・・・その中で、
深い言葉とか愛を込めた言葉が生まれる。
それが、すごくおおきな力になることもあると思うんだよな。ふむ

ようするに、そういう「対話」って、ひとのこころを軽く出来ると思うし、深い自分に成長させてくれると思うのです。
対話を重ねていけば、相手のいいところや欠点も見えてくる。それをすべて愛せるようなりたいと懸命になる。そしていつか、熱が冷めて落ち着いたとき、ふとその存在のありがたみが身にしみるようになっていくようになれば、一番だと思うんだけどね。その時はじめて、その人が「かけがえのない存在」となれる・・・

いまの僕に必要なのは、そういう対話が出来る、話を聞いてくれる人だと、ふと気づいたのですよ。

かけがえのない人になりたい。かけがえのない人を求めてる。
わたしのかけがえのない人は、どこにいますか?
わたしは、わたしのままで、ここにいます


2004年10月23日(土)
ひとりのキュージツ

キュージツだー。ひとりきりの時間はホント久しぶりなんだよ。
こころのころ、かなり心も頭も煮詰まっていたので、秋の柔らかい日差しと青空に誘われて、久々にマイ自転車に乗って、地元を走ってみました。
(写真日記参照)
ここのところ、移動は、車かバイクがほとんどだったので、自転車に乗れること自体が贅沢な気がしました。
最近、凄く好きな平井堅の「思いがかさなるそのまえに・・・」を口ずさみながら、ペダルを漕ぐ、ちよっとおしゃれな、へなちょこ青年(笑)
赤い看板のお洒落なパティスリーがオープンしていたり、コスモスが咲いていたり、モダンな家が建っていたり・・・いろんな発見もありました。町立図書館にいって、気になってた本を3冊借りる。ソファーに座って、借りる本とは別にの3冊を一気に1時間あまりで読み終えた・・・
この図書館でふと気になったのがBGM。エンドレスで「ビューティフルドリーマー」のオルゴール音が流れてる。この曲、何年ぶりに聴いたのだろう。ふと口ずさんでしまった。と、いうのも、僕が高校の頃、音楽の授業でみっちりこの曲の英語版を練習した思い出があるから。当時の音楽の先生が本当に厳しいお爺ちゃんで、個人のテストも、まるでオーディションのように緊張の中、歌ったんだよなぁ。(これにバイオリンのテストもあるのだから・・・いまにしては、いい思い出です)だから、いまでも英語版がすらすら歌える。たとえアメリカへ行ったとして、この歌が歌えさえすれば、なんとか、現地の人とコミュニケーションはとれそうだ。

その後、瀬野川沿いを自転車走らせて河口へ。その母校である高校のそばを通って、夕暮れの河口でまったり。釣り人が数人、釣り糸をたらしてた
そもそも、高校当時、僕はよくこの河口のベンチに座って、物思いにふけったり、泣いてたりしてた。(これからのこととか、恋の悩みはふかかったからさ)いまも、悩んだ時ふっと、ここに足が向いてしまう。高校生のころのコバルトくんと今のコバルトくん。時間が経ても、変わらないんだよね。ふぅ〜
ちなみに、当時の河口には、ガス会社のガスタンクや工場、パイプラインがまるでSF映画の要塞のようにそびえてて、大きな音をたてていたのだが、現在は消えてしまってる。この点だけは、大きく変わったと思う。

ま、こんな感じの、本当にひさびさの一人で過ごす休日でした。
たしかに、いままで時間があると、だれかがいてくれたわけで、それはそれですごく感謝してる。こんなへっぽこを相手してくれるんだもの。ただ、ひとりで時間を過ごすのは、ぜいたくなようだけど、でも、かなり寂しいものです。

ワタシにいま必要なのは、「対話」なのかもしれない
ゆっくり、ワタシの話に耳を傾けてくれる人。そんな人をこころでは凄く求めてるんだろうな。
普段、僕は聞き役であって、相手の悩みからたわいの無いことまで、真剣に聞き入って、相手のこころに入っていこうとするところがある。
自己防衛の能力が全く無いくせに、人のこころの深いところまで入っていこうと懸命になる。よく考えたら嫌なやつです。

だから、自分のこと、もっと静かにすべて話を聞いてくれる人を求めてるのかもしれない。


2004年10月22日(金)
こころ変わりが本当に怖い

時には母のない子のように  だまって海をみつめていたい
時には母のない子のように  ひとりで旅に出てみたい
だけど心はすぐかわる  母のない子になったなら  だれにも愛を話せない

時には母のない子のように  長い手紙を書いてみたい
時には母のない子のように  大きな声で叫んでみたい
だけど心はすぐかわる  母のない子になったなら  だれにも愛を話せない

寺山修司の代表的な詩の一つ。

どんなに人は愛されても、愛しても、心というものはすぐかわる。
そんな人間の限界や矛盾というものを、わかってはいるのだけど、それを受け入れることを恐れている。
それを受け入れるこころを持たないまま、人を好きになったり愛したりすると、のちのち憎しみを生むことになる。「相手が裏切った」という感情へとかわっていく。

本当に、こころがわりが怖い。
どんなに深く愛しても、好きになっても、言葉で、行動で、毎日伝えても、相手の気持ちは永遠ではないという現実。
いつも不安と隣り合わせで、愛する人と向き合わなくてはならない自分。
どんなに相手に愛されても、不安は全くぬぐいきることができない。
不安で不安で不安で・・・
人間不信という問題とは全く違う。被害妄想といわれればそうかもしれんが。

唯一、安心できるのは、抱きしめてるときだけなのだろうか・・・




2004年10月20日(水)
ちょっとお知らせ

ホームページを微妙に変えています。
ま、わかる人はわかるだろうけれどという感じです。
これからも、細かく手直ししていくつもりです。

僕はね、自分でも明るく元気な自分と、暗く依存的な自分があって、そのギャップはとても凄いものがあるんです。人からも「人格が変わる」と言わしめるくらい。
ま、どちらも素のコバルトなのですが・・・別に人に迷惑はかけてないつもりですよ。
日記にしても、日によって、明暗がくっきり分かれてる。だから読まれてる人から見て、混乱されるのではと、思うところがあったんで・・・

自分にとって、ターニングポイントがやってくる。
仕事も、いまの人間関係も、そして、自分自身の心の中も、まったく新しい環境へとシフトしなくてはならなくなる。自分をいまいちど、正しいレールに乗せて走らせることをしなくてはと思ってる。
ここ、何ヶ月か、本当に苦しいくらい悩み、考えてきたんです。
その中で、いろんな出会いもあったし。
このHPだけは、置いておくつもりですよ。もちろん。

先日、ある本を読んでいて、このようなことが書かれていた。

「愛するということは、その人を信じること。そして、その人の嫌な面をすべて受け入れること」

そうですねぇ。この著者(かなり有名な作家)の本は何冊か読んだことあるのですが。こと、恋愛に関して、好きになったら、たとえいけない恋であったとしても、仕方ない。ただ、なにがあってもその愛を最後まて貫けるかということが大切だと、書かれていたりする。
人を愛するということは、僕はとても重いものだとどこか思ってる。(ま、過去の出来事からいえるのですが)それがいいのか悪いのかはわからないが、自分のそういう部分は、変わりそうに無い。この著者のひと言は、ホントに大切な部分なのかもしれないね。

メールや掲示板、お返事がやや滞っていました。
早速随時お返事開始するので・・・よろしくお願いします。

オフ会の連絡はいきわたったでしょうか?
また、連絡はしますね。

台風は、なんとか夕方までには去りました。
僕の帰宅にはなんら問題はなかったのですが、みなさんはいかがでしたか?
とくに、電車は動いてなかったようだし・・・
とにかく、きょうもおつかれさまでした。
これで、台風はおしまいにしてほしいなぁ


2004年10月18日(月)
コスモス

先日、車で走っていると、ちょっとしたコスモス畑を見つけました。
いまは、コスモスの一番きれいな季節。自宅の庭にも、ささやかながらコスモスが咲いている。
(どちらも写真日記を参照)

中国新聞に、コスモスについての記事があって、メキシコ生まれの帰化植物だということをはじめて知りました。ふーん。
凄くきれいで、はかなげだが、芯の強さを持ち合わせる花。
僕がいつも目標にしてる「凛とした人」のイメージにぴったりあう花のように思います。だから、昔から大好きだったのでしょう。
コスモスというネーミングがなんか気になったし。(宇宙というイメージ)
その昔、牧瀬里穂主演で、「コスモス」というNHKドラマを見た覚えがあって、そのドラマが、なんかコスモスの美しさ、はなかさと、宇宙のというイメージをストーリーにしてた。それがふとこころに残ってる。

備北丘陵公園のコスモスが大好き。
なんどか、車を走らせて、見に行きました。夜のライトアップされたコスモスは、幻想的で、いつまでも脳裏に焼きついてる。

地元の街を歩いてると、コスモスは庭先や道路端で見かけることがおおい。
それだけ、人々から愛されてるってことなんだろうな。
ずっと、見続けたい。でも、この花が消える頃には、冬がやってくるんだよね・・・


2004年10月17日(日)
言葉に出来ない高ぶる感情

昨夜、一緒だった人と別れて、ひとり海を1時間くらいぼんやり見ていました。
言葉にはできない、たかぶるこころが、抑えられなくて、ひとり佇んで思いをめぐらしていた。海は、暗く沈んでいた。冷たい風が、身体を通過していった。

私は、もうかれこれ30年の人生を過ごしてきた。
ただ、人に自慢できるようなことは何ひとつない。
力も名誉もない、ただの凡人。自分に自信がもてないでいる。劣等感ばかり。
ことに、時々大きな挫折しては、自分を奥底まで追い込む。
一直線すぎて、一途すぎて、純粋すぎて、不器用。突き詰めて考えてばかり
地味で、人より一歩ひいて、生きてきた。いろんなことをあきらめたつもりだった。でも、人には、そうした弱い自分を偽り、もう一つの自分を演じてきた。
なにか自分には一生背負わないといけないものをこころに抱えながら・・・

そうした自分は限界に近いよ。疲れたよ。

あたたかい、やさしさや愛情に少しだけ触れると、自分はそのまま倒れんでしまう。目の前の陽だまりに求めてる。
自分の屈折したこころには、愛が足りないでいる。愛に餓えているからこそ、目の前のひだまりに求めようとする自分。そして、通じ合おうと懸命になる自分。

30年。なぜ、このような人生になったのだろう・・・
無論、いろいろな理由はある。
幼少期の思い出、人との別れ、周りの人間との関係・・・
その中で、なにかをあきらめられないでいる自分。なにかを守ることで、愛することで、自分の存在を感じたい自分。なにか割り切ったりすることが出来ず、情に流される自分。いろんな吹っ切らないといけない自分を、たくさん持ち続けてる。

誰かに理解されるとは思っていない。
ただ、今の自分の現状は、ひとりきりということ。
裏打ちされた、幸せや、絆を得ることは、今の自分には難しい。

ひとりは、とても寂しく辛いが、今の自分は、ひとりになるべくして生きてる気がする。

言葉にするには難しいが、これは、自分にしかわからないこと
誰にも本音では頼れないことかもしれないね。

夜、海を見てると、こころが大分静まる。ときに吸い込まれそうになるが・・・
ほんのささやかな幸せや人のぬくもりが、自分にとって本当にとても大きなことのように思えた、こころがあったかくなった1日でした。


2004年10月15日(金)
月曜組曲「風のようにうたが流れていた」

月曜組曲「風のようにうたが流れていた」
小田和正司会の音楽番組。
広島では、1週遅れの木曜深夜に放送。
ニット帽をかぶった可愛いおじいちゃんのような小田さんが、音楽と出会ってからの時系列で、音楽との思い出を唄と語りで振り返るという内容。スタジオにはいろんな世代の観客がいる。

なんか、公開の音楽の授業のような感じだが、小田さんが、なんとも饒舌に語る姿は、とても新鮮ではある。僕なんかは、オフコースのファンだから、その名曲なども聴いて見たい気はするが、それにしても、この番組だけは、違う時間が流れてる。僕なんかは見ていて心地よかったです。(初回のゲストは島倉千代子)
広島でなんとかネットされたので、まずはRCCに感謝。

エンディングで毎回歌われる、この番組の為の新曲「風のようにうたが流れていた」も、いい曲です。

歌ってね、音楽ってね、誰にでもその時代時代の中に生きている。
思い出とともに、歌も音楽も生き続ける。
ときに切ない気持ちになったり、ときに涙したり。
いま、改めて、自分の人生に関わってきた音楽を聞いてみると
なんともいえない気持ちになる。
こころがたかぶるというか、切なくなるというか。
だから、自分の中には、封印してる音楽とかCDがあったりするわけです。
あまりにも、思い出と直結してるからね。
音楽も歌も、遠い日の恋愛のように、ときに苦い人生のそのものだったりするわけだしね。




2004年10月14日(木)
ごめんなさい

非常に悲しくて、涙が出て、まったく眠れない・・・
僕の大きく、強い想いは確かだった。純粋でとても大きすぎた。
しかし、それが、僕にとって、まったく小さな、どうでもいいような出来事をきっかけに、その想いを大きく裏切る、真反対の状況へといっきに落ちてしまった。
この状況を、僕にはもう、どうすることも出来なくなってしまってる。
傷付けた人のこころは、もう戻らないのだろうか?どんなに言葉を尽くしても、だめなのだろうか?ごめんなさい。傷つけてしまって。辛い思いをさせてしまって。あなたにとっては、胸が張り裂けるくらい大きなことだったものね。
でも、それでもわたしを信じてほしいのです。私にとってすべてだったことを
ただただ、どんな代償を払っても、今すぐ逢って、きちんと伝えたい。伝えなければ、あまりにも辛すぎる。僕は、自分を責める気持ちで押しつぶされてしまう
僕は、信じる。ずっとずっと、四六時中待ち続けるから
全てをいっきに失ってしまうなんて考えたくない


2004年10月13日(水)
あれこれ書くぞー

僕の身近な秋の点描・・・写真日記にUPしました。
コスモスって、綺麗だよねぇ。やっぱり一番すきな花だよ。神秘的だからさ。自宅の庭にも咲き始めましたよ

職場で坊ちゃん団子をいただいた。広島人の僕だからかもしれないけれど、坊ちゃん団子って会社によって、3色の色味が違うんだよねって気になった。いつもいただくのはたいてい「うつぼや」。けっこう黄色とかの色味が鮮やか。でも先日いただいた違う会社のものはくすんでる気がして・・・僕の勘違いかな?ま、どちらにしても、美味しくいただきました!(広島人からみると、もみじまんじゅうの各社の違いはわかるんだけどな)

ここのところさ、忙しくて、テレビをほとんど見ていないんでわからないけれど、この秋はいいドラマとか新番組ってやってるの?あんまりピンとこないんです。
月曜日、織田裕二の「ラストクリスマス」の最後の方だけ見たけれど、「ふーん」ってくらい。矢田亜希子の悪女っぷりが新鮮かな?ってくらいだね。かつての「東京ラブストーリー」くらいなら、しっかり見てたんだけど、もう「ラストクリスマス」のような軽いトレンディードラマは、もう受け付けなくなったのかなぁ・・・なんてね。トレンディードラマ自体が、バブルの頃の遺産って気もするが。月9が視聴率上がらないここ数年。やっぱり頼みの綱は、こういうドラマになるんだね。視聴者って単純〜(20%以上の視聴率とったそうだから)

最近は、ニュースも、連日暗い話題が多いみたい。
毎朝、新聞を読むんだけど、なんか気が重かったりする。けさの朝刊は特にね〜重いわ。ま、ぼくが暗くなったところで、世の中が変わるわけじゃないけれどさ。ただ、そういう世の中の出来事は無視できないけれど、僕は、自己責任でしっかり生きていくことしか、とりあえずはないんだな。。。。ぁ
元気だしていくんだ。うん。コバルトくん!

1ヶ月前に修理にだしたビデオデッキがやたら不調。テープが中でまきついてストップするんです。おい、修理きちんとしたんかい!!って某家電量販店にぶちぶちこころのなかで言う始末。テープの新旧関係なく、もう4・5本まきついてしまった。そろそろDVDレコーダーにしなさいというサインなのかなぁ。


旅をするぞといいつつ、忙しさにかまけて、なおざりのまま。
いまが踏ん張りどころだわ。ちょっと自分を見つめなおすこと、これからのことも考える大きなターニングポイントがもうじきやってきます。ちょっと大変な時間が待ってるのよ。
誰か愚痴聞いてくれーーーと、ちょっと弱音吐いてみました(笑)
素は、甘えたがりのコバルトでした。秋だから余計にねっ。


2004年10月12日(火)
感傷に浸る時間

ずいぶん秋らしくなりました。帰宅の時、なんだか肌寒くなり、ふと、人肌が恋しい季節を実感します。

帰宅して、食事して・・・ふと暗いままの自分の部屋でひとり、ぼんやり「オフコース」のCDを聴くのが心地よいのです。(かなり暗いやつと思われるわぁ。この文章じゃねぇ)最近ね。複雑なこころに、疲れて、だれかに頼りたくてさ・・・でもひとりしかいない時、こうやって部屋でぼんやりしてるのが、一番心地いいのです。そこで、軽くノートに日記を記しながら
このCDに入ってる「さよなら」って名曲。知ってる人多いと思います。
失恋ソングのイメージがみなさんには強いかもしれない。でも、僕の場合は違うんだよ。高校の合唱祭を思い出す。大体、なんでこんな暗い曲を自分のクラスはなぜ選曲したのか・・・今でも不思議なのだわ。ちなみに、このときも、僕は指揮者でした。中学、高校と、僕は合唱祭はほぼ、指揮者をやっていた。もともとクラス委員タイプの人間だったので、自動的にこの役が回ってきたわけです。

なにか複雑に絡み合った想いが交錯してる自分。そこに一つの光を与えてくれる人との時間や、ときほどしてくれる、人のやさしさ、せつなさ、弱さ、ぬくもり・・・この秋、こういうものを、僕のなかでひとつひとつ、きちんと受け止めていきたい。
このまま、素直な自分でね。このままなら、なんとか時間はおだやかに流れていきそうな気がしてるんです。信じられる自分にならないとね。

あ、そうそう、ここ数日、携帯のメールのメモリーがいっぱいになってしまって、いちいち古いメールを消してから受信してる毎日です。メモリーカードへの移し方、はやく調べないと・・・僕は本当に携帯などのメールは消せない人なのです。すべて残してしまいたいほう。だから、1通でもメールを消す作業って、勇気いるいるんですよ。うん。



あのほほえみ、あのやさしさを
忘れてしまうなんて 私は信じない
だって 歌うこと 生きていくこと
教えてくれたのは あなただから
さあ ここへ 手をのばして
あなたは少しだけ 疲れただけ
わたしの歌すべて あなたにあげる


2004年10月11日(月)
傷つけること

きょうは、自分自身、すごく反省のすることの多い一日でした。
ある人に対して、傷つけることを言ってしまった。
相手は、素直な気持ちを、振り絞って言葉にしてくれたのに。
僕は、一つのことで周りが見えなくなるからさ、そうして想いが大きくなったことで、不安も比例してどんどん大きくちゃったんだろうね。
それで、ふと、信じたいから、不安を完全に消し去りたいから、傷つけることを無意識に言ってしまう・・・馬鹿だわぁ

何気ないひとこと、なにげないものの言い方・・・
そのひとつひとつって、僕にとっては自然と出たことでも、相手にとっては、大きいことに感じたり、傷付けたり・・・
一度、口から出た言葉って、取り返しがつかないの、わかってるのにね。

僕も逆の立場だったら、同じだよ。
人から怒られたり、大きな声だされるのを、誰よりも嫌ってる。
たった小さなひと言で、大きく傷つくこともある。凄くわかってるのにさ・・・
だからこそ、自分は、人には、そんなことしちゃだめなのに。
自己嫌悪で、ずーっと尾を引いています(悲)

みにくい不安や疑心暗鬼というものを、僕の中から追っ払ってしまいたいよ。
お願いだから・・・


思いたくないけど こんなに好きだから
きっと今が 僕にとって 一番素敵な時かもしれない
離れたくないけど 心も流されるから
いつか二人 わかれるときが 来るかもしれない いつかふたりが
全ての事  僕等のため
ふたりで生きている ふたりで生きている
MAY BE THE BEST YEAR OF MY LIFE


2004年10月10日(日)
泣く・・・

田村正和がテレビショッピングの司会をしてる・・・
(明らかにジャパネットたかたの高田社長をまねてる)
日曜劇場「夫婦。」の1シーン。めちゃくちゃ違和感を覚えるドラマのシーンだわ。だいたい、あの田村さんの気取り加減と、あのしゃべり口調のまま、健康器具を説明してる。実際あれじゃモノは売れないような・・・

さて、きょうは、泣くというお話
私は本来、よく泣く人なのです。男のくせに!とお叱りうけそうだけどね
こと、最近は涙腺がよわく、たまにひとり暗い部屋で泣いてることもあるし、人のお話で、もらいなきすることもしばしば。

昨夜、晩御飯を食べていて、ふとテレビにさだまさしが出演していた
そして、さださんが「精霊流し」を歌いだしたと、同時に、条件反射的に目がウルウルしてしうまう・・・
自分のこころがどこか疲れてる、無理がきてる証拠なのだろうか?などと考えるのですが。

こう考えると、あまりいい傾向ではないみたいだ。
涙を流すと、ストレスの解消につながると、どこかで読んだことがある
泣くことは、本当は健康にいいはずのようだけどね
僕は、全然泣くことは悪いことじゃないと思うんだけどなぁ・・・
かっこわるいことじゃないよ。うん。
素直に泣けるほうが、人間味を感じて、素直にその人を受け入れられる気がする。


喜怒哀楽のうち、僕は「怒」以外は、非常にストレートに感情を出してる気がします。

この連休、みなさん、素敵な時間を過ごしてね!



昨日のことは誰もきかない
変わっていくのは 心もおなじ
走りつかれて 振り返れば
何もない今は 誰もいない今は
僕はここにいて まるで飾り気のないあしたを待ってる
始まることも 終わることも
きっと同じだね きっと同じだね


2004年10月09日(土)
地元の秋まつり

きょうは、地元の神社の秋まつりでした。
自宅の目の前には、神社から続く屋台が並び、昨日までの秋の寂しさは一変、祭り囃子が聞こえ、人々の笑い声の聞こえる、なんだかほっとする夜の光景が広がります。提灯の灯りがずーっと向こうまで続いてる。人ごみをかき分けているうちに、静かな時間がふと流れていく・・・
僕も早速帰宅してから、祭りに行きました。
屋台でタイヤキやイカ焼きを買いました。神社に登って、お参りして。おみくじ引いたら幸い3等があたりました(オタフクお好みソース!)
神社からは、地元の下町が見下ろせる。舞台では神楽が上演されていて、大勢の人が見守ってる

ふと、人々のなかで、気に留めてしまうのが、若い夫婦と小さい子供が、手を繋いで歩いてる光景。小さい子供にとって、大好きな両親と、露店のおいしいものを食べたり、遊んだり・・・きっといつまでもこころに刻まれる楽しい時間を過ごしてるなぁって、あったかい気分になる。いいなぁ・・・
ひとりで、にぎやかな祭りの人ごみを歩いてるのは、秋の涼しさもあいまって、ふと寂しいけれど、こんな人の笑顔の中にいると、「あ、自分はこのままじゃいかんなぁ」って思うんです。
「結婚って、家族って、やっぱりいいな・・・」

僕が、もし家族を持ったとしたら、こういうお祭りに、おなじように手を繋いで訪れるだろう。奥さんも子供も笑顔で、手を引いて。そういうささやかだけど、素敵なあったかい時間は、大切にしたい。
こういう光景を見ると、いまのひとりぼっちの自分がものすごく寂しく感じるのです。

私の父とは、こういう思い出は皆無です。父は家族とのかかわりを全くしなかった人だった。常に家族との思い出なんかより、ひとり、酒を飲むことだけを好んでいた。だから、僕は子どもの頃の祭りの思い出もほとんどない。

だから、自分は、いつか子供や奥さんにたくさん思い出を、作ってあげたい。
お祭りの、楽しさ、温かさ・・・そういうのをいっぱい感じさせたいな

秋まつりは、ふと感傷的になるものです(涙)


2004年10月08日(金)
まだまだ甘いなぁ。

会社の上司と、たまに結婚の話をします
「○○君は、どうなの?」と、ふと聞かれるわけですが、こういうお話をあれこれした場合、必ず相手から返ってくるのが
「○○君は、まだまだ甘いなぁ・・・」

親と、同じような話をするときも、昔から、全く同じような言葉が返ってくる
「あんたは、夢のようなことしかいわん。実際、そんなに簡単なものじゃない。あんたは恋愛ドラマの見すぎじゃけん。」
正直、僕は「あなたたちのような大失敗をしないだけだよ。」とこころのなかでつぶやくが、口には出さず・・・

別にさ、自分の結婚観をいいたくていってるわけじゃない。
聞かれたから、素直に話しただけなのに、けちょんけちょんに言われるわけです。
お前は純粋すぎるんだ!甘い!ということになる。ふん。

たださ、恋人のような甘い関係を、結婚しても、ずっとずっと続けていくのが理想・・・そんなことを言っただけ。
最初の始まりからのひとつひとつの積み重ねが大切だと想うから、自分の気持ちは出し惜しみしないし、思い出も、言葉も、ふれあいもひとつひとつ積み重ねていかないと、後で、取り戻そうとしても無理だからっていう考え方。「結婚に妥協はしちゃだめだ。結婚してから妥協することが大切」だと想うんだ。ホントに好きな人と、愛し合って結婚したい。ぜったい、その後お互いのいやな部分も見えてくるはずだけど、それを許して妥協しあうことが必要になる。それは、深く愛し合ったものがあるから、お互い補いえるし、妥協できるような気がするんだ。」

なんてこと、ふっと言ってしまうんですよねぇ。なんてきれい事言ってるんだぁ・・・
あぁ、自己嫌悪。
今度から黙っておこう。


2004年10月01日(金)
10月。誕生月ですなぁ〜

10月ですよ!!みなさ〜ん

私の誕生日、まもなくやってきます!!
ま、この年になって別にめでたくもないし、ケーキを買っても、ろうそくが立ちきらないわけだし(笑)でも、こういう記念日はささやかだけど大切にしたい人なので・・・

9月は辛抱の月だったからね。
お仕事のことでかなりいろいろ葛藤があったけれど、やっと割り切ることが出来ています。自分から、1日1日を楽しく過ごそうってね。
10月は非常に楽しみ!個人的なイベントも多いし
大好きな月だものね。小さなことから、秋を感じて楽しみましょう。
(きょうから備北丘陵のコスモスライトアップなんですよねぇ。行きたいわ・・・)

ここ数日で、コーヒーもホットに切り替えました。
と、いっても、最近はものぐさで、インスタントが主流。
ネスカフェゴールドブレンドは常に2本常備しています。
衣替えとともに、秋の支度も着々と進んでいるのです。


落合監督の中日が優勝しましたね〜
僕は監督就任時の落合さんのコメントをすごく覚えてる。
「私が監督になれば、優勝くらいはできます。今の戦力のままで」
この人は、やるだろうな!って感じたんです。
それをいとも簡単にさらっとやっちゃうところが、やはり才能なんでしょう。
(昨年の阪神・星野監督とは正反対だね)
落合さんは、現役の時は大の練習嫌いで有名だった。監督になっても、選手を怒
ることもなく、ときに先発投手をじゃんけんで決めたり、なかなか日の目を見ない2軍の選手もほとんど1軍のゲームに使ったり・・・破天荒かもしれないけれど、落合さんは、なにもかもよーくわかってる人なんだろうな。
人心掌握術に長けてる。落合さんのおだやかで控えめの裏には、この才能が秀でてる。
監督次第で、チームはなんとでもなるってことがよくわかりますね。



コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
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