Land of Riches


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 2003年10月31日(金)   the Premonition of the Growth 

この頃、毎日のように睡眠障害に悩まされてます。必ず4時から5時ぐらいに目が覚め、
しばらくしてからまた眠れるのですが、それで朝7時に起きても睡眠不足。今は5時半です。
もう1時間近くネットしてますけど。これに対処(not解決)する方法―薬物依存―を
私は知っているはずなのですが、それを取りたくありません。いや、もう半月ぐらい、
自ら通うのをやめてしまった精神科へまた行くか行かないか、迷い(not悩み)続けてます。

U-20日韓戦の後、Sさんと電話で話していて、療養中とは思えないほど(失礼な)
観戦予定が充実しているのをお聞きして、自分は(今後の身の振りが不透明なのは
あるにしても)スケジュールを管理している手帳や卓上カレンダーが真っ白なのを
思い知らされて、インカレやら天皇杯やら東アジア選手権やら諸々の日程を書き入れました。

自分の見たいものしか書かない人なので、これまでもナビスコについてほとんど
記載がなかったりと変なスケジュール帳だったんですが、今後もU-20…というか
永田&角田中心で回りそうです。ちなみに一番観戦意欲をそそられているカードは
天皇杯1回戦のザスパvs市船だったりします。群馬には足を踏み入れたことがないのですが…。

>【増嶋が東京入団内定「頭の良い選手に」】
>東京は29日、U-18日本代表主将DF増嶋竜也(市船橋高3年)の入団内定を発表した。
>千葉・船橋市内で会見に臨んだ増嶋は「宮本さんのような頭の良い選手になりたい。
>判断力とか、危険な場面を理解し、試合の流れが分かる選手だと思う」と
>02年W杯の日本代表主将を目標とする選手に掲げた。増嶋は身長179cmと
>大型ではないが、空中戦に強く、セットプレーからの得点力にも優れたセンターバック。
>将来的には日本代表入りも期待される逸材は「まずはJリーグで
>出られるようになりたい」と決意を新たにしていた。 (ニッカン)

気分だけは若返ったつもりの(痛…でも中高生の頃の私は実際に痛い野球ファンだったと
思う。周りはもっとかっとんでいたけど)昨日付には、とても入れられなかったのですが
昨日の記事です。「ます君」(このコールネームをTさんが気に入っていらしゃるのですが、
かわいいですか?(えへ))は、むしろ熱血系という印象があるので、なんか違うとも
思わなくはないのですが…個人的にはもっと守備動作が洗練されるといいな、と。

>市船・増嶋がFC東京内定
>FC東京は29日、U-18日本代表主将の市立船橋のDF増嶋竜也(18)の入団内定を発表した。
>J8チームからのオファーを受けた増嶋は船橋市内で会見し「若い選手にチャンスがあって、
>育てる環境も整っている」とFC東京を選んだ理由を説明。目標とする選手には
>G大阪のDF宮本の名前を挙げ「頭のいい選手になりたい」とプロでの抱負を口にした。
>超高校級選手の入団内定に、試合に足を運んでラブコールを送ってきた原監督も大喜び。
>「体のバネやスピードがあるし、読みもいい。五輪代表が来年1月から
>2カ月合宿をやるなら(茂庭に代わって)開幕スタメンもあるかもよ」と
>絶大なる期待を寄せていた。

載っていないと(大阪スポニチのサイトを見て)分かっていたくせに、それでも
諦めきれず関西版を買ってしまったバカな私。近頃、関西版を買っては裏切られ、
わずか20分で駅のごみ箱へ捨ててしまうことを繰り返しているのですが…。
普通の監督なら社交辞令なんでしょうけど、石川ナオさんを「(今、移籍してきたら)
使っちゃうよ」の一言で引きずり込んだ人ですから、あながち笑えないのです。
9月に練習参加した時、増嶋くんも監督を慕っているような発言をしていて、
相思相愛というのはこういうのを言うんだな、と敗北者(…)はしみじみしてます。


 2003年10月30日(木)   沈みゆく記憶 

※注意:口調がいつもと違います。

まさかサッカー関連のページでトモの引退を知るとはね。
(私の心が)野球を離れて8年―私のサッカーファン歴と同じ―になるけど、
あたしと同じように10年近く前の記憶を大事に抱えてる人たちの声をネットで見てたら、
眠れなくなっちゃった。あの頃のあたしはトモが好きで、トモが勝った次の日は
恥かしい思いをしながら―ツバメ党ならサンスポを買うべきとは分かってたけど、
「大人のページ」に手が出せなくて中日スポーツばかり買ってた。そのせいで
Jリーグ開幕の記事(ジーコがハットしたのが一面だった)も持ってたりする。

授業中にヤクルトファンのペンパルへ手紙ばかり書いてたあの頃、あたしより
トモを熱狂的に応援してた子はたくさんいた。だから、トモが1年目の終わりに
泉ちゃんと結婚した時、二人はめちゃめちゃないやがらせを受けた。それでも、
それを応援の証として受け止めたトモ。そんなことをaiで言っちゃうトモが好きだった。

バルセロナ五輪銅メダルチームのエースはコヒ(=小桧山)とトモだった。
その頃は確かコヒの方が評価が上だったような覚えがある。二人は仲良しだったけど。
で、ドラフト直前の「週ベ」(=週刊ベースボール)で、MMCのつなぎを着て
のほほんと笑ってた人が、私が人生でたった一度だけ生で見たドラフトで、
うち、つまりスワローズに来ちゃったのが運の尽きだった。まさか、あんな化け物とは
思わなかったもの―今のあたしはサッカーについて、やったこともないくせに
プレーについてああだこうだと理屈を並べようとするけど、あの頃の私は
もちろん野球そのものなんて分かるはずもなくて、実際、バッターから逃げるように
曲がるのがスライダーだと知ってても、中継見ててどれがスライダーだか分からなかったんだ。

でも、みんながあんまりにも褒めて、そして、何よりトモが三振の山を作ってたから、
本当にトモのスライダーは「稲尾様」(は昔も今もあたしの知らないもの)みたいに
すっごいのだって思ってた。漠然と。防御率の計算方法を教えてくれたのもトモだった。
失点数をイニング数で割るんだよ! スポーツ新聞には打率や防御率のランキングが
載るけど、それをチェックするくせをつけてくれたのもトモだった。防御率0.91って、
人間が出す数字じゃない―だから、トモは壊れてしまったんだって言われてるけど。

トモが一度リリーフとして帰ってきたのは覚えてる。その時、久しぶりに週ベを
買ったから。でも、その時のトモはあたしの好きだったトモじゃなかったんだ、微妙に。
それは、今ネットで野球フリークの人たちも認めてる。伝説なのは、1年目。

だから、私は今でも「果てしない夢を」を聞くと泣ける。その年の日テレ中継の
テーマソング、出たのは16奪三振の後にサヨナラホームラン打たれたあの日だから。
だから篠塚は嫌いだった。悔しさのあまり、ベンチにグラブを叩き付けていたトモを覚えてる。

トモが投げると誰も打ってくれなくて、サヨナラ男のハウエルだけが助けてくれたのも。
7月4日の独立記念日―神宮ナイター祭りを締めくくったあれが、まさかトモから
光が失われた日になるなんて。その頃、前年のシリーズで働きすぎて壊れた
「ばぁし」(=岡林)もリハビリ組で…あれからの長い長い長い長い時間を知ってるから、
今、どうしてもトモと「はねだけんじ」の印象が重なるなんて言いたくない。でもそうなんだ。

93年のシリーズは憲次郎の復活祭だったけど、今でこそトモより叩かれる憲次郎、
でもあの頃はトモよりずっと母親思いのいい子扱いだった。あたしの中では、
シリーズ4戦の涙のインタビューで拭っていたタオルに20って刺繍されてたのが
全てで、それに気づいちゃった時は、本当、どうしようかと思ったもん。

…なんか今でもトモにはいっぱいファンがいるんだなって、ひしひし感じてるとこです。
韓国戦のお陰で、涙なしでは見られなさそうな高速スライダーを見ずに済んだのは
幸せなのかな、どうなのかな。ちなみに今日はトモの誕生日なんだって。
あたし、憲次郎の誕生日が1月なのは覚えてるけど、トモの誕生日は祝った記憶がない。
そっか、10月は7月より後だもんね。今日はサンスポ買ってから仕事行こうかな。

これからは、たくさん心配かけた泉ちゃんを大切にしてあげてほしいのと、Numberで
(肩に響くのが怖くて)抱いてやれないと嘆いてたお嬢さんをたくさん抱いてあげてほしいな、と。

あの頃、あんなに輝いてたトモにリアルタイムで夢中になれた自分は、幸せだったよ。


 2003年10月29日(水)   近いはずなのに地の果てにある島 

棚から「U」を発掘したけど、できるものなら全部欲しいかも。

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孤独に苛まれるのは、生きている実感が得られないのは、他人の存在を感じられないから。

「H」をゲットして帰宅しました。終電の1本前に。何をしてたか? U-20の日韓戦を
ネット中継で見ていたからです。我が家のスペック不足マシン&ナローバンド回線では
もちろん無理なので、職場からネカフェへ直行しました。試合開始までは、近くにある
飛行場の影響を受けてまともに映らない我が家のテレビ@地上波よりもずっと綺麗だと
感心していたのですが、甘くありませんでした。度重なる切断に悩まされつつ、
割とクリアな音声付の紙芝居を堪能しました。よって、よく分からず、語れません。

ここに来て左サイドへ入ってきた山岸さんが目立っていたこと、逆に右サイドが
おとなしかったこと、ボランチはやはりアジアユースコンビが安定しているように
思ったこと、オフェンスの層の薄さを痛感したこと、特に決定力がないこと、
最後尾の川島さんは頼もしいこと、守備陣はサイドをえぐられてピンチを量産し
不安を募らせたことなどなど―全ての印象は不安定で、事実とは限らないのです。

菊地さんの髪が爆発していたのには、びっくりしましたが。

その菊地さんと角田さんが二人でスライディングに行っても奪えず、近藤直也さんが
カバーに入ったシーンなどは胸が痛くなりました。永田さんは出番なかったのですが…。
何より、大熊監督の声がだんだん聞こえなくなったのが、試合の流れを象徴しているように
思いました。客席からの黄色い悲鳴に混じって聞こえた、左サイドの攻防戦の合間の
「負けんな、負けんな!」という叫びは、誰のものだったのでしょうか?

>この度FC東京では、増嶋竜也選手(市立船橋高等学校)の来季新加入を内定
>いたしましたのでお知らせ致します。尚、プロフィールは下記のとおりです。
>□増嶋竜也(ますしま たつや)選手
>【ポジション】DF
>【生年月日】1985年4月22日(18才)
>【出   身】千葉県
>【身長/体重】179cm/68kg
>【血 液 型】B型   
>□経 歴
>2004年 市立船橋高等学校卒業予定
>2001年(1年時)インターハイ優勝/優秀選手    
>2002年(2年時)U-17日本代表(新潟国際ユース出場)       
>        千葉県選抜(よさこい高知国体優勝)
>   全国高校サッカー選手権大会 優勝/優秀選手     
>2003年(3年時)インターハイベスト4/優秀選手
>        高円宮杯第14回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会優勝
>        U-18日本代表
>□アピールポイント
>1対1、予測能力、ヘディングとDFとしての能力を全て兼ね備えたプレーヤー。
>フィードも良く、得点感覚にも優れ、将来の日本サッカーの中心選手として期待される。

正直、この頃は待ちわびた感もある最終宣告が下されました。輝かしき経歴を持つ
彼は千葉の生浜(これがちょっと前まで読めなかったのさ)中の出身です。若手が
活躍するチームを見て惹かれたようですが、まず細い身体をどうにかしてほしいと
思ってしまいます、「リハビリルームの会長(中田浩二さん談)」なんかしてる
先輩の姿を見ていると。聡太さんは随分と体つきは良くなったようですが…。

>ヤクルトの伊藤智仁投手(33)が29日、現役引退を表明した。3度の右肩手術と、
>その後のリハビリ期間など故障との長い闘いを繰り返した経験を生かし、今後は
>ファームの育成コーチに就任する。93年、ドラフト1位で三菱自動車京都から入団。
>高速スライダーを武器に93年に新人王、97年にはカムバック賞を受賞。

こちらも覚悟していたような…岡林さんと全く同じ道を歩くのですね。私は京都へ
帰って家を継ぐのかと思ってました。分かっていても打てなかった、「神様仏様稲尾様」と
呼ばれる人と同じ、伝説扱いされたスライダー。1年目が一番輝いている、という
ルーキーイヤーに「プロ野球ai」へ載った不吉な占いは、結局覆せなかったのですが。

大人になるということは、経験を積んで予測がしやすくなること―覚悟を決めて、
おのれが傷つくのを回避すること。過去から未来を見つけ出し沈み込む自分が嫌い。

Second Half 2003 10 30 wrote


 2003年10月28日(火)   心眼 

結構前から買おうかどうか迷っていたトルマリンゴの購入に踏み切りました。
いや、2回目なんですけど(苦笑)不思議なもので、部屋の空気が澄んだ「気がする」んです。
アロマキャンドル燃やした時もそうなんですけど。製造元のサイトにある原理の
説明を読むと、実に怪しいものだとは思うのですが、やっぱり気分が大事なんで。
だから、この商品のポイントはメカニズム云々ではなく、色と形だと思う私。

…騙されてみます?(笑)

使用経験者として間違いなく断言できるのは、効くかどうかか分からないけれど、
長く放置すると(中身が干乾びるのか、それとも心が?)効かなくなるという点ですね。

日曜にようやく眼鏡を買いました。やはりコンタクトでは1日過ごせないので。
職場でも家でもノートパソコン―目との距離が近い分他よりたちの悪いマシン―と
向かい合う私は視力が下がり続ける定めのようで(OAワークによる視力の低下は4
0代でも50代でもあるそうです)壊れた眼鏡は度が合わないと言い続けていたのですが、
当然ながらメガネの補正が悪化するわけではなく、私の目が近視に最適化されるだけ。
ノートパソコンは、特に目から画面が近いから。柳澤くんや吉澤くんぐらいの年齢だと
(我ながらどういう表現だ)ピントを合わせる筋肉に柔軟性があって、遠くを見る時と
近くを見る時で最適化を繰り返すことができるのですが、私のように年老いてしまうと
近くを見ることにどんどん傾斜していったら元へは戻らないそうです。そんなこんなで
眼鏡屋さんと新しい眼鏡の度をどういう風に合わせるか(OAワークを続ける限りは
度が合わなくなったもので十分…遠くを見ないのだから。遠くも見られるようにすると
レンズがきつくなるわけで、目にかかる負担は近くを見るにしても増す)かなり長く
話し合った末に、0.5あげるとサッカー観戦でも十分な視力を確保できるのですが、
それを諦め、0.25だけあげることにしました。そしてできたレンズで見ているこの画面、
実はちょっと頭が痛かったりします。コンタクトははめかえなんて言ってられませんが、
眼鏡は見るものに応じてチョイスするのが理想だそうです。貧乏人には無理ですが。

近頃の私は、地下街で押し寄せてくる人波を見ると足が竦みそうになります。
カボチャの大軍が歩いてくるとでも思い込ませないとダメみたいです。自分が、
他の誰でもない自分なのが気持ち悪くなるのです。視界に映る全ての人が他人だなんて。
当たり前なんですけどね。そして、何より時が流れていくこと、それに自分が
流されていくことを拒否しています。訪れる未来(近い未来は確信が持てず、
遠い未来は恐怖でしかない)が嫌なのもありますが、過去へ固執しているのも一因です。

昨日読んでいたポエムに、想い出は淋しさの別の名前、というフレーズがあって、
うまいなあと思いました。学生の頃は、戻りたい時代とか、あの頃はよかったって
言える時代が、他の人たちと違って全くなかったんですけど、今の私には、
戻りたい時がありますから。その時の記憶に固執して…変わっていくのを拒んでいるのです。

人からもらった物を使わずにしまいこむのは悪癖だと言われますが、物が使用によって
汚れ破損していくことで、もらったという記憶(出来事)が壊れてしまうのを
恐れているのです。使わなければ形は変わらない、もらった時のまま。

悪しき思いは、悪しきことしか生まない。


 2003年10月27日(月)   フローティングマイン 

増嶋くんが選んだ道は、(鹿を)贔屓目で見ても、間違っているとは思えません。
そもそも、思いたくないのですが。

少し前までは悪夢に苛まれる話をよく書いてましたが、近頃は夢ですらなく、
夜中、唐突に目が覚めて、不安に駆られることが多々あります。部屋を暗くして
ベッドへ横になる行為自体が怖い、という有り様。それでも肉体は眠気に屈して、
一瞬にして意識を朝へと連行してしまうのですが。考えることをやめればいいんですけど、
何もしない(ベッドへ横になるのもそう、満員電車もそう、入浴中もそう、
仕事の合間のちょっとした時間もそう。だから私は「疲れる」と文句を言うくせに、
息つく間もない多忙を欲していたりします、実は)ことが、手島さんと違って
できないので、ついつい…自分で自分を不安や恐怖の鎖に縛ってしまいます。

しかも、どれだけ心や魂がこの体から逃げ出そうとしても、決して逃げられないのです。

高3の頃から、どれだけ考えても、どれだけ本を読んでも、どれだけ話をしても、
決して消えない不安。自分が自分であること、そしていつの日かそうでなくなること。
つまらないことを考えるのは退屈な人間がすること、頭では十二分に分かってます。
生きている間は楽しく生きよう、それも分かります。でも、理屈は全く役に立ちません。

この怯えを分かち合ってくれる人はいないのです。いや、私に巣食うあらゆる感情
(いわゆるプラスというか、明るいものを含めて」)をシェアする相手がいません。
独りぼっち。このLRにすら、まともに心情を記せないのですから、誰かに話せなんて
無理なんですが。無理だって言っていても、何も変わりません。自分よりも自分の
ことを
考えて気遣ってくれる人なんて世の中にはいないのだから、無謀な要求なのです。

それ以前に、純粋に淋しくもあるんですけどね。きっとまた、ネット上でもいいから
居場所を見つけろと言われる…そこにいる私は、文字(とそれを読む人の想像力)だけで
構成される、私に似て異なるもの。私自身も、その虚像が自分と重ならぬのを
望んでいるし―なぜなら、自分が嫌いだから。私の苦しむの大半を作る材料、自己嫌悪。

自分をどこまでも直視する(そして周囲は自分を計る物差しとしてしか利用しない)
生活の果てに、観察対象である自身を好きになれないのが、苦しみの原因だと
分かってきました。どうして自分はここまで自分が嫌いなのか…好きな自分になる
努力を怠ってきたのは否定しません。自分からは離れられないのですから、
こいつを好きに…少なくとも嫌わないようにしなければ、常に息苦しいのです。

どうやったら自分を好きになれるだろう―単純な、素朴な疑問。でも答えが分かりません。

全ての趣味=pastimeは、私にとって酒のようなもの(本物のアルコールは飲んでも
全く満たされないので、付き合いでしか飲みません)です。酔って、我を忘れるための道具。
酔っているうちは、自分のことを考えなくても済むから。辛いのは、酔いは
必ず覚めてしまう時が訪れること、どんどん強くしないと酔えなくなること。
いろんな“酒”を飲んで、飲んで、自分を誤魔化して、偽ってきたのが今までの人生。

自分が嫌い、自分を捨てたい、このまま牢に捕らわれ続けて、デッドエンド。そんなの嫌。

夏あたりから芽生えたこの感情が、日に日に成長しているのがよく分かります。
横に生えていた引っ越しの願望は枯れそうです(苦笑)多年草恐るべし…。
先日、LRに書きたくて書けずにいたこと、としたのも、ほとんどはコレです。

あとは持ってないと思っていたら持っていた「Yeah!」の飯尾&寿人ドキュメントで
(田原さんが同じ号に載っていたのですよ)飯尾さんが語るほぼ全ての言葉が、
2年たっても全く色褪せずに通用してしまう驚愕。普通、古雑誌は現状と噛み合わなくて
(だから羽田さんの記事は読み返すの辛い)切なくさせられるのに。何も変わってないなんて。
…同じ号に昌邦さんのインタビューがあるのには、触れないことにしましょう。

あのとき、自分が何を感じて自信を持っていたのかわからない。
個人個人がうまかったから、まあ予選突破は平気だろっていう感じだったんでしょうね。

ただ相手の名前だけを聞いて、強そうだなとか、アジアのチームだから
やれるだろうなみたいな考えを持っている奴もいたと思うし、
そんなに甘くないよっていう気持ちはありましたね。

みんなただ漠然と、ユース年代の日本代表に選ばれてるんだということでしか
考えられなかったんだと思います。

「『このままじゃあ、やられるよ。アジアを勝ち抜くっていうのは
そんな簡単なことじゃない』って、みんなに伝えました。
キャプテンも『経験した人間が言ってるんだから、このままじゃダメだ。
練習から意識を変えていかなきゃいけない』っていってくれて、
そこからみんなも変わっていったんです」

どうせ中継は関東ローカルですから見られませんがっ!!


 2003年10月26日(日)   天秤 

聡太さん、お誕生日おめでとうございます。
今日も試合そっちのけで営業…あのチームのそんなところがとても不愉快です。

思うに、どんな理由であったにしろ、人の命が失われること自体がマイナスに
受け止められないことはまずいと思います。以前も書いたような覚えがありますけど。
今の世の中は、人の命を軽んじすぎると…自分とて限られた命しか持たないのに。

木曜あたりからLRへ書こうと思っている(けれど体力気力の問題で書けずにいる)ことが
いくつもあって、別途箇条書きにして保存してあるのですが、いつまで経っても
書けるように思えません。いや、本当はその程度のことは、私にとってそれほど、
何がなんでも書かないと、とは思えないのですから、重要ではないのです、おそらく。
ですので、もし一晩眠って充たされたら、過去分に追記するかもしれません。

正直、スポーツニュースの映像すらまじめに見てないのですが、たった1試合だけ
食い入るように眺めた残留争い決戦「大分vs京都」で、最後にセットプレーでの
決定機でヘッドを外に外しもした角田さんが、試合後にどうも泣いていたらしい
映像が抜かれていたのにショックを受けて、茫然自失だったりします。強い人である
角田さんが、そこまで心を痛めているのかと…このままじゃ彼はUAEになんか行けない、と。

そして、あと西京極で何試合あるか、数えて、行こうとしている自分がいるのです。


 2003年10月25日(土)   君と繰り返すロンド 

>昨オフに戦力外通告を受けながら、約7000万円の年俸ダウンで現役を続行していた
>ヤクルトの伊藤智仁投手(32)が25日、コスモスリーグ(教育リーグ)巨人戦で
>約1年ぶりに実戦登板。打者3人に17球を投げ、2四球で、1死を取っただけで降板した。
>今後の去就は球団幹部と話し合った後に決めるという。

Yahoo!ニュースでこの記事を見つけた時は、嬉しかったですよ、素直に。1年ぶりに
マウンドに立って球を投げた―その意味を深く考えるのは置いておいて、たた単純に
彼が投げたという事実が。私の待つメンタリティは岡林さんと智仁さんにとって
(本意ではないんですけど)培われたもの。この苦しみなんて“泉ちゃん”(どうして
私は何年もたった今でもこの呼び方しかできないんだろう?)のそれと比べたら。


 2003年10月24日(金)   DEVIN 

すべて観察する人は占い師である。
人はすべて、自分の興味のあることがらにおいて占い師である。
(アラン)

「比較的いろんな情報に敏感な割に、野暮ったい風に見られがち。
また、割と大雑把で、雑然としたままの状態を好むタイプ」

ウェブに星の数ほどある占いが大好きな私ですが(有料コンテンツでも躊躇しない
ジャンルは、正直これくらいかと。サッカーだって惜しむのに)よく当たるという
Yahoo!占いの新顔・タロットをやってみました。当たっている気がします(苦笑)

▼今のあなたのウィークポイント
今のあなたの欠点は、他の人から見ても、自分勝手なことばかり主張しているような
ところでしょう。物事が伸びていきそうな時です。今の状態に不満を感じていると
したら、あなたの心の持ち方に問題があるのかもしれません。恋については、
好きなタイプの男性とバッタリ出会ったり、誘いを受けてくれたりといったラッキー
ハプニングがありそうです。この幸運を掴みましょう。

▼周囲とのかかわり方のポイントは?
あなた自身が、周囲に対して心を閉ざしてしまいがちです。そのため、要望や希望が
なかなか通じず、イライラすることになるでしょう。また、気が変わりやすく、
コミュニケーションもスムーズにいきません。原因は、気持ちを伝える努力を
怠っている点にあります。周囲には、感情表現をストレートにするといいでしょう。

▼今後求められるあなたの姿勢
今後しばらくのあなたは、誘惑に負けやすい状態に陥りそうです。あなたが日常、
接している相手に対し弱気になり、振り回されてしまうでしょう。悪友の誘いに
乗って、後悔することも考えられます。成り行きに流されず、自分の意志を
しっかり持つことが、今のあなたに求められているようです。

▼ズバリ! 開運の方法は?
以下のグッズは、今のあなたの運を開けて幸運を呼び寄せ、悪運を振り払うものです。
身につけるか、自分の部屋に置いておくようにしてください。そして、それらを
使うことによって、効果が発揮されます。

恋のラッキーグッズ     :楽器・カラオケ合コン
仕事・マネーのラッキーグッズ:クリップ・小銭入れ
関連グッズ         :携帯プレーヤー・MD

▼開運のラッキーアイテム
以下のアイテムは、今のあなたにラッキーハプニングを起こさせるものです。
できれば暗記するようにして、生活の端々で意識してください。そして、それらが
選択できる状況があったら、迷わずそれらを選んでみましょう。ラッキーカラーは
ファッションに取り入れてみることもおすすめです。

ラッキーカラー :レッド
ラッキーナンバー:6
ラッキープレイス:競技場
ラッキーデイ  :火曜日

私、いまだにMDとは無縁の人間なんですが…そして競技場って何?(笑)
この占いはホロスコープスプレッドで占うんですけど、出てきた結果に満足できず、
カードの意味を調べてみました。タロットカードの意味の取り方は難しいんですが。

▽本人・体質・姿勢…法皇
思いやり・慈悲心・良きアドバイス・人に尽くすこと・伝統的な手段

▽経済・収入・損失…力(逆位置)
勇気がなくてチャンスを逸する・体力のなさ・誘惑に負けること・ワガママ・
実力不足・力の誤用・ムリな強攻策・弱い気持ち

▽知力・旅・通信…月(逆位置)
ちょっとしたスリル・状況の好転・迷いの解消・偽りに気づくこと

▽家庭・住居・両親…塔
危機・驕り・トラブル・口論・失敗・予期しないこと・パニック状態

▽創作・勝負・娯楽…隠者
よく考えて行動する・精神的なものの探究・思慮深い様子・マイペース・
冷静な態度・隠されている事柄・研究心旺盛

▽仕事・健康・使用人…悪魔(逆位置)
ストレスがなくなること・束縛からの解放・自立心の目覚め・腐れ縁が切れること 
▽結婚・取り引き・ライバル…魔術師(逆位置)
迷い・消極的・マンネリ化・グズグズする・気まぐれな態度・未熟な事柄

▽セックス・遺産・支出…星
チャンス到来・希望が叶うこと・明るい見通し・憧れる気持ち

▽学問・海外・思想…吊るされた男(逆位置)
自己中心的・忍耐不足・焦り・ムダ骨・必要な努力を怠る様

▽社会・地位・目上…節制(逆位置)
プライドが高い・対人関係のトラブル・忍耐に欠けること・衝動的になる様子

▽友人・願い・グループ…皇帝(逆位置)
意欲が失われる・空いばり・弱い意志・自分勝手になりやすいこと・見かけ倒し・
自信が持てない様子・指導力のなさ

▽敵・障害・静養…運命の輪(逆位置)
悪い方向への変化・不安定期・思いがけない不運・束の間のチャンス・すれ違い

▽総合診断・最終結果…正義(逆位置)
二つのことが同時にできない・不正な行為・怠け心・不平等・両天秤・
偏った見方・エゴイスティック

…いや、よく当たってますね。特に塔のカードには自分でもビックリしました。


 2003年10月23日(木)   ジェネレーションギャップ 

私は仕事の中身はしょぼくても締切厳守の人間なので、他人が締め切り守らないのを
待っているのは非常にイライラします。昨日付けで書き忘れましたけど、私はとかく
些細な…おそらく当事者にとってはつまらないことでも苛立ちすぎる悪癖があります。
満員電車でぶつかった人にむかつき、地下街で前をゆっくり歩いている人にキレて。
もうちょっと自分も他人も許せるようになりたいものですが…無駄に厳しいです。

時間は一定のペースで決まった方向にのみ流れているので(永遠に―そうやって
定義されたものが時間だから)私と他の人との年齢差は、永久に縮まりません。
みなが同じように年をとっていく―老いた者は死に、新しい命も生まれ続ける、
それが人の歴史。いや、自然界全ての歴史。拒絶することを許されぬ真理でもあります。

チーム別を買い漁っているくせに、全く整理できてなくて引き出しへ放り込んだままの
トレカを整理しようと思ってアルバムやらケースやらを買ってきたのですが、
袋からすらも出せないまま放置してあります。とにかく自分の自由にできる時間が
少なすぎます。だから次なる生活への準備も進まない…ダイヤ改悪で帰宅時刻が
どうしても遅くなってしまい、それだけ自宅で自由に使える時間が減ってます。
食事やら入浴やらサーフィンやらの日課が優先されるので(これでも普通の人に比べたら
日課に割く時間は短いと思うのですが…サーフィン以外)本当にフリーな時間は
ごくわずかです。ないといっていいかもしれません。だからメールの返事もタイミングを
逸しがちで、機会を逃したメールは書きかけのまま放置されることも多くて。

何のために生きているのか分からないのは、やりたいことができないからかもしれません。
…じゃあ、私は自分に与えられた24時間を、一体どうやって過ごしているのでしょうか?

久々に(ってほどでもないか?)ハンズへ行ったら、クリスマスコーナーができてました。
三省堂でも、彼におねだりするプレゼント特集の載った雑誌(女性誌って読まないから
カタカナ名が覚えられない…(鬱死))が特売されていたり、今年もそんな時期なんだと
思いました。そりゃ、テレビから唐突に「ふり向くな君が美しい」が流れ、年賀状は
インクジェットハガキにするかどうか聞かれるわけですよ。私は何もかも、住まいを
移してからにしようと思っているんですが。でも、クリスマスプレゼントで何が欲しいって、
考えてみたら何もいらなくて、ただ、イブの夜に、私のすぐ前で、笑いながら私の話を
聞いてくれる相手がいればそれで十分、と思ってしまいました。目の前にあるのは
豪華な料理なんかじゃなくても良くて、ケンタのチキンでも叩き売りのケーキでも良くて。
楽しく1年を振り返ることができたら、どれだけ幸せだろうかって、自分以外の誰か
(それも性別の異なる人)を自分と同じようにか、自分以上に大切に思えることが
もうありえない気がするだけに―あらゆる対象物に対する執着が薄れている―おのれの
抱く幻想が悲しかったです。きっとこれは、望みであって望みですらない。
…私はこれが実現しても、多分、自分が幸せだとは思えない。

独りで生きる時間が長すぎました。乖離を意識する時が長すぎて、そうでない感覚が
分からないのです。空虚な概念としてさえ。だから、いつまでたっても独りぼっちです。


 2003年10月22日(水)   柔らかな叡智 

チビが「このままじゃ勝てない。そんなに甘いもんじゃない」って。
俺もそう感じてたから、選手だけでミーティングをやった。
それでみんなの意識も変わったし、やっとチームになれたなって思った。


風邪はようやく治りましたが、今度は頭痛がお友達です。鎮痛剤を飲まないと
鈍い痛みに揺さぶられ続けますし、飲めば意識がぼんやりして宙に浮いたようです。
今、仕事でほぼ8時間キーパンチを強いられているからでしょうか。それも眼鏡でなく
コンタクトで(いい加減、新しい眼鏡を買いたいぞ!)。目薬も差しすぎです。

当然キャプテンとしての自覚もあったけど、単純に負けたくなかった。
勝ちたかったから。


アランの書いた文章(といっても日本語訳ですが)を読んでいると、自分の書く駄文は
硬いというか刺々しいというか、読む人に対して攻撃的(意図的に傷つけようと
しているわけではなく、強固な鎧をまとうがために、近寄る=読む人が傷つく)だと
思えてきます。自分の心情を記録しているだけなのに、感情の柔らかさ(柔軟性)が
微塵も感じられない、スパスパと出刃包丁で切り落としたような味わいのない文。

自分に文才があるとは思えないけど、でも、せめて自分が読み返しても耐えうる
レベルのものを書かないと、他の人にとっては、さらに苦痛なんですから。

>平田GSによると代表は1月末に始動し、オーストラリアか中東などで暑さ対策を兼ねた
>合宿を張る。2月には国内で調整目的の親善試合を2試合消化し、3月1日からの
>最終予選に臨む。同GSは「一度クラブに戻ってフィードバックする段階ではない。
>山本監督の考えで、クラブも理解してくれると思う」と直前集中強化の意図を説明した。
>また山本監督は暑熱対策のため、フィジカルコーチの加入も要求しているという。
>これまでは暑さ対策で事前に海外合宿を張っても、必ず一度解散して予選前に
>再集合するのが一般的だった。しかし今代表は予選、親善試合でも苦戦する場面が多く、
>スタッフらにも危機感が強い。異例の長期拘束で3大会連続出場を狙う。

今朝の日刊より―他紙にも同様の記事がありましたけど、またキレそうになりました。
(もっとも、まだ構想の段階ではありますけれど、無論)

山本ジャパンは、主として机上の空論によって構成されているのですが、時が経つにつれ
脳内で展開される理論がスケールアップしているように思います。提示された構想は
初期レベルでも実践されていない(形としては実施されているかもしれませんけど、
目に見える結果とはなっていない)にもかかわらず。西村ジャパンとて、実現の
可能性が乏しい理想(それも、個人の嗜好より生じたもの)を掲げて戦ってましたが、
でも、不器用なりにそれへ向けて動いていた…と私は認識しています。これも、
近頃傾向著しい過去への耽美かもしれませんが。あまりに美しかったナイジェリアの記憶。

ナビスコカップ予選の開幕は2月だと囁かれている(オフが短いと選手が疲労を
取り除けず、金属疲労的故障が続発するのではないかと不安になります…)のですが、
開幕前の重要な時期である2ヶ月を、あのぬるま湯のようなチームで過ごしたら、
1シーズンを送る上でどれだけの損失になるか―その危機が(指揮官の望まざる)
飛び石の経歴を得たがためにのみ呼ばれそうな人にも訪れるかもしれないと思うと、
本当に腹が立ってきます。あのチームがどうなろうが、もうどうでもいいのですが、
そういう(2年前と全く変わりもしない独善的な)観点からだけは心配になるのです。

大胆とは、規律をもった、あるとき、あえて発揮された無謀である。
大胆のなかには、果敢のなかよりもいっそう多くの精神がある。
大胆はむしろ、リーダーの資質である。
(アラン)


 2003年10月21日(火)   足跡 

韓国戦のメンバー発表記事を見て、永田さんは本当にフル代表へ選ばれたんだと
再確認しました。あらゆる記事で一番最初に名前が出てくるのが永田さんだなんて。
唯一のフル代表経験者なんですから、当たり前といえばそうなんですけど、
U-22には角田さんはおろか、近藤直也さんや宇野沢さんにまで先を越された彼が
(菊地さん成岡さんも合宿経験者ですね…)ただの閃きでここまで躍り出るなんて。

Aさんが手違いで2部手にとってしまったヴェルディ戦のMDPを下さったんですけど、
代表入りした頃の永田さんが、いかに平静を失っていたかに関しての記述がありました。
グランパス戦では周囲の目を気にするあまりパフォーマンスが落ち、ホテルにも
飛行機にもこわばった顔で一番乗りした下っ端。「行くだけでも得るものは大きい」と
語っていた出発前の想像を超えるようなフル代表の現実と直面して、何を得たでしょう。

雑誌には各アンダー代表の記事が並んでいますけど、下に行くほど期待値が上がる、
逆にいえば上になればなるほど期待されてない(大熊さんが、オフェンスのタレントは
U-18の方が上だのコメントしていたのにはちょっとびっくり)のが現状です。
世界大会を目前に控えたU-20、韓国戦の選出メンバーは削ぎ落とした20人です。
貴章さんのコンディションも気がかりだけれど、まずは目の前の試合でベストな
パフォーマンスを披露してくれることだけを祈っています。明るい未来をつかむために。

…松井秀喜さんのセンターバックスクリーン弾を伝える見出しに興奮したのは内緒。


 2003年10月20日(月)   唄い、跳ね、踊る 

昨日のやべっちFC、Jが終わったからもういいや、とテレビを消して風呂に入った
私はどうせ負け犬です(涙)U-18の模様が流れるなんて、聞いてませんよ。
寺田くんの3人抜きゴール見たかったです。増嶋くんのホームユニ(以下略)

ワールドユース本大会まであと40日ほど、であるのに気づいてしまってから、
とにかく自分を呪いたくなってます。この時点での全治1ヶ月診断、全く同じです。
頭の中で、腰を強打した瞬間を(すぽるとで)振り返る「彼」の声がぐるぐる流れてます。

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土曜(18日)関西遠征の続き・西京極編です。この日の私のめあては、one and onlyで
角田さんでした。望みはただ一つ、日立台で沈黙を通し―かつU-20チームへの不満を
語った彼が、J1残留を成し遂げ、代表…世界大会への熱意を取り戻してくれること。
それがいかに無謀な、的外れな望みとは分かっていても、望まずにいられないのです。

今の彼は右SB―だから、きっちり彼の上がりが見えるポジションで観戦。今でこそ
CBマニアですが、かつての私はSBの動作に心酔していた人。SBはDFでもありますし、
同時に攻撃の起点にもなるポジション。もう彼は素人SBではいられないのです。

開始直後に手島さんがバックパスをミスし失点の危機に晒されてから、ずるずると
ラインは後退し(手島さんは特に前半、目を覆いたくなるほど精彩を欠き、心身ともに
相当追いつめられているんだと悲しくなりました)決定的なピンチを量産しました。
あれで失点しなかったのは、運(と相手の決定力不足)としか言いようがありません。

力あるパーツを地味に緻密に組み合わせたマリノスの前に、角田さんは第3CBとして
働く時間が長くなります。手島さんの不調は斎藤大介さんが奮闘してカバー、
平井さんも踏ん張ってくれました。一方のオフェンスは、ミッドフィールドを
ロストした構成(キープできる人がいない。松井さんは左サイドで自ら進んでいく人)で
サイドからのボールをFW(主に黒部さん)が点で合わせるしかない有り様。苦しいです。

MDPでさえ、サイドからのクロスを強調しています。頭に合わせようとするだけでは、
フル代表の守備の要である中澤さんの守るゴールは簡単には破れないのに。
そのパターンの乏しさには切なくなりました。松井さんは一時のトリッキープレー中毒を
おそらく恣意的に脱し、シンプルに状況を打破しようとするのですが、そんな彼を
評価したい反面、なんだかそれは松井大輔らしくない、とも感じたのでした。

日立台から帰還翌日、コーチに止められるまで右サイドからクロスを上げ続けていたという
角田さんは、後方からのフィードとは違う、SBとしての直線的なクロスを何本も
入れていました。彼よりクロスの下手なSBはいないとも言われていますけど、
私はそうは思いませんでした。どこかの、絶不調に陥った元フル代表SB@橙などに
比べたら、余程鋭くてゴールに近づける感じを受ける、スピーディーなクロス。
ただ、いかんせん、クロスが良くても点が取れるとは限らないのです。一点勝負でしか
シュートの打ちようのない攻撃では、黒部さんにかかる負荷が大きすぎます。レジは(自主規制)

クロスだけではなく、相手DFを抜き去っていく動作も、まさにSBでした。もともと
攻撃大好きとはいえ。しかし、すいすい抜き去った後ほど、最後の仕事―ボールの
リリースは完璧でなくてはオーバーラップの意味はないのです。それが、SBというもの。

そしてピム監督は後半15分ほどでサブのアップを完全に打ち切らせ、先発メンバーとの
心中をはっきりとさせました。最後の最後に出てきたのが中村忠さんであったあたりも、
首位マリノス相手に最下位サンガとしてはドロー狙いでいっても十分、という
ゲームプランニングがうかがえます。しかし、私は点で合わせるなら町田さんだし、
ゲームに緩急を大野さんがつければ、また違ったものになったのではないか、という
「たられば」から逃れることができません。田原さんも見たかったですけど。

最後の最後まで勝ち点奪取に燃えていたのはサポーターでした。黒部さんのコールは
今2種類あるんですね…「サンガのくろべえ」しか分かりませんけど。そして、
タイムアップのホイッスル直後、よく守り切ったと称賛されても良さそうな角田さんは
ただ一人、ピッチに座り込み、挨拶に来ても硬い表情を一切崩さず、悔しさを
にじませていたのでした。それでいて、出したコメントはドローでよし、なんですが。

このままでは、彼が西京極に思いを残さずにワールドユースへ参戦するのは難しいと
思いました。私のむちゃくちゃな願いは、角田さん一人の力では実現できないのです。
そして、角田さんを必要としているのはサンガだけではなく(今日、右SBの安藤さんを
大宮から獲得しましたが)U-20も全く持って例外ではないのです。

―闘う気持ちが消えない限り、事態を変えていくことができる。


 2003年10月19日(日)   感情と理性、そして意思 

言葉は、感情と理屈のどちらを伝えるのにも用いられるツールです。
ネットでは、考え(理屈に感情で風味をつけたもの)を示すのに使うのが
一般的ですか…サッカーサイトにおいては。フットボール好きは語るのが好きだから。

試合を見ていると感じる…脳裏を支配するものの9割は感情、それも悪しき部類に
属するものがですが、できるだけそれをネットには書かないようにしています。
恐ろしいもので、ある対象を褒めた時よりも貶した時の方が読む人にはストレートに
受け取られ易く、私が考えている以上に、その対象が悪く思われがちだからです。
もっとも、レイソルというチームは、褒めても予想以上に取られてしまうのですが(苦笑)

私が好きな選手の大半は、アンダーエイジと言われる世代です。彼らの成長を最も
大きく左右するのは、彼らを取り巻く環境―所属チームの事情となります。
ハードもソフト(一緒にプレーする先輩たち)も大事ですが、何より重要なのは出番。
宇野沢さんがかつて言っていた「使ってくれるのがいい監督」というのが全てですが、
使ってもらえるようになる経緯に大差はなく(チョイスされやすい・されにくいは
あるにしても)私としては、与えられた出番は活かすべき、活かせなかったら
次から使われなくても仕方ない、と思っています。今では昨年のように、永田さんが
いつ外されるかビクビクすることもなくなりましたけど、本当は、これじゃダメなんですよね。

人間は何にでも慣れる、悪癖から逃れられない。

このLRは、基本的に感情の記録となってます。病んだ心との一つの付き合い方といわれて。
よって、読み返すと、同じ事象(たとえば引っ越しだったり、たとえばU-20だったり)に
対してでも、抱く気分が全く違うのが分かります。気まぐれ。大きな流れを見ると、
徐々に心のテンションが下がって、何事にも投げ槍になってきてますけど。
それに危機感を抱いてるから、マイナス思考を刺激する親との話し合いを嫌がってるんです。

そんなこと言われなくても全部分かってる、自分の考えたことを振り返る時間なんか
いらないし、そんなことに時間やエナジーを使うなら、前へ進む方法を考えたい。

私の人生において最も濃い時間だった10代終わりの1ヶ月、私は大人になりたくないと
ひたすらぼやいてました。今の私は、当時の私が嫌がった通りの、嫌な大人です。

経験は物事に対する順応性というか、おおごとにせず片づけていくスキルばかりを
つけてくれて―たとえば、貴章さんがこの時期に全治1ヶ月の足首捻挫(なんか、
ものすごい捻じ曲がり方だったようですね(号泣))という怪我を負ってしまっても、
自分の気持ちをどの方向へコントロールすればいいか、私は知っているのです。

もちろん、やりきれないけれど…2年前とは全く違う対処が取れる、それは成長といえるのか?

20代になってからの私は、予想通りに―予想以上に心身とも腐り果てていき、
朽ちた心を捨てられないのにイライラしています。あの頃も今も幸せになりたいと
望む欲求には違いないけれど、いつもいつも、四六時中、昔は良かったと嘆いてます。
どんな瞬間であっても、未来<現在<<<過去なのです。やり直せるなら、19歳の
あの1ヶ月をもう一度―その答えだけは、いまだに一度とて変わったことがありません。

こんな自分をやめられないこと。それが現在、一番の苦痛です。もしも、人生に
リセットボタンがあるなら、もう何回押しているでしょう。一体、私はどんな境遇を
得たら満足できるのでしょう? 誰にでもできる歯車の役目は嫌だ、自分にしか
できないことがしたい、必要とされたい…他の誰でもなく、自分が。歴史の教科書には
今まで地球上に誕生した人間の中で、本当にごく少数の人しか名前が載ってません。
あとは、名もなき人ばっかりなのです。今の私も、私の周りにいる人も、みんなそう。
それは分かってます。でも、それが嫌だというのです。じゃあ、どこで道を踏み外したかと
問い詰めると、昔から…未来を描くことを拒否してきた、前向きになれたことがないのです。

保母、教師、小説家、プログラマ―なりたいものとしてあげてきた職業は、自分が
なりたいものじゃなくて、自分が憧れていた対象がそういう仕事の人だっただけ。

私は、自分自身に対して、夢を抱いたことがない。
その証拠に、1997年以降、神社仏閣で自分自身に関する願い事を祈ったことがない。

自分を大切にできない人は…愛せない人は、他人をそうできない、真実だと思います。
投影と倒錯の世界にずっと生きている私―私の人生を生きたいと密かに思い続けてて、
でも今の自分を作ったのが自身ではなく、過去への憧憬が創り出した鎖なのが情けなくて。

何がいけないって、飽きっぽいのがいけないのです。仕事は半年、趣味は2・3年で飽きる。
少し前まで、生活の全てを捧げていた相手でさえ、なんでそんなに入れ込んでいたのか
理解不能とばっさり切り捨てることができる―熱しにくく、冷め易い気性が。

だからこそ、そんな自分へ対応するために、やる気になった時にやらないと、という
対処策ができてしまう…ああ、本当にダメだ。自分自身となあなあに向き合っていくための
方法があるなんて。だから、こんな私には、結婚なんて永久に無理だと思います。
誰かを好きになることができるのか、という前提は置いておいて。

…考えてみたら、ユース代表はどれだけ長くても3年しか活動しないんですよね。
実際は2年ちょっとぐらい。だから、私には向いているのかもしれません。


 2003年10月18日(土)   関西人の意地と誇り 

これが欲しいがために、大枚はたいて、関西遠征を挙行しました。高槻はついで、ですが。

高槻スポーツセンターは、前田隆さんめあてでアビスパサテへ行った時以来ですか。
どうも記憶がハッキリしないのですが。ガンバユースもジュビロユースも、U-18の
一次予選に主力を奪われての対戦。同じぐらいの痛手だと予想していたのですが。

ジュビロは最後尾(松井くん)と最前列(藤井くん)が不在だったんですけど、
第2GK八田くんが、2年前の豊田国際で見たままのキャッチングやらキックやら、
ほぼ全てのモーション(…)で成長がなく、泣けてきそうだったのを抜きにしても、
地力がガンバとは違いすぎました。エースストライカー(三木くん。あえてこの肩書)と
プレーメーカー(寺田くん)がいなくても、チームの成り立ちからか、11人全体の
技術レベルが天と地ほど違うのです。あらゆること、たとえばキープとかプレスとか。

ガンバの選手が1人で前進していくのに、ジュビロは時として3人で止めに行くのですが、
それが全く重圧=プレッシャーになっておらず、そのまま抜かれてしまうのです。
ガンバの選手は特に、懐を深くしてプレスに対しボールを保持する技術が全員
ものすごく高いという印象を受けました(キックなんかは、個人差があるけれど。
あとジュビロの選手の守備動作がイマイチ洗練されてない、というのもあります)

MF岡本くんはとても腰が高いのに足が絡まることなく巧みな足さばきができ、
FWの江口くんはボール扱いがうますぎて、むしろゴール前で手数をかけすぎるし、
同じくFW渡部くん(途中出場)が横から角度のないシュートに対して、さして勢いよく
飛び込まなかったのを見た時には、このチームでは泥臭さは否定されるのか、とさえ
思いました。丹羽くん(相手が弱くて、守備でも声出しでも頑張る必要がなくて、
正直、物足りなかったです)は、かなり異質なスタイルですね、ガンバでは。

あと、監督のコーチング量が全然違います。島田さん2回しか声出してないし、
あの人の仕事は交代した選手と握手するだけか、とすら思いました(暴言)
ジュビロの望月さんは、逆にめちゃくちゃ指示が細かいように聞こえました。

そういう意味で、ガンバらしさを家長くんに集約するのは間違っている気もしますが
(寺田くんなら間違いじゃないと思う)テクニシャンとして磨き上げられすぎた、
ゆえに本来の司令塔がいなくてもトップ下には置いてもらえない、それでもなお、
そのボールで場(notゲーム・includingスタンド)を支配してしまう超越者。

前半の10分あたりから25分頃まで、一体彼に何が起きたのか、と首をひねるほど
冴えていて、パス&ゴーの動きといい、蹴るボールといい、コーナーへ歩く悠然とした
動作といい、凄かったです。先制点の、仕事場とは逆サイドから斜め45度で叩き込んだ
ミドルシュートを筆頭に、プレースキックやサイドからのクロス(なぜか印象に
あるのは右サイドからのばかり)が、ことごとく唸らざるを得ない美しさで。
11分の1としてのタスクをオーバーした部分、見る者の目に強く刻まれる要素が
彼の持ち味のように思えてきました。彼が凄いのは、単にプラス要素で凄いだけでなく、
この時間帯の後、綺麗さっぱりゲームから消失している点も外せません(苦笑)
サッカーのゲームで、オフ・ザ・ボールの基本動作は「走り」だと思うんですが、
彼の場合は「歩き」で、しかも走りから歩きに切り替えるタイミングが、誰よりも
早いのです。それを懸念してサイドに回されているのに、全く関係ないんですよ(笑)

そんなわけで、ガンバ完勝でした。ジュビロは特に前半はシュートもろくに打てず、
いいようにやられてましたが、後半はバックスの組み方を変えて善処し、多少なりとも
岡本くんの個人技に期待するような面もありましたけど…ガンバは最後テストモードでした(汗)

阪急で西京極へ移動し、カードをゲットして(1枚目は簡単だったけど、2枚目を
手にするのに苦労しました。ずるいことなので詳細省略)ホーム側ゴール裏へ。
今の家を離れる唯一の心残りが、京都へ気軽に行けなくなることというほど、
今の私はサンガ…もとい、角田さんに入れ込んでいるんだ、としみじみしました。
大体大がJリーグに代わってアンケートを取っていたんですが(答えてMr.ピッチの
ボールペンゲット!)西京極4回目でした。日立台の次に遠征している気がします。
いや、日立台は練習場の隣だから回数が多いだけで、東城陽とプラスしたら…。

☆サンガ戦は20日付に書いてます!

2003 10 19 wrote


 2003年10月17日(金)   キャンドルとラベンダー 

私は、私の人生を、
私の生きたいように
生きちゃいけないの?!


二言目には「分からない」と言うのは、実際に分からないことが多すぎるからで。
未来を想像すると、暗いものしか思いつけないのは人の性とも言えるわけで。

何のために…誰のために生きているか、分からないです。
そもそも、私は誰かに気に入られられるために生きているんでしょうか?
親に気に入られたい、褒められたいという感情から人は抜けられないそうですが。

この瞳に何かが映り、耳で何かが聞こえ、触れると感触が分かる、
それは当たり前の五感なんかではなくて、素晴らしい奇蹟だと思うから。

…私の心、私の魂はどこにいるんだろう?

どうせなら楽しいもの・快いものを見て、それについて考える日が送りたいのです。
このまま時に流され老いて死んでいくならば。欲しいものを欲しがるのは、罪じゃない、はず。

自分の弱さがとことん恨めしいです。強い心が欲しいです。諦めないで戦う気持ち。
だから、強い人を見るのと快いのです。自分の情けなさまで埋めてくれそうで。

切実な不安に溺れる日々でさえ、単調な毎日を送る私には願望かもしれません。


 2003年10月16日(木)   the greatest happiness of the greatest number 

我々が何をしなければならないかということを指示し、また我々が何を
するであろうかということを決定するのは、ただ苦痛と快楽だけである。
(ベンサム)

功利主義が正しい行為の基準とするのは、行為者個人の幸福ではなく、
関係者全部の幸福なのである。
(J.S.ミル)

六花亭のバターサンドとキャラメルコーンのフォンデュショコラ(これって、そのままの
ネーミングだと今、気づきました(汗))が美味しかったので、私は幸せです…ダメ?

生きること自体に必死になりたい、という願望が前々からあって―1日を終えた時、
生きてて良かったと実感できるような暮らしを送りたいと思ってました。
現実は、朝起きて「早く今日1日(特に仕事の時間)が終わらないかな」と思うばかり。
疲れて帰ってこれば、眠気ばかりが襲ってきて、本当にやりたいことが何も
できなくて…やりたいことを仕事にしなかった以上は、ここでやるしかないのに。

だから、踏ん切りをつけるためのモーションを本格的に開始しました。夏あたりから、
仕事の合間にサッカーを見るべく遠征するという生活パターン自体に懐疑的になって、
家庭も職場もまさにぬるま湯、そんな自分へ鞭を打つために―そう、手紙で宣言しました。

―3年前、Jヴィレッジのロビーで口走った、あの言葉のように。

あの頃、ソラミナの担当ページを構成するために雑誌を今以上にバシバシと買っていて
(ここ最近も些細なことで買いすぎですが)その金銭的負担に喘いでいたのですが、
今となっては、それでも完璧には買い揃えられなかった自分が恨めしくなります。
たとえば、手元に当時絶大なインパクトのあった飯尾&寿人の「yeah!」はありません。

羽田さんが例のミーティングについて語っているサカマガ…のドアップ写真は、
Rさんが居酒屋でばっと広げてみせて下さって、私が壊れて指紋をつけまくったがために、
保存には適さないと判断されて、下さったものだったりします。そのページで
彼が語った言葉は、決してたいした内容ではなく―そもそも、彼にキャプテンシー、
あるいはリーダーシップなんてものはあったのか、今でも疑問です。当時、それでも
彼が腕章を巻くことへ異常に執着していました(少なくとも私の中では、彼は不動の、
まさに揺るぐことのないキャプテンでした)し、彼はそれなりにまとめていたと
思うのですが、でも、彼はどこか空気のようでもありました。むしろ、現在の私へ
遺されている観点からすると、私は彼をDFリーダーと見なしていたのではないでしょうか?

アジアの壁へ挑む前、そして世界大会への準備段階で、彼らはまともな試合をしていたかと
反芻しましたが、香港でのブラジル戦は例外でしょう。あの頃も、彼はどちらかといえば
しょうもない試合ばかりしていました。でも、あの頃、彼らをつまらないと思ったり、
見捨てたりしたいとは思いませんでした、少しも。私の場合は、当時好きだった選手が
現在では代表を離脱しているので、それを加味せねばなりませんが、それにしても、
今の彼らはつまらなすぎます。羽田憲司というDFが幻想の中でのみ語られるうちに
美化され、とんでもないCBだったように言われるのには、空しさを覚えつつも、
もう慣れてしまっているのですが、まさか、腕章を巻く者としての彼まで…。

いつでも、過去は美しい。どんな瞬間でも、現在より過去は素晴らしいもの、だけれども。
想起は、基本的には何の役にも立たないのです、今この瞬間と、未来を生きるためには。

今日もオブラートを買ってくるのを忘れました。風邪は悪化の一方な気がします。
こんな時だからこそ、這ってでも西京極へ行きたいのですが―最後は気持ち、と
すっぱり言い切った彼を見るべく、彼のカードをゲットすべく(笑)

いらないものを「湖底に沈める」という表現を、滋賀県出身の上司がして、
滋賀県民にとっては、湖を用いる表現は自然なんだな、と妙に感心しました。

…あと1ヶ月。


 2003年10月15日(水)   BACK TO ..... 

宇治という地名に惹かれて手にした宇治十帖スタンプラリー帳に、サンガの試合が
前売りより安く入れる特典がついてたり、母の友人が北海道へ行って土産にくれた
六花亭のバターサンドを(病人なんで(笑))箱ごとゲットできたり、いいことも
あるもんです。生きていれば、いいことも、悪いことも。いろんなことがあります。

今日、U-22合宿で紅白戦があったそうです。自分が行ったわけではないので、
全て伝聞になってしまうのですが、現体制で始動してから1年と4分の1ほど経過しても
なお、公式戦をこなすたびに山本監督が口にする“見つかった課題”への対処が、
通常の練習から解消しようという意図が皆無であること、そして参加する選手たちに
(どう見ても良い試合をしているとは思えない)現状への危機感が乏しいこと、
それを示す事実をいくつも並べ立てて、正直、私はこの五輪代表への思い入れは
皆無に等しい(厳密には現在進行形ではない、ですか。このLRでも、さんざん
「夢の残骸」呼ばわりしてますし)んですけど、その身であっても耐え難いものがあります。

※合宿で起こった“事実”については、「ヨゾラノムコウ」や「ひしゃく」に、
見学者自身によるレポートが掲載されていますので、淡々と綴られた文章の奥底へ潜む
問題点を推察しつつ読んで下さい(まずは後者を読み、前者を読んでから再度後者をどうぞ)

Aさんは、現在のチームの雰囲気が、西村ジャパンのアジアユース直前合宿で見学者を
谷底へ突き落としたソニー仙台戦に似ているとおっしゃったそうですが、言うまでもなく
この時と現在とでは、様々な点が違います。U-19(当時)は、アジアユースでは
どうにかチームの建て直しに成功し、準優勝を手にするのですが、この過程に、
試合後の夜に行われたというミーティングがあります。このミーティングがSさんとの
電話で話題になったので、いろいろ当時の資料を引っ張り出して再考してみました。

以前にLRへ一度書いたことがありますが、ソラミナのアジアユース直前合宿レポは
エリック・サティの「Preludes flasques - pour un chien」より、彼独特の
ネーミングセンスが光る曲名をタイトルとして拝借してます。どうして「犬のための、
しまりのない前奏曲」なのかは、今更書くまでもないと思いますし、全4曲のうち
犬の歌(Chanson canine)をあえて外している理由も分かると思います(苦笑)

私は直前合宿の後半戦担当として福島入りしたので、4日目からの見学なんですが
(あの時は他のメンバーもレポ歩を書いてくれるものだと信じてました…(笑))
私的初日の「犬儒学派的牧歌(Idylle cynique)」は、大会直前になっても新システム・
1トップ2シャドー(後にチームの代名詞となるコレは、この前のステップである
中東遠征が初登場)に試行錯誤するチームへの皮肉で、最終日の「友情をもって
(Avec camaraderie)」は、言うまでもなくこの期に及んでレクリエーションタイムを
必要とするチームへの皮肉でした。そして、ソニー仙台戦につけたタイトルである
「内奥の声(Voix d'interieur)」は、もちろん、キャプテンのあの一言を指してます。

「やばいっしょ」
あの最悪試合の後に、キャプテンへ感想を聞くなんて間違ってると、当時既に
非難されまくりましたし、今でも正しかったとは思えません。だって、これは
ごく自然な感覚であり、それ以上に“だから、何?”になってしまいます。

しかし、私が泣きTELにいそしんでいる頃、彼らは試合の模様を録画したテープを
スタッフに借り、選手のみのミーティングをしていたのです。

ただ、あの試合のビデオを見ながら、選手だけでミーティングをやったんです。
そこでビデオを見ながら、みんなからも結構意見が出て、いいミーティングができました。


…あ、当時を懐かしんでいるわけでも、まして当時の方が今よりも良かったと
嘆くつもりもありません。このミーティングを開いたのはキャプテンで、彼が
それを決意したのは、試合のハーフタイムに監督がぶち切れてクーラーボックスを
蹴り飛ばした時だそうですが、この時、それに同意して他の選手へ声をかけたのは
飯尾さんと寿人さん(と遼一さん?)でした。そもそも、キャプテンがそうしようと
思えたのは、キャプテンマークをコロコロ移動させていた(今となってはその印象も
薄くなりましたが、それまでは別に腕章を巻く人=羽田さんと決まってはいませんでした)
西村監督が、アジアユースでは羽田に任せると決め、彼へミーティングをする権利
(それくらいしてもいいから、まとめろという義務、ともいいますね)を与えたからです。

何が言いたいか、といいますと?―現U-22首脳陣は、あの時、寒空へ向かって
「もっとパワーで!パワー! パワーで行け」と叫んでいた西村さんの足元ほども
現状を変えようとする意図が…どうにかしようとする意思があるのか、と。
そして、選手も伸びよう、勝とう、上へ進もうとする願いがあるのか、と。

当時のU-19には(代表チームの生まれ年の区切りが違うのもあり)U-16時代に
アジアで敗退した悔しさを知っていたのが、飯尾さんと寿人さんの二人しか
いませんでした。日本がアジアにある以上、アジア予選を突破しなければ世界大会には
出られません。悔しさを晴らすには、自分だけではなく、みんなが必死になって
頑張らないといけない、という二人の強い思いは、その頃のインタビューでも
何度も語られています。ミーティング開催への関与も、その一環です、もちろん。

あれからどれだけの時が流れたでしょうか。Jなどで経験を積んだ彼ら(今では
クラブが手離したくないと願うレギュラー多数、フル代表さえいます)ですが、
確たる世界大会での実績は、地球の裏側での“あれ”だけ。この年代の中から
チョイスされる“選ばれし者=代表”の顔ぶれも時と共に変わってきてますが、
それでも、U-19時代に比べたら、世界やアジアで戦った経験を持つ人の数は
ずっとずっと多いはずなんです。つまり、悔しさを秘めた人の数は。

“あの時”レギュラーだった選手も、控えだった選手も、選ばれもしてない選手も
現在のU-22にはいますが、それぞれに世界への思いはあるはずなんです。
…彼らがU-19だったあの頃よりも、ずっと強く。強く、ある………はず、なんです。

私は今でも、アルゼンチン大会のことを思い出すと、悔しくて胸がいっぱいになります。
それは、彼らならもっとできる、という想いに由来してます。あの時の彼らの場合は、
最後の最後(チェコ戦)であれだけのサッカーをやったから、余計なんですが。

だからこそ、メンバーが入れ替わっても、ツーロン@U-21の躍進は嬉しかったし、
五輪代表として立ち上がった頃は、今度こそ、谷間の汚名を払拭して…という希望に
燃えていました。信じていました。私自身のリベンジへの熱意は、彼らにではなく、
次なるユース代表へと変節してしまいましたが、それでもなお、この世代への
愛着というか執着が消えないのは、これまで何度かこのLRで触れた通りです。

練習見学によって明るみに出た、低迷の真相―私は同様に低空飛行を続けるU-20の
合宿見学を熱望(これにはやはり関東在住が必須条件で…それをクリアできるように
なった頃には、大熊ジャパンのうち、「上」は消滅しているでしょう。だからこそ、
私は今から「下」の簡易記録庫を作ろうか、なんて思っているのですが)したく
なりましたけど、監督・コーチ・キャプテンと肩書きにとらわれず、チームを構成する
全ての人が、もっとチームへの情熱を燃やさないと、本当に駄目だと思いました。

お金を払ってプレーを見てもらうのがプロ。その中で選ばれた人が代表。
代表戦のチケットはJよりも高いのですから―向上心がない人にその資格はないと考えます。

そして、肩書きを持つ人は、持たない人よりも更に強くなければならないと、私は考えます。


 2003年10月14日(火)   見えない敵に囲まれて 

仕事中から何の曲か分からないサビが頭の中をぐるぐるしていたんですが、
帰って検索して、ようやくすっきりしました。しかも、こんな名曲の歌詞を
間違えて覚えてるなんて、最低ですよ自分!(苦笑) そう、ブルハの「TRAIN-TRAIN」。

見えない自由が欲しくて 見えない銃を撃ちまくる

間違えるのは…関西方面の安アパートへ引っ越す夢を見るほど衰弱しているから?
今の私が心身とも弱っているのは、薬を飲むのを嫌がる性質に由来しているのですが
(少なくとも風邪に関しては、仕事が始まるからと無理やり粉薬を飲み始めた昨夜から
今朝までの回復が、連休3日間静養した間よりも確実にデカイ…)なんで鬱病の治療は
投薬中心なんだろうと無駄にあがいてます。今でも机の上へ大事に飾ってある、
ポンペイを手にした羽田さんのメッセージは、何の薬へ向けて向けられたものか、
私は忘れてしまったのでしょうか?(再び苦笑)今の羽田さんは、この写真とは
全く違う顔付きをしている…羽田さんの帰りを待ってくれる人が自分以外にもいるのは
嬉しいけど、昔の彼がいかに偉大だったかを語られるのは、それが事実かどうか
(むしろ、それを語る言葉が的確かどうか、の方が正しい)とは関係なく、辛いこと。
今年はじめの雑誌を見返すと、大久保さんでさえ市船時代と顔が違うのが分かります。

弱い者達が夕暮れ さらに弱い者を叩く その音が響き渡れば ブルースは加速していく

増嶋くんと小林祐三くんのどちらが素晴らしいDFか、それはJのスカウト陣でさえ
評価が割れる(だから二人を争奪するチームはあまり重なっていない)ところ。
昨日の決勝を見れば、どちらも力(これを計るスケールも、当然ながら見る人によって
バラバラです)ある選手なのは一目瞭然。ならば、二人を天秤にかけるのではなく、
CB好きを謳うのならば、二人がそれぞれ持つ素晴らしさを、できればその差が分かるように、
表現できるように…伝えられるようになりたいな、と思いました。静学には松下くんという
これまた素晴らしい選手がいますし、そんな3人でさえ、U-18代表では数いるDFの
一人でしかないのです。増嶋くんは今のところ、その中で腕章を巻く身ではありますが、
彼が不在の大会だって乗り切っているのですから、そんなのは優越を示すものではありません。

世界中に定められた どんな記念日なんかより
あなたが生きている今日は どんなに素晴らしいだろう


昨夜のニュースで流れた“帰国の模様”で、久々に訪れた、背景に目を凝らす日々は
終わりを告げました。選出直後の喧燥が嘘のように、さっぱり永田さんの名前は
聞こえなくなりました。その代わり、フル代表の、試合*以外*の部分がどうなっているか、
選手の発言やら(俊哉さんが、自分もサブ組でモチベーションの維持に苦しんだのに、
若手を気遣う言葉には胸が潰れそうに…)U-20代表とは段違いの情報量で知ってしまい、
永田さんの心境を察すると、涙が出そうになります。これもいい経験だった、と
言うのは、強がりじゃなくて、本当にそうであってほしいと願っているだけ。
フル代表のコーチ陣とDFラインを組むために、彼は遠征したわけじゃない…!

聖者になんかなれないよ だけど生きてる方がいい
だから僕は歌うんだよ 精一杯でかい声で


ベンチ暮らしで菊地さんは試合勘を失ってしまった、と聞いています。本大会までに
残された時間は短いですが、世界へ挑める喜びを噛み締めながら、全力を出せれば、
終わった後に悔いが残らないような大会になるといい、と願っています。

後に残る気持ち、それが2年前の最大の遺産だと思っています。



 2003年10月13日(月)   蒼い靴の少年 

出雲駅伝、日大が優勝ですって?!

レポよろしくというメールまで届きましたが(笑)情報遮断して録画中継でした、
高円宮杯決勝。昨夜の GetSports でこの後準決勝“一部地域を除く”の一部地域に
思いっきり該当(2:20過ぎにはメ〜テレ放送終了)してしまい、歯痒い思いをしましたが、
決勝を見られるのは大掛かりなプロモーションのお陰とはいえ、表彰式でイレブンが
受け取っていたスポンサー関係のもの(TVもらってどうするよ(笑))を見て複雑でした。

勝敗を分けたものは、雨?

本日は静学・市船ともに1stユニ。静学のベガルタみたいな2ndは受け付けないなあ、と
思ってましたけど、あの緑は過去の嫌な記憶が積み重なっているせいで、やっぱり
マジでダメだと再確認しました。それに比べたら、市船の淡いブルーへの抵抗感は
(もともと陸上部の水色は好きだからといっても)かなり消失してます。

静学といえば、テクニックに溺れ、ショートパスばかりをつないで(実際、今日は
ピッチコンディションが良くなかったので、長いボールが少ない静学は思うような
サッカーができず)何よりここぞというところでラフプレーが多いという印象があって、
松下くんも小林くんも狩野くん(彼は典型的な静学系ドリブラーの“谷澤弟くん”より
良い選手だと思っているのですが)もその実力は認めてますけど、どうもダメです。

つくづく、あの時、永田“くん”が辰徳“くん”と同じ赤の3番を着ていた偶然を
思い知らされます。それと、あの時の静学が強くなくて、嫌味な印象を受けなかったのも。
東福岡の敗退で弱っていた心へ飛び込んできた、本当に単なる偶然の「像」を
追いかけたがために、現在へ至る―まして引っ越そうとさえしている―のですから。

レイソルの15番は、今でこそインタビューが結構お気に入りですが、プレースタイルは
少しも変わっていないんだから、好意を抱く理由にはならないはずなのですけれど。

市船の5番は、少し背を丸めると聡太“くん”を連想させて、何人もの5番を好きになったけど、
彼だけを生で見ているのに思い当たります。その中に一人とて市船でのプレーを見て
好きになったCBがいないのは、どこか滑稽でもありますが。そんな感じで記憶は
鎖となって私を心地よく縛るのです。とはいえ、増嶋くんの整った顔立ちはここ最近
好きになった選手の中ではダントツで(笑)顔に一目惚れしなくなった私にとって
久々のハンサムボーイのため、見ていて久しぶりにドキドキしました☆ ミーハーっぽく。

カレンの一発が決勝点になるなんて、横山くんのシュートがポストに当たったから、としか
勝敗の分かれ目を説明できません。お互い攻撃は(特に市船)さほどでもなかったように
映りましたが、守備は…レベルが高いな、と。U-18代表をもっと応援したいな、と
思いました(違) 柏系サイトを作ろうと思っていたんですけど、こっちがいいかな…。

時間と共に、増嶋竜也プロモーションビデオと化した
中継でしたが、空中戦の強さ、ゴール前での素早い対応、倒れた後の戻るまでの間の短さ、など
堪能できました。やっぱり好きなチームに来てほしいな、と思いつつ、彼の心は
既に決まっているそうですから、いい加減諦めた方がいいな、とも自分に言い聞かせて。

今日からU-18は一次予選に向けた合宿ですけど、最後に膝を痛めたのが心配です。
…あの声は可愛すぎるから、コーチング役は別に欲しいと贅沢を言ってみたり。

辰徳さんのプレー、見たかったです―粉薬を飲めない自分のバカヤロー!(><)


 2003年10月12日(日)   CHANGE-OVER 

頭が痛い、だるい、気持ち悪い、咳が止まらない…。

気がつくと夜です。眠りが癒しなのか、私にはよく分からない(夢や幻覚見るし…。
ついに眠る“前”にExcelシートが増殖して襲い掛かってくる幻覚に苛まれた時は
心底自分は駄目だと思いました)のですが、その眠りに陥るまですら、集中が
自分の肉体ぐらいにしか及ばなくなるせいで、やたら咳き込むはめになり、昨夜は
とうとう吐きました。血じゃなくて胃液を。胃液を二度吐き、三度目には吐くものがなく
げっぷを吐き、四回目にはそれすら吐けなくて吐く動作だけを身体はして。
薬でもトルマリンでものど飴でもマイナスイオンでもビーズクッションでもいい、
なんでもいいから癒してほしいとさまよう自分は、外へ出歩ける体調でもないのに
ハンズやLoftで癒しグッズを求めてウロウロする昼間と何ら変わらなくて。
つまり、私は自分の全てを委ねられる何かを探しているのです。それは宗教かもしれないと
図書館で仏教関係の本を物色したりもして。四六時中、隣り合わせでいる不安を
手なずけるために、エチカやら定義集やら紋切り型辞典やら悪魔の辞典やら、
何かを定義付けることに挑んだ先人たちの著書を求めて、読んでは違うとぼやいて。

大好きなミスチルを聞いても、サッカーの試合を見ても、ネットサーフィンしても、
ちっとも癒されはしない、ただ頭が痛く、苦しくなるだけ。でもやめられない。

ここ最近、嬉しかったことなんてあるんだろうか?―代表選出ぐらい? あれは
嬉しかったうちに入るのか? 百歩譲って入るとしても、私は近頃「安心」やら
「安堵」やらいう概念と無縁で暮らしている…どこへ行って何をしても孤独。
自分がしたいと思ってしていることをしている最中ですら、lonelyだという
感覚から…不安から逃れられないのです。だって、今そこにいるもの、私が見たいと
願っている対象―たとえば明日の午後なら増嶋くん―は、私が過去に欲しいと願って
手に入れられなかったものの代償でしかなくて、そのものではないから。

自分が好きなものに似ているものを見つけるのが得意になる、と言っていたのは芥川竜之介?

ああ、ダメだ…今、無理やり、本当、強引にキーを叩いているのに、ついさっきまで
頭の中でグルグルしていたこと、そう、LRへ書こうと思って考えていたことが、
半分以上ロストしています。オマージュ、という単語を思い出すのにも10分以上かかって。

本当にダメなのかもなあ…あたし。こんな状態では手紙なんか書けるはずもなく、
迷いに迷って買ったコスモス―私の大好きな花の便箋が、机の上へ散乱していて、
床には図書館で借りてきた本と雑誌と薬とのど飴と携帯電話がちらばってて、
部屋の片隅には何日も放置している洗濯物が山積みで。時間が止まったような、
でもブラウザ越しに見る“世間”は怒涛のごとく進んでいて、一人取り残された
侘しさだけが私を苛む…一人ぼっちだと嘆き続ける、そうしている間にも秒針は回って。

>03年度サッカー界の“ドラ1”、市立船橋DF増島(3年)が進路を決断。
>「(U-18)代表が終わったら、監督に話して、その後、クラブに伝えます。
>選手権にはすっきり参加したい。心は1つ? はい」
>最有力クラブは、練習参加で好感触のFC東京。
>19日開幕のU-20アジア選手権予選後に正式発表となる。 (サンスポ)

ドラ1、ってドラフト1位(野球用語。というか、逆指名が広まっている野球界ですら
あんまり使わなくなっているような気がする単語)のことですよね…昔はドラフトといえば
自分の人生を自分で決められない許し難い儀式として憎悪を燃やしていた対象で、
特に「外れ1位」という言葉が大嫌いでした。増嶋くんがドラ1なら、吉弘くんか
松下くんあたりがそうなるのかな?(小林くんは別のドラ1)外れ1位だって、
ドラ1には変わりないし、そもそも天下のICHIROに代表されるように、指名順位なんか
選手の価値とは関係ないんだって、何度も何度も叫んでいたような。叫びたかったから。
…叫ぶ気力があったから。

言葉を発するのは、自分でない他人に何かを伝えるため(自分の中で完結させるのは
簡単…だから創作小説だって即座に、かつ容易に完結する)のはず。運命なんて
虚構あるいは思い込みと先哲たちは口を揃えるけれど、移ろいゆく世界の有り様を
そのまま受け入れることを拒む者は、叫ぶはずです。または、他者が作った秩序を。
自らが是とする秩序を他者へ受け入れさせるために、人は叫び、語るのです。

だから、中田ヒデさんや俊哉さんがフル代表のコミュニケーションロスぶりを
嘆くのは、この上ない心配です。永田さん云々より更に上の。もちろん、誰かと
意思疎通をするのは、何もしない(あるがままを受け入れる)よりも、はるかに
エネルギーを必要とすることですが。だから、私は叫ぶ選手が好きなのかもしれません。
自分にはできなかったり、不得手だったりすることだから。自分の思う方向へ
周囲(チーム)を導こうとする力、それはプレーそのものとは直接関係ないかも
しれないけれど、サッカーというスポーツには必要とされる能力だと思うから。

…幻想の中ではなく、この世界で、生きている実感、信じられる感触が欲しいです。


 2003年10月11日(土)   A REAL LIVE 

うちの職場にはサッカー好き・野球好き・競馬好き・釣り好きといろいろいますけど、
隣のグループの上司はF1が好きで、昨日は日本GPのために休んだらしいです。
ただの消化戦とも言われてますが、その人は今週の朝礼でスピーチが回ってきた時も
「年に一度の楽しみですから」と言っていたそうで、もはや日本開催時の有休は
定番のよう(笑)いいなぁ、私も一度代表戦のためと公言して休んでみたいです。
職場の一部には、薄々サッカーで休んでいるのはバレつつありますけど(苦笑)
…他フロアにはSMAPライブへ3日連続通うため、3連休を奪取したつわものがいますから。

「ひしゃく」の全日本ユース準決勝プレビューを見て、ものすごく行きたくなりました。
現実問題としては、いまだに咳が止まらず(特に夜中は血を吐くのではないかという
勢いで咳き込み続けてます。昨日だって、3日連続病欠すると医師の診断書が必要なので、
金銭的負担も考えて無理やり行ったというのが真相。1日別部屋で作業していて、
電話をほとんど取らずに住んだのは救いでした)おまけに財布の中に漱石すらない状況で
火曜日を乗り切らなければならない(水曜が給料日)なので、この3連休は家で
おとなしくしているしかなさそうです。加えて、隣の家に通夜&葬式が入ったし…。
残念なのは、この地方では決勝の録画放送はあっても、準決勝ハイライトの放映がないこと。

市船vs東福岡といえば―市船的ベストバウト、キャプテン羽田率いる鉄壁の守備陣が
3連覇を目指したヒガシのエース山形を完封したアレでしょう、私にとっては。
(三冠ヒガシは私の“知らない”ものだから…全て、後付けの知識ですから。
膝にテープを巻いたNIKEの10番を見て、真っ先に宮原さんの像を重ねた上に、
キャプテンマークをつけるのは4番じゃないといけない、と思っているあたり、
私にとっての東福岡は、やはり金古キャプテンの代(の選手権)になるようです)

今となっては、触れてはならない記憶と化してしまった試合。あの時書いたレポの中で、
市船のディフェンスをどれだけ憎々しく思っていたか、それをまだ覚えているからこそ
後日、そのエースをきっかけに接することとなった“ユース代表”でそのDF陣と
“再会”してからの自分…むしろ現在の私に継続されている自分とのギャップに
戸惑うのです。多分、今の私なら、あの時の市船の素晴らしさが理解できるんでしょう。

市船のサッカーは今でも好きではないし、市船というチームも好きではないのですが、
それでもなぜか毎年市船のDFを好きになっている(83年だけぽっこり抜けてますけど…
永田さんがその年に生まれているのは偶然?)のは、後遺症なのか、それとも私が
決定的に生まれ変わったのか、よく分かりません。みんな市船で好きになったわけでもないし。


 2003年10月10日(金)   みっちゃん、「ら」扱いされる。 

>写真=ルーマニア代表戦に向けた練習で選手に指示をするジーコ監督(右端)。
>左から中田英、坪井、山田暢(共同)

日刊のルーマニア戦前の最終練習記事―ジーコがノンビブスの3人へ熱く語る横で、
超かったるそうに髪をかきあげる赤ビブス着用の「ら」約1名(笑)は永田さんでした。
代表の「ら」といえば、中田浩二さんを真っ先に思い出します(私は)。
だから、ふてくされないで応援し続けようと思いましたよ、改めて!(^^)

最近は昼休みに会社近くのゲーセンへ行く日が多く、クレーンゲームの中身を見て
和んでいたのですが、だんだん我慢できなくなり、無駄に金だけなくしてます。
ほとんど戦利品はありません(泣笑)ポスペのジョン(犬)には相変わらず
執着してますが、今日もゲット失敗。最近はモモ&コモモばっかりで寂しいです。
あと近頃のお気に入りは「まっちぃ」―もうスライムって呼べなくなってます(笑)
でかまっちぃ(=巨大なビーズクッション)はさすがに自分の腕では無理だと
分かっているので(1回200円だし…)ちまちまとちびまっちぃ(=高さ1cmぐらいの
プラ置き物。クレーンでなく網で掬うやつ)まだ2匹ですけど…今のところ紫色と透明ブルー。
後者がえらくお気に入りです。あとハンズでバースデーテディをあさって、10月と12月が
ほとんど置いてないのにぶち切れつつ、ワゴンの中に2匹も入っていた4/6を買ったり、
むやみに天然石を買い揃えてみたり、あれだけ給料日前で金がないとわめいていた割には
散財してます。いや、ハンズへ行ったのは聡太さんへ手紙を書こうと思ったからなんですが。

ペンと便箋だけで全ては片付いたはずなのに―レイソルオーレの電話出演でやたらと
サポーターの声援に励まされていると言っていたという聡太さん。8月の終わりくらいに
私が苛まれていた気持ちも、ただの杞憂だと言ってほしい、無謀な願いと分かっても…。

明日の試合が終わったら、永田さんにも久しぶりに手紙を書こうと思いました。
U-20もいよいよクライマックス、やたらゲームが組まれてますけど。

今日の結論は、彼氏にするならクレーンゲームが得意な人がいいな、と(笑)


 2003年10月09日(木)   煌く波の泡沫 

目は大きく輝いている人より、細く鋭い人の方が好きかもしれません。
いずれにしても、私にとっては顔の中で最も重要なパーツですね、目は。

本山雅志・深井正樹―個々だけでも人を魅せることができる選手だと信じてますが、
二人が織り成す攻撃が噛み合ったら、どんなものになるでしょうか、そんな気がした夜です。
深い闇を奥に抱えながら、目の前できらきら光る刹那の出来事に心を奪われて。
私は…私は何もかもを悲観的に捕らえすぎて、人生を楽しめなくなったかもしれません。

茂庭が先発なんて、というメールを東京サポから頂戴して、咳が止まらず耳もよく聞こえず
細かい字を読むのも辛い(携帯メールも辛い…でもやめられないネット中毒)私が
永田さんのためにバクバクする時間を過ごさなくて住むのは幸せなのかとも思いました。
それが欺瞞なのも頭では分かっているのですが―スポーツニュースで海外組が練習で
攻め込むゴールをビブス着て守っている、小汚い髪の青年を必死になって探してます。

嬉しいことは嬉しいと、悲しいことは悲しいと、むかつくことはむかつくと、
何もかも素直に話せたら、そして話せる相手がいたら、どれだけ幸福でしょう?

レイソル新人クインテット対談完全版がアップされました。
「ヴィトーリア」より更に面白さUP。もう誰にも止められない谷澤さん、どこまでも
王子様な中井さん、マイペースすぎる貴章さん、いい味出してる矢野哲也さん、
そしてそんな中で頑張る大谷さん。必読です。あなたも谷澤さんに壊れて下さい。
私は「えすおーしーしーいーあーる」がものすごくツボでした(爆笑)

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5時ぐらいに目が覚めて、テレビつけて、物がよく映らない瞳で茂庭さんが鼻を
ガードしながら出ていたのを確認した後、記憶が飛んでいて、次の記憶はなぜか
テレビで昨日の東京株式市場うんぬんの数字が出ていて、時計が6時40分ぐらいに
なっていたんですが、これもはっきりせず、起きたのは8時半でした。んんん?
とりあえず永田さんが出てなかったようなので、これ以上は追求しません。


 2003年10月08日(水)   数字が踊る 

4-2-2とか3-5-2とかいうシステムは、あくまで選手のおおまかな配置法であって、
本当は出る選手それぞれにどんな役割が与えられているかが大事なんですよね。
あとは個々の組み合わせ方。違います?

昨日より言葉が…思いが浮かびません。起きたら喉が腫れ上がって声が出ないため
速攻で欠勤決定(電話が取れないと意味がない)。今日は行きつけの内科も休みなので
親父のかかりつけへ行き、実費(保険証はいまだ名古屋市内某所。今日取りにいけるだろうか…)で
処置をしてもらいました。腰へ打つ抗生物質の注射なんぞ痛みのうちに入らないと
思ってしまった私は、やっぱり皮膚科で注射打ちすぎ。そして粉薬が飲めない…。

できれば心の風邪も治したいんですけど、医者いって。

母親がコンビニへ走って食い物を買ってきてくれたんですけど、おにぎりといい
プリンといいヨーグルトといい、ことごとく好みに合わないものを揃えてきたのには
びっくりしました。風邪で味覚が死んでいるからかもしれませんが、吐き気がするほど
甘いだけでプリンそのものの味がしないプリンとか、ケミカル味のなヨーグルトとか、
こんなのじゃなくて、今は無性にキャラメルコーンのバタースカッチが食べたいです
こう考えると、柏のリトルマーメイドで私好みのパンを揃えて下さったSさんは偉大です。

>U-18日本代表主将のDF増嶋竜也が6日、鹿島の練習に参加した。Jリーグ8チームが
>獲得に乗り出していたが、現段階で鹿島、FC東京、清水の3チームに絞られている。
>この日は紅白戦でサブ組のストッパーとして出場。平瀬、本山らと対峙した。
>「レベルが高くて楽しかった。ゲームに入ったら緊張しなかった」と笑顔。
>今月下旬ごろまでに進路を決める予定だ。(昨日のスポニチ)

永田さんが出れそうにないならフル代表もいいや…どうせ起きたって永田さんの
出番があったとしても、それまで起き続けてはいられないだろうから。


 2003年10月07日(火)   LOSE MYSELF 

昨日、某社の悪口を書いたら、仕事でその会社の名前を50回以上入力するという
とんでもない罰が当たりました。ううう、仕事の帰りにうちの店へ行って、デザインに
一発惚れしたロットレイバーの白×赤買いましたよ。あの会社は嫌いでも、ブランド自体は
思い入れが深すぎます…私も充スパイク欲しいです!(違)今までスパイクやシューズの
プレゼントは欲しいと思ったことがない(履けるわけないし、飾るのにも場所がいるし)のですが
初めて心底欲しいと思いました。あれはサインがなくても本人専用モデルと分かるのが
いいんですよ。萌えツボ(殴)ああ、今日買ったのもすっごくかわいいですよ。
というか、あのブランド、いつのまにゴツイのだけじゃなくて、あんなカワイイ
デザインのシューズをボコボコ出してるんだ…スペアのシューレースがマーク入りでステキ。

で、私、そこの店でクレジットカードのサインを入れた時に、クリアファイルを
レジへ置き去りにしてきました。中に入っているのは会社の部署名入り書類と、
締切間際の某登録用紙、あと保険証(いつでも行きたい時に行けるよう、携帯中)も。
帰りの電車で気がついて、慌てて電話して明日の夜まで置いてもらってるんですが、
私にしては思い出したのが奇跡というか。だって、保険証が入っていることすら
しばらく経たないと思い出せなかったのです。私の記憶力が当てにならないのは
野沢さんやら町田さんやらの件で有名ですが、最近はこと物覚えが悪く、一度に
二つ以上のことを考えられないので、しょうもないことでもメモを取るのが
欠かせなくなりました。こんなの覚えていられるだろ、と聞いた瞬間は思っても
すぐに忘れてしまうのです。老化? もっとひどいのが、明日の夜まで忘れたことを
覚えているか全く自信がないこと。記憶力うんぬんじゃなくて、自社の人間だと
バレバレな忘れ物をしてきてさえも、全然恥かしくないんです。恥かしかったら、
すぐにでも取りに帰ると思うんですよ(時間が経てば引継ぎされて知る人の数は増える)

つまり、忘れ物をしたことに対する感情が摩滅しているのです。この前、松戸の
某ショップにヴィートリア置いてきた時は、まだ恥かしいと多少は思ったのですが。
そういえば、その某ショップから買うと200円する千葉の住宅情報誌がわざわざ
宅急便で送り付けられてきたんですけど、ここの店からは自宅へ何度も電話を
もらってるのに、こちらからかけ直さなきゃと頭では分かっているのですが、
全くその気になれません。時間がないのもありますが、それよりもむしろ。

だって、今、部屋にあるロットレイバーの下へその雑誌が敷いてあるんですけど、
めくる気にもなりません(そこそこ厚い)。何もかもに対して情熱、というか
感情が働かなくなっている、頭が回らない…心底自分がヤバイと思いました。
そう思う脳も、四六時中ぼんやりしている感じなんですが。なんか、永田さんの
出るかもしれないフル代表の試合さえ覚えていられるか、自信がないです。
もう何もできない気がします、自分。ジーコは茂庭さんを先輩で使うといったそうで。

>Jリーグの各クラブが争奪戦を広げるU-18日本代表のDF増嶋竜也(市船橋3年)が、
>鹿島の練習に参加した。紅白戦ではDFラインに入ってフル出場。練習後には
>「レベルが高くて楽しかった」と笑顔で振り返った。現在、鹿島のほか、既に
>練習参加した東京と、清水が候補に残っている。この日は選手寮に宿泊し
>今日7日の練習も加わる予定。(日刊web有料版より手打ちで転載(笑))

驚異の5-3-0-2システム(しかも左から石川・大岩・秋田・内田・青木の5バック)に
挑戦中の鹿島は彼の目にどう映ったでしょうか。そして清水には行くのでしょうか…。


 2003年10月06日(月)   なくしたピースが見つからないから 

お礼状へ書く言葉が見つかりませんでした。便箋3枚埋めるのに、こんな苦労するとは。
ぶつける感情がないのです。あるのは、ここ最近LRへ綴っている訳の分からない錯乱だけ。
何ヶ月かぶりの手紙で、こんなものを見せられた方はたまったものじゃないと頭では
分かっているのですが、それでしか行を埋められません。もう本当、ダメかもしれない。

週末、あれこれと小さな衝動にすら引きずられず(メガネやら某映画やら)結局は
2日とも家で過ごしてしまいました。けれど、ネットという窓越しに見える風景は
のんびりなどさせてはくれず、国見は広島ユースに走り負け、増嶋くんは惨敗を
(いや、むしろ圧勝?)を見ることなく勝ち上がり、永田さんは緊張で固まり、
青木良太さんが召集され、手島さんが辞退して代わりに茂庭さん、と次々と飛び込んでくる
小さくはないニュースの羅列を処理するので精一杯でした。すごすぎる、代表の肩書が
ここまで軽くなるなんて。とりあえず9日は夜明け前に起きなければなりません。

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とにかく世の中が早く進みすぎて全く整理がつきません(><)
LRにあるまじきこととは思うけど、箇条書きで誤魔化しておきます。

▽よりによってチュニジア戦から代表アウェーユニフォームが変更。ベージュに。
これで仕事中、“前”アウェーユニへ NAGATA 3 を入れるか迷い続けていた気持ちは
一気に醒めました。ホームは来年2月上旬発表予定。これだからあの会社大嫌いなんだ…。
(貴章さんのインタビューと普段の仕事とで印象最悪なんです。一例を挙げると
あの会社、なぜか社内セクションがことごとく訳の分からないカタカナ語でできていて、
私は上司に「これはどんなニュアンスでつけたんだと思う?」と質問されたことがある…)
11/15以降発売だと、後述の試合には当然ながら間に合いませんし(遠い目)

▽U-20がなんとソウルのみならず国立でも壮行試合を組んでもらえることに決定。
今までユース代表がメインで国立を使ったことはないように思うのですが。
(前座なら西村ジャパンが経験あり)11/12、相手はオーストラリアだそうです。
ちなみにU-22はカタール遠征でトルシエ率いるA代表と対戦するとか。

▽永田さんの記事を全部読むだけでも一苦労の日が続いてます…(−−;

>「永田 初戦先発決定的」
>初招集でいきなりA代表で先発デビューを飾ることが決定的となった。
>腰痛で辞退したDF松田の代わりに緊急招集され、この日、DF手島も左ひざの負傷で
>辞退が決定。代役の代役として8日のチュニジア戦(チュニス)で大役を務めることは濃厚だ。
>まだ、20歳。「(A代表は)初めてなんで緊張しますね。向こう(欧州)に行ったら、
>テレビでしか見たことがない人たちばかりですよね」と顔を引きつらせながらも
>「思い切り体張って、走り回りたい」 (報知)

>手島の故障で8日チュニジア戦のCBは当初の予定メンバーが中沢だけになった。
>DF松田の辞退で、U-20代表から大抜てきのDF永田充(20=柏)が、残る1つのイスを
>この日追加招集の茂庭と争うことになった。この日、宿舎に一番乗りの永田は
>「緊張はするけど、失うものは何もない。思い切って体を張りたい」と
>先発出場の可能性も高まり抱負を口にしていた。 (日刊)

中スポでは、土曜の代表召集記事で「鹿島の2トップ? すぐに視野から消えて
やりにくかったけど、はじめのうちだけだった。日本代表を目指したいから、
いい経験になった」という、初先発の葉っぱで残したコメントが紹介されてました。
今では二言目には欧州移籍ですからね、この人は!(笑)

▽今朝最高の衝撃は、これでしょう。全日本ユース記事の最後につけられてたんですが。

>DF増嶋竜也主将(3年)は「自分たちのサッカーができれば(準決勝の)東福岡戦は
>怖くない」と胸を張る。注目の進路は東京、清水、鹿島の3クラブが有力で
>今日6日から2日間、鹿島の練習に参加する。「雰囲気を味わいたいです」と
>強い意欲を見せ、練習参加で得た「成果」をチームに持ち帰るつもりだ。

鹿島的には最悪のタイミング。しかも、ヒガシ時代の本山さんがほとんど相手に
してもらえなかったのとは訳が違います。今ピリピリしているのは弱いから!!
なぜかこの記事は版と共に差し替えとなり、web・紙面とも消失したのですが、
確かに私はこの記事をこの目で見ました。こればっかりは記憶違いじゃない…。

アントラーズからは誕生日祝いハガキが来てたんですけど、10月だからいつも
熊谷さんで、今年はそれが切なくてしょうがないです(涙)写真もいいし。

どうやら私は歯医者以外の通院を自己判断で打ち切ってしまうために、いつまで経っても
健康になれないようです。だって医療費って高いんだもん…(号泣)


 2003年10月05日(日)   ありがとうと手紙を綴る 何度も何度も書き送る 

某オープン準備中サイトへ乱入した勢いで、サイトマスターさんの過去日記を
読み返してましたけど、本当、好きですね…あの人は存在そのものが笑いで!(褒め言葉)

最近はサーフィンを面倒くさがるので、書く文章のファンなサイトマスターさんは
ほとんどいないんですけど、「甘味処篠原」の旦那の奥さん(訳分かんねえよ!(笑))で
いらっしゃる平塚ミドリさんは、まだご自分のサイトでなく、甘味処で書かれていた頃に
切り口が斬新な日記に惚れ込んだ、大好きな方です。日常を綴るのが日記なんですけど、
視点が新鮮で…現在はご夫婦ともお子様が生活の中心になっていらっしゃるようですが(^^)
ファンタジーが好きな方は小説を読まれてみてはいかがでしょうかっ?
このご夫妻はサポートするクラブが違うけどうまく(?)やっていらっしゃるあたりも
私の憧れだったりします。まあ、今の私はサポートクラブがないから、その心配もないか…。

私はといえば、好きな人と試合前にケンカして、正反対のゴール裏に陣取って、
試合に後に合流して、やっぱりまたケンカするって経験しかないので(苦笑)

…・実はスパサカの永田さんインタビュー、ちゃんと聞き取れなかったって言ったら
殴られるんでしょうか? ああ、この人、本当に時の人になっちゃったんだって
感慨しか記憶にありません。へっぽこへっぽこと連呼しながらも、本当は…実のところは
柏のサポーターが彼を信頼してくれると嬉しかったりする、そんなダメファンです。

まだ、網膜には誕生日に見た柔らかい微笑みが刻み込まれている…それを快いものと
認識している自分がいる、紛れもない事実をねじ伏せるほど、あたしもバカじゃない。

>柏が2点リードを守れず引き分けた。アウレリオ監督は「ミスからの失点ではない」と
>話したが、同点ゴールは守備ラインの一瞬のスキから、名古屋の古賀に飛び出しを許した。
>前半から堅い守りで名古屋の攻撃を封じ、玉田ら前線も奮起してリードを奪ったが、
>逃げ切れなかった。U-20日本代表から、フル代表に抜てきされたDF永田は
>「ミスをしないようにと考えて、消極的になってしまったかもしれない」と反省した。(日刊短評)

>日本代表の欧州遠征に選出された柏のDF永田の視察のために、柏スタジアムを訪れた
>日本代表のエドゥーTA(56)は「彼はどんな状況でもプレーできる。先発の可能性も
>あるので合宿でアピールしてほしい」と20歳のストッパーを絶賛。U-20世代から
>“2階級特進”したストッパーに先発の可能性があることを明かした。
>3バックの右でフル出場した永田だったが「緊張してしまった」と言うように、
>この日は力を十分に出し切れずじまい。対角の相手ブラジル人FWマルケスのスピードに
>振り切られ、前半33分には左からあわや失点というクロスボールを上げられるなど
>好機をつくらせてしまった。チームも前半を2-0で折り返したが後半、
>同点に追いつかれ勝ち点3を逃した。
>永田が先発出場アピールに残された場は、チュニジア代表戦(8日、チュニス)の
>前日練習のみ。「失うものはない。思い切ってやる」少ないチャンスにかける。(報知)

>永田が8日のチュニジア戦、いきなりの代表デビューを引き寄せた。
>「先発の可能性? ある!! 監督が決めることだが、非常にチャンスがある。
>与えられた仕事をこなす段階だが、しっかりした気持ちを持てば、どこでもプレーできる」と
>視察したエドゥーTA。ジーコ監督の実兄に、ゴーサインをもらった。
>2点先制も引き分け。永田は「幸先よく2点入れてくれたのに申し訳ない」と
>端正なマスクをゆがめた。が、後半20分の失点は直接FK。同34分もGKの処理ミス。
>マークについたFWマルケスはシュート1本に抑え、1vs1の強さを見せた。後半42分には
>カウンター気味に上がり右クロスを放つなど、ブラジル人のアウレリオ監督も
>認める攻撃センスを披露した。
>試合後には、同監督がエドゥーTAに「プレーも人間的にもキッチリしている」と
>強力プッシュしてくれた。代表経験豊富なMF明神には「普段通りやれば大丈夫」と励まされた。
>「レイソルの名に恥じないプレーをしたい。フィードとかで前線につなげればいいと思う」
>永田の決意も固い。DFながら、あくまで意識は攻撃。新たなDF像を、代表に持ち込む。(サンスポ)

…いや、フル代表のフィーダーCBといえば中田浩二さんがいますけど(^^;

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U-20の追加召集が青木良太さんでなんか嬉しいです。こんなこと書いてるから、
市船好きだと思われるのかも(苦笑) 別にあの学校自体のサッカーは好きじゃない…。

>この世代は2年前に行われたU-17ワールドユース・トリニダードトバゴ大会に出場した
>選手たちだ。当時の田嶋監督(現・日本サッカー協会強化委員長)は大会直前に
>やはり柏のサテライトチームと対戦し、0-2と敗れはしたが内容的にも満足のいく
>レベルだったことで自信を深めた。「フィジカルレベルなど、同じ組のフランス、
>ナイジェリア、アメリカはここまでのレベルではないはず」と語っていたが、
>実際には本大会で見せつけられたプレーは大人と子供、日本との差は歴然としていた。
>そこで筆者は大熊監督自身に「相手のスカウティングは?」と聞いてみたが、
>「どんなチームであれ、1人でゲームを決めてしまえるようなタレントがワールド
>ユースにはいる」と話すものの、明確な分析については話を聞けないままだった。
>ましてサテライト相手に、何もできない前半、ある程度チームが機能したとはいえ
>勝ち切れない現状に彼は何を思っただろうか。
>「(Jの)ゲームに出ている選手が増えて、いい意味で競争になっている。
>ただ合宿のたびに同じミスをする。今日の失点も気をつけていたセットプレーから。
>チームとして伸びていない気がする
>こう赤裸々に話したのは角田である。このチームの中でもJで抜群の実績を持つ
>彼の言葉だけに、非常に重い。

やっと見つけました、吉村さんコラム@スポナビ。角田さんは翌日、東城陽で
止められてもひたすら右サイドからクロスを上げる練習を続けていたそうです。
サンガ残留への想い―彼はあれほど望んでいた世界との遭遇に全力を注げるのでしょうか?


 2003年10月04日(土)   DREAM ALOUD 

意図したわけではないけど、柏公式の代表入りコメントページを開けたまま寝てました。
朝起きて最初にしたのは、そのリロード―これは夢じゃないんだと知るために。

某ひ○ゃくへ何か書かなきゃ「男」が廃ると考えた末に書き込んで、読み直した後に
やっぱり(あそこで私情に走るのが)恥かしくて一瞬で消してしまったんですが、
昨夜は寝るまでずっと夢を見ているような気分―だって私は現に夢と現実の区別が
つかなくなりつつある―だったんです。夢のような気がするのは、醒めることを
恐れているか、またはそれを望んでいるかのどちらか。これが幸せな夢か悪夢かを
決めるのはもっと先でいいはず。今はただ、それが素晴らしきものであるよう、祈るだけ。

>欧州勢視察に出発直前のこの日午前11時、成田空港で協会幹部から、8日の
>チュニジア戦先発予定のDFリーダー松田が、腰痛で倒れたことを知らされた。
>そこで、神様の脳裏に浮かんだのが「ナガタ」の名前。2ndステージ8試合で
>J最少5失点の柏を支える新星の輝きが、従来の経験重視の選考を覆した。
>自らが視察した先月28日の磐田戦でフル出場した永田にジーコがホレ込んだという。
>「ジーコは(永田の)フィードの良さを評価した」と日本サッカー協会の野見山技術部長。(サンスポ)

>腰痛で松田は無理との情報を聞いたジーコ監督の動きは早かった。この日、稲本と
>小野の視察のため、代表より一足早く成田空港を出発。出発前の慌ただしい時間に
>柏のマルコ・アウレリオ監督に電話を入れた。「ナガタを連れていきたい」。
>U-20代表として5日から12日まで米国遠征に参加するはずの永田だったが、
>その場で行き先がアフリア・欧州へと変わった。(スポニチ・掲載文のまま)

>U-20世代の選手がA代表に選出されるのは、98年フランスW杯の小野伸二以来の快挙。
>柏関係者から代表入りの連絡を受けたときは「冗談ですよね?」と信じられない様子だったという。(報知)

まさに閃き、思い付き。しかも、予想はしてましたが、本当にきっかけはあの磐田戦。
私、書きましたよね? あの日、彼が蹴ったフィードで唸ったのはあの一本だけ、
そう、あまりに鋭すぎて、宇野沢さんがボールでなく秀人さんの頭をヘディングしたアレ。

>無名の20歳が、日本代表入りを果たした。柏のU-20代表DF永田充(20)が
>3日、日本代表の欧州遠征(6日〜)メンバーに追加招集された。DF松田直樹(26=横浜)が
>腰痛で辞退したためで、五輪代表を飛び越してのユース世代のA代表入りは、
>98年のMF小野伸二(24=フェイエノールト)以来の快挙。ジーコ監督(50)に
>安定したプレーと正確なフィードを評価された永田が、コマ不足の代表DF陣を救う。
>前日にU-20代表の米国遠征メンバーに選ばれて喜んだ永田のもとに、この日さらに
>ビッグな知らせが舞い込んだ。一番驚いたのは本人。昼寝をして体を休めていた
>夕方5時半、クラブから一報が届いた。「いつものギャグかと思っていたら、
>話しているうちに本当のことだと分かって…」
。一気に目が覚めた。
>この日夜、全日本ユース選手権を翌日に控える母校・静岡学園の宿泊する柏のホテルを、
>柏MF谷沢とともに訪れた。「まだ若いですけれど、代表に選ばれて光栄。向こうに
>行っても、緊張せずに頑張ります」。照れながらあいさつした。後輩への陣中見舞いが、
>永田の壮行会に変わった。
>「小さいころからの夢でした」と話した。代表への思いは強い。1学年下のMF成岡や
>菊地らがU-17世界選手権に出場した時「正直うらやましかった」。柏入りの時も
>「代表のユニホームを着て、将来欧州でプレーしたい」。代表として初めて戦った
>昨年のワールドユースアジア予選では「本当に日の丸を背負って戦ってるんだと
>しびれました」と興奮気味に話した。
>シャイで口数が少なく、プレー中の声も少ないと言われ続けた。U-20代表の
>大熊監督からも指摘されていた。しかしアメリカ遠征直前合宿で「声は意識して出す。
>この代もJで出てる選手が増えた。絶対負けたくない」とこれまでにない強い口調で
>言い切った。Jリーグ2年目の自信が、永田を明らかに変えていた。
>「初めてだし、いきなりで不安もある」と正直に話した。それでも「チャンスを
>生かすも殺すも自分次第ですね」と闘志を見せた。武器は前線の選手に正確に渡る
>フィード。ジーコ監督も高く評価し、ブラジル時代からの友人でもある柏の
>アウレリオ監督から情報収集はしていた。今日4日のホーム名古屋戦にはエドゥーTDら
>関係者も訪れる。「代表入りを意識せず自分のプレーをしたい。0に抑え、フィードで
>前線につなぎたい」。夢のスタートラインに立った20歳が、世界へ飛び出す。

これは日刊。さすがな記事…(笑)本当、勝って気持ちよくアフリカ行きましょう!

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鬱病って治らないのかな…と思ってます、ぼんやりした頭で。
本当なら柏市内のどこかで身体が2つないのを嘆き続けていなければいけない時間、
私は桃のクッションを抱えて寝ていました。起きて、まず、どこかのチームが5失点も
していたのを知るのですが、それにすら何の感慨も起きませんでした。携帯へ
送っていただいたメールなどであちこちの結果を知って、数字を見て、何も思えませんでした。
Hさんが今年も送って下さった(もちろん今日が何の日なのかはメールをいただかなくとも
頭では分かっているんですけど…俊哉さんと辰徳さんの誕生日。河村さんは
ウイングでバースデーゴールを決めましたね!)トルコキキョウを見ても、感情が…。
無論言うまでもなく、とてもありがたいこと、理性はちゃんと認識しているのですが、
感情とシンクロしての思考の進展にまでは至らないのです。現状認識のみ。そんな事実を
ここへ書き記しても、読む方には不快でしかないのでしょうけど、残念ながら事実で。

今こうしてタイプしている自分が何を考えているか、実は分かっていないのです。
ただぼんやりと、自動書記のごとくキーを叩いて、無意味に言葉を連ねて。

やらなければならないことはたくさんある、認知している、でも何もしたくない。
したくないからしたくないのですらない、何をしていいのか分からない、体が動かない、
何もかもがどうでもいい…ほんの少し前まで、夕方に目覚めるまで私を激しく
突き動かしていたものさえ、現在の私にはどうでもいいこと。やる気ゼロ。

こうやって、目が覚めるたびに、昔へ引き戻されていく…違う、コンディションが
落ちていく自分がいる、何が現実か夢かも知らないで、ただぼんやりと映る景色を見て。

もう一度眠って、目が覚めたら、また違う自分がいるんでしょうか?
少し肌寒くなった夕暮れ、庭にそびえるキンモクセイは満開で、窓からその香りが
ものすごい勢いで流入してくる、ここは幻なのかもしれません。こうやってタイプする
LRすら、また目覚めたらなくなっているのかも(笑) U-20が国内にいないから、
当分はサッカーにも情熱を注がないでしょう。今朝、代表ユニへ NAGATA 3 を
入れるかどうか迷っていた私すら、もうどこかへ消え去ってしまったようですよ(力ない笑い)

私が生まれた頃、自治体で何か新生児の木を植えるキャンペーンがあったらしく、
我が家のキンモクセイは私の木として庭に植えられました。子供の頃は背丈を
並んで比べていたらしいキンモクセイも、今では私の軽く2倍以上の高さがあります。
植物は自然のままにありながら、それでいて着実に成長していきます。人間はどうでしょう。

過去に縋りたくはなくて、ただ未来という白紙に思い通りの物語を描いてみたい、と。

選ばれて正直びっくりしました。
僕は五輪にも呼ばれていないので、さすがにびっくりしました。
昨日は実感がわかなかったけど、今日の新聞を見て選ばれたんだな、と。
監督からは、今朝、「レイソルの名に泥を塗るようなことをするな。
したら帰ってこなくていい」
と言われました。
明日から気持ちを切り替えてレイソルの名に恥じないように頑張ってきたいです。


 2003年10月03日(金)   存規 

>日本サッカー協会は3日、日本代表のDF松田直樹(横浜M)が、腰痛のためチュニジアと
>ルーマニアへの遠征(6〜13日)参加を辞退したと発表した。代わりに20歳の
>DF永田充(柏)を招集する。20歳以下(U20)日本代表の永田は、5日からの
>米国遠征参加を取りやめる。 

…こうやって貼り付けた今も信じてません。時事通信だし(微苦笑)
本当なら、ものすごく喜んであげるべきなんだと思うんです。分かってるんです。
でも、それよりも、最後の大事な遠征をロストする不安…心配の方が大きくて。
角田さん、あのチームはなぜ前へ進むどころか下がっているんでしょう?

今という時は、今しかない、当たり前のこと、それが身に染みるほど痛い。

かなりびっくりしています。小さい頃からの夢だったので、選ばれてすごく嬉しいです。
初めての参加で不安ではありますが、思い切ってやってきたいです。


…予想通り身内より電話やらメールやらをいただきまして、LR書きを中断してました。
皆様ありがとうございます(笑)変な話ですけど、だんだん嬉しくなってきましたよ。
というか、喜んであげないとダメじゃん、って。だって彼には選択する権利はありません。
それに、望んだって入れない選手の方が遥かに大勢いるわけじゃないですか。

合宿をするたびに、同じことの繰り返し。チームが成長していないような気がする。

フル代表にはCBが中澤・手島・坪井(遅れて合流)の3人しかいないと聞かされて、
まさかフル代表の試合を朝4時半に起きてみなければならない日がこんなに早く来るとは、と
ビックリしてます。アメリカで3連戦を控えているU-20もCBを追加しないとまずい気が
するんですけど、どうなんですか大熊さん…角田さんの怒りは全くもって正論。
なのに最後の強化機会もフル代表やらナビスコやらに選手を奪われて。怒りも
前へ進むエネルギーへと転化するならば良いのでしょうけれど、体を蝕んでは…。

選ばれたという事実はもう変わらないのだから、それを前向きに受け止めるようにしないと。

本当は「明日は柏には行きません」と冒頭で宣言するつもりでLRを書く準備を始めたんです。
つまり、ネットサーフィンによる情報収集。増嶋くんの累積の枚数がどうだろうと、
給料日前のクレジット引き落としが痛すぎて身動きが取れない(しかも引き落とし日と
給料日の間には無情にも3連休が…)から。でも、こうやってしまっては、むしろ
本当に日立台へ行くべきなのかもしれません。応援している選手がフル代表まで
“のぼりつめた”という感覚を得たのは、本山さん以来なんですから。

初めて見たU-17選抜@新潟で、主将でありながら試合のメモに一度も登場しなかったこと
(でも彼はこれでプロへの手応えをつかんだ)、静学の主将として出た選手権で
いいところなく作陽の前に敗れ去った姿に何故か惹かれてしまったこと、やっとの思いで
見られたユース代表でのプレー@SBSカップ in 藤枝でのプレーが救いようもなく
ひどかったこと、その後の大熊ジャパン始動合宿で期待も空しく“クラブで必要な
選手なので早退”という扱いを受けなかったこと…様々な記憶が積み重なった今、
私が彼を呼ぶ時に使うのはナガタでもミツルでもなく「ヘタレ」だったりします。

今日は良かったみたいですけど、永田さんがいるとドキドキします。

何度も書いてますが、だからこそトップデビュー以降の変貌ぶりが信じられなくて、
いまだに…いまだに彼を過小評価しているというか、静学ファンと柏サポは彼を
過大評価しすぎ、何より信頼しすぎと思い続けているというか。望みとは裏腹に。

永田さんは正直まだまだこれからの子ですけど、
“柏の20番”を汚さない選手になるよう応援し続けますので。


Maybe make good time.....

誕生日を過ぎ、人生の一区切りを乗り越え、私は私自身の人生に一喜一憂することを
放棄し他人の生きざまに感情を投下してかりそめの人生を生きてきた…それを生きていると
言えるのかは分からない、けれど近頃は何もせずにただこうして“在る”ことが苦痛で、
悲しくて辛くて、現実と夢との区切り目のない世界をさ迷っていて、摂食&睡眠障害に
陥りながら、それを自覚していながら、初体験ではないゆえに醒めていて…自分のことなのに。

仕事を辞めて、引っ越しても、私自身からは逃げられない、死という形でしか。
当たり前すぎるぐらい当たり前の、残酷な真実。弱すぎる自分の身体と心と財布を
嘆きながら、どれだけほんの少しずつでもいい、生まれ変われるXデーを引き寄せられたら。

常にピリピリしている人と仕事をすれば汚染され、夢ですら彼女の怒った声に怯え、
訪れた朝では以前は2枚も平気だった食パン半分を食べるのにも苦労して、かろうじて
バナナだけスープだけで1日を始めてしまう日もざらで、今、自分へ起きている
数々の支障が経験済だというだけで放置して、薬漬けになる生活の再来を拒否していて。

私は何故あの街へ引っ越そうとしたのだろう? 答えは一つしかないのに正視したくない。

喜びたい時は喜べばいい、悲しい時は泣けばいい、そんな当たり前の感情さえ押し殺して。
感情を凍らせた鎧、それは他人の感情に過敏すぎるからまとうもの。壊れかけた、
既に一部が壊れていた私を明日へ引きずっていくもの。夜中に絶叫しながら目覚めたり、
部屋を飛び出して、ついに親と同じ部屋で眠ることを求められたりする私の、歩む先。

綺麗事、理想論、裸の願望、どれもつかまえられない、歯痒くて、人の話を聞くだけ、
自分はその話の半分もできない、そもそも語り合う相手もいない、独りでないのに
孤独な暮らし。飽きても逃げ出したくても周りは変わってくれない。自分が変えなければ。

生きている理由、いや実感が欲しい、それをくれるというのならついていく、どこまでも。


 2003年10月02日(木)   孤独という破壊的な友人 

昨日、名古屋からの電車で唐突に思い出したことを書き忘れました。
最終合宿はJヴィレッジと思い込んでますが、そこは西村ジャパンのアジアユース前合宿の
印象が強い地であることは今更言うまでもありませんけど、その西村ジャパンは
年が明けてからJ-STEPだの御殿場だの熱海だので合宿していたのを思い出しました。
最後は熱海だったはず―御殿場にも熱海にも温泉があるから、なんて聞いたような。
シーズンが深まるに連れ、選手の身体には疲労が蓄積していくから、と。

U-20の選手がこのままでワールドユースを戦えると思っているのか、それ以前に
自分が本大会へ出れるのか、危機感を覚えているか怪しいとは思わずにいられないのですが、
今年見た合宿(の練習試合)を思い起こすと、どれも関東でのJクラブ(のサテ?)とばかり、
見る側が「またか」と思うなら、やる側はもっとなのだろう、と思いました。
勝手知ったる、強いかどうか事前に判別もつきそうな相手。同じような場所。
ホテルなんかもそうなりますか。大熊さんがU-18に夢中だと信じたくはないのですが…。

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>DF永田充(20=柏、静岡学園出)が、後半にリベロで安定した守備を見せた。
>前日の筑波大戦では「一緒にやってないんで、味方の動きを把握できていない」と
>後半44分まさかのオウンゴールを献上。しかし、この日は、相手の攻撃の芽を
>着実に摘んだ。「DFには、僕も含めてJに出てきてる選手が多い。
>絶対負けたくないし,頑張って定位置を取りたい」と闘志を見せた。

…これが私の目の前で永田さん@ナイススマイルを奪った人が取ったコメントですよ!(爆笑)
日刊の静岡番がいるから、早く声かけた方がいいという某さんの忠告は正解でした。
受け入れなかった私がアホなんです、そうなんです…。現地でも言いましたけど、
スポーツ新聞の地方版といえば瀬戸内版やら東北版やら読んだことがあるんですが、
いまだに静岡版の高校サッカー(永田さんたちはOBだけどね!)扱う異常な姿勢を
超えるものとは遭遇したことがありません。今野さんにもいつも北海道番ついてますが。

>ターゲットとしての矢野の存在感は、一昨年11月の代表スタート時から際だっていた。
>課題はオフボール時の動き方、ポジショニング。ボールが回ってこないと、受けようと
>ズルズル後方に下がる傾向がある。ターゲットどころか、自らもシュートを狙える位置から
>離れることもあった。しかし、この日は、下がる場面がほとんど見られない。
>「あの時間帯で負けていたので、点を取ることを考えていました」という言葉通り、
>前線に張る時間を格段に長くさせた。大熊清監督(39)が「矢野続けろ」とゲキを
>飛ばした直後の36分。右クロスに飛び込み強烈ヘッド。あわやゴールの一撃だった。
>後半30分すぎからは、長身183cmの横浜DF栗原がトップに上がり、182cmの横浜FW阿部と
>3人でパワープレーを仕掛ける布陣も試した。「ターゲットが増えたらキッカーの
>選択肢、攻撃のバリエーションも増えますから」と柔軟にこなした。
>この日は、前日の筑波大戦に続きU-22代表山本昌邦監督、所属する柏のアウレリオ監督も
>観戦した。「多少は意識した。最後のチャンスが決められなかったのが残念。
>質の高い動きを求められているので、常に考えていきたい」。
>ゴールという及第点には届かなかったが、11月の本大会出場へ大きな可能性を見せた。

なぜか全国版スポーツ紙ではアシストを記録した貴章さん(本当は今野さんだよ!)
祐大朗さんのトップ下記事がやはり載っていたのには呆れてしまいますが、
五輪代表の叩かれまくりと違って、褒め殺しになってますけど、これにも気をつけないと…。

>相手の2トップには注意したい。ウェズレイとは一度当たったことがあるから、
>多少はスタイルが分かる。でもマルケスは初めて当たるので、相手の様子を見て、
>リスクを犯さないように注意深く行きたい。
>U-20の合宿とかで疲れがないとはいえないけれど、そんなことは言っていられない。
>この前の仙台戦では、自分も萩さんも前に上がって良い形を作れていた。前節の
>磐田戦では、後ろから上がっていく形も作れなくて、相手のほうが良い内容だった。
>次はホームゲームだし、もっと積極的に前に出て行きたい。
>勝って、気持ちよくアメリカに行きたい。

今日のフォトギャラリーの永田さんは、穏やかとか自信にあふれたとか笑顔とか
プラスの形容を超越した不気味なスマイリングですよ(苦笑) 何が起きたんだ…。


 2003年10月01日(水)   赤い羽根、銀の羽根 

ネットサーフィンでえられるのは、知りたい情報ばかりではありません。
筑波と試合をするとか、野球場で試合をするとか、そんなことも調べれば事前に
把握することもできたのです(夜行バスは出発時刻が早すぎますね…)が。

「(五輪に)出られなくても、10人が上(=A代表)に上がれば成功だし、
出ても誰も上がれないのでは意味がない」
これが、仮にもオリンピック代表を率いる監督の口にするセリフでしょうか?

そして、どんどん作り込まれていく「成岡翔 vs 谷澤達也」の構図―本人の意図を離れて。
二人は高校に入るまでEWS FCのチームメイトでしたが、互いが異なるタイプなのは
お互いが一番良く分かっているはずです。もはや代表のトップ下というポジションの
重要性とすら(祐大朗さんがここをやっていたのは明日話題になるのか…)関係ありません。

U-20日本代表 vs 柏レイソルサテライト―どちらもそれなりに思い入れのある
メンバーが揃う(←あくまでもチーム自体へ愛着がないところに注意)対戦ゆえに
私は自分へのバースデープレゼントとして日立台行きを選択したのですが。

これまでU-20と柏サテが行ってきた試合をいくつも見ているので、大きな期待は
抱きませんでした。U-20は前日も筑波に苦戦し、今朝の報知へ載ったメンバー表
(特にサブメンバー主体で望んだ前半の顔ぶれ)へ愕然としたのですが。

野球場で行われた試合は、ピッチまでの距離が遠すぎるのと、内容が全く伴わないのが
重なって、想像以上に眠気を誘う凡庸なゲームとなってしまいました。残念ながら。

何気に3バックが栗原・角田・近藤という新鮮な組み合わせだったのですが、
不気味なぐらい角田さんは黙り込み(そして大熊監督もまた姉崎に引き続いて
沈黙を通しました)両脇はおのれの長所とそれ以上の短所を晒したのでした。
谷澤さんは本大会延期後、数少ない新戦力とあってドリブルできれてましたが、
やはりそれだけではゲームはできません。そしてツートップは枠へ飛ばない坂田さんと、
それ以前のフィニッシュにさえ至らない宇野沢さん(髪を中途半端に染め直したのと同様に、
ゴールという結果が得られない今年、彼はプレーに精神的な迷いを強く感じます。
もともと気合いが光る人だっただけに)でした。何より外せないのは、山口慶さんに代わり
大悟さんが出てきた後の、アジアユース時のWボランチの低調ぶりです。ショックでした。

レギュラー組は無難にまとめ、サブ組は不安定―もはや、その構図でも片づけられない
全体の低下。毎回、見に行くたびにしょぼいと感じてますが、どんどん下がってます、正直。
モチベーションが維持できない(結果として試合後に固い顔をしていたのがキャプテンの
今野さんぐらいだったのには、逆にこっちがビックリ)のか、シーズンが進行して
疲労が溜まっているのか、普段Jに出てる人も出てない人も、落ちる一方なのです。
(それでも出ている人の方がかろうじてレベルが高いのは、必然なのでしょうか)

田ノ上さんのクロスもジュシエのヘッドも、なぜフリーだったのか…考えたくありません。

後半に永田さんが出てきたのは、ショックといえばショックでした。いつも通り、
通るわけでもない綺麗なフィードを蹴り、声を全く出さず、菅沼くんに苦労して。
(宇野沢さんの迷いと比べると、一時のように簡単に取れなくなっている不調とはいえ、
菅沼くんのシンプルな選択は光ります。見ていて気持ちがいいし)彼はアップから
引き上げに至るまでずっと微笑んでいて、彼の表情といえば気の抜けたぼんやり顔を
思い出す私には、その柔らかい笑顔は衝撃ですらあって、今でも目を閉じるとそれしか
思い出せない(そして1年前の藤枝に続き、目前で広報のAさんに彼を拉致された
恨みつらみは忘れない!(笑))のですが、そんな顔をしている場合じゃないと
思うと同時に、彼は…彼はそういう顔をすることを許されるんだな、とも思いました。

…たとえば、その試合のピッチをゆっくりと周回していた、パーマのデカい人は、
(代表の控えの誰かと親しげに話してて驚いたんですが、もしかして原一樹さん?)
4月の、貴章さんのゴールが忘れられないあの日、とんでもなく暗い顔をしていたけれど、
今はどのくらい穏やかな顔ができるのだろうと、確かめたい、そう感じてしまうのです。

レイソルサテは、前半は年齢が高い選手を中心によく声を出しよく動いていた
(これもどうかといつも思うのですが…情けない若造たち)んですけど、後半は
選手層の問題でどうしても“プロの水準に達しているとは言い難い選手”を
起用せざるをえなくて…一気に戦力が落ちます。落合さんは頑張ってましたが…。
そこを攻めるのに、弱みを突けきれなくて、逆転にまでは至らなかった代表の方が
ヤバイです。貴章さんもあれだけヘッド打ったんだから1点ぐらいは…。

とにかく、よく覚えてません。忘れました…忘れたいから。出待ちでは選手が
つかまり放題で、でも試合がしょぼすぎて何も言うことが思いつかなかった(貴章さんは
祐大朗さんと二人でクーラーボックスを持ってきていて、祐大朗さんが相変わらずの
人気者なので、待っている時間が割と長かったのです。何気に大悟&岡本ペアもそう)です。

まあ、これが主目的じゃないし…と自分を慰めながらチームショップへ。おもしろいと
噂に聞いていたヴィートリアをSさんに誕生日プレゼントとして買っていただきました。
ありがとうございます♪ ちなみに2部買ったのは、当該カードの1stでの対戦で
相手を地獄へ突き落とした経緯が買われたのか、かわいい貴章さんが表紙だったからです☆

いまだに、私は西京極でへこんでいる時に届いた、某根本ファンさんからの
貴章殺すという携帯メールのインパクトと、事情が分からなくて、とにかく
謝り倒していた自分を思い出します。あれは素敵でしたよ…どうも私は貴章さんに対しては
かーなり母性本能が働いてしまうようです。永田さんは内心で罵声の嵐なのに!(笑)

ルーキー5人組対談は最高に面白かったです。もう何度も読み返してます。
谷澤さんがいっつもウケを狙いにいくところが、なんというか…これも天然だったり?!
結果として手に入れた誕生日祝いは、これと、東京駅のコンコースでゲットした
品川駅開業記念のぞみ型液晶画面クリーナー(可愛いんだけどマウスにしか見えない)と
帰宅したら届いていた美麗なイラスト(えっちゃんCute♪)だったんでしょうか。

午後は主目的である探し物に徹しました。柏と松戸(この日初めて足を踏み入れた!)を
往復して、駅前をうろうろウロウロ。松戸の某ショップでは、段取りが分からなさすぎて
ショックのあまり、ショップで買っていただいたヴィートリアを置き去りにするという
失態まで犯しましたけど、結論として、今の生活から逃げ出したい衝動のあまり
準備もできてないくせに無駄に焦ってたけど、もうちょっとじっくり取り組むべきだと、
タイムリミットを自分の中でもう1ヶ月延期すべきだと思いました。松戸と柏が
あんなに離れているとは思わなかった…松戸市は広すぎます。しかも地理が分かりません。
柏は…8月末に日立台を訪れたあたりから、私の中で街を見る目が違うので。
なんていったらいいのか―宇野沢さん状態ですよ、今の私は。気持ちばかりが前に出て。


←柏駅東口のダブルデッキ。
名前が思い出せなくて、なぜか
サンサンデッキという単語が
頭をぐるぐるしてましたけど、
それは岐阜のメモリアルセンターにある
デッキの名前でした(殴)

ここで赤い羽根をもらったんですけど、
松戸を歩いている間になくしたようで…。



お陰様で、街を歩いて自分の欲求の整理はできたので、次はもっと慎重に、具体的に
プロセスを進めていくべきかと。仕事をしながら次を準備するのがこんなに難しいとは。
だから、この件に関してはじっくりやります。焦らないで、地道に。私、負けません!

日々の衝撃に耐えられるだけの強さが、本当に純粋な気持ちの中にはありますから。
…眠気が凄まじくて、自分がタイプしている文章が読めないんですけど、この気持ちを
キーへ叩き付けないと眠りたくなくて。意地っ張りですね。これが私を不幸にしているのに。


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