日々の泡

2001年07月20日(金) ゆきずりホラー

このごろ日記が納涼モードのような気がするけど、夏だから特集ってことで(笑)。

前回書いた対談で、宮部氏が
「謎があって、その謎が解けないうちは怖い」
と言ってましたが、ほんとに何でも正体がわからないうちがいちばん怖いよね。
SFとかミステリ、サスペンス系のお話は(映画でも小説でも)
主人公の置かれている状況とか敵の正体が見えない状態で話が進んでいる間が
いちばん怖い。
「ちらりと垣間見た」「ゆきずりの」そんな怖さがある意味怖さの王道なのかなあ。

幼稚園くらいのときに垣間見た怖い画像といえば、
商店街の細い小路に貼ってある成人映画のポスターが怖かった。
(肌色が多いだけでも、なんか「肉」とか「暴力」を感じさせて怖いじゃない?)
パーマ屋さんで見た女性週刊誌のエロチックなグラビアも怖かった。
(当時の流行りだったか、妙にアートな演出が凝らされていてほとんどホラー系だった)
今の子供たちが刺激的な画像や情報の真っ只中にいることについて言えば、
辛いもの食べ過ぎて味覚が壊れるみたいに、
エロチックなものや怖いものに対して「味音痴」になることが心配。
だって怖いものとか刺激的なものって、食べ物のスパイスに似てませんか。

私が子供時代に親と見た映像で、サスペンス映画らしくて怖かったものがあるんだけど、
あとで親に聞いたのに「心当たりがない」って言われたのね。
両親は洋画よく見てたけど「子供を連れてあまり怖いのを観にいったはずはない」って。
でもテレビじゃなくて映画館だったよ! だってカラーだったもの!
(私の実家は、記録的なまでに遅くまで、白黒テレビを使用していたのだ)
頭に焼き付いてる映像はこの2つ:
・「旧式のエレベーター(鉄格子が付いた素通しのやつ)の中で血を流して死にかけてる男」
・「洋風のバスタブの中で死んでいるトレンチコートの刑事ふうの男」
血の色が忘れられないから、絶対カラーだったのよ!(断言)
旧式のエレベーターはすごく格好よくて、
サスペンスフルで美しい怖さがあると思うんだけど(それ自体が凶器のように見えた)
若い人はどのくらい知ってるのかなあ…東京なら
日本橋の高島屋がかなり後年まで使ってたはずだけど。
・・・
で、大人になってだいぶ経ってから、ふとテレビの名画劇場でそれを見つけた…。
「シャレード」。オードリー・ヘプバーン主演のサスペンス映画です。テーマ曲が有名でした。
かなりポピュラーな作品だったのに、ちゃんと見たことはないからわからなかったのね。
ああ、長年の疑問が解けてすっきりした。
でも、もう怖くなくなっちゃった。ちょっと勿体ない?



2001年07月18日(水) 怪談・映画・下町

『本の旅人』(角川書店のPR誌)6月号に出てた
宮部みゆき・高橋克彦の対談が面白かったので(あいかわらず旧い話題でごめんなさい)。
おもに子供時代、親から受け取った「怪談」感覚について(ホラー映画を一緒に見るとか…)
語られていたんですけどね。

宮部氏と私は親がほぼ同世代なので、彼らの
映画(とくにアメリカ映画だったらヒッチコックとか)への愛着は思い当たるものがあります。
ヒッチコックの「鳥」を小学生の娘に勧めたという宮部氏の母上はすばらしい(笑)
私も見せられたけどギブアップした覚えが…。
「ママ、あの顔こわい」「鳥は目を突つくからね」「ぎゃー…(涙)」
あと私の幼いころは、「ヒッチコックアワー」という
ホラーオムニバスドラマ(もちろん米製)をTVでやっていて
御大自らナビゲーターとして(「世にも奇妙な物語」のタモリみたいに)登場してました。
テーマ曲が印象的で、耳に焼きついていたなあ…。

もうひとつ共感しやすいのは、宮部氏が東京の下町で育って住み続けているためか
時代物はもちろん現代物でも、町を、とくに下町を歩く描写が生々しいこと。
私自身は下町に住んだことも勤めたこともなくて殆ど土地勘がないのが残念ですが、
親が下町育ちなのでなんとなく縁があり、親しみがあります。
そして親の世代で下町育ちというと、
空襲で(家や家族を)焼かれたという体験談が多いんですよね。
私の父も、言問橋で人の形をした大量の炭のなかから自分の父親を探したそうです。

東京大空襲のような大惨事があった土地は、いつか怪異譚のようなものを生んでいく。
その惨事を当事者として体験した人は、そんな怪談と自分との距離をどうとっていくのか。
「あそこに幽霊出るんだって」と聞いて、自分の知ってる人かもしれないと思うような
心当たりのある人は…。
惨事を体験した人の記憶とそれを克服していく力、
それを怪奇として見られる(距離のある)外部の人と、中で体験した人の違い、
そこからまた生まれる怪異。不謹慎なようだけれど物書きとしては書いてみたい。
…そんな宮部氏の話が、らしくて面白かったです。


あと高橋氏いわく「ホラーは若いうち」…これ言えてるかもしれない。
若いときのほうが、怖いものを拾ってくる感性がすぐれてるということ。
そういえば、作家の若い頃の短編って、「その人らしさ」はさておき
恐怖に似た感覚が瑞々しく書かれているような気がします。
それは周りの世界と、そこにあってはいけない何か異質なもの
(未知の恐怖かもしれないし、自分自身かもしれない)との違和感を
鋭く感知しているせいなのでしょうか。
遠い読書の記憶をたぐりよせてみると、川端の『掌の小説』とか太宰の『晩年』なんて
怪談ショートショートとして楽しんだ短編がたくさん入ってた覚えがあります。
北杜夫と椎名誠の初期の短編は、過敏になった神経に触れるような
なんともいえない嫌悪と恐怖と妙な美しさが似ていると思うことがありました。



2001年07月13日(金) 蜜蜂の館

信濃町の三島邸の前を年に一回くらい通ることがあったのだけど、
去年あたり、とうとうこの洋館はなくなってしまったらしい。さみしい。
建築家デ・ラランデの作として藤森照信『建築探偵の冒険』等でも紹介されている
瀟洒な洋館は、かつて屋敷町と貧民街が接していた崖の上に立っているらしい。
三島さんという養蜂家の家で、ここに建っていた頃は中で蜂蜜も売っていたが、
私も数年前に入って買ったことがある。

レンガの門を入ると、奥行きの浅い前庭の端のほうに古い蜜蜂の巣箱が見えた。
ここの蜂たちが中央線を越えて赤坂離宮あたりのやんごとない花の蜜を集め、
それが「江戸っ子はちみつ」として売られているらしい。
夏のことで館のまわりに鬱蒼と木の葉が繁り、
洋画もしくは少女漫画でしか見られないような、ロマンチックに怪奇なたたずまいである。
はたして(笑)小さなロケバスが玄関のそばに止めてあり、
「エコエコアザラク撮影中」とかいった札が掛けてあった。
迷いながら建物に入ると、撮影スタッフらしき人たちがてんでに座ってちょうど食事中で、
それをかきわけながら出てきた家の人が
「はいはい、すみませんね」と言いながら蜂蜜を売ってくれた。
外に出て、当時まだ小さかった娘を建物の前に立たせて写真を撮った。
(実はいい具合にアダムス・ファミリー向きな容貌の我が子…
ちょうど他所へ行くところで珍しくドレス着ていたんだもの)

江戸東京たてもの園に移築されるという話を読んだのだけど、
うっそうと暗い夏木立の間に立つ、怪談向きの美しくも貫禄ある姿が
目に焼き付いている私としては、ひらけた公園の空間にひょいと置かれた様は
所在なげで痛々しく予想されて、やはり寂しさを禁じえない。
まるきりなくなってしまうよりは良いのだけれど…(中身も見られるし)。
そういえば、たてもの園に再現されている他の邸宅も、今でこそ
住宅展示場のモデルハウスのようにいきなり玄関に入ってしまえるけれど、
かつて金と地位ある人の家として機能していたころは
立派な門構えから広い庭を通って、おもむろに辿りつく場所だったに違いないのだ。
今さらながら、家は生き物だと思う。



2001年07月10日(火) お盆の風景

もう行かなくなって久しいので、記憶の紗幕の向こうで美化されてしまっているけれど
母方の田舎の、旧暦のお盆の風景を思い出します。

小高い丘に囲まれた人造湖のほとりにお寺と墓地が並び、
夏の夕方になると湖の回りに、ご先祖様をお迎えに行く
家紋入りの弓張り提灯の灯りがぽつりぽつりと小さな列を作ります。
辺りが暗さを増すと、それがほんとに狐の行列のように見えて美しい。
この辺は田舎といっても大した田舎じゃなくて(変な言い方)
むしろ町なのに、この時ばかりは昔話の夢を見られそうな景色でした。

大きな家の広間には、オオミズアオという蛾の羽に似た岐阜提灯が所せましと並び
静かにきらびやかな景色が子供の眼に焼き付いています。
初盆のときは純白の岐阜提灯がまた美しいと思ったものでした。
初盆の家では玄関先に、水を張った盥と手拭と新しい履物を置いて迎え火をたきます。
新しい仏様には足があるんだ?とそれを見て感心したものです。
お盆の五日間、お備えするものはだんごやそうめんや生前の好物など
日によって決まりがあるんだと大人になってから教わりました。
仏様が乗るという胡瓜の馬や茄子の牛も、つたない形が却って、紙のひとがたのように
呪術めいて近寄り難い気がしました。あれが動いたら哀れにも恐ろしいだろうな。

東京では以前からお盆はあっさりしたものだったし、
私の近所でもお盆らしい風景というのはほとんど見られませんが、
今でも伝統的なお盆のしきたりを守っているおうちもあるんでしょうね。



2001年07月01日(日) 久しぶりに夜晴れた

月が明るい。
火星が赤い。

忘れていましたが6/22をピークに火星が接近中。
夜半前に南中して赤く煌いています。
そろそろ上がってくる蠍座の主星と張り合うようになると、
夏らしくていいものです(見逃してばっかりのくせに)。

月齢はまだ10ですが、目が慣れてくると
ベランダの柵に無造作に這わせている朝顔の影を映すくらいの明るさです。
野放図な蔓には、数日前から毎日たくさんの蕾がついては
脆い傘のように無邪気な拡声器のようにぱこぱこと開きます。

今夜もたくさんの蕾がふくらんで囁きあっているよ
あした一緒に咲こうね きっとだよ
○○ちゃんに見てもらおうね みんなでね
そんな朝顔たちをお月様が見てるよ
だから早く起きようね

暑いけれど、久しぶりに晴れた夜空がうれしくて、
子供とそんな暢気なおやすみの挨拶をして夜の前半は終わり。


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蟻塔

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