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2002年11月29日(金) 起きて、出かけて、寝るばかり。

太るし、いいことないな。

あ、でも(生)写真が出来た。
ロッキンオンの鹿野淳様がしっかりと写っているわ。
ときめきまくり。



2002年11月26日(火) for what

お茶汲みとはいえ出版社でアルバイトをしていると、
「本はこうしてできるのかあ」
とわきで見るうちに自然に覚えるのでなかなか役にたつ。
月並みな話だが、
みなさんの御協力がなければできないものだということが
身にしみて分かったのは収穫だった。

雑誌について一人、印刷会社の担当の人が来る。
私は密かに、このMさんが大好きだ。
どんなに忙しくて、難しい注文をされても
いらいらしたり怒ったりしない。
別にやりてだとかそういうのじゃなくて、
「えーまいりましたねえ」と良いながら原稿を預かっていく
普通ーのおじさんオーラが、妙に落ち着くの。

いつも、
「ごめん、もう少し伸ばしてください!」
「あと一時間で上がるから」とこきつかわれまくりながら
あらゆるわがままを聞いてくれる。

彼(とその後ろでデータを処理してくれる人)
がいてくれなかったら、絶対に本はできない。
ミスしたら、本が乱丁だっていう騒ぎになる。

「Mさんはどうしてあんな仕事選んじゃったんだろうねえ。
私なら耐えられないよー。」
「だって印刷所とうちとの板挟みだよ、
絶対向こうでちゃんとしきれ!って怒鳴られてるよ。」
それなのに、自分の意志はないんだよ。」
今日編集部で誰かが言った。
そんな元も子もない話しても、、と誰かが笑って、終わった。

Mさんは自分の印刷した本を見て、
「これは自分の作った本だ」と思えるのかなあ。
思えなかったとして、それじゃあどうやって
怒鳴られることとのバランスをとっていくのかな。
世の中にはそういう仕事をしている人が、沢山いるような気がする。

私はオープニングスタッフとして働いていたコーヒー屋を、
最後まで自分の店だとは思えなかった。

原稿をとりに来て、
印刷所まで運んで、
色をもっと明るく、とか延々言われて、
それでまた新しい原稿をとりに来て、
締め切りギリギリまで走り回るMさんが素晴らしいと、私は思う。

毎日繊維新聞をチェックし、丸ビルのオープンに一番に駆け付け、
「地味な仕事ですよー」といいながら
クレジットに名前が載る編集者よりも、
素晴らしいと思うのだ。

だからこそ、私はMさんたちに向けた本を作っていきたいなあと心底思うのだ。



2002年11月22日(金)

宮崎駿のインタヴュ−で、
「千と千尋〜はある親しい子供達(数人)のために作った作品だ」
というのを読んだことがある。

その映画が日本中の人に見られ、絶賛され、
私など涙を流すのだから、本当に凄いことだと思う。

例えば私がたった一人の人のために書いたラブレターが
本になって出版され、
誰かがそのために泣いてくれるというようなことは絶対にあり得ないことだからだ。
そこが才能の差というものね。宮崎氏と比べたのが間違いさ。

今日、帰りの電車で
足を投げ出して座っていた若者に
堪忍袋の緒が切れたおじさんが注意して、
そこから二人の語りあい(喧嘩っていうのでもなく)が始まった。
テーマは、”東西文化の相違とコミュニケーションの欠如”かしら。

「そうやっていきなり怒らんでも、もっと早く言ってくれたら分かるのに。」
「言う前に気付いてよ。」
「東京の人はコミュニケーションせえへんから嫌いや。」
「だって注意したら変に思うやつもいるんだよ、
そういう世の中でしょう。
君の考えは東京じゃ通用しないよ。」
「コミュニケーションしなきゃ、伝わらんこともあるでしょう。
足投げ出してたのは悪かったわ。
けどそう言ってくれたらすぐ直すのに、こっちの人はみんな黙ってるんやて。」
「あれだよ、大阪の人はさあ、やっぱりほら阪神ファンみたいな
人情に溢れた人が多いじゃない。」
「僕大阪じゃないです。」
「いやそういうことじゃなくてさ。時代とか社会がさ、
もうコミュニケーションとれないじゃない」

・・・・・・・・・・・・

「携帯電話でさあ、便利になって、コミュニケーションができなくなってるんだよ。
だから東京の人はもう、色々知らない振りしないといけないの。
俺は携帯使ったことないね。
(隣の若い女の子を巻き添えにし)、君何で携帯持つの?
そんなに便利なの?」

・・・・・・・・・・・・

マナーがどうこうは、まあひとまず置いておくとして
私が聞いていて感じた違和感は、
二人から全く同じように繰り出される、
「単純な一般化」だった。
東京、大阪、今の時代、社会、○○な人々。

”こんなに冷たい今の時代”をまるで他人事のように言う。
あなたたちは参加していないのかな。
「東京の人は」、「大阪の人は」、「巨人ファンは」、「阪神ファンの人は」。
誰なのか分からない誰かを、笑ってしまうくらいステレオタイプに批判する。

創刊当時のポパイが何故売れたか、それは
「一般の読者」など想定せずに好きなものを作ったからだ、
(「ポパイの時代」)
という意見に私も賛成だった。
人間というのは、どこかひとつにカテゴライズされるほど単純ではないと思う。
(あ、私も思いきり一般論話していますねえ。駄目だ。もうやめる。)



言いたかったのは、私はいつも、
たった一人のために書こうということ。
「〜のために」とか大袈裟な話になってるな。
なんか野暮ったいなあ。



2002年11月20日(水) もっと勉強します。

北朝鮮拉致被害者とその家族の方々が
学校に講演しにいらっしゃる、というので聞きに行った。

私は出席を取る授業のせいで
横田さん夫妻のお話しか聞けなかったのが残念だった。
シンポジウムも参加できていたら
授業よりずっと、ものを考える機会になった筈なのに。

横田滋さんが話し始めた途端に、何故だか涙が出た。
ああこの人は普通のお父さんなのだ、と思った。
私が拉致されたら私の父も、あんなふうに人前で不器用に話すのだろう。
そんな気がした。

学生の同情を引くような話し方をしても、
群衆を煽動する政治家のような器用さはない。
普通の、野暮ったい感じ。
北の国からの田中邦江を見たときと同じ感覚の涙だった。
でも、その普通さがなおさら、彼らの事件後の葛藤を想像させた。

本当によくある家庭の、父と、母と、娘だったのだ。

北朝鮮に拉致されても、
小児ガンでなくなっても、
通り魔殺人にあっても、
学校で鉄棒から落ちて事故死しても、
自殺しても、
誘拐されても、
家族を失ったものの悲しみは同じように深い。

(こういう開き直りは嫌いだけどあえてやるなら)
政府が、国家が、平和論が、核ミサイルが、
保守が、リベラルが、
と難しいことは分からない。
北朝鮮がどういう国か、正直私は知らない。
事件自体も最近マスコミのおかげで知ったのみだ。
でも、愛する人がいなくなったら悲しいんだ。
そのことは分かる。

知らないことは悪いことだと思う。(もっと勉強します)
でも、知識や思想や理論や、そんなもので人間の
「嬉しい」「悲しい」が阻害されるなんて絶対にあるべきでない。

感情に流されて泣いたり笑ったり機嫌が悪くなったりするのが私だ。
横田さんも、多分、そうだと思う。
素直で普通の感覚を、いつも持っていたい。



2002年11月19日(火) 外国少女風語り部

今日はオリーブを買って、クリスマスまでの占いを見たの。
ランキングが五位だったから嬉しかったのよ。
私が考えてるのはそんな些細な、くだらないことだけだわ。

精神的ストーカーだとか、生き霊になって出るだとか、
そんなこと言わないでよ。



2002年11月18日(月)

(小中学生の読書)感想文は、学校で「批評的な文章」を書くほとんど唯一の機会である。
考えて意見をまとめる訓練になってるだけでも、貴重なチャンスだ。
と優等生的なことをいってみたが、自分の子供時代を思い出してみると、そんなわけないか。
小学生の私がいつも顧慮していたのは「私はどう思うか」ではなく
「大人はどうすれば喜ぶか」だったもんなあ。
(斉藤美奈子「読者は踊る」)

以前「文壇アイドル論」を面白かったと書いたが、これも同じ斉藤美奈子さんの本。
またまたうなりました。

昔の私も、そっくりそのまま同じことを考えていた。

私は中学生まで(小さな小さな町の中で)優等生をやっていたので
読書感想文は毎年県展に出品されていた。
まあ今考えれば所詮「県展出品」どまりなのだが、小学生には“県”て、もの凄く大きいからね。
結構嬉しかったのだ。

私には当時「合格する(学校で一番になれる)読書感想文」を書くテクがあった。

1.戦争、いじめねたの本を選べ
2.書き出しは「」(会話)で始めるべし
3.最後に感動のまとめを

くだらないなあ。
でも本当にこれで書いてたよ。(方法論を本にしたら売れるかしら)
当時はそんなに姑息な感じではなくて、半分無意識だったけど。
無意識に優等生しているところが怖いけど。

小学校五年生のとき、一度だけ県でベスト6人くらいまで残って全国に行けそうになった時があったのだけれど
(自慢話これくらいか)
そのときは1.“ナチスねた”で、2.「ひどい」で始まっていて、3.私たち新しい世代が平和を担っていくのだ、と結んでいる。
三拍子そろった素晴らしい感想文。

ふうん、こうしてみると私は立派にマーケティングができる子供だったではないか、と思う。



ナチスの虐殺の本を何冊も読んでいるうちに、「ひどい」と頭では分かっても
現実味がどんどんなくなり、「アンネの日記」も良くできたフィクションに思えた。

北朝鮮報道を毎日見るうちに、一体どうして彼らがテレビに出ているのかについてあまり考えなくなった。
拉致され、外国で暮らしてきた彼らの、心の葛藤を想像しなくなってしまった。
こんなこと書くなんて変わってるね、ちょっとおかしいよ、と言われるのが実はとても嬉しい。
何故かと言えば、私は変わってもいなくておかしくもないから、
つまりロックのルーツも知らないしゴダールの思想も読み解けない
あまりにも普通に愛されたい自意識過剰な女の子だからだ。

こうして本当の気持ちを書くにはとても勇気がいる。



「本当の気持ち」といいつつネットにのせている時点で
きっと嘘が混じっている。
本当のコンプレックスなど、絶対に口に出せるものではない。



そういうへなちょこなまとめで終わります。
おやすみなさい。



2002年11月17日(日) お茶の水の紅葉を見る

忙しい忙しいと何も書かなくてごめんなさい。
近況。

■友達が「振られた」という話を立て続けに聞いた。
ひとりはとても魅力的な女の子で、
もうひとりはとても魅力的な男の子だった。
ほんと、分からないことが多いな。

■「ポパイの時代」という本を読んだ。
自分で雑誌を立ち上げたくなる。
そんなこと言ってたら、内定もらえないね。

■アルバイトは今年いっぱいで辞めることにした。

■port of notesのMD、ずっと聞いていたら英語の詞が聞き取れるようになってきて、
(歌詞カード読みなよ、という問題)凄いこと言ってるなあ、と今更気づく。

I wanna think of you just like you think of me.
Remembering in my mind when you smile to me I see the blue sky.
(なんとなく文法がおかしいからどっか違っていると思う)

■ホットココアがしあわせな季節。
フォームミルクでカフェラテが飲みたいので、エスプレッソメーカーを買おうと思う。



2002年11月15日(金)

エントリーシートを見てもらいに学校の就職課に行ったのだけれど、
カウンセラーの人と話すのは本当に面白かった。
私はこうして自分のことを
「なぜ?」「なぜ?」と暴いてもらう行為が快感なのだ。



もうだいぶ前になるが
(と前置きしつつまたこの話でごめんね。最近の、なんて無いのよ)
前につきあっていた人には、
まあ半年以上もこんな「自己分析」みたいなことをやられ続けたわけで、
そりゃあへこみもする(その上ふられもする)よなあと思ったりした。

相手の彼としては職業病みたいなものだったのかもしれないけど
何かを「いいと思った」「きらきらしてる」
などという表現はすぐさま駄目を出された。

「どこが良かったのか」、「自分のどんなところを投影して泣いたのか」
「僕と違ったリアリティが知りたい」と延々問いつめられ
最後には自分で自分が分からなくなって、
本当に良かったと思っていなかったような気もして
「ああ、頭悪い。。。」という泣き寝入り状態になり、
面倒くさいので相手の意見を「うんうん」と聞くほうが面白くなり、
更に面倒くさいので相手の意見を自分の実存と重ね合わせ、
(本当に重なることもあったんだよ)
そしてそれがぴったりと重なりあうほどに相手が私に疲れ果て、
振られた。
(ということになっているけど実は不細工が原因説もあり。
そのほうが助かるような、うーん。)

自分の実存、世界の見え方を
すっかり頼っていたひとがいなくなるというのは
なかなか辛かった。
手抜きできないからね、自分で全部、
もう組み立てないといけないから。
でも結局就職活動の自己PRとは、
そういう組み立てた自分の世界の集大成のような気がする。



とまあ甘くない(痛っ)恋の話も書きましたが、
今日就職課で言われて印象に残りまくったこと。
私がいろいろ不安な点を質問したら、
「なんか、相手によく見られよう、よく見られようとしてるよね」
図星である。だってマーケティングでしょ?
ありのままの私なんて
「社会中」のどこにも存在価値はないと、うっすら気づいているから。
本当の気持ちを書いたら落ちると思って。

アルバイトで失敗をした、でも別にそれをばねにして成功していない。
私の人生プロジェクトXじゃないんよ。
次のアルバイトをして、同じような要領の悪さでまた失敗をするだけだ。
これからもそうだろう。
本当に、そうなるだろう。
私はそういう人間だから。
というか日常というのはそういうもので、別に山あり谷ありとか、
失敗の次に成功がとか、そんな綺麗なものではないと思う。
生きて、食べて、死ぬだけだ。

「成功をとってつけたように書くことはないんじゃない?
失敗し続けたことで見えてきた世界はなかった?」
と言われてはっとする。
それならもう、売るほどあるけど。
でも、社会に役立つのか知らない。
本にして売れるのかも知らない。
でも、それで認めてもらえるなら、こんなに嬉しいことはない。

まあ一枚くらい本当に正直に、
自分が見たままの世界を書いてみようかなあと思った。
あー、でもどうしよ。やっぱ媚びとくべきかなあ。
(ということで本命に書くかは悩み中、本命がどこかも自分で謎)



結局就職に関して思うのは
どうにもならなくてもどうにかなるだろうということで、
失業してたら報告するんで誰か食わしてくれ。
最後はだめだめで終わる私。


追記
書いていて思ったけれど、私がこのページで
読書感想文だとかCD感想文だとかを書けなくなったのは
「誰がなんと言おうといい」という信念が持てなくなった結果であると思う。
センスのいい写真集
(最近だとHIROMIXの日記を買いましたわよ。おほほ。)
をただ良かった、といって文句を言う人は少ない。
あら、れいこさんはおしゃれですこと、おほほ。ということになるんだろう。

でもこんな私よりも誰がなんと言おうと
「ソフィアが好きだ」、「B'zが好きだ」って
きちんと言える人の方がよっぽど偉いと思う。
センスがいいとかクールだとかスタイリッシュだとか、
そんなのにもう魅力を感じない。

友達がアンダーワールドの来日公演に行き、
「前回と同じで退屈だった」と話していて
きちんと意見できる(感じられる)のがいいなあと思ったのだ。
フロアが最高に盛り上がっていて、「アンダーワールド様」だったら、
それだけで私はよかったよかった!と拍手するんだろうから。

ガガガspだと文句を言って、
アンダーワールドだと褒める。
springは馬鹿にして流行通信を崇拝する。
私は何様なの?
その前に考える課題が沢山ある。



2002年11月06日(水) 「微笑みデブ」

価値がある。
なんて思っているから、概ね人生はつらいのである。
あなたも私もおフェラ豚。
それでいいじゃない。

と、松尾スズキが書いてくれたので
財布をなくしてぎゃあぎゃあ騒いで、
急に誰かに電話したけど出ないから
またぎゃあぎゃあ騒ぎながらも
私はどうに生きている。



2002年11月01日(金)

急に寒くなりました。
東京1週間がクリスマス特集を始めたよ、もうそんな季節なのね。

来年の手帳を購入。
可愛げがないけど、ものっすごい優秀。

コンパクトなのに日記の一日分は大きいし、
(「日記帳」はスケジュール帳として使えないことが多い)
世界地図がついているし、(ニュースで分からない国が多いから)
ワードのショートカット一覧もあるし、
今年の十二月もはいっている。

「日経ウーマン共同開発」は流石でした。



あと、松尾スズキにファンレターを書いた。


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