日記
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2004年03月16日(火) 3月16日


祖母が倒れたと電話があった15日午後9時半
「容態は?!」「詳しいことはわからない、ただ、意識不明でICUに入ってるって。私これから病院行くから。何かあったら電話するわ。今回はかなり・・・あぶないって話だから、だめかもしれない。あんたも覚悟はしときなさい。じゃあね。」

どんな覚悟しろっていうんだよ。



祖母は私が中学の時と高校の時とで確か2回入院してる。
一度は手足の痺れで・・・脳の血管がどうの、とか。詳しくは知らない。
二度目はくも膜下出血で倒れた。その時も、かなり危険といわれてたけど
元気になって、退院して、普通に生活できるようになった。
あのときから5年。75歳。
まだまだ若いんだよ。
私は、おばあちゃんがいなくなるわけ無いっておもっている。
だから、母親の「覚悟しときなさい」ということばにも現実感がわかない。


東京から新幹線で1時間40分くらいのところにいて、
会おうと思えばすぐ会いにいける距離なのにこんなにも、遠い。

きっと意識が戻るから、
今週末にお見舞いに行こうと思う。



「いなくなってから大切さに気付く」なんてことばは私は嫌いだ。
私は、そんなこと知ってる。


18年前の3月16日に父親は死んだけれど、
父のおかげでわたしはたくさんのたいせつなものに気付くことができた。
感謝している。


神様とか、信じてないけど
もしいるんだとしたら
もう私の大切な人を3月16日に失わせないで

だからって17日ならいいのかとかそーゆー問題じゃないよ。


私はまだ、何も返せてないんだよ。
祖母にはたくさんのものをもらって、もらいっぱなしで、まだ何も。
ひとつも。



父が亡くなった後の数年間、
母は自分のことと弟のことだけでもういっぱいいっぱいだった。
わたしのことまで、とても見ていられる余裕はなかった。
私には、祖母がいてくれた。いつもやさしい笑顔で見守ってくれていた。


祖母がいなかったら、私はきっともっと寂しかっただろう。



気性の荒い(激しい)母をたしなめる時の
おだやかで毅然とした祖母の姿が小さい頃のわたしのあこがれだった。
あんな風に強さと優しさを兼ね備えた人になりたいと、
今でも思ってる。なかなかうまくはいかないけどね・・・・




祖母みたいになれるのに、一体あと何十年かかるんだろう。


早く、早く元気になって、また今年の秋も一緒に温泉に行こう。





2004年03月08日(月) 3月なのに雪


という日が先週のはじめにあった。・・・ような気がする。
もはや記憶さえさだかではない。だいじょうぶか?わたし。
3月に雪が舞うのは私の実家の方では別にめずらしいことでもなんでもない。
(むしろ日常)
しかしこちらの世界ではとても不思議な光景だった。
そして寒かった。
毎日寒いな。

2月の終わり頃のほうがあったかかった。

わたしの2004年2月は


*忘れていた気持ちみたいなものを、少し思い出すことになって
 少し痛かった。
 でも、これでよかったと思う。(自己完結)


*24歳になった。


*熱海の温泉に行った。
 『ホテルニューさ○みや』
 空は青く、海も青く、とても清々しかった。
 貸し切り露天風呂が3つあるのでのんびりできますよ。
 食事は、私の好みではないのですが見た目が綺麗でまぁまぁというかんじ。
 (↑私はちまちまこぎれいな懐石料理があまり好きではない。
 年寄りになってからでいいよ、ってかんじ。
 ちょっとずつ出て来るのでいらいらする。←せっかちだから待てないらしい。
 でも、味は美味しかったよ。)


*『熱海秘宝館』にも行った。
 グロさも有り悪趣味をギャグの域にまでしている感もあり、と
 そこそこ笑えたしおみくじは大吉だったからまぁいいや。
 入場料が高い。


*中学の同級生(昨年5月に結婚)が、
 京都にある旦那の実家の近くに引っ越し。
 送別会で、朝まで騒いだ。
 それぞれの人生。それぞれの道を行く。 がんばれよ。


*『ゼブラーマン』を公開初日に観にいった。
 おもしろかったよ。


*同い年の従姉妹が、今年中に結婚することになり、
 実家への挨拶等でいろいろばたばたしてたみたいだ。
 その合い間に久々に飲んだのだが、(割と近くの駅に住んでいる)
 とりあえず結論としては、
 「おばあちゃんに孫の結婚式を見せてあげられる事になりそうで
  まことによかった。ほんとうによかった。うんうん。」
 ということだ。
 そしてできればひ孫の顔も見せてあげてくださいよ。頼んだよ。
 (面倒なことはなるべく人にやってもらおうという考え。)


*春服を買っている。(現在進行形)
 それなのにちっともあったかくならない。
 服ばかりが増えていく。
 それでもまだ買い続ける。




そしていまのわたしは
なんか、 澱んでる 
なんかそんなかんじ?かも。

日常という澱みのなかで、わたしはさらに深く、絶え間なく
澱んでいる。


yuri |MAIL

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