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【政府系金融機関の改革】 2005年11月30日(水)

 郵政民営化法案が可決されてから、小泉首相は政府系金融機関の改革に乗り出した。郵便局が、国民からお金を貯金という形で集め、そのお金を運用するために財投機関債を購入することで、政府系金融機関にお金が流れる。財政投融資という巨大なシステムの中で、郵便局を入口とすると、政府系金融機関は出口と言われる。小泉首相が関心が高いのは、郵政民営化と連動するものであること、9つある機関をいくつに減らすか、という分かりやすいものだからだろう。首相就任間もない頃にも、政府系金融機関の改革を目指したが、自民党と省庁の抵抗で挫折した経緯がある。
 私は、13年前の93年、日本開発銀行(今の政策投資銀行)の担当者だった。その2年前にバブルが崩壊したにも関わらず、各省庁に後押しされて、ビックプロジェクト(後に建設中止や計画縮小など失敗に終ったものも多い)に次々と出資や融資を続けており、融資先も大企業ばかりで大いに疑問を持った。民間銀行で十分できるのでは、と感じた。しかしながら、自民党の族議員はもちろんのこと、天下り先を失いたくない各省庁が必死で抵抗していた。
 だからこそ、今に至るまで、私の政府系金融機関改革への思いは強い。これもまた「遅きに失した」改革の一つではあるが、現在も、民間金融機関の貸出金残高が540兆円に対して、政府系金融機関の貸出金残高は145兆円にものぼる。民間金融の一層の発展のために、1日も早くその規模を縮小しなければならない。
 民主党の政策金融改革作業チームの一員として民主党案の作成に携わった。10月頃から小泉首相は「1つにまとめるべき」という方向性を示し、自民党内でもその意向に逆らう力はなく11月末にはまとまる見込み。そのような中で、民主党の作業チームでは11月上旬に「9つの機関を1つに統廃合」という方向で一致していた。私は、民主党の対案をPRするには、政府与党の方向性が固まる前に発表しなければ、と主張したのだが、結局は、民主党「次の内閣」で正式に承認されたのは、11月30日。その前には政府与党の「9つを1つに」という方向性が報道されており、民主党案は案の定、新聞でも小さくした取り上げられなかった。
 民主党の対案をメディアに出来る限り大きく取り上げてもらい、皆さんに知ってもらうためには、とにかく政府与党より先に打ち出すことが非常に重要であることを再認識した。 
 民主党の「政策金融改革の基本方針」はこちら


訪中最終日〜【日中関係と靖国問題】〜/萌々羽が1歳に 2005年11月18日(金)

 岡田前代表一行の他のメンバーは、北朝鮮との国境にある丹東へ、そして明日、帰国となっているが、私は、明日、地元でどうしてもはずせない予定があるため、今日帰国することに。遼寧省の方に案内されて、瀋陽のもう1つの世界遺産を見学。入口からお墓まで徒歩20分以上。とてつもなく広い。使われている大きな石材はすべて他の地方から運ばれてきたものとのこと。冬、地面が凍っているときに、滑らせて運んだらしい。
 午後1時すぎに瀋陽を発ち、北京経由で、成田に午後10時着。

 中国の共産党・政府と太いパイプを築いている岡田前代表のお蔭で、要人と面会することが出来た。岡田前代表は一貫して「自分は、首相の靖国参拝に反対しているが、小泉首相は来年も参拝するだろう。小泉首相の任期が終る9月以降のことを中国も考えてほしい」「東シナ海のガス油田については、日本側の共同開発提案を真剣に検討して欲しい」と主張したが、それに対して中国側は「とにかく小泉首相に誠意が無い限り何も話を進められない」の一点張り。中国メディアの記者も、そして学生も、とにかく靖国のことばかり。建設的な議論は、たまに環境問題に話が移ったときに、日本側が協力できることは色々ある、と表面的に応える、というようなときだけ。

 私は、日本よりもはるかに外交戦術に長けている中国は、靖国問題は、日本を攻めるいい材料として使っているに過ぎないと思っている。
 今に至るまでめまぐるしく王朝が交代している中国において、中国人が「中国2000年の歴史」と誇ることが象徴的であるように、中国は覇権国家。東アジアの盟主は自分たちという思いが強い。ここ10年、経済的にも急激に成長し、経済大国日本も視野に入ってきて、ますます日本への対抗心は強まっているはずだ。
 少なくとも、首相が靖国参拝を止めたとしても、中国は別の材料を持ち出して、日本への攻撃の手をゆるめないのではないだろうか。
 そういう思いをますます強くした訪中だった。

 ちなみに、今日は、私の娘の誕生日。昨年、私の初登院の3日後に生まれた娘「萌々羽(ももは)」。3900グラムで、妻も産みの苦しみを散々味わったが、1年間、すくすすと育ってくれた。今でも他の子より一回り大きい。萌々羽が起きている間に私が家にいることは1週間に計数時間しかないが、日々、色々な進歩がある。本当にかわいい。子どもがいる喜びをひしひしと感じる。
 神様、そして皆様に感謝です。


訪中3日目〜瀋陽〜 2005年11月17日(木)

 飛行機で1時間で瀋陽へ。空港から車で40分。瀋陽の市街地に差し掛かると、広い道路の両側に新しい高層ビルや高層マンションが立ち並ぶ。蓮舫さんが10年前に来たときは、道路も舗装されていない農道で、古びた平屋が並んでいたという。金ピカのバブリーなホテルだなぁ、と思ったら我々が泊まるマリオットホテルだった。ちょうど我々の1時間後に武部・自民党幹事長が到着。偶然日程が重なったらしい。
 世界遺産となっている瀋陽故宮(清の時代の宮廷)を見学。
 次いで9・18抗日記念館へ。99年に出来たらしいが、盧溝橋事件に始まる日本の侵略を、そのムゴさ(虐殺や拷問)を強調してこれでもかこれでもかとリアルに展示してある。照明も落として暗い雰囲気。見学した誰もが、日本人はいかに残虐で、そしてそれをはねのけた中国人はいかに勇敢だったか、と胸に刻み込まれるのだろう。
 中国は、文化大革命やチベットやベトナム侵攻など、日本よりよっぽど残虐なことをしている。ある意味、世界のどこにおいても、戦争は残虐なものなのだ。日本の残虐性を強調した記念館に、反日教育の一端を垣間見た。
 岡田前代表の希望で瀋陽大学を訪問。日本語を学ぶ学生30人と対談。大学で応募したところ、希望者はほぼ全員女性だったとのこと。彼女たちからの質問の9割は「靖国参拝はどうするのか?」。たまりかねた岡田前代表が、学生に対して「日本と中国の未来についての夢は?」と聞いたが、それに対する回答も「首相が靖国参拝をやめたら日中は仲良くなると思う」だった。学生が、日本の第二政党の元党首に対しての質問を考えれば、どうしても政治の分野になってしまうのだろうが、それにしても靖国ばかりでガッカリ。
 李克強・遼寧省委員会書記(日本の県知事)と面会。彼は、中国共産党の出世頭。
 会食の後、ホテルにもどったが、若手議員連中(=岡田前代表をのぞく5名)はホテルの外へ。徒歩10分と聞いて歩いたら20分以上かかったが、なんとか料理店に到着。スーパーのように食材(魚介類・肉類などなど)が並び、それを選んで調理してもらう。これまで、中国の要人との会食は、汁ものが多く(1回に3〜4種類)、どうも似たような感じで、やや飽きてきていたので、皆、「これが中華料理だぁ。おいしい!」と口を揃えながら、紹興酒を楽しんだ。
 ホテルにもどって、ホテル内のロビーで少し歓談。メンバーで唯一の独身、津村君が「女の子の好みは?」など集中砲火にあった。
 


訪中2日目〜北京〜 2005年11月16日(水)

 午前中は、岡田前代表が今まで14回訪中しているにも関わらず一度も行ったことがないとのことで万里の長城へ。小型バスで1時間あまり。素晴らしい天気の中、写真で何度も見ていたとおり、エンエンと続く城壁。その上を歩いた。アップダウンが結構激しく、急勾配を上ると、皆、息を切らせていた。あの時代に、いったいどれだけの人たちが働かされたのだろう。想像を絶する。
 北京にもどる。北京は、街全体がかすんでいる。スモッグで、これでも以前よりはまだ良くなっているとのこと。自動車が急増しているから、今後も、公害はますます深刻になるだろう。日本大使館の公使と昼食。
 午後は、外交部(日本の外務省)の副部長(日本の副大臣)、そして中央台湾事務弁公室(台湾の担当部局)の副主任と面会。昨日の中連部も今日の外交部も本来は部長に会えるはずだったようだが、ちょうどAPECの日程と重なってしまい、両部長は不在。
 夜は、人民大会堂(日本の国会議事堂)へ。共産党中央政治局委員と面会。そして北京市委員会書記(北京市長)と会食。
 ホテルに戻って、8時半から北京駐在の日本記者への記者会見。後日聞いたのだが、友人が当日上海にいて、ニュース映像で私を見たらしい。
 さらに、中国側の日本担当記者5名と面会。


岡田前代表と訪中/議員1周年 2005年11月15日(火)

 岡田克也・前代表に声をかけて頂き、同期の馬淵澄夫議員・津村啓介議員、参議院の蓮舫議員・藤本祐司議員とともに中国へ出張することになった。私は中国に行くのは初めて。19日までの5日間、北京と瀋陽を訪問するという計画だが、私は19日にどうしてもはずせない地元の予定があり、やむをえず1人だけ18日に帰国することに。
 岡田前代表は訪中は15回目。ほぼ毎年訪中しているとのことで、中国共産党&政府と太いパイプを築いている。幹部との面会が多く予定されていて、楽しみ。
 昼に成田を発って4時間。北京に午後6時に到着。ホテルまで車で移動中に初めて見る北京の街並みは、予想を超えるものだった。立ち並ぶ高層ビル。オフィスビルはもちろん、マンションも20〜30階建のものが林立している。道路は広く、4車線の道路も結構ある。北京オリンピックに向けて、道路などの整備を急ピッチで進めているとのこと。10年前に1年半、北京で語学研修をしていたという蓮舫さんも、その変わりように驚いていた。
 夕食は共産党中連部(外交部門)の副部長と会食。ホテルに帰ってきてから、議員同士で歓談。さらに、財務省から在北京大使館に出向している先輩と久しぶりの再会を楽しんだ。

 ちなみに今日11月15日は、ちょうど1年前、初登院して議員バッジを付けてもらった日。それから1年以内に選挙があるとは全く予想だにしていなかったが、とにもかくにも、こうやって議員活動を続けていられるのは、一重に応援して下さっている皆様のお蔭です。
 北京への飛行機の中で、皆様への感謝の気持ち、そして「初心」を新たにしました。
 


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