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【官僚天下り】週刊現代に田村のコメントが載りました 2004年05月31日(月)

 本日発売の週刊現代に私のコメントが載っています。『役人天国・天下り高級官僚「年収2000万円超」の優雅な生活!』という記事です。週刊現代編集部に友人がいて、問い合わせがあり、メールで回答したら、一部をほぼそのまま載せてくれました。どうぞご覧になって下さい。
 なお、その記事の「退官後は超有名民間企業へ」という天下り一覧の中に、財務省の先輩だった岸本周平氏(46歳)が入っていますが、年齢を見てもお分かりのとおり、岸本氏は、官僚のキャリアを捨てて自ら転職なさいましたので天下りではありません。私もとても尊敬する先輩で、私をはじめ官僚を辞めていく後輩に対して「お前たちは外で頑張れ。俺はもう歳も歳だし、中から変えることを目指す」と数年前におっしゃっておられたことはよく覚えていますし、とても期待していたのですが、数ヶ月前にお辞めになったという話を聞いたときは、岸本さんでさえ今の官僚体制に愛想を尽かしてしまったのか、と暗い気持ちになったものです。
 その天下りリストの中には私が直接仕えた上司もいます。私が関税局にいたときに、税関の免税店の販売品目を自由化しよう(それまでは免税店で扱っていいものは規制されていました)と提案したところ、その上司の「免税店の将来の発展を大所高所から考えられるのは我々だ。我々が今後も免税店に関与していくためには、その規制は残すべきだ」という一声で、自由化は見送りになったことがあります。その発言を聞いたときは、あまりの時代遅れの発想にア然として反論する気力もなくなったことを良く覚えています。そんな当時の上司が、財務省の監督する業界の企業に天下りしています。監督官庁である財務省がその企業に天下りの受入を要請したのか、それとも、企業自らが監督官庁との良好な関係維持のために招いたのか、いずれにしても、そのような癒着は即刻排除せねばなりません。
 今日の夜の「TVタックル」でも官僚天下りが取り上げられていました。私が「TVタックル」の官僚天国特集に藤末氏(参院選比例候補)と共に出演したのは昨年7月(→活動報告)。春に新しい天下り人事が行われ、その後に、それをメディアがいっせいに批判する、というある意味、年中行事になっているのかもしれません。
 ちなみに、私が、週刊現代の友人にメールしたのは下記のとおりです。記事では、3項目のうち最初の2つを載せてくれました。

・ 民間企業に、それを監督している省庁(JTなら財務省)の官僚が
 天下りすることは、監督省庁が民間企業に過剰に介入をしている
 象徴であり、即刻、全面禁止すべき。そもそも、役所に30年も
 勤めていた人が、企業の経営能力も備えているということは
 極めて稀であると思います。

・ 天下り先は、民間企業よりも、特殊法人や公益法人など、いわゆる
 政府の外郭団体が多いわけですが、そのような法人・団体は、
 すべて洗いざらい、その存在意義を見直し、本当に必要と認め
 られるもの以外は、民営化もしくは廃止すべきです。
  そのような法人・団体を渡り歩く天下り官僚への高額報酬・退職金は
 間接的に税金によって賄われているケースが多く、許されては
 なりません。
 
・ そもそも、官僚は50代前半で退職する人事制度となっているため、
 「退職後の仕事を保証せねばならない」という理由がまかり
 通ってしまっています。省庁も、少しずつ退職年齢を伸ばそうとしている
 ようですが、できるだけ早く、60歳定年制に移行し、その一方で
 天下りの面倒は一切見ない、ということを徹底せねばなりません。
  ただ、この提案も、あくまで現在は、法律上、公務員の身分保障されて
 いるからであって、私は、(ノンキャリアはともかく)キャリア官僚に
 ついては、将来的には法律上の身分保障も無くすべきと考えています。
 キャリア官僚の中で実力の無い者は解雇できるようにし、その一方で、
 中途採用をどんどん増やす。そのような人事制度にすれば、天下りの
 ような制度は必要なくなりますし、省庁における政策議論も、より
 活発で柔軟なものとなると思います。


原よう子敗戦 2004年05月30日(日)

 今日が県議補選(旧静岡市)の投票日。投票率は25%。記者さんたちは30%前後を予想していましたが、それを下回る過去最低記録(恐らく過去の静岡市での県議選&補選で)。政治不信がますます進んでいる証左とも言えるでしょう。天野進吾氏(元市長&自民党県議。62才)が35817、山田誠氏(元自民党市議。42才)が25842、原よう子(元衆議院議員・民主党静岡県連推薦。29才)が20740、河野幸代(共産党公認)が11850。原よう子候補は、浮動票頼みの短期決戦で低投票率に泣きました。
 ご協力下さった皆様、本当に有難うございました!
 田村事務所も、秘書の田中幸太郎君や後援会の深澤節也さんが2週間ほぼ毎日朝から夜中まで頑張ってくれました。他にも後援会の方や学生が何人か、私の依頼で手伝ってくれました。(その間、草薙事務所は後援会の板谷さんに任せっきり。有難うございました。)
 結果は出せませんでしたが、田村事務所としては大いに勉強になりました。私自身も、選挙のスタッフとして加わるのは初めての経験だったので、得たことは多いです。次の衆院選に向けてこの経験を活かしていかねばなりません。
 まずは7月11日の参院選まであと1か月。田村自身の選挙と思って気合を入れます。


【続・北朝鮮拉致家族の帰国】 2004年05月26日(水)

 拉致家族会への批判が高まっているという記事を読んで驚いた。
 私は、小泉首相に対して家族会が訴えたことは正しいと思っている。10名の安否不明者はもちろん、数百名とも言われる拉致被害者を一人でも多く帰国させるためには、首相訪朝という「最後のカード」は取っておかねばならなかった。
 北朝鮮は、拉致の件は一昨年に公表した約20名だけで済ませようとしている。その20名も、経済的に窮地に追い込まれた北朝鮮が、日本からの支援を引き出すための布石として「外交カード」を切ったにすぎなかった。10名の安否不明者は、まだ生存しているとしても、工作員への教育など北朝鮮の対日工作に深く関わっているから、そう簡単に帰国させるはずがない。
 日本が、これから一人でも多くの拉致被害者の帰国を実現させようと考えるなら、今、国会で審議中の経済制裁法案や特定船舶入港禁止法案を使いながら、北朝鮮を更に追い詰めるしか方法は無いと私も思う。北朝鮮に対する友好的な外交(様々な支援をはじめとして)が全て失敗だったことは、十二分に過去が証明している。家族会も、そう思っているからこそ、首相にあのように訴えたのだ。
 確かに核の問題もある。それは日本の安全保障上、重要であることは当然であるが、北朝鮮が、核についての交渉相手はアメリカと決めてかかっている以上、日本ができることは極めて限られている(せいぜい北朝鮮とアメリカのつなぎ役)。そんな中で、国交正常化を急ぐ意味はほとんど無いのではないだろうか。いくら近隣国だからと言って、日本に対して拉致という国家犯罪を犯している(それも過去形ではなく現在形で)国と国交を正常化する意味はどこにあるのだろうか?国交を正常化するには、犯罪をしっかりと認めさせる(そして生存者を帰国させる)のが最低条件だろう。
 小泉首相は「北朝鮮に首相が迎えに来ないとダメと言われた」と言い逃れをしているが、北朝鮮がそう言うのは外交上の駆け引きで当然のこと。北朝鮮を更に追い詰めていれば、自民党幹部でも大丈夫だったはずだ。今回の小泉首相の訪朝、そして国交正常化交渉再開というのは、今、北朝鮮に拉致されている人々を切り捨てるに等しい行為だったのではないだろうか。


ホームページ更新 2004年05月25日(火)

 今日、久しぶりにホームページを更新しました。トップページの一番下に更新履歴を書いてはあるがあまり目立たないので気づかない方も多いだろうと思い、この場でお伝えする次第です。
 トップページでは、参院選候補の宣伝をしています。ぜひ各候補のHPをご覧下さい。
 リンクは、だんだん量が多くなって見にくくなってしまったので、いずれもっと見やすい形にしようと思っていますが、「友人・先輩」に阿部卓也氏・木村剛氏・サンプラザ中野氏を、「地元でお世話になっている方々」にSKトータルサービスを加え、「選挙・政治関係の情報源」は全面的に入れ替えました。ぜひお時間あるときにご覧下さい。

 ちなみに、今日も一日、県議補選の原陽子候補の応援で選挙カーに乗りました。カラス(ウグイスの男性版)をやったり、団地の前での街頭演説の弁士をやったり、商店街を練り歩いたり。細野豪志県連代表はもちろん、夕方からは新人議員の城井崇衆議院議員(→リンク集)も駆けつけて下さった。城井議員とは、一昨年、私が秘書だったときに彼の選挙区である北九州に、私が仕えていた議員とともに応援に行ったこともあり、久々の再会。それにしても、国会議員が県議選のカラスとは・・・。

 田中幸太郎秘書はもちろん、何人かの田村後援会の方々にお手伝い頂いています。「他の人のことなど構っている余裕はあるのか」という厳しいご指摘を多くの支援者の方々から頂いておりますが、静岡での民主党の躍進を願いつつ、ここで田村陣営が貢献をして、数年後の自分自身の総選挙では県連の皆さんより一層ご指導を頂きたと思いながら、頑張っております。


【北朝鮮拉致家族の帰国】 2004年05月23日(日)

 昨日、小泉首相が訪朝し、拉致家族の5人が帰国した。小泉首相は、金総書記との会談において、10名の安否不明者の再調査を約束させ、日朝平壌宣言の誠実な履行を確認するとともに国交正常化交渉再開することで合意し、更に、日本からの人道援助を再開することとしたという。
 5人の帰国については心から喜びたい。そして、無事帰国した子供たちが今後、日本において平穏な人生を過ごせることを願っている。しかしながら、あまりに問題が多すぎる訪朝だったと言わざるを得ない。小泉首相はじめ首相訪朝を評価する人々は、拉致家族帰国を大きな成果と強調しているが、小泉首相本人が行かなければならなかったのか?拉致議連の平沼衆議院議員も「自分でもよかった」と言うように、他の自民党幹部でもよかったのではないか?
 援助を要請する側の元首が、援助を行う国を訪問するということが世界的常識・礼儀(人対人でさえ当然のこと)である中で、日本の首相が北朝鮮を自ら訪問するというのは、外交上「最後の最後のカード」であることはいくら強調しても足りない。そういう常識さえあっさり覆してしまう、日本の三流外交を本当に悲しく思う。
 1年半前の小泉首相の電撃的訪朝の際に結ばれた日朝平壌宣言は、その後、北朝鮮の核開発の実態が明るみに出たことにより、全く履行されていないことは明白となっている。そのような状況の中で、何ら具体的な核廃棄のスケジュールも無しに「日朝平壌宣言の誠実な履行を確認した」と言っても、全く意味をなさない。例えていうなら、金総書記が「宣言は守ります」と言ったことに対して、小泉首相が「ウソをついているのは分かっているが、とりあえずそういうことで」と答えたに等しい。
 90分の会談も、通訳が入っていることを考えれば実質45分。そんないい加減なやりとりの中で、10名の安否不明者の再調査を約束したと言っても、金総書記が本気で考えていると誰が信じるだろうか。
 安否不明者の10名というのも、北朝鮮が拉致を認めた人に過ぎず、実際には数百名に上るという説もある。北朝鮮に対しての経済支援等による友好的な外交が、拉致問題について何の効力も示さなかったことは過去の歴史が証明しているのだから、拉致問題を本当に解決しようとするなら、今国会で審議中の経済制裁法案や特定船舶入港禁止法などで、北朝鮮を追い詰めるしか方法は無いはずだ。
 小泉首相は、年金問題をかわすために、あっさり「最後のカード」を切り、人道援助を再開し、経済制裁は行わないなどというリップサービスまでしてきた。拉致問題や核問題についての、今後の進展は望むべくもないだろう。
 日本の首相が、迎賓館で金総書記が登場するのを直立不動で待たされ、そして別る際にも、直立不動で金総書記が去っていくのを見送っている姿を見て、悔しくて涙が出そうになった。そして、まだ家族が帰国していない拉致被害者家族会の方々や、拉致されて未だに北朝鮮で暮らしている人々のことを思い、悲しくて涙が出そうになった。

 


ちょっと「たむけん・ず・ばー」の宣伝 2004年05月22日(土)

 私の支援者のお一人「春未完」さんが立ち上げて下さった掲示板「たむけん・ず・ばー」ですが、メインの「情報交換掲示板」に加えて「ひとこと掲示板」もつくって下さいました。ぜひ気軽に書き込んで下さい。情報交換掲示板の方では、財政論議のような硬派な話題も展開されてますので、どうぞご笑覧下さい。リンクは、このHPのアクセスカウンターのすぐ上です。


原よう子出陣式&必勝集会 2004年05月21日(金)

 5月30日の県議選の今日が告示。9時半から事務所前で出陣式。田村は司会。細野県連代表、石井連合会長に続いて本人の挨拶。ガンバローコールの後、選挙カーで出発。田村は自らの車(ホンダCR-V)を後続車として出した。民主党のロゴが入った紙製のメガホンで声を張り上げる。今日は、街頭演説はせずに市内全域を一通り回る。午後6時に、静岡駅前に原候補と静岡の民主党議員(細野豪志・榛葉賀津也・渡辺周・津川祥吾)と小宮山洋子衆議院議員が集結。それぞれのノボリをスタッフが持って桃太郎。これだけの国会議員が集まっての行進は、滅多に見られるものではなく壮観。そして6時半から青葉イベント広場で必勝集会。上記国会議員に加え、更に河村たかし衆議院議員も駆けつけ、あの独特の口調が広場に響き渡った。
 国政でも言えることだが、補欠選挙の場合、応援弁士に蒼々たる議員が集まってくれて、本当にうらやましい限り。


岡田克也氏が新代表へ 2004年05月17日(月)

 夜、原よう子事務所で選挙の打ち合わせをしている最中に、妻から「小沢氏が代表辞退」とのメール。菅代表辞任騒動もようやく終って、小沢氏の豪腕への期待感が高まりつつあった中、あまりに突然で一瞬言葉を失った。
 新代表は岡田幹事長ということで一致しているとのこと。岡田幹事長は、「ジャスコの御曹司」(父親がイオン会長、兄が社長)としての方が有名かもしれないが、通産官僚を辞職して36才で初当選、今50才。一昨年9月の代表選の際も若手代表として推す声が多かったが、本人が固辞したため、若手グループは野田佳彦氏・前原誠司氏の擁立に動いた。そして、5月14日の日記にも書いたように、一昨年12月、鳩山由紀夫氏が辞任に追い込まれた際に決断して代表選で菅氏と対決。菅代表の要請を受けて、党ナンバー2の幹事長に就任。菅氏を支えることに徹してきた。
 昨年7月に清水に応援に来て下さり、ミニ集会でお話しをしてもらったのだが、当時、地元の方々に聞いてみても岡田氏のことを知っている人はごくわずかで、例えばTVタックル等に頻繁に出演している原口一博氏や河村たかし氏の方が知名度が高い(逆に言うと、党のナンバー2の知名度がそれだけ低い)ことに、ショックを受けたことを思い出す。ただ、岡田氏のミニ集会に参加して下さった方々は、「テレビで見るとかたそうだけど、とても気さくだった」「誠実でいい方」と口をそろえておっしゃっていた。
 2年前の代表選以前から私がよく口にするのは、「鳩山氏や菅氏がさきがけを立ち上げたころ、2人とも40代半ばだった。96年の旧民主党結党以来、両氏がずっと代表を務めているが、民主党も世代交代・新陳代謝をどんどん進めなければ、自民党を倒すほどの新しいうねりを生むことはできない」とういこと。岡田氏も、あるい意味「もう50歳」。いわゆる「若手グループ」には入っていないし、メディアでも老・壮・青の分類だと「壮」に入るようだ。岡田氏が絶大なる支持を集めるということでもなければ、9月の代表選では、更なる世代交代の動きが強まることはほぼ確実と思われるので、これから3か月で、岡田新代表の真価が問われる。
 小沢氏や菅氏のようなハデさは無いが、その誠実さ、実直さ、「原理主義者」とも言われる一徹さが、どれくらい国民の支持を集めるのか、大いに注目したい。政治不信が極まった今、かえってそういう人が国民の信頼を集める可能性があるのでは、という期待も込めて。


原よう子・事務所開き 2004年05月16日(日)

 午後2時から、静岡駅南の原よう子事務所にて、30日の県議補選に向けた事務所開き。細野豪志県連代表・榛葉賀津也参議院議員・渡辺周衆議院議員が次々と挨拶。そして応援に駆けつけて下さった、石井・静岡連合会長、佐野愛子県議、田中正史君が激励の言葉。田中正史君は県立大学4年で、田村が昨年3月頃に出会ったのだが、6月から半年間アメリカ留学していて、私の選挙が終わった後に帰国。最近は、よく私の集まりにも出てきてくれる。原稿をチラチラ見ながらも、アドリブもきかせてなかなかしっかりと挨拶してくれた。
 その後は、ホビーショー(静岡に地元の田宮模型主催の大規模なプラモデル展)を開催中のツインメッセの前で、細野豪志議員も一緒に街頭活動。大勢の人ごみの中で、原さん本人も本番ノリで頑張っていた。さらに、静岡駅南口前、商店街のスクランブル交差点と場所を変え、8時に街頭活動を終了。街頭活動中、色紙を手に「原陽子さんと写真をとってもいいですか?」という青年まで現れてビックリ。若い人たちが少しでも県政に関心を持つきっかけになればと願っています。
 原よう子のホームページもリニューアルしました。こちらです。

PS 12日の日記も追加しました。


小泉首相・北朝鮮訪問 2004年05月15日(土)

 昨日、日記を書いた直後に小泉首相が北朝鮮を訪問するというニュースを知った。ア然・・・
 小沢氏の新代表受諾と首相本人の年金未加入の発表にぶつけての発表。「してやられた」としか言いようがない。拉致家族の帰国で湧き上がっている中で参院選に突入してしまえば、民主党としてへの追い風は期待しようがないかもしれない。
 民主党は、菅代表辞任表明後、年金未納閣僚への反転攻勢を始めたが、北朝鮮にかき消されたしまいそうな雰囲気だ。その上、ニュースキャスターが続々と自分自身の年金未納・未加入の告白を始めた。世論を代弁して諸問題を追及することもキャスターの大切な使命であるにもかかわらず、年金未納議員への矛先が鈍ってしまうようでは、正直に告白すること自体が良かったのかどうか考えてしまう。
 参院選に向けて、小沢新代表がいかに年金問題を大きなテーマとして浮上させることができるかどうか、その手腕に期待するしかない状況になってしまった。

 今日の夜は富士宮へ。私が親しくさせて頂いている30代40代の方々のNPO設立総会。その後、富士宮のまちづくりや政治で中核的役割を果たしてらっしゃる大先輩からお話を伺った。市町村合併から参議院選の政局まで、勉強になることばかりだった。


小沢氏が新代表に 2004年05月14日(金)

 小沢代表代行が、ついに菅氏から党代表を引き継ぐことを受け入れた。任期は9月の代表選までのわずか4ヶ月。
 月曜日に菅氏が辞任表明をして以来、岡田幹事長が調整を一手に引き受けて走り回った。県議補選候補・原陽子の事務所でも「岡田さんは寝る暇あるんですかねぇ」「うーんほとんど無いだろうね」といった会話が。思えば一昨年、鳩山氏辞任後の代表選で、岡田氏は党の刷新を掲げて菅氏と対決して破れたにも関わらず、菅氏の要請で幹事長を受けてからは、菅代表の「代理」「スポークスマン」「黒子」に徹してきた。複雑な思いがある中で、ただただ政権交代を実現する(そして、日本の政治を変革する)ためには民主党がもっと一致結束して成長しなければならないという信念のもとに、わが身を捨てて、全身全霊を傾注している岡田幹事長の姿は田村の胸に焼きつくものがあった。
 そして小沢代表が誕生する。小沢氏については2月20日の日記に書いているので是非見て頂きたいが、参謀に徹しようと考えていた小沢氏も、緊急事態に及んで決断したということなのだと思う。1か月以上前に、小沢氏は、党内の旧社会党グループのリーダーである横路氏と国連部隊(自衛隊とは別に国連の方針に従って海外で活動する部隊)の創設という提案をまとめたが、それも、民主党がより結束していくための尽力だった。小沢新代表が、年金を中心とする諸問題でどこまで自民党・公明党を攻めることが出来るか、そして、小泉政権と民主党の支持率はどう変わるか、注目していきたい。もちろん、年金未納閣僚を辞任に追い込むことができればベストではあるが、そこまでの世論を巻き起こすことができるかどうか・・・


【年金の3党合意】 2004年05月13日(木)

 GW明け直後、「年金一元化について、与党と民主党で協議する場をつくり3年かけて検討する」という附則を、政府の年金改正法案に付けるという合意が、与党である自民党・公明党と民主党で合意された。
 これは、結論から先に言えば、極めてわかりにくい合意だった。
 5月8日から10日にかけて、菅代表が、自らの未納問題で追及されるのを覚悟で出演した沢山のテレビ番組でも一生懸命説明しようとしていたが、これは、政府の年金改正法案について、民主党は本会議に出席し(=採決の際に欠席せず)、かつ、法案本体と附則を別々に採決するという前提のもとに、附則には賛成するが改正法案本体には反対するというもの。
 私自身の情報収集不足ではあるが、6日に3党合意の朝刊記事を読んだときは、てっきり、附則を付けることを条件に法案本体にも賛成するものと勘違いしてしまった。私のような者でもそうなのだから、一般の多くの皆さんが「民主党も、菅代表の未納問題もあるし、年金改革についても、与党に妥協した」と捉えてしまって当然だと思う。
 民主党が野党である以上、いくら反対しても、政府案(=与党の案)は「数の力」で押し切られてしまう中で、せめて少しでも本当の抜本的改革につなげるために、そのための協議機関をつくる、という気持ちは分からなくもない。しかしながら、年金に限らずあらゆる抜本的改革を先延ばし(=棚上げ)している自民党政権が続く限り、年金の抜本的改革は無理というふうに考えるならば、年金の抜本的改革は政権交代によってのみ実現するもので、与党自民党との協議機関をつくるというような中途半端な対応は、実質的にほとんど意味が無い、と私も考える。そもそも、法案の附則については、その書きぶりにもよるが、今回のように「3年を目途として検討する」というような書き方の場合には、協議機関はつくるが、年金一元化を実現するかどうかは分からない、という意味なのである。


参議院比例候補・藤末健三氏と富士宮へ/清水での会合 2004年05月12日(水)

 今日の午前中、参議院比例候補の藤末健三氏(5月9日の日記参照)の講演が富士宮であり、田村も駆けつけた。100名以上の参加者。参議院静岡選挙区候補の藤本祐司氏も同席。藤末氏の応援演説。司会の方も「皆さんおなじみの田村さんです」と暖かいお言葉。9日の榛葉賀津也議員の演説(特に笑いを誘う部分)を参考にしながら、藤末氏&藤本のPRとともに、「民主党も菅代表辞任でゴタゴタしていますが、榛葉賀津也議員や細野豪志議員、そして私も30代。藤末氏や藤本氏は40代。30代40代の若手が中心になって頑張っていきますので、長い目で御支援下さい」と訴えた。ちなみに、笑いを誘う部分というのは、「このお2人について自信を持ってお勧めできるところは2つ。まず年金をちゃんと払っています。そして留学についても経歴詐称していません」。爆笑を誘えるのは話している方としては嬉しいことだが、その背景については、複雑な心境。
 夜、清水での10名余りの会合に顔を出させて頂き、20分ほどお話をさせて頂いた。自己紹介と、ごく簡単に財政・年金の話。ある業界の方々の集まりで、本来、自民党色が強いはずだが、熱心に話を聞いて下さり感激した。民主党についても「私が公認内定をもらった一昨年末は、ちょうど鳩山さんが辞任して、さらに熊谷さんが離党した直後でした。『なんで今さら民主党で』『民主党も一年以内に分裂する』と厳しいご指摘を沢山頂きました。民主党はまだまだ成長過程にあります。ぜひ長い目、温かい目でご指導下さい」と訴えた。


菅代表辞任 2004年05月10日(月)

 昨日も今日もほとんど、原陽子・県議補選候補の選挙準備。よく、選挙において、「選挙本番になれば、候補者はみこしの上に乗るだけで、それをかつぐスタッフが全てお膳立てをする」と言われるが、実際、昨年の総選挙においても直前1ヶ月位前から、私は、スタッフのつくったスケジュールにしたがってひたすら動くのみ、という感じだった。従って、後3週間を切った県議補選に向けてのスタッフという立場は、色々と勉強になることも多い。静岡県内の何人かの国会議員から派遣された秘書数名が、役割分担をしてどんどん作業を進めているのを見ていること自体が新鮮だったりする。ちなみに私は、候補者の日程調整と街頭活動が主な担当。
 原よう子事務所のスタッフは、候補をはじめ私や議員秘書は20代30代が数名、そしてベテランの方が数名、和気あいあいとした雰囲気。これが、あと3週間でどこまで盛り上がるかが勝負です。
 今日も1時間ほど、事務所周辺の商店街を原さんと挨拶回り。原さんの紹介と、藤本ゆうじ参議院候補の紹介。私が「とにかくどんどん握手しなきゃ」とけしかけても、原さんはどうも遠慮がち。聞いてみると、過去2回の衆院選では「社民党の・・・」と挨拶するだけで相手にされなかったことが多く、色々とツラい思いもしたらしい。4年前から細野豪志氏・榛葉賀津也氏・津川祥吾氏が築いてきた、「民主党=若い力」という静岡でのイメージに、原さんも乗って、どんどん風を起こしていかねば。

 ところで、昨日、予想通り、菅代表が辞任を表明。菅氏は早期の辞任を選択しなかったばかりに、本人が再び代表となる可能性を無くしてしまうとともに、民主党自体の支持を失い、自民党への反転攻勢の力を弱めてしまった。
 後任として予想されていた小沢代表代行や岡田幹事長は、固辞しているとのこと。確かに、今、代表になっても、参議院選挙で負ければ責任問題となるし、そもそも、9月にまた代表選がある。そんな「火中の栗」を拾う人は確かになかなかいない。代表も若手(前原誠司氏、野田佳彦氏、枝野幸男氏など)に代わるべきという若手議員は多い(私もそう思っている)が、今は、多くの議員が必死になって小沢氏や岡田氏を口説いているのだろう。今回は小沢氏でまとまるのがベストと私も思うが、もし両者とも固辞しつづけた場合、それこそ、河村たかし氏のような伏兵が手をあげることもありうるかもしれない、などと、つい他人事のように考えてしまった。


原陽子・元衆議院議員が県議補選出馬!/参議院比例候補・藤末健三氏が来清! 2004年05月09日(日)

 朝、静岡新聞の朝刊をおもむろに見る。「あぁやっぱり菅代表辞任の流れが加速しているのかぁ」となんとなく暗い気持ちになりながら、フと一面の下に目をやると「民主党県連、原・元衆議院議員を県議補選擁立へ」の見出しに驚愕した。原陽子氏は、4年前に神奈川で初当選したとき「国会のヒロスエ」と話題になったときから知ってはいたし、つい2か月ほど前の週刊誌で、裾野市役所で働いているという記事を読んで「へぇ、静岡の人だったのかぁ」と思っていたが、それが、清水のお隣の旧静岡市で県議補選に出馬とは・・・
 静岡県議選は昨年4月の統一地方選のときに行われたが、それ以降、旧静岡市選挙区選出の県議の中で、田辺信宏氏が自民党県議を辞して衆院選に無所属で出馬(落選)し、更に県議が一人亡くなったため、5月30日に2議席の補欠選挙が行われることとなった。自民党からは、昨年4月の静岡市長選で敗北した天野進吾氏(元自民党県議だが、今回は公認を取れず無所属)と山田誠市議(自民党公認)が既に出馬表明をしており、民主党からは、昨年4月の県議選で落選した奥川宏・元県議が諸々の事情で出馬を断念した中で、不戦敗の可能性が濃厚となっていた中で、起死回生の?策である。
 県議を民主党公認とする場合は、地元の総支部(第1区総支部)で話し合われた後、県連の常任幹事会で決定されることが通例であるため、当事者ではない私には事前に話は来ないのは当然のことなのだが、本件も、常任幹事会まではマスコミにも出さない方針だったのが、どこかで漏れてしまったようだ。
 そして午前9時半から開かれた県連常任幹事会で、正式に原陽子氏の県議補選・民主党公認が了承された。選挙事務所をかまえる予定の静岡駅からわずか2駅目(草薙駅)に事務所がある私も、当然のごとく、選対事務局(というか実働部隊)に入ることになった。
 7月の参院選への相乗効果、静岡市における民主党支持層拡大、そして更には、私の衆院選へのプラス効果を目指して、あと3週間、全力で頑張ります。

 午後はずっと原陽子氏の選対会議。そして、夕方、参議院比例区・民主党公認の藤末健三氏が清水にいらっしゃった。私のHPのトップページにも藤末氏の名前を載せていますし、リンク集のトップに書いてある通り、藤末氏は私の盟友。100名を超える方々の前で、榛葉賀津也参議院議員の絶妙な応援演説の後、45分の藤末氏の講演。生い立ちから熱い思いまで、私も彼の講演を聞くのは初めてだったのでとても興味深かった。途中、藤末氏の幼少期、ご両親が生活にご苦労なさっていたことを話しているときは、涙ぐみ声を詰まらせ、思わず私ももらい泣きしそうになった。終了後、ホテルまで私が送って行き、ちかくの「はなまるうどん」でビールを飲みつつ1時間ほど。やはり同志との話はつきない。藤末氏も私と同じ脱官僚組。参議院比例区は、全国どこの方も投票できます。皆さま、「民主党」と記入なさる代わりに是非「ふじすえ健三」を宜しくお願い致します!


【年金未納○兄弟と菅代表】 2004年05月08日(土)

 ほぼ1か月、日記の更新がまたまた滞ってしまいました。3月に日記更新を再開し、ようやくアクセスカウンターの回転も早くなってきたところで、本当に申し訳ございませんでした。
 以下、長文となるので、真っ先に皆さまが心配してらっしゃることを書いておきます。「田村謙治はしっかり年金保険料を払っております」

 さて、昨日の福田官房長官辞任に驚き、「菅代表も追い詰められる可能性が高くなった」と思ってはいましたが、今朝の各紙の一面はそろって「菅代表、辞任不可避」といった見出しが躍っていて、これまた驚きました。土曜朝8時からの日テレ系「ウェークアップ!」(文珍さんの司会ぶりが絶妙で、コメンテーターも私が好きな人が多く、お気に入りの番組)も見ましたが、菅代表は文珍さんにとことんまで追い詰められていました。
 自民党・民主党に続出している年金保険料未納には、主に3つのパターンがあります。
�ー匆饋佑砲覆辰榛檗△△襪い浪饉勸�を辞めて厚生年金を脱退した際
 (議員となる以前)に、国民年金への加入手続きをしなかった
��85年以前に議員初当選と同時に国民年金から脱退し、86年4月に
 議員にも国民年金加入が義務付けられたにも関わらず、加入手続きを
 取らなかった
�3嬶修篝�務次官に就任した際に、医療保険は公務員共済に入るため、
 年金も共済に入るものと勘違いして国民年金から脱退してしまった
�,筬△蓮�国民としての義務を果たしていないという意味で、責任は非常に重いです。まさに脱税と同じで、罰則が無いという違いがあるだけ。それに対して、��は、手続きを代行した人(秘書など)が勘違いしたケースが多く、ある程度、同情の余地はあります。ちなみに、中川昭一大臣、福田前官房長官、鳩山前代表は� ⊃�代表や石破防衛庁長官は��に当たります。
 そういったところを理解してもらおうと、菅代表もテレビ出演を重ねているのだと思いますが、しかし、です。

 自民党閣僚の年金未納が発覚して以来、菅代表は「未納三兄弟」というフレーズをはじめ、厳しく彼らを批判しました。私も、菅さんの日頃の舌鋒についてはあまり好きでないことも多いのですが、「未納三兄弟」というネーミングは、センスがあるなぁ、と素直に喜んでいました。ただ、年金未納を批判するからには、当然、自分自身に未納が無いことを事前に確認しなければなりません。もし、事前に確認して、自分にも未納があることが判明したなら、すぐに公表しないまでも、「未納三兄弟」といった自民党批判は、他の人(岡田幹事長や枝野政調会長)に任せるべきだったのです。ある意味、菅代表は自ら墓穴を掘ってしまったのです。
 年金未納の3パターンを、国民の皆さんに理解してもらうことは不可能に近いと思います。そして、何より、国民の野党に対するイメージは、ほとんどその代表に対するイメージで決まってしまうのです。
 「ウェークアップ!」でも、森田実氏が「菅代表が外遊から帰国した直後、菅代表の側近に、すぐに辞任した方が、後の菅さんのためになる、と進言したが聞き入れられなかった」と言っていました。そもそも、いくらゴールデンウィークだからといって、自らの年金未納を発表して海外に行ってしまったことも含め、菅代表は、自らの危機管理、タイミングを誤ったのではないでしょうか。
 言うは易く、行うは難し。私も、将来の自分のためにも、しっかりと今回の事の成り行きを見守り、胸に刻みたいと思っています。

 さて、本題?の私自身の件ですが、私は、一昨年7月に財務省を辞めるまでは国家公務員共済年金、財務省退職直後から半年間は、議員秘書共済年金、そして、一昨年末に議員秘書を辞めた直後、清水に引っ越す直前に、自ら市役所で国民年金の加入手続きを行いました。
 日本の近い将来の財政危機(もちろん年金崩壊を含みます)を真剣に憂えている上、そもそも選挙という「バクチ」を打つ身で、老後の年金のことは全くあてにはしていませんし、収入もなくなって、保険料の重みをヒシヒシと感じましたが、国家を背負う議員を目指す人間として、国民の義務を果たすことは最低限守るべきことという認識は、当時から持ち続けています。

PS 4月11日の日記を追加しました。


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