貞子。(早矢花)のきまぐれ日誌

2008年12月28日(日) 葬式セレナーデ Epi.2

でんでんでーんでーででー♪でーででー♪
でんでんでーんでーででー♪でーででー♪


昨日の続きですので苦手な方はスルーしてください。














ok?










朝8時頃起床。
20畳くらいあるひっろい畳部屋に布団ひいて
家族で雑魚寝してたせいで一瞬「ん?旅行?」と勘違いしました。(バカ)
いわゆる遺族っていうのには3回ほどなったのですが、
いずれも朝ごはんに食パンが出て来たっていうのは
わりとデフォルトなんでしょうか。
久しぶりの食パンウマーーでした。


この日も朝からなんかバタバタしてました。
姪っこを妹夫婦がお風呂に入れている間に、こちらは喪服にお着替え。
母親は着付けの人が来てくれているっつーのに
「ごめん、ちょっと待ってもらって」と行って
襟をつけていました。
…そういうのは先につけておけ…。


ふらふらしながらも12時前にはすべて準備完了。
13時から告別式だったのですが、
11時半すぎにはすでに弔問の方が見えて受付をしました。
幸い今日は伯父の知り合いの方が受付を引き受けてくださり、
葬儀にずっと参列することができました。


そして、開始。
開始時間になったと同時になぜか会場内が暗くなる。
え?何事よ??と思ったら、故人の思い出を偲ぶということで
今まで遺影を映していたディスプレイに
妙なプロモーションビデオ?が流れ始める。
中身は四季折々の風景をバックにうつる祖母の写真の数々。
そしてよくわからんナレーション。
(ちなみにちっとも故人には関係ない。)
あー…昨日、葬儀会館のおじちゃんが写真を選んでいたのは
このためだったのね…。
しかし、アタクシ自身はこういうの好きじゃないので、
正直微妙だった。
たぶん喪主である伯父も「なんじゃこりゃ」って思ったと思う。


父方の祖母の葬儀の時も思ったのですが、
最近のこういう演出過多の傾向って好きじゃないです。
素晴らしい式にしたいと思うのはいいのですが、
その方向性をまちがってないか?とも思うのです。
葬儀会館の競争も激しいのはわかるんですが、
これで本当に故人を偲ぶことができるの??って感じです。
粛々と礼を尽くして行う単純だけどわかりやすい式じゃだめなんですかね。


早くこんなビデオ終わらんかなーと思っていたら、
5分ほどで終了。
ここからは普通の仏式葬儀でしたので割愛。
あ、うちのあたりの葬儀でよくみる「ちんどんじゃらー」っていうのは
ありませんでした。
やっぱ地域差ってあるんですね。


母方の実家は宗教的に面倒くさい家でギリギリまで仏式でやるか、
神式でやるか無宗教の形式でやるか、迷ったらしいのですが、
亡くなる前に祖母が「うちは●●で」といったらしいので、
結局仏式に落ち着きました。
きっとそのほうが参列してくださる方も余計な緊張を強いられずに、
自然な気持で最後に立ち会っていただけたと思います。


その後、最後のお別れということで、
棺の蓋を開けて花を祖母の周りに飾りました。
祖母はこの年代にしては体の大きな人でして、
まったく派手な人だったなぁ、としみじみ思いだしていました。
何気なく触れた、「髪ぃさん、行ってくるわ」と言ってはきれいに染めていた髪も
根元の白髪が目立っていました。
その時に初めて、祖母が白髪だらけの一人の老女だった現実を突き付けられたような気もしました。
かといってそんなさびしげな印象はまったく思い出せない。
なんとも不思議な人でした。
そして、あまりにも自分の道を行く人でした。


焼き場は道をはさんですぐ向こうにあったのですが、
なぜかマイクロバスに乗り込みました。
…別に乗らんでもよいのでは??(苦笑)
ありがたいことに最後の最後の焼香をあげてくれた方も見えて、
祖母を本当に慕ってくださる方がこんなにもいた事実に
また驚きを隠せませんでした。


炉に入れる前に、これが最後と顔をのぞきました。
何が変わるでもないのですがね。
いつもはきつい母もこのときばかりは泣いていました。
何かといえばすぐにキツい言葉で祖母を威嚇したりケンカ越しの
会話しかしていなかった母ですが、
やはり自分の母(祖母)を失ったという事実は悲しかったようです。
ちょっと意外でした。
私自身はそこまで遺体との別れには未練はありませんでしたので、
あっさりしたものでした。


正直、悲しくはないんですね。
でも、愛着がないわけでもないんです。
かといって気持ち悪いとかそういうのはないんです。
死んだらそれは肉の塊というか、
それはぬけがら、というイメージでしょうか。
そこには魂がない。
だから遺体に対して執着がわかない。
死んだら終わり、なんだなーって。


焼きあがり(…)には二時間ほどかかるということなので、
炉に遺体を入れた後はまた葬儀会館の控室に戻って
遅い昼ごはん食べてました。
もぐもぐ。
その後連絡があって、また焼き場へ。
今度は徒歩で(笑)
そしてしばらくロビーで待ってから、収骨室へ。
運ばれてきた遺骨はやっぱ崩れてました。
というか、入れた果物が形そのまま炭化しとるwww
お世話してくださる方が丁寧に説明してくださった後、
遺骨を骨壷へ。
お世話の方がつま先から順番に収める骨を選んでくれるので、
違い箸(一本は竹と一本は木)でお骨を納めていく。
ちなみに親族少ないので、ぐるぐるローテーション。


すべて収め終わった後、また引き返して今度は初七日。
初七日中、隣に座ったオヤジがいびきかいて寝てたのは
きっちりその後の夕食でバラしときました。
ケッケッケッケ。


あ、忘れてた。
ホスピスのお医者様、看護士さんボランティア他みなさん、
最後までありがとうございました。


ということで。
以上が年末冬コミに行けなかった理由でした。
大阪は行くー。



2008年12月27日(土) 葬式セレナーデ Epi.1

あー…。


冬コミ参加された方、お疲れ様です。
そして明日最終日、頑張ってくださいねー★


さて、私といえば。
冬コミ前日26日。
お仕事の最終日の夕方、家から連絡がありまして、
母方の祖母が亡くなったことを知りました。
知らされた瞬間思ったのは、


ばあちゃああぁん!!
タイミング悪ぃいいいぃorz!!


でした★(ひどい孫でゴメn)
以下、葬儀などの話になるので苦手な方、
自分の祖母が亡くなったのにどうしてそんなに軽いんだ!(怒)って
思われるお優しい方は読まれないでください。








おk?









祖母の容体は12月になってからかなり悪くなっていたので、
年末年始もつかな?いうのは言われてました。
でも、なんか祖母が逝くのは1月だろうなっていう妙な確信があったので、
冬コミは絶対いけると思っていたのです。
だからチケットとかHTLとかも普通に手配してた…。
でもやっぱ人の生き死には思惑どおりにはいかないものでして。
HTL代、泊らないのに前日だからCXL効かなくて、
全額支払いですよorz
もったいない…。
飛行機は場合によっては料金が返ってくるので、
(時間はかかりますが、死亡診断書のコピーを提出すればたしか
全額代金戻ってきたはず)
そういうふうに国内のホテルも返金してくれたらいいのに…。


それもあって、とりあえず家族と連絡取った後は、
知り合いに急いで連絡してHTLやチケットの調整で電話しっぱなし。
…思いっきり勤務中だよorz
おかげで終礼ちょっとだけ遅刻した。(爆)


父親には早く帰ってこいみたいなことを言われたのですが、
先に行った母に「ちゃんと仕事してからおいで」といわれたので、
とりあえず引き継ぎ(実は翌日午前中のみ休日出勤予定でした)して
定時に上がりました。
帰宅してその足でまた名古屋にとって帰って、
Mさんにチケットと書類を託しました。
Mさん、ありがとうございました。


翌日27日、早朝に父の運転で一路母の実家へ。
代引き生キャラメルの出荷報告のメールが前日届いていたので、
車中で慌てて運送会社に連絡して、営業所引き取りにしてもらう。
しかしこれがのちにプチトラブルになるとは、
お釈迦様でもしるめぇ。
ちなみに途中吹田JCT過ぎたあたりで事故渋滞にも巻き込まれた(’Α‵)ウヘェァ


昼過ぎ、葬儀場到着。
荷物下ろして入ったら、なんと別の葬儀の真っ最中。(汗)
慌てて迂回して控室まで行ったのですが、
親族控室の近くにエレベーターなくて全部荷物を階段で持って上がった!!!!
ヲイ!!!!(怒)


荷物下ろして一息ついたところで、祖母と対面。
…あ、あれ??ばぁちゃん、こんな顔だったっけ??(汗)
あのなんか眉毛りりしいんだけど。
なんかずいぶんきっちりとした死化粧をしてもらっていました。
あと湯浴みをしてくださったそうで、
頭髪も丁寧に洗髪してくださったそうです。
だからきれいでした。
生前の祖母は大変きれい好きでしたので、
入院中は自由にお風呂に入れないのを気にしていました。
だから、うれしかったんじゃないかなー。
ありがとうございました。
そういえば、仏様の湯浴みは最初に桶?に水を入れてから
お湯を入れるそうです。
生きてる人間とは逆のことをするとか。
はーなるほどなーって思いました。



とりあえず通夜は夜6時からだったので、しばらくはまったり。
祖母の棺があることも気にせず、弁当広げてました。(爆)
広い畳部屋だったので、ご飯食べた後はみんなでごろ寝までする始末。
どんだけフリーダムなんだよ、うちは。
遺影用の写真を取りに帰っていた伯父も合流してくっちゃべくっちゃべ。
ちなみに私はおなか減ってなかったのでご飯食べずに、
ごろ寝もしませんでした。
お茶飲んでまったりしてた。


3時過ぎになると、控室をまた移動するということで荷物を持って、
葬儀場により近い控室へ。
このときに一度棺のふたを開けて、
個人の遺品を中に入れました。
中に入れたのは、生前祭事で使っていた祖母の緋扇と、着物と白袴。
何度も祖母が着て手にしていた姿を見ていたものです。
ここ1年は手にすることも袖を通すこともありませんでしたが。


すべて収めるとあらためて移動。
そこでもまたまったりしていたんですが、
4時半ぐらいから用意や説明があるというので、じゃ準備しようかね、と
思い立ちました。
さぁ着替えようと家族の喪服一式の入ったスーツケースをあけようとしたら…。


ちょ、鍵かかってるww


私「ちょっと!スーツケース鍵かかってるんだけど!!鍵どこよ!!」
父改めバカおやじ「え?鍵なんか掛けてないって」
私「んじゃー、開けてみろ!」
父、スーツケースに手をかけるも、うんともすんとも言わず。
バカおやじ「え?え??なんで、鍵かかってるの?貞子、かけた?」
私「かけるワケねーだろ!!!!(怒)だいたいスーツケース触ってねーよ!!」


…もうね、バカじゃねーの?と。


喪服は母が家族の分一式をひと月以上も前に用意していたもので、
その時は私も手伝ったので覚えているのですが、
鍵なんか掛けてなかったんです。
なのにどうも父親が車に積む時に、鍵をかけて
あまつさえそのカギをどっかに置いて忘れてきたんですな。
慌てて全部身の回りひっくり返して調べていましたが、
出るわけなかんべ、と。
一人テンパる父親を冷たく見る私と母。
(弟は読書中でわれ関せず)


結局、父と弟で鍵110番みたいな所に持って行って、
あっさり開けてもらいました。


ちなみにそのあと父は乗ってきたウチの車のキーをなくしていました。
…いい加減にしろよ?(怒)
あ、無事見つかりました。


こんなマヌケな事件がありつつも、
予定時間に通夜は始まりました。
……まぁ、実際にはこれ以上にどうかしてることがあったんですけどね。


あぁ、そうそう。
通夜の最中に父親が出てきたのでなんだろう?と思ったら、
(私受付してました)
「運送会社が荷物持ってきて、親戚が立て替えた」ということで、
連絡があったそうです。


ヲイ!!飛脚!!!!(怒)


もう、呆れました。
朝、連絡して「大丈夫ですよ」と言ったクセに。
営業所引き取りに変更ですね、って、
向こうも言ったのに。
挙句親戚のうちまで凸して、立替までしてもらって。
もうね、腹が立って仕方がありませんでした。
なんのためにこっちは先手打って連絡したのかわからんじゃないか。
というか、今月数回飛脚が荷物届けたんですけど、
その3回ともやられたんですよ。
1回目、宅配漏れで業者から指定のあった日付から丸一日遅れ。(ちなみにこのときは理由説明と謝罪あり)
2回目、時間指定(18-20時)を21時半ごろ持ってくる。謝罪&理由説明なし。とにかく受領サインくれくれ。
そして、今回の3回目。
あんまり腹立ったので一応今日(28日現在)クレーム入れました。
なるべく穏便に話そうと思ったが、
しゃべってたら過去に飛脚にされたあれやこれやを思い出して、
怒りで手が震えてた。
ま、それは置いとく。


通夜の最中にそんなことがありつつも、
なんとか終了。
たまに坊さんが読経中、ごほ、とかむせてたけどそれは…スルーしよう。


そういえば地方差なのでしょうか?
お通夜の後に参列してくださった方皆様に、
「通夜菓子」なるものをお渡ししました。
これは関西では一般的なんですかね?
アタクシ自身は東海地方なので、こういうのは初めてでした。
会葬御礼とはまた違っているようでしたし。


終了後は遺体とともにまた親族控室へ。
メシ食ってだばだばして、
この日は葬儀場で一晩泊まりました。
風呂までありましたよ。
自宅の風呂より広くてきれいだったので、
なんとなく嬉しかった。(えー)


つづく。



2008年12月26日(金) 仕方なし。


祖母の通夜と告別式に行ってきます。


冬コミ行きたかったなー。orz



2008年12月22日(月) はいほーはいほー


しごーとがすっきーーー♪


いや、そうでもないか。
普通です。
いやではない。


んーーー!!やっと原稿から解放されて、
(というか同人だから自主的にやってんすけど)
久々憂さ晴らし?にお洋服買っちゃいましたーーーーー!!
いつも買うところじゃないとこで。(爆)
お店のお姉さんに見立ててもらいながら、
「じゃ、コレ一式で」「え?」みたいな。
すごい丸投げな客でスミマセン。
でも、この和柄ゴスは初めてなので、戸惑ったんすよ。


今月だけでどんだけ無駄遣いしたのか、
考えるだけで恐ろしいのですが、恐ろしいので考えるのはやめます(爆)


ストレス溜まってるというか、
たぶんイライラは溜まっていたので。
だいぶすっきりしたーーー。
新しくお洋服も買ったし、これで冬祭典に着ていく洋服は確保ーーーwww


話変わるんですけど。


最近、Gothic Electro(Dark Electro)っていう音楽のジャンルにはまっていて、
毎日「L'ame Immortelle」っていうグループ?のアルバムばっか聞いています。
正直このジャンルはわからないので「?」マークだらけ。
アーティストもこのグループしかわからんし。
それ以前に読み方わからんし。(爆)
でも、面白い。


インダストリアルやエモ・スクリーモ系はよく聞くのですが、
思うに欧米はものすごく音楽のジャンルが細かくて、
住み分けがきっちりしているのですね。
それがいいか悪いかでなくて、きっとものの考え方とか
そういう性質っつーか文化なんでしょうけど。


とはいえ、ワタクシ洋楽信者ではないんですよ。
自分の好みの音楽とかジャンル?を選んでたら、
こういう風になっちゃった、ってだけで。
邦楽だって聴きます。
ただ邦楽は気に入ったアーティストしか聞かないので、
メジャーどころやヒットチャートの曲は知らんし、
興味がないのです。。。
邦楽は声や音楽がきれいな楽曲がいいです。
じっくり聞きたいっていうのもあって日本人じゃないと嫌なんでしょうね。
言葉をかみしめたいときとか。
洋楽は何言ってるのかわからんというのもあって、
9割雰囲気で聞いているので。


今年はまったくタイミングが合わなくていけなかったので、
来年はまたSTIGMA行きたいなー。



2008年12月13日(土) 御無沙汰です。

ども!こんなに日記書かなかったのは久しぶりっす。


で、現状報告。


何も進んでませn(殴)


あと一週間足らずで、一冊分仕上げるなんて無理だお。
今の今まで何してたん!?って感じでしたが、
だらだらしてました。
ワード起動させても全然。だめだめだった。
P4にめっちゃはまってしまったというのも敗因。


あと、土日、家の都合で外泊してたこともありますしね。
そのことに絡んでちょっと落ち込んで、
何もかも嫌になってた時期もありました。
別件で疑心暗鬼とか自己嫌悪になってたのもあって、
ちょっと落ち着けませんでした。
やらないよりかはマシかと思うので、
今日からやれるだけやっていこうと思います。
…やれるだけ。


あ、でも土日の外泊している間に、
姪とちょっとだけ遊んでました。
(妹と姪と一緒にいたので)
姪はいないいないばぁができるようになっていました。
といっても、いないいないばぁの声に合わせて、
腕を上げ下げするだけですが。


赤ちゃんはかわいいなーと思いました。
でも、短期間かわいいところだけ見てるだけなので、
はっきり言って自分の都合のいいところしか見てないんですね。
だから、やっぱり赤ちゃん、子供を育てるとか、
過程を持つというのは自分には無理だと痛感しました。



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