貞子。(早矢花)のきまぐれ日誌

2001年07月28日(土) 長野に、

行ってまいりました。
ピエロちゃんの長野公演を見に。

名古屋を10時半頃出発して、
乗り換えに次ぐ乗り換え(しかも鈍行)のため、
JR長野駅に着いたのは午後3時頃。(吐血)
途中で寝てしまっても無理はあるまい。

長野県民ホールは駅から徒歩15分もかからないところにあったのですが、
いかんせん住宅街の中を通っていかなければ行けないので、
微妙でした。
だって、普通の住宅街の中を、
黒尽くめのゴスパンやロリィタ、さらにコスプレの女の子達が
ぞろぞろ歩いていくのですもの。
すごいぞ、ある意味。

会場行ったら、とりあえず御着替え。
この日のために買った、黒いベビードール(下は乳バンド・死)に
着替える。は、恥ずかしー!!!!(滝汗)
あーもー、警備員さんが驚いて目を向くのもわかるさ!!
でも、上には上が居るもので、上半身乳バンド一丁の人もいた。
プロポーションがよかったので、いいもんみたわ。(最低)

曲目は前回のツアーとそんなに変わらなかった。
PRIVATE ENEMYの曲もやったし、FINALEの曲もやったし。
(イカロスとか、CHILDとか。)
アドルフも鬼と桜もやったしー。
アンコールの曲目もパターン化してるみたい。

だけど。
ピエロのライブの凄いところは、
あのファンの統率感というか、崇拝っぷりというか。
見事なまでにファンがピエロという存在に心を奪われているところ。
あの雰囲気はもはやライブというより、
宗教家に盲目的なまでに従う信者のようです。
異様な風景ですよ、みんなが一挙一動曲に合わせて
振り付けをしている光景なんて。
もっとキ**イになっちまえ!!とか言われて、
きゃー!!!!なんて叫んでる自分の彼女や彼氏、子供の姿みたら
絶対私ならいやだと思うぞ。(笑)
アドルフとか凄いもんなぁ。
会場全員で、卍切ってGOTO HELLなんてやってる様見たら、
ここは黒ミサかはたまたサバトか!?って感じだもんにゃー。

今回はちょっと押さえてヘドバンしてました。
だって、翌日のこと考えたら…。(汗)
ライブ後ヘドバンしすぎて、自力で頭が支えられないんですよ?
それはちょっとキツイ。

あぁ、去年末以来だったから、
すっごい楽しかった!!
んー8月の名古屋行きたいけど、平日だし…(困惑)
あぁー、でも行きたいにょ。

そういえば、アタクシ。
神経がワレタ/ワレル暑い夜もプライベイトエネミーも、
買ってないわ!!
だめだな、こりゃ。




2001年07月26日(木) さようなら。

25日が通夜で。
葬儀場に午後17時頃到着。
それから、喪主である父親がばたばたと打ち合わせをしている中。
私と急遽帰省した妹で、壇上に設置された祖父の顔を改めて見た。
変わらなかった。
時間が経っているせいか、少し俯いた首や下顎の肉にかけて、
死斑がずっと広がって濃くなっていた。
それだけ。
何か、変化があるかと思ったが、何も無い。
あたりまえか、死んでいるのだから。
変わらないね、死斑が広がってるだけだね、と妹の方を振り向いたら、
喪服の上に滴がぱたりと落ちて。
妹が泣いているのだとわかった。
それだけ。

火を絶やしてはいけないというので、
親族交代で火の番をする。
だけど、12時前くらいに一度家に帰って
風呂に入ったら、どうにもこうにも眠くて。
妹が入っている間、仮眠を取る。
泥のように眠って、それでも寝たりないので、
葬儀場に再び戻って、また寝た。

翌26日。
8時頃起床。
眠くてぼんやりしていたら、
早く着替えろといわれて慌てて喪服に着替える。
化粧をしたり買い出しに行ったりしていたら、
告別式1時間前になり、会場へ。
告別式や記帳の打ち合わせ、親族弔問客の応対で父親が動き回っている頃。
私は私でなぜか焼香客の追加をしたりなんやかんやしていた。
なぜ。
11時。告別式。
7人も和尚が来て、念仏を唱えて始まる。
一通り、読経がすんだら親族の焼香。
その後で弔問客の焼香。
叔父が香典泥棒の夢を見たというので、
時折、受け付けを見ながら、香典泥棒を警戒する。
(この人の夢は警告もしくは正夢の事が多い。)
最後、段取りを間違えて、父と祖母が最後の読経の前に
2回目の焼香ををしてしまい、会場の人が慌てて間違いを指摘していたが、
んなこたモー遅かった。
結局3回してたぞ。
最後に喪主挨拶をして、終了。
挨拶の途中で父が喉を詰まらせた。
芝居じみているようで白々しいような感じがして気持ち悪かった。

出棺の前に最後のお別れ。
私は会社を代表して弔問に来てくださった課長に挨拶。
その間に棺は開かれ、花をみんなが手向けはじめていた。
シクラメン、ゆり、菊、カーネーション。
燃やしてしまうのに、飾り立てるのどうなんだろうと、不思議だった。
大おばさんやおばさんが祖父の頬や顔をなでるので、
私もなでてみる。っていうか、触ってみる。
ドライアイスで腐敗対策してあった所為か、
触ったらぐにぐにして冷たかった。
ゴムボールみたいな感触。
結局、肉の塊にしかすぎなかった。
眼球のあたりも触ってみればよかったかもしれない。
もっともカバーがかけられていただろうけど。
大おばさんが顔のところに特大のゆりを飾ろうとしていたので
「顔が隠れちゃうって」と突っ込んだら場所をさがしてうろうろしていた。

12時。出棺。
棺に手を添えてがらがら動かして、霊柩車へ。
その後からチャーターしたバスに乗って焼き場へ。
20分ぐらい走って到着。
総大理石のでかい建物。
出たらすぐにお別れ場みたいなところへ行き、
一人ずつ安寿さんが読経する中線香を一つずつささげる。
電動機械仕掛けの台車で係りの人が棺を動かし、
いよいよ釜の中へ。
ガラスで仕切られた釜のならぶホールは人数は5人まで。
その他の人はガラスの壁の外で棺が釜の中へ入るのを見ていた。
もちろん、私も。
ガラスの向こう側で父と母と祖母と弟(喪主の長男なので)とおばが
最後を見送っていた。
係りの人がボタンを押すと、棺は上に上がり
モーター音を響かせながら釜の中へ入って、扉が閉まった。
そして、焼きあがるまでの間待合室で
ぞろぞろと昼食、休憩を取る。

途中で焼き場を覗きに行く。
白と灰色の大理石とガラスで覆われたそこは
ひどく無機質で、思っていたような
肉や髪が焼けるにおいはまったくしなかった。
うちの名前が書かれたプレートの上に
ぼんやりとルームランプのようなライトがともっていて、
こんなところでそんなムードを出してどうするんだ、と思った。
焼き場を一人で見れば少しは泣けるか?とおもったけれど、
やっぱり泣くこともなかったし、祖父を亡くしたという
感傷も沸いて来なかった。

親戚と楽しく談笑して4時ごろ。
火葬が完了した旨を放送でしり、安置室へ。
先ほどの電動式の台車の音がしたかと思ったら、
反対側の入り口からもうもうと煙が立ち込め、
からからに焼きあがって崩れ落ちた祖父の遺骨が運ばれてきた。
おそらく遺体を支えていたと思われる鉄格子のような台の上に
砕けずに残った大腿骨や頭蓋骨を退けると、
台を取り去り、
まず係りの人が砕けた骨の中からお舎利さんを探し出し、
丁寧にガーゼでくるんで納骨した。
奇麗なお舎利さんですよ、と言って見せた白い骨に、
祖母や大おばたちは「本当だ、りっぱだー」と声を上げていたが、
その白い骨に、何をそれだけ声を上げる事があるのかと
正直不思議だった。
その後、かけはしで祖母と父が骨壷に最初の一つを納骨すると、
後は一人づつ一個ずつ納骨をしていった。
私が収めたのは多分背骨。
学生時代に理科の資料集や標本で見た背骨と同じ形をしていた。
目を向ければ、太い大腿骨や砕けた骨の残骸からはいまだ白い煙が立ち昇り、
ぶすぶすと音を立てて部屋中が白く煙たかった。
ある程度納骨すると、骨壷を半紙で区切って、頭蓋骨をいれる。
またも係りの人がはしを頭蓋のひびにそってコツコツと突き刺すように突き立てると、ぱり、とまるで蓋が開くように頭蓋が割れた。
割れた瞬間に中が見えて、茶色く焦げ付いた後が見えた。
脳みそが焦げて焼き付いたんだろう。蛋白質だし。
蛋白質の塊はきっと黒く焼けて焦げ付き蒸発してしまったんだろう。
残る頭蓋もからからと乾いた音を立てながら納骨されていった。
高温で焼いたあさりの貝殻みたいだ、と思った。
最初にのこした頭蓋で蓋をするようにかぶせると、
骨壷は丁寧に蓋を閉められて布をかぶり、
あっというまに小さくまとまってしまった。
残った骨は年に2回ざんぱい供養(文字わからん)で供養されるらしい。
来た道をもう一度モーター音を響かせながら残った骨は戻っていった。
衰えることなく白煙を上げながら。

すでにひどい勢いで降り出していた雨の中、再び遺骨といっしょに葬儀場へ。
着いたらついたで休む暇もなく初七日法要へ。
坊さんと安寿さんが読経する中、
あまりにも眠くて思わず船をこいで、挙げ句居眠り。
最悪だ、この女。(爆)
坊さんの説教中も寝そうになってたし。
だめだ、こりゃ。

その後、食事をして控え室を掃除して帰宅。
卒塔婆やら骨壷やらなんやら全部つんで私が運転していった。


結論。
人間死んだら終わり。
明日は会社だー。






2001年07月24日(火) この暑い日に。

祖父が逝きました。
会社に入ってからというもの、朝がとても早いので
ここ数ヶ月、全然、まったくあっていませんでした。
入院していたことも知りませんでした。
こんなものでしょうか。

朝、出勤の支度をしていたら、
病院から祖父の心肺停止の連絡が入り、
父と祖母が行って。
私と母は家に残って。
笑いながら、「今、逝かれちゃうと、かなり困る」と
話していました。
だって、LSHも夏コミも楽しみですから。
で、電車のって、最寄りの駅を降りて会社の迎えの車に乗り込もうとしたら、
携帯がなって。
祖父の訃報が伝えられました。
すぐに引き返して、反対の電車を待つ間、
会社に連絡を入れて。
さすがに、指が震えたかなー。
力が入らなかった。
すぐに戻ったけど。

私の喪の儀式はこの一瞬で終わったような気がする。

で、後はもう怒涛のように。
病院行って、祖母を透析に送っていって、
銀行行って、家に帰ったら本宅を掃除して。
4時くらいに本宅に仏が戻ってきて。
数週間ぶりに見た祖父の顔は、すでに死斑が出始めていて。
太ったなー、とかもみ上げが伸びてる、とか
おだやかな死に顔なので眠ってるみたいだ。とかいろいろ考えておりました。
ところどころ皮膚には紫がかっていて、
「棺の蓋は開けないでください」と葬儀屋サンが言っていた。
夏だから、腐敗防止にドライアイスが入っているらしい。
小鼻の周りにおしろいが溜まっていたのは愛敬か。

悲しいという気持ちはない。
というか、私の夏の計画はどうなる、とむしろ
人でなしの感情が湧いてきております。(最低)

それはそれ、これはこれだろ?

初盆はどうしようとか思っているんだけど、
最早東京に行く気満々なので、なんといわれようと
行くつもりです。

そのかわり、四十九日なんかはしっかりと。
ごめんね、じーちゃん。
あなたの孫はろくでなしの上に腐ってます。

夏だし。

薄情と思われても仕方が無いほど、
私の中では悲しみや寂しさがないのもまた事実。
それをすべて犠牲にしてまで優先したいと思うこころがないのも
また私という人間の性ということでしょうか。

ということで、盆だけは見逃してくれ!!

明日は本通夜です。
泣いていないと変に思われるかなー。



2001年07月21日(土) 今年の夏はB級ホラー★

LSHのチケットが来たー!!!!(嬉)
しかも、なんかデカイから一瞬何が来たのかわからんかったっちゅーねん。(爆)
いえ、単なる予約特典ちゅーか、ビニールバック…??
橙色の紐とプリントのそれはでかでかと
「LITTLE SHOP OF HORRORS」と書いてあるのです。
使い道がありそうで、無さそうです★

そして、問題のチケット。
今回、実はさして期待はしていなかった。(爆)
っていうか、この数ヶ月の間にすっかり
51萌えしていたあたしは、ヒロに対する愛が若干薄れていたので。
(…ごめんよごめんよ・涙)
そしたら、あんた!!!!
東京3公演取ってすべて一桁台の席よ!!??(驚愕)
しかも、4日の昼公演なんて、3列目ど真ん中ー!!!!(吐血)
きゃああああああ!!(狂喜乱舞)
1月のBTの時だって、ど真ん中取れたけど5列目だったわよ?
あのパルコ劇場のキャパで5列目取れただけでも生唾もんだったのに!!
今回の天王洲アートスフィアで3列めの真ん中!!
ちなみに2列目の通路側も別日程で押さえることが出来たので、
もう今回のチケ取りは大成功といっても過言ではないでしょう!!(悦)
それとも、何かしら?
あたしごときがそれくらい良い席を取れるほど、
人がいないってこと…?(あまりのことに困惑)
それとも何よ?
この先のあたしの運勢使いきったって事?(疑心暗鬼)
…うがーーーー!!!

そう、後9月のヒロのライブ。
大阪で日曜日行こうかどうしようか迷っていたんだけど…
やっぱり行く。(爆)
待ってたんだからー!!!!待ってたんだよー!!!!
去年のアンプラグドから1年経ってんだよー!!
待たせやがって!!コノー!!(涙)
多分途中で引き上げることになると思うけど、
それでもいいから行くー!!

てか、久しぶりだわ、日記書くの…。
余裕があったらこの間のことも書いておこうっと。



2001年07月14日(土) ロリィタは楽しい。

確か、あたくしは先先週もメタモル名古屋店へ行って
1.5万円の秘密セットを購入した気がするんですけど。(汗)

けれど、もう学生時代みたいにロリィタで普段から通勤したりすることは出来ないので。
なるべく土日はロリで居ることが多くなっている。
だから、ロリの御出かけはすっごい楽しい上に嬉しい。
ということで、早速セットものでGO!!
黒のドレスハットもつけて、夏使用で御出かけした。
かめのさんが誘ってくれなきゃ、行けなかったわー
ありがとう、かめのさん。

ここんところ一ヶ月に一回は必ず顔を見せているおかげで、
お得意さんになっているらしく、
店員さんに気さくにお話をしてもらえる。
夕方の4時頃に行ったにも関わらず、
暖かく迎えてくれた。
店内はセールの余韻で結構人がいて、忙しそうだった。
ディスプレイしてある水玉の姫袖のブラウスとスカート、ケープが
かわいかったー。
ピンクのゴブランのビスチェセットを買って以来、
すっかり色柄ものにも興味を持つようになってしまい、
あんななに頑なにゴスロリだったあたくしが
純ロリや水玉を着てみたいと思っている。
さすが新世紀だね!!(意味不明)
で、ちょっと冒険してみようと思い、
なんでこのくそ暑い真夏にと思われるような、
ゴブランのしかも長袖のワンピースを試着してみることにする。(暑ー!!)
最初は青ゴブランを着てみようとねらってたのだけど、
ハンガーを漁くっていたら、ブラウンのものを発見。
その風合いに惹かれて鏡の前であわせてみると。
青や赤よりも控えめでかつエレガントな雰囲気を漂わせたその色合いが
気に入って、それを試着することに。
かめのさんも推してくれたおかげで、思い切りよく着てみた。(笑)
で、実際鏡の前で見てみると、自画自賛だけどドール系入ってイイ感じ。
かめのさんも店員さんもいいよといってくれたので、
その口車に乗ってとりおきをすることに。(馬鹿!!)
ブタもおだてりゃ木に登るとはこのことである。

かめのサンはパステルピンクのカントリーっぽい
姫袖のワンピを試着。
これがまたひどくカワイイうえに似合っちゃうからかめのさん。
あたいはどう逆立ちしても、こんなにピンクを可愛く着こなすことはできないので、いつも実はうらやましかったりする。
着てみればいいじゃないか、と思われるかもしれないが。
そこはそれ。
頑なに思春期を黒一辺倒ですごしてきた女が急にラブリーになるわけがない。
こういうのって、性格もあるんだよな。

そうこうしているうちに、閉店時間が近づいてきていたので
おいとますることに。
で、そのぎりぎりになって、私はあるものを発見。
それは造花付きバスケットの文字。
それはなんだか限定生産らしくて、しかも材料が入らないと作らないという
かなり気まぐれな代物。(笑)
しかも赤い花に黄なりのバスケットがいいと言ったら、
ぺこさんが直営店全部に電話を入れて在庫状況を確認してくれることに。
ありがとうー、ぺこさん。(涙)
もし入ったら電話くれるといってくれた。
もう充分です、はい。

さてしかし。
あたしはこのゴブランワンピ。
秋まで取っておくのでしょうか??
直ぐ着るに決まってる、どうせ。(笑)



2001年07月05日(木) 仕事が。

滞りまくってるんですよ、これがまた。

んー、私がやらなきゃいけない仕事がですなー。
全部その前提に他の方がその仕事終了していなければいけないのでござるよ。
たとえば、データを全部打ち込んでおくとか、
労働時間を計算して算出しておくとか。
そうでないと、私の仕事が出来ないんですな。これが。
それを基に私の仕事が発生してくるので。
二次的なものですが、非常に面倒な仕事なので、
困ってしまっているでござる。
しかも、締め切りがあって、
月初めから1週間のうちにとりあえずデータを作成して
作表、出力して、社長以下役員に御見せしなければ行けないので。

んー。困っているでござる。

まぁ、他にもやらなければいけない作業があるのですが、
どうもそれをやっていると良い顔をされないのですよ。
なんか、見えないからさぼっていると思われる、という理由らしいのですが。
....んー心外。

くっそ暑い中、クーラーも入れないでひたすら、
ビデオの中身チェックしているなんて
俺くらいのもんだぞ?(黙)
やっぱりラベルを早く仮出力した方がよいのかしら?
見えないからさぼっているなんて思うのは
思う方のかってだしなー。
というか、単に私の要領が悪いだけかも。

どうでもいいけど、
仕事中、どうしても頭の中で「必殺仕事人」のあの、
メロディが流れてしまってどうしようもなくなるのですが。

んー、どーしよっかなー。
んー、困っちゃうなー。
いえーい。


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