+女 MEIKI 息+
DiaryINDEX過去のことさ


2004年12月29日(水) 完全に私信

 「あんた、世間様は浮き足立ってる時だってのに、いつまでシミッタレタ作文を載せてんのよ!」という励ましのメールを頂いた。
 いや、正確には手紙が届いた。切手の貼られた郵便物である。
 (この切手、もしかしたら舐めて貼ったのか?と思うとブルッと一段と寒さが増した)
 しかも花柄たっぷりの封筒に入ったキラキラとしたクリスマスカードに上の文が書かれていたのである。
 驚いたことに「香月七虹」で郵便物って届くもんなんだと、改めて寒心。それ以前に住所を知ってるあたりもコワイコワイ。

 ヤツ(リンダ)も元気らしい。
 ネタが無いから書き出さないのだろうと、自らネタとなってくれた親愛なるオカマよ。大好きだから、もう七虹はお願いしちゃうから家への突然の襲撃はやめてくれろ。
 予防線を張っておかないと、正月早々からまたあの明け方のオカマを見ることになる。

 そうそう、言い忘れたけどね、年末年始は不在だから。
 窓から覗き込もうが留守にして居ないから。いあ、本当だから。
 これだけ言ってるのにせっかく来たのにとベソかいても、それは七虹のせいじゃないから。
 あんたは、腹の出具合がロバートデニーロに似てるという彼氏とじゃれ合っていてください。
 え゛わたし?うっさい!放っとけ!
 あんたに心配されるほど枯れちゃいないわよ。た、たぶん。

 そして、姿勢を正して真剣にお願いがあります。
 勢いづいて、あちこちとチェックしまくらないでください。
 オカマのストカは美学に反するでしょう?ね?
 いい子にしてたら来年早々にでも、お茶しましょうよと誘いますので…切願。




 最近、肩こりを通り越して右手の親指が痺れている。
 ちょうど筋肉注射をされたときのように腕が痛いのである。
 こりゃマウスの握りすぎかしら?と、左手用のマウスに換えてみた。
 その途端に、キーを打つ作業ばかりが続いているので、あまり変化はない。
 深夜にサロンパスを貼り換えたりして、一段と女らしさから遠ざかっている。
 それもあと少しだ!と頑張っているツモリではいるのだけれど、なかなか夜明けが見えてこない。いや、夜が明けると〆切りが近づくのでと、妙に現実的。
 こんな状態で、素敵妄想はなかなか難しい。




 ほんの数分でも声が聴けただけでも嬉しい。
 「明日も居る?」の問いに答えがあるだけで…10点。



2004年12月21日(火) 幾つ季節が流れ往く


 独りで立っているほうがずっと楽だと思うときがある。
 座り込まず、一つのことが流れて往くのをジッと見据えているほうが、ずっとずっと楽ではないかと思うことがある。

 金八先生のソレではないが『人という字は…云々』。
 何かとっても難しく感じる。

 このところ、腑抜けなのかもしれない。


 それは、ずっとずっと昔。
 性根のその裏まで、わたしには眩しく思える男が居た。
 無条件にわたしのことを受け入れようとしてくれたその男から、わたしは逃げた。文字通り、姿を晦まして逃げたのだった。両手を広げ居心地のいい場所を提供してくれていた男に対して、後ろ足で砂をかけるようにして消えたのだった。
 当時は相手に対して、厭な女になれば少しは相手の気持ちもと、いい女ぶっただけの格好つけだったのだと思う。それが人としてどうこう問われれば、最低な行為をしたのだと今でも思う。
 月日は流れ共通の友人の伝で、今は何某かの気持ちや言葉を飲み込んだまま、また会話を交わすようにはなっていた。

 今日、久しぶりに都会の街を歩いた。
 夕食を共にと、友人が誘ってくれた。
 彼女には馴染みの無い街ということで、店選びを任せてもらった。
 その誘いを受けた路のすぐ向かいに、もうずっとずっと昔に通った店があった。懐かしさも手伝って、何の躊躇いもなくその店の扉を開くと、少しだけ老けた店長と料理長が迎入れてくれた。
 飲み物と料理が運ばれほかの客を捌いた後に、店長が席まで挨拶に来てくれた。
 この店長も、そのずっとずっと昔から関わってくれた共通の友人である。店長は、気さくに「今夜、彼は来るのか?」と尋ねた。「今夜、同席した女性は他の付き合いの友人だから」と談笑していると、店長には悪気はなかったのだろう、彼の近況報告を教えてくれた。
 店長はてっきり知ってのことだと思い、話題に出したのだと思う。
 年明け頃に、彼は父親になるのだという。
 子どもが好きで温かい家庭を築きたいと願っていた彼に、念願の子どもが授かるのだと思うと、そのとき泣けるほど嬉しいと思えた。
 そこで、素直に喜びを表しても、また素っ気無い振りをしても、初めて知らされたことに気付いてしまった店長の気持ちのフォローにはならない態度となってしまったが。

 わざわざ電話をしてまで祝いの言葉を伝える必要もなく、彼から切り出した話でないので、わたしは知らないままで。
 そして何より、わたしからの祝いの言葉は彼には不要のものである。


 そうして独りで立っているほうがずっとずっと楽だと思っていた。
 何でも話しが出来るなんて、自己満足なだけで本当には「何でも」は無理なのだと思っていた。いや、今でも少しはそう思うこともある。
 一度でも俯くことや誰かに寄りかかることを覚えたらわたしのことだから、きっとその場に座り込むに違いない。

 ああ、やっぱりと「このところ腑抜けになりそうな自分」が居たりもする。




 相手の都合をお構いなしに、自分の思いばかりを伝えて自己嫌悪に陥ってりゃ世話ない。分かってることが出来ないんじゃガキと一緒だ!と、呟きながらもやっぱり伝えてしまう我侭を、厭きれれられやしないかと想いは行ったり来たり。
 こんなわたしでも、厭きれられるよりは褒められたいのである。
 何も褒められるようなことをしていないのに、図々しいったらありゃしないで…4点。



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