+女 MEIKI 息+
DiaryINDEX過去のことさ


2001年12月31日(月) ゆく年 くる年

 今年最後の更新(タダ、日付が一日違うだけなのにね<新年)
 適度な刺激があって、それなりに良い年でした。

 さて、そんな31日に更新するヤツなんざ早々居ないのかい?
 普段から何人の方が、ここを訪れて下さっているのかも不明なままですが、きっと年末年始は物凄く少ないんだと思います。

 以前に、アクセス分析を見た時に思ったこと。
 午前10時にテレホ開始を上回る人数の方が来てくださってました。
 なにかい?会社で一息した途端に巡回してるのかい?
 そして午後の3時から4時にかけても。
 ほお、眠さ紛らわせるためにネットでしょうか。
 (総て、自分が会社勤めをしてた頃の時間割に当て嵌めてみました。)
 うわあ、仕事しなきゃ来年こそ。

 それを思うと、巡回先に選んでもらってるんだと嬉しかったです。

 ところがここの管理人ときたら、年中休み状態と変りません。
 四六時中繋いでいます。
 しかも、今年最後の更新だよおん!なんてこうして打ちながらも実は、麹で漬け込んだ蕪漬けで酔ってます。たかが漬物で良い感じにポヨヨンとしております。ホッペは真っ赤です。どーも。

 この勢いで、夜中までダラダラとTVの前で紅白なんか観ちゃうと思います。

 ゆく年くる年の頃には、近所の神社で振舞われている甘酒でデロデロに拍車をかけると思います。

 刺激的なことが沢山ある素敵な年になりますようにと、神社に行ってきます。

 皆さんも適度な刺激のあるそれなりに良い年になりますように。


 とても安上がりな酔っ払いは、こんな感じで更新していくつもりでございます。


2001年12月29日(土) ナニも替わらず


 いつもよりちょいと細かいところまで掃除をして、けどそれは決して大掃除ではなく。買い物に行っていつもより多めに買ったとしても、それは正月TVを観ながらダラダラするのに食料確保なだけで。

 何か普段と変わったことをしなくとも、みんなに平等に正月は来るんだ!と、言い聞かせて世間様と同じように年末の慌しさを感じています。

 近所のオバチャンから、畑でとれたばかりそれも巨大な白菜・大根・カリフラワーを貰いました。大根なんてスーパーで売っている葉付き大根のゆうに2倍はあろう大きさの長さ太さです。カリフラワーも自分の頭以上の大きさで2個、白菜は抱えるのがやっとの大きさ2個です。
 じゃ、後は根野菜を買いにとスーパーに行く途中で、他のオバチャンに呼び止められ泥付き牛蒡と、人参を貰いました。

 ふむ、では正月の花なぞをと思い自転車で駅前の花屋に行くと、すでに目ぼしい花は売れてしまっていて、残るはお高い「いかにも正月用」のお花しかありません。
 他の花屋に回ろう。
 その前に、ちょっと珈琲の禁断症状が出たので行きつけの喫茶店に寄ると、先日相談に乗った人が花を店用にと活けているところでした。結局、その残りの花を貰ってきました。

 夕方、仕事を下さった方から連絡が携帯に入り、指定された場所まで赴くと大きな鉢を抱えておりまして、お歳暮という名目でシクラメンの鉢植えを2株梱包リボン付きを貰いました。

 藁しべ長者ならぬ、元無し長者です。
 これで年が越せそうです。

 お世話になった方々へのお歳暮はすっかり仕事関係のみになってしまっています。本当は、こういう方達に送るのが本当なんだろうなあ。
 あ、そうなると年賀でお返しを?!

 まだまだガキのふりして、ニッコリと貰うことだけにしようと思いました。


 今日はいつにも増して、気分が穏やかだとこんなことを言い出してしまいます。(穏やかな理由は、貰い物三昧だという単純なことですが。)
 今年、お世話になった方々
 そしてこんなわたしと関わって下さった方々
 それがネットでは文字繋がりだとしても

 ありがとう、愛してるよ!

 そして、来年も愛してると言わせてくれっ!



2001年12月28日(金) 関わっていたいから


 正社員でなくなってから数年経ちます。
 お気楽に感じていたのは最初だけで
 この歳になると、色々と焦りも感じてきたり。

 先日も、年金と保険を一年まとめて支払う時に
 それはヒシと感じるもので。

 夏休みの宿題を溜めていたガキの頃となんら変らず
 明日には、ちゃんとしよう!な感で
 勝手に期日を決めて、先延ばしにしている毎日です。

 もう少し、仕事をせねば!と。

 でも、そう思うのはきっと年末だからと
 周りが慌しいせいで
 年が明けて、のほほんとする春がきて
 遊び呆ける大好きな夏がきて
 うまいものが沢山出回る秋になり
 そしてヌクヌクと暖まる冬がくることでしょう。
 なにも、変らずに。

 その総てが、ゴージャスではなくとも
 明日食べられる米があるなら。

 その米確保に、もう少しはガンバレと
 そう思う年末です。

 貯蓄好きな、嫁さん募集!



 今夜は、女だけで忘年会。
 弾けるか弾けないかが微妙なところで。
 男と一緒になって遊ぶのも良いけど
 なんでもアリな女も良いもんだ。

 四半世紀近い付き合いのある悪友は
 もはや性別は関係ないか。



 今年に入って、知り合いになった貴方、
 付き合いが浅いけど、
 ありがとうを言うことが
 沢山あった気がする。
 そのうちの、どれだけを
 伝えることが出来たのかな。

 足りない分は、来年に持ち越しで。


2001年12月26日(水) 良薬くちに苦し



クリスマスは、飾り付けは楽しいけれど
片付けるのって、どことなく寂しい。
それは夏の打ち上げ花火の後のよう?
寂しくなるのが厭だから、
あまりはしゃがないようにしているの
・・・カモシレナイ。

多分、数日で変わるこの色合い。
開いた途端に「またかよ!?」の、声が聞こえそう。
すいません、ヤリたい放題です。

TOPに置いてあった画像を外すだけでは済まないのはいつものとおりで
なにも、ここまでしなくともと言われるのもご愛嬌。

年末に向けて慌しい日々をお過ごしですか?
忙しいと言う声に負けて、
何に忙しくなっているのか判らない状態です。
年末年始と病院が休みになるので薬だけは確保してきました。
薬物中毒です。

今回は、いつも飲んでいる薬にもう一つプラスされていました。
抗不安剤と聞こえは良いけれど(良いのか?)
いわゆる睡眠薬です。
こんな、いつだって眠たがりのヤツにこんなもの飲ませて良いんだろうか?
もしかしたら不安屋なのか?わたしは。
アッケラカンとし過ぎてるのが悪いのか?

皆さん、ストレスは素直に感じた方が良いらしいですよ。

医者に色々訊かれても「ストレスが無いのがストレスです」としか
答えられないわたしはまったく取り合ってもくれませんでしたので。

眠れない日が続いてもなんとも思わないのは、ダメなのかい。
眠れないから昼間に眠くなるし、
でも夜になればおめめがパッチリ!
まるで、夜行性だわん。と、喜んではいけないのですか。

潰瘍の薬の世話になり、睡眠薬を処方され
本来なら、物凄くナイーブな人らしく思えるのですが
おーっと、そこで騙されちゃいけません!
その実、こんなに図太いヤツです。

本人は頭痛持ちなのは自覚してるけど
他は何ともないのになあ・・・。

この処方された薬は、朝起きた時にくちのなかが苦く感じるそうです。
「美味しくないよ、しかも後々に。」
そう言われて、おいそれと飲めますか!
マズイのはいやん。

この薬をヒッソリと溜めておいて、後で大量に食べたら
そんな悪いことを考えながらも、
全くそのことには無縁のわたしは、ニヤニヤするばかりです。

そんなことするかい!
もし、間違って目覚めたら、口の中がニガニガだなんて。
オエーッ!




2001年12月25日(火) セイヤッ!


 原因も判っていて尚且つそれの対応の術も理解しているのに関わらず、どうしたって独りでは居られない時、手を伸ばせば届く体温ではなく、全くもって別のものにぶち撒けたいと寄りかかる気持ちだろうことは知っている。
 状況が見えない者は、それだけ関心を示さないのが寄りかかる者のせめてもの掬いだろう。
 すべてが傍に居るものへの配慮から、その優しさからの行動は、前後は必要ないし経過も不要なのだから存分に自分を出せば良い。改めて第三者として自分を見た時に、また新たな発見もあるだろう。
 大丈夫!きみは、一人だけど独りじゃない、だけど一人でしかない。

 ここでも一人、ほく笑んで今夜も。


2001年12月23日(日) 氷月


 「なー、月って丸いのな。」

 凍る途中で製氷皿から取り出したように薄い氷月。

 あなたはこれから満ちる月を想像し、わたしは欠けていく月を想う。

 インターチェンジを抜けても車内に流れるのは煙草の煙だけだった。
 闇の中から白い波が生まれる景色に辿り着いた時、あなたはシートを倒しサンルーフを開けた。

 寝たふりも出来ずに同じようにシートを倒すと、薄い尖った月が開け放たれた額縁の中に現れた。

 「なー、月って丸いのな。」
 あなたがそう感想を漏らす月が妬ましい。

 雲ひとつない尖った月が憎らしくて、煙草の煙で雲を作った。



2001年12月22日(土) 恥毛


 こちらの本日の日記を読ませて頂いて書きネタを貰った今日の雑記。

 女の色白は七難隠すと言われています。
 季節を問わずお金をかけて年中小麦色キープをしていた世代の中にも、ひそかな支持でその呪文は生きていたようですが。
 健康的に見せるために日焼けサロンに通う子、隣の子がそうだからなんとなくだった子も、今ではごく少数になってきています。日焼けサロンに通わなくとも、ファンデーションで小麦色の肌を作るものまでが店頭に並んでいたのに、気が付けばそこにはもう美白系の化粧品が並ぶようになっています。


 仄暗い部屋の中に浮かび上がる白い肌。
 陽の下であれば、純粋に映っていただろうそれも部屋の明りを落とすと白いというだけで、妖しさに変わるのかも知れません。彼女の赤みのさす頬から段々と視線を落としていくと、その白い肌に対比する黒々とした恥毛。その色のコントラストが強ければ強いほどに他の形容がなくとも、それだけで充分に艶っぽい感じがします。

 そして声と身体が交差するにつれ、その肌全体が桜色に染まる頃の彼女の恥毛は濡れて光ってた。

 と、こう書いていくと恥毛が妖艶さを占める重要性が大です。


 例えば、幼い顔つきの女性なのに豊に艶の在る恥毛をたくわえていたり、豊満な体つきでありながら筆に薄墨をつけてさっと書いたような量であったり。また、反対も然り。そういった総てのイマジネーションが絡んで「ヘア・ヌード」があるのかもしれません。

 露出してはいけないとされている性器を覆い隠すための「ヘア・ヌード写真集」もアリでしょう。わたしは(ネカマとされているので、ここで女性からの視点で言えばと言い切って良いものかどうかは別ですが)思うのは、あわよくばその中身を見られるかもしれないとの期待感や、アッケラカンと大股開きの写真よりも、ずっとエロティックに感じます。(均整のとれた身体よりもそうでない方がエロさを感じるそれと似ているのでしょうか。うーん、それとは違うのかな、やっぱり。)

 これが白人となると、金髪の人も居ます。そうなると写し出されたそれは、どうもボヤけた感じで「うわあ、エロい!」って感じがイマヒトツです。(これは、わたし個人の判断ですよ)


 余談ですが「葉月里緒奈」は、たまんねーえー。


2001年12月21日(金) 目を見て話て


 ビデオを観ていて思ったんだけど、最近ダレとも見つめ合って話してない。
 そんなことを頭の後ろの方でチラチラ考えてるもんだから、観てるビデオの内容なんてこれっぽちも入ってこない。

 その右上がりに元気な筆跡は、確かに君が書いたものだし几帳面に揃えてから折り目が付けられた便箋も、そのつけていた姿も想像出来る。
 受話器から聞こえてくる声からは、気分どころか体調でさえ分かる程に慣れ親しんだと言うのに。

 道で擦違っても、わたしは君に気付くのだろうか?
 君の顔が思い出せない。




 例の企画ですが、年内にマッタリと表示が良い感じかと(自分なりに)
 厳しい指摘は無しですぜ貴方、コレですよ!


2001年12月19日(水) こ、更新が・・・。

 キー坊どころの騒ぎじゃありませんでした。モデムボカンになりまして繋げなくなっていました。更新されてない駄文を数日お見せすることになってしまって、もーしわけありません。その間に、色々と心配してメールを下さった方、ありがとうございました。お返事は、何も無かったかのようにこうしてまた、ダラダラ続くと言うことで許して下さいませ。


 先月中頃から、呟いていた「しょっぱい企画」についての表記が抜けたままのTOP頁でいたことを、ご指摘を受けて気付きました。なので、下の方に表記しなおしました。

 ご指摘を受けたと言えば、風間トオルと仲村トオルを読み違えして勝手に勘違いしていました。

 もう、ボケが始まったようです。なので、愛の鞭を。飴と鞭ならむしろ飴を。


 最初のキーボードが打てない状態だった日のこと、
 PCに電源を入れなければ他にすることが無いのか?わたしは!な状態に陥り、手持ち無沙汰を解消するために、何を血迷ったのか手芸屋に走りました。
 数年前に流行った長いマフラーが、また今年もチラホラ見かけるようになり、押し入れの奥をゴソゴソ捜したのですが見つかりません。それなら、いっそ編んでしまおうかと。
 生成りの長いマフラーを、「寒くないかい?」なーんて言っちゃって恋人同士が巻き巻きしちゃうような長いアレです。

 手芸屋に行ってあれこれと悩むことなく、迷わず極太、いやそれ以上に太い毛糸と10mmの編み棒を買いました。これならザクザク編めて、短時間で完了!
 ところが、ホントに短時間で完了し過ぎです。
 しかもウール100%は、チクチク痛痒いです。マフラーになんて不向きです。

 翌日には、また手芸屋に居ました。
 今回は、ちゃんと毛糸を選んぶぞー!と。

 ところが、アクリル何%ぐらいが良いかなどの知識がありません。選ぶにも皆目見当がつかないのでお店の人に尋ねました。
 選んでくれたのは、マイクナイロン使用の毛糸です。これは、赤ちゃんの肌でもOKな毛糸だそうです。吸湿・帯電防止加工まで施されているそうで、確かに触るだけで眠くなるような肌触りです。
 ところがその毛糸はパステルカラーがメインで、なかなか渋い色がありません。在庫まで調べてもらって、やっと見つけた渋茶のような色。そこまで探してくれたのだから、やっぱり買いでしょう。少々お値段が高くとも。その毛糸が「公園デビュー」と名が付いていても。

 まったく凄いネーミングだと思います。
 アイロニーが既に、ごく普通の言葉としてそして商品名にまでなるのですから。
 わたしには残念ながら子供が居ません。だから、それがどんなに大変かは聞くことでしか想像できません。こんなわたしが友達に言うのは「そんなことは気にしなければ良いのに」なのですが。他に言葉が見つかりません。
 けれどそのことで随分と悩むお母さんも居るのは確かです。

 作られてしまった風潮が、そこに在るとか云々は別にして。


 ふと思ったのですが、手編みのマフラーって編むとなると高いモノになってしまうんですね。チマチマ作業、いつものようにジャンキーになってます。
 自分に送る、クリスマスプレゼントです。

 え?しょっぱいですか?
 しょっぱいと言えば貴方、コレですよ!


2001年12月15日(土) 傍に居ないから寒いのよ

 好きな男からいつも何かにつけて意地悪をされ、最初は構ってもらえているだけで嬉しかったのに、その行為がエスカレートするにしたがって段々と辛くなって、そのうちその人を避けるようになったっていうのに、相手はそんなことにはお構いなしに他の人の前でも相変わらずな態度を見せる。切なく想う心が痛くて、とうとう大声で泣き出してしまった。普段は、そんなことでは泣かないわたしを見て彼が慌てて傍に駆け寄り訂正する言葉を並べた。泣きじゃくるわたしを抱き締める彼からは見えないわたしの表情は、涙こそ流してはいるものの片頬だけで笑っているよう。

 そんな自分自身を「厭な奴だな」と思っているところで目が覚めました。
 なんだか酷く疲れた寝起きでした。
 夢の中で見た男はここに存在するダレでもなく、顔すら思い出せない程に知らない人でしたが、昼が過ぎてもまだその厭な気分が抜けずに居ました。

 最近、犬も喰わない人様の恋愛話を聞いているせいなんだろうなあ。さもなくば、自分が渇ききってるからかしら。
 気持ちを確かめたくての言動は、相手を切なくさせるものなのでしょうね。知らず知らずに好きと感じたいがために、そんな行動をとっているんだろうなあ。好きだと思ったら節操無しに挑みかかり、相手にとったらきっと迷惑なわたしには、少し必要な部分かも知れないけど。

 『ナルシシズム傾向のつよい人は、自分の内に存在するものだけを現実として経験する。外界の現象はそれ自体では意味をもたず、自分にとって有益か危険かという観点からのみ経験されるのだ。ナルシシズムの反対の極にあるのが客観性である。これは、人間や事物をありのままに見て、その客観的なイメージを、自分の欲望と恐怖によってつくりあげたイメージと区別する能力である。』 (E.フロム 『愛するということ』:紀伊国屋書店)

 だそうです。
 と、なるとわたしの抱く男に対する思いは、期待を込めて作り上げた理想像の男と現実とを区別できていないのでしょうか。

 もし、それがわたしの恋愛に繋がるとしたら、その期待を裏切ることが起こった時点で相手が感じる以上のとてつもない虚無感を味わい、そしてそこから一歩も動けない処に立たされることになるのでしょう。


 今夜は手を繋いでいてください。


2001年12月14日(金) 唄は世に連れ、世は歌に連れ

 最近の小学生は、下校時に縦笛を吹きながら帰る子は稀ですか。
 のっそり歩くわたしと擦違った集団下校の連中は、misiaのEscapeを唄っていました。「イエエ〜」とか合いの手入れながら。 凄いもんです。

 舞い降りた天使の白い翼広げここから連れ出して ってか。

 家に戻ってからもそのフレーズが頭から離れずに、何かをするたびにくちずさんでしまいます。
 サビ以外の歌詞が思い出せないので焦れました。

 スッキリするためにCDをゴソゴソと捜したのですが見当たらず、たぶんオカマちゃんの車の中に置きっ放しなのでしょう。
 彼(彼女)の車に乗ると、延々と「モーニング娘。」を聞かされるもので。
 そのCDを聞くだけならまだ良いのですが、曲に合わせて絶唱を聞くので飽きます。なので某かのCD持参で乗ります。
 野太い声で台詞入りは辛いです。


 CDを捜したときに手元にあったKing Crimsonで我慢。
 久々にCount of the King Crimsonを聞きました。

 懐かしい曲を聴くと、その曲を盛んに聴いていた時期のことを思い出されます。

 ウォークマンの2ソケットタイプのヘッドフォンで耳を塞がれて、回りの音を遮断しただけで二人の世界になれた頃。
 深夜の路上で抱きあってキスしたわたしは今どこに居るんだろう?



 ランドセルを背負った小学生も、いつか思い出すのかな。
 その重い扉を開いて飛びたてるのなら と。



2001年12月12日(水) ワッカ


 孫悟空のワッカが嵌まったままのような状態が二日目に突入です。
 生理痛の時も大量に飲んだ鎮痛剤。同じ種類のものは効かなくなるんでしょうか?たいして痛みが治まらないように思うのですが。気休めって感じで飲んでます。
 同じワッカなら、天使のワッカが良いのになあ。

 薬局で風邪薬買うよりも、医者に行った方が安いかな。

 ってことで、ごめんなさい。今日は更新なしです。


2001年12月11日(火) 師走

 
 更新を怠ったのにも関わらず、ご訪問いただいて感謝です。

 今日は、ケーキの台になるシフォンケーキの材料予約をしてまいりました。
 今年は無謀にも作る気でいます。

 先日行った¥100ショップで装飾を購入してきたので、ちょっと飾り付けが楽しみ。
 その日のまでの、似非クリスチャン。

 独りで片付けるのも寂しいもんがあるな。



 えーぇい!そん時きゃ同時に正月の準備だー!

 あ、その前に大掃除。

 どなたかクリスマスを一緒に過ごしません?もちろん、その後のお楽しみもご一緒できる方を希望(主に片付け及び、大掃除がメインで)



2001年12月09日(日)

 昨晩(8日)、家で夕食を済ませた後、久々に無給でオヤジ等の演歌を聞いてきました。
 なんてことはない、スナックを珈琲屋代わりに利用してきたのですが。

 店の女の子達は、全く気の利かない連中で灰皿ひとつも取替えもせず、普通にフルーツを頼んでいました。すっかりオヤジ気分で、スケベな客以上に、厭な客になっていたことでしょう。


 最近、やたらと年上の方と話す機会が多いです。
 昨晩、店で待ち合わせをした方は、ホテルなどのホールに花を飾るフラワーアレンジメントをなさる方でした。
 結婚式場や花嫁のブーケ、トーチやウエディングケーキカットに使用するナイフの装飾などに花でアレンジもなさっているそうです。
 結婚式が終って会場を片付ける時に、テーブルやマイクスタンドに飾られた花までも無くなっていると、本当に喜んでもらえたのだと、嬉しくなるとお話してくれました。
 結婚式などに呼ばれた時に、花を頂けるか?と尋ねるのは、時として悪いことじゃないんですね。

 決められた予算内と時間との間で、自らの感性を仕事にしているお話はとても興味深かったです。


 スナックのママが、閉店を知らせる唄を流すまで居続け、それでも足りずに24時間ファミレスでフリードリンクしてまいりました。
 東の空が赤くなってきた頃、さすがに起きてることに限界を感じるわたしとは違って、わたしと同い歳ぐらいの娘を持つその人の方が、ずっと体力はあるようです。
 話は尽きなかったのだけれど、両手に抱えきれないほどの量の花束をもらって、家まで帰ってきました。


 先ずはバケツ2個に水をはって、花に食事を確保した途端に、寝てしまいました。

 相変わらず、家には花器はありません。
 これから100円ショップに、捜しに行こうかと思っています。

 あ、活け方を教わってくれば良かった。



2001年12月07日(金) 女、男&女

 新しい恋愛には、HPもMPも不必要なんだなーと。
 敵キャラが違えば、それまでの経験値がモノを言うGAMEとは違うのですね。
 言葉では解っていたとしても、年を重ねればそれなりに対応が出来ていくものかと思ってました。

 その人にとったら、わたしはまだ年端も行かないガキと変わりない年齢でしょう。
 そのガキを前にして「どうしたら良いのか分からない」と、少女のようにポロポロと涙を流せる人は、幾つになっても関係なくそういう人なのでしょう。
 ある意味、羨ましくもあり、そして自分では理解出来ない感情が生まれます。


 ただ厄介なのは、ある程度の年齢になればどちらかが不倫の立場であったりもします。

 奥様の位置をやっかみ、妬み、そんな想いをする自分を疎ましく思い、それでも切なく想いを寄せてしまうのであれば、ほんの少は理解できるかもしれません。
 ところが、彼女の切ない想いの元は、彼が遊びでも良いから抱いてくれないことで、感情と身体がバラバラな反応を示すことに自分で整理が出来なくなってきているのでした。

 身体だけが乾くのであれば、水瓶を持ち歩いている人に声をかければ、解決するのでしょう。

 彼は、想いが真剣であればこそ水瓶すら見せてはならないと意地になり
 彼女は、水瓶を満たす水が自分に注がれないことに歯痒さを覚え


 止せば良いのに、犬も喰わないどころか豆腐の角に頭打ち付けるようなことをしてきました。


 二十も歳の違う男と女を前にして、まるでやり手婆のように喋って
 女をボロボロと泣かせた挙句に、男を蹴飛ばして来ました。
 そしたら、二人は仲良くなったとさ。


 相手を大切に思うが故に抱かない男とは、それ以上の付き合いを望む女にとったら切ないものなのですか?
 例え遊びでも良いから、好きな男には抱かれたいと切に願うほどに、相手に触れられることで安心を得られるのですか?


 嘘っぱちの言葉だと思っていても並べられていればそれが日常になり、そしてそれが無くなったからと言って本当に寂しく感じるものなのですか?
 何も言葉で表さなくとも、感じる暖かさだけでは寒さは凌げないのですか?


 その繋いだ手の温もりだは確かなものだと耳からも再確認したいから、だから言葉として囁いて欲しいのと、我慢をせずに相手にそう伝えることは、責めることになるのですか?


 沢山の恋の経験値は、相手が違えば全く無効になったりもするんですね。


 他人様は、どうでも良いのさ。
 自分が一番気持ち良くなりたいよ。



2001年12月06日(木) 心太(ところてん)

 心太(ところてん)

 今日の垂流し文は、タイトル縛りです。
 自分勝手に縛って、一人身悶えです。

 なんの脈略も無いまま、本日のお題を「ところてん」と決めてお話を打つベシ!で。


 みなさんは、ところてんを酢醤油で和カラシをつけて食べますか?それとも「葛きり」のように黒密で食べますか?

 本日、このお題で書き始めようとしたところ、ところてんを変換すると「心太」となります。なんで、こんな漢字を当て嵌めるのだろうと、ちょっと調べてみました。

 日本に心太が来たのは、平安時代に中国から遣唐使が持ち帰ったのが始めだそうです。もちろん、当時はまだ庶民のくちに入るものではなくて、高貴な方々のみの珍味だったことでしょう。

 そして、この「心太(ところてん)」の名前で呼ばれるようになった元は、中国での呼び名「こるもは」からだそうです。この「こるもは」は心太(ところてん)の原料になる天草を中国ではそう呼ぶのだそうです。日本に渡って「こるもは」が「こころふと」と言われ、段々とそれが訛って今の「ところてん」になりました。

 心が太いと書くので、てっきり大きな器を持った人の心を指すのかと勘違いして、ちょっと凄い人物の名前が由来かと思ったら、単なる当て字だったのですね。


 さて、どうして本日心太(ところてん)なのか。実は昨日、某チャットにて話題に挙がったものだからです。それは、この食べる心太(ところてん)ではなく、男性同士の愛の表現で使われた言葉でした。

 そこだけの話題でそれっきりなら、こんなことは忘れたことでしょう。けれど今日、ウンが良いのか悪いのかオカマの友達から電話が入りました。それで、一夜明けて忘れていたこの話題を改めてまた思い出してしまったのです。

 いつも遊んでくれるオカマちゃんや、見た目は普通の男性等が明日から三日間、新宿2丁目のホールで舞台をするそうで、そのお誘いのお電話でした。(場所は、2丁目タイニー・アリスです。お暇な方がいらしたらどうぞお越しください)
 せっかくのお誘いだったのですが、都合が悪く最終日の2回目公演にしか行けないと伝えると、サッサと近くの喫茶店まで強制お誘いに来てくれました。

 その時に、心太の話題をモーホー連中やオカマちゃん相手に話をしていたら、「だから、あんたはイーピンなのよ!」と返されました。

 や、輪切り手術はしてないって。



2001年12月05日(水) 恋は盲目

 「こんにちは!」
 近くでそんな声を聞くとなるべく頭を下げるように努ています。もしかしたら、わたしに対して言っているのではないかもしれない。むしろ違うことの方が多いけれど、それでも知らん振りするよりはずっと良いと思って、ただそれだけなのです。
 相変わらず近所付き合いは下手だとは言っても、ここに引っ越して来て商店街の人にも良くして貰っているし、年寄りの方からはいつもお裾分けを頂いたりして、可愛がってもらっている。だから何時、誰に見かけられているのか解らない環境でもあるのだけれど。
 免許証にはもちろん、眼鏡等と記入されています。
 それでも普段から眼鏡に慣れていないと、とても邪魔に感じます。増してモノグサなので、眼鏡をかけずに外出はよくあることです。コンタクトにしても(色付き、しかもド派手)、毎回は面倒でつけません。
 結局、まあ歩いたり自転車に乗るぶんには支障をきたさないと自己判断して、そのままで出かけてしまいます。
 それに普段から使い慣れていないと、道や階段が湾曲して見えて(と、本来はこう見えているはずなんだそうです:医者談)乱視も手伝ってか、凄い見え方に感じて恐いくらいです。

 よく電信柱に挨拶をしたとか、つまらない冗談話で聞くことがあるでしょうが、アレって本当にありますよ。止めてある自転車にぶつかって「ごめんなさい」と謝ったりは日常茶飯事で。
 ただ、そんな感じだと知り合いに会ったとしても、とても素っ気無い態度をとってしまっているようです。わたしを良く知っている人なら、そんなヤツだと扱ってくれるだろうけど、そうでない人に対しては失礼極まりないですよね。
 なので、出来るだけ挨拶はするようにしています。挨拶する相手が知らない人でも、それは構わないんじゃないかなーって。

 そう思うなら普段からコンタクトをしろって?
 眼鏡しろって?

 急に見えすぎて恐いんですもの。
 例えば電車に乗って座席に座った時に、向かいの人の顔がハッキリ見えたりとか。「うわあ、見えてるよ!」ってホントそんな感じです。眼鏡が必要ない人が見る世界って、凄い恥かしい世界なんですね。色々見えちゃったりして。

 そんな訳で、今こうして打っている時はそのままの姿勢であっても、他サイトを見るときは猫背になっています。あなたのサイトを見る時のわたしの姿勢は、食い入るように見ているということですよ。(トクにあんな動画でなくとも)



2001年12月04日(火) 恋の季節は年がら年中

 うつせみの 常の言葉と 思へども
 継して聞けば こころはまとふ


 気にもかけなかったオトコのありふれた口説き文句なのに繰り返し聞いていると、つい心が揺れちゃうんだよねえ。


 友達が真さに今その状態です。女性に対するマメさと、強引さって、やっぱり恋する男の最終兵器なのかもしれない。
 情に絆されたって言葉は、そんなことを指すのかな。
 満更じゃない素振りを見せるように彼女がなるまでの間を、楽しめることが出来るぐらいの男だったのかな。世間は北風が吹いてるって言うのに、羨ましい限りだぜ。


 忘れ草 垣もしみみに 植ゑたれど
 醜の醜草 なほ恋にけり


 それに引き換え、忘れたくったって、忘れられなくてのわたしは、ダメですね。
 忘れ草のばーか!



 Furの携帯ストラップを貰いました。
 携帯をポケットに入れて、手で触るとモワモワ感に思わずウットリ。
 眠くなります。

 電車に揺られて、ポケットに手を突っ込んだまま居眠りこく女に恋は遠いのかもしれない。



2001年12月03日(月)


 そこにはいつも笑顔があったと思ってた。
 思い込んでいただけかもしれない。

 「砂糖人形」は、もう居ないのですか?




 一年間分の年金の支払いをしてきた。
 25年以上の支払いがないと、年金が下りないそうだ。
 財布の中身が減るのは大変だろうよ、ダレだって。
 この先の年金のために貧乏極まりない状態になる。
 すんごい矛盾。ちくしょー長生きしてやるう。


 左胸の小さなシコリがさほど痛くはないけど
 なんだか気になるので病院へ行ってきた。
 毎週貰う薬のついでに診てもらっただけだが。

 触診だけでは良く解らないらしい。
 あんだけ揉んだくせに、わからんのかい。
 「だったら、揉むな」
 医者に言う言葉じゃないよね。

 呆れた先生は、
 「精密検査をしないと、なんとも言えません。」
 思ったとおりの返答を。


 気になるようなら検査をしましょうと、
 言われたところで
 気になるから病院へ行ったのに・・・。


 なんとなく、厭な日々雑記になりそうなので
 この話題は避けようと思ったんだけど
 今日の出来事を書くのが日記なら
 やっぱり外せない内容なのかな。

 だったら、更新しなきゃ良いのに。

 自問自答でいやんな日。


 一昨年の子宮内ソウハ手術。
 大事(筋腫や癌)には至らないようにと、
 数年間をあけて検査を続けるよう言われていて
 で、今回は乳かい。


 ねえ、まだ完全体なウチに
 さっさと何方か召し上がりませんか?


2001年12月02日(日) 手紙


 地震と変換させるのに「じしん」と打つんだ。地は「ち」じゃないのかい。

 今しがた、地震がありました。
 トイレで座っている時に、地震に遭うのは厭です。


 先週末に友達からAirmailが届いた。
 普段の会話は、ごく普通にブラウザでmailをやりとりしているのだが、誕生日に合わせてわざわざカードを送ってくれた。
 そのちょっと面倒な手数をかけてくれたことが、とても嬉しくて暖かくなった。気持ちが冷めないうちに、お返事の手紙を書こう。

 と、その時は思ったのだが。

 いざ手紙となると、手元にある便箋は本当に何の変哲もない無機質なものだけである。目上の方にご挨拶する程度に活用される(であろう)白地の縦書き。封筒もそれに合わせてのつまらないものしかない。

 学生の頃は、結構好きだったのにな。いわゆる文房具と呼ばれるそのチマチマとしたグッズを見るだけでも楽しかった。
 店の人にとったら迷惑なガキだったと思う。
 匂い付き消しゴムとか、多色の芯が一本になった色鉛筆とか。

 今でも、銀座で友達と待ち合わせをする時は「伊東屋」になるほど。
 本屋と同等ぐらいに時間潰しには格好な場所である。

 本屋よりトイレに行きたくならない分、文具屋の方が良いのかな。
 (余談ですが、本屋ってトイレに行きたいって衝動がおきませんか?)


 こうして相手に贈るための便箋やカードを選び、それに合わせた封筒を買い、やっと一言書いてポストに投函する。
 その一連の作業、いやその前からの思いが込められた手紙も良いもんだなあと思った。貰うのには。

 イザ、自分がその立場になると、日が一日一日と過ぎていく罪悪感のようなものに潰されそう。


 あまりに日にちが経ちすぎて、電話で片付けるのだけは止めようと思っている現在です。


2001年12月01日(土) 存在

 □ 近場のUNIQLOへ行ってきました。辺鄙な場所にあるため、休日なのに客がまばら。ゆったり買い物が出来て嬉しかった。issei好きが祟って、なにもそこまで履かなくともと自他共に認める臭いジャージも、新品に換えました。冬アイテムから全部UNIQLOにしようかと思う程の値段にウットリ。タッツキ袴のようなジャージがあったらもっと良いのにな。


 □ ファミレス「どんでん」に連れて行ってもらった。御節の予約販売カードを発見、もうそういう季節なんだね。


 今年の六月に友人(50代後半の女性)のご主人が亡くなった。奥さん(彼女)の不倫を黙認する不思議な夫婦関係だけど、とても仲の良い夫婦だった。彼女にとったら夫であり父でもあるような存在だったのだろう。他(ひと)の家の事情なのと、夫婦という関係自体が良く理解できないわたしには、どれだけ詳し説明されても所詮、理解できないのだろう。
 「はん、所詮他人事よね。」と、関わらないように撥ね付けているわけではないのよ。

 その彼女から数日前、早朝にメールが来た。

 「不安定な気持ちを、自分自身で持余してしまってどうすることも出来ない。」と。

 それは彼女からの某かのSOSであることは確かなのだよね。彼女からすれば年端も行かない者に、敢えて伝えるぐらいなのだからと、自転車を飛ばして彼女の家に行った。
 わたしに出来ることは、彼女の話を聞くだけしか出来ないのは分かっているし、それすら満足に出来ないかも知れない。それでも、暖かな部屋から「どうしたの?」と携帯で返事してはいけないのだろうと思った。

 確か1時間ぐらいで着く距離だと聞いていたので、途中で旦那さん用のお持たせを買って自転車を飛ばした。
 ところが途中、大々的な道路工事をしていて随分と道を迂回させられてしまった。行き慣れた道からすっかり外れて、立派な迷子になった。住所だけを頼りに、2時間かけてやっと辿り着くことになった。

 自分にとっての大切な人が亡くなれば、そりゃ悲しい。数日間は泣き続けて、泣き疲れて、の繰り返しだろう。その間に、色々な手続きもしなくてはいけないし、心も身体も慌しい日々を送るのだろう。
 そういったものが一通り片付いた時に、フッと思い出したりするのだろう。それこそ、言葉のまま「ぽっかり」と空いてしまったものを確認するように。
 そして、女性には生理が付いて回る。
 精神的や肉体的な変化があると、不順になったりするのはよくあること。それらが落ち着いた頃、また順調に来ようとしたときには、その精神や肉体に負担をかけるのだろうとも思う。
 言葉や、医者から処方される薬では簡単には片付けられないそれらの変化は、本人のコントロールはもちろんのこと、どんな名医でも解決出来ない部分であって、実に切ないものだと思った。



 運動不足だよなあ。自転車2時間の疲れ(筋肉痛)が、未だに続いてるなんて。



香月七虹 |HomePage