きまぐれがき
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2005年06月28日(火) 犬の薬をめぐって

ブログの6/6に書いたサーシャの尋常ではない様子のその後。
あれから新たに血液の検査をして、ついにニトログリセリンを
持たされてしまった。

発作が起きた時には、陰茎と包皮の間にニトロを入れて溶ける
までまてと、獣医が簡単におっしゃるのでさりげなく訊いてい
たけど、そんなことできるかなぁ。
なんだか動揺してしまって、あれから私の心臓も重苦しい。
常に胸に手をやって心臓をおさえている。
私のほうがこのニトロを飲みたい。

母のところに往診にみえたドクターに、そのことを話すと
「気のせいでしょ」。。。って、心臓がおかしいと訴えている者に、
医者とは思えん言いぐさだ。
このドクターは私が某医大に入院していた時には、内科の研修
医でいらして、あちこちの入院患者とバカ話をしては大声で笑っ
てばかりいた明るい人だけど、診たては超神経質なはずなのに。

「犬のニトロ、見せてもらっていい?」というので、ついでにサー
シャの検査報告書もお見せする。
うちの犬の一つ一つの数値に「ほぉ〜」となぜか感嘆の声をあげ
ながら見入って、ニトロを持たされることになった問題の数値の
ところでは「でもあれだなぁ〜血液検査だけでニトロっていうのも
あれだなぁ〜」。
「発作って、どんな様子でした?」と訊かれた時には、あの夜の
サーシャが四足で立っていられなくてバタッバタッと倒れた様子
を克明に演じてみせた。
「それは心臓の発作かなぁ」と、獣医と対立するようなことをおっ
しゃるのだ。

私はこの犬の親族のようなもんだ。そんなことを言われたら不安
になるではないか。。。
そうじゃなくても、いまひとつ獣医を信頼しきれてないのだから。

そんなこんなで、私の心臓はいまも重苦しいし、サーシャの様子
は目が離せないし、二日続いた熱帯夜にもぐったりなのであります。





2005年06月19日(日) ちょっとちょっとの井戸端会議

例のディープ・スロートは私だと公表した元FBI副長官の
マーク・フェルト氏。(6/4日記参照)

伝記の出版権料だけでも約一億七百万円を手にしたとされ、
そのほかにも映画製作の権利をユニバーサルと、トム・ハン
クスのプロダクションが獲得したとか。
さらに、こうなったら今まで情報源を守秘してきたボブ・ウ
ッドワードだって黙っちゃいない。
そのものずぱり「ディープ・スロート」のタイトルで著作が
近々出版されことになっているそうだ。

ちょっと待って!待って!
確かマーク・フェルト氏、娘の説得で公表したと新聞には書い
てあった。
なぜに娘が。91歳高齢のフェルト氏はあくまで墓場までもっ
て行く覚悟だったかもしれないのに、目の前にちらつくドルの
束に目が眩んで言い含めちゃうなんて簡単なことだったろうな
。。娘。 なんて穿った見方をされてもしかたがないような華々
しいったら、騒々しいったら、そのうちバッシングもされそうな
フェルト氏周辺であるようですよ〜〜

マイケル裁判といい、まったくアメリカったら、豪快にお金が絡
むんだから;



2005年06月14日(火) 少女だった頃の新宿駅

前回の上京では渋谷の変貌ぶりに驚いたのなんの。
先週は新宿駅の雑踏で立ち止まっては、周辺を見回して考えてから
じゃないと、どちらの方向へ向かって歩けばよいのかオロオロする
ばかりだった。
しかもラッシュ時。呼吸が苦しくなって倒れそう。大阪のラッシュアワー
なんて可愛いもんだ。まだ隙間があるもの。
見ず知らずの人の皮膚と密着するのは恐ろしい。苦手だ〜
もう私は首都では生きていけない。


あんなに愛着のある新宿駅だったのに。
中学時代、お琴を習いに行っていたのが四谷三丁目だった。
西荻から中央線に乗り、新宿で丸の内線に乗り換えて通っていたの
だが、冬になると帰りの丸の内線の車内でたびたび気分が悪くなって、
新宿駅が近づく頃には意識が遠のき座席に座っている人の膝上や床
に引っくり返っていた。

ホームを駅員さんにおぶってもらって運ばれていくのはわかっていた
ので、意識を失うのはほんの瞬間だったのだろう、
それでも新宿駅の駅員室の簡易ベッドに寝かされた。
初めの頃は駅員さんたちも心配してくれたようだったが、これが度重な
ると「また○○ちゃんなの。気分が良くなったらタクシーで帰りなさい」
とか言ってタクシーに乗せてくれたりしたので、善福寺池の家までタク
シーか。。 楽チンだぐらいの気分で、もうこの頃にはいつもすっきり元
の状態に戻っていたので、親たちは心配したけれど医者にも行かなか
った。

翌日私は元気に学校。母は菓子折りを持って駅員さんへのお礼と、こ
んなことをいったい何回繰り返したのだ?

ある時、母に「お稽古場の暖房はどうされてるの?」と訊かれたので
「和風趣味の先生だから。もちろん火鉢に炭火」と答えると、
「それ!それ!炭火の一酸化炭素中毒で引っくり返るのよ!」
エミール・ゾラの死因と同じらしい。。炭火でだったのかどうかは知ら
ないけれど。
へぇ〜〜

ドレフュス事件で、イギリスに亡命せざるを得なくなってからも、時の
大統領に弾劾しつづけて、ああ失っていなかった反骨精神。。のゾラか。
この辺りを描いた映画「ゾラの生涯」を今、突然見てみたくなった。
確か戦前の作品。レンタル店に置いてないだろうなぁ。

私の中学時代、そりゃぁ遠い昔だ。
あの頃でも火鉢に炭火だなんて、どこの家でも見かけなかった。。
和風拘りの先生のお稽古場で火鉢を見て「えっ!?今どき何?」とび
っくりしたもんだ。
その火鉢に顔を突っ込むようにして灰をかき混ぜながら、自分の番が
くるまでお稽古仲間とヒソヒソ話をしていた。
それが地下鉄の車内で引っくり返った原因なの。。。?

だって私だけ。ほかのお仲間はピンピン。なによりも一番長くお部屋で
過す先生がなんともないではないか。。と腑に落ちない気もしたが、親
たちが原因はそれだ!それだ!と言い切るので、
「じゃあそれでいいから、もう行かないでいいね」とあっさりお琴はやめ
た。

その後、私は晴々と駅員さんたちに「もう引っくり返ってお世話になる
ことはないですから」と、お小遣いで買ったお人形か何かを持って告げ
にいったのだったと思う。




その後邪魔だ邪魔だと冷淡に扱われつづけたお琴は、結婚する時にも
実家に置きっぱなしでは邪魔だからと持たされて、今は床の間の主。
触ってみたら埃まみれでプファ〜。

ずっとお稽古を続けてこられて、この間も発表会に出られた山ちゃんを
つくづく尊敬してしまう。




2005年06月04日(土) ディープスロートは私

二日前になるけれど、ニクソン大統領を辞任に追い込んだウォー
ターゲート事件の情報源は、当時のFBI副長官だったという朝日
新聞の記事を興味深く読んだ。

ワシントンポストの二人の記者が、ウォーターゲート事件の真相を
暴いていく映画「大統領の陰謀」で、ボブ・ウッドワード記者(ウェ
ーブがかかった金髪が美しい若かりし頃のロバート・レッドフォード
が演じている♪)が薄暗い地下ガレージで会った、あの男だ。
いったいこのディープスロートは誰なのだろう?
知りたいけれど、そんなことはいつのまにか漏れ伝わってくるもの
だと思っていたら、そんなこともなく今頃になって意外にも自分か
ら名乗り出てきた。

このディープスロートから「君たちの命が危ない」と言われたボブ・
ウッドワードに、「大切なのは報道の自由、この国の未来」と答え
た編集主幹のベン・ブラッドリーは、ジャーナリストを目指す者の
鑑でもあり神なのだと、新聞社に就職してまだ青かった愚兄から
よく訊かされていた;;
なにしろ兄は小学生だった頃に、ご近所に住んでいらした天声人語
を執筆されていた某氏になのか、それとも社旗をたてた車になのか、
憧れていのだから笑ってしまう。

なんでもこのディープスロートを知っていたのはウッドワードともう
一人の記者カール・バーンスタインと当然ながらベン・ブラッドリー
の3人だけだったようだ。
情報源を明かせと攻められ続けた年月だったろうな。

それが今、あっさりと「ディープスロートは私」。
それも、長官のポストに昇格できなかったことが情報を提供した
理由の一つだったなんて、ニクソン、もうちょっと信頼関係を結べ
なかったのか。
無理だな。あの猜疑心しか持ち合わせていなかった大統領には。


ひつこく緻密に取材を重ねた二人の記者のうちボブ・ウッドワードの
その後の活躍はめざましいけれど、彼の「司令官たち」を読んだ時
には取材力と権力の中枢を網羅する人脈にびっくり。
この後に続く、パパブッシュもの、クリントンものもついつい読んでし
まう。
なにしろボブ・ウッドワードに取材されるのは光栄とかで、みんな
しゃべりすぎて暴露しちゃうのだ。






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