きまぐれがき
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2004年05月27日(木) 感謝のご挨拶を。そしてなぜかイケメン。

サイトを開設してこの5月で2周年を迎えたことを、メールで教えて
下さった方によりハタと気がつきました。
更新もままならない拙いサイトですのに、沢山の方においで戴き
感謝で一杯です。
これからも、ご教授、お叱りもろもろを励みとして、サイト運営を
して参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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車で走っている途中テラコッタ仕様の一見南欧風らしき(違う。南欧に
行ったことのない人が想像した南欧とはこうだろう的な外観)建物が目
に入る。
その建物を囲む樹木はしゃらの木だろうか、新緑の葉がそよそよと
優しく揺れている。きっと5月の爽やかな風が、開き窓から室内を通り
ぬけているに違いない。
窓辺のカウチでまどろみの午睡などが似合ってしまいそう。 

あらここは美容院なのだった。
ならばここでカットを、内装も見てみたいし、ということで予約なしで
入ってみる。

天上が3階の高さほどの吹き抜けで、ガラスの壁が突き出た中二階は
和服の着付けスペースになっているらしかった。
梁が剥き出しになっている遥かな高みの天上には、小さなハロゲン球
(と言うのだろうか?)が所々で輝いている。

「あの電球が切れたら、交換はどうするの?」
「梁に梯子をかけて登っていって取り替えるんですけど、みんな
高所恐怖性なので僕しか取り替えられないんですよ〜」と、
ちょっとイケメンな美容師さんは言った。

よくあるデザイン重視で使い勝手を考えなかったってこと.....か。
友人もぼやいていた。
新築した家の吹き抜け周りの2階の廊下が、料亭とか旅館の踏み込
みで見かけるようなスノコ状で細い隙間があいているので、ホコリが
全部1階のリビングに落ちちゃうのよね、と。

カットの間中、鏡の中に映っているイケメン君の顔を見ないよう、
目などが合わないよう、私ったら鏡に映っている天上の電球の数ばか
りを何度も数えなおしたりして妙な意識にはしっていたところ、
イケメン君が「潮干狩りに行くので天気が心配です」と言ったので
「えっ?」と思わず訊きかえしながら、潮干狩りだなんて.....お父さん
でもなさそうだし、イケメン君が発する言葉にしてはあまりにも思い
がけなく、可愛い言葉ではないか、頭の中には、ザザーーーザーーと
近くに波の音を訊きながら、サクサクとアサリを掘り続けるイケメン君
の姿が現れるしで、吹きだしてしまった。
(句点なさすぎ!金井美恵子を読んだばかりなので、その影響?)

ふ〜む、潮干狩りか......
小学5年の遠足が潮干狩りだったなあ。
千葉の海岸のヘドロの中から貝をほじくり出すのが気持ち悪くて、
6年の遠足も潮干狩りだったのでズル休みをしたはずだ。

で、カットはというと、だいたい最近はやれアンナだ、サガンだ、
オードリーだの切り抜きを見せて、同じにしてくれというのが厚かま
しすぎて恥ずかしくもなってきているのだけど。ダイアナ妃なんて時
もあったぞ。(2003.9.13日記参照)
それでもエェイ!構うものか!と、いつもお財布の中に入れて持ち歩
いていた梅宮アンナがスタージュエリーのモデルをしている4・5年前
の切り抜きを見せたのだった。

仕上がりの程は、似合っているかという点について言うのなら、
イケメン君も私も満足したわけではないのであった。くぅぅぅ〜〜




2004年05月23日(日) ふたつの家族は帰ってきたけれど

土曜日は朝から報道番組を見続ける。

私たち誰もが限りある命を生きているのだもの。
拉致された人たち、帰りを待つ家族たちの命がある
うちに、全面解決に向かって大きく扉が開かれる
ことを期待するのは、当然のことだろう。

それなのにまたカードとして、あちらの手中に
おさめられてしまった。


2004年05月20日(木) いろはにほへとへの郷愁

心当たりに頼んでおいたアダム・クーパーの「オン・ユア・トウズ」
と劇団四季の「アイーダ」のチケットが手元に届いた。
「アイーダ」は先日観て、またまた観たくなったのだ。

座席が前列からABCDE.....と並ぶのを、頭の中で「いろはにほ
へと.....」と変換しながら指を折っていかないと、座席から眺める
舞台までの距離がどのようなものかがいまいち掴めないのは、
子供の頃にさんざん通った建て直す前の東宝劇場と、関西に
越してきてから通いつめた宝塚大劇場の座席の影響だ。

戦前に建てられたこの二つの劇場の座席は、前列からい列ろ列
は列.....というように並んでいた。
観劇デビューが2.3歳だったとして(親も、宝塚歌劇だったので
幼児を連れて行く気にもなったのだろうけれど)、その頃から、
チケットを手にした母が、いろはにほへと.....と呟きながら自分の
座席を確認している姿を、傍らでじっと見てきたのだから、こう
なってしまったのだ。


2004年05月13日(木) ザッピングの果てに

人のザッピングにはイライラさせられるけれど、私だってリモコン
を持てばついカシャカシャしてしまうのだ。
そのザッピング中「経営者の資質がどうとか...」に釘付けとなり、
やっと手にしていたリモコンを手離す。

「経営者資質」が認められなければ出世はないと、通信簿を渡さ
れている社員が映し出されているのは、かつて私の職場だった
某電機メーカーではないか。
番組は地元のテレビ局での「ガイアの夜明け」で、キー局では
4月末に放映されたものらしい。

私が社員だった頃は、配属された部署が秘書課だったからなのか、
和気あいあいとした家庭的な職場で、生き馬の目を抜くなんて
空気は何処にも誰にも感じられず、長閑そのものだったように思う
けれど、時代が変れば企業も社員も生き残りをかけて必死なのだ。


私は東京支社(現在は組織が変っていると思う)だったのだが、
本社は大阪なので本社の秘書課とは役員たちのスケジュールに
伴い頻繁に電話連絡が行われていた。
その電話の声を訊いただけで、姿を見たことがないにもかかわらず
猛烈に憧れたのが、○○専務の秘書をされていらしたずっと先輩の
Nさんという女性だった。

「○○専務室のNでございます」と、少々大阪弁のアクセントが
入ったなめらかな言葉だけれど、声質が澄んでいる分どこか冷たく
も感じられて近寄りがたい女性のように思えるところが、なんだか
知り合いの修道女によく似ていて、逆に親近感がわいたのかもしれ
ない。
秘書としての能力も完璧だと上司の評価が高かったこともあり、
そんなNさんに実際に会ってみたいという思いがつのって来たちょ
うどその頃、本社へ出張することになったので、この時とばかりに
専務室へ訪ねて行った。

ひっつめにした髪をシニヨンにまとめて、白いブラウスの襟を立て
モノトーンのタイトスカートはやや膝上、ヒールの高さは9センチ。
(なんだか世間でイメージする秘書そのまんまのようですな)
などと、電話での声から想像が勝手にどんどん膨らんでいる私の目
の前に、聞き覚えのある声で「Nです」と現れた女性。
とても小柄でくるくる〜とした目がなんとも愛くるしく、私よりもぐんと
年下に見えて、ピンクハウスのお洋服にクマのぬいぐるみが似合って
しまいそうなムードに、私はガシャンとしゃがみ込みそうになったの
だった。



2004年05月12日(水) リンクを辿って何処へ

インターネットの世界は広いようで、以外にも狭いじゃないかと思
ったのは、とあるサイトで従姉妹を見つけてしまったからなのだが、
7・8年前の親戚の葬儀の時に会ったきり、子供の頃は夏休みなど
によく一緒に遊んだ思い出はあるものの、大人になってからはまっ
たく行き来をしていない従姉妹の近況をネットで知るとは。

自衛隊関係の検索から、リンクをあれこれと巡っていた時に、ふと
立ち寄ったある大学の卒業生の近況報告らしきリレーエッセイの中
に、従姉妹はいた。
この大学の卒業生だったことも、結婚後の苗字も、忘れていたのに、
たまたま読んだ文面に、私にも心当たりがあることが書かれてあっ
たので「おや?」と名前を見ると、どうも従姉妹らしい。
そこで薄ぼんやりと思い出してきた。
そうだった大学も苗字も。これは間違いなく従姉妹だよぉ。


そもそも何故自衛隊関係などを検索したかというと、高校時代の友人
との会話で自衛隊に入ったクラスメートがいたなぁと、思い出したのが
始まりでその他いろいろ。

自衛官になったクラスメートは色白で、立ち居振る舞いは優美で、彼女
のか細い声を私は聴き取ることができず「えっ!?」と訊き返してばかり
いた。
宝塚音楽学校への合格者とか、もろもろの音楽コンクールの受賞者に
は冷静な学校も、自衛隊入りには驚いたようだった。
私も、ほんとに自衛隊なの?防衛庁の職員ではないの?きびきび行進
などできるの?としばらく信じられなかったことも同時に思い出してきた。



2004年05月04日(火) フリーダ「バーン・イット・ブルー 」

映画や舞台のなかのある場面で流れてくる音楽に、魂が震えるほどの
感動を味わった経験など誰にだってあることだろう。
連休前にレンタルしてきたDVD「フリーダ」の最後、フリーダ・カーロが
人生を終えーーフリーダが自らの最期を描いた飛び散る火花と燃え盛る
炎につつまれた絵によってーー魂の昇華を見送ったときに、その曲は流れ
てきた。 「バーン・イット・ブルー 」。

何を今さらと、映画ファンの方々からは呆れられそう。
今年のアカデミー作曲賞を受賞しているのだそうだ。
授賞式ではガエル・ガルシア・ベルナルがこの曲の紹介をしたらしいが、
やや!どうしたことか、確かにアカデミー賞のTV中継は見ていたはずな
のに憶えていない。

生涯フリーダを苦しめることになった心と身体に負った深い傷、それに
伴う痛みからは、やがて訪れる死が解放してくれるだろう、そんな心情を
表現したかのような絵は、残酷すぎるほど悲しくて。
でも、寝台で眠るフリーダの顔を見れば、ほほえみを浮かべて穏やかだ。

「死んだら焼いて。 もう寝るのはたくさん。 焼いて。」

そしてあの曲「バーン・イット・ブルー」。
嗚咽が咽喉をつきあげる。
音楽の効果によって、印象深いシーンとなり忘れられない映画となった。

セルバンテスのピアノ曲「さらばキューバ」が少しだけ使われた「苺と
チョコレート」も。
キェシロフスキ監督にすっかり騙されたブーデンマイヤー。
哀調をおびた旋律には永遠に騙されていたいと思った「デカローグ」や
「トリコロール 赤の愛」も。
私の心に計り知れないほどの深い相乗効果をもたらして、たまらなく好き
になった映画だ。


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