きまぐれがき
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2004年02月28日(土) カモ?岡田 准一?なにを言いたい?

突然カモを見たくなった。
鳥インフルエンザの災いのニュースを、連日のように耳にしている
からかもしれない。
このニュースの出始めでは、ウィルスをカモが運んできたとか言って
なかったか。カモの心中如何ばかりかと、それも気になって。

なだらかな坂道をのぼっていくと古墳に突き当たる。
その古墳を囲むお堀の淵をごくたまに通った時などに、カモが
ゆらゆらと水面で戯れている姿を目にしていた。

このお堀に居ついているカモなのか、何処からか渡って来たカモなのか。

いたいた

いたいた〜

カモがいた

必死に水をかいている可愛いあんよが見えますか。

古墳に葬られている天皇は誰だっただろう。
歴史上とくに有名な天皇ではないからなのか、名前を知っても
すぐに忘れてしまう。
それにここは宮内庁の管理にも、ちょっと手抜き気味を感じさせる
侘びしい天皇陵なのだ。



岡田 准一がNHKのドラマ「大化改新」で、中臣鎌足を演じる
らしい。
としたら、中大兄皇子(後の天智天皇)は誰が。
私の中では中大兄皇子は、鎌足よりもずっとずっと見目麗しい
イメージで住みついているのだから、ちょっとやそっとの美形では
困る。しかし岡田 准一を超える美形俳優なんて、いるのだろうか?
と、かなり贔屓目欲目でみてます岡田 准一を。

カモから話題を無理やりそこに持ってきたか。このとりとめのなさ。


2004年02月23日(月) ラブ・アクチュアリー

昨日は、「ラブ・アクチュアリー」にビリー・ボブ・ソーントンが
出演している、しかも米大統領役だというので見に行ってきた。

ビリー・ボブ、なんだかやけにスッキリしたお姿で。
ノーブルな雰囲気さえかもし出して。
訪問先の英国でアルカイックスマイルまでたたえて、小ぶりのソファー
のアーム部分にもたれるように足を組んで座っている姿など、超大国の
ゆとりなのでしょうか、一応大統領に見えてくるから不思議。

しかし見ているうちに、ホワイトハウスに帰ってアメリカントラディショナル
な高級ソファーにふんぞり返ったとたん、スプリングで弾き飛ば
されてしまいそうな軽さ、さらに言えば資質の軽さが見てとれる大統領で。
これがまたいいんだ〜ビリー・ボブ。

そしてこの映画での予期せぬ拾いものは、メガネが似合うロドリゴ・
サントロというはじめて見る俳優。
メガネに騙されてはいけない、メガネをはずしたらどぉってことない
のでは?の予想に反して、メガネなしでもいけるじゃん!
このロドリゴ。オリビエ・マルティネスに次いで、まばたきしても
こすっても消えてくれない目の前に浮かんだ黒い点(飛蚊症なの〜。。)
のように、気になりだしたら止まらないラテン野郎となりそうな気配。

それとコリン・ファース演じる作家の南仏の別荘は、私の理想に近い
住み家だ。
豊かな自然と表現すれば美しいが、雑草が生え放題、雑木は伸び放題
で手入れが行き届いているとはいえない庭に、こじんまりと造られた
家屋。室内のとっ散らかった様子など、整然としたところがまるでなく、
すべて私好みで居心地よさげ。

「決して広くはないのだけれど、自然がいっぱいで」と、謙遜していた
○実のフランスの別荘もこんな感じなのだろうか。

帰りに寄ったデパートでは、ジャケットを脱ぎノースリーブで歩きまわっ
たせいか、今朝起きたら喉が痛い。車の中もクーラーかけたしなぁ。
2月に気温20度では体温調節が狂うのだ。
夜は春の嵐といえるのかすさまじい荒れ模様。
雷も鳴り響き、犬たちはおびえて私にしがみつき離れなかった。



2004年02月17日(火) 1年ぶりの集い、そしてサド

近所の居酒屋にて、ビデオレンタル店で知り合ってお友達に
なったメンバーが1年ぶりに集い「しゃべりたいほうだい会」
を開催。
そのなかに映画関係のwebマスターが3名。

となると、やっぱり酒の肴は最近話題のあの映画やこの映画のこと
から、なんといっても熱がこもってくるのは、過去に捨ててきた男たち
の顔中縦横無尽に刻まれた深い皺、崩れた体型、ああ老醜をさらして
ほしくないと切なる願いを語る時だ。
また最近拾った男たちの、女の好みがどうもなぁと嘆きだしたらきりが
なく、愚痴りながらもお酒も食欲もすすむのであった。



その男たちというのが、ロバートであったりリチャードであったり
ヒューであったりマイケルであったり、ノアさんが持参した「ハリウッド
スター大名鑑」を見ながらなので、肴にはことかかない。
年齢的にはロバート・レから、日本からの小栗旬(ついに登場した!)
までだったりするのだけど、何を言い合おうが吐き出した途端に
空気中の塵と化して跡形もなくなる小気味の良さと無責任さ。
そりゃぁそうだ。
彼らは、ほ〜〜我が思いから果てしなく遠い処の住人たちなのだから。


三島由紀夫の戯曲「サド侯爵夫人」で、サドの妻ルネに言わせている
こんな台詞がある。
「年をとったと思われるのがいやでしたから。月に23ぺんも顔を
出していれば、年をとったことに気づかれはいたしません」

あの華麗なレトリックが延々と続く三島にしては、極めて現実的な
この台詞。
舞台を観た時には、牢獄にいるサドをルネが月に23回も訪ねて行く
のは、こういう理由からなのかと微笑ましく思ったものだが、今は違う。
ルネの気持ちがひしひしと伝わってくるのだ。
今の私には1年ぶりに逢うというのも、非常に辛いことになっている。



2004年02月14日(土) タイタス・アンドロニカス

google 、バレンタインのキスがあまりにも可愛いので、勝手に
貼り付けてしまいました。


☆当HPからリンクで遊びにいけるたぷろうさんの「へなちょこ頁」が、
 長い眠りから目覚め更新されつつあります。
 まずは日記を設置されて、BBSへ書き込みしていただいた皆様へ
 徐々にではありますが、ご挨拶をされていらっしゃいますのでお訪ね
 くださいませ〜
 眠っている間にすっかり好みが変ってしまった?よくあることです?
 スティーブン・マッキントッシュよりも小栗旬にご執心らしい.....
 可哀想なマッキン。仕事してるか?マッキン。

 http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/1992/ 
 

1月のある日。
阪急インターナショナルのカフェの入り口の数段高いところに立ち、
NさんWさんの姿をさがしてだだっ広いフロアーを見回わしていると、
すぐ前のテーブルで食事をされていた白髪のおばあ様と目が合う。

そこのテーブル、階段下のすぐのところで埃っぽくはないのかな、
などと思っているところへNさんがやって来た。
Wさん、それにTさんもやって来たので席に案内してもらい、
なにしろ私は1年ぶりに逢ったことだし、積もる話が喉からはみ出し
そうなほどだったので、地すべりのようにしゃべり始めていると、
先ほどのおばあ様が席を立って歩いていかれる姿が目に入った。
見るとはなしに、その姿を目で追っていて気が付いた。
おばあ様だとばかり思っていたが、女ではなく男で、萩原流行なの
だった。

そして「タイタス・アンドロニカス」観劇。
報復が報復をよぶむごたらしい殺戮の連鎖、シェイクスピアの
テキストを読んではいないけれど、アンソニー・ホプキンス主演の
映画でそのおぞましさは充分に味わっている。

なので、血のりべったりはイヤだなぁと思っていたら、流れ出る血、
吹き出す血すべてリリアンのようなフリンジのような、真紅の紐状の
ものが、長く幾筋も、傷口から垂れ下がっているのだった。
これが純白の舞台にいい効果をあげていた。

エアロンの台詞だっただろうか?「その人のものはその人に」。
これを訊いたとたん一瞬時が止まった。
どこかで訊いたぞ......
そうだ「カエサルのものはカエサルに」の聖書の言葉だ。
シェイクスピアはここに、この言葉を引用したのかと暗闇で
ニンマリしてしまったけど......原著ではどのような台詞なのだろう。

すさまじく残酷な物語ではあるが、現実にだってどの世紀でも
同じようなことが繰り返されてきていることを、21世紀に生きる
私たちは知っている。
タモーラの遺体の前で タイタスの孫がタモーラの遺児を抱いて
絶叫するところで終わるのを観て、この敵対した者同士の子供達に
希望を託したいという思いが、そう簡単にいくことではない、今
地球上で起こっている紛争をみてごらんよ、と打ち消されてしまい
そうになる。
その一方で、和解への祈りをこめて切実な思いで観てしまうのも事実だ。
と、シェイクスピアを観るたびに、思いはあれこれ彷徨う。

観劇後、何箇所かに場所を変えながら演劇話に興じる。
ギャハ!と驚いたのは、Tさんが『レイフ・ファインズの「ハムレット」
を観た』とさりげなく言った時だ。
ブロードウェイでたまたま空席があり、観ることが出来たのだ
そうだ。
こんな身近に、見逃して身もだえするほど悔しかった舞台を
観た人がいたとは。いやはや世間は狭いことよ。


2004年02月10日(火) 1月のある日 能登半島 (3)

今朝も雪が降っている。
帰りの列車のチケットは3時過ぎなので、和倉周辺をあてどもなく
ぶらぶらと巡ろうか?
他の旅館の温泉にも入ってみよう、私たちより1週間前に和倉に
来たたぷろうさんが話してくれた、野鳥公園の名物おじさんにも
逢ってみなければと、早朝から温泉につかってあれこれ本日の
スケジュールを考えていると、またもや突然ペコちゃんが「やっぱり
金沢に寄る」と言い出した。

この列車を逃したら次の列車は1時間後だというので、9時過ぎ
食事もそこそこに支払いを済ませ、旅館のキャデラックリムジンで
和倉の駅まで送ってもらい、ペコちゃんがめざした列車にどうにか
乗ることができた。
なぜ私がペコちゃんの思いつきの行動に、あたふたとしながらも付き
従って行くかというと、協調性に欠けている者に逆らって気まずい
雰囲気にしたくないだけ。
情けだと思ってほしいヨ、ペコちゃん。

金沢では当たり前のように兼六園へ連れて行かれる。
平地にあるとばかり思っていたが、小高い山に造られた庭園だった
のね。
積雪が60cmはあるだろう、池は凍りついている。
雪の兼六園は素晴らしいと訊いていたが、これではちょっと積もり
すぎではないだろうか。
雪吊りの樹木だけが印象に残って、どのような庭園なのか分らない
とペコちゃんにうったえると、「趣の分らない人ですねぇ」と厭味を
言われてしまった。

その雪吊りの樹木をカメラで撮るべく、足元が滑らないように
両足を開いてふんばって構えている股の間を、向こうからお尻を
ふりふり歩いてきた鳩が、平然とくぐり抜けて行った。
もう!観光地の鳩ってば人馴れしているんだから。
この鳩、群れずに一羽だけでひょこひょことひたすら散策して
いるので、もう一度雪をかき分けた細い道ですれ違ったりした。



 



香林坊の武家屋敷が続く路地を歩いていたら、
神楽坂の黒塀のある路地を歩いているかのような錯覚にとらわれた。

兼六園周辺や金沢の駅ビルのお土産屋に入ってみると、ペコちゃん
はどのお店のおばさんやお姉さんとも顔馴染みで「あ〜ら、来てたの」
なんて声をかけられたり、「2割引でいいからね」なんて言われている。
金沢にはここ2年の間だけでも、仕事でかなり頻繁に来ているのだそうだ。
仕事は早々にきりあげ、お土産屋さんを覗き廻っては話し込んでいるらし
かった。

3日の滞在で、7回温泉につかった私のお肌はしっとりツルツル〜
帰宅して10日経ってもまだしっとりツルツル〜
どんな化粧品のしっとりタイプをぬりこんでも、エステもどきで
みがいても、このしっとりツルツル〜感にはかなわないだろうな〜

が、11日目には元のお肌に戻っていた。あ〜あ。


2004年02月04日(水) 1月のある日 能登半島 (2)

目覚めると今日も雪。
窓から眺める七尾湾は灰色に霞んでいる。

 

輪島行きのバスはペコちゃんと私だけを乗せて出発。
朝市は休みだと訊いていたのに、ペコちゃんが突然輪島に行くと部屋を
飛び出したので、私はスニーカーを履くまもなく、かかとをふんずけた
まま旅館を出て、バスに間に合ったのだ。

バスは能登半島を横切るかたちで、雪が吹き付けるなかを輪島へと
向かう。窓から見下ろす山間の村は、深い雪につつまれ静寂に支配
されているかのよう。

輪島のバスターミナルの辺りには、人一人いない。
道の遠くを見渡しても人影は見えない。地図を頼りに輪島塗のお店
を訪ねて、積もった雪をざくざくと踏みしめながら歩いて行く。
何軒か見て歩いても、値段的に手が届くのは手鏡かお箸ぐらいだ。
輪島塗は高価だねぇと認識を新たにしたようなものだけど、工程を
知れば致し方がないのかなぁとも思う。

朱色地に手書きの桜が描かれた手鏡が気に入ったので、ケースから
出して見せてもらう。
「これは塗りむらですか?」とくぐもった箇所を指差すと
「多分指紋か何かで.....」
店員さんがその箇所に、ハァーと息を吹きかけ布で拭きはじめたとこ
ろ、手を滑らせたのか手鏡はピユーンと2m先に飛んでいき床に落下
した。
私とペコちゃんは同時にギャ!と声をあげて、落ちた手鏡を見つめる。
店員さんは「こんなことはべつに珍しいことではないです」とでもいう
ように、ゆったり歩いていって拾って戻ってくると、床に当って塗りが
剥げてしまった部分を撫ぜながら「別の模様で気に入ったがあれば.....?」
と、無表情で言った。
動揺しているのは、私とペコちゃんだけのようだった。

もったいないな〜〜 ごくりと唾を飲み込みたくなるところだ。
でもやっぱり、この桜模様が欲しかったので、手鏡の入っている箱を
一つ一つ開けて探してもらい、やっと同じものが見つかった時には、
「あった!」と思わず声をあげて喜ぶと、ずっと冷静だった店員さんも
喜んでくれた。
ペコちゃんはというと、お箸を一膳選ぶにも塗りの仕方から模様の入り
具合まで、こんこんと説明をしてもらってから買っていた。



帰りのバスも乗客は私たち二人だけだった。


一旦和倉に戻ってから七尾城址へ、今度はタクシーで行く。
東京の白金にある、荏原製作所の創業者でいらした畠山一清氏の
コレクションを収蔵した畠山記念館は、親戚の家に行くたびにその前を
通るので、よく立ち寄っては展示してある国宝や重要文化財の茶道具や
書画などを見せていただいていた。

(白金にある畠山記念館のHP)
http://www.ebara.co.jp/culture/hatakeyama/index.htm

なので、先祖にあたる能登守護大名だった畠山氏の居城があった七尾
城址には、かねがね行ってみたいと思っていたのだ。

タクシーの運転手さんは、能登畠山氏と上杉謙信との合戦の様子を、
武将の声色まじりで話してくれる。
私は上杉謙信がどんな武将だったか忘れてしまったので、学生の頃に
読んだ「天と地と」を思い浮かべて、頭の中で頁を繰っていくが、
毘沙門天の「毘」の旗印しか思い出せないのだった。
運転手さんの話はどんどん熱がこもってきて、ハンドルから両手を離して
ジェスチャーまで入るようになったので「お願いだから手を離さないで」と
怯えてしまったよぉ。

それにくわえて、後ろのシートにいる私たちの反応を確かめるように、
頻繁に振り向くのだもの、狭い雪道なので怖い。
こちらに振り向かせないように、私は懸命に相槌をうち、ついに落城する
ところでは絶望して悲しみ、ちょっと大げさに反応を示してみたりした。

城址は雪が深くて登っていくことが出来なかったので、麓にある城史
資料館で刀や武具、冷泉家からの文など展示品を見て周る。
白金の記念館でおなじみの、畠山家の○の中に二が入った家紋を、懐かし
い思いで眺めたりもする。

お隣には180年前の庄屋の茅葺きの住居が、当時のまま保存されている
ので、内部を見学。
ここでは、おじさんが付きっきりで展示品を一つ一つ説明してくださる。
ペコちゃんはこの時代には興味がないのか、話に聴き入ると言うことが
できないらしく、展示品の着物をさわろうとしたり、器を持ち上げよう
としたり態度が悪いったらないので、にらみ付けると「なんで?」という顔
をしたので、さらに思いっきりにらむ。
また落ち着きなくバシッバッシとストロボをたいて、展示品を撮りまく
っていくので「そんなことばかりしていないで、ちゃんと説明を聴いたら
(怒)」
小さな声で言ったつもりが、なにしろ3人しかいない6畳間なので
おじさんに聞こえてしまったらしい。
「いいですよ。どうぞどうぞ。写してくださいね〜」と機嫌よく撮影を許して
くださる。

「ああこれこれ、これは撮らなくてもいいんじゃないですか。天井裏に
むささびが住み着いて、天井板に穴を開けたものですから。
フンが落ちるんですよ」
次の間へ移動したところ突然出現した、畳の上に広げてある新聞紙は、
そういう訳だったのだ。

待っていてもらったさっきのタクシーで旅館へ。
帰りも運転手さんは、派手なジャスチャーで私たちを怯えさせたが、
楽しい気分にも充分ひたれたので、またここに来たいという思いが
ふつふつとわいてきたのだった。


ペコちゃんが寝たあと、私は一人で館内にあるシアタークラブとかいう
ところへ、雪月花歌劇団なるもののショーを観に行った。
お色気ショーを期待しているらしい酔っぱらったおじさんたちの団体や
家族連れ、カップルに混じって、一人で観に来ているのは私だけだ。
隣の席にいた熟年カップルは不倫旅行なのかもしれない。
男が、ゆかたに厚化粧付け睫毛ばっちり女に
「うちのおかあちゃんはな...」
「うちのおかあちゃんがな...」とおかあちゃんの話を盛んにしている。
こんなルール違反をおかしている男を愛してしまったらしい女は、動じ
る様子もなく黙ってしなだれかかっているうちに、男の膝の上にうずく
まってしまった。

おじさんたちの野次など何処吹く風の品行方正なレビューは、解散した
OSK日本歌劇団のメンバーだったのねと、帰宅後にネット検索で知っ
たのだが、あきらかに客層の異なる環境、彼女たちの心中は複雑だろう
なぁ。

今夜も「美しい魂」の続きをよんでいるうちに、眠りの中へ。


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