きまぐれがき
目次pastwill


2003年06月29日(日) 食べていいのかドッグフード

たまたま通りかかったペットショップに、ワンコ2匹のフードを買う
ために入ってみる。
この店の奥さんらしい人は、通りがかりの初めてのお客にも愛想が
よいので好感がもてたのだが......

フードの支払いなどをしていると、お店の奥から4歳ぐらいの女の
子がカタカタと音をさせて小走りでやって来た。
今どきめずらしく、絞り模様のはなおの可愛い下駄を履いている。
そうそうちょうどロシアから来日中のタトゥーが、どこかのTV局
からプレゼントされていたような下駄ね。

だからカタカタ音がするんだな、じょうずに下駄がはけるんだねと
いうように「うふ〜」と女の子に笑いかけた。ところがその子は
とっても不機嫌なのだ。
突然奇声を発してフードが並んでいる棚に突進して行き、身体を
捻じるようにして、フードの袋を片っ端からひっかきはじめる。
どうしちゃったの?と思うまもなく、「はいはい、ほら」奥さんは
犬のジャーキーの袋をピリッと破き、中から取り出した1本を女の子
に掴ませた。
とたんに静かになった女の子は、ジャーキを口にくわえるやジャキ
ジャキジャキジャキと前歯できざむように、あっというまに食べて
しまった。
再び愚図りだした女の子に、また「ほら」とジャーキをもう1本
掴ませた。
このお家のおやつはジャーキーなのだろうか。それも犬用の。
そんな〜 大丈夫なのだろうか?

帰宅してから、家にあったワンコ食べ残しのジャーキーを、ほんの
少し食べてみたが不味かった。
あの女の子とその母親の気持ちというものが、私にはてんで分からない
のである。




雑貨屋さんの店内から、手ぶらで出てくることができない。
バードケージ......家人に「なにするの、それ?」と言われた......
私だって何にしていいか分からない.....





2003年06月23日(月) 新たな眠り....墓石の下で

体調を崩して寝込むことなどあるのだろうかと、頑強な身体が
羨ましかった義姉の思いがけない入院は、死への序奏だった。
入退院を繰り返し、その間の痛みや苦しみや不安は、あまりにも
若すぎる死によって解放された。

あの日から2年が過ぎたのだ。
梅雨の晴れ間となったこの間の土曜日、新しく建てた義姉の
墓石の前で僧侶に読経をしていただいた。

お坊さんは新入社員のような、初々しい若坊さま。
調子が外れないように懸命にお経を唱えている姿を斜め後ろから
見ると、頬から首筋にかけてなどまだ少年のようでもあった。

義姉の仮通夜の時にはこの僧侶ではなく、故人と家族ぐるみの
お付き合いがあった僧侶に、お経をあげていただいた。
こちらの中年僧侶は、うちに遊びに来たときなどヒソヒソと小さ
な声で世間話をしているうちは恥ずかしそうにしているのだが、
お酒がまわってくると「夫の警察官が帰宅した気配に、女の家の
窓から袈裟をかかえて飛び出して逃げた」話とかしだしたあげく、
不倫相手の女性の写真を車の中から探してきて、見せてくれたり
するのだ。

あちこちの旅行先での二人の写真は、なんとアルバムにまでして
ある。
「このナマグサ坊主が!」とグラスの水をひっかけたい衝動に
かられるものの、ついうっかり「あら、若くて綺麗なひと」など
と言ってしまうと、それで気が済むのかドアや壁にバタンバタン
とぶっかったり、つんのめったりしながら帰っていく。

そんなナマグサの読経を、私は初めて仮通夜の席で聴いたのだ。
それは深い悲しみから慰められるような、くぐもりのない清らかな
響きで「私が死んだときはヴェルディの「レクイエム」のCDを流して
くれればいいから」と思っている気分がゆらいでしまうぐらい感動
したのだった。

「聖職者の生き様...」なんていう言葉が、少しだけ胸をよぎりは
したけれど。


義姉は新しいすみかで、やすらかな眠りについただろうか。
花盛りの紫陽花、植えた人はもういない.....




2003年06月20日(金) ナタリア・ギンズブルグ『モンテ・フェルモの丘の家』

『ある家族の会話』につづいてナタリア・ギンズブルグの『モンテ・
フェルモの丘の家』を読む。翻訳は須賀敦子。

モンテ・フェルモに建つ館マルゲリーテに関わりを持った人物
たちの書簡のみで、それぞれの人生を浮かび上がらせていく。
流れ行く時のなかで登場人物たちは何を考え、どのような日々を
歩んでいくのか?
求めるものを掴むことができたのか、失ったものは何なのか?
過ぎてしまったあの頃をどのような思いで眺めているのか?
読んでいる間中、よるべない流木の行方をはらはらしながらも、
ただ遠い岸の上で見つめていることしかできない夢を、みている
ようだった。

かつて恋人どうしだった一方の最後の手紙は「ぼくたちは、
あまりにもながいこと離れすぎていた。そのあいだに、きみにも
僕にも、あまりにもたくさんのことがおこった。」で締め括られて
いる。
この二人にかぎったことではない、別々の人生を歩みだした者たち
になら当てはまりそうな、人生とはそういうものだ的でさほど気に
止まる言葉でもないように思えるが、うつろな心となっているもの
にとっては、なんともいえないやり切れなさで胸に迫ってくる。


訳者のあとがきに、登場人物の一人アルベリーコはギンズブルグ
と親交のあった監督パゾリーニに捧げられたレクイエムにも似て
いるとあった。そうだとしたらあの無残な死にかたをしたパゾリーニ
を、他人のために犠牲となって命を落とした若者として蘇らせたのは
偉大な詩人にたいしての敬愛にほかならないだろう。

それにしてもマルゲリーテ館とコルシア書店が重なってしまうのは、
私だけではないはずだ。
さらにあとがきで「この訳本をイタリアと日本と、そして世界の、
《あの時代に若者だった》友人たちに捧げたい」とあるように、
須賀さん自身のコルシア書店の活動から、日本に帰国されるまでが
まさに《あの時代》でもあったのだから。






2003年06月18日(水) 新PC

ふらふら〜と入ったPCショップで買ってしまった。またノート。
あのPCは初期不良品だったのではないかと疑いを深めている。
あんなに都度々修理入院を繰り返していたら最期の日も近いに
違いない。まぁ夏のボーナスもそろそろだし〜




これが14日の土曜日のこと。
それからというもの、前のPCがオダブツになる前にと、データの
移動やなんやかやでほとんどPCの前で過ごす。
ところが、新PCで自分のHPのファイルを開くことができなくて、
とうとう助っ人Y子ちゃんに来てもらう。

Amazon仏に発注していたDVDのうち、私の分もちょうど
届いているからと、それを持って仕事帰りに寄ってくれた。
となれば、まずはなんてったってDVD鑑賞でしょう!

セロファンを破るのももどかしく、Y子ちゃん注文分でお待ちかね
だった『Cravate Club』を観てみる。コメディー。
なんなんだ〜 この役者。シャルル・ベルリング。
口をあまり開けずに台詞を言い、表情も変えないのが持ち味だと
ばかり思っていたのに、機関銃のようにしゃべくりまくって、
あろうことか大口開けて笑っているではないの。
二人でシャルルに黄色い声をあびせつづけて乱れる。

そして私の『La Vie Promise』『La Confusion des genres』と
「愛する者よ、列車に乗れ」のフランス版。
前記2作の日本での公開は望めそうにないのではないかしら?
怖いわ〜怖いわ〜新作ごとに年老いていくのだもの、
パスカル・グレゴリー。
二人は鎮まりかえって観る。

どうしても開かなかったファイルは、いとも簡単にY子ちゃんが
設定をし直してあっけなく解決したのだった。その時間2分。


2003年06月13日(金) PC不調

PCが不調。この半年でいったい何回目!? 
大枚はたいて修理をしたのはついこの間のことではなかったの。

電源を入れると勝手にスキャンが始まって、2時間かかって
やっと終了したと思ったら不良クラスタが見つかったので、
毎日スキャンを実行しろだって。
再セットアップをしてみろだって。

不良か〜 とうとうグレちゃったというわけね。

キッチンのガステーブルでは、冷蔵庫の残りもの野菜と解凍した
お肉のかたまりなどをぶち込んだポトフ風のスープがグツグッと音を
立て始めたところだったので、そばのテーブルにPCを移動させて
とりあえず大事なものだけWinの解説本を読みながらバックアップする
ことに。

ところがどうしてもアドレス帳だけがバックアップできない!
記録されているデータがとんでしまう。
何度やりなおしても、これだけがうまくいかない。

かれこれ3時間はPCと向かい合っているけど、そういえば、プツプツ
としぶきが外に飛び出して煮えたぎっていたスープはどうなった?と、
お鍋を覗いてみると、すっかり溶けてしまった野菜たちと繊維のような
細い糸状に姿を変えたお肉がドロドロとお鍋の底でこげつき始めていた。

ギャ!怯える!
こうなってしまった「肉」というのは、いつか読んだ猟奇殺人の
裁判記録を思い出させて怖い。

もうまったく二つのことを同時に出来たのは何歳ぐらいまでだった
だろう......と、PC不調からあちらこちらへとお話は飛び散りました。

アドレス帳については、メーカに問い合わせたところ、
「マイクロソフトに訊いてみてください」との回答だった...う〜ム。


遊んでいる場合ではないのに...


2003年06月08日(日) この花は.....ラーラ



ラーラが11年前に死んだ時、遺骨は動物霊園の墓所に納めたが、
ほんの少しだけ小さな小さな骨壷に入って、我が家に帰ってきた。
その骨壷はリビングの棚で、生前されていたように、ひつこく撫ぜ
られ頬を寄せられ、抱かれたりしながら、やっと土に還されたのは
2年後のことだった。
「もうちょっと.....もうちょっと.....」と離れがたくて、
時が過ぎてしまったのだ。

ずい分前にTVで、キダタロー(難波のモーツァルトとか言われて
いる作曲家)の可愛がっていたニワトリのピーコちゃん(だったかな?)
の骨壷が、キダ家の本箱に大事に並べられていたのを見たことがあった。

その時キダタローは「埋葬などしませんピーコちゃんはずっとここです」
いけませんか?あんたへんなこと訊くね〜と言わんばかりの不思議そうな
顔でインタビュアーに答えていた。
ニワトリが死んだ時には、夫妻で涙が枯れ果てるまで泣いたのだそうだ。
そのニワトリは、まだ夜が明けないうちから時を告げて啼きだすので、
ご近所からとっても憎まれていましたと、真面目な顔で口調はおだやかに
言ったので、キダタローの横でそれを訊いた関西の芸人が思わず吹き出
していた。

ラーラの骨壷は、どんな季節でも、まず1番に朝日があたって窓からも
よく眺められて、家の中の家族の声がきこえるあたりに埋めた。
そして、同じ場所に芍薬の苗も何本か植えてみた。

色は白とはんなりとしたピンク。今年も咲いてくれたんだね。




私は今だってあの犬を思い出すと、声をあげて泣くんだ。
1本道に立って、ずっと続く道の遠くを見ると、首に白い襟巻きを
巻いたかのような豊な毛を風になびかせて、耳をさげ一目散に
こちらに向かって走ってくる姿が見えるような気がしてならないのだよ。


2003年06月05日(木) 遠い朝の本たち

『遠い朝の本たち』の感想をUPしました。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/9392/list3.htm
あらとばなかった...コピペしてね。



ふきを煮てみました。
味付けは関東風濃い口醤油。



アスパラにセロリ、うど、ふきと繊維が歯の間に引っかかるような
ものが好き。


ギブリ |HomePage