目次過去未来


2003年01月29日(水) 武器としてのワイン



 先日の夜、フランスのコルス(イタリア語ではコルシカ)島の、蔵醸造、ロゼワインを飲む前に、冷え切った庭にしばし放り出して置き供した。
 ロゼは、ピンク色が微妙に採れた場所で違って、このロゼはニッキ色をしていた。なかなか辛口で、晩飯にも良くあった。
 そうして、最後の一杯をグラスに注いだら、ガラスの破片どうしが擦れるような、ガシャという音がグラスの中でした。見ると、なんと小さじ一杯くらいのガラス状の結晶がグラスの底に沈んでいた。
 すぐこれは、酒石だとは思ったが、あまりにも多いので少し驚いた。急激に冷やしたりすると、酒石(正式には酒石酸水素カリウム)がでる事があるが、庭で冷やしたのが原因だとは思えなかった。

 ドイツ、フランケン地方のボックス・ボイテル(Bocksbeutel,山羊の○玉)型瓶(よくつけるなぁ!こんな名称)で知られる白ワインの中に、これとは少し違うが、白い顆粒状のもの(粘液酸カルシウム)が、多く結晶化したのを過去見た事があったが、こんなコーヒー用砂糖状の大きな結晶が、小さじ一杯も結晶化したのを見たのは初めての経験だった。

 酒石は、ロッシェル塩とも言い、フランスの港町、ラ・ロシェで調整したところからそう呼ばれる。この酒石は、昭和17〜18年当時、戦争で、贅沢品だった葡萄や、葡萄酒を作っていた日本の葡萄酒業界は潰れかかっていた、それを救った。

 酒石(ロッシェル塩)には圧電現象があり、これが潜水艦や魚雷の発する音波をキャッチする、水中聴音機の素材として、昭和17年以降、急速に需要が高まった。地上より水中のほうが、早く伝わる音波の性質を利用し、探知する兵器が、各地の軍需工場で量産され始めた。その技術・情報は、日本海軍がドイツから持ち帰った。そして、海軍軍需工場から、今もある「サドヤ」に、大量の酒石を集めるように申し入れがある。
 また、酒石酸には、海水から真水を作る脱塩剤の主原料にもなるため、南方の島で戦う陸軍からも、大量の注文があった。
 日本全国のぶどう酒醸造業者が、酒石の結晶体の採集をはじめ、サドヤに集めて精製した。酒石の結晶はワイン樽の中にこびりついているので、樽を分解して採取する。これは終戦間近まで続き、酒石採取は二十数トンに達したと言われている。銃や大砲が、積極的武器だとすると、レーダーや探知機は消極的武器、楯に当たる武器だと言える。そういう意味で、「武器としてのワイン」と題をつけた。

コルスのワインから取り出した酒石の結晶は、薄赤紫の、例えて言うなら、アメジストに赤みを加えたような、結晶だった。

*コルス島…地中海西部にあり、すぐ下にあるジェノバ島はイタリア領。皇帝ナポレオンの生地、平地は少なく標高の高い山々が連なる。最高峰のチント山(2710メートル)をはじめ、2000メートル級の山がそびえ「美の島」と呼ばれている。南西にある、アジャクシオには、フェッシュ美術館があって、ヴェネツィア派やフィレンツェ派によるイタリア絵画の重要なコレクションが、保存公開されている。

参考文献:ぶどう酒物語 山梨日日新聞社編









2003年01月25日(土) 日本はどこにも行かない。



「日本の歴史」全二十六巻の最終巻25巻目「日本はどこへ行くのか」(講談社)が出た。この巻に、親しくしている友人が執筆していたので、買ってざっと目を通した。執筆者は、C・グラッグ、姜尚中・Tモーリス=スズキ、比屋根照夫、、T・フジタニ、H・ハルトゥーニアン。最初の巻00に「日本人とは何か」と題して網野善彦が書いているから、この全巻を通して網野史観が通底しているのだろう。この全巻を読むのは骨である。専門家か余程の歴史好き以外は読まない。

 そこで、どういった傾向(歴史観)のものなのか簡単に解る方を教える。
その前にちょっと25巻巻頭に載せられている写真を見てみよう。
アイヌが民族解放を訴える演説会のポスターが載っている、移民と民族それぞれの歴史として、沖縄の人達の写真が載っている。朝鮮統治時代の朝鮮皇太子と梨本宮方子の写真が載せられている。このコメント「統治を正当化するために結婚した」とある。悪意のコメントである。ところが、当時朝鮮より格下に見られていた、台湾について一枚の写真もない。
 元統治国の総督府をこわしてしまう朝鮮と、残して記念とする台湾と両方載せてこそ、読む側に説得力を与える事が出来る。これでは自分達の都合の良い側面だけを強調しようとしていると見られても仕方がないだろう。
さて、内容はもう読まずとも予測がつくので、執筆者を見ていく。まず、

C・グラッグ(キャロル・グラッグ)…著書に「日本の女をつくり直す1600年〜1945年」(西村桜訳)。「女性史学」というジェンダー関連の研究誌に寄稿したりしている。

姜尚中…この人はご存じだろう、異様に抑揚のない、落ち着いたしゃべりで偏った事をいう、主に朝日系の言論人。執筆と発言場所、週刊金曜日、噂の眞相、朝日新聞他、

Tモーリス=スズキ…(テッサ・モーリス・スズキ)この人はあの家永教科書裁判の家永三郎をノーベル賞に推した人々の一人である。推した言い分は次の如し。

 「家永さんの多年にわたる自由と民主主義、平和のための学問的な戦いが世界の良心的な知識人、平和活動家、人権活動家に良く知られ、高く評価され…」。
「ノーベル平和賞が始まったのは今から100年前、1901年である。この6年後、人道の観点から戦争中の軍隊の行為を規制する「陸戦の法規慣例に関する条約(ハーグ条約)」が成立した。15年戦争中に日本軍は、これらの国際法に違反する非人道な行為―無差別爆撃、南京虐殺、731部隊、「従軍慰安婦」等― を繰り返した。
家永さんはその行為の違法性を事実に基づいて明らかにするとともに、教科書に正しく記述され、子どもたちが過去の過ちに学びながら国際法と人権・人道に基づく平和な未来に生きてゆけるようにしたいと願った」
からであるとしている。何をかいわんやである。どこの国に、自国のまだはっきりしていない事共を糾弾してその事でノーベル賞もらえると思う馬鹿がいるか!
 この程度の知識と言い分で、ノーベル賞に推すとはあきれてものが言えない。結果は、コフィ・アナン国連事務総長にノーベル平和賞が与えられた。

比屋根照夫…(琉球大学教授)ヤンバル・ピース・ウェーブ実行委員会主催の「日本にとっての沖縄、沖縄にとっての日本」と題する緊急シンポジウムに参加
「日本連邦共和国などの沖縄の負担と差別の克服をめざす国家システム構想や沖縄のアジア・オセアニア性の強調など、反基地運動が閉塞状況に陥るたびに浮姿形を変えた沖縄独立論に連なる声が上せざるを得ない困難な事情」などを講演、共和国支持とは簡単に言えば、皇室を無くす事を是とする立場だと言うこと。

T・フジタニ(タカシ・フジタニ)
この人は「反ひのきみネット」の呼びかけ人となっている。反ひのきみネットとは日の丸・君が代に対抗(ママ)するネットワーク。
「日の丸・君が代に対抗するネットワーク」呼びかけ人
岩崎 稔(東京)
鵜飼 哲(東京)
岡 真理(大阪)
酒井 直樹(イサカ、ニュー・ヨーク州)
田崎 英明(大阪)
中野 敏男(東京)
タカシ・フジタニ(サン・ディエゴ、カリフォルニア州)
米山 リサ(サン・ディエゴ、カリフォルニア州)
吉田 俊実(東京)

他、二人略。
 もうこれで、どういう人達が執筆しているかおわかりだろう。
「日本はどこへ行くのか」、どこにも行かない。網野史観の批判は簡単である、「人間というものがわかっていない」、人は変わらない。これからも形を変えた「他者排斥・抑圧・侵略・戦争」は繰り返される。なぜか?、過去の歴史を見よ。歴史家の歴史知らずとはこのことである。過去が悪くて今が良いと思うのは現代人の錯覚である。

家永三郎1937年(昭12)、東大文学部卒。49年、東京教育大教授。77年に退官後、84年まで中央大教授を務めた。マッカーサーにフレンドリージャパニーズとして白羽の矢を立てられ、占領初期に連合国軍総司令部(GHQ)の指導で進められた国定教科書「くにのあゆみ」の編集委員になる。65年6月、大幅な修正を求められ合格した自著の高校用教科書「新日本史」をめぐり、最初の教科書訴訟(損害賠償請求)を提起。
訴訟は検定処分取り消しを求めた第2次、85年以降の検定を対象とした第3次訴訟と続最高裁が、97年8月「731部隊」の記述などに対する検定意見に裁量権の逸脱があったと認定、国に総額40万円の支払いを命じ、一連の教科書訴訟が終結。
国に学問や教育を左右されない事を主張していたが、当人は社会主義者であった。自家撞着の人。


_/_/_/ 親しき友人が何章目かを書いている。人はコンペン糖である。歴史観が違うといって、その人全てを否定するものではない。だれも全人格的に誤謬(ごびゅう)無きものなどいないのだ。_/_/_/









2003年01月22日(水) 「らしさ」の真実



「男女共同参画社会基本法」が、安易に女が外で働くことへの良き口実となりつつある。家庭で育児をし、切り盛りしている専業主婦には冷たい風が吹いて、配偶者控除がなくなる。まるで家で育児をする主婦も、子を訳の分からない人間に預けてでも働けと言っている、社会主義国のような扱いである。
 もう二十年前くらいになるか、「シャドーワーク」(イヴァン・イリイチ)という本が話題になって読んだことがある。シャドーワークとは家庭で働く主婦の労働の事で、主婦の仕事の賃金はだれが払うか…と言うような視点から、専業主婦を否定していく。
この本は日本以外の国では、説得力があったのだろうが、ほとんどの男が給料を主婦に渡している日本では、何だか説得力がなく、読んだ後もそう印象に残らなかった。日本の主婦の場合は、もらった給料からへそくろうが何しようが、その主婦の腕一つである。

 が、主婦が育児を他人に任せても、金儲けに社会にでて、ここ最近どうなったか?少ない保育所で、事件が起こると、自分の責任は棚にあげて、保育所を目をつり上げて非難する。
 「ジェンダーフリー(男女性差からの解放)」
なんだそうな。男女の性差は後天的なもので、社会や環境が男らしさや女らしさをつくったのだから、それをなくそうという運動の一環で、大阪、高槻市の公的な出版物に、男がスカートを履き、白塗りにお化粧しマスカラをつけた、二十数人が大まじめで、男から解放される訓練を?している写真が載っていた。一言に言って大笑いした写真であった。税金を使ってこんな事をしている。
こんな性倒錯者の恰好する事がなんで男女を越えたことになるのか?

 現代の医学では、性倒錯は何らかの身体内の事故であると言うことが解っている。男らしさ女らしさは後天的、社会環境的な物ではなく、脳内で性分化を決定するアンドロゲンの分泌によるものだそうだ。男児は、妊娠中の胎児期と生後二日から六ヶ月位の間の二回にわたって、脳内でアンドロゲンのシャワーを浴びる。女児にはこれがまったくない。従って、俗に言うおかまさんやおなべさんは、この脳内シャワーの時に、何らかの事故によって、シャワーが浴びられなかったり、その逆だったりして、性が倒錯したと考えられる。性差は後天的な物ではなく、生まれ落ちるときから決定されているということだ。

 話が少しそれたが、目出度く社会進出して、家庭を留守にし、今どういうことが起こっているかを、そちら方面の先進国スウェーデンで見ると、子供の犯罪が急増し、今では大人の犯罪がアメリカの4倍、日本の20倍、強盗にいたっては日本の100倍という、驚くような荒廃した国になっているらしい。
 犯罪を犯した子供の家庭環境を調べてみると、母親の優しい愛情が不足していたというケースが圧倒的に多いそうだ。

 中国(北京市海淀区で2000組の夫婦を対象に行った調査)でも、仕事を持つ妻の6割以上が専業主婦を望んでいることが分った(「人民網日本語版」2003年1月12日)この事実を日本のフェミニズムはどう解釈するのだろうか?相変わらず、自分が出来ないからと「くたばれ専業主婦」と言い続けるのだろうか。
 子供の非行の調査で、自衛官の子女達に、非行に走る者が皆無に近く、夫が外で働いているのを支え、家庭にいて、しっかり子供を見て育てている家に、非行に走る子は少ないという事実を、世のフェミニズム信奉者は発表したがらない。

「鉄の女性」サツチャーは、流行するウーマン・リブ(女性解放)やフェミニズムに抗して、妻であること/母であること/主婦であること、に誇りをもつべきだと、全女性に訴えつづけた。
「”ただの"母親、あるいは"ただの"主婦であるのは、他にやることが無いからなのだという考え方を私は決してしない。首相になる前にも、なってからも、そのような言外の想定を耳にしたときにほ、強い怒りを感じたものだ。当然のことながら、母であり主婦であることほ、非常に立派な仕事である」と。

            参考文献:中川八洋著書
               「脳の性差」新井康充著 共立出版
               「サッチャー私の半生」上巻、日本経済新聞社















2003年01月18日(土) どうする?日本



 ニューヨークタイムズ(16日付け)でアレン元米国家安全保障補佐官は、韓国が北朝鮮と米国の間で中立の方向に動くなら、暫時在韓米軍撤退を検討すると言っている。そして中国が北朝鮮への影響力を米国に対してカードに使うときは、米国は「日本に核武装というカード」を使える、といっているのだ。

そんな事、米国に言われる前にさっさと核武装してしまえばいい。この言い分でだと、日本はまるで属国(ほんとはかなりそれに近い)である。

 昔、ソ連が赤の広場をミサイル・戦車で畏怖堂々行進し、見せたあのミサイルは、実は大半張りぼてだったことを当時の軍関係者が述べている。だから行進の際、軽いので、揺れることを防ぐのに最新の注意をしたそうだ。その後も冷たい戦争を米国と戦った。日本の武士も江戸太平期に入ると新武士道も出てきて、刀は持つが刀ではない竹光を指していた。
 人は銀行に貯金している。銀行の金庫に、お金がいつも用意されていると思っている。この「あると思っている」事が安心になる。が、実は無い。
嘘だと思うのなら、日を決めて、みんな一斉に銀行に行って、全額下ろしたいと言ってご覧な。ないから。あるんだけど実はない。ここが大切なのだ。

何を言おうとしているかわかるだろうか?

 実際にそれを持ったとして、例えば日本の原宿に、板前が自分の命の出刃包丁を持って、200人が集まった。凶器準備集合罪になると思うか?ならないだろう。そして誰もそれで、町ゆく人を傷つけるような行動にはでないだろう。包丁に対する価値基準が違うからである。しかし、事あればそれを使って立ち向かう事が出来る。板前は包丁、猟師は鉄砲を持つが、誰も恐怖を覚えない。

 各国が武器を持とうとするとき、各国の民度が問題になってくる。日本は充分民度は高い。核を持つことで、日本が突然何にもしない他国を、攻撃するとは思えない。また暴発抑止として、反日的日本人が日本のあちこちにいる。
この人達が常に監視していて騒ぐ。持っているだけでよい。
たまに、キチガイに刃物の状態の国は存在して、それはたいていの場合は独裁国家である。

 日本人は「拳銃」を人を殺す道具と見るが、多く治安の良くないほとんどの国は、自分の命を守るための道具とみなす。日本人が世界とまったく異なった反応を示すのは、最近はそうでもないが、治安の良さと、世界的な発明である、よこちょの交番制度(ニューヨーク警察はびっくりして、この制度の視察に日本に来たことがある。)が行き届いているからである。事あればすぐに来てくれる。
地球規模にはこの交番がない。だれも助けてくれない。









2003年01月17日(金) 危ないぞ、日本!



 なんだろうこの緊迫感無しの日本は…。北朝鮮の問題がまるで米朝間のようなニュース報道。最も危険なのは日本なのだ。今本当に危ないと思っている。アメリカも実のところ、イラク問題よりも、核が届く、朝鮮に驚異を感じている筈だ。
イラク攻撃で壊滅させられたらフセインは腹いせに、アメリカの本当の目的である、地下石油に向けて放射性物質を撃ち込み汚染させ、石油に手出しをさせないように出来る。その時、アメリカの軍事作戦は無駄になる。だからじりじり攻撃をのばしている、その裏で、北朝鮮への戦略はすすんでいるようだ。
RFA(ラジオ・フリー・アジア政府系海外放送)が二十四時間北に向けて、報道を流し始めた。北朝鮮では一般の人達は海外の放送を聞くことが出来ない。平壌では、周りに妨害電波が張り巡らされていて受信できない。日本からの仕送り?の中に例えラジオが入っていても、自己申告でしかるべき所にラジオを持っていく。そうすると、国内放送の所以外は聞けないようにハンダ付けされて返される。

ビデオデッキなども金持ちは日本から送ってもらえるが、外国の物は一切見られない。内緒で見ている人達の不正を、どういう風に検挙するかといえば、国家保衛部(秘密警察のようなもの)が疑わしい家に夜更け忍びより、突然電気を切る。もし、ビデオを見ていたら、ビデオは器内にはいったままの状態になる。そこで踏み込み、再び電気をつける。そうして検挙された家族は、翌朝家族ぐるみ突然消える事になる。

だけれど、何時の世にも抜け道巧妙な方法で聞く人達は存在し、その人に向けて、内部から北朝鮮を崩そうと、RFAは動き始めた。三十八度線も米韓新たな動きがある。核施設をやがてアメリカがたたくとき、すべてアメリカ任せの日本にも、必ずミサイルは飛んでくる。その時の覚悟を各自決めておかないと、あとで政府になんだかんだと文句を言っても、すべて自分達の責任に帰す。今本当に日本は危ない。









2003年01月14日(火) 「小さい人達族」?



 1954年、英國のオックスフォード大学の教授、トールキンが書いた「指輪物語」が少し前映画化された。外国映画はビデオを借りる時や劇場でも、日本語版を見るようにしている。英語が即時に聞き取れるほどの耳はないし、それより何より、映画の字幕は、流れに沿って、字幕を読まなければならない。
一秒間に人が読める字数は限られている。それに時々、台詞が長すぎるのか、字幕を省略、はしょりすぎて、全体の流れが分からなくなる映画がある、そういう危惧があるからで、吹き替えなら早口で言えば済む。
 日本人は昔から舶来物が好きである。その好奇心は、日本人の原動力としていいことだと思うが、イタリア語で唄うオペラでうっとりしても、日本語に訳せば、佐藤しのぶが言っているように、「何だかくだらない、好きだの嫌いだのの内容が多い」らしい。自分の国の言葉で聞けば、妙な外国語コンプレックスはなくなる。フランスはその事にとっくに気がついて、基本的には、映画は吹き替えである。
と言うことはさておき、この「指輪物語」で気になった訳(予告の翻訳文字)があった。「小さい人達族」ってなんだ?

 この物語は「ハリーポッター」とは違い、冥王サウロンが探し求める指輪を、ホビットやドワーフ、魔法使い、エルフ、人間が協力し、様々な危険や困難に立ち向かいながら、この世から完全に消失させようと努力し、冒険する物語で、「ハリー…」はこの物語の中の「魔法使い」の部分をしめるに過ぎないが、「指輪物語」は、一つの稀有壮大な世界観を作り上げている。
 
 この物語の中心となる部族に「ホビット」というのがいる。どうやらこの訳語に苦労したらしい。ホビットは状況からすれば「小人達」である。が、これはマスコミ他差別用語リストに入っている。だから使えない。どうするか?考えた末「小さい人達族」にしたに違いない。
 そんな風に考える人がいて、それで小人が救われると思っている。それなら、同様に「巨人」も差別用語に入れないと片手落ちではないか。そうすると野球放送出来なくなるからそれはしないのだろう。

 夏目漱石他古典が教科書から消える理由の一つが、実はここにあるのではないかと見ている。「桃太郎」の歌と同様に、今の目で見て判断するに、差別語に満ちている。桃太郎の歌詞六番「万々歳 万々歳 お伴の犬や さるきじは…」の「お伴(とも)が今の価値基準では、主従関係を現していけないそうである。それでかどうか文部(現、文科)省唱歌から消える。
ついでに言うと、つい最近まで、「子供」はいけなくて「子ども」と書かなくてはならなかった。「供」がいけないそうな。

 漱石の「坊ちゃん」の中に、
「十年来召し使っている清(きよ)という下女(げじょ)が、泣きながらおやじに詫(あや)まって、ようやくおやじの怒(いか)りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖(こわ)いとは思わなかった。かえってこの清という下女に気の毒であった。この下女はもと由緒(ゆいしょ)の…」

と、その筋の人達にとって身の毛もよだつ文章。どうしよう?
そこで、文科省検定済教科書(「国語中1・光村図書」)では次のようにした。

「…十年来召し使っている清(きよ)というが、泣きながらおやじに謝まって、ようやくおやじのいかりが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖(こわ)いとは思わなかった。かえってこの清に気の毒であった。このはもと由緒(ゆいしょ)のある者だったそうだが、瓦解(がかい)のときに零落して、つい奉公(ほうこう)までするよう…」(「国語中1・光村図書」)
立派な改竄(かいざん)である。漱石を冒涜するにもほどがある。

 さぁ困った。最初は改竄していたが、文豪の文章をいじくるという後ろめたさはついてまわる。どうする?それじゃ消してしまえと言うことで、目出度く教科書から消えることになったと推測する。
 鴎外は、「歴史的仮名遣い」についてその正当性をきっぱりと証明している。鴎外・漱石も歴史的仮名遣いで書かれている。現代仮名遣い(表音主義)の矛盾のあるところはどうしても歴史的仮名遣いでしか現しようがない(…を、や …へ、など)。
そこでそれに関連する物もすべて消してしまえと言うわけだろう。

 日本国が滅びるとすると、例えば「北朝鮮との戦争で核を撃ち込まれる」だけではない。こういう日本の言葉を軽んじるところからも崩壊する。漱石・鴎外を読めなくしたのは、当の文部科学省の中にいる、進歩派(今の価値観が最高のように思っている人達)の連中である。

佐藤しのぶ
日本が世界に誇るプリマドンナ1993年、ウィーン国立歌劇場での「カルメン」のミカエラの成功 韓国政府に初めて正式に招かれた日本人歌手としてチョン・ミュンフン、スミ・ジョーらと共演98年11月には「蝶々夫人」でウィーン国立歌劇場主役デビューを飾った。

 









2003年01月10日(金) どうだ?言えねぇだろ



 唯一、拉致事件を取り上げている扶桑社の「新しい公民教科書」(中学公民)に続いて、東京書籍「現代社会」、清水書院「新現代社会」、一橋出版「高校現代社会」、帝国書院「新詳地理B 最新版」、第一学習社「高等学校 政治・経済」が取り上げることを申請した。
そこでざっと四社の新聞を見てみた。産経・読売は報道していた。日経・朝日はしてない。朝日なんかは、くやしくって仕方ないだろう。

 常々テレビで、朝日放送に、内容はともかく報道関係の番組企画が多く、産経の属するフジグループに、おちゃらけ番組が多いことが不思議だったが謎が解けた。
新聞社主導で出来た朝日放送と、フジグループに吸収される形でなっている産経新聞とでは、テレビに対する口出しが格段に違うからだろう。

 だからニュースステーションでは、新聞(朝日)の意に反することは取り上げない。
今回、新たに五社が北朝鮮拉致を、教科書に取り上げることが申請受理された事も、多分報道しない。いや出来ないだろう。あれだけ悪意に満ちた反、「新しい歴史教科書をつくる会」を明確にしてきて後、拉致疑惑を北朝鮮が認め、その事がすでに「つくる会」の公民教科書に書かれている事実から、「後の教科書が追随した」ことなど、報道できるわけがない。
どうだ、報道できねぇだろう!ニュースステーションとNews23。
だから、この系列の新聞だけを見ている人には、そういうニュースはこの世に存在しないことになる。

 これと似たことが他にもある。原爆反対の原水協・原水禁の皆さんの声が北朝鮮の核については何も言わないことだ。他にもいるが、馬鹿なことを言い続けている大江健三郎何とか言え!



大江健三郎
ノーベル賞作家。授賞晩餐会の席で「源氏物語」は評価しないと言い、貴国の作家に傾倒した、自国の地名より、貴国の地名の方が良く知っていると、よいしょした。
「ノーベル賞はスウェーデン市民から贈られたものとして、ありがたく受け取るが、文化勲章は日本国家のものだから受け取れない」といった。
 馬鹿も休み休み言え。日本国憲法は、国民主権を謳っているのだから文化勲章は”国民が主権”でなっている日本国から贈られるものである。

 それなら聞くが、常日頃、戦争反対・原爆反対論者を自認している大江さん、ノーベル賞のノーベルは、ダイナマイトと無煙火薬を発明し、それが兵器に利用されることで巨万の富を築き、その遺産によって運営されているという事実はどうする。









2003年01月08日(水) どうしようもない人



 中山正暉(まさあき)と言う人がいる。拉致家族に自分の言うことを聞くか、現代コリア研究所の佐藤勝巳さんをとるか、迫ったあげく、自分をとれば、あなたの娘さんとあわせてあげるというような事を言って、言下に家族から自分だけそういう事をしたくないと断られて、ついに拉致疑連から見放された。その後、新拉致疑連が作られたが、中山正暉の名はなかった。
 石原慎太郎東京都知事から、その行状言動の怪しさを批判されて、反論を新聞に書いていたが、自己正当化に終始していた。
 その中山正暉が、秘書の息子と共に、どうやら先年秋に、産経新聞に怒鳴り込んできたらしいのだ。その内容はともかく、論説室に通された氏は、ドーンと殴りつけるように(産経抄の石井英夫さん)机を叩き付けて終始大声で恫喝を続けたようなのだ。途中大声をたしなめられても、「俺はキヨちゃん(産経新聞清原武彦社長)をよく知っている」と言って脅したそうである。 

この人、二年前にも問題をおこしている。徳島の吉野川可動堰の問題で、地元市民団体との対話を約束していた件を反古(ほご)にした。活動する市民団体の一人が、前科者だというのがその理由だった。「逮捕歴もあり、日本の国をつぶそうと思った人と何で話をしなければならないのか」と言ったのだ。この市民団体が、沖縄の基地反対運動をしている連中と同じ、サヨクもどきかどうかはどうでもいい。

 前科者でも、務めを終えて社会復帰していればそれで何にも問題はない。
この人、平成9年には、裁判官弾劾裁判所(裁判官が職務上の義務に著しく反した場合、両院議員で構成される訴追委員会の追訴を受けて、免職の裁判をする)裁判長 を勤めたりしているのだ。

可動堰の対話拒否の言い分がふるっているではないか。
「…日本の国をつぶそうと思った人と何で話をしなければならないのか…」

 可動堰で日本の国は潰れない。それよりも国民の拉致という大変な出来事に拉致疑連の長を務めながら、訪朝してから変節し、「あの人の拉致は北朝鮮とは関係ない」とまで家族に断言し、日本で行われた金正日の祝賀パーティに出席して、飲み食いし、意に添わないと新聞社に恐喝に近い脅しをかけ、そこの社長を知っている(パーティで会えば挨拶する程度、飯を食う仲ではないと産経の社長は言ったようだ)と虎の威をかりる。
こういう人物が過去、裁判官を裁く裁判長になったりしているのである。
日本の国の事より、相手国の事に気を配る、こういう人こそ、日本国を潰そうとする張本人だと、他人は思うが本人は思わない。

そうして先年11月三日「文化の日」に最高の賞、勲一等旭日大綬賞(四人しかもらえない)を授賞している。

この人には浅からぬ因縁がある。小学生の時に、確か毎朝だったか、その時々に感じた事を、教室で発表する事が行われていて、その時に、「日本初の女性大臣(1960年)中山マサ」の事を調べて発表したような記憶がある。その息子が兄中山太郎、弟中山正暉である。

佐藤勝巳…現代コリア研究所所長。
かって北朝鮮はこの世の天国と、帰還運動を手伝い煽動したが、後に、その内情を知り、深く反省して以後、それに連なる拉致家族を救う運動に身を投じている。中山氏は共産主義者だと言って非難しているが、中山氏はどうやら「男子三日みざれば剋目して待つべし」と言う言葉を知らないらしい。









2003年01月07日(火) 温暖化はどうなった?



 七草の粥をすすりながら、BSで午後二時過ぎ頃からあるフランス2というニュース番組を見ていたら、南仏のツゥルーズ、ナルボンヌ、カルカソンヌなどが大雪!?で学校などが休校、交通は麻痺して、輸送トラックは全面的に止まっているとの事だった。大型のトラックで雪を除雪、運んでいた。
 地中海に面した地域に大雪が降る、地中海の向こうはアフリカだ。今、温暖化に向かっていると言うのが定説なのにこれは一体どういう事だろうか?
スイスはどうなのだろうか? 日本も勿論東京なども寒い冬、なようである。

 今のところ、自分自身の肌に感じる寒さはそうでもない。家には炬燵がない。あると動きが鈍る。サッシのない家だから、すきま風が入る。
上着は半袖。下着は袖無しのシャツ。ちょっと前まで下は短パン、現在はジャージ。下着はトランクスいっちょ。靴下は十年来、家の中では履いたことがない、したがって裸足。寒いと言ってもまだ充分耐えられるから、やっぱり大局的には、温暖化はすすんでいるのだろう。じっと制作していて寒さに耐えられなくなるとどうするか?簡単、簡単、息をつめて畳の上で腕立て伏せを出来なくなるまでやる。そうすると全身の血管がドキドキと脈打ち、すぐ暖かくなる。
若しくは風呂場に行き、水を浴びる、胸側一分・背中一分x三セット。冷たすぎて耐えられないときは、立ち腹筋を百回立ったまま、水を浴びながらやると気が紛れる。そうしてしばらく、二三時間は全身がかっかしてまっかになり、あたたかくなる…ゾ。人には薦めない。

 









2003年01月01日(水) 謹賀新年



「あけましておめでとうございます」
















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