オクラホマ・スティルウォーターから

2005年01月31日(月) 明日は引越

明日のアパート入居の手続きをした。手続きは初めてじゃないが、サインをする所がたくさんある。

ところで金曜日の気候の変化からか、週末梨奈の調子がよくない時があった。ネジャーティも金曜日の晩から少しおかしかったらしい。金曜日と日曜日の晩に洗濯物を増やしてしまった。外のコインランドリーでするジャネットはアレルギーがあって、アレルギーにならない洗剤を使っていて、自分の方法で洗濯をしているので、ジャネットには申し訳なかった。

今日は学校を休んで、一日ゆっくりすることに。学校でも梨奈と同じような症状で休んでいる子が何人かいるらしい。機嫌がよくなってよかったが、ネジャーティが夕方から調子が悪くなったらしい。晩ご飯を食べずに横になっていた。



2005年01月30日(日) 2人でランチ(これからの予定)

おとといのこと、車の中でジャネットが言った。

「梨奈ちゃんも学校に行きだしたから、1週間に最低1回はネジャーティとお昼ご飯を一緒に食べたら?」

梨奈が日中いないということがまだ実感としてないのか、梨奈がいない時に何ができるか、というと、買い物とか家事とか用事のことしか考えていなかった私は、それはいい考えだと賛成した。

そういえば、シンシナティで梨奈が補習校に行っている間に、朝昼兼用をネジャーティと2人で静かに過ごしていた。1対1で好きなことを話せるので、あの時間はよかった。トルコの最近の出来事を聞くのも楽しかったし。

ジャネットの家には子供はいないが、ベリーは時間があれば学校に行ってしまうので、ジャネットも何かとベリーとの時間を作ろうと工夫しているらしい。私もネジャーティに関しては、時間があれば学校に吸い着いてしまうようなところがあると先日ジャネットに文句をたれていたので、うちも私とネジャーティと2人だけの時間を持つことが大切だと思ったらしい。

そしてその晩、ジャネットはネジャーティのアドバイザーであるベリーにも、ネジャーティと私が週に最低1回、お昼を一緒に食べることになったから、お昼ご飯の時間をちゃんと確保するようにと約束させていた。

夫婦の時間を取らないといけない、と身構えるとしんどいけど、お昼ご飯って気軽だし、すごくいいと思う。

ここの小さい町では、うちででも外ででもお昼ご飯を一緒に食べるというのは簡単なことだが、日本ででも、1ヶ月に1、2回でもいいから、会社に行っているご主人と一緒に外で食べるのって案外いいんじゃないかなと思った。それは私が日本での経験がないから知らないだけで、そうしている人は多いのかも。



2005年01月29日(土) ソーシャルセキュリティー番号

アメリカ市民一人一人に発行される9桁のソーシャルセキュリティー(社会保障)番号。ネジャーティと私はフロリダで発行してもらって以来、それを使っている。

以前は語学学校生にも発行されたらしいが、私がアメリカに来た1、2年後に、学生は正規留学生だけとなった。あとは、ビザの種類で就労許可がもらえる配偶者でも、最近は就労許可の申込の際にしかもらえないと聞いた。

大学ではソーシャルセキュリティー番号は学生番号としても使われている。フロリダでTAとして日本語を教えていた時には覚えていないのだが、ニューハンプシャーで日本語を教えていた時、クラスの学生にの番号を書いてもらった時に、最初の3桁が001から始まっていたのを覚えている。梨奈もそうだったので、アメリカ人はその番号から始まっているのだと思っていた。ちなみに私とネジャーティは59から始まっている。

昨日のこと、ソーシャルセキュリティーオフィスに聞くことがあって行った時に、前にいるアメリカ人のおじさんが番号を伝えていたのだが、それが5から始まるので、へぇ〜と思っていた。

それをジャネットに言ったら、地域で番号が違うということを教えてくれた。それでニューハンプシャーで番号を発行してもらった日本人学生の番号がなんで001から始まっていたかがわかった。

ちなみにオハイオ出身のジャネットの番号は2から始まるらしい。



2005年01月28日(金)

今日の雪はいくらか積もるぐらいあって、今週の暖かさとは打ってかわって、冬らしい景色。ニューハンプシャーやオハイオでの雪は十分と思ったが、オクラホマでの雪に何だか懐かしさを感じた。そして、ここに来て初めてオハイオナンバーを見た〜! というわけで、懐かしさ2倍。

今朝は梨奈の学校で「お父さんとドーナツを食べる日」となっていて、ネジャーティによると、4、50人は来ていたらしい。ネジャーティも、別のクラスの韓国のお父さんと話したらしく、名刺をもらって帰ってきた。

なぜドーナツなのか、というと、ドーナツのD(Doughnuts)とお父さんのD(Dad)となっている。さて、お母さん(Mom)と一緒に食べるのは何でしょう(ヒント:Mから始まる)。→それは5月頃にあるらしい。

今日は市役所で電気と水道の申し込みやら、レンタルトラックの予約やらと、今度の火曜日の引越に向けての準備にかかっている。



2005年01月27日(木) 引越まであと5日(の予定)

ネジャーティがここの大学の研究員として働き始めたのが今月の5日だったのだが、実際に書類の手続きが済んだのは今週に入ってからだったらしい。

今月は17日に祝日があったりして、その前後で遅れたりしていたらしいが、ネジャーティは手続きがスムーズでないことに驚き、ちょっといらだっていた。

今日だったか、ネジャーティが大学のシステムに入っているというのをアパートのオフィスが大学から知らせを受けたらしく、オフィス側も手続きを進めることができそうだ。ジャネットがオフィスと緊密に連絡を取っていたので、オフィス側は何にも落ち度はないのだが、大学の学部での対応が遅いというか・・・。

ニューハンプシャーやオハイオで経験したことがなかったこのいらだちに、私は、はぁ、ここの大学も典型的な南部だぁ、と妙な安心感を覚えたのだった。

というのも、このいらだちを私や日本人学生はフロリダで経験している。

最初はこれがアメリカだと思い、お役所仕事の遅さと、オフィス間の連携のなさに、いらだちを感じ、そのうち諦めも入ったのだが、これは南の特徴らしいということを知り、北のニューハンプシャーに移った時に、それを実感したのだった。

ちなみに、なぜアパートのオフィスが大学からの書類が必要かというと、身元証明のためなのである。学生でない場合、ちゃんと収入源があるかどうか、というのを確認しないといけないらしく、それがないと、アパートにも入れない、ということだった。

今日の話では、メンテナンスの人が忙しいらしく、来週の月曜まで終わらないということで、入れるのがその次の日ということだった。

暖かかったらいいなあ。



2005年01月26日(水) 懇談会

昨日は梨奈の学校で先生との懇談会があった。

どんなことを言われるのかなあと思っていたら、2枚の紙に細かく項目と評価が書かれていて、それの概要と、梨奈がどのお友達とよく遊んでいるかとか(おとなしいモーリーと積極的なシドニーとうまく遊んでいるとか)、クラスは18人中男の子が11人なので、梨奈がクラスに入ってきてくれてよかったとか、シンシナティの日本語の補習校のお友達に会えなくてさみしいともらしていたとか(私には言ってこなかったけどやっぱりそうだったんだなあ)、先生がどんどん話すのでびっくりした。

このぐらいの年齢では、こういうこととか、あういうこととかができましたよ、という評価のようで、その方がありがたい。

ちなみに項目は大きく4つに分かれて(社交性と感情、言葉、思考力、運動)、それぞれの項目にまたいくつかある。ここまでしっかりと書かれるのにはびっくりしたが、こういう紙を補習校からもほしかったなあというのは多分私だけじゃないと思う。

ところで日本人らしいところを指摘されたのは(と、私が勝手に思ったのだが)、丸やら四角やらの形を書く時に、紙に一列に形を書いたところで、他の子供には紙のあちこちに形を書いた子もいるらしい。そうそう、日本では子供の頃からきちんと正確さを求められるからね〜。

あっという間に20分が終わって、ホッとした。



2005年01月25日(火) Made in Oklahoma

シンシナティにいる時は、UDF (United Dairy Farmers) というアイスクリームの販売も兼ねているお店があって、そこに度々行っていた。オハイオが基盤だったそうで、ここではもちろん見ない。

その代わり、Braum’sというのをオクラホマ州内で見かけることになり、これがオクラホマ基盤のお店だったことがわかった。

そのブランドのアイスクリームのカートンを売っているのも、店内で食べられるのもUDFと同じなのだが、乳製品や肉類、野菜まで売っているお店だ。ちなみにここでなくても卵が安いことに驚いたのだが、1パック70セント台で売っていて、1ドルを越えた値段しか知らない私としてはびっくり。

このお店だけではなくて、ここの州の人は、メイド・イン・オクラホマというのをとても大切にしているらしい。他の州ではメイン州もそういうところがあるのだが、オクラホマもそうらしい。州のHPにそういうページを作っているぐらいだ。

自分の州にアイデンティティを求めているのって、関西に近いなあと思った。



2005年01月24日(月) デポジット

こちらに引っ越して来て初めて矯正歯科に行った後、図書館に寄って帰って来たら、シンシナティのアパートのオフィスの手紙が来ていた。デポジット(敷金)の返金だったのだが、ミニブラインド2つ分の11ドルが引かれていただけだった。

11月か12月になってミニブラインドの紐が切れていたのだが、もし住んでいる時にメンテナンスを呼んで換えてもらっていれば請求されないのだが、とりあえず、11ドルで済んでよかった。デポジットはだいたいの場合返ってくるものだが、ニューハンプシャーの時は100ドルぐらい取られてしまったので、今回も半分返ってきたらいいなあと思っていた。少しだけでよかった。

・・・・というのが、喜んでいた部分で、今日初めて行った矯正歯科ではレントゲンや写真を撮ったので、少し支払いが多かった。

シンシナティの矯正歯科で撮ったレントゲンや写真も多分送ってもらえると思うのだが、それらも含めた記録がまだ届いていないらしく、もしシンシナティからのが届いていたら、今日はレントゲンと写真も撮らなかったのかも。

それとも、歯型は取ったことは言ったのだが、写真とレントゲンのことまでは言わなかったので(記録一式がそういうものだと思っていた)、必要でなかった支払いをしてしまったのではないかと、すごく落ち込んでしまった。



2005年01月23日(日) キャベツ

先週のこと、ジャネットがキャベツと茹でたエッグヌードルを炒めていたのだが、ジャネットの、「キャベツを料理すると、家中がトイレのにおいがするのよねぇ」と言っていた。

確かに、鼻につくようなきつい匂いがして、キャベツを料理すると、こんなことになるの? と意外だった。普段いかにキャベツを料理していないかというのがばれるのだが、どのアメリカの家庭でもこのにおいは悩みの種らしい。ジャネットはいつも「アメリカは〜」と誇張するのだが、これに関しては誇張やないやろう・・・。

でも、なぜこうなるのか、アメリカの家庭と何が違うのか、と頭をめぐらしたのは、

1.ちゃんとキャベツを洗っているのか
→だって、キャベツを丸ごとチーズスライサーですって、後、洗ってないような気がするんだもん。

2.炒める前に塩でもんでおくと、あくが取れてにおいがなくなる?
→炒める前に下ごしらえとして、塩をふってもんでおくと、あくが取れるのと、味がしっかりつく、というのを料理の雑誌で何回か目にしたので。

・・・というわけで、アパートに移ってからキャベツ炒めの実験をすることに。



2005年01月22日(土) レーズン

今朝はレーズンが入ったフレンチトーストをジャネットが作ったのだが、レーズンの量が多く、梨奈はレーズンをよけて食べていた。

ネジャーティは、レーズンを食べると頭がよくなるよ、とか、昨日あたりから梨奈が咳をし始めたので、私は、レーズンを食べると咳が止まるよ、とか言っていたが、結局食べなかった。

ふとベリーのお皿に目をやると、レーズンだけが残っている。ネジャーティと大笑いしていたら、ジャネットがベリーはレーズンパンも食べない、と言っている。ベリーは、レーズンの量が多すぎて、食べる気がなくなった、と言い訳していたら、ジャネットが、あなたの料理の本よ、といってそのページを見せていた。

レーズンの量もその分量らしかったが、ページの最後にあったらしい「10代向けのレシピ」というのをベリーが読んで、「10代なんか誰もいないだろう?」と言ったので、また大笑いした。

ちなみにベリーは肉好き、野菜嫌いで、野菜はブロッコリーと豆の一種類(さやえんどうだったかな?)しか好きではないらしい。なので、この家にはルールがあって、嫌いな野菜でもベリーは三口食べることになっている。

ベリーはネジャーティとよく似ていて、化学のことしか頭になく、平日も土、日も関係ない。ちなみに運転もあまり好きではないらしい。昨日「よくベリーを説得しましたね」とジャネットに言って二人で笑っていたのだが、今日ジャネットはベリーと一緒にオクラホマシティで開催される、オウムショーとガーデンショーに出かけていった。

私たち家族はこの町の外れにある2ヶ所の湖周辺をドライブした。



2005年01月21日(金) 車の修理

先々週、梨奈を迎えに行く時のこと。学校の敷地に右折して入る時に、縁石も何もなかったのに、右の後ろのタイヤあたりでガンという音がして、それ以降、普通に走っている分には問題なかったが、曲がる時には音がしていた。

前に住んでいた所には近くに家族経営の修理工があって、そこで直してもらっていたが、さてここは来たばかりなのでわからない。ジャネットが隣の人に聞いた所に昨日行ってみた。

そこは輸入車の修理も扱うところで(それが主そうだったが)、ちょっと運転して音を聞いてもらったのだが、走り始めてすぐに音に気付いたらしい。お店に戻って、ジャッキで車を上げて、ある部品が壊れているというので、取り寄せの電話。

部品の取り寄せが今日になるというので、今朝、車を置いていったが、届いたのが別の部品で、オクラホマシティから取り寄せなければならず、お昼からの修理となった。夕方には取りに行った。おじさんの対応がとても親切だった。

車の下の部分はだいぶ錆びているらしく、今回もその錆びからきていたようで、今後も同じことがあるかもしれないので気をつけるように言われた。ニューハンプシャーから持ってきた車で、海に15分で行ける距離だったけど、冬の凍結を防ぐ塩混じりの土できっと錆びたんだろうなあ。オハイオも雪が降ったら、塩で車が白くなるので、車によくない〜。

ジャネットはここの修理の人を昨日の時点で気に入ったようで、これからはディーラーに行かずにオイル交換でも何でもここに来るわ、と熱の入れよう。そう、ジャネットはこういう人なのだ。



2005年01月20日(木) 映画

ネジャーティがいる大学では大学新聞が毎日発行されている。火曜日にたまたま見た新聞に、いくつかの学部が毎月1回共同主催している海外の映画のお知らせが4か月分載っていた。今月は何と日本の映画。北野武監督、主演の座頭市。もちろん見ていない。

ネジャーティも興味ありそうなのだが、内容的に梨奈はちょっと連れていけなさそうなので、ジャネットの提案(ほぼ命令)で、ネジャーティが梨奈のお守りをして、私一人が見に行くことになった。ちなみにその映画は学部の視聴室で一般の人にも公開されて、しかも無料。

視聴室に入ってびっくりしたのは、ほとんどがアメリカ人学生だったということ。主催している学部が映画だったり、国際関係だったりするので、おそらく授業の一環として見た学生がほとんどだったんだと思う。あと日本人学生がわざわざここまで来なくても、日本で見られるものだろうし、おそらく日本ですでに見たのか、あとは女性はあまり見ないかも。

最初の30分は教授による北野武の紹介と映画の傾向とかで、映画監督としてだけではなく、日本で知られている「たけし」としての紹介があって(ツービートとして、ビートきよしと組んでたことまで紹介されていた)、もちろん教授だからそのぐらいのことは知っているんだろうけど・・・。映画製作に関することもあって、他の作品の最後の場面の紹介もあった。

どうせなら、たけし軍団のメンバーがいつもたけしの映画に出てるとか、笑いに一役かっているとか、っていうのも言ってほしかったが、そこまで知っているか、それとも言わないだけかわからないが、そこまで言うと、専門家というより、かなりのオタクになってしまうのかも・・・。

座頭市というのと北野武の監督というので、話の展開やシーンは想像していたようなもので、ここまでしなくても、というのもあったが、それ以外では、たけしの笑いのセンスがもちろん生きているところもあって、それが言葉で取る笑いでなくて、話の前後から、表情の変化や動きで、アメリカ人だけでなくて、そこでは誰もが笑えるというところがあるのがやっぱりすごいところなんだろなあ。

ところで、この映画でやっと浅野忠信という人がどの人かわかった。こんな人がいたんだとびっくり。

4月はトルコ映画(Uzak)の予定で、これは3人で見に行っても大丈夫そうな内容かな(でも子供がいくのはおかしいかな)。



2005年01月19日(水) 5月の予定・・・その前にアパートに入らないと

今日はうちと同じくプリKに娘さんを通わせている韓国人のアンネスさんのおうちにお邪魔した。

プリKの初日、違うクラスに韓国人の女の子が新しく入ったと聞いていて、後日そのお母さんに話しかけたら、オクラホマに来てまだ1ヶ月ということだった。先週のこと、うちでお茶しませんかと早速お誘いがあって、今日お邪魔したというわけだ。

びっくりしたのはIKEAの存在を知っていることで、何でも知り合いの韓国人のお宅にお邪魔したらIKEAの家具があって、その後、ここから一番近いところにあるテキサスのヒューストンでいくつか家具を購入したらしい。この1ヶ月にヒューストンに行ったり、と行動の早さにびっくりしたのだが、5月には同じくテキサスのダラスにオープンするという情報もすでに持っていた。

もし私がシンシナティに引っ越すことなくここに引っ越していたら、アメリカに来てまだ1ヶ月の人に、IKEAって何ですか、と聞くところだった・・・・。

ここからダラスはシンシナティからシカゴまでの距離なので、車で何とか行ける距離だ。5月はすでに学校が夏休みなので、(もちろん)泊りがけで行ってみようかな。

話を戻して、とりあえずこちらはまだ居候の身なので、こちらがお茶をお誘いできるのはいつになることやら・・・。

今日アパートに行って、ジャネットと窓の外から覗きこんでたら、冷蔵庫もドアが開いてて、掃除されていそうだった。白いペンキのスプレーが2缶、床に置かれてた。壁を全部塗り替えたわけではなさそうだが、乾いてにおいが取れるまでちょっと時間がかかりそうだ。

アパートのオフィスにも行って、オフィスが必要なネジャーティの大学側の書類が遅れていることについて、ジャネットが説明したのでそれはあまり問題なさそうだったが、オフィスの人曰く、「メンテナンスがもう少し掃除したり、チェックしたりして、用意できるのは2月1日ぐらいになりそうです。」

夜にネジャーティにそれを話し、二人でため息をついた。



2005年01月18日(火) メンテナンス

昨日は大学も梨奈の学校もマーティン・ルーサー・キングの祝日で休みなのだが、ベリーは一足先に研究室に行き、少し後で梨奈と一緒にネジャーティを送って行った。

帰りにアパートを見に行き、梨奈と一緒に一つの窓から中を覗くと電気がついていた。へぇ〜と思ってリビングルームがある窓から覗いたら、メンテナンスの人がこちらを見たので慌てて逃げた(違うって・・・)。

決して怪しい者じゃございやせん。そこの住人となる者です。

あ〜、駐車場のトラックはやっぱりメンテナンスの人のだったんだ〜(荷台には黒のポリ袋が一つ<前住人の?)。

「祝日なのにご苦労様です。きれいにしてね〜」と望む私たちなのだった。



2005年01月17日(月) Dr. Seuss

ベリーの奥さんのジャネットは面白い経歴の持ち主で、70年代に韓国に2年滞在した経験があり、韓国語もペラペラで、文字も読めるらしい。韓国で何をしていたかというと、アメリカのどこかからの派遣で、地方の結核の予防注射をしていたらしい。その後、アメリカ国内でも点々とし、空軍に入って、基地があるフロリダやオハイオのデートンにも住んだことがあるし(もともとはオハイオのクリーブランドの出身)、ニューハンプシャーで一年間、同じアパート群に住んでいたこともあって、私たちがいたところはどこも知っている。

ちなみに、うちの両親がニューハンプシャーを訪ねて来た時、ジャネットもベリーもうちの父が外でくつろいでいたのを目撃したらしい。

ジャネットが辰年ということがわかり、韓国に行ったのが20代だったと言っていたので、1952年生まれだと思う。ベリーは40代後半かなという感じだ。アメリカではさほど年齢は気にしないかもしれないが、とりあえず、この家の主導権はジャネットにある。

最近は、自分の英語は完璧だと思っているネジャーティに発音を直し(いいことだ)、梨奈も私も指摘されている(3人とも直されるのは「th」の発音)。ジャネット曰く、ネジャーティは頭の中で考えていることがスムーズに出るからか、言葉が明瞭でないらしい。ネジャーティの英語に慣れてしまっている私には意外だったが、私の場合は逆で、頭の中で考えていることが全部出ないにしても、言葉自体はネジャーティよりはっきり聞こえるらしい(ガッツポーズ)。

普段ネジャーティに、「英語がはっきりしない」とか「内容に的を得ない」とか日々言われ、一人で落ち込むことが多かったので、ジャネットがそう言ってくれたのはうれしかったかな。

ジャネットお勧めの本「Dr. Seuss」はアメリカ人でもほっぺたの筋肉が痛くなるようで、発音の練習も兼ねている本らしい。ジャネットは図書館で梨奈に読ませるのに借りて、私も後に続いて発音練習している。



2005年01月16日(日) アパートの現住人

今お邪魔している家はお子さんはいないのだが、オスのオウムを飼っている。名前はハリス。ニュージーランド近くの島で見られるオウムらしいのだが、知らなかったのはオスは緑、メスは赤、と色が違うことだ。最初は別種と考えられてたらしい。

この家はハリスに合わせた時間帯になっている。ハリスは規則正しく(させているというのもあるが)、朝の8時頃にはジャネットを起こす声を出し、夜の8時に寝るようになっている。ハリスの部屋は仕切りがないので、夜の8時にはかごにカバーをし、リビングルームも小さいライトだけにし、静かに過ごしている。

ただ、30分ごとに鳴る時計の音(しかも3つある)の方がよっぽどうるさいのではないかと思うんやけど・・・。

また、この家では晩の6時に夕食で7時には終わるので、晩がとても長く感じる。夕食後はベリーとネジャーティは研究室に戻り(家で何もすることがないというのが理由)、梨奈と私は8時前にはお風呂に入って、その後は部屋に引っ込むという日々を過ごしている。

ところで、今度住むアパートの現住人が昨日出て行く日で、ジャネットが見に行ってくれたのだが、現住人の引越しを目撃。何と住人は中国人学生のようだった・・・。

私もネジャーティもそれを聞いてため息をついたのだが、アメリカでも残念ながら中国人住民の評判は悪い。というのも、台所が油で汚い、部屋をきれいに使わないというのがよく言われることで、今度住むところはアパート自体が新しいし、メンテナンスもきれいにしてくれるだろうとベリーも言うのだが、どれだけきれいにしてくれるか不安がある。メンテナンスに時間がかかるっても仕方がない。

明日はマーティン・ルーサー・キングで祝日なので、メンテナンスにとりかかるのは火曜日からかな。メンテナンスに一週間かかったら、アパートに入れるのは来週かな。



2005年01月15日(土) 連邦政府跡

今日から月曜まで3連休なので、ネジャーティと梨奈でタルサかオクラホマシティのどちらかに行こうと提案したら、まだ行ったことがないオクラホマシティがいいというネジャーティの意見で、オクラホマシティに行った。

オクラホマシティに行く途中に、ガスリー(Guthrie)という町があり、オクラホマやニューハンプシャーを思わせるような家や建物がある。その町を越すと、オクラホマに戻った、と思うのだが、この町はオクラホマ州の最初の州都になったところだ。

トロリーバスが走ったり、アンティークのお店があったりして、オクラホマの町としてはとても雰囲気のいいところなのだが、今日はあいにくの寒さで、ちょっと歩いてすぐに車に乗り込んだ。

オクラホマシティの一番の目的は、95年4月に爆破された連邦政府跡にあるナショナルメモリアルだ。ダウンタウンのビジネス地区の北にあって、敷地には資料館もできている。今日は資料館には行かなかったが、当時の写真などが展示されているらしい。

敷地にある二つの銅製のゲートには9:01と9:03の時間がそれぞれ刻まれていて、その南側に、犠牲となった人たちそれぞれの碑があり、碑はガラスの正方体に名前が掘られていて、その上に椅子の背もたれがついていて、椅子のようになっている。

よく見ると、一回り小さい碑が見られ、それが子供の犠牲者だったことがわかる。確か連邦政府の建物の中にデイケアか何かがあって、後で容疑者が、それを知っていれば爆破しなかった、と言っていたというようなことだったと思うが、それなら大人なら犠牲になってもええんかい、と怒りを覚えてしまうのだった。

ここの現地時間では明日の午後に阪神大震災の丸10年を迎える。その前日にこのメモリアルを訪れたのも何かの縁だろうと思うのだった。

メモリアルを後にしてビジネス地区の東側にあるブリックタウン(レンガの建物の町)を通った。そこはシンシナティの対岸にあるケンタッキー側のニューポートみたいなところで、そこももう少し暖かくなってから来てみたい。

その後、お昼を兼ねてショッピングモールに寄る。オクラホマに来て初めてショッピングモールに来た。以前は気軽に来れるところに住んでいたが、今は気軽に来れなくなったねとネジャーティとしみじみと語る。

あまり時間もないので、期間限定で開いているカレンダーのお店に寄り、カレンダーを買う。ベリーの家はオウムを飼っていて、グッズも集めてるぐらいなので、オウムのカレンダーを買い、喜んでもらえたのでよかった。何でも2002以降、同じ会社のカレンダーを見つけられなかったそうだ。



2005年01月14日(金) 年賀状

今週になってから、郵便物が転送されてきてホッとしている。転送届をこちらに来てから出したのでちょっと不安だったが、前に住んでいたところは厳密に言うと郊外のフォレストパークという1万人程度の市で、そこの郵便局の管轄だったのと、いつも同じ人(そしてまめそうな人)が配達に来ていたので、大丈夫かなと思っていた。

以前アメリカに住んでいた数家族からも日本から年賀状が転送され(無事届いてますよ〜とここで言ってもだめかな)、ネジャーティもお子さんが成長している様子に毎年驚いている。日本の年賀状はいいものだ。普段メールでやり取りしていない方には年賀状を送りたかったのだが、未だ住居が定まっていないので住所をどうしていいかわからず、出せずじまいになっていた。

ベリーは写真が印刷されているはがきを見て意外そうだった。

さて、今年は酉年。年賀状の酉を見て、年女として何だかうれしい。何かニワトリのかわいいものがあったら買って飾ろうかな。



2005年01月13日(木) 町の店を回るコース

昨日梨奈を学校に送った後に雨が降っていて、午前中は雨がみぞれに変わるかもしれない、ということだったが、霧雨が降ったか降らないか、という天気だった。

昨日はジャネットと町の店を回るというコース。

ここは地元のお店も多いが、この辺りの建物の外観はどうもさえず、勧められなければ入る気がおこらない。ところが入ってみると全然違って、こういうお店だったらニューハンプシャーやシンシナティの郊外の町にもありそう、というところだった。

グルメコーヒーの店もすごくかわいかったし、隣の酒屋もジャングルジムズとまではいかなくても品揃えがかなり豊富で、ワイン1本200ドル近いものも別のコーナーに設けている。ちなみに日本のものもお酒とビールがある(ジャングルジムズにはあったみりんはなかったけど、言ったら取り寄せてくれるかも)。

この2軒はキャンパスからも近いところで、ダウンタウンにも足を運ぶ。ダウンタウンもメインストリート沿いの2、3ブロックの両脇に個人営業のお店で占められている。そこでも驚いたのがキッチン用品のお店。ル・クルーゼなどもあって、びっくり。そういえば、昨日行ったカフェもホームメードのものとわかるスープやサラダのソースがあったり、これはネジャーティも好きな所かも。

何もないと思っているところへいろんなお店が見つかると、この町も面白いのかな。あとは時計修理店があって(ジャネットが時計を直してもらっているそうで)、店内はまさに修理場という感じ。壊れた古時計に囲まれて、昔ながらの職人みたいな人が、時計を修理していて、アメリカにもまだこういう人がいたのかと驚いた。

お天気も悪いし、カメラも持ち合わせていなかったので、写真はまたいつか撮ります。



2005年01月12日(水) 引越しの夢

最近引越しの夢にうなされている。

おとといは早く寝てしまったのだが、夢にうなされて目が覚めたのが深夜の2時。それから5時ごろまで眠れず、それから2時間半ほど寝た。

どんな夢かというと、明日シンシナティから引越しというのに(家の中は実家)、家具の一番上の棚に、まだグラスがたくさん残っている。何かお菓子を作っていたのだが、こんなの作ってる場合じゃないと焦る私。そして、今日は数人うちに来てパーティーをすることになっていて、連絡してキャンセルしなあかんわ、とまたもや焦る私。夢なので、その後もつじつまの合わない話が続くのだが・・・・。

ところで、今度引っ越すアパートのお向かい(隣というのかな)はネジャーティと同じ研究室の学生二人が住んでいる。そこは3部屋あるらしいので、私たちより100ドル高いのだが、2人で割っても400ドルもいかない。

間借り用のアパートというのも道路をはさんではるかかなたにあるのだが、どういうものかというと、アパートの1フロアが3〜4LDKとなっていて、1部屋を借りて、あとのLDK+バスルームをシェアするというものだ。一軒家の部屋を間借りしてた友人もいたが、一人頭の家賃が安くなるし、広い空間を使えるので、そういう学生もいる。

アメリカというと個人主義というのが強調されがちだが、こと、大学と学生に関しては、最初の1年間、キャンパスの寮生活に住むことになっていたり、アパートでもルームメートを持ったりするところが意外なところだと思う。あと、そういうアパートだと、家具がすでについていたり、冷蔵庫はどのアパートにもついてるけど、ランドリールームもあるので、余計な電化製品を買わなくて済む、というのがある。

日本でも学生の町にこういうのがあったら案外いいと思うんだけどなあ。

それで、フロリダでは大学院生用のアパートの1ベッド(1LK)に住んでいて、同じアパート群には数人日本人学生がいたのだが、後になってそこで親しくなった友人と別のアパートでルームメートとして住んでもよかったなあと思ったというのをネジャーティにしたら、

「家賃が浮くだろうけど、ちなみに住んでたアパートの家賃はいくらだったの?」と聞くので、

「250ドルぐらい(約2万5000円)で光熱費は別。」と私。これにはネジャーティもびっくり。



2005年01月11日(火) ふと気が付いたこと

もう少しアパートに入れるのを待たないといけないかもしれないが、ふと気が付いたこと。

「アメリカに来てほとんどの所でアパートにスムーズに入れてない・・・。」

まずフロリダで。一番最初に入ったのは民間の寮で、そこは問題なし。しかし、大学付属の語学学校が終わって、そこの大学院の学生となることが決まったのがちょうど冬休みに入る時。アパートや寮を管理しているハウジングオフィスが閉まった頃で、いったん冬休みの少しを日本で過ごしてから、今まで住んでいた寮の一室に仮住まいをする。冬休みが明けてオフィスに行ってみたら、普通は申込から入居までに1ヶ月ぐらいかかるという。住む所がないんです〜と言ったら、1週間待ってね、というので、その間友人宅でまた仮住まい。

それからニューハンプシャーで。ネジャーティがいたアパートは独身学生用でストゥディオタイプ(リビングとベッドルームが一緒になっているもの)で、1ベッドルームが空くまで半年待つ。

オハイオは記憶に新しく、ホームページの引越し道中の通り。

そしてオクラホマ。家族でホームステイ(居候生活)が始まって、今日で13日が経つ。

でも、ここの家も去年の7月に引っ越してきてから(やはり去年だった)、この家の人たちと移ってきたデーブが1ヶ月居候してたり、夏休みにインド人が来ていたり、そして私たちと忙しそう。今年はその後も、5月頃にニューハンプシャーでネジャーティが知っている学生が加わるみたいで、アパートが決まらなければきっと家族で泊まるだろうし、さらに夏も同じインド人が来るみたいだし、この家も大変だ。



2005年01月10日(月) オクラホマシティ

今週の水曜日にはアイスストームが来るという予報なので、ここ何日か暖かいのを利用して、今日はオクラホマシティに行った。

ジャネットはあまりこの町には来ていないらしいのだが、今日はジャネットが書いたアジア系のお店のリストを持って、いくつか回ってみた。

1つは外観からベトナム系とわかり、次に行った2つはインド系+アフリカ系で、これはジャネットの方が収獲があった。というのも、5月にニューハンプシャーからケニア人家族が移ってくるので、1つだけでなくいくつか知っている方がいい。

その次は、店名にしっかり入っている「Japan Foods」というもの。店主はアメリカ人の年配で意外だったが、日本専門食料品だけを扱うお店だった。シンシナティの東京食品まではいかないかな。オクラホマでこれだけあったら十分かな、と思うが、玄米茶の賞味期限が2003年12月って・・・。

結局、ダラス発行の日系の新聞だけをもらってお店を出た。

おそらくあまり日本人がいないオクラホマで、タルサやオクラホマシティのいくつかの店でこれだけあれば十分かな。

その他、途中で見つけた自然食品の店にも寄り、ジャネットがオクラホマシティに来たら行くというサムズクラブ(ウォールマートの会員制の店)に向かった。

本当は別の自然食品の店にも行く予定だったらしいが、時間切れで行かない、ということになっていた。しかし、広告を見たらサムズクラブの近くにもあることがわかり(それは私が発見)、その近くでお昼を食べて、ジャネットだけそのお店に行った。お目当てのものはなかったらしが、とりあえず、それまで行っていた遠い方のお店に行かなくてすむので、ジャネットも喜んでいた(そういうのはまかしなはれ・・・)。

先週サムズクラブに来た時は天気も悪かったので(今日もあまりよくなかったが)あまりわからなかったが、この辺かなと思っていたショッピングモールも近くの高速道路の反対側にあるのが見えたし、お馴染みのレストランやお店などその周りにあって、Tri-Countyモールを思い出した(前はこういうところの近くに住んでたんやなぁ・・・)。スペースは十分に取ってあるので、Tri-Countyモール周辺より大きい。

今後の目標:1ヶ月に1回はタルサとオクラホマシティに行くこと。→どんな目標やねんって。



2005年01月09日(日) ネジャーティ気に入る

アメリカに来て4つの町を経験したが、どれも全く(ジャネット曰く、「極端に」)違う特徴の町だったが、この町に来て初めてなかったもの、というのがいくつかある。ニューハンプシャーの場合は住んでいた町の隣にあったということでご勘弁願って、挙げてみると・・・

1.デパートが入ったショッピングモール
2.Barnes & Noble(全米で最大規模の本屋)
3.スターバックス(↑の本屋があればそこにカフェが入るんだけど)
4.AAA(アメリカ自動車協会)のオフィス

・・・と主だったものが挙げられる。

逆に4つの町全てにあったというものを挙げるとすると、もちろん公共施設はあるとして、それを除くと、

1.Walmart(やっぱりこれでしょう)
2.JCPenney
3.Old Navy(GAP系列のカジュアル衣料品店)
4.Staples(事務、文具用品店)
5.Hallmark(カードのお店)
6.マクドナルドやバーガーキングのファーストフード

というものが主だったものだ。

さて、今日のお昼はネジャーティが軽い物を食べたいというので、パネラのようなサンドイッチもあるお店に行くか、Fazoli’sに行くかという選択肢をネジャーティに出したが、Arby’sかマクドナルドみたいなファーストフードがいい、という。私は飽きてしまったので、それならとFazoili’sに行くことにした。

ここはニューハンプシャー以外ではあったので、ネジャーティはフロリダ時代に行ったことがあるかと思ったら、意外にも来たことがなかったらしい。シンシナティでは少なくともI-71のExit19近くと、I-75のExit22のTylersville Rd.沿いの2ヶ所にあるが、どちらもネジャーティと行く機会がなかった。
↑シンシナティのローカルの話題です。

私はフロリダでもシンシナティでも行ったので、馴染みのあるところだったが、ネジャーティも初めてにしては気に入った様子。ちなみにネジャーティは、レストランで待たされるのが嫌なので、あまり好きではなく、ファーストフードとかバッフェスタイルとか、すぐに食べ物が出てくる所が好きらしい。ここはすぐに食べ物が出てくるし、気軽に食べられるので、これからも来る機会があるかも。



2005年01月08日(土) パネラ

ここに来て3回目の洗濯にネジャーティも参加。

洗濯機や乾燥機を回している間、ガソリンスタンドに行って(そこのお店のレジの人の息子さんが梨奈と同じプリKで違うクラスにいることがわかった)、タイヤの空気を入れたり(かなり減っていたらしい)、ネジャーティのオフィスに行って、インターネットをしたりした(引越道中のことももうすぐ載せますね)。

その後、ネジャーティは研究室に残り、ネジャーティがいないことをいいことに、梨奈と私だけでパネラに行った。ネジャーティはパネラは飽きたらしい。私はというと、シンシナティに来た時にこんなにいっぱいあるのかと興奮し、制覇を試みたがいくつか残してしまった。

まあ、どこに行ってもメニューは同じだし、お店の内装も同じなのだが、違う配置で雰囲気も少し違う。本物の暖炉があるのが特徴で、店内は暖かい冬でも暖炉のそばの席は人気がある(夏はもちろん使ってない)。

スタバフリークならぬ、パネラフリークとでもいうのか・・・。

さて、ここのパネラは初めてで、早速日本人学生を見かける。来週の月曜日から春学期が始まるらしいから、そろそろ戻ってきているのだろう。梨奈も私も彼女たちの日本語をキャッチした。

ニューハンプシャーで住んでた町もカレッジタウンで、夏休みなどの休みはとても静かだが、学期中は学生がいて賑わっている。ここも来週からは賑わうのかな?

その後Old Navyに行ったりして、徐々にここの町にあるお店デビューを果たしている。

夜にはシンシナティでのアパートの隣人、ニコールにやっと連絡が取れた。なぜか送ったメールが返ってきたのだが(一文字抜けてたのかも)、多分今度は大丈夫だろう。



2005年01月07日(金) 図書館

梨奈は2回目の学校。迎えに行く3時15分まで自由時間となり、前からジャネットが言っていた市の図書館に行って、カードを作った。

大学のキャンパスは平日及び昼間は駐車許可証を取らないと車を止められないので(もちろん有料)、ジャネットは市の図書館にインターネットをしに行くことが多いらしい。図書館のカード番号でサインインし、1日60分の制限だが、コンピューターが空いている時には、20分や10分、自動的に延長されるらしい。

市の図書館だからとあまり期待していなかったが、日本語が読めるのがわかったのと、毎週聴いている日本のインターネットラジオも聴けることがわかって(ヘッドフォンがついているので聴くことはできるが、笑いをこらえないといけない)、期待以上となった。

お昼はこの町にある日本食のレストラン、スシハウスというところにいった。ここは名前とは違って、アジア系一般に及ぶメニューがあるが、バッフェに来る人が多いらしい。バッフェはアメリカで○○巻きと言われるおすしと、2、3種類のにぎり(しかも小さめ)、おそばやお味噌汁の他にチャイニーズバッフェもあって、でもたらふく食べられるというもの。

食べ過ぎて、梨奈を迎えに行った後、夕飯時まで寝てしまった(私はウシか・・・)。



2005年01月06日(木) 世話好きかおせっかいか

昨日のお昼ぐらいでみぞれは止んだが、道路が凍結する恐れがあって、今日は休校となった。なので、家でゆっくりする。

昨日学校に行った時に、上着などに名前を書かないといけなかったことがわかって、これもジャネットが名前を糸で縫ったのだが、ジャネットの世話好きといういい面と、おせっかいというよくない面が交互に見えて、たまにうんざりすることがある。

それがジャネット自体の性格だとわかったのは、昨日梨奈が初めてプリKの学校に行った時に、用務員の人や先生がネジャーティと私が梨奈の親だというのがわかって、主にこちらに話をしてくれたし、用務員の人も私が日本人だというのを見抜いて、「こんにちは」と挨拶をしてくれのだが、一緒に行ったジャネット(そしておとなしいベリー)が自己紹介もなく一人でしゃべり始めていたので、「あなたはどなたですか」と聞いていたところを見ると、かなりのおせっかいなんだろうなと思った。

でももし私が日本にいて、逆の立場だったら同じようなことになるのかもしれない。



2005年01月05日(水) プリK

朝はみぞれが降るという予報だったのでもしかしたら学校が休校になるかもしれないと言うことだったが、ネジャーティの大学は10時から、梨奈のPre-Kは通常通り(というより今日は初日)で、8時に管轄の小学校のオフィスに書類を提出した。今日は本当に寒い。

日本と違って区域内の学校を選べるようになっていて、梨奈は今日からその一つの小学校にある幼稚部に行き始めた。半日でも一日でも選べるのだが、一日の方を選んだ。8時50分から3時15分までなので、シンシナティで行っていた補習校より1時間ほど長い。

その間、ネジャーティの研究室に行き、インターネットを使う(ここからみなさんにメールを送りました〜)。

まだベリーの家にいるので、奥さんのジャネットも日中は家にいるので自分一人ではないのだが、アパートに移ったら本当に自分一人になるんだなあと思うが、実感はない。

でも早くアパートに移りたい。ネジャーティの研究室にいる学生のお向かいさんになるそうだが、月曜日の話だと、住人がちょうど引っ越しているのを見たらしい。早くアパートのオフィスから電話がかかってこないかなあ〜。

ちなみにみぞれのために15分短縮になった。プリKの学校で、梨奈が失敗してしまったらしい(先生はアクシデントと呼んでいたが)。そして、補習校の最初の2回、続けて失敗してしまったことを思い出した私。今朝、ここがトイレだよ、先生に言いなさいよ、と行ったのだが、多分初日で舞い上がってしまったらしく、気がついたらぬれていたらしい・・・・・。



2005年01月04日(火) 予防接種

今日はずっと雨。夜中だったか雷も鳴っていて、その音で目が覚めた。

明日からPre-K(2日の日記を参照)に行くのに、オクラホマで求められているhepatitis A(A型肝炎)の予防接種をしないといけないので、保険局に行った。キンダー(幼稚園)が始まるまでに3種類の予防接種が必要だったが、今日はhepatitis Aも含めて4本の予防接種をした。

ニューハンプシャーにいた時にほとんどの予防接種を終えていたが、hepatitis Aは義務ではなかった。どうもネイティブアメリカン(インディアンアメリカン)にhepatitis Aを抱えている人が多いようで、インディアンの人口が多いオクラホマではどうも義務にしているらしい。

ネイティブアメリカンというと、オクラホマの人口に占める割合が多く、それぞれの部族で部族名が入った車のナンバープレートを持つことになっているらしい。ここに来てからすでに3部族のナンバープレートを見ている。

カウンティー(郡)の名前にもある「セミノール(Seminole)」というのはフロリダにもいた部族で、フロリダ州立大学のアメリカンフットボールのチームの名前にもなっているのだが、フロリダからセミノールや他の部族もオクラホマに移動を強いられたらしい。

アメリカンインディアンの保護地、「リザベーション(Reservation)」はオクラホマの北部のかなりの地域を占めている。



2005年01月03日(月) 動物園

「月曜日はビッグサプライズがあるからね」と前々から言っていたジャネット。ここから65マイルのオクラホマシティーに向かうらしい。全然見当がつかず、着いた所はオクラホマ市の動物園。何でも12〜2月まで月曜日は無料らしい。今週から梨奈の学校が始まると月曜日には行けなくなるので今日を選んだらしい。

今日はちょっと気温が低く、人も少なかったが、一般の動物園にいる動物は見られたかな。アリクイとかバッファローとか、今まで実際に見たことがあるかどうか定かでないぐらいだから、見られてよかったかな。

ジャネットが飼っているオウム(名前はハリス)と同じのがいて、ジャネットが梨奈に「ハリスはどうやって来たんだろうね」とか、「どうやって帰るんだろうね」とか言ってて、帰った時にはもちろんハリスは家にいるのだが、「飛んで帰ってきたのかな」とか言って、梨奈と遊んでた。

動物園の後サムズクラブ(ウォールマートの会員制マーケット)に行って、サーモンなどをジャネットが買って、その夜のおかずとなった。ご飯も炊いてくれたのはありがたい。



2005年01月02日(日) 町をドライブ

来週の月曜日に「Pre-K」と呼ばれるプリスクールに行く書類を書いていた。ジャネットがネジャーティに聞きながらすでに書いてくれていたのでびっくり。ジャネットの面白い経歴は後日書くことにして、とにかくやり手のジャネット。こんなアメリカ人女性も珍しい。

アメリカでは幼稚園にあたるキンダーガーテン(Kindergarten:略して「キンダー」とか「K」とかいう)が1年あって、その前にプリスクールに行くのが一般的だ。この町には「Pre-K」というのがあって、公立に入っているので無料になっている。

予防接種を書く欄もあったのだが、欄にはニューハンプシャーで受けてなかった予防接種の種類もあり、月曜日の朝一番にジャネットが電話で聞くことになった。何でもジャネットが物事を進めるので楽といえば楽なのだが、こういう人がフロリダ時代の最初にいてくれたら精神的にすごく楽やったやろうに・・・。

一段落着いた後、ネジャーティと町をドライブすることに。町で一番大きな湖に行った後、ジャネットが勧めてくれたダウンタウンの「スシハウス」に行ってみたが閉まっていた。Arby’sでお昼を食べた後、ウォールマートに行ったりして(ここは24時間開いている)午後を過ごした。



2005年01月01日(土) タルサへ

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

さて、ベリーとジャネットの家に居候して3日目。おせち料理を作ることもなく(台所の事は自分がするからね〜とジャネット)、普通に過ごす予定だった。

ジャネットがどこかへ電話して、3時まで開いているというのを聞き、「今からタルサへ行くわよ〜」と急遽タルサへ行くことになった。タルサというのはここから1時間もかからないところなので、日記でこれからよく出てくる所だと思います。

タルサへ行くにはターンパイク(Turnpike)と呼ばれる有料道路(といっても75セント、そして制限速度が75マイル:120キロ)と一般道路(制限速度65マイル:104キロ)があり、行きはターンパイクを使った。

韓国食料品店2つとオリエンタルフード店を案内してもらったが、最初の韓国食料品店は日本のものもたくさんあって、ちょっと高いものの、ここで十分かなと思った。お米の日本のブランドの「錦(にしき)」も売っている。ひじきとわかめを購入。

お昼ご飯はチャイニーズのP.F.Jiangのファーストフード版のPei Weiというところで食べた。ご飯ものを食べたが、まぁこんなものかなという感想。ジャネットは太麺の焼きそばを食べていたので、今度着た時にはそれにしてみようかなと思う。

それにしても暖かいこと、半そで姿で外で食べている人もいるなんて(オハイオとニューハンプシャーの皆さん、すみません)。

もう一つ食料品店に行く、というので着いたところがWild Oats。看板を見て私が「Wild Oatsだ」と驚いた様子に満足げのジャネット。次に行ったお店はシンシナティのロックウッドとまではいかないが、アン・テイラー(Ann Taylor)やバナナ・リパブリック(Banana Republic)、サクス・フィフス・アベニュー( Saks Fifth Avenue)もあって驚いた私に更に満足げ。



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