オクラホマ・スティルウォーターから

2004年12月31日(金) BBQ

ネジャーティは学校、ジャネットと私たちは町のスーパーやコインランドリー(英語ではランドロマットという)を回った。町のスーパーはIGA(シンシナティのとは違うみたい)、アルバートソン(確かフロリダにもあった)とスーパーウォールマートだけ。ここから1時間のタルサにはWild Oatsもあるらしく、昨日広告を見て、へぇ〜、オクラホマにもあるんだと驚いた(ただしオクラホマはタルサだけ)。

アジアンマーケットは町に一つあって寄ってみたが、今は学校が冬休みだからか物があまりなかった。でも学校が始まる時には棚一杯になるらしい。日本のお米は國寳(こくほう)だけだったが、ジャングルジムズと値段はあまり変わらないので、ここで買うようになるかも。タルサまで行けば大きい韓国食料品のお店があるらしい。ジャングルジムズで買い置きしておいた分があるので、当分はいけるやろう・・・。

白菜はどこのスーパーでも手に入りそうだし、4〜10月にかけてファーマーズマーケット(朝市)が水、土とあって、留学生がよく来るらしい。なのでアジアの野菜も売られるらしい。ジャネットはファーマーズマーケットがある間、スーパーでは野菜は買わないらしい。多分私もそうなるかな。

途中おなかが空いたところでBBQ(バーベキュー)の店「Bad Brad’s」に入った。ここはオクラホマで1番おいしいBBQのお店として2年連続評価された所のようで、ジャネット曰く、ここで食べたら他の所で食べる気がしないらしい。

普通のBBQと違うのはここのは半日から1日かけて作ったスモークビーフらしい。サンドイッチ(ハンバーガー)を注文したのだが、矯正具をつけてるから心配していたが、スモークにかけるとこんなに軟らかくなるのかあとびっくり。サンドイッチの肉だけでは物足りないと思わせるのだった。

一度帰って自由行動となった後、梨奈と私で大学のコインランドリー、ウォールマートを回り、洗車して帰る。帰った後、実家に年始の挨拶も兼ねて電話。実家では雪が降ったらしい。メールはまだ見てなかったらしいので、初めて連絡が取れたことになった。



2004年12月30日(木) 免許証の切り替え

10時近くに起きて朝食。ベリーの奥さんのジャンがとてもやり手で何でも自分からパッパッとしてしまう。ベリーの家の駐車場に荷物を降ろすのもすごく早かったし、トラックの返却から、運転免許証の切り替え、銀行口座の開設、アパートの契約の残りの書類記入など今日全部一気にしてしまった。途中学校の図書館から実家にメールで到着を知らせたり、郵便局に行ったりといろいろ済んだ。

外は華氏75度。半そでにはおるぐらい、という暖かさだった。オハイオの皆さん、暖かいですよ〜(でも寒さは戻るらしい)。

それでトラックのドアにつけた南京錠はどうしたかというと、大きなカッターで切ったらしい。2回しか使ってないのに・・・。
教訓:鍵は2つに分けること。大きなキーホルダーをつけておくこと。

運転免許証の切り替えに行く公のオフィスがあるのだが、このオクラホマはタグオフィスにも行かないといけなくて、公のオフィスで作った書類を持って行ってタグオフィスで発行してもらうという仕組みになって入るらしい。両方のオフィスで顔写真を撮り、指紋を取られたのだが、なんで両方のところでしないといけないのか謎だ・・・。

ところで公のオフィスに行った時に、ネジャーティと私のそれぞれのファイルを持って行ったのだが、ネジャーティはパスポートをそこに入れていないことに気づき、私だけ書類を作ってもらった後、一度家に戻った。研究室にいつも持っていたらしく、そこで詰めた箱の中らしいのだが、さてどの箱だっただろう、と焦るネジャーティ。

「研究室からこの白い箱をいくつか持って帰ってきてたよ」と指して、開けた2つ目の箱に入っていた。日頃、書類をちゃんとまとめとかなあかん、と私にも言っていた本人がこれじゃあかんやろう・・・。



2004年12月29日(水) we arrived in Oklahoma

8時に起きてダイニングルームに向かう。そこには「ワッフルマスター」の異名を持つ(?)Dane(名札に「ワッフルマスター」とあっただけだけど)がワッフルを作ってくれたり、パンをトースターに入れてくれたりした。インに世話係がいるのは珍しい。

チェックアウトした後、ガソリンスタンドによって給油(ディーゼル)している間、トラックのドアを開けようとしたところ、南京錠の鍵をどこに置いたかネジャーティが忘れてしまったらしいことがわかり、大慌て。しかし、ここで探してもしょうがないのでとりあえず車を走らせた。 

イリノイからミシシッピ川をはさんだところがミズーリで、私たちはミズーリに入ってすぐのセントルイスの中心部には入らずに、町を囲む幹線道路からミズーリに入ることにしたのだが、イリノイ側の遠からでもビル街とアーチが見えたのでよかった。それで川を渡ってミズーリに入る。

ところでネジャーティと私の運転する担当があって、刺激のない一本道はネジャーティ、郊外や街中の複雑な道は私となっているのだが、セントルイスの郊外はネジャーティが運転していて冷や汗もののところもあって、かわいそうだった。

とりあえず郊外を抜けて順調に走って行ったが、インディアナやイリノイは平坦な所の真ん中を走るといった感じだったが、ミズーリは意外に山道や坂道が多く、「ニューハンプシャーのホワイトマウンテンまでの道を走ってるみたいやね」とネジャーティと言っていた。

ミズーリにはネジャーティと同じ時期にフロリダにいたメメットが以前住んでいたところで、今はシカゴから北に1時間ほど行った所に住んでいるのだが、今もミズーリにいたら通り道だったから会えたのにねーと話していた。その手前で休憩して、自分がしばらく運転。

また途中で交代してオクラホマに入った時には真っ暗で何も見えず。タルサ(Tulsa)の夜景はデートンかコロンバスと言ったところだが、そこからはスティルウォーターまで1時間。結局10時に着いた。最後の4時間半ぐらいぶっ続けで運転していったので、ネジャーティも疲れただろうが、今日中に着きたいという方が先だった。

今日からどのぐらいかわからないが、ベリーの家に居候(よく言えばホームステー)。



2004年12月28日(火) we left Cincinnati

昨日は荷物を4時からトラックに積むはずが、トラックを借りに行けたのが5時だった。研究室の2人がちゃんと4時に来てくれたのだが、出直して5時過ぎに来てくれた。あとWさん一家も来てくれて、荷積みを始めたが、積雪でトラックをアパートの前につけられなかったので、駐車場を往復する形となった。

でも大まかなものは積めたし、後は少し細々としたものだからすぐに終るだろうと思っていた。ネジャーティの「9時に出る」というのは絶対無理だろうと思っていたら、やっぱり無理で、以外に細々としたものを積むのは時間がかかり、アパートを閉めたのが何と4時過ぎ。

オフィスが閉まるのが5時だが、4時半ぐらいに帰ってしまうこともあるので、急いでオフィスに向かい、チェックアウトした。

オフィスの人とメインテナンスの人にちょっとしたものをあげたのだが、ちょうどオフィスにメインテナンスのデーブがタイミングよく入ってきた。ネジャーティは意外だったが初対面だった。この前の火曜日にお掃除の人にも会えたし、会う人に会えてよかった。

駐車場に戻り、ネジャーティがトラックを運転して、U-Haulのオフィスに向かう。そこでトラックに台をつなげて、その上に車を載せないといけない。

オフィスでは同じアパート群に住んでいて以前近所だったクリスィーのおとうさんとおかあさんが来ていた。昨日ネジャーティがトラックを借りた時にも会ったようで、今日はトラックを返しに来たらしいが、あいにくトラックだけを運転してきたので、アパートに戻る車がないことに気づいたらしい。アパートまででなくても、モールぐらいならと思ったのだが、ちょうど車の台をつなげる作業に入っていたので、モールまでも時間がなかった。

無事に車をつなげて、U-Haulを後にする。I-275を西に向かいI-74に入る。I-275では自分たちの住んでいた所を通ったのだが、しばらくここに来ることはないというのとシンシナティに住んでいたことが過去のことになるのかーという思いで、じーんときてしまった。

I-74に入った後、インディアナポリスを通り、I-70でイリノイに向かう。インディアナのTerre Hauteから50マイル先で、イリノイに入ってすぐのEffinghamまで行くことにして、そこのDays Innで宿泊。



2004年12月27日(月) 禁止令を出すべし

 土曜日で料理も終えて、お鍋やお皿などをしまうことに。冷蔵庫の中も残った野菜などを切ってタッパーウェアーに入れて置いておいた。私自身は漬物はたくあんと福神漬けのようなカリカリしたものしか食べないが、白菜を切りながら、旬のものしか取れない時代、昔の人が漬物を作る気持ちがわかったような気がした。

 ほとんどの食料は終ったし、と思っていたら、昨日の朝、近所のお店でネジャーティがパンと卵を買ってきた。卵は小さいパックだから、と言ったので見たら8個も入っていた。卵なんか今ごろ買ってくるな〜!! ゆで卵を作るんだって、私にとっては負担なんだ〜!!

 そして、私がシャワーを浴びている間に、ネジャーティがゆで卵を作ったのはいいが、食器を使われてしまった。食器も使うな〜!! 洗う身にもなってみろ〜!!

 食料購入禁止令と、食器使用禁止令をちゃんと徹底しておくんだった・・・。



2004年12月26日(日) 雑談1

 先週末、ネジャーティがオクラホマにアパートを見に行った。今度ネジャーティのボスとなるベリー(呼び捨てになっているが)の奥さんとアパートやアジアン食品のお店などいろいろ回ったらしい。それでアパートはベリーの学生も住んでいるアパートが一番いいだろうということで、そこに申し込んだ。実際に入れるのは1月に入ってからで、入れるまでの1週間か2週間はベリーの家に泊まることになった。

 というわけで、日記の更新がいつになるかわかりませんが、来年もよろしくお願いします。

 さて、ネジャーティを空港に迎えに行って帰る途中、ベリーの学生、D(としておこう)の話で盛り上がった。

 ベリーと知り合ったのはニューハンプシャーで、かれこれ3、4年前のことだと思う。当時ベリーはニューヨークの超田舎(70マイルほど行かないとモールもないようなところ)の大学の助教授で、サバティカルと呼ばれる1年間の休暇を利用してネジャーティがいたニューハンプシャー大学(UNH)の化学の研究室に来ていた。住んでいたところもキャンパスの同じアパートで、ネジャーティも親しくさせてもらっていた。

 私は勘違いしていたが、ベリーがオクラホマに移ったのは去年の秋だったようで、その時にニューヨークのその超田舎の大学から学生を2人連れてきている。その学生たちのお向かいに引っ越すことになるようだが、そのうちの一人がDだ。

 Dは実は以前UNHにいて、そのDがなぜオクラホマに移ったかは後に書くことにして、ネジャーティがオクラホマに飛んだ日は、ベリーもちょうどワシントンDCからオクラホマに戻る日で、経由地のアトランタで合流し、最終地のタルサから奥さんが迎えに来てスティルウォーターまで帰るという運びだったが、タルサからスティルウォーターまでの1時間、そのDに対する怒りの話がずっと続いたらしい。

つづく



2004年12月25日(土) クリスマスも無関係(でもプレゼントは拒まず)

 荷詰めも佳境を(?)迎えた。28日の朝まであと3日。

 昨日は食器を少し詰めたのだが、ネジャーティは今日も、「まだたくさん残ってる」という。私としては「ほとんど終えた」というのだが、何が残っているかというと、ダイニングテーブルの上とか、多分台所もそうらしい。テーブルの上とかはすぐに片付くものだし、台所の食器も今日はほとんど全部詰めようと思っているので、大変なことではない。

 ネジャーティにとっては片付いていないものが少しだけでも圧倒されるらしい。なので、台所のカウンターに置いているコーヒーメーカーや炊飯器を小さいテーブルに動かして、夕食後か夜に漂白できるようにキッチンペーパーを置いたりしていたら、ネジャーティも2階のダンボールを下に持ってきたり、以前研究室近くで拾った中古のコンピューターの処理を決めたりしていた。

 そしてレンタルするトラックにちゃんと合うように、部屋の片隅に固めて置いてあるダンボールのサイズを測ったり、それを書き留めたりして、

 「やっとどういうふうに積むかイメージができた」

 どないやねん・・・。さっきとあんまり変わってへんって・・・。

 ついでに言うと、やることが細か〜い! そんな紙までフォルダーにはさむなぁ〜!

 ネジャーティはちょっとホッとしたらしく、学校の研究室にある荷物を片付けに行った・・・。



2004年12月24日(金) 車の色

 色に関するネットの新聞連載記事を楽しみに読んでいる。今回、青い車は注意しないといけない、というのがあって、経験があったのでそうだったのかと納得した。

 フロリダにいた時に、青い車を持っていて、青信号を左折するのに反対車線の車が行くのを待っていたら、後ろから追突されたことがあった。↓が愛車(?)だったジオ・メトロ。




 車の方はマフラーと後ろのバンパーが取れたかだったかで大したことはなかったが、青が追突されやすい色だそうで、そうだったのかと思った。

 今持っている車の色マルーンだが、黄色が追突されにくい色だそうで、たまに見る黄色のフォルクスワーゲンはいいのかぁと思ってしまった(でも黄色の車ばかり走っていると目がおかしくなりそう>でも黄色自体はすきやねんけど)。



2004年12月23日(木) 大雪続き

 今日は降らなかったものの、積雪がすごかった。駐車場から出られる状態ではない。今日はネジャーティも一日家にいて、荷物詰めをした。

 今週も後半に入り、荷物詰めをするのも、今日を入れて3日間。細かいものが結構時間がかかるのだが、ネジャーティもところどころ細かいものが残っていて、片付けをする。あとは車の雪かきを1時間ぐらいしていた。






2004年12月22日(水) 大雪

 大雪警報が出ていたが、こんなに降るとは・・・・。

 朝から雪は降っていたのだが、お昼前にダニーさんがオーランド行きの飛行機に乗るので、空港へ送って行った。お昼前だったから予定通りに出ていたが、その後だったら多分飛べなかっただろう。

 ダニーさんを送るのに、キャンパスの寮に向かったのだが、家の近くの交差点の道路脇で誰かの車が芝生に突っ込んでしまっていた。気を付けないとAAAを呼んでも時間がかかるだろうし、と思っていた。

 交差点を右折して坂を上がった後、少し下り坂になっているのだが、信号の手前にある道の脇の芝生に私もスリップしてしまった。バックしても動かないし、どうしようかなと思って外に出たら、どこから現れたのか男の人がいて(道を右折した所で止まってくれたらしい)、車を押してくれた。道に戻ったのを見届けて車に向かって行ってしまったので、お礼を言う時間もなかった。

 後で、車の窓とか後ろのガラスとか泥がついてたので、それよりもその人が泥まみれにならなかったかなと心配になった。でもダニーさんを迎えに行く前だったので助かりました。

 ニューハンプシャーで雪に慣れていたといっても、その後は慎重に運転。あちこちで道路の脇にスリップした車を見て、高速でそういう事態に陥らなくてよかった、と思った。

 普段はネジャーティの学校から30分ぐらいで帰ってこられるのが1時間ぐらいかかった。



2004年12月21日(火) 暖かかった

 今日は昨日と違ってすごく暖かく感じた。ちょうど矯正歯科に出かけることになっていたので、出かけやすくてよかった。

 その後モールのデパートに行き、台所用品を見て、蒸し器(鍋?)を買った。大きいものではないけど今まで持っていなかったので、使ってみようかなと思う。フライパンもすぐにだめになるので、ステンレスのがほしかったが、大きいものしかなく、他を当たることに。

 今月はデパートも頑張っていて、クリスマスイブ前まで深夜12時まで開いている。別の所では夜だけさらに割引きしているところがあったりして、客寄せに努めている。深夜まで開いているなら、ネジャーティが帰ってきてから梨奈を見てもらって一人で行ってもいいなあ、なんていう考えを起こしている。明日そうしようかなと思ったが、明日は大雪になるらしい。仕方ない・・・。



2004年12月20日(月) 5歳になりました by りな

 お昼になってもマイナス9度。ニューハンプシャー並みの寒さだ〜。乾燥がすご〜い!

 ネジャーティは研究室でちょっとしたお昼を兼ねた送別会があり、教授の奥さんが持ってきたサンドイッチやケーキをみんなで食べたらしい。私は近所の人の長電話に捕まってしまい、切るに切られず、こういうような時に、携帯を持っていればなあと思う。ネジャーティと連絡できたのはお昼が終わった後だった。

 でも結局後で研究室に寄って、梨奈に会いたがっていたスリランカ人のチャミカに会いに行った。チャミカのところにも4月に女の子が生まれるそうで、でも私たちは見られないなあ。

 昨日オクラホマからネジャーティが帰ってきたが、便の変更があって少し遅くなって、帰ってきてからも話しこんでしまったので、梨奈の誕生日(5歳になりました)をちょっと祝った後、ネジャーティは横になって眠ってしまった。私も眠気が襲って仕方がなかった。



2004年12月19日(日) 隣人

 隣の家のサディラは梨奈より4ヶ月ほど誕生日が早いので、お母さんのニコールも自分と同じぐらいの年かなと思っていたら、27歳というのを知ってちょっとショック。

 ニコールの苗字からイタリア系という見当はついていたが、ニコールの体格と飛びきり明るい性格は典型的なイタリア系だったなあと思っていた。

 昨日一緒にいた近所の日本人の人が、日本人をどう思うか、という話からエスニックバックグラウンドの話になって、ニコールはお父さんの方はおじいさんもおばあさんもイタリア人で、お母さんの方はおじいさんが旧チェコスロバキアで、おばあさんはフランス人だという。フランス人のおばあさんはおとなしいが、おじいさんはチェコ訛りの英語を陽気に話す人らしい。

 チェコのおじいさんはペンシルベニアにいるのだが、ニコールはマサチューセッツで生まれ育っていて、自分たちがどこ系なのか、という話を気軽にしていたらしいのだが、8年前に引っ越して来たオハイオは、そういうのを話せる雰囲気じゃない、と不思議がっていた。

 あまりオープンにする雰囲気じゃないのかな?



2004年12月18日(土) 補習校も最後+巻き寿司作り

 昨日プレイグループで持ち帰った皆さんの食べ物を梨奈の今日のお弁当に詰めた。きっと一番種類が多くておいしかったと思う(今までどんなお弁当やってん・・・)。

 土曜日の朝も平日と同じようにネジャーティが目覚ましを止めてくれる。今日は自分で止めないといけなかったのだが、いつもと違う音のように感じた(ほんまは同じ)。

 梨奈を送り、うちの近くのパネラで朝ご飯を食べ、モールで買い物をし(しばらくはGAPも行けないことやし)、家に帰って、片付けなどなど、一人の時間をフルにこなす。

 夕方から隣のサディラのお母さんのニコールに巻き寿司の作り方を教えてあげることになっていたので、用意していたらちょうどいい時間にニコールが来た。

 ニコールは初めて作るにしては要領をすぐに得て、海苔の上にごはんを広げるのも、私よりもうまく(本人曰く、ピザの生地を作るように広げるらしい)、クリスマスに早速作る気らしい。余った海苔と巻きすをあげたので、あとは酢飯を作るだけだ。酢飯の作り方は海苔の袋に書いてあるので大丈夫かな?

 近所の日本人の方も呼んだので、3人+子供2人で作ったお寿司とお味噌汁を食べて、この前ニコールにあげたトルコのワインをニコールが開けて、その後ケーキとコーヒーと、おしゃべりをしながら9時半まで続く。



2004年12月17日(金) 最後のプレイグループ

 今日から日曜日とネジャーティは飛行機でオクラホマへ。オクラホマにいる助教授、ベリーもどこかからタルサ(Tulsa)に飛び、そこで待ち合わせてベリーのおうちに行く、ということになっている。シンシナティ発が約3時、アトランタ経由で向こうに着くのが現地時間の7時(ここでは8時)。

 梨奈と私がプレイグループで思いっきり楽しい時間を過ごしている間、ネジャーティは移動を続けているわけだ。うらまれそう・・・・。

 今日が誕生日のお友達と、3日後が誕生日の梨奈と、一緒に誕生日を祝ってもらい(プレゼントもたくさんいただき)、私たちの送別会もしていただき、本当にいい思い出となった。

 プレイグループに入れていただいたのが去年の10月だったので、あっという間だったが、中身は濃かったなあと思う。最初の頃はなかなか自分から離れず、その時間のほとんどを膝の上で過ごした、ということもあったが、いつの間にか離れている時間が多くなって、みんなとも遊んで、日本語もたくさん話せるようになったと思う。

 本当にありがとうございました。



2004年12月16日(木) いい目覚め

 今朝の目覚めはよく、体も軽かった。こんなことは珍しい。昨日食い気に走ったからか、寝たのもちょっとだけだけど早かったからかもしれない。

 午前中に少し詰めて整理したのもあって、少し満足度というか達成感があって、お昼を迎えた。今日しておく用事も終えたので、ちょっとほっとした。



2004年12月15日(水) 前半終了

 今月も早いもので前半が終了。昨日も、「今日一日、ダンボールが1個も増えてない!」と、おまえは星一徹か、と思わせるような口調で攻められ、ついでにインターネット禁止令も出て(それでも掟を破る)、今日は心を入れ替えて(?)荷詰めに励む。

 週末だけ学校から空き箱を持って帰るネジャーティをあてにできないので、ダンボールを買いに行くのだが、ついでにいうと、アパート探しもあてにならない。

 電話しないと土曜日に開けてくれないオフィスもあるのに、電話する気があるのか〜と思わせるところがあるし、開いていなかったらアパートの環境だけでも見てくるとかのんきなことを言ってるし、そういうところでいらいらして、一日の大半を過ごすのは私なんだから、居心地は大切なんだから、というと、しまいには、いつもちらかって、家に帰ってきても落ち着かない、とかいうし、そういう問題じゃな〜い!!!、話をすり替える〜!! ←母には「ささいなこと」と片付けられる・・・・。

 怒ってばかりでも仕方がないので、約3箱詰める実績を残す。そしてストレス解放に食い気に走る。

 とりあえず昨日とは違って機嫌がよかったので、よかった、よかった(晩ご飯がカレーだったので喜んでた、現金なネジャーティ)。



2004年12月14日(火) 来年の話ですが

 今日も雪がちらついた。日本は暖かいらしい。

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 「オクラホマって13年周期か17年周期のセミがいるんだろうか?」

 先日ホームページを整理しながらふと思い、早速検索してみた。でも今のところまだわからない。17年周期のセミもオハイオでは南の方が今年だったが、別の地域では4年後に出てくる所があるようで、オハイオでもずれている地域がある。

 オクラホマでまた遭遇しないように・・・・。



2004年12月13日(月) もう少し早くできてたら

 今日は雪が舞っていた。しかも寒い〜! 

 ところで、厳密に言うと私はフォレストパークというシンシナティ近郊の町に住んでいて、市役所や消防署、警察署もあるのだが、毎月そこから4ページのニュースレターが送られてくる。

 今月号1面の初めに、フォレストパークにウォールマートスーパーセンターが建つ計画があることが載っていた。

 どこだろうと思ったら、シンシナティミルズのちょうどI-275をはさんだ南側だ(ローカルな話ですみません)。どのような理由かはわからないが、そこはほとんどの店が閉めて移転したりして、今は数えるほどしかお店がない。そこの1軒は食器や雑貨が安くて、ここに来た当初は何度か行っていたが、今年に入って行ったかどうか覚えていないぐらいだ。

 フォレストパークの近くのウォールマートというと、トライカウンティモールの隣にあるのが近いが、もしできたらそこはどうするんだろうね、とネジャーティと話していた。建物のデザインなどが承認されれば来年の4月ぐらいから工事が始まって、完成するのは2006年の6月ぐらいらしい。もうちょっと早くできててくれればね〜・・・・。



2004年12月12日(日) 新しい強敵??

 昨日の夜に、ネジャーティの研究室に来ているダニーさんを乗せて、UCからVine St.を北上し、家々に飾られたクリスマスライトを見て回った。I-75 Exit6近くのSt. Bernardの町のメインストリートから少し入り、ドライブしていると、おぉ〜っ、とびっくりするような飾りがあってすごかった。

 Wyomingにも、いつも2軒が競争して?ライトで飾り付けしている家があるが、今年は1軒のみだった。St. Bernardに新しい強敵が現れたか??

 ダニーさんも年明けにオーストラリアに帰るのと、来週オーランドに旅行してここに戻ってくるのが私たちが発った後なので、最後にゴールデンコラル(アメリカンバッフェ)で食事をした。昨日は初めてグリルサーモンがあって、おいしかったのでネジャーティはおかわりしていた。

 昨日は一日中、補習校で動いていたので、おかわりしてデザートも食べておなかいっぱいになったが、今日起きても胃がもたれていなかった。

 午後トラックを見に行ったり、台所のものを片付けたりした。台所からはダンボール1箱分の処分が出た(決して食料ではありません)。引越しを機に新しくしたいというものもあったので、ここで処分というものもあった。

 台所からはダンボール3箱分を作って終了。



2004年12月11日(土) 見回り当番@補習校

 先週の補習校の古本市で雑誌を買った時に、雑誌なら何でもと思ったので、あまり内容を気にしていなかったが(そして2000年以降ならOKなので)、もう少し買っておくんだったなあ、と後悔。5冊で1ドルだったし・・・・。今日、売れ残ったものが無料で置いてあったが、雑誌はなく、文庫本を一冊もらってきた。

 さて今日は、通常はお父さん方が参加するという校舎の見回りの当番に当たっていた(5人中、紅一点?となった)。それぞれ違う持ち場で、私は幼稚部のクラスの廊下になったので、クラスの様子も廊下からさりげなく見たり、お昼休みには自分はエスキモーみたいな格好で、寒い中を元気に駈け回る子供たちを見たりと、終わってみればあっという間だった。でも、他の持ち場では始業と就業に鈴を鳴らさないといけないところもあって大変そうだった。

 今回おそらく初めて(?)トランシーバーを手にし、話す時には一つしかないボタンを押して話すということができたので、面白かったというのがトランシーバー初体験の感想(ほんと未熟者ですみません)。



2004年12月10日(金) アメリカに日本がある?

 AAA(トリプルA)に頼んでおいたトリップティック(Trip Tik)が送られてきた。最近はルートの色づけも印刷されるのかとびっくりした(以前は蛍光ペンだった)。地図の検索で見ても、このトリップティックでも、北西にあるインディアナポリスに行って、南西に下ってミズーリのセントルイスを通り、オクラホマに入るようになっている。

 シンシナティの中心街を通ってケンタッキーのルイビル、セントルイスに入るのとどっちが近いんだろうと思っていたが、ここのアパートからだと、インディアナポリスからの方が30マイルほど近いらしい。なので、ここを発つ時はシンシナティの中心街を通らないことになる。

 ところで、先週HPの内容を少し整理したり、変更したりしたのだが、お天気をHPに貼るのに、地元の物があるかなと思って「Japan」としたところ、ミズーリが出てきた。なんのこっちゃ、と思ってよく見ると、なんと、ミズーリに「Japan」という町があるらしい。ミズーリだけでなく、ペンシルベニアもあり、「Japantown」はカリフォルニアにあるという。

 アメリカには自分たちの出身地の名前をつけることがあって、前にいたニューハンプシャーでは、ドーバーがあったし、ドーバーは他の州にも見られるが、まさかJapanがあるなんて・・・でも面白い。



2004年12月09日(木) 迷惑メール

 無差別に送られる迷惑メール。女性の名前で来ていることが多い。なんで女性に誘われなあかんねん、とか、近くに住んでる? 嘘つけ!とか、今日の午後会えないか、<物理的に無理、というものなどなど。

 それをネジャーティに話したら、それはあたり構わず出してるスパムメールや、というので、それは知ってるねん、と突っ込む私だった。 



2004年12月08日(水) あのばか力はどこへ・・・

 本を小さい箱に詰めても重たいと思うのだが、同じ重さでも年齢が経るとだんだんと重たくなるというもの。

 うちにハードスーツケースがあって、遠い昔、大学の語学研修と、ヨーロッパでの長旅に使ったのだが、今から考えると(考えなくても)、スーツケースでヨーロッパを「回った」のは無謀だった。確かに車輪はついているのでごろごろ転がせるが、アスファルトではなく道が石畳の時は大変だった。

 ベルギーで初日に泊まったユースのオーナーから、スーツケースで回るのは「クレージーだ」といわれ、口が悪〜い、おまけに接客態度が悪〜い、と友人と私は次の日、宿泊先を変えたが、今から考えると確かにクレージーだったと思う(ベルギーの旅行自体はよかったんだけど)。

 ネジャーティにも「おっ、重い」と言われた日には、遠い昔、どうやって移動したんだろうと思う。カラのスーツケースが重たくなるわけではない。旅行時は体力以上にばか力を発揮しただけやろう(+すべり止めゴムつき軍手)>それでもきっと手が腫れてた・・・・。

 あの若さとばか力はないので、ネジャーティ及び研究室の方、トラックへの荷物積み頼んまっせ〜(私はみなさんの盛り立て役に・・・)。



2004年12月07日(火) 便利なのに・・・

用事を済ませた後に、近所の郵便局に立ち寄ったのが夕方。この時間はいつも混んでて列ができているが、今日も例外なく列ができていた。この後ジャングルジムズに行く予定だったのだが、ふと、そこにも郵便局の窓口があるやん、と気が付き、ジャングルジムズに向かった。

郵便を出して、買い物を終えて荷物を積んだ後、銀行に行かないといけなかったことを思い出し、うちの近所は閉まるところかも、と思ったが、そうだ、そこに行かなくてもお店の中にあるやん、と、また店内に入って用事を済ませた。

どちらも便利なのに、まだ行き慣れないうちにここに来ないようになるなんて・・・・。

P.S. NHのAさん、Pさん、郵便の窓口、5/3 Bankの他に、Cincinnati Bell、スタバもあるんですよ。モノレールはまだです。



2004年12月06日(月) たまに間が抜けるネジャーティ

A型のネジャーティはきっちりしていて、週末に自分の所有物はさっさとまとめて、気が付いたらおそらくほぼ終了、といったところで、ちょっと一人残された感じ。

しっかりもののネジャーティも眠たい時や起きたては弱いらしい。

土曜日の朝、風がなかったので寒くなかったが、外に置いてある温度計は0度を少し切っていた。前もってエンジンをかけておいたが、乗る時にはまだ霜が完全に解けていなかった。

私と梨奈が車に乗り込んで、ネジャーティがブラシで軽くこすったらほとんど霜が取れたのだが、さらにきれいにしようと、運転席側のサイドミラーもブラシで軽くこすった後、水をかけた。

いやな予感がしたが、水をかけたとたん氷が張り、見えなくなってしまった。そりゃ凍るって・・・。ブラシで一生懸命こすっても取れなくて困った顔をするネジャーティ。窓の中側にいる私たちが見るとまさしく無声映画。大笑いした。

今日も晩ご飯の後、テレビを見ているネジャーティに、箱にテープを貼るのにふたを押さえてもらって貼ったら、無意識にひっくり返してふたを押さえるので、何も入れんとふたをするんかい、と突っ込んでしまった。



2004年12月05日(日) 夜型

 昨日の夜は荷詰めプラス片付けで寝たのが3時を過ぎていた。

 ネジャーティも私も持ち物の中に(書類やら雑誌やら)、引っ越して来た当時は2、3年前のものでも、今では5、6年経っていて古くなっているので、処分しているものがある。前もそうだったが、ネジャーティと私が使った語学学校のテキストを目の前に、どうしたものかなあと言っている。テスト内容が結構変わったGRE(院に入るのにいるテスト)のテキストは今回処分。

 今日も朝昼兼用の食事の後、ネジャーティはせっせと片付けをしていた。どちらかというと荷物の整理といった方がいいかも。私も少しずつしながら、洗濯とか1階の片付けしていたら、そのうちネジャーティが下りてきたので休憩。ちょうど友人から電話がかかってきたのでおしゃべり。

 友人は私が夜型なのを知っているが、友人もそうで、低血圧だから朝が起きられない、というのは日本人にしか通じないらしい。他の国の人はそんなことは聞いたことがない、と信じない様子。夜にエンジンがかかる二人だった。

 その後、Walmartにオイル交換に行ったりして、今日はほぼ終了。



2004年12月04日(土) 古本市

 補習校で古本市があった。10〜11月の3週にわたって、保護者に古本の回収を呼びかけていたが、3回目の回収でかなりの本があったのを見た。私は数冊しか持っていかなかったが、全校生徒が400人近くいるので、1人の生徒につき5冊持っていっても2000冊集まることになる。

 お昼から始まる古本市で、保護者には1時10分以降の時間を呼びかけていた。私が着いたのは10分か15分過ぎてだったと思うのだが、子供の本でめぼしいものはなく、結局雑誌数冊と自分用の本を数冊買った。この3年日本に帰ってないので、本でも雑誌でも2000年以降の発行ならOKの私。

 正規の値段で買うと5000円は優に越えると思うが、払ったのは2ドル50セントだった。サンクスギビング後の買い物で、これが一番お買い得だったと思う。



2004年12月03日(金) 地図

 プレイグループでお邪魔したおうちで、お部屋に貼ってあるアメリカの地図を前に話が盛り上がった。地図には訪問地をピンポイントしてあり、とてもわかりやすい。

 オハイオに住んでいると、旅行として行きやすいのは東海岸だったり、西でもシカゴぐらいかもしれない。私もネジャーティも、今まで住んだことがあるのが東海岸で、オハイオが今までで一番西だった。このたび引っ越すことになったオクラホマはテキサスの北隣なので、さらに西、そして南になる。

 うちにもあるアメリカの地図は訪問地を蛍光ペンでぬっているのだが、これから西にも色がつくんことになるんだなあ。



2004年12月02日(木) 箱詰め

 今日は夕方から行っておきたいところがあったので、3箱詰めて終了。とりあえず荷物詰めを始めた、というのがあって、気が軽くなった。予定としては2週間でほぼ詰め終わる、ということになっている。
 荷物詰めの他にもしないといけないことがあったので、また夜更かししてしまった。



2004年12月01日(水) 師走

 12月と言うと気分的に落ち着かない、というのがあるが、それ以上に落ち着かない私達。サンクスギビング直前にオクラホマに移るという方向になり、その準備を進めているところ。

 前回の引越しの荷作りでは、ネジャーティが「あれほど早くから始めるように」と言っていたのに、それがなかなか終わらなかった、ということがあったので、今回も二の舞を踏まないように、と釘を指されている。今日は荷物詰めができなかったので、ネジャーティにすごく非難されたが(本人は非難でなく懇願だと言っていたが)、明日から少しずつやろうっと。

 いろいろやることがあるなあと思うと、なかなか寝つけなかった。


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