オクラホマ・スティルウォーターから

2004年05月31日(月) 蛍飛ぶ

 買い物をした後、今日が最終日であるテイストオブシンシナティにもう一度出かけた。会場となっている近くでストリートパーキングができるところを見つけ、今日は祭日だからコインは入れなくていいんだろう、とメーターを見て確かめていると、通りかかったアメリカ人夫婦が、「今日は入れなくていいのよ〜」と声をかけてきた。

 このイベントで設置された簡易遊園地(?)のコーナーで、梨奈がダーツ投げの2回目を挑戦。おとといは2本のうち1本も当たらなかったが、今日は1本が当たり、投げて当たったことをジェスチャーを入れて何度も話すので、きっととってもうれしかったんだろうなあと思った。

 帰りにアパートの近くで蛍が飛んでいるのを見た。これから蛍の季節が始まるんだなあととても楽しみになった。一瞬、蛍が出てきてもセミに食べられないかと心配したが、セミは樹液などの液体しか取らないので、食べられることはないんだとホッとした。でもセミは食べられる立場で、鳥などの生き物の格好のえさとなっている。


<セミ観察日記>
 ネジャーティがセミの多さにびっくりしていたが、木の周りに群がっていて、木からちょっとだけ離れているアパートのドア周辺はかろうじて飛んでいない。なのでドアが開けられないという心配がなくて、ホッとしている。セミの発生以前は、セミが空を覆うのか、それとも窓やドアにびっしりついているのか、と思ったりしたが、むやみやたらに飛んでいるのではなく、木とその周辺に飛んでいる。裏庭も大木が離れているので、セミが飛んでくるということは限られているが、隣の隣のケイラのうちの裏庭にはすぐのところに木があり、そこはセミの抜け殻など見なかったはずなのに、大木から飛んできたセミがいっぱいいたので、ケイラのところはもしかしたら昼間は鳴き声がすごいのかもしれない。



2004年05月30日(日) 君の名は

 近所の人にもらったビデオでNHKの朝ドラだった「君の名は」をまだ見ていなかったので、寝る前から見始めたのだが、きりがなくて、すっかり夜更かしをしてしまった。
 いつのだったかなと思って調べてみたら1991〜1992年というので、この頃はまだ学生だった。下宿の部屋にはテレビがなかったし、ちょうど朝ご飯の時間だったというのが見ていなかった理由の一つだと思う。

 「君の名は」のオリジナルはもちろん知らないが、主人公の氏家真知子と後宮春樹がすれ違ってばかりいる、というのだけは聞いたことがあって、見ていてもじれったくなった。ビデオだから続きざまに見ればいいだけだが、そういえば見ていた当時、まだインターネットが使われていない時代であっても、ドラマの設定時代と比べると、情報通達とかいろんなことがもっと早くて、じれったくて見なかった、というのもあったような気がする。

 ところでNHKの朝ドラというと、大学時代の教授を思い出す。NHKで解説委員や特派員もして退職をした後、私がいた大学の学部で教鞭を取っていたのだが、ある日授業で朝ドラの話になった。東京放送局と大阪放送局が交互に製作している朝ドラは、大阪の方が製作するとどたばたしているドラマを作るので疲れるというようなことを言っていたのだが、私は逆に東京の方が作ると静かすぎてインパクトがないなあと思っていた。

 それは置いといて、ビデオを見て思ったのは、一つはこの男女があまりにも純粋で、その純粋さが二人に関わりのある周りの人たちの心まで変えていくことと、それが力になるのか、二人の取り巻く状況が怪しくなっても、周りの人が何かしら強い味方になっていることだった。

 もう一つは、真知子と春樹を演じた鈴木京香と倉田てつをが当時から様相があまり変わっていないように見えるからかもしれないが、20代だった彼らと、現在の同じ年齢の人たちと比べると、なぜとても違うように見えるのかというのが不思議に思えたということだった。

 全く同年齢ではないにしても(向こうの方がちょっと上かな)、それが同世代の等身大という目線で見ているからなのか、あるいはその当時の年齢にかえって見ているからなのか、その辺がわからないのだが、今の20代を見る時は、明らかに30代の目線から見ている。

 それで、話の内容を知らなかった私は、真知子が病気になって、春樹が特派員として派遣されていたヨーロッパから帰ってきて、真知子の意識が戻ったところまではわかったのだが、話がまだ「つづく」のところでビデオが終わってしまい、続きのビデオがないので、その先の話がどうなったかわからないというじれったさが残ってしまった。



2004年05月29日(土) テーストオブシンシナティ

 早いもので先週の運動会から1週間が経った。ゼッケンもはちまきも洗ってアイロンがけして今日持って行った。

 2回続けて梨奈がトイレに失敗したので、今日はクラスが始まる前に、教室のトイレに行った。後で思ったのは、もしかしたらそこのトイレで用を済ませたことがなかったから、怖く感じてたのかな、と思ったりした。クラスが終わって迎えに行った時はドキドキしたが、失敗していなかったようでよかった。

 梨奈が学校に行っている間はというと、バラを見にAult Parkへ行ってみたが、だいぶ終わっててちょっと残念だった。それでパネラに寄って家に帰ったが、ネジャーティはテレビの音を大にしてぐっすり寝てた。

 迎えに行く前に床屋でネジャーティが散髪してもらい、その足で梨奈を迎えに行った。この週末と月曜日にシンシナティのダウンタウンでテーストオブシンシナティ(Taste of Cincinnati)というイベントがあって、そこにちょっと寄ってみた(La Petiteの出店もありますよ〜)。

 1時間ちょっといて(途中でネジャーティがストリートパーキングのメーターにコインを入れに行ったら、1分しか残っていなかったらしい。危ない、危ない。)、子供のちょっとした乗り物や、ダーツを風船に投げたり(私はぬいぐるみをもらった)、無料のアイスクリームやアイスティーをもらったり、ちょっと楽しめた。帰りは梨奈がむずがっていて、車を走らせると寝てしまった。

 帰ってきたらセミがいつものように大合唱だったが、こんなに鳴いてるんだ、とネジャーティがびっくりしていた。そうです、外出もしたくないほど、ぶんぶん飛び回っています。

 最近、日が長くなって、午後の7時でもまだまだ明るくて、5時前かなあという感じ。



2004年05月28日(金) 研究室でお昼ごはん

 今日はネジャーティの研究室でみんなが何かを持ち寄ってお昼ご飯を食べる、というもので、来ていいよ、というので、ちらし寿司(混ぜるだけ)と、豆腐と水ようかんを持って行った。

 何を持っていくかについては、みんながホワイトボードに書き出していったのだが、ネジャーティが日本のもの、と書くと、トルコ料理は? と矢印して書いてあったので、トルコ料理も作れるようにならないとなあと思うのだった。作れたらいいなあと思うのは、イマム・バユルムというものだ。直訳すると「お坊さんの気絶」という意味らしいが、それぐらいおいしい、というもので、開いたナスにひき肉をのせたもの(?)だ。ニューハンプシャーにいた時に近所にいたフィリズが作ってくれておいしいなあと思ったので、あれはマスターしておきたい。

 それで、研究室は国際色豊かで、旧ソ連のラトビアやユーゴスラビア、アフリカのケニアやアジアの中国、日本、まぁ、トルコも、もちろんアメリカ人もいるのだが、それぞれのお国の料理が出た。教授に至っては、「シンシナティのグレーターズ(アイスクリーム屋)のクッキー」というのもあって、面白かった。

 私が用意した豆腐にはごまだれをかけて置いたのだが、ケニアの人が、豆腐を初めて食べたけどなかなかおいしい、と言ってくれた。この人もなんだと思ったのは、アフリカから来る人はケニアの人が多いのだが、豆腐を初めて食べた、と別のケニアの人にも言われた気がして、これはアジアの食べ物なんだなあというのを実感した。それをネジャーティに言うと、自分もアメリカに来て初めて食べた、と言うし、そういえば、他のトルコ人もそう言ってた記憶がある。

 豆自体は食べる国でも、加工品とまではおそらくいかなくて、この前もネジャーティが言っていたが、ようかんだったか、シンプルなものなのに、何でトルコにはなかったのかなあ(現在もだが)、と言うほど、日本も含めてアジアの近隣諸国は豆料理や加工品の種類がとても豊富だ。そんなに意識したことはなかったが、日本は大豆や小豆をよく食す国なんだなあと実感した。

 ところで、研究室にいるアメリカ人学生と話した時に、自分はドイツ系とスコットランド系で、ドイツからシンシナティに移民してきて自分が8代目だ、というのを聞いた。シンシナティとケンタッキーの間で引越しはあったらしいが、ここに長くいる家庭であるらしい。この辺は確かにドイツ系が多いが、8代目となると誰もドイツ語を話さなくて、自分自身は英語と、習ったスペイン語は知っているが、化学の分野だと、外国語としてドイツ語も勉強しないといけないので、勉強しているとか何とか言っていた。

 お昼を食べ終わって、気が付けば女性だけが部屋にいて、片付けをしていたのだが、「こういうのは女性の仕事なんだよね」とアメリカ人学生がこぼしていたのを聞いて、やっぱりアメリカでもそういう面があるのか、それとも、男子留学生も何人かいるので、自分の食事が終わったからさっさといったのか、疑問が残る。後でネジャーティにそれを言うと、だって忙しいんだもん、って、それは女子学生も一緒なのに、自分のことが終わったからって何も考えないでさっさと行ってしまうのは、無意識に誰かが(女性が)片付けてくれる、というのがあるからだろうなあと思った。



2004年05月27日(木) またまた学歴詐称疑惑

 また学歴詐称疑惑が持ち上がっているというニュースを読んだ。

 この前もあった疑惑はいつだったかなと過去の日記を引っ張り出して、おんなじことをかかないようにと思って確認したが、アメリカの大学(院も含めて)で気を付けないといけないことは、卒業式に出ても、卒業できたとは限らないことだ。後で単位が足りなかったという通知が来る場合もある、というのをアメリカ人の学生に聞いたことがあったので、気を付けないといけないなと思っていた。

 無事卒業できた場合は、卒業証書(あるいは修了証書)が送られてくるし、成績証明書にも、何単位取ったか、どの学位を取ったかというのが明記される。私も日記で偉そうなことを書いておきながら、もしかして自分も・・・なんていったら大変だと思ったが、ちゃんと修了証書はもらったし、後に取り寄せた成績証明書にもちゃんと明記してあったので大丈夫だが、実は間違いでした、な〜んていうのが今ごろになって来ても困るなあと思っている。

 それはともかく、面白いのは教授のオフィスに行くと、みんながみんなじゃないだろうが、額に入った卒業証書や修了証書を壁に飾っている。日本の大学での卒業証書は本のように閉じるものだが、ここのは一枚のもので、大学と提携している会社から、ちゃんと保存できる専用の額を買いませんか?というお知らせが来たりする。そこに証書を送るとちゃんと入れて送り返してくる。角帽につける紐(名前を知らないなんて・・・・)も入れられるようになっていたりする。

 話を戻して、卒業していたと思った、という今回の議員もとても怪しい。



2004年05月26日(水) トルコ沿岸で捕れる?

 ある日ネジャーティが、おすしで代表的な魚は何か、と聞くので、思わず「マグロ!」と言ってみた。マグロって英語でなんていうんだろう、と焦ってはいけない。マグロはツナ(トゥナが近い)だ。大学時代、今でも尊敬する英語のT先生の英語通訳法で、魚の名前や料理の方法などみっちりやったので、おすしのネタの魚は多分だいたい言えると思う。ちなみにおすしのネタでもお刺身でも、マグロの赤身はあまり好きではなく(トロとなれば別>この贅沢者・・・)、イクラもウニも苦手で、それ以外だったら大丈夫かな。

 それで、話を進めると、トルコの近海でマグロを捕って、日本に輸出しているらしい。トルコの近海と言うと穏やかな海のイメージがあって、そんなところにマグロはいるんかい、と思ったが、どうもいるらしい。いくつかマグロを捕る業者がいるらしいが、その一つの社長が在日トルコ大使館で大使をしていたか働いていた人らしい。それで日本に滞在中に、マグロがとても食されることに目をつけたらしく、その後マグロを捕る商売を始めたらしい。

 マグロを捕る量は国ごとで決まっているのかわからないが、トルコの領域で捕れる量が少なかった場合は、近隣諸国から買うこともあるらしい。そのぐらいマグロは日本で売れる、ということのようだ。

 確かに他の国では、ツナ缶があっても、サンドイッチやサラダに使われてもたかだか消費量は知れてるわけで、日本のおすしやお刺身として消費される量の方が圧倒的だろう。日本みたいにたくさん食べる国ってあるのかなあと考えたが思いつかなかった。
 



2004年05月25日(火) クーラー

☆車
 午前中に車のクーラーを直してもらいに近くの修理工のところへ車を持って行って、3時ぐらいに出来上がったようだ。ここのアパートに住んでいるというのを住所からおそらく知っているようで、電話をくれた時に、歩いてこなくても迎えに行くから、と直したてほやほやのうちの車で迎えに来てくれた。というわけで、車のクーラーがやっと直った。

☆アパート
 アパートのクーラーもきいてはいるものの、冷え方が前よりよくないので、ネジャーティに、何かの圧力を見てもらうようにオフィスに頼んでおいてね、と言われていたので、午前中に修理工に行った帰りにオフィスに寄って頼んでたら、すぐ来て外に置いてあるクーラーの機械の圧力を見てくれた。それで、噴出し口からも前よりひんやりした風が出てきたので、やはり圧力が少なかったらしい。でも今日はクーラーをつけるまでもなかったので、すぐに消した。

☆かばん
 修理工に行ったついでにモールに行って、半額になっていたかばんを買ってしまった。ネジャーティに見せたら、かばんいっぱいあるのに、とやはり言われてしまった。

<せみ日記>
 昨日もそうだったのかわからないが、午後はアパートの前の大きな木のところでも、せみが蜂のように飛び交っていた。午後はあまり外に出られないなあと思った。
 



2004年05月24日(月) たまねぎ、その後

 3月にたまねぎの芽が出たものを裏庭の鉢に植えていたら、この2ヶ月で伸びて、今では白い花がもうする咲く、といったところまでになっている。確かに初夏には白い花を咲かせる、とあったので、そのようになっている。




<セミ日記>
 裏庭の3本の大木でもセミの大合唱が行われている。ここではセミは飛び交っていないが、土曜日の朝、グレンデールという隣町の小さい公園のそばを走った時には蜂が飛び交うようにセミが飛んでいた。

 今日の夜はとても涼しく、窓を開けていると少し肌寒いぐらいなのだが、夜はセミが鳴かずとても静かだ。



2004年05月23日(日) デートンへ --バラがきれいでした

 今日はSちゃんとデートンを回る約束をしていた。Sちゃんは約1年間の高校留学を終えてもうすぐ日本に帰るので、その前に一度会うことになり、デートンの見所をほとんど回っていないようだったので、航空博物館以外を回ることにした。

 最初に回ったのはデートンのダウンタウンより少し北にあるWegerzyn Gardensというところで、入口の前の道路の両端が工事で交通止めになっていて、大回りをしてやっと公園にたどり着いた。
 ここの庭園には今の時期ちょうどバラがあって、去年ネジャーティとイスマイルと来た時にはカメラの調子が悪くて写真が撮れなかったので、写真を撮りたいと思っていた。今日は日曜日ということもあって、屋外で結婚式を挙げる準備をしている家族もいた。

 セミの心配をしていたが、セミの声が聞かれず、意外だった。それとも時間帯のせいか気温のせいかわからないが、今日はいつもよりは暑さがましだった。
 庭園の脇にはスワンプ(沼と言っても浅く、水も澄んでいる)もあるのだが、こういうところではセミは育たないんだろう、と、ちょっとホッとした。

 それからライト兄弟の自転車屋と家にいったが、家の方はデートンのダウンタウンより南にあり、この辺ではセミの殻がたくさん見られたし、さらに南の近郊の町にあるCox Arboretum Metroparkではセミの声もすごかった。でも木から木に飛び交っているわけではなく、ただ木の中で鳴いているだけなので、公園の中も歩けた。

 セミの大合唱は日本で聞かれるような夏の風物詩といった様相で、このうるささには慣れているが、それがあちこちで聞かれる、といった感じなので、セミの数は大変なものなんだろうというのがわかる。それと、セミの音が少し高め。

 写真はまた後日。



2004年05月22日(土) 運動会

 今週は天候がころころ変わって、運動会当日の天気も心配したが、今日は爽やかな晴れ空となった。

 前々から今日は運動会だから一緒に見に行こう、とネジャーティに言っていたし、ネジャーティも見に行こうという感じだったが、けさ、ネジャーティが「僕も今日行くことになっているの?」と聞くので、「行くの。」と念を押した。

 会場では早速ネジャーティが歩き回っていろいろ写真を撮っていたのだが、また一人で立っている私を見たお友達が口々に「今日はご主人は?」と心配してくださった。とてもありがたい。

 運動会の初めに行われたラジオ体操もネジャーティは最初真似ていたが、そのうちまた写真を撮りに行ってしまった(ちなみに撮った写真100枚)。ビーチチェアにかさをつけ、前の日から凍らしていたペットボトルの水で涼めたのでよかったが、それでも歩き回っているネジャーティは首の後ろが後で真っ赤になっていた。


木にはセミ、遠くで運動会


ダンス。梨奈はキツネのお面。周りにはカメラを持つ保護者が。


クラスの解散の時もらったお菓子。こんなにたくさんでびっくり。


家に帰ってきてぐっすり



 ネジャーティも私も昼寝を少しした後、ネジャーティも結局学校には行かずに家でくつろぐ。なんだかとてもくつろいだ、楽しい一日だった。
 



2004年05月20日(木) 香りの元は?

 今日からシンシナティのセミの様子も別に書いてみます。

 ネジャーティの研究室にいるラトビア人学生の彼女がシンシナティにある企業に就職することになったらしい。その企業というのはもともとスイスで創立された会社で、フレーバーを作るところだそうだが、それでわかったのが、私が高速のI-75を走っていると、ジンの工場からいい香りがすると思っていたのが、実際は、その近くにあるこのフレーバーの会社がその香りの元だったらしい。私はてっきりジンの工場からだと思っていた・・・・。


<セミ日記>
 昨日ネジャーティの研究室に行った時に、セミの抜け殻が木の幹にくっついていて、もうこの辺では出てるんだなあと思ったら、今日アパートの近くの木の幹や枝にも抜け殻がついていた。アパートの敷地を出て道路を隔てたところを歩いていたら、風が吹いて、頭に早速セミが飛んでこられてびっくりした。う〜ん、外は歩きたくない・・・・。



2004年05月19日(水) お勧めトルコ料理執筆中

 日本にいる友人から、トルコ料理のレストランに行くので、お勧めを教えてほしい、というメールをもらった。

 この前行ったニューポートのトルコ料理のレストランで、テイクアウト用のメニューをもらっていたので、ネジャーティに教えてもらったトルコ語での料理名も入れて、いろいろ書いていたが、一つだけそう言えばトルコ語で知らない料理名があって、それをネジャーティに聞いていた。

 その料理というのは、この前辛晩のHaruさんとご一緒した時に注文したナス料理だった。ナスを開いたところにひき肉やトマト、ピーマンをのせてオーブンで焼いたものだったのだが、トルコ語では「イマムバユルドゥ」というもので、本当の意味は、「お坊さんの気絶」というものらしい。

 しかし、この前ネジャーティは、ナスの詰め物を「イマムバユルドゥ」と言っていた。これは輪切りのナスの中がくり抜いてあって、その中にごはんとかが詰められているものだった。

 それで、ネジャーティに確認したら、これってどう違うんだろう? というので、「詰め物の方はナスの中身がくり抜いてあって、もう一つはナスを切って開いてその上にのせてるもの、ほら、フィリズが作ってくれたことがあるもの」といったら、「あ、それじゃぁ、そっちがイマムバユルドゥだ」ということで、この前の間違いを発見。くり抜いて詰めてあるのは、ナスのドルマ(詰め物)でいいらしい。私も詰め物の総称がドルマだ、ということをすっかり忘れていた。

 トルコ人やのに、何で知らへんの? と聞くと、料理のことはあまり知らないから・・・・って、そんなことでいいんでしょうか?

 というわけで、変わった(?)メニューも含めてお勧め料理を執筆中。近日中にHPに掲載予定。



2004年05月18日(火) セミを発見

 ネジャーティをバス停まで送って行った後、帰ってきたら何とアパートの壁にセミを発見。まだ小さかったが、茶色で羽もしっかりついてた(←セミは羽があるにきまってるやんと突っ込まれる)。でもお昼頃にはいなかった。どこかへ飛んで行ったか、誰かの餌食になったかは謎だ。

 ところで昨日もネジャーティが鳥のたまごをアパートの近くで見つけたが、日曜日にサディラのアパートの前を横切っていたら、一瞬何かが動いているのが目に入り、あっとよけて、今まで見たことがないものを見たような気がして、「何今の?」と思って戻ってみた。鳥の赤ちゃんだった。去年2階の窓から生まれたての雛を見たことがあったが、小指ほどの大きさで、雛に孵る前に何かの拍子にたまごが割れて、赤ちゃんだけ落ちてしまったのかな、と話していた。あまりにも小さすぎて、私たちには何もできずに、木の下の葉っぱの陰にそっと置いた。



2004年05月17日(月) 痛みが戻る前に・・・

 お昼過ぎに歯科に2時に行って、歯科を出たのが4時。その間、梨奈は待合室でおもちゃで遊んだり、ビデオをかけてもらったりして、おとなしく過ごしていたらしい。

 その後、左部分の麻酔が取れていなかったが、用事は済みそうだったので、銀行に行ったり、小腹が空いたのでパネラに行ったり、モールに行ったり、ジャングルジムズで買い物したりして家に帰った。

 モールでは、最近「かばんがほしい病」がまた出てきて、春先にベルナにあげたオレンジ系のかばんを見たり(春にはいい色だが、初夏にはちょっとまぶしすぎるかも)、最近はまた柄物がはやっているんだなあ(昔の流行がまた戻っていたり)と思ったり、それで、店員がかばんの整理をしていて、来週はメモリアルデーの週末だからセールの準備だ、と思い、29日の朝にはモールに行かないとと思うのだった。

 ジャングルジムズは行くたびに何かが増えているが、駐車場に入ってくる時も、ちょっとしたものができてたり(写真を撮ろうとしてカメラをまた忘れた)、スターバックスがオープンしていたりしていた。ジャングルジムズの店内からはカウンター越しにコーヒーを買うことになっていて、スターバックスのお店の入り口はジャングルジムズのお店の外にある。

 帰ってきてから眠たさと同時に麻酔が切れて痛みが戻ってきたが、何かこの痛みが私を駆り立てるように、Yukonのポテトでサラダを作ったり、やまいものスライスを出して見たり、いつもより一品か二品ぐらい品数が多くて、ネジャーティが喜んで食べていて、私も食べ始めたら痛みもだいぶマシになっていた。でも口があまり開かないんだな、これが。注射の跡の痛みも2〜3日は続くだろうなあ。



2004年05月16日(日) 洋食器

 今週末にここからかなり近いところに、日本のメーカーの洋食器のセールがあって、昨日ネジャーティと一緒に行ってきた。

 とても破格なお値段の洋食器セットやばらでも買えるのがいいのもあって、コーヒーカップとソーサー、フルーツ皿だけ買ってもいいなあと思ったが、そうするとネジャーティに、うちにあるのは食器がばらばらだし、コーヒーカップもすでにあるでしょ、と言われ、保留。

 (→コーヒーカップがうちにあるのを知っていたら、去年トルコの人がうちに遊びに来た時に、コーヒーをマグカップに入れて、小さいお皿に載せて出すのはやめてほしい・・・・。)

 そして今日、お昼ご飯を食べている時に、買ってもあげられる人がいるかもしれないので、いいなあと思ったデザインの食器のセットを買おうと思って行ったが、セットはともかく、ばらのものもそのデザインは品切れだった。

 というわけで、ばらでも買おう、ということもできなかった。

 ネジャーティに、またセールがあるよ、と言われたか、今度のセールにはいないかもね、と話した。

 (夏ごろまたセールがあるでしょうか? →誰に聞いてるねん・・・)

 
 夕方、本屋に行ってきて、ネジャーティは学校へ。
 
 今日はサディラのお母さんの誕生日で、裏庭でサディラと友達、梨奈が遊ぶ。



2004年05月15日(土) 大根続き/花びら

☆大根
 大根を「する」か「おろす」か、について書いた日の日記を読んでくださった方から、「すりおろす」という貴重なご意見をもらいました。う〜ん、すりおろす、という言葉もあったのね。

☆花びら
 チューリップの季節もとうとう終わってしまった。去年植えたものが咲きそうだったので、咲いたら見に来てくださいね、とお声をかけていたが、結局咲かずに終わってしまった。どうも鳥やりすに新芽を食べられてしまったのだろう。裏庭にはりすは来ないし、鳥の巣もないということもあって、去年無事に咲いたのかもしれない。

 それで何もないのも寂しいからと思ってパンジーを植えたのだが、これもまた花の茎ごともぎ取られたことがあった。
 ピンクのパンジーもきれいに咲いていたのだが、先日2階の窓からふと下に目をやると、窓の前の木の葉っぱの上にピンクのパンジーの花びらが1枚載っていた。1階の窓からは見えない位置なので、2メートルぐらいの高さと思うのだが、風で吹き上げられたとは思えず、鳥がやはり持って飛んだのだろう。

 でも、今は雛が育っている時期でもあるし、求婚するにはちょっと季節が遅かったかも、とネジャーティと笑っていた。



2004年05月14日(金) 懐かしいCM

 近所に長年(私が生まれる前年から)住んでいる日本人の方から、ビデオは要らないか、と以前から何回か聞かれていた。だいぶ古いだろうなあと思っていた、というのは、一度何かを届けるか何かでそのお宅に立ち寄った時に、紅白のビデオが流れていて、紅組の司会が、その年の朝のドラマ「はね駒」に出ていた斉藤由貴だった。初出場には少年隊と荻野目洋子がいてびっくりしたのだった。

 それで、あんまり昔過ぎるのはいいです、と断っていたのだが、またビデオの話になり、結局気に入ったものがあったら、ということになり、時代劇を2つ、「君の名は」のタイトルがついたビデオを2つもらってきた。

 時代劇の1つは年末大型時代劇で、三文字のタイトルの時代劇が何年か続いていたもので、見ていたら、出ている人が若かったり(といっても若〜いと思うよりは、その方がとても馴染みのあったりする)、もちろん何人かは亡くなっていたり(萬屋錦之介が出ていた)、間に入っているCMが懐かしかったり、それで、後で調べてみたら、1987年のものだった(17年前・・・・)。

 もう一つの方のCMも懐かしく、安達祐実がまだ小学生だったり(フルーツ・イン・○○ー)、亡くなった逸見さんが出ていたり、こんなCMもあったなあと思いつつ、女性の眉毛の書き方が違う、とか思ったり、安達祐実の年齢からすると、多分10年ちょっと前かなと思っている。

 私も日本の時間が95年で止まっていて、ドラマはニューハンプシャーでインターナショナルチャンネルでかろうじて見ていたが、過去5年〜10年ならまだOKだ。でも、やっぱり大学に入る前後ぐらいは、もうだいぶ前になっている。

 まぁ、その近所の人の時間の感覚が私にとっては面白かった。



2004年05月13日(木) 大根おろし

 ある掲示板で、大根おろしの話題が広がっていた。というのも、大根をする、という意味がわからない、という人がいて、もしかしたら、方言ではないか、という意見になっていて、私もそうなのかと驚いた。

 確かにうちでは、大根「おろし」とはいうものの、大根を「おろす」とは言わず、大根を「する」といっている。

 大根だけでなく、山芋も「する」というのだが、それが果たしてうちの母の方(山口)で言うからそうなのか、関西全体でも使われるのか、というのは微妙なところだが、関西弁で、大根をすってもらう時にどうやって頼むかなあと考えると、

 「だいこんすってぇ」
 (¯―____−¯)←イントネーション

 となるので、やっぱり関西でも言うんやろう。



2004年05月12日(水) 天国と地獄

 来週の土曜日は補習校で運動会がある。運動会で流れる曲に、確か「天国と地獄」(序曲)があったような気がするが、それを聞くと、何だか運動会の気分になる、というのは何とかの犬の原理みたいで、ある胃腸薬のCMに長年そして必ずかかっているクラシックの曲も、その曲を別の場所で聞いて、「あっ、○○胃酸」と思って笑ってしまうのは不思議だ。

 ところで、トルコと日本には共通の文化や考え方があっても、違うところがあるのは当たり前で、一番大きく感じる違いは、宗教的なものだと思う。ネジャーティはトルコなので、イスラムの影響が大きいのだが、この前読んだ「ものがたり風土記」にも書かれていた肉食に対する考えの違い、を改めて実感した。

 前も確かネジャーティとそんな話題になったのだが、イスラム教もキリスト教も同じ神で、神が人間を作って、それ以外は人間のためにあるものだから、人間と動物の命には違いがある(もちろん人間の方が上)というもの。それで、人間は死んだ後に天国か地獄のどちらかに行くことになっていて、生まれ変わるというのはない。
 
 でも、仏教が広く伝わった国では、何回も生まれ変わるものとなっていて、もしかしたら前世は犬だったかもしれないし、今は人間でももしかしたら今度は牛になってるかもしれないし(ぐうたらだったら?>牛に失礼か・・・)、それプラス日本では菅原道真みたいに神に祀られることもあったりするが(祀られた本人が神になったかどうかは知る由もないが)、どんな命でも同じようにに考える、というのが普通かな(でも昆虫はどうかな?)。

 それで、動物に対する考え方が違う、というのはそれでいいや、と思ったのだが、どうも、死んだ後に天国か地獄に行く、という二者択一の選択(選ばれる側として)はあまりにも極端すぎるし、その後ずっとこれから何十年、何百年といて、飽きないかなと思ってしまったのだった。

 もしそうでなくて、何回も生まれ変わるとすると、死んでからいちいち天国と地獄に行かなくてもいいのではないか、と思ったのだった。第一、慌しい(多分)。それに、天国を見る、とか、地獄を見る、とかいう表現があるぐらいで、生きていく方がよっぽど大変なのに、その後にどちらに行くか選択される、って余計なお世話だ。

 そう、あの「天国と地獄」序曲のようにめまぐるしく自分の中に天国や地獄を見る、というのが近いと思う。



2004年05月11日(火) 大の男が・・・・。

 先月の話。秘書デーがあった週の金曜日のこと、ネジャーティの研究室の人たちが、秘書デー (Administrative Assistant’s Day)を祝って、研究室の秘書の人を連れてクリフトンにあるレストランに行ったらしい。

 そこでそれぞれが注文したのだが、ネジャーティの前にはセルビア人の男子学生が座っていた。注文したものが来ると、お皿は大きいくせに、料理はちょこんと小さいものだったらしい。セルビア人の学生は体がごっついのだが、その料理と学生とを見比べて、みんなが笑い出した。

 次にネジャーティの注文したものがきたが、それもやはり同じように大きいお皿に、すぐに平らげられるような料理がちょこんと載っているだけで、それを見て周りは大爆笑。料理を持ってきた人もおかしくて笑い出したらしい。

 後で気が付いたのは、その料理がAtkinsと書かれていたこと。Atkinsと書いてあるとダイエット料理のことだったようで(これはハイドパークのショッピングセンター近くにもAtkinsの食品を扱うお店があるのを見かけた)、大の男が二人して、知らずにダイエット料理を頼んでいたらしい。

 料理を終えた後、ウエイターがきて、二人にも「デザートはいかがですか」と勧める姿も滑稽。

 ネジャーティは「今日お昼ご飯を持っていってよかった」と空になったお弁当箱を台所に持ってきた。



2004年05月10日(月) 白い石と黒い石

 今日は一日中眠たかった。午後も何となく眠たくて、夕方やっと起きた。このところのどがずっとおかしくて、今日は何となく熱っぽい時もあった(でもジャングルジムズに行く)。


 ところでこの前ネジャーティに、「女か虎」の話をしていたら、次の日に、トルコの記事で見つけたものを話してくれた。それも、ちょっとクイズのようなものになっていて、答えは次の日に載っていたらしい。

 問いというのは、ある男が、ブローカーからお金を借りて投資をしたが、失敗し、ブローカーから取り立てられた。このブローカーはよくない人物として知られていた。

 ブローカーが取り立てにその男の家に行ってみると、男には美しい娘がいた。ブローカーは、「その娘と結婚させてくれたら、借金はちゃらにする」といったが、男は断った。次にブローカーは、「それでは、箱に白い石と黒い石を一つずつ入れ、見えないようにして、娘に一つ石を取ってもらう。もし白い方を取れば、娘も結婚せずに、借金もチャラにする。もし黒い方を取れば、借金はチャラにするが、娘と結婚する」と言った。

 ブローカーは石を取りに外に出たが、娘はふと、「ブローカーは腹黒い男だから、おそらく黒い石を二つ入れるだろう」と考えた。

 結論としては、借金もチャラになり、ブローカーと結婚せずに済んだのだが、さて娘はどのようにして解決したか・・・・・。

 ちなみに、箱の中には黒い石が二つある、という前提で考えることになっている。


 まず、私たちの考えと、それから答え(下)。








☆ネジャーティと私の考え
 白い石をあらかじめ手に持って、さもそれをひいたようにする、というのが一つ。あるいは、手のひらになんか白いものを塗っておく。ブローカーはそんなはずはない、石は二つとも黒かった、などとは言えない。

 でも問題点があり、それらをすぐに用意できるか、ということだった。

 

☆答え
 娘は石を一つ握って投げてしまい、箱の中に残った石を見せて、「ほら、ここに黒い石があるから、私が持っていたのは白い石だ」という。


 ネジャーティも私も、白い石を見せないといけない、ということばかりを考えていたが、箱に残っているのが黒い石だというのがわかればいいわけだから、白い石を見せる必要はない、ということ。



2004年05月09日(日) 母の日

 昨日補習校で、母の日に贈るお母さんの似顔絵を書いて、それをもらったが、自分が実際に母親である、という実感と、自分が思っていたお母さん像というのはとてもかけ離れている。こんな母親というのもあっていいんかな、と思ったりするが、自分が似顔絵とかもらうのはちょっとくすぐったい気がしてしまう。



ハートがむらさき、というのが気になるが・・・。


 ネジャーティもそうだが、自分たちが親となったのも、梨奈がいたからで、梨奈がまだ生まれていなかった時のネジャーティと、今のネジャーティとでは違いを感じる。

 さて、今日は私のリクエストで、ハイドパークのショッピングセンターにあるパネラに行って、ブランチとなり、そのあと、Ault Parkのプレイグランドに行って、少し遊んだ。

 



2004年05月08日(土) 午前中に公園へ

 補習校に梨奈を送って行った後、Ault Parkによってみた。以前行った時に見なかったプレイグランドを見つけたのと、庭園みたいなのもちょこっと歩いてきた。パーゴラにバラのつるが巻き付いていて、いっぱいつぼみをつけていた。少し咲いているのもあったが、中旬か下旬には咲くのかなと楽しみになってきた。午前中は人も少なく、まだ涼しく、小鳥のさえずりの中を歩くのも、とてもいい気持ちだなあと思って、いったん家に帰ったら、バスに乗って研究室に行くと言っていたネジャーティがコーヒーを飲んでいた。

 お昼からはとても暑くなったので帰宅。梨奈は車の中ですでに寝てしまった。

 PS 補習校でどうやらおもらしをしてしまったらしい(先生に確認済み)。着替えを持っていてよかった・・・。



2004年05月07日(金) いい季節

 今日知ったこと。ハリウッドとオーランドのユニバーサルに行った私は、大阪も行けば全部制覇だと思っていたら、スペインにもあることを知って、全部制覇するのは難しいと悟る。
 そして、オーランドの方は手を広げているのは知っていたが、シティーウォークというのができて、ダウンタウンにあるチャーチストリートステーションが廃れてしまった、というのもあるサイトで知るのだった。
  
 さて、今日は約半年ぶりに知人と再開を果たしたりして、交流を深めた。お昼頃から雲行きが怪しいけど大丈夫かなと心配したが、だいたいが晴れ女の私、そのうち天気も回復してよかった。

 いまぐらいは新緑もきれいだし、庭で遊ぶにもいい季節・・・・おそらくセミが出てくるまでは・・・・。裏庭には木が3本だけなので、裏庭だったら何とかなるかなあと思いつつ、玄関先には緑がちょうど生い茂っていて、玄関から外に出られるかなあととても不安なのだった。ここで書いたか、誰かに漏らしたかわからないが、ここアパートのドアには外に網戸にも変えられるストームドア(こういうもの)がついていないので、網戸を開けてからドアを開けるというのではなく、直接ドアを開けないといけない。そうすると、家の中に入らないか、という心配がある。

 さて、隣のサディラのお母さんと出くわして、女友達の結婚式が明日あるらしいが、どうも結婚する気あるのか、というぐらい用意ができていないらしい。その友達は電話線は切られてるらしいし、と文句は続き、ビールでも飲まないとやってられないわ〜、みたいなことを言い残し、車に乗ってどこかへ行ってしまった。



2004年05月06日(木) 女か虎か

 確か去年の秋いかさんが持ってきた本だと思うが、阿刀田高の「ものがたり風土記」を読んでいた。ガイドブックにも書かれていないような、その地その地で見つけたものを書いていて、学校で習う日本史とは少し違った話が載ってて、なかなか面白かったが、これは何回か読まないと難しい。

 ところで、この中でF・R・ストックトンの「女か虎か」という小説が紹介されていた。その紹介をかいつまむと・・・・

 ある未開の国で罪を犯したものは闘技場に連れ出され、観衆の中で裁判が行われる。その裁判と言うのは、二つの扉のうちどちらかを選ばなければならない、というものだ。一つの扉には女が隠され、その扉を開けた場合は、王の媒酌のもと、その女と結婚する、というもの。もう一つの扉には虎が隠されていて、開けてしまえば虎の餌食となり死を意味する、というものだ。

 ある身分の低い若者が王女を恋し、王女も若者を恋したのだが、それが発覚。身分を越えた恋愛は重罪で、若者は闘技場に連れ出された。王女は観衆の一人だ。若者は王女の顔を見て、どちらの扉がどちらか、というのを知っている、と確信した。そして、目で尋ねたところ、王女は右の扉を合図した。そして若者はその扉を開けた・・・・。

 というところで小説が終わり、果たしてどちらの扉を開けさせたか、というのを読者に問うているそうだ。

 王女はどちらを選んだか。王女が、その若者が他の女性と結婚するぐらいなら死んでしまえと思ったか、虎に食われるのはしのびない、それだったら他の女性と結婚しても生きてほしい、と思ったか。

 う〜ん、女性の立場としてはどっちを選ぶかなあ(後者かな)。



2004年05月05日(水) 藤の花

 藤の花を庭に咲かせているおうちがちょっと行ったところにあるのだが、どこかを通りかかった時に、おそらく野生の藤のつるが他の木にからまり、花を咲かせていて、風流のなさを感じたが、以前ボストンの隣町のケンブリッジで、藤をきれいに建物の壁につたわせて花を咲かせていて、アメリカでもこういうところもあるんだと思ったことがあった。

 もし家を持った時に夢があって、庭に藤棚を作りたいというのが一つ。英語では藤やバラなどの棚をパーゴラ(pergola)というそうな。藤棚以外では、桜とつつじ、あじさい、笹竹、と、何だか庭園のようになってしまうが、ししおどしか何かもつけて(ジャングルジムズで売ってたししおどしは音が「ゴン」といって、こけそうになった)、ちょっと日本ぽく。

 笹竹をどこで手に入れるかだが、竹類の繁殖力がすごいなあと思うのは、シンシナティにある動物園&植物園(?)には竹林があるのだが、動物園の入り口がある通りに、動物園の柵沿いに、小さい笹が何本も生えている。歩いてもちょっとある距離だし、こんなところに誰も植えないところなので、おそらく地下で根っこがつながっているんだと思うと、笹の繁殖力は侮れない。そこから一本頂戴しても怒られないと思うが、たとえばここのアパートの裏庭に植えたら、広がりそうでそれこそ怒られそうだし、家の庭に植えたら最後、隣の家まで広がりそうだ。



2004年05月04日(火) 梨奈の日本語

 梨奈が日本語に接する時間は以前より増えたものの、間違うことがあって、もし日本に住んでいたら間違えないものなのか、それとも日本に住んでても間違うものなのかわからないが、梨奈は特に活用を間違えたり、使い方自体間違ったりする。

 「来る」というのがおそらく一番難しいらしい。「きた」というのは言えるのだが、「こない」が「きない」になったりする。他には「すきだなあ」というのが「すきなあ」と行ってみたり。「新しい本」を「新しいの本」と、「の」が入ったり。

 心配もしてみたものだが、この前お会いした中国人の方は日本に3年間住んでいて、その娘さんは小学校の時にその3年間を過ごしたのだが、日本の子供が普通に話す自然な日本語だったので感心した。母国語が中国語でもきれいに話すんだなあと思った。そう考えると、梨奈の日本語もそんなに心配しなくていいのかなと思ったりする。



2004年05月03日(月) 質問魔の梨奈

 ネジャーティに言われて、そうかもしれない、と思ったことがあった。それは梨奈が何でも聞いてくること。

 2階に上がろうとすると、「どこ行くの?」。2階と言うと、一緒に行く、と梨奈。電話でも「誰と話してるの?」。細かい内容は忘れたが、もしかしたら大人でも梨奈の質問の一部はしているかもしれないが、それにしても何でも聞いてくるのは正直ゲンナリ。

 何でも聞いてくるので最初は面倒くさく思っていたが、ネジャーティに言われて気が付いたが、梨奈がどうも何でも聞いてくる時期に入っているらしい。面倒くさがると、おそらく自分は相手にされない、自分は気にかけてくれないと思ってしまい、最後には何も聞いてこなくなるだろう、それはよくない、という2人の結論が出て、今日は面倒くさがらずに頑張って答えていた。

 でもこういう時期っていつまで続くのやら・・・・。

 



2004年05月02日(日) 鳥の巣&金曜日その後

 今日も朝から雨。この2週間ぐらいで木も緑に覆われたが、ネジャーティが窓のすぐ外にある木に鳥の巣を発見。鳥が、壊れた去年の巣を修復したらしい。去年より巣が大きくなっていたが、中が見えなくて中の様子がわからない。

 ところでこの前の金曜日、プレイグループから帰ってきてから続きがあって、帰ってきて一休みして晩ご飯を作ろうかなという時間に、近所のおじいさんのところに孫たちが裏庭の芝生で追いかけっこしていた。孫の一人が誕生日でそのパーティーをするというのがわかったのは、昨日だったがおばあさんが誕生日の風船をたくさん買っていたのと、晩ご飯の支度前にごみを出しに行ってたら、おばあさんが今日はバースデーパーティーをするの、というので、どなたの誕生日ですか、と聞くと、4歳になった孫のパーティー、というので、おばあさんが孫のために開いたらしい。

 それで、梨奈も外に出たので写真を撮っていたら、それを見つけた2人の女の子が来てポーズを決めて、それを見た他の子も順々に来て、同じく裏庭にいたけど、様子をうかがって隠れていたケイラやジャキアに気がつき、おいで、と声をかけたので、写真を撮ったらこんな感じになった。↓






2004年05月01日(土) 授業参観&ネジャーティの誕生日

 補習校の授業参観と懇談会があるということで、授業参観には行くと言っていたネジャーティだったが、結局行くのをやめたので、私だけが行くことになった。

 授業では最初に5月のカレンダーに貼るてんとうむしをおりがみで作った。大人でもこうやって折るのかと思ったぐらいだったが、子供たちも頑張って折っていた。各子供のお道具箱もちゃんとあって、貼ってあるシールに書かれた名前で子供たちがちゃんと自分のものを取っていて、とても感心だった。

 子供たちの性格は、先生によく話し掛ける子、さみしくて泣いている子、とさまざまだが、とてもほほえましい風景だった。




 授業の後、親たちは懇談会に移り、一通り自己紹介や連絡事項などを話して無事終わり、私はネジャーティの研究室に向かい、ニューポートにもあるピザやさんでピザを食べた。

 ハイドパークのケーキ屋でケーキを買おうと思ったが、丸いケーキはほぼ売り切れだった。梨奈を迎えに行った後、ニューポートのトルコ料理屋によってテイクアウトをした後、同じケーキ屋でうちのわりと近くにあるところにも行ったが、結局丸いケーキは売り切れで、3種類のケーキを買った。

 ところで、ネジャーティがバスの中から黒い大きな煙を見た、と言っていて、I-75を走っている時に、Exit12近くは一車線しか開いていないとあったが、Exit10ですでに混んでいて、そこから一般道を走った。あとでニュースを見ると、マットレス製造の工場が火事になったらしいが、消防の放水の出が悪くなって、消火に時間がかかったらしい。

 7時半ごろにネジャーティがバスで帰ってきて、学校から帰って寝ていた梨奈も起きだして、ささやかなバースデイディナーを開いた。トルコ料理の品が出てきて、「自分で作ったの?」というので、種を明かしたが、それとちらしずしだけでおなか一杯になった。




 ちなみに、今回トルコ料理屋でテイクアウトしたのは前菜で、スィガラ・ボレイ(Sigara Böreği)という、小麦粉を薄く延ばしたものに白チーズをまいて揚げたもの(お店では英語名でFilo Pies)と、ヤプマク・サルマ(yapmak sarma)というぶどうの葉でつつんだもの(Stuffed grape leaves)、イマム・バユルドゥ(imam bayıldı)というなすのつめもの(Stuffed eggplant)の3品。スィガラ・ボレイは時間が経っているのでしんなりしているが、揚げたてはサクサクしているらしい。
 食後にケーキとトルコチャイでしめる(あとでカフェインなしのコーヒーも作ったか・・・)。

 今年年男のネジャーティ、ご満悦。めでたし、めでたし。
 


 < 過去  INDEX  未来 >


オハイオ住人 [HOMEPAGE]

My追加