オクラホマ・スティルウォーターから

2003年07月28日(月) 3つの州の確執

 3つの州とはどこかというと、オハイオ、ミシガン、ノースカロライナだ。そして、この3州が関わっているもの、といって、ここでわかったらすばらしい。

 3州に関わっているもの、それはライト兄弟だ。オハイオのデートンにはライト兄弟の弟の方と妹が住んでいた家もあるし、自転車屋も残っている。ライト兄弟に関してはオハイオは本家と思っている。

 ところがミシガンはそうは思っていない。実はライト兄弟の家族はもともとミシガンに住んでいてオハイオに移ったのだ。ライト兄弟の兄はミシガンで生まれているので、ライト兄弟の故郷はミシガンと思っている。しかし、弟はオハイオで生まれているので、オハイオも弟にとっては故郷だ。

 ノースカロライナはどのように関わっているかというと、ライト兄弟が初めて飛行を成功させたところだ。ライト兄弟がノースカロライナを選んだ理由は気象条件と、他人にあまり知られないように、ということだったらしい。もちろんデートンにも試験飛行をした場所が残っている。しかし、「初めて」というのがノースカロライナであり、車のナンバープレートにもそのように載っている。そして、オハイオでノースカロライナのナンバープレートを見ると、オハイオの人間は「たまたまノースカロライナをその地に選んだだけで、もともとはオハイオなんだ」と心の中で思っていることだろう。自転車屋のガイドの人もそのようなニュアンスで言っていた。

 飛行機の開発に打ち込み、一生独身で通した、この兄弟。結婚すると時間がなくなるというのが理由らしい。そんな兄弟が過ごしたオハイオにやはり軍配が上がるだろう。

 



2003年07月27日(日) 州立公園の湖へ

 今日はイスマイル、ベルナ、ネジャーティ、梨奈と一緒に、州立公園のシーザークリーク湖(Caesar Creek Lake)に出かけた。湖はシンシナティー近郊のレバノン(Lebanon)の北のWaynesvilleの町にあって、アパートから北東に30マイルの距離にある。この湖は3月に遊びにきてくれた亜里沙さんと近くまで来た時に、たまたま見つけたところだった。

 その前に、近くのウエストチェスターという町にある「Voice of America」の旧放送局を通りかかることにした。Voice of Americaは1944年に初めて約50言語の国に放送を流し、ヒトラーがこの放送を「シンシナティーライヤー(Cincinnati Liar)」と呼んでいたようだ。その後、衛星放送の発達によって、1985年に放送局としての役割を終え、タワーも撤去され、現在はその建物だけ残っている。今はワシントンDCに局があり、現在でもさまざまな地域に放送を流している。ネジャーティはトルコでこのラジオを聞いたことがあるようだ。ちなみにアジアでは近隣諸国には流れてるようだが、日本には流れていないようだ。

 湖に着いて、案内所に立ち寄り、スポットを教えてもらった。最初にピクニックエリアに寄って、湖が見える散歩道を歩いた後、手持ちのサンドイッチを食べて、車でスポットを回っていった。ネジャーティやイスマイルが喜んだのは化石拾い。本当は案内所で無料の許可証をもらわないといけなかったのだが、化石拾いの場所ではそれをチェックするところもなく、誰でも入れるようになっていた。

 この場所は岩の壁と平地が続いている。化石を拾う際に、岩の壁は登らないようにサインが出ている。また、化石は手のひらサイズに収まるものは持ち帰っていいことになっているが、ネジャーティ、両方の手のひらに収まらないものを持って帰ってしまった。

 湖を回るようにして車を走らせ、次に訪れたのはパイオニア村(Pioneer Village)で、1800年前後に建てられた建物を集めてできた集落で、真ん中にはやぎが放し飼いされている。ハーブを育てている家、干し草を積み重ねたところなど、ネジャーティもご機嫌だ。そこで成っている木の果物を取って、「これはArmut(梨)だ」と食べている。お〜い、食べるな〜!

 次は湖にビーチがあるようで(ビーチというとどうしても海だけを想像するが)、行ってみたら、休みの日とあってか、結構な人でにぎわっていた。湖だからもう少し静かなものを想像していたのだが、大人も子供も水の中に入って楽しんでいた。水はきれいなのだろうが、完全な砂浜ではなく土も混じっているので、土色になっていた。

 水着を用意したのは梨奈だけで、イスマイルもベルナも、こんなところだったら持って来たらよかったと言っていた。ネジャーティもショートパンツのすそをまくり上げて、梨奈を水に入れていた。

 ビーチで一休みして、帰路へ。本当はシーザークリークの峡谷があるので行ってみたかったが、見つからなかったので、これは次回のお楽しみ。

 思った以上にいいところだったので、みんな喜んでいた。よかった、よかった。



2003年07月25日(金) ジャングルジムズで

 昨日、今日とジャングルジムズでアイスクリームを主とした試食があって、昨日は何となく体がだるかったので、今日行こうかなと思っていた。そして一緒に回りませんかというお誘いが昨日あって行ってきた。ウィントンウッズでお会いした方や今日初めてお会いした方もいらっしゃった。

 ワインコーナーではお酒類が苦手な私がほとんど唯一(というか種類を知らないだけという噂も)といっていいほど自発的に飲んでみたいと思えるカルアミルクの試飲があったが、抜歯してからまだ日が経っていないので、あきらめることに。あまりよく見なかったが、何かのフレーバーがついたものか、特別なものなのか、大きなビンで9ドル99セントで売っていた。とてもお得とは思いながら、飲みきれないほどの大きなビンなので(私とネジャーティのペースで行くと、1年以上は持ちそうな量)、あきらめた。

 それから、すしコーナー。必ずおすし(カリフォルニア巻き)が出ているが、着物をまとったインド系の人が「わさびじょうゆをつけますか?」とつけてくれた。すみません、試食ではなく、明らかにおすし目当てで食べてる日本人の私です。

 アイスクリームはいたるところに試食コーナーがあって、最初に食べたアーミッシュスタイルのラズベリーチーズケーキのアイスクリームが食べた中ではおいしかった。試食といってもちまちました量ではなく、コーンに1スクープという量だった。他にも、アイスクリームの上に載せるフルーツソースを売り物にしたり、見ているだけでおなかいっぱいになってきた。

 ジャングルジムズを後にして、屋内の遊び場があるマクドナルドに寄って、おしゃべりをした。ちょうど梨奈と同じぐらいの年齢のお子さんを持つ方ばかりで、お話してても子育てのことで共有することが多かった。 



2003年07月23日(水) 食器洗い機を使った感想は?

 晩ご飯を食べて、新しい食器洗い機を使ってみることにした。

 洗剤も、リンスの仕上げの液体も入れて、あとはタイマー部分を回すだけ。タイマー部分は2、4、6時間後にスタートさせることもできるし、「Heavy Wash」「Normal Wash」「Light Wash」もある。ほとんどきれいにゆすいであるので、タイマーをLight Washに回してそこから始めた。

 ん〜、とても静か。リビングルームにいても全くといっていいほど気にならない。これが普通なのだが、古いのはとてもうるさかった。

 今の機械はとてもコンパクトで、軽く見えるが、昔のは本当に「機械」で、重厚な面持ちだった。電気代も結構かかってたかも。

 引っ越して1年経つが、そんなに使っていたわけではなく、冬場にどうしても手が乾燥して痛かったので、今年に入ってよく使っていた。初めからこの食器洗い機だったらなあ。

 ネジャーティも新しい食器洗い機に満足の様子で、「今度ここを出るとき、この食器洗い機持っていっていいかな?」

 持って行きたいのはやまやまだけど・・・・・・。



2003年07月22日(火) 食器洗い機

 今日、メインテナンスのデービッドが新しい食器洗い機を持ってやってきた。

 ちょうど2週間だ。ちょっと油断してしまった。

 取り付けの際には台所の電気のヒューズを切って、古い食器洗い機の電気の線を切っていたが、突然デービッドの「わあ!」と叫ぶ声が聞こえた。尋常ではないので、台所に行ってみると、デービッドがびっくりしたような様子だった。

 どうも電気が走ったようで、「髪の毛ちりちりになりたくないね」と笑っていた。そして、家の全部のヒューズを切って、無事に古い食器洗い機をはずした。

 新しいものを取り付け、シンクの下に水漏れを見つけて、ディスペンサーと呼ばれるごみ粉砕機も交換してくれた。結局2時間ぐらいかかった。

 ところで、新しい食器洗い機はMaytagのものだった。



2003年07月20日(日) イスマイル、ベルナ来る。

 今日はお昼頃にイスマイルとベルナがバスに乗って近くまで来て、ネジャーティと買い物に行くということだった。買い物は長くなりそうで、私はそこまで元気がないので、私はお留守番、ネジャーティは梨奈を連れていった。

 2人は車がないので、バスに乗らない限りはどこにも行けない状態で、しかも何がどこにあるかというのも知らない。ネジャーティが週末に学校に行く時に近くの食料品店に連れて行くことが多い。

 今日はここの近くのショッピングモール、Walmart、ジャングルジムズに行ったようで、早く帰ってくれば、遅いお昼を食べてWinton Woodsに行く予定だったが、買い物から戻ってきたのは6時ぐらいで、ここでご飯を食べてゆっくりすることになった。

 ジャングルジムズでは魚好きのイスマイルが魚を丸ごと一匹買ったみたいで、とてもよろこんでいた。それでイスマイルがなぜ魚をよく食べるかと言うと、魚が好きだと言うのもあるのだが、アメリカでは肉類を食べないからだ。全く食べないかというと、トルコでは特別におろした肉類なら食べるらしい。

 イスラム圏では、血抜きなど肉の特別なおろし方があって、日本でも東京か横浜、神戸もそうだったか覚えていないが、イスラムの人用におろした肉を売ってるところがあるらしい。なぜ知っているかというと、日本で学生だった時に、マレーシアからの留学生がいて、わざわざ東京か横浜に肉を買いに行っていた。マレーシアのイスラム教徒はもっと厳しくて、いったん豚肉を使った包丁やまな板、お皿は使えないので、日本では外食はちょっと無理だろう。打ち上げでも、その留学生はお付き合いで来ていたが、何も食べていなくて、申し訳なく思ったことがあった。

 トルコはそこまで厳しくないのだが、豚肉を食べないのは同じで(知り合いで豚肉を食べてる人を何人か知っているが)、とりあえず、イズマイルの場合は特別なおろし方をしてない限りは食べないらしい。聞けば、ここのキャンパスの少し北にあるイスラム寺院に金曜日にはお祈りに行ってるらしい。

 結局夕食になってしまったが、肉なしのドライカレーのオムライス、サラダ、マカロニツナサラダを用意した。サーモンがあったからそれを作ってもよかったなあ。

 食後にはこの前イスマイルからお土産でもらったチャイポットを早速使ってチャイを作って飲んだ。ネジャーティが、ジャングルジムズでトルコチャイの葉も売り出したと言ってたので、万が一なくなっても、ジャングルジムズで買えることになった。

 9時を過ぎて、何匹もの蛍が芝生の上を舞い、イスマイルとベルナの見送りとなった。



2003年07月17日(木) 一人でお留守番

 午前中に抜歯に行って、ネジャーティが梨奈を連れて学校に行ったのはほとんどお昼。今日はお昼から研究室でアイスクリームを作るらしくて、子供がいる人は連れて行っていたようだ。

 この、アイスクリームを作る作業、前にも何回か作っているらしいのだが、液体窒素で冷やすらしい。この辺がやはり化学だなあと思うのだが、液体窒素という怪しげなものを使って大丈夫なの、と以前バカな質問をしてしまった。液体窒素はすぐに気体に変わるのが特徴らしい。そして、気体の窒素というと空気の80%を構成するのだから、大丈夫なのは当たり前だ、と言われ、とうの昔に習った理科を復習。

 その後、研究室にいる一人がアーカンソーへ引っ越すので、みんなで手伝いにいったらしい。

 6時台にネジャーティと梨奈が戻ってきた。こんな早くネジャーティがいるのは珍しい。



2003年07月14日(月) イスマイルからのお土産

 トルコに短期で行っていたイスマイルがこの前の土曜日に戻ってきた。

 イスタンブールからシカゴへ直行の便が3時間遅れて、シカゴからシンシナティーまでの便も航空会社が変わったりと、変更に次ぐ変更だった。シカゴから連絡をもらい、すでにシンシナティーの空港にいっていたネジャーティから電話があったので、空港で無事会えたらしい。

 ネジャーティはイスマイルからもらったトルコ語の新聞と機内の雑誌、イズマイルのお母さんの手作りクッキーのおすそ分けを持って帰ってきた。イスマイルだけでなく、トルコから戻ってくるトルコの人は手作りクッキーやら持たせることが多い。

 それから日曜日には、ネジャーティがイスマイルに頼んでおいたリクエスト品、トルコチャイ用の小さい茶漉しをもらって帰ってきたが、何やらカランカランと音がするなあと思っていたら、何と、チャイ用の2段式ポットもおみやげにくれたらしい。カランカランしていたわけは、ネジャーティが箱から出して、取っ手を取り付けたのだが、箱に入らなくてそのままビニール袋に入れて持って帰ってきたからだった。

 うちのポットは大きい方が中がさびてしまい、小さいのを使っているだけだというのをイズマイルが知っていたかららしい。イスマイル、ありがとう! (・・・とここで言ってもしょうがないが)。

 最近は、こんな今風のものもあるんだなあ、とポットの箱を何気なく見ていたら、目に入った文字・・・







「Made in China」




 ネジャーティと大爆笑。

 こんなものまで中国で作ってるんかい・・・・・。



2003年07月13日(日) 朝顔

 以前裏庭に植えた朝顔が一輪咲いた。つぼみを見つけたのは昨日で、今日咲くだろうと思っていた。

 ピンクの朝顔だった。朝顔の種を買ったとき、青いのも買ったと思ったが、それはどうなったかわからない。裏庭にはこの他、勝手に生えてるクローバーが黄色い花をつけているし、これも以前植えたものだが、桔梗らしき花(桔梗のつもりで買ったが、桔梗らしくない)も気まぐれに咲いている。そして何より、これも種を買ってきたのだが、コスモスの背丈も伸びていて、この分なら秋に花が咲くのが期待できる。



2003年07月12日(土) ヒラリー@レターマンショー

 おとといヒラリー・クリントンがデービッド・レターマンの夜のトークショーに出ていた。

 それはとりもなおさず、最近出版されたミリオンセラーの本についてだが、本にも紹介されている、ビル・クリントンとヒラリーがヒッピーのような格好をしている写真が映し出され、笑いを誘っていた。それはともかく、彼女の英語はさすがはっきりしていて聞きやすい。この聞きやすさと発音は、以前在籍していたフロリダの学校にいて、故国のカナダに帰ってしまった女性教授と同じだ。

 トークショーではみんなが聞きたがっているモニカ・ルインスキーの話も話題になったが、彼女は、本来ならプライベートな問題が、公人であるがゆえに公にさらされてしまう苦しさを言っていた。 

 彼女はお母さんのことにも触れていた。8歳の時に両親が離婚し、祖母がいる東海岸まで列車で送り出され、ビクトリア時代特有の考え方が堅(かた)い人で、日本でいう明治気質の人というのか、途中で耐えられなくなって、祖母の家を飛び出したらしい。それで自分で全部やってきたという人で、彼女はお母さんをとても尊敬していた。

 本を読んでみたいという気もするが、どうかな?



2003年07月11日(金) 19年間の埋め合わせ

 昨日ネジャーティが興味深いニュースを教えてくれた。アメリカで19年間意識が回復しなかった男性の意識が戻ったというものだ。

 1984年に20歳の時に交通事故で意識を失ってからで、これから19年間の埋め合わせをするのは大変だろうなあと思った。ちなみにその時に小さかった娘さんがいたそうで、もう成人している年頃だ。

 何に驚くだろうね、とネジャーティと話したが、世の中のことでは、まず、21世紀になっていること。1984年というとレーガンが大統領だった時だろうから、ブッシュが大統領になって、さらに息子ブッシュが大統領だということ。それから、ソ連が崩壊したこと。ドイツが統一したこと。欧州連合が本格化して、ユーロなる通貨までが流通し、使えるようになったこと。香港が中国に返還されたことはあまり興味ないかな。ニューヨークのテロ事件や世界貿易センターのビル倒壊の悲劇も信じられないかもしれない。

 あと、身の回りの技術の発展だろう。まず、車にびっくりするだろう。1984年だとCDがまだないし、FAXもない。もちろんコンピューターが家にあって、インターネットが使えるのもびっくりするだろう。個人がメールアドレスを持っている。オンラインで買い物さえできる。知らないお店もあるだろう。
 電話だって、コードレスで話せたり、携帯電話もある。デジタルカメラもある。

 私たちは確実にこの19年を生きてきている。慌ただしい社会と、めまぐるしい技術発展と、自分たちの日々の生活の中で生きている。この男性が自由に使えなかった19年間が、私たちにあるとすれば、私たちが19年間にできることは計り知れない。



2003年07月10日(木) Winton Woodsで

 今日はお誘いをただいて、近くのWinton WoodsのWet Playgroundに行った。

 Winton Woodsはすぐ近くなのだが、その近さゆえか、いつでも行けるというのがあって、かえって行っていない。室内で遊べる施設もあるらしいが、存在さえ知らなかった。これを例えれば、西宮出身の私が、市内にある甲子園球場に生まれてこの方1回しか行っていない、というのと同じだ。

 梨奈と同じ年頃のお子さん3人と一緒に遊んでもらい、お母さん方とお話した。途中雨が降って、止むまで休憩、雨が止んでWet Playgroundも再開して、子供たちは遊び始めた。下から出てくる噴水に梨奈はお尻をつけて遊んでいたが、水着のパンツがぬれて気持ち悪くなったからか、4才用なので、ゴムがゆるくて下がってきたか、パンツが下に下がって(下げて?)、お尻丸出しにしていた。

 私も1ヶ月ぶりに、他の方とお話したので、リフレッシュした。そして、連絡先をいただくのを忘れていた(こういうところがおっちょこちょいだ)。

 いつかうちにも遊びに来てくださいね〜! (って、ここで叫んでどうするねん)



2003年07月09日(水) 食器洗い機が・・・

 今月に入って、食器洗い機がとうとう動かなくなった。最後に使ったときは、乾燥の手前で止まってしまった。

 昨日アパートのオフィスに電話して、見てほしいと伝えておいた。そして、お昼前に涼しかったので買い物に出かけていたら、メインテナンスリポートが置いてあったので、留守中に来たようだ。

 リポートのサインでメインテナンスに来たのはデービッドだと分かったが、デービッドはこのアパートにはおなじみで、特に水回りで問題があって、何回か来てもらっている。デービッドは他の住人の文句をよく言ってて(インド人は水回りをきれいにしてないとか)、うちは小舅のようにネジャーティが小言をいうこともあって、わりとうちは褒められている。

 メインテナンスリポートによると、メーター(タイマーのことかな?)の消耗と、洗い機の中のさびと書いてあって、下のところに、2〜3週間以内に新しい食器洗い機を取り付けるとあった。

 やったあ〜!! 新しい食器洗い機が来る!!

 今のものは中のお皿立て一部にさびが出ていたり、食器洗い機をかけると、音がすごかったりしていて、以前も壊れたかな? と期待をもったことがあったが、とにかくうるさくなくなるというのが一番嬉しい。贅沢を言えば、デジタルつきがいいなあ、なんて思ったが、全部についているものではないらしい。ちなみに今備え付けのWhirlpoolというメーカーのHPで食器洗い機を見たら、やっぱり型が新しい(ちなみに2番目に安いものはこんなかんじ)。今のがだいぶ古いというのがわかる。

 でも、デジタルつきのものでもここの1ヶ月の家賃より安いから、けちらないでいいのをほしいなあ。



2003年07月06日(日) ベルナと夕食

 ネジャーティの研究室に半年の予定でトルコから来ているイスマイルが、今用事でトルコに帰っている(試験を受けるためらしい)。12日にここに戻ってくるのだが、イスマイルと同じ専攻の彼女ベルナが、ここの研究室でイズマイルと一緒に研究をするために、昨日シンシナティーに着いた。そして、今日晩ご飯を一緒にここで食べることになった。

 ネジャーティが迎えに行って、ここにベルナと帰ってきたときは夕立の直前で、ちょうどいい時に帰ってきた。

 ご飯を食べ終わった頃には夕立も止んでいて、食後裏庭に出て、日本に行ったときの写真を見たり、スイカを食べながら、蛍鑑賞をした。今日は特別、すぐ近くで飛んでいて、蛍も歓迎してくれているらしい。



2003年07月05日(土) バースデーパーティー@隣ンち

 今日は5月末に隣に引っ越してきた家の女の子サディラの誕生日だ。少し前に、招待状のカードをもらった。場所は裏庭だ。

 ちょっと買い物に出て、帰ってきたら、隣の裏庭にテントができていた。梨奈は早速遊びに行った。サディラと男の子の友達(ボーイフレンドといっていた)がいたのだが、子供用のテーブルに梨奈とその男の子が隣に座り、サディラは梨奈の向い側に座っていた。そしたら、男の子と梨奈が仲良く何か話をしている(話といっても会話らしい会話じゃないのだが)。サディラにはその様子が気に入らなかったらしく、テーブルを離れて、一人椅子に座ってすねていた。

 パーティーは5時からだったが、こちらのパーティーというのは、日本のように、さぁ、今から始めます、といったような始まり方ではない。最初の1時間は飲み物とスナックで始まり、その後、食べるといった感じだ。みんなが食べ始めてから来た人もいて、時間厳守とかそういうものではない(もうちょっとかしこまったパーティーだと時間には行ってる方がいい)。

 こちらものり巻きを作って持っていったが、黒人の人にはあまり人気でない。魚はない、といったのだが、どうも酢飯自体があまり口に合わないらしい。酢飯は一歩間違うと、傷んだご飯(なんか表現があったなあ、ど忘れ)の味になるのかも。どうりで日本食レストランに黒人を見かけないわけだ。

 ご飯も食べて一段楽した後で、子供たちのゲームが始まった。子供たちは20人近くいた。ピエロが描かれた紙を壁に貼って、ピエロの赤い鼻に赤い丸いシールを目隠しで貼るというもので、梨奈はほっぺたに貼っていた。みんなに賞品が用意されていた。

 それから、水風船のキャッチボールなのだが、ルールなどおかまいなしで、水風船を投げ合ったり、地面に落として割ったり、とゲームどころではない。

 最後は、もともとはヒスパニック系のもので、キャンディーが入っているくす玉(といってもいろんな形がある)を1人3回ずつ、目隠しをして棒でたたいたが、なかなか割れず、最後は誰かが叩き割った。

 それで、バースデーケーキとプレゼントを開けて、終わったのだが、昨日と同じようにまた、北のほうから風が吹き、雷雨となった。

 典型的なアメリカの子供のバースデーパーティーを垣間見た。
 



2003年07月04日(金) 独立記念日の花火は・・・・・

 今日はやけに蒸し暑い日だった。

 夜には10時か始まる近くの町の花火を見に行きたいなあと思っていたが、梨奈の夕寝が長かったので、結局外には出なかった。

 実は出なくて正解で、9時頃から(まだ真っ暗ではない)、北の空に暗雲が立ち込めていて、だんだん風が強くなり、暗雲がどんどん近づいてきた。雨も降り出したが、電灯の光に横殴りの雨が照らされた。
 
 11時ごろになってやっと雨もほとんど止んだ。しかし、雷がまだ鳴っていて、真っ暗な空に稲光が走るのが見えた。広い空に映し出された稲光が、下の方から上に上がっていくのが見えた。そうだ、雷は「落ちる」と言い方をするが、本当はそうではなくて、上に上がっていくものだった。

 そういうわけで、今日の花火は中止のようだが、裏庭の向かいにあるアパートの向こう側から誰かがロケット花火をいくつも上げていた。



2003年07月02日(水) 停電&鳥の巣 つづき

☆停電
 午後3時前後に30分ほど停電があった。

 テレビが急に消えたので停電とわかったのだが、引っ越してからちょうど1年たって、地元の電気会社から電気の供給がきられたのかなと思ってしまった。取りあえずアパートのオフィスに行ってみようと思って外に出たら、他の住人も外に出ていて、どうも近くのアパート全体で停電になったらしい。
 30分ほど経って電機が戻ってよかった。心配していたのは冷蔵庫だけだったが、これが真冬だったら、大変だっただろうなあ。

☆鳥の巣 つづき
 以前鳥の巣をアパートの前の木に見つけて、雛の育ちを観察していたのだが、先日、同じ木の上の方にもう一つ巣を見つけた。ベッドの上に立って見ると、ちょうど同じ目線に鳥の巣があって、3羽の雛が口をあけて、親鳥がえさを持ってくるのを待っていた。
 そして、つい最近、雛鳥が飛ぶ練習をしているのを見かけた。1階のリビングルームにいたら、窓のさんに2羽の雛鳥がいた。巣から降りては、木の枝を伝って巣に戻っているらしい。
 鳥の成長は早い。



2003年07月01日(火) 引っ越して丸1年

 このアパートを契約したのが去年の今日。住み始めてちょうど1年になる(引越の様子はここから)。

 引越の後、ネジャーティはニューハンプシャーに戻って1ヶ月過ごしたので、7月を知らないのだが、このところ夜になると、また蛍が飛び始め、先週の週末にはご飯の後、裏庭に出て、芝生の上を飛び交っている蛍を鑑賞した。裏庭の芝生を共有する向こう側のアパートの住人も外に座って蛍鑑賞をしている。短い蛍鑑賞の期間を去年ネジャーティは逃したので、今年は楽しんでるようだ。

 ところで、今日オイル交換をしてもらったのだが、電話番号を聞かれて告げると、「グレーシーさんですか?」と言われてしまい、自分の電話番号を確かめてしまった。告げた番号はニューハンプシャーで使ってた番号だった。今日はシンシナティーに来て1年経った、というのが頭にあったからか、無意識に言ってしまったらしい。
 それなら、フロリダの時の電話番号を覚えてるかな?と思ったが、最初の3桁と最後の4桁しかすっと出ず、真ん中の3桁をやっと思い出してすっきりした(どないやねん・・・)。


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