オクラホマ・スティルウォーターから

2002年06月30日(日) 振り出しに戻る

6月30日(日)
 日曜日にも開いているアパートのオフィスを回った。オフィスでは山の地域のアパートのことを話したりしたが、オフィスの人に “That area is rough. (その地域は荒っぽいから、というような意味)”、といわれた。回ったアパートの中でアパート群の名前が「Forest Park Apartments」というところがあって、そこは以前からいいなあと思っていたし、UNHのアパートもForest Parkだったので、そこに入ったらおもろいなあ、と言っていた。そこは3ベッドルームのアパートが来週の週末なら空く予定で、2ベッドルームならすぐにでも入れるというところだった。

 鍵をもらって見て回ったが、2ベッドの部屋自体は大きく、3ベッドは2つの部屋が小さめだった。すぐに入りたかったので、2ベッドルームに申し込んだ。以前から3ベッドに入りたいといっていたが、2ベッドになってしまった。それでも前のところと比べるとかなり大きいし、1部屋ずつが大きいので、それでもいいかもしれない。



2002年06月29日(土) オハイオ入り

 泊まったところの隣にマクドナルドともう1つ、Cracker Barrelというレストランがあった。そのレストランはいいなあと思っていたが、時間がなかったので、マクドナルドで買って、トラックを走らせて、トラックの中で食べた。

 昨日オハイオに入ったときには暗かったので景色があまり見えなかったが、今日もいい天気で景色がいい。

 平地がずっと続いていて、小麦畑やコーン畑が広がっている。ペンシルベニアで見た風景だあと懐かしく思いながら走っていた。大学の語学研修でペンシルベニアに行ったときに初めて小麦畑やコーン畑を見た。こういう景色は日本だったら北海道でしか見られないだろう。山の見えない平地が広がっている風景はとても新鮮だ。感激してたら、ネジャーティはこういうのはトルコではよく見られるから、そんなに感動していない。

 州都のコロンブスに近づいてきた。時間があったらコロンブスに住んでるネジャーティの友人でトルコ人のオカン(Okan)にも会いたかったが、オカンに電話した時に、来てほしいと言われた場所も結局よくわからなくて、会えずじまいだった。ネジャーティはオカンに会えたらの話だからあまり期待しないでねと言っていたそうだし、シンシナティーからは車で2時間の距離だし、今日会えなくてもいつでも行けるからとあきらめた。

 コロンブスをすぎて休憩した後、自分が運転することになった。だんだんシンシナティーが近くなってきて、高速沿いに遊園地が見え、きっと梨奈が喜ぶだろうし、いつか行ってみたいなあと思いながら、シンシナティーと郊外を囲む環状線になっているI-275を超えた。今走っているI-71をずっと南下していった。シンシナティーの市に入った。目的地に近づくにつれ、山が多くなり、工場もあったりして、息が詰まりそうになった。こんなところに住むのかなあというのが正直なところだった。

 高速を下りて、一般道を走っていって、アパートの道に入った。その道はアパートしかなく、行き止まりなので、そのアパートの住人しか通らないところだ。アパート群は一見よさそうだったのだが、環境があまりよくないような気がした。そして、3ベッドのアパートを見せてもらったが、家賃の金額を払う価値があるかなあと考えてしまったし、そんなに広く感じないし、バスルームもファンシーじゃなかった。

 オフィスに戻って、契約書にサインをするという段階に入ったときに、ネジャーティがちょっと外で話してもいいですか、と言って私を外に連れ出した。ネジャーティもあまり乗り気じゃないらしい。それで、アパートが気に入らない理由として、2階に上がる階段が急で、私が足の骨に問題があるから、というのでいいかというので、足の骨に問題があるからなんて言わんでいいから、ただ階段がちょっと急で危ないからとか言えばいいやん、て言うたのに、オフィスに戻って同じことをオフィスの人に言っている、、、。言わんでいいっていうねん。アパートを見せてもらうとき、一緒に歩いてたオフィスの人のほうが、足が悪そうやったやん。誰がそんなん信じるねん、、、、などと関西弁が通じたらまくし立てるところだったが、ネジャーティには通じないので心の中で叫んでた。

 とりあえず、火曜日まで取ってもらえますかといって、契約書にサインせずにオフィスを出た。

 とにかくそこから早く出て、どこか泊まるところを探すことにした。日曜日も空いているオフィスがあるアパートの近くに泊まることにした。I−75のExit15付近にはチェーン店を持つモーテルがあって、その一つに泊まることにした。

 日が明るいうちにアパートのいくつかを回った。オフィスはすでに閉まっている時間だったが、どんな環境か見るだけでもいいと思った。回ったところは、山のところのアパートとは環境が大きく異なっていた。
とにかく今日は疲れた。



2002年06月28日(金) 移動 2日目

 昨日はあまりにも疲れていて、シャワーも浴びずに寝てしまったので、朝シャワーを浴びさせてもらった。ネジャーティは早く起きるとか言いながら、私よりも遅く起きてきた。いやいや、ネジャーティは重労働で疲れてるのだ。梨奈も疲れてずっと寝てる。
 シャワーを浴びたら余計にリラックスしてしまい、友人としゃべって、くつろいでしまった。

 アルバニー(Albany)を昼頃出た。I-90をひたすら西へ走り続けた。車中で友人が用意してくれたお昼ご飯をほおばった。昨日からろくにものを食べていなかったので、とてもありがたかった。

 今日はとてもいい天気だ。トラックは車高が高いので見晴らしがいい。トラックを運転していると、車を引っ張っていることを感じない。ずっと高速で、道がまっすぐだからかもしれないが、普通の車みたいに速度を出せない以外は不便なことはない。
 ネジャーティは時速55マイルをずっと保っていて、高速でも所々、トラックの制限速度が普通の車よりも低くなっているところがある。それ以外は時速60か65マイルなのだが、私が運転すると、時速65マイルで走っていることが多く、トラック野郎になった気分で走っていた。

 余談だが、日本で学生だったとき静岡にいたが、周りはほとんど関東の子で、同学年でも関西出身は指で数えるぐらいしかいなかった。関東の人にしてみれば、神戸が兵庫の代名詞みたいになっていて、西宮の出身なのに、神戸出身といわれるのが落ちで、後輩から見た私の印象というのは、サングラスをかけて赤いスポーツカーを乗り回している姉御だったらしい。神戸と言うと異人館が立ち並ぶおしゃれな町というのもあるが、同時に怖い人も住んでる町だからかもしれない。

 女の子が関西弁を話すと、かわいく聞こえるといってくれる人もいるが、やはり怖いと言う人もいる。怖いと思うと、そういう姉御の印象になるんかな?

 I-90を西にずっと走ると、バッファローまで行く。そのころには6時か7時ぐらいになっていた。

 バッファローと言うと、両親が来たときにバッファローの空港からナイアガラの滝に車を走らせた思い出がある。今回も30分ぐらい走るとナイアガラの滝に行けるという距離だったが、このトラック+車で行くのは難しいし、時間がないしということでそのまま湖に沿って走っていった。もし時間があって、どこか近くに泊まっても、アメリカ側しか見られない。というのは、梨奈と私はビザが要らないのだが、ネジャーティはカナダに入るのにビザが要る(トルコはビザの免除がないため)。そして、ネジャーティはナイアガラの滝を見たことがないので、見られたらいいなあと思っていたが、またの機会にということになった。

 I-90をずっと走って湖が見えるかなあと思っていたが、少し内陸に入っていたので見えなかった。

 バッファローからさらに5時間ほど走って、オハイオ州のクリーブランド(Cleveland)に入り、そこを少し南に行ったところで泊まることにした。
駐車場でバックしたのだが、普通、車をバックするときは右に行きたいときはハンドルを右に、左に行きたいときは左に切るといいのだが、車を連結させてるので、右に切ると、車の部分が左に行ってしまうことがわかった(教習場で習ったかなあ?)
 オハイオに入ったのでちょっと安心。



2002年06月27日(木) 引越

 今日はとうとう引越だ。昼にネジャーティが梨奈を連れてレンタカー会社に行ったが、なかなか帰って来なかった。車を置いてトラックを運転して帰ったのは3時ごろで、トルコ人のゼイネップのアパートにソファーを置きに行った。
 ゼイネップが同居している2人のトルコ人と、ご近所のKTさんがトラックの荷積みをお手伝いくださった。とても感謝、感謝である。最初、ネジャーティは一人で荷積みをすると言っていたが、男の力4人でも、荷積みが終わったのは5時過ぎていた。

教訓1:夜に引っ越すにしても午前中にトラックを借りるべし。

 レンタカー会社の人に、トラックと車の連結を手伝ってもらうはずだったが、オフィスが閉まる6時に間に合いそうになく、間に合わないんだったらとちょっとゆっくり目になって、結局アパートを出たのは7時だった。
アパートががらんとして何もない状態になったが、疲れているのもあって、もうここには来ないんだなという実感があまりなかった。

 レンタカー会社に行った。ネジャーティはレンタカー会社の人にトラックと車を載せる荷台の連結方法を教わっていたので、自分たちでやるか、ということになった。トラックと荷台を何とかつなげて、車を載せたときに、荷台がはずれて連結部分がガタッとトラックの下に入り込んでしまった。
途方にくれているときに、一台の車がやってきて、2人のおっちゃんが他のトラックの運転席に行き、何かしている。そういえば、さっきもこの車が来たなあと思っていたが、とりあえず話し掛けた。

 2人のおっちゃんはBudgetと書いてあるトラックをどこかに運転していくためにやってきたらしく、そこにあったトラックでBudgetのトラックと言うと私たちのだけで、おっちゃんが運転席で何かをしていたトラックはRyderだった。それで、どうも2人か少なくとも1人はトラックの運ちゃんで、走行距離も長いらしい。そして、トラックの下に入ってしまった連結部分をどうしようというので、まず荷台を動かそうとしたが、車を乗せられるぐらい丈夫なものだから、そう簡単に持ち上げられるものではない。じゃあ、トラックをふっと持ち上げて、、、って、手で持ち上げられるわけないやろ。そやなくて、何でもいいねん、何かでタイヤ部分を持ち上げれば、というので、周囲を見渡すと、よくフォークリフトで持ち上げるときに使う正方形状で木が縦と横に組んであるもの(誰か名前知ってたらおしえてぇ〜!)がたまたまあって、それをトラックの後輪の前に置いて、おっちゃんがトラックに乗って試したが、1回目は失敗。タイヤが木上に載らなかった。そして、2回目に木に乗って、連結部分がうまく取れた。トラックが乗ってもつぶれへんぐらい丈夫な木やねんなあと感心しながら、ようこんな木がたまたまあったなあと思っていた。

 あとは連結も、荷台に車を載せるのもおっちゃんがやってくれて、トラックを動かすと、車を載せた荷台もちゃんとついてきた。

 おっちゃんたちは探してたトラックがないので、そのまま帰ることになって、何か助けるために来たんだね、とおっちゃんも言って、私たちも感謝、感謝だった。おっちゃんたちは引き上げていったが、十分なお礼もできずに、帰っていったおっちゃんたちに申し訳なく思った。でももしトラックのプロと知ってたら、車で回ってきたときに、最初から頼めばよかったなあと罰当たりなことを思ってしまった。

 今日は食事らしい食事をしていなかったので、レンタカー会社の隣にあるマクドナルドで腹ごしらえをして、トラックに戻った。雷雨があるという予報があったが、時間が少し遅れたらしく、トラックに戻るときに雨が降り出した。そして雨の中、車を走らせることになった。

 I-95からI-495に出て、I-90に入っていくのだが、西から雷雨になってきているので、雨もたまに激しくなって、レストエリアでちょっと休んだほうがいいということもあった。レストエリアに入ると雨が少しましになったりして、そしたらまた走ろうか、ということにもなった。

 I-90はマサチューセッツ州を東西に走る高速で、Turnpikeといって、有料道路だ。州を横切るのに4、5時間かかるが、全部走っても5ドル(50ドルじゃなくて)いくかどうかという金額だ。

 マサチューセッツ州の隣はニューヨーク州で州都のアルバニー(Albany)がある。アルバニーには友人がいて、今日は友人宅に泊まらせてもらうことになっている。しかし、出発が遅れてしまって、さらに雨も降ってゆっくり走っているので、どんどん時間が遅くなる。途中で電話を入れて、まだ遅くなることを告げた。
 アルバニーに着いたのは結局夜中の2時半で、ずっと起きてて待ってくれていた。非常識な時間にもかかわらず、お邪魔してしまい、すみません。



2002年06月23日(日) 眠たかった

 今日も曇って湿気がある天気だった。気圧が下がっているからか、とても眠たかった。車に乗って買い物に行ったが、頭がぼーっとしていた。

 ところで、昨日、今日とオクラを食べた。冷凍ですでに切ってあるものがあった。アメリカに来て初めて食べた気がする。酢の物しか知らないので酢の物を作ったが、ネジャーティが「何これ?」というので、「オクラ。原産地は中東だから知ってるはずだよ(後でアフリカと知ったが)」というと、元のものを見せてというので、冷凍の袋を見せた。食べたことがあるかなあと言いながら食べていたが、「これ知ってるトルコ語でちゃんと名前がある。トルコでは煮物に入ってるよ」。

 夕食後も眠たかった。

 日本の番組を見ていて、16日に放送されたものという表示が出た。ネジャーティが「何が16なの?」というので、「日にち。10はTenで6はSix。じゃあ今日は何日」と聞くと、5ぐらいまでは日本語で言えるがそれでもこんがらがっていた。やっと言えて、「じゃあ22日は」と聞いて、やっと22といえたが、2日分を日本語で言うだけで疲れたのか、面白くないのか、「あぁ〜」とあくびをしたので2人で大笑いした。

 数字の表示は全世界共通だが、頭の中で数えているのはそれぞれの言語だ。今日もネジャーティに頼まれて5桁の数を20ぐらいエクセルに入れていったが、確かめるときは日本語で確かめている。日本語でぶつぶつ数を数えていたが、ネジャーティには違和感があったかもしれない。

 



2002年06月22日(土) トルコ勝利! ネジャーティ大喜び

 今日のニュースは何と言ってもトルコが勝ったことでしょう。こちらでは朝の7時半から試合でした。

 何度もセネガルにゴールを入れられそうになりましたが、トルコの背が高いゴールキーパーはそのたびにしっかり守っていました。

 トルコがゴールを入れた瞬間、「入ったのかな?、、入った〜!!!」と大喜び。ネジャーティはシリアルに入れていた牛乳をこぼしたぐらいでした。

 大阪にいたら試合を見に行きたかったなあとネジャーティも行っていました。

 今度はブラジル戦。韓国で戦ったときには審判がブラジル贔屓だったらしく、ブラジルが有利な運びとなりましたが、今度の試合はトルコにとってはリベンジです。そして、ブラジルの有能な選手、3Rと呼ばれる3人の選手のうち、2人が出られないと言うことで、ネジャーティは今度の試合はトルコに有利だと言っています。そうであってほしいけど。

 次の試合はこっちでは26日の朝7時半です。



2002年06月21日(金) 人工衛星?

 昨日の夜、洗濯物を乾燥機に入れに、ランドリールームに行って、戻るときに、夜空を眺めていたら、光がゆっくり動いていた。飛行機にしては高すぎるし、他の星のように明るいし、そのうち消えたが、ネジャーティと、スペースシャトルか人工衛星かなと話した。もしそうだとしたら、初めて見た。

 今日は暑かった。午後には30度ぐらいまで気温が上がって、夜も部屋が暑かった。このところ涼しい日が続いていたが、夏が来たなという感じだ。

 来週の今日は引越だ。今日も荷作りをしたが、進んだような進んでいないような、、、。全部をダンボールに入れなくていいのだが、引越まで使うものもあるし、実際に荷物を入れていかないとわからない部分もある。

 夜には近所のMさんがお茶を立ててくれた。毎週ボストンまでお茶を習いに行っていて、そういえば、今までお茶を立ててもらったことがなかったので、最後にお茶を立てます、ということで、今日にしてもらった。来週の月曜日には日本に行くということで、もし何もなければ、引越前に会えるのが最後だった。ネジャーティは1ヵ月後にここに3日ほど戻る予定を立てていて、Mさんにバス停まで迎えに来てもらうのと、泊まらせてもらうのをお願いしている。

 Mさんのお茶とおかしをいただいて、おしゃべりしてあっという間に時間がたってしまった。やはり引っ越すんだなあという実感が強くなった。

 来週の今ごろはどこを走ってるかな?



2002年06月20日(木) アパート探し5

 この前6月に入ったと思ったら、もう下旬に入った。

 引越は28日のままだが、27日の夜に荷積みをすることにした。

 引越まで後1週間となったが、今日は荷作りの続きをした。

 今日だったか、昨日だったか、気がついたことがあった。それは、森の近くにあるいいなあと思っていたアパートに入るのに、収入制限があることだった。上限が設けられていて、それ以上だと入れないというものだった。上限を設けているところは、他のアパートにもあるが、アパートガイドの冊子には、いいなあと思っていたアパートの欄には特に書いていなかった。インターネットで出している広告で見つけたのだった。そういえば、電話したときに、申込金が要るのと、"If you are qualified...."(もし条件を満たしていれば)と言われたので、おかしいなあと思っていた。電話が遠かったのと、ちょうど梨奈がうるさくし始めてよく聞こえなかったが、次の日にもネジャーティが電話したときには、そんなことは言ってなかったし、、、。

 いずれにしても、オフィスの人の対応がよくなく、申し込み用紙もFAXでは送れないから郵送するとか、融通の利かないところだった。

 今日はもう1つ、森の近くの別のアパートから申し込み用紙が届いた。そこはセントラルのクーラーがついてるし、天井にはファンがついてるし、設備はよかったが、インターネットで部屋の中の映像が見ると、あまり好きになれなかった。今のアパートの延長のような気もしたし、ネジャーティに、あまり気が進まない、と言ったら、選択肢はないんだ、みたいなことを言われたが、他を当たってみようと、ネジャーティがまだ電話をしていなかったところにかけてみた。

 2つかけたが、1つは、やはり森の近くで3ベッドルームが空いているところがあった。事情を話したら、メインテナンスの人に、引っ越す日までに用意できるか話してみる、ということだった。もう1つは学校より少し離れたところだが、2ベッドしか空いていなかった。どちらもFAXで申し込み用紙を送ってくれた。フロアプランといって、部屋の見取り図がどちらからも送られてきたが、2ベッドのほうはタウンハウスといって、2階建ての方が空いているようだった。そこはパティオやガーデンウォール(よくわからないが)があって、玄関がちょっと変わっている。暖炉もあるし、収納場所が階段の下にある。

 3ベッドが空いているというアパートは、地下がガレージにもなっている。ガレージから部屋に上がれるようになっている。ランドリールームも、各アパートの棟にあるそうだが、3ベッドのところは地下で取り付けもできる。車は置かずに荷物置きにできるのかな?と思ったりするが、車を置いても、スペースはありそうだ。クーラーはあるが、セントラルじゃなさそうだ。でも、暖房費、水道代は家賃に含まれているようだ。

 ネジャーティと2人だけなら2ベッドでもいいが、やはり梨奈がいるから、3ベッドがほしい。学校にも近い3ベッドの方に申し込むことにした。FAXで送ってもいいというし、ネジャーティとオフィスの人のやり取りを聞いている限り、対応はよさそうだ。

 それから、アパートには、1ヶ月無料にします、というところもあって面白い。

 ちょっと気が晴れた。



2002年06月18日(火) 夏空

 今日は雲もあったが晴れていた。雲も夏雲になってきた。やはり6月も終わりに近づくと、夏らしい風景になってきた。去年の夏は暑かったが、今年は涼しいのかもしれない。最近は雨が降るからか、気温も低めで、今日も半そでで大丈夫だが、ショートパンツをはくと寒く感じるぐらいだ。

 午後からモールに行った。モールに行くのも最後かもしれないなあ。モールの帰りに近所の池に行った。車が何台か止まっていた。いつも来る人もいた。「Hi!」と挨拶した。白鳥が芝生の上にいて、いつも来る女性がパンやえさ用のコーンを撒いていた。白鳥は親も雛も必死に食べていた。女性は母鳥を「サラ」と呼んでいる。サラは今回は威嚇しなかった。日曜日に行ったときは威嚇されたが、母鳥だったんだ。母は強し。日曜日のときは少し遠くから母鳥だけやってきて威嚇してきた。

 アパートに帰ると、すでにネジャーティが帰っていた。ご飯を食べて、3人とも眠たくなって、梨奈は寝たが、ネジャーティは研究室の人から電話があって、研究室に行くことになった。私はちょっと眠気が覚めて、荷物を詰めたりした。でも今日は早く寝ようっと。明日は9時からアパートが断水になるので、ちょっと早く起きよう。

  



2002年06月17日(月) 嬉しい驚き/サッカー

★嬉しい驚き
 お昼過ぎにリビングで掃除機をかけたり、ごみを玄関の外に出したりして、ドアを開けっ放しにしていたら、誰かが来た気配がした。

 「エモッシュ〜!!」

 以前、このアパート群にいたトルコの女の子だ。何日か前に、今月末に引っ越すというメールを送ったが、今日は旦那さんのアタがここに来る用事があって、一緒にきたのだそうだ。5分ぐらいしか時間がないの、ということだった。でも1年ぶりの再会を喜んだ。

 エモッシュはトルコで学生だった時、2、3年前に亡くなったトルコの人気歌手、バルシ・マンチョのバックコーラスで歌ってたという女の子なのだ。バルシ・マンチョはトルコの全国を回っていたので、その子も一緒に回ることが多かったのだが、学生をやりながらはきついので、マンチョに惜しまれながら途中でやめたそうだ。バルシ・マンチョは日本にも来たことがあるが、エモッシュがやめた後なので、日本には行ってない。

 エモッシュには11ヶ月になる男の子がいるが、今はニューハンプシャーのハノーバーという、バーモントの州境に住んでいる。男の子もそこで生まれたが、今日初めて会った。お父さんのアタに似ていて、青い目でかわいい! だっこしたら軽い! 梨奈が生まれたときは、まだ慣れていなかったからか、軽いなんて思ったことはないが、梨奈より小さい赤ちゃんをだっこすると軽く思える。

 エモッシュには梨奈がまだ3ヶ月か4ヶ月ぐらいのときに小さいときに週に2回預けたことがある。その面影が強いからか、梨奈が大きくなったのをとてもびっくりしていた。

 「2月にはトルコに帰るかもしれないの」と言うから、帰省するの?というと、トルコに帰って、アメリカには戻ってこないかもしれない、という。アタの仕事次第なのだが、そうすると、みんな帰っちゃうなあ。でも、トルコに行ったら私たちがいるから、遊びに来てねと言ってくれた。

 そうそう、以前エモッシュにあげようと思っていたコップがあったんだ、と思い出した。出産祝いで送るときにコップが入らず、今度会ったときにと思っていたが、全然会わずじまいだったので、持っていたままだった。男の子が使える青のコップだ。エモッシュに喜んでもらえてよかった。

 あっという間に時間が過ぎて、エモッシュは帰っていった。

★サッカー
 何と言っても、今日は日本とトルコ戦だ。夜の2時半から試合だ。梨奈もまだ起きていて、ネジャーティが英語で「ターキー!」と叫ぶと、梨奈も「ターキー」と真似して応援した。私が「ジャパン〜!」というと、梨奈も「ジャパン」と言った。ネジャーティがもう一度「ターキー」と言うと、こんがらがったのか「ジャーキー!」と言ったので大笑いした。ジャーキーってビーフジャーキーのジャーキーとも取れるけど、ジャークみたいでおかしかった。

 今日の試合はあまり好きじゃなかった。イエローカードをもらいそうなプレーしている日本人選手がいたし(こっちでは大きく映ってた)、ちゃんとフェアプレーしようよ、と思えるところもあったし、、、。

 応援が雨で聞こえなかったのかわからないが、なんか応援が静かな気がしたし、、、。見守る気持ちもわかるが、どんな状況でも声を出して応援しようよと思えたし、、。

 でもトルコの先制点は痛かった。それにトルコはボールが来たらすぐ動いてた。背の高いゴルフキーパーの存在も大きかったし。中田のボールがゴールのポールに当たったのは惜しかった。ポールに当てるほうが難しいと思ってしまった。

 チカラが100%できっていないなあと感じたが、ネジャーティ曰く、トルコの選手は雨や雪とか悪条件の中で試合するのに慣れているらしい。そういうのも関係してくるよなあ。

 



2002年06月16日(日) 白鳥

 今日は父の日、ネジャーティから「チャイナバッフェに行こう」と誘われた。父の日なのに、何もなくて、本当は私からどこかに行こうと言うべきだったのに、、。

 昼過ぎにチャイナバッフェに行って、その後、近くの池に行った。近くの池では白鳥の雛がいる。池に行くと、白鳥の親と雛が池から上がって芝生の上にいた。そんなに近くじゃないが、芝生にいると、親の白鳥が一羽寄って来た。首を伸ばして威嚇してきた。やはり親の白鳥、雛を守るために威嚇するんだ、、。首を伸ばすと私の肩ぐらいまである。

 池を早々と立ち去った。チャイナバッフェの近くに車を置いていたので、車に戻った。アパートに帰ってしばらくしたら雨が降ってきた。最近雨がよく降るが、タイミングよく帰ってきた。



2002年06月15日(土) アパート探し4

 今日は予報どおり雨になった。

 昨日は、いくつかに絞ったシンシナティーのアパートに電話をしてみた。部屋が空いていないところや、7月中旬にならないと空かないとか、1つは空いてるようだったが、申込金25ドルを払って手続きに2週間ぐらいかかるとか、いろいろで、だいぶ絞られてきた。

 そして、今日、ネジャーティがいくつかかけてみた。電話に出ないところもあったが、1件つながった。そこは部屋があるようだった。

 ネジャーティは、「アパートを見るのに予約をとっても、見るまでにもしかしたらふさがってしまうかもしれないし、シンシナティーに行く前に、先に決めたほうがいいのかもしれない」と言い出した。

 今日つながった1件のアパートはインターネットにも載っていたが、あんまり部屋が好きではない。ネジャーティも同意見だった。

 もう1件、部屋が空いていて、申込金がいるところは、3ベッドルームは地下がある。アパートにはクーラー、バルコニー、ケーブルとか、ついているものを見ていくと申し分ない。部屋の写真もあったが、さっきのアパートよりはとてもいい。バス停も近くにあるし、大学にも割と近くのようだ。洗濯機、乾燥機を取り付けるところもあるのだが、ランドリー施設が書かれていなかったので、それは聞いてみないといけない。ここのアパートは明日も管理人室が開いているようなので、ネジャーティに電話して、もう一度いろいろ聞いてもらおう。



2002年06月14日(金) 飲み会

 今日はWMさんのお宅で飲み会が開かれることになった。先週偶然再会した湖の近くに住むMさんや、昨日に引き続きマンチェスターのKMさんもお誘いしていた。TCさんにはアパートにきてもらって、一緒に乗っていって、Mさんと待ち合わせてWMさんのお宅に伺った。Hさん、MHさん、KTさん、以前日本語のクラスを受けていたTさんがすでに着いていた。

 MさんをWMさんに紹介して少ししたらKMさんの車が来たので、外に出た。マンチェスターから電話をもらって、それからそんなに時間もたっていないのでびっくりした。KMさんは同じマンチェスターにいる、先週日本から来たばっかりのお2人の日本人女性と一緒だった。

 JさんもTさんも日本語が達者なので、ほとんど完全に日本の飲み会だ。Jさん、WMさん、Hさん、KTさんなどが焼いてくれたBBQや、持ち寄りの食べ物をおいしく頂いた。今日は飲もうと決めてきたのに、運転してきてるので、いつもの通りアルコールなしになった。

 梨奈もたくさん人がいるので喜んでいる。Kちゃん、Aちゃんが一緒に遊んでくれたりした。

 雨が降ったり止んだりしていたが、止んだときに外に出て、裏庭にいると、ところどころ光ってる。

 「ほたるだ〜!」

 森と草むらの境目に蛍が飛んでいる。暗いからあまりわからないが、とくに川があるというわけではない。近くの芝生の表面にも蛍が光っていた。

 蛍は普通、水がきれいなところにしかいないが、この辺でも蛍が見られる。Iさんのお宅の裏庭でも見たことがある。

 ペンシルベニアの田舎に7月に行ったときも、やはり蛍がいた。

 オハイオでも見られるかなあ? (期待薄)

 日本で蛍が自然に育っているところというのは、あまりないような気がする。


 あっというまに時間も過ぎて11時ぐらいまで長居しました。WMさん、Jさんありがとうございました。引越までお会いできる方もいますが、お会いできない方々、どうぞお元気で。しかし今の時代、どこにいてもメールでやり取りできるので、便利な世の中ですね。



2002年06月13日(木) 夜更かし

 引越の前だからか、深夜にあるサッカーの試合のせいか、どうも最近眠れない夜を送っている。そして、おなかの調子も悪い。母曰く「神経から来てるんやろう。それに寝てないからやろう。」ということだったが、ふだんストレスがあってもおなかには影響しないのに、引越という理由でおなかが痛くなるなんてへんなの、と思ってしまう。

 今日はマンチェスターのMさんと、近くの寮に住んでいるHさんをお呼びして、お茶をした。MさんはHMさんが日本に帰るときに会ったのが2回目で、今回は3回目だ。Mさん「Hさんって明るくて楽しい方ですよね」。そうなんです。Hさんと話すととても花が咲くのです。

 天気がよかったらポーツマスでも、と思っていたが、最近は天気がぐずついていて、すぐ天気が悪くなったり、そうかと思うと晴れ間が差したりと、とてもお天気屋だ。

 それでも夕方ちょっと日が差して、梨奈が外に出たがっているので、アパートの周りを歩いた。Mさん、今日は2時間しか寝てないところを来てくれてありがとう。明日の飲み会にもお誘いした。Mさんと別れた後、Hさんの寮でのBBQに行った。今回はBring Your Own Foodで、自分で用意するものだったらしく、Hさんのチキンをいただいた。

 久しぶりに外に出たので、梨奈が夜、寝てくれたと思ったら起きだした。

 今日はサッカーの日本戦があって、2つ目のゴールを見て、梨奈を寝かしつけて試合が勝ったことを知った。今度はトルコとだあ〜!!! 複雑な心境だが、これは2人で見て、お互いの国を応援することになるだろう。トルコは親日家が多いし、その日本とするのってどう思ってるのかわからないが、これは試合。仕方がない。せめてあとくされのないように、、、。

 



2002年06月11日(火) ニューハンプシャーの夏

 今日は昼ぐらいに暑くなったが、20度をちょっと超えたぐらいで、典型的なニューイングランドの夏だ。

 買い物に行く途中、マクドナルドに寄って、ハッピーミールを注文した。ハッピーミールには、今はプーのキャラクターがついてくる。この前はティガーだったが、今回はピッグ(名前を知らない、、)がついていた。

 梨奈が食べ終わって外に出ると、涼しくなって、ちょっと曇ってきた。買い物して、外に出ると雲行きが怪しい。帰ってきて、荷物を中に入れると雨がざーっと降ってきた。やはり私は晴れ女や。

 雨が止むと気温が下がって、15度ぐらいになった。最近車に木の花粉がついていたのが流れたが、木からも雨に流されて、水溜りが黄緑になっている。

 夕食後、梨奈もネジャーティも寝てるので、一人だけの時間を過ごしている。

 ここの涼しい湿気のない夏も今月で終わり。シンシナティーはここより暑いようだ。HPの表紙にニューハンプシャーとシンシナティーの気温を出しているが、気温が違うねんなあと思ってしまう。それに内陸だから、やはり湿気があるらしい。

 そうすると、やはりクーラーとプールがあるところがいいなあ。
 



2002年06月09日(日) アパート探し3

 アパート探しでオハイオ側に住むか、ケンタッキー側に住むかといろいろ思案していたが、オハイオ側にした方がいいようだ。

 ネジャーティが今度行く研究室の秘書に、以前検索して出たアパートに関して意見を聞いていた。その続きがあったのが知らなくて、ケンタッキー側のどこかで向こう6年続くと見られてる工事が半年以内に始まるらしく、そうすると交通状態が悪くなるから、ケンタッキー側は勧めないというものだった。それから、ケンタッキー側からバスでシンシナティーのダウンタウンに入っても、大学はダウンタウンよりさらに北にあるようで、またバスに乗らないといけないらしい。車をもう1台持って通うということも考えたが、ケンタッキー側はあきらめて、オハイオ側にとどまったほうがよさそうだ。

 ケンタッキーにもいいアパートはあったのになあ。

 それでもオハイオ側にもいいなあと思うアパートもあるので、明日はインターネットで連絡を取ることにした。



2002年06月08日(土) 夜型

 このところ、夜型人間になっている。

 引越まで3週間を切って、なんとなくそわそわするのか、ワールドカップの放送が深夜、明け方にあるからか(見てないのに)、昨日も目がさえてしまい、今日は朝まで起きてしまった。

 その後寝て、昼に起きて、ご飯を仕掛けてからモールに行った。モールではネジャーティがめがねを作ってもらおうと眼鏡屋に行った。作ってもらっている間に、Chicken Teriyakiコンボを1つを3人で分け合って、シアーズに向かった。

 途中、梨奈がディズニーストアーに寄り道して、ちょっと離れなかったので、ネジャーティが「いつもどうやってお店から離れさせるの?」と聞いてきた。今日はあまり長居しなかったが、本人が満足するまで長居してるので、やっとわかってくれたかぁ、、、と思った。

 ネジャーティは、私が梨奈を連れてモールに行くのは楽珍なことだと思っているらしい。しかしそうじゃなくて、気の向くままぱーっと梨奈がいってしまったりするので、なかなか大変だ。

 昨日もふと思ったのは、私は24時間営業のコンビニだ。お店を閉めることができない。お客の要望があれば、すぐに応えなければいけない。その一方で、お店もやっていかないといけない。決まった時間に休むことができない。きっとお客もいなくて雑誌を読んでるかもしれないが、いつお客がくるかもしれないので、気は休まらない。寝る時間は与えられるが、やはり起きないといけない。ネジャーティが考えているほど楽なものでもない。それでも、私に限らず、お母さん方はそれをやってのけるのだから、すばらしい。

 ディズニーストアーをすぐに出てシアーズに向かった。シアーズでは家庭用の電化製品を売ってるが、アメリカの家庭では電気コンロが一般的と思っていたが、ガスコンロもたくさん置いてある。やはりガスのほうが光熱費がかからないのだろう。でもそうすると、オーブンもガスになるのかなあ? ガスくさくないかなあ?

 洗濯機もあったが、いずれにしても言えるのはパターンが少ないことだ。ガス、電気のコンロもそうだが、色はほとんどが白。日本でははっきりした白よりも淡い色の方が好まれる。機能はもちろん日本のものの方が上である。心配りされたいろんな機能がついていてほしいと思ってしまう。
 アメリカの単純な電気製品にはやはり物足りなさを感じる。いかさんをここに連れてきたかなあ(見てなかったら、シンシナティーで見てね)?

 ネジャーティ曰く、「日本では見るものがとても新鮮だ」そうだ。日本人にとっては当たり前のものでも、やはり他の国の人からは目新しいのかも。

 眼鏡が出来上がる時間だ。眼鏡を取りに行って早速かけてみた。

 アパートに戻って夕食を取った後、ネジャーティがコンピューターに向かい、

 「あれ? 画面が小さく見える」

 眼鏡をかけると、はっきり見えるが、全体が小さく見えてるらしい。

 「そういえば、梨奈をあそばせてるときも、梨奈が小さく見えた。」

 夕食ができるまで、ネジャーティが梨奈と遊んでくれていたが、どうやらそのときにも不思議に思ったらしい。

 結局、もとの眼鏡をかけて、明日もう一度眼鏡屋に行くことにした。



2002年06月07日(金) 偶然の再会

 今日はモールとウォールマートに出かけた。モールではあまり時間を費やさず、ウォールマートに出かけた。

 最近は、梨奈がおもちゃ売り場にある三輪車でよく遊んでいて、梨奈用の浮き輪でも選ぼうかと品定めをしていると、ある女性が「お久しぶりです」と近づいてきた。

 ニューハンプシャーのWinnipesaukee(どうしても覚えられへん)という大きい湖の傍に住んでいる日本人のMさんだった。Mさんと前回お会いしたのは2年前で、梨奈が生まれて3ヶ月に、遊びに来ていただいた。それから連絡しそびれていたので気になっていた。

 オハイオに引っ越すことになったので、お会いできてよかったです、と言って、近況など話した。Mさんはポーツマスのスーパー裏にある保険会社で働いているようで、湖からここまで毎日きているらしい。車で高速を通ると1時間ぐらいで来れるし、金曜日は仕事が終わったら、自分の時間に使っているらしい。ご主人はおうちでコンピューターの仕事をされているので、差し支えないようだ。

 そや、今日は金曜日やぁ。なんてタイミングよく会えたんやろう。

 Mさんは宝塚市の出身で、駅も、私が小学校から高校時代に住んでいたところの隣の駅だ。そんなわけで、地元の話ができる。また、Mさんは私より若干年上なので、敬語だが、言葉の語尾は関西弁でいいし、イントネーションも関西弁でいいので、気楽にしゃべられる。

 ちなみに年上、目上に対して、関西弁では言葉の語尾に「〜はる」をつけるだけで敬語になる。「ポーツマスまで来てはるんですか?」とか、「お子さんはもう中学生にならはるんですね。」とか、「今年は日本に帰らはりますか?」とか、とても便利である。

 ちょっと横道にそれるが、関西弁でしゃべると私の素の部分が出る。ここではほとんど関西弁でしゃべっていないので、自分の素の部分が出てないなあと思っている。というより、関西弁でしゃべられる環境にいたのは高校までなので、関西弁でしゃべる自分は、高校で止まっている。だから、関西弁でしゃべると、高校までの自分が出てしまうんじゃないかとどきどきする。この前、ここに遊びにきてくれたいかさんは私の地を知っている一人である。

 オハイオに行く前にもう一度会いましょう、と、念のために電話番号をもらった。
 



2002年06月06日(木) カフェ

 今日はかたいことを書こうと思ったが、書いていくうちにまとまらなくなって、下書きにとどまった。

 ところで、最近ネジャーティは日本時間で過ごしていることが多く、夜には普通のコーヒーを飲んで学校に行っている。たまに「お湯を沸かしといてね〜!」と電話が入る。

 そして最近、「コーヒーはやってますか?」と電話してきた。最初何のことだかわからなかったが、要するにコーヒーを飲みに帰りたいらしい。

 「やってなかったらBarnes&Nobleに行きます」

 「今の時間、Barnes&Noble閉まってるよ。24時間開いてるのはダンキンドーナツかマクドナルドや。とりあえず、ここは開いてます」

 このコーヒー屋の名前は「M's コーナー(Mのところには名前が入ります)」。コーヒーの種類は今のところ3種類。ホイップクリームをつけるときもある。家計が同じなので全然儲からない、、、。

 今あるコーヒーメーカーはだいぶ古いので、なんか新しいのがほしくなってきたと思う今日この頃。でも作っても人数がしれてるし、カフェインなしもインスタントを使っているので、あまり活躍しないかもしれない。

 引っ越したら心機一転で、新しい生活を送りたい、と切望している。



2002年06月05日(水) ピクニック

 今日はHさんの提案で町内にあるWagon Hill(ワゴンの丘)にピクニックに行った。Wagon Hillはポーツマスに行く途中にある丘で、名前の通り、丘の上にワゴンがずっと置かれている。

 天気があまりよくなかったが、そんなに寒いわけでもなく、とりあえず行ってみて、雨が降り出したら戻ろうということになった。

 Hさんのいる寮に行くと、すでにWMさん、TCさん、OCさんが来ていた。TCさんとは1年か1年半ぶりぐらい、OCさんも半年ぶりぐらいで、梨奈が大きくなっていたことに驚いていた。

 寮を出て丘の入口を入って車を置くと、Hさんがテーブルを見つけた。そこは普段見ない光景が広がっていた。新緑がきれいな季節、あたり一面広がるひざの丈ぐらいある草むら、森、そして向こうのほうに入り江が見える。いつもワゴンがある丘しか見ていなかったので、こんなところがあるとは思わなかった(またしても、いかさんごめん)。

 そのテーブルで、普段食べられないからとHさんが作った豚肉の煮込みや、おにぎり、握り寿司、WMさんの魚肉ソーセージ入りコロッケ、TCやOCさんの生春巻き、お寿司など、おいしくいただいた。そのうちポーツマスに住むNさんも男の子2人連れていらして、上の男の子と梨奈は早速一緒に遊び始めた。

 私たちが座っているところは行き止まりじゃなくて、そこからずっと歩けるようになっていた。Hさんも梨奈を連れてずっと歩いてくれた。Hさんが見えなくなったので、どこまで行ったんだろうと思いながら、戻ってきたHさんに聞いてみると、まだまだ先はずっとあるらしい。限りがないので、戻ってきたそうだ。

 草むらの一部が紫になっていて、歩いてみると、あやめか菖蒲が咲いていた。

 来たときは涼しかったが、そのうち気温も上がり、日が差してきた。かんかんに照っていたわけじゃないから、ちょうどよかったかもしれない。

 話題はいろいろで、まじめな話まで及んだが、とても楽しかった。あっという間に時間も過ぎて、3時半でお開きとなった。駐車場に戻ると、例のごとく、梨奈が車の中で遊び始めたが、駐車場をよく見ると、ふきが自然に生えていた。持ってかえって料理するかなあ?なんて一瞬考えてしまった(でも採ってないですよ)。

 来週末、WMさんのおうちで飲み会をしようということになった。今日は皆さん楽しかったです。また来週楽しみにしています。 



2002年06月04日(火) アパート探し2

 インターネットでもアパートを探しているが、「Apartment Rental Guide(アパートレンタルガイド)」のシンシナティー近郊、ケンタッキー北部編の無料冊子が今日届いて、そこからも探し始めた。

 「送ってきた住所を見てみて」とネジャーティが言うので見てみると、フロリダのタラハシーだ。そういえば、今までもタラハシーに会社があるんだなあと見ていたことを思い出した。住所のストリート名を見ればどこだかわかるが、そんなところにあるんだあと懐かしく思った。

 さて、約1センチの厚さのガイドにはインターネットで見た以外のアパートも載っていた。たくさんあるアパートから絞る条件は3ベッドルーム。そうすると、だいぶ絞られる。さらに家賃を見ていって、いいなあと思うアパートのページの角を折っていった。アパートによっては所得の上限が設けられているところもあって、低所得者用だろうとネジャーティ。

 絞った後に、これはと思うアパートのバスラインを調べた。バスが通っている、というのもアパートの特徴に書いてあるが、それはかなり重要。

 オハイオ側に住むか、川をはさんだケンタッキー側に住むか、、。ケンタッキー側もバスラインが発達している。問題はケンタッキー側にシンシナティーの空港があるので、騒音がどれぐらいかだ。

 以前、伊丹の空港から車で15分のところに住んでいたことがある。関空が開港するまで国際線も飛んでいたし、空港としては大きかった。空港周辺は窓ガラスが二重になっているが、実家の周辺はそうじゃなかった。学校近くには航空灯があったし、風向きによっては、家の真上を低く飛び、テレビの音が聞こえないぐらいだった。覚えているのは小学校の校庭にいたら、運動場に飛行機の影が映ったことだ。

 そういえば、フロリダのタラハシーでも空港までは車で10分ほどだった。でも地方空港はたかが知れいている。空港があること自体、日常は気にならなかった。

 ケンタッキーのほうは実際に行ってみなければわからない。いずれにしても、いくつか選んだアパートを見て回るつもりだ。

 



2002年06月03日(月) サッカー

 トルコとブラジルの試合があって、アメリカ東部では午前4時55分から試合があった。

 このところ、昼夜逆転しているネジャーティは試合を観たらしい。トルコ人はサッカーがとても好きだが、ネジャーティはそれほどでもない。でもサッカーのルールのほとんどを知っている。

 最初リードしていて、前半戦で勝っていたのかわからないが、「勝った〜!」と大喜びしていた。しかし、私が起きた後で、「負けてた」と残念そうだった。

 今度はコスタリカ、中国と試合をする。

 日本の試合も朝4時55分からだが、朝早くおきて(それかずっと起きて)まで試合を観る元気はない。



2002年06月02日(日) 記憶力

 子供のときテレビのコマーシャルってすぐ覚えられるものだったけど、梨奈もいろんなコマーシャルを覚えている。ジュースのコマーシャルや、子供がガッツポーズするものや、結構知っている。

 子供時分にも、コマーシャルを覚える記憶力があるんやったら、勉強でそれを役立たせなさい、というようなことを言われたような気がするけど、勉強はまた違ったものを要求されるので、そううまくいかない。

 とかいう自分も、梨奈に、コマーシャルじゃなくて、もっと役に立つものを覚えてもらおうと、教育ママになりつつあるが、行き過ぎではなく、のびのびとさせながら、いろんなことを覚えてほしいと高望みしている。

 



2002年06月01日(土) 海のあるところ

 海のあるところで生まれ育った私にとって、海から遠く離れた内陸で生活できるかという不安がある。

 生まれたところは潮の香りがするぐらいで、歩いて十分行ける距離だった。その後引っ越したところも、がんばれば自転車で行けるところだった。

 今の実家は市内でも山側だが、家から大阪湾を望むことができて、湾をはさんだ関空あたりまで見える。

 大学の時に関西を出て、静岡の三島に行ったときは、三島自体は盆地で海がなくても、隣の沼津や伊豆半島に出れば、海が見えた。

 フロリダに行ったときは、忙しくてなかなか海にいけなかったが、それでも車を1時間半や、2時間走らせれば、メキシコ湾に広がるブルーとエメラルドグリーンと二色の海が広がっていた。

 今のニューハンプシャーはフロリダのときより海に近く、この町は入り江に面しているし、夏の天気がいい週末には10分ほど行けば入り江にヨットが浮かんでいる。

 広がる海を見ないと息が詰まりそうで、開放感をどこで感じればいいか困ってしまう。今度行くところはだいぶ内陸で、海のないところで住むというイメージが湧かない。やはり海辺で育った日本の友人も同じ考えだったが、山間で育った別の日本の友人は、山にいるほうが落ち着くらしい。やはり育った環境の影響は大きい。

 そういえば、フロリダの語学学校にいた、サウジアラビアの王子は、砂漠にいると落ち着くと言っていた。お国柄とはいえ、そういうもんなんかなあ。
 


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