…静かに左の鼻がつまってます(涙) 嗚呼。
シェーラのゲラやってま〜す。明日翌朝便で返す予定。 これから二月はじめにかけて、締め切り大小とりまぜて3つ連続〜 がんばれ自分〜
先週末、学生時代の友人のなつきさんが遊びに来て、少し気分が若返ったりしちゃったのですが、彼女から屋久杉の話をきいているうちに、新シェーラ最終巻の設定がじわじわとたちあがってきて… そうだ、最終巻は世界樹をかこう。天と地とをつなぐ木をかこうと思いました。
明日にはシェーラの初校ゲラが届くし、カウンセリングの日だしで、今日は早く寝る予定だったんですが… 例の妹惨殺事件の、両親の手記を読んで、なんていうかすごく、殺された娘さんがかわいそうだし、親に腹は立つしで、寝そこねてしまい…
なんていうか、どうか両親の人は、乱心のあまり、ついうっかり、あの文章を書いたのだと、あれが本意のすべてではないのだと、そういうことであってほしいと思いました。
なにも、若くして殺されてばらばらになった娘を、両親が死後、「死んでも当然のような娘でしたし」みたいに読める発言をしなくたって。 「妹殺しをした息子は優しいいい子で、悪くないんです。悪いのは妹なんです」みたいないい方をしなくたって。
私には人の子の親になった経験はないんですが、自分の子どもが家族でも他人でも犬でも猫でも、とにかくなにか命あるものを殺したら、手記なんてとても公表できないし、するとしても、まず、世間様に対する犯罪者の親としての立場を忘れずに発言すると思います。
…ああそうか。 自分がなんに対して一番腹が立っているのか、書いていてわかってきました。親がまるで被害者みたいな位置で発言しているのがイヤなんだろうな。
私が親なら、世間の誰が息子を擁護しても、誰よりも強く我が子の罪を責め、許しませんけれど。もちろん、自分も同時に、いやより強く責めながら。 そう思うのは、子どもを持たない私の理想論なんでしょうかねえ。
でもとにかく、どんな理由があろうとも、生きてるもの、それも自分より弱いものを殺してはいけません。それだけは、親として、いや人として許してはいけない、一線だと思います。 それを許したら、人間は人間でなくなってしまう。
☆どうもいまいち鼻風邪が治らないのは、そうか、部屋の掃除を本格的にしたからなのか、とか、今更ながら気づく^^; ほこりまみれになって、部屋に塵芥が散ってるからか〜
…うーんでも、この片づいた部屋の気持ちよさを思うと、手を止める気にもならず。仕事や仕事の準備の合間に、今日もぱたぱたやっています。
ものがすきで、ものが多く、仕事柄、ものが増えざるを得ない家なので、収納を美しくすることも心がけながら、それなりに捨てたり売ったりもして。
片付けながら、いろいろなことについて、思いをめぐらせたりもします。
実は(って前にも書いたかもですが)、お掃除に開眼したのは、風水(的な考え方)にちゃんと凝ってみようかな、みたいなノリから始まったのですが、それと続けているカウンセリングでのお勉強が、微妙にリンクするから面白い。 自分という人間の精神状態やその輪郭、人生行路、について、自分の手でコントロールしてゆくことのためのレッスンというかなんというか。 そのへんの話は、またいつか濃く深く^^
…風邪こじらせちゃったみたいで、熱はないんだけど、のどが痛いというか鼻がつまるというか、もー、な状態ですが^^;
二月の上京のスケジュールがほぼきまってきました。 これに間に合うように、お仕事のかたをつけていかなくてはなりません。シェーラの仕上げがまずあって、そして、ポプラの新しいシリーズの第一巻の第一稿を書いておいて、できればというかなんとか、うちあわせできる態勢にもっていっていないと〜
あとは、出版企画部のお仕事が本格的に始まる、のかな。
がんばろう。
十七日早朝、この日記を書いている今現在、朝の六時半になろうとしているところです。 家のことやら次の仕事の準備やら、いろいろしていたら、こんな時間になってしまった。もう朝です。 洗濯機をまわしつつ、甘酒などのみつつ、明日…じゃない今日の朝にいただく玄米をしこみつつ、キッチンテーブルでモバイル機にむかっています。
…ああ、爪がはげてしまったので、マニキュア塗ってかわかしつつ、ということにもなりますか。
今日は私の誕生日なのですが、めでたく四十代のぞろめの年になりました。 で、いままでの自分の人生をふりかえってみて、「自分でできること」「すべきこと」に関しては、自分でよくやったな、がんばってきたな、と、認めてあげてもいいかな、と思いました。 子ども時代とか、学生時代の途中までとか、自分一人の力では運命を切り開けなかったときのことはしかたがないにしても、とりあえず、成長してからは、自分の人生に満足していますし、肯定してもいいかなと。 そりゃ、いろいろ失敗したこともありますが、その失敗込みで、いまの私ができあがっているわけですから。 多少でこぼこしていても、いびつなところがあっても、私は私の人生をがんばってきてよかったと思います。 で、これからも、前向きに、上の方をみながら、歩いていこうと思います。
ただ、なるべくなら、少しは、ゆとりや余裕を持って、生きていけたらなあとは思います。
…思います、と書きつつも、結局はできないと思いますけどね。 一作でも多く、この世界に物語を書き残したいと思うし、ひとりでも多くのひととであって、いろんな物事を少しでも知りたいと思います。 それには、ゆったりしていたら、時間が足りない。
生きていま地上にあるということは、貴重なことだといつも思います。 生まれてきたこと、それがいまの時代であったこと、遺伝的に、作家になれるだけの素質を持ってうまれてこられたこと、それをありがたいと思います。 また、作家になれたこと、たくさんの方々のお力添えと出会いによって、今日まで、お仕事につねに恵まれたことに、感謝します。 私の本を、好きでいてくださる、みなさまにも。 みまわせば、たくさんの「ありがたいこと」「幸せ」ばかりなので、ここでがんばらないと、罰が当たるような、そんな気がしてしまって。 「もったいないお化けが出るぞ」って、昔のあのコマーシャルのように。
いちにちいちにち、生きていられて、好きなお仕事ができて、屋根の下で暮らせて、迫害もされず、食べるものにも困らない。 そんな幸福が日常であることに、感謝しつつ、いちにちいちにちを、大事に生きていこうと思います。
小走りに、たまに脇道にそれつつ、景色なんかにも目を配りつつ、人生を旅していこうと思っています。
とりあえず、今年もいっぱい仕事をしますよ。
写真は、我が家の神棚(と密かに呼んでいるところ)。 神様は、むかーしに、長崎市内の小道具やさんで買った、きつねの土笛さんです。あとは周りに石に猫に人形。御札。 御札は古いので、もうとりかえないといけないのですが。 たまに手を合わせて拝んでみたりしています。 おきつねさんのまわりは、いつもほっこりとあたたかいです。
☆明け方に、めでたくゲラもどきさんも終了。 本の字組で、二十頁ぶんめでたく削って、全体的な見直しもして、気持ちよく眠りにつきました。
寝る前に、ちょっと思ったのは、これが新宿のいつものホテルにいるときなら、朝になるのを待って、新宿駅近くの大きな郵便局にお散歩がてらいって、帰りに温泉に入りに行ってさっぱりするのになあ、なんてことでした。 (都庁近くにある温泉、浅田次郎の短編にもでてくる場所なんですが、一度いこうと思いつつ、なかなかいけないままですが、たぶん早朝もあいていますよね。あいてないかな?)
長崎市だと、町中の便利が良いところにすんでいても、さすがに四時五時はまだ街が寝静まっています。 郵便局は近所にありますが、早朝のお散歩には、まだ人気がなさ過ぎて、気乗りがしない感じで。 私はやっぱり、いつも誰かが動いている場所が良いなあ。
☆一眠りして、お昼頃、無事に、長崎中央郵便局から、翌朝便で、童心社さんに発送しました。がんばっていっておいで〜ってな感じで^^ 「死を歌う少年」また涙もろい人は要注意系かも…です。
もうシリーズも九巻なので、そろそろお話もしめに入らなきゃという自覚がありました。具体的には、メインキャラのサファイヤの成長を、ちゃんと書いておきたかった。 ので、今回の主役はサファイヤです。 あとは…絵としてきれいなシーン、きれいな小道具、に気をつけて書きました。…気をつけて、はちょっと違うな、そのへんを楽しんで書きました。
荒野に立つ黒水晶と雲母でできた屋敷。その館の主は、胸に歯車のまわる、白い髪の、死なない少年。 天井には、彼が作った太陽と月と星がまわる時計。 その下で、鍵盤楽器(チェンバロのイメージで描いたんですが、佐竹さんがどんな楽器にするかは謎です)に指を走らせ、うたう少年。 足下には、からくりの銀のユニコーン。フェニックス、そして舞う妖精たち。 ひとりきり時の流れに背を向けて生きる彼を訪ねる、金色の髪の少女。
担当氏が、原稿を一読後、「前の巻と対になるようなお話ですね」とおっしゃってましたが、そうなのだろうと思います。 「人として生きる」ということ、「幸せである」ということについて、描きました。
もっというと、旧シェーラの、シェーラの死と復活あたりの話とも、いろんな部分で対になっているお話なので、台詞やモチーフその他、大きなお友だちの読者のみなさまは、読んでいて、「ああ」と思われるかもしれません^^
☆今回、昔に読んだ、アイルランド(だったかな?)の英雄譚あたりが、ちょいとベースになっているようです。永遠に生きていられるけれど、馬から地に下りたら死ぬさだめにある英雄のお話。 あとは、描きながら脳裏に浮かんだのは、「沖の少女」とか、「ジェニーの肖像」とかかなあ。そんなふうなイメージの話です。 ある意味、今回は、正統派な、幻想文学風味のお話かもしれません。 自由国民社の「世界のオカルト文学幻想文学・総解説」あたりにあらすじがのってそうな感じの、というと、本好きな方にはおわかりかと^^
意外なところで、アメックスの会員誌「IMPRESSION GOLD」の時計特集の、きれいな時計の写真の数々なんかも、イメージを広げるためのきっかけになりました。 …一個三百万四百万の腕時計なんてかえるかー(笑)とか思いながら読んでいた記事でしたが。でもいつか、ボヴェの時計はほしいなあ。こういう綺麗な時計を、自分で無理なく買って、大事に使えたらいいな、という気がしました。 ひとつだけ、高級な時計を持っていて、普段使いで気負いなく使えたら、人生の旅のみちづれのような気持ちでいつもつけていられたら、素敵でしょうね。長く使って、あちこち疵ができても、その疵をいとおしむような気持ちで。
☆郵便局からの帰り、海沿いの複合商業施設により、お人形さんをひとり連れ帰ってきました。…この子はかわない予定だったのに^^; ヘスティアのりぼんさんの方です。 りぼんさんについては、詳しいことはまた今度に。 下の写真は、その子ではなく…
momokoの「しらゆき」さんです。 デザイン画の段階で一目惚れして、買おうか買うまいか迷って、一度やめていたはずが…一年後くらいになるのかな、こないだアマゾンで安売りになっていたので、ついにお迎えしてしまいました。 かっこかわいいので、よし、とします^^;
死をうたう少年の仕上げをしています。たまにキッチンに熱い紅茶をのみにいきつつ。今日のは以前ルピシアで、なにかのおまけにもらった小袋で、袋に番号しかかいてなかったから、私にはなんというお茶なのか不明。でも香り高い、いいお茶です。 香りといえば、今夜つけているのは、ディオールのforever&ever いい香り。
音楽は、今回のお話をかいているときは、久嶋美さちの「世界はほほえみを待っている」をよくきいています。この曲、詩も曲もアレンジもみんな好き。 ほとんどメディアプレイヤーとかしているソフトバンクの端末が大活躍(笑)。 やっぱりブルートゥースのヘッドホンほしいなあ。 しかし久嶋美さちの声はいいです。
あと今回のBGMは、TRF版のマ〜イレボリューション♪とか、YUKIのドラマチックとかですね。毎度葉加瀬太郎のANAのテーマも。あれきくと、無闇に飛行機にのりたくなるんですが(笑)
しかし原稿を読み返していると、これが自分のどこからでてきたものか、ほんと不思議です。 たしかに私がかいたはずなんだけど、元から勝手にできあがっている気がする。…いい話だなあ。
いかんいかん。自画自賛だ(笑)
さ。お茶のおかわりつぎにいきましょ。
☆めでたくお仕事一段落。 週末にゲラもどきさんがやってくるまでは、ちょっとお休み気分の村山です。 また数日、朝までお仕事状態だったので、消息不明な感じですみませんでした。 いきてます、元気です、はい。
☆ちなみに執筆中だったのは、春に刊行予定の「新シェーラひめのぼうけん9死を歌う少年」だったわけですが… もともと考えていた少年の設定(数年前の、新シェーラスタート前の)と百八十度ちがうひとになってしまって、でもまあこういうのもありかな、とたのしんでいます。 年末に東京で、「古めかしい長い衣をきて、荒野でキーボードをひいている、白い髪の少年」の情景が、ふわっと脳裏に浮かび、この子ってなんだろう、と考えたところから、ぱたぱたぱたっと、できあがってきた新設定とエピソード。 それで書き上げた物語だったわけですが、パズルがきれいに完成するように組み上がってきたというか、収まってきた感じです。 これはこうなるべきキャラクターだったんだなあ。 物語というものは、潜在意識が二人羽織して執筆していくものなのか。はたまた人類全体の、共通の意識の井戸の中から、物語のかけらをくみ上げてきて、脳がかいているものなのか。 いやまったく、不思議なものです。
☆ところで、今回作品かきあげる間際の夜にやって楽しかったのが、「ひとりドリンクバー」(笑)。 コーヒー紅茶をあらかじめ、ポットやサーバーにたっぷり用意しておいて、保温機で、暖めておくわけです。お菓子も少々用意しておく。 で、たまに、真夜中のキッチンで、ひとりで楽しむ、と。 …いやそれだけのことなんですけどね(笑)。
部屋でずっとマグカップのお茶を飲んでいるよりも、たまに席を立つのが息抜きになるし、熱い飲み物というのは、やはりよいもので。 今度は、本格的に、サンドイッチやケーキなんかも用意して、さらにたのしんでみようと思っています。
☆物語を書くというのは、もちろん生き甲斐である楽しいことなんですが、これを仕事にして、さらに、同時進行の締め切りがいくつもあるような状態がエンドレスで続いていると、たまに、気が滅入ったりもします。 特に、今回は、年末の東京シックという名の鬱が重なって、ハードでしたねえ。
でも、逃げるのもやめるのもいつでもできるので、がんばれる限りは、やらなくちゃな、と思いました。 ていうか、逃げるということは、いままで十数年、こつこつ積み重ねてきた、信頼や友情や、そういうものを、捨ててしまうということになるので、人としてそれはなあ、と。 ふみとどまれるうちは、がんばってみようと思います。
真夜中に、ひとりでドリンクバーしたり、人形やねことあそんだりして、たまによりみちしながら。
それにしても、明け方に食べた、ユーハイムのバウムクーヘンは、おいしかったなあ…。
☆ところで、原稿のできの方は、担当編集者H氏いわく、「おもしろかったです。すごいですね。最近、なんかおりてきてるって感じですね」だそうですので… 読者の皆様、春をお楽しみに。
八日早朝です。つぶやき日記。
ねないですめば、もう少し書けるんだけどな。
なんていうか、飛行機でいうなら、巡航速度にのった感じ。ただ、やっぱり体力が落ちてるので、ずっと書き続けているのは無理ですね。 結果、原稿が進む速度自体は、トータルで遅くなる。
でももう脳で考えずに書いてられる状態になってはいる。
どうしよう? ここで一度寝るか、それとももう少しがんばって起きているか。寝ると起きるのが辛くなるんだよな。
むー。
窓の外、夜景が綺麗だ。
☆お仕事に集中するので、ネットからすがたを消すかもしれません。 さがさないで…もとい、心配しないでください^^
面白い作品を書いています。
☆モバイル機が、やっとこさ、ジャストシステムな環境(笑)になったので、楽になりました。 ああやっぱり、一太郎でATOKですよ、日本語は。 かろやか〜v
☆<香水日記>ニナ・リッチのレベルドリッチの2でしたっけ。焼き林檎の香り。レモンをかけたアップルパイみたいな。 今時の季節にあう、甘いかわいい香りなんですが…おなかがすきます^^;
七日の朝四時記すの日記でした。
漱石風に、「こんな夢を見た」、とかいって(笑)。 二日の朝の夢です。
なんか大きな家にひっこしてくるんですよ。中古の家で、借家なんだけど、前の持ち主のものとか丸ごとうけついでよいらしく、アンティークな小物とか譲ってもらえちゃって、わあいラッキー♪ それはいいんだけど受け継いだものの中には、飢えて死にかけた子猫×1とかもいて、前の飼い主に怒りながら蘇生させたりして。
窓の外には、大きな美術館とプラネタリウムと音楽堂。 窓側が国道の近くに面していて、玄関や庭は路地に接していて、前の家の住人のお友達たちが(家主であるらしい、骨董趣味の私と同年齢の女性や、ガールフレンドをつれた十代の少年)訪ねてきたりしました。 夢の中での脳内知識によると(笑)、そこは交通の便がいいところらしく、東京にいくときも楽だなあとか思ってた。 「さあがんばって仕事をしよう」というところでめざめたので、むちゃくちゃやる気になった二日の朝でしたね。 あの目覚めの良さが、今年の運勢を表していそうで^^
しかしやたら住環境のいい家だったなあ(笑) 子猫かわいかったし。
☆リアルではなかなか引っ越せないので、しかし家だとなかなか仕事にならないので、この週末あたりから、また市内でホテル暮らしをするかなあと思う今日この頃。 こういうとき、観光地に住んでいると、近所にいくつもホテルがあって楽^^ どこにいこうかな。 連休のホテルは、にぎわっていて好き^^
☆それと今年の抱負。 「自分に無理をしない」 「他人の意志を尊重しすぎない」<「尊重しない」とは意味がちがいます。
私は、どうも「誰かの意志」や「誰かののぞみ」を尊重しすぎてしまう傾向があって、それで自分の辛さを我慢して、かわりにじんましんや過呼吸、というくり返しを続けてきていました。 「我慢すること」が美徳だと思っていた。 でも、それは実は、美徳でも何でもなく、客観的にいうと、「自分の人生を無駄にしているもったいない生き方」にもつながっているんですよね。 これはいけないと思った。 じんましんがでる前に、もっと体の声を聞き、自分の「楽」を追求しようと。そうすることは、罪でも悪いことでもないのだと。
友人知人誰かのためになにかをするときは、「無意識のうちに体が動いてしまう」ときや、「どう考えても、私が、いま、そうしなくては」とおもうときだけ、あるいは余裕があるときだけでいいや、と心に決めました。
仲良しの友人たちは、実際みんな、「あなたが辛いときに、そこまでこちらのことを考えなくても良いから。むしろそこまでされると、私たちが辛いんだよ」といってくれるのだし。 その友情の厚さを、私はこれからは信頼していていいんだと思いました。
☆また、「いらない人間関係は切ろう」とも思いました。 私は、性格にちょっと難ありな友人知人がいても、内心「この人のこういう言動はちょっとなあ」とか思っていても、「でも私を好きでいてくれる人なんだし、多少のことは目をつぶるかなあ」とあきらめて、よほどのことがない限り、カットアウトはしてこなかった。あってもフェイドアウト。
で、実際、「難あり」な人々は、人間関係が希薄で友だち少ない人が多いから、切り捨てたらかわいそう、とか、よけいな心配をしていたんですよね。 コミュニケーション関係の能力がない人は、なんだか不器用にかわいそうに思えて、なにかと手を貸したりしていた。
でも、これからは積極的に切る。 嫌いな友だちはいらない。
その人に他人と仲良くする能力がないのは、改善しようとしないその人が悪いわけで、私の責任ではない。その人が他人から嫌われるのは、その人が悪い。つまり、私が世話を焼いてあげる必要もないわけですよね。 私が好かれているという理由だけで、私がその人に親切にする必要はない。 だって、私はその人が好きじゃないから。
好きじゃない人には優しくしなくて良いんですよね。 そのことになかなか気づかなかった、というよりも、私には「友なきひとの友でありたい」という想いがあったので、おもいきることができなかった。 自分自身が、コミュニケーション能力が劣るタイプの友人知人にイヤな想いをさせられても、それでもまだ、その人の良いところを探して、つきあってあげようと思っていた。
でも、私も聖人ではないので、無理はやめようと思います。
☆私は私が心地よい人間関係を、のんびりまったりたのしもうと思います。 自分が、「この人は好きだなあ」と思えるひとたちだけとやりとりしたい。 それがたぶん、私が健康に生きるための唯一の選択なのでしょう。
小さなモバイル機工人舎SA1F00Aの設定を引き続きしているわけですが、なんだかんだでまだなじんでいるatokにかえていないので、ストレスと手間がかかるかかる。なれた環境って大事だということですね。 明日は無線lanの設定とテストをしてみようと思っています。
仕事はいつするかというと〜 ええと、設定がすべて終わってから?
ですね(笑)。
しかし、ファンレスのパソコンは、静かでいいなあ。 真夜中の作業向けです。 そんなこんなで日記を書いている今は、三日の午前もうすぐ三時なのでした。
2007年01月01日(月) |
あけましておめでとうございます |
今年もあけました。 みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
おかげさまで私も、気がつけば年を越してしまった、と驚く程度に、かろやかに年を越しました。
紅白歌合戦をみながら、おせちをいただいたあとのお皿を洗いながら、台所で新しく買ったモバイル機の設定をしていたのですが、「いつもどおり」の、自分が使いやすい環境にしようと思うと、時間を忘れるほどのめりこむものですし、たまにポインターが無反応になったりとかのトラブルがあると、スリルショックサスペンスですし(笑)、このへんがあきさせない物語作りのポイントか、なんて(笑)。
そんなこんなで、毎年感じる、切ないような感じもなく、除夜の鐘を聞いても荘厳だとも思わず、ただ、長崎港で船が鳴らす年越しの汽笛の音をききながらインストール、アップデート、終了、再起動、なんて流れを、延々と繰り返していたのでした。 でも、ほんと、この機械を使える状態にしておかないと、今年の仕事の計画は、最初からくるっちゃうもんねえ。
がんばる。 今夜(いやいまはもう四時。じきに五時。一月一日朝にもうなろうとしていますが)は最後にATOKまでいれてから、と思ったけど〜やはりこのあたりで機械も人間もやすみましょうか。 明日は朝から、いや今日は朝から、ジャストシステムのサイトへ初詣だー。 一太郎とATOKじゃないと、日本語がかけないよう。
☆今年も私はがんばります。 なにかたのしいことがあるといいけど、けっこう日々生きていくだけでおもしろいので、ほのぼの毎日が続いて、いい仕事ができればいいな。
友人知人読者のみなさま、みなさまに、たくさんのいいことがふりそそぐ、よい年になりますように!
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