☆進捗状況。ミラクル2書いてます。蝸牛のあゆみ。 これは「お話が書けない」んじゃなく、体力がもたないので進まない^^; 休みつつ、気分転換しつつ、とろとろ書いてます。
私の場合、前にもどこかで書きましたが、終わりまできっちり構成してから、すきまをうめるような書き方で仕上げていきます。つまり、パソコンの前に、一定時間座ってキーを叩いていれば、必ずいつかは、終わりにいきつくことになっている。崩壊することはないです。 が。そのかわりに、いまみたく持久力が落ちているときは、おわるまでの時間が見えて、辛いのですね。 なんていうのかな、小学生が朝、まだ一時間目で、放課後までまだこんなに時間があるよ、という、あの感じですか。
でもね。体はきついけど、お話書くのは楽しいのです。 疲れない機械の体がほしいとおもう今日この頃。機械の体があるのは、なんて星でしたっけ? 私はクレアのクリスタルの体でもいいけどなあ。あれもつかれなさそうでいい。特に夏は涼しげで。
☆クーラーをかけつつ、除湿器をかけつつ、ノートを冷やすための扇風機が手元(というか頭上?)で回る、という環境で書いています。 人間も暑さに弱いですが、これだけ冷やすのは、ノートのためです。 これは冷える。機械も冷えますが、人間がかなり冷えます。 朝寝るときには、体が凍えている(笑)ので、シャワー浴びてあったまってねるという、なんか体に悪い生活だなあとおもっていたら、いっしょにいた猫一号レニが、鼻水をたらしていたので、今日は、部屋の外に出しています。 さみしいのか、いまさっき、お風呂場の前の、たぶん洗濯機の前あたりで、遠吠えしてました^^; あとで様子を見に行かないと。
☆ミラクルがおわったら、福岡まで、「時をかける少女」をみにいくのだ、と、いまはそれが、鼻先のにんじんさんです。 この夏のアニメは、ときかけだけは押さえておこうとおもってます。
☆しかし、明日かあさってには、シェーラのゲラも到着するんですね。さてどうやりくりしましょうか。
☆蝶の話その2。というか、蛾の話、になるのかな。 昨夜、パソコンに向かっていたら、液晶画面にたわむれる、小さな蝶? いや蛾? が一匹。 シジミチョウをひとまわり小さくしたような、淡いブルーのきれいでかわいい虫で、色目は蝶っぽいんだけど、羽を伏せるようにしてとまるところをみると、蛾? と、ちょっと判断に迷う感じでした。
昨夜は、お風呂場のそばの窓を閉め忘れていたので、そこから入ってきたのだとおもいます。で、夜更けもおきている私の部屋に飛んできて、ひときわ明るいパソコンの画面にはりついた、と。 そのとき私は、お話に熱中していたので、「あ、『セロ弾きのゴーシュ』(アニメ版の)みたい」と、たのしく、ぼーっと思っただけだったのですが、はっと我に返って、そーっとそーっと、その蝶のようなたぶん蛾を、手に包み込み、ベランダから外に逃がしました。無事に、外に出せました。
私は本当は、蛾が苦手(たぶん、蛇の目蝶が苦手なのは、蛾を連想するから)なんですが、あのサイズなら…なんとか。 あれがオオミズアオとかスズメガとかアゲハモドキだったら、にがそうと努力しつつ、泣いていたかもしれません(涙)。
でもとにかく、昨夜は、小さな命をこの手で救えました。 日にちが続いたこともあって、なにか神様の贈り物のような気がしました。
…いやまあ単に、夏は虫が多い、というだけのことかもしれませんが^^;
☆まだとうぶん、ネット落ちする日が続くとおもいます。すみません。
☆あ、またレニが吠えた。
☆レニといえば。たまに除湿器のボタンを猫リセットされて困ります^^; 気がつくと、除湿器のうえに彼女が乗っていて、そして、部屋の湿度が上がっているのです。
昨日、玄関で、蝶が死んでいました。 薄い羽の色の、蛇の目蝶でした。 うちの玄関には、少し大きめの靴箱があって、その上に招き猫やら兎の人形、花などを飾っているスペースがあるのですが、そこに、おいていた郵便物の上に、ぽとりと落ちたようにして死んでいました。
羽にも体にも傷は見えなくて、羽を閉じ、手足をきっちりと組んで死んでいたので、事故や、なにかに襲われて死んだということではないと思います。 それにしても、なんでまたマンションの二階の閉ざされた玄関に、蝶が迷い込んで死んでいたのか。 どのみち、外に出たいだろうとおもって、私の部屋のベランダの、ゼラニウムやらなにやらが茂るあたりに、そっとのせてやりました。 目も触角も、胸のあたりのふわふわしたところも、細い足もかわいくて、どうにも切なかったです。
ただ、その蝶はなにしろ、蛇の目蝶。 私は、蝶は好きですが、この蛇の目蝶だけは、柄が正視できないほど苦手で、怖いので。 羽に目をあわせないようにして、お別れしたのでした。
けれどだけど、もし生きているときにあえたら、もしかして、うちのマンションに迷い込んで、外に出られなくて苦しんでいた蝶だったとしたら、助けてあげたかったです。
今日になって、ふと思い出したのが、このあいだ、都内にいるときのこと。 新宿の、とあるホテルの喫茶室で、ある朝に、童心社の担当氏とうちあわせしていたのですが、そのときのことです。 ふと彼が、「あ、蝶が」と、上の方を見上げていったのです。 視線を追って見上げると、吹き抜けになったような、高い場所に、茶色い影がちらりと見えて、蛇の目蝶だとおもいました。 あの高さでは、ホテルの人でないと助けられないし、いやホテルの人でも、どうやって助けるんだろう、と私はそのときは思って、そのまま、打ち合わせに戻りました。
私はその日がチェックアウトの日で、彼もそのあとすぐに、ほかの人との待ち合わせがありました。ふたりとも、忙しい日でした。 喫茶室を出て別れたあとで、私は、「あとで時間ができたら、ホテルの人に相談してみるかな」と思いました。そのホテルのそばにある別のホテルに連泊していたからです。本当にご近所のホテルだったから、いつでも時間があれば、足を伸ばせるはずのところでした。 助けられるものかどうかわからないけれど、相談はしてみよう、と思って。
私は、外のいろんな場所で、閉じこめられている小さな生き物にたまに遭遇します。そういうとき、自力で助けられれば助けるし、その場にいる、お店の人やなにかの力が借りられれば、助けを乞うこともあります。コンビニその他、お店の関係の方々は、そういうときは、積極的に助けてくださる方が多いし、お店の奥から不思議な七つ道具(高いところまで届く謎の棒とか)をだしてきてくれたりすることもあるので、それがまた楽しかったりもします。 逃がしたあとは、みていたほかの人も含めて、笑顔になれますし。
ホテルの場合も、ホテルのかたたちに相談したら、できるだけのことはしてくれるだろうと思いました。 そもそも相手は一流のシティホテル。自分のホテルの宿泊客からの願いでなくても、きっと耳を傾けてくれるとおもいました。
そう思って、思ったことで、安心して。 結果的に、気がつくと、私はそのまま、蝶のことを忘れて長崎に帰ってきてしまったのです。
あの蝶は、どうなったでしょう。 ホテルの方が逃がしてくださったと、そう思ってはいますけれど、蝶のことを忘れていたと思いだしたときの、心を灼くような焦りと痛みは、いまもずっと残っています。空港行きのリムジンバスの中で、思い出したのでした。
そのときも、いまも思うのは、もしあの蝶が蛇の目蝶じゃなくて、もっと「私好みの」かわいいきれいな蝶だったら、私はあの蝶のことを、もっと大事に心配していたのではないだろうか、ということです。 あれがアゲハや、ルリタテハかなにか、きれいな蝶だったら、私は、担当氏には、少しの間ごめんなさいをしてでも、喫茶店のいすを立ち上がって、蝶を助けにいっていたのではないかということです。 もしそうしていたら、彼もいきものが好きな優しい人なので、いっしょに助けようとしてくれて、結果、蝶はその場で外に逃げられたかもしれません。 ひょっとしたら彼だって、私に遠慮して、蝶を助けたいといえなかったのかもしれないのですし。
羽の模様が苦手だから、怖いからというだけの理由で、私はあの蝶を見殺しにしてしまったのかもしれない……。
そんなことを思っていたので、思い出したので。 ふと、もしかして、玄関で死んでいた蝶が、なにかしら次元を越えて飛んできた、あの時の蝶だったとしたら… せめて今度は外に出してあげられて、よかったと思いました。
<追記>しかしいま自分につっこみを入れたいのは、空港からでも、ホテルに電話すればよかったのじゃないか、ということです…。そのときは、おもいつかなかったなあ。 現在、日曜日のもうじき朝。「ミラクル2」のつづきを書いています。というより、イントロを書き直しています。 締め切りに間に合うのでしょうか。いや、間に合わせて見せなくては(涙)。 でも、書いているということは、やはりたのしいです。
あ、かえるさんからたずねられたので、その後の<じんましん日記>(笑)。 おととい、たぶん酷暑がきっかけで、右のお尻(笑)に出ました。でもそれくらいで、今回は広がらないのでよかったです。ご心配いただいたみなさま、ありがとうございます。たぶん、もうしばらくは落ち着くでしょう。 やはり、数日のホテルへの滞在が、よい休暇になったようです^^
☆連日、暑い九州長崎です。 暑さから逃げるためにホテルにこもったはずが、その数日は気温が下がっていたので(そして、チェックアウトとともに、気温がまた上昇…一気に梅雨明け)、ひじょーに損をしたような気分になっている私です。 今こそ、ホテルで涼んでいたかったなあ。
こちらは、今回の旅行のお伴。泊まっていたホテルのベッドの枕元で撮影。 恋月姫さんの写真集のおまけ?のお人形さんです。球体関節人形のレプリカで、手のひらサイズ。 オールヌードですが、ドレス作る時間がなかったので、とりあえず、リボンをまきつけてワンピース代わりにして着せています。 側に並んでいるのは、なんだっけ、おいしい水のおまけの、コマドリとコマクサ。
☆今日は、病院のカウンセリングの日でした。 私は暑さとともに、気分も落ち込む人間なので、今日は今までの通院の中でも、ベスト3くらいに入りそうな感じで、滅入った顔で先生とお話ししたとおもいます。…いやまあそれが、ある種患者らしいのかもですが^^;
今日アドバイスいただいた話を乱暴にまとめると、「それが相手にとっての愛情からくる行動であろうとなんであろうと、その相手は『勝手に』愛情を持っているだけなので、あなたが責任を取ったり気に病む必要はない」 「誰の『想い』にも、こたえなければいけないという必然はない」 「誰かから心配されても、それはその人が『勝手に』心配しているんだから、ほっときなさい」 ということでしょうか。
私は、いや私に限らず、多くのひとは誰でも、自分に「よい感情」が向けられれば、答えてあげたいものだろうとおもいます。 たぶん、「自分ができる範囲」で。 でも、私は、その「範囲」を自覚する、歯止めのリミッターが壊れている人間なので、相手に私に対する「愛情」や「善意」があれば、どこまでも応じなくては、とおもってしまうんですよね。 ましてや、相手が傷ついていたり泣いたりしていてすがられると、どうしようもなく、足を止めてなんとかしてあげたいと思ってしまう。 (甘えっ子は別ですが。自分の足で歩こうとしないひとには、最初から手を貸しません。嘘泣きをしてくるひとも放置するなあ)。
でもだけど。 そうやって抱え込んできた人間関係と、増えてゆく仕事の両立は、神ならぬ身には無理でした^^; 仕事にも影響大でしたが、どうしても手から取りこぼしてしまった、たくさんの友人知人のみなさんや、傷つけたあとフォローできないままになってしまったひとたちのことを、何回もおもいだすたびに、それがまた傷になって辛かったです。 かといって、今更いろいろと対処し直すだけの時間もなく。 そして、そのための時間を作れない自分のだめさや優しさのなさにまた落ち込んだり。
そんなこんなで、ここまで具合が悪くなっちゃったので、もう、あきらめて、一度、人間関係を整理するのもいいかな、なんておもって、この前の日記を書いたんですが…
「ごめんなさい」メールや、「よくぞいった」メールやがいっぱい^^; ご、ごめんなさい。こちらこそ、ごめんなさい^^; いやあのう。結局は、自分で自分を管理できなかった、私に落ち度があったわけなので、それで、ここにいたるまでゆきづまったわけなので。
まあ、結局は、私が悪い(と書くと先生に叱られるけど)のです。 ただ、本当に、一点、みなさまに甘えさせていただけるとするならば、この先、音信不通がさらに増えていくことを、お許しいただきたいと。 自分のことと、仕事のことに、時間をかけて専念したいので。 ごめんなさい。
掲示板へのレスも、おくれぎみになったりしますが、必ずみていますので(携帯に転送されてきますから^^)、忘れた頃に、じわーっと、レスがつくとおもいます。おまたせしちゃうかもですが、お楽しみに。
☆でもね。結局は行き詰まってしまった生き方だったとしても、私は私の性格が、嫌いではなかったです。むしろ、よくやったと、ほめてやりたい。 自分の容量をオーバーしていたから、無理が来たけれど、もう少し、精神力が強くて、もう少し、仕事が忙しくなかったら、いままでどおりの人生を進んでいきたかった。 まあやっぱり、人間が好きなんでしょうね。
とりあえず、先生からは、「自分で楽な気持ちで、『ひとのためになにかしたい』と思えるようになったら、そうすればいいんですよ。生き方を変えてしまう必要はないんですよ」と、いっていただいています。 そういえば、 「『自分中心に生きるようにする』といっても、もとがまじめな人だから、わがままにはならないはずです。そのへんは安心して良いですから」と、いっていただけたのは、ほっとしました。 正直、自分中心に生きようとすることで、とんでもない極悪人になったらどうしようかと不安だったので。
☆ちょっとだけ余談ですが。 心配になってきたので、書き添えておきます。 ま、私は心配性なので、杞憂なお節介かともおもいますが…。
私がカウンセリングできかされている言葉は、あくまでも、私に向けての担当医のアドバイスです。私と同じ、ACの傾向が強い人や、共感しすぎな人、共依存体質な人には、有効なアドバイスになるかもしれませんが、誰にでも、役に立つ言葉ではありません。
つまり、他人に共感しにくい体質の人、他人と共感するつもりのない人の場合は、私に向けられた言葉をそのままうのみにすると、ヤバいですよ^^; 「そうだよ、人と共感なんてしなくていいんだ」とか、「なんだって、村山さんは、そこまでひとの喜怒哀楽にひきずられるの? 私、ひとの感情なんて、どうでもいいよ」とか、「だいたい、自分と身内さえ、幸せなら良いんだよ」とか、安心していると… それはそれで、私とは別のタイプの心のゆがみですから、危ないです^^
人間は、誰かと共感し合い、響きあいながら生きてゆくもの。 知らない誰かの幸福を祈り、知らない人の不幸に涙するもの。
ただ、それをしすぎても心を病むし、それができないと、ひととして生きていくのがむずかしくなり、自分も周りも傷つけます。
☆携帯電話の機種変更をしました。FOMAなので、買い増しをしたわけですが。しみじみとかっこいいですよ、富士通の902iS。 シャンパンみたいな色の、ゴールドカラーにしました。 この前に使っていた、901iCからすると、ATOKのってたり、メールが打ちやすくなってたり、全体に早くなっていたりで、感動しました。なにか動作するごとに、筐体がきらきら光るのもかわいい。 「音楽ケータイ」であることを前面に出しているだけあって、ステレオのスピーカーの音が、携帯電話離れして、くっきりきれい。
お気に入りの機種になったわけですが。 …データの移し替えが面倒^^; 銀行の口座の管理も、バスの乗り降り(スマートカードですね)も、サイトの管理その他ネット周りも、携帯のアプリでやっていたので、アプリの入れ替えやったり、再登録したり。Edyの残金を携帯の間で受け渡したりとか。
そしてまだ、データリンクソフトで、住所録メモ帳スケジュールその他データを移し替えるという作業が待っている… ソフトをバージョンアップするところからはじめないと。
ああ…。
なんつーか、小さなパソコンの引っ越し作業をしているような感じです。 でも、携帯に助けられて毎日暮らしてるので、がんばる。 移行作業が終わったら、快適な環境が待っている…
とかいって、現実逃避しながら、調べ物をしていて、ぐうぜんみつけたブログが、とても心にしみて、読みふけってしまいました。
リンクをはりたいところなのですが、内容が、誰にでも大丈夫というものではなさそうなので、とりあえず、今夜、この日記では、やめておきます。死んだひとのなきがらをかたづけ、現場をきれいにするお仕事のひとの日記でした。有名なブログらしいので、ご存じの方がいらっしゃるかもしれませんね。
数日、長崎市内のシティホテルに滞在してました。 仕事する予定だったんですが、結局まいにちやすんでました。ていうかもう、気分を完全休養にきりかえて、積極的に静かにやすんでました。 実は人間関係もほぼおやすみにして、あれもこれもそれも放置状態でやすみました。いやもうなんか社会人失格ですが(笑)、たまたま頼られたりすがられたりあまえられたりが集中して、処理落ちしちゃいました、ごめんね〜
これいうと、あんまりな気もしますが… みなさんにはひとりにひとつのささやかな愚痴やたのみごとでも、窓口の私はひとりしかいないわけで。 すみません…。
窓の外は雨で、ひとりきり誰とも会話せず誰の世話も焼かず、仕事もしない時間を過ごすというのは久しぶりでした。 まあ部屋からでれば、それなりに、ホテルのひとやお店のひとたちとは、笑顔でたのしく会話したりする日々だったんですけどね。
ひとりでいることに癒されたというか… これが本来の私なんだなとおもいました。
いままで、誰かを案じたり心配したり、傷つけないように、と、それを最優先にして、毎日暮らして来ていたわけで。 時に毒を吐いたり、甘えを叱ったり、文句いったりすることがあっても、いつも周囲の誰彼に目を配り、気を使い、世話やらお節介をやいていた。
それがまだ肉親とか、近い範囲の人間関係だけならまだしも、私は誰にでも共感する、人間だいすきなひとですから、ちょっと歯止めがきいてなかったきらいがある。
で、客観的にいって、甘えた愚痴とかでも、相手してきいてあげたりして。 自分の方は、ストレスからくるじんましんで、服に血がにじむくらいかきむしりながら、黙ってなが〜い話につきあってあげていたりとか。 自分が過呼吸とか不眠に苦しんでても、相手の苦悩の方がよりつらいだろうからと、自分の状態ははなさなかったり。
なにかで心理的にぼろぼろなときに、相談メールとかくると、ひとりでひとしきり泣いて復活してから、元気にアドバイスしてあげたりしてたなあ。
こうかくと、自分けなげでえらいじゃん、と、あまりに善人すぎて、どこか笑いのつぼにくるくらいなんですが…
やっぱりこれ、無理しすぎというか、知人がこんなだったらとめるなあといまはおもえるので。
これからは素直に、自分のキャパがたりないときは、相手にそういうことにしようときめました。 そして、愚痴や甘えが度重なるひとたちとは距離を置き、もう誰のことも抱え込まないようにしようと決めました。
私は人間が好きだし、誰かと係わり合うことも好きだから、たぶん生き方そのものは、これまでとかわらないと思います。 お節介も、人の世話もやくでしょう。
ただ、いままで「愛する数多くの他者」の側に絶対的においていた軸を、自分が楽に呼吸できる、自分主体の生き方の方へと、気持ちかえていけないかなあと。
利己的にわがままになるかもしれませんが、それで離れていくひとたちがあれば、しかたないかなあと思っています。
もともと私は人間がすきなだけで、だから、いろんなひとに優しくしていたわけで。つまり、優しくすることで、友達がたくさんほしかったわけじゃない。愛や優しさの見返りがほしかったわけじゃない。つまり、まわりからひとが減ってもかまわない。
でいまも、こちらの優しさやら親切やら愛に、見返りは不要だなとおもっている自分がいます。 そしてそれがたぶん、私の本質というか、ねっこの部分であるらしい。
私はたぶん、雑踏のなかでひとり、いきかうひとびとの幸せや、そこにいない友人知人たちの幸福を願いながら、笑顔でいられる人間であるらしいです。 というかたぶん、その身軽さや距離感が、私の幸福なんだと思う。 遠回りして、やっとそれに気付きました。
無理せずに、楽に自由に。そんなふうにいきることで、遠ざかるひとびとがあれば、しかたないなあと、晴々と思っている自分がいます。 これからは、身軽に生きよう。 さあ、さっぱりしたところで、仕事がんばるぞ〜
なんて、真夜中の自己分析兼、自分語りなのでした。
☆今日の長崎は、少し、涼しいですね。 シェーラのゲラもどきも、無事に、童心社担当H氏にお返しして、いまは小休止しているところです。 じんましんはでなくなったけど、暑さにまけてだるい〜
今度のシェーラは、「ああ、これはナルダの認知療法の話だな」とか、つっこみいれながら書いてました。意識してこういう流れにしたわけじゃなかったんですが… 物語としての整合性を考えて書いていっていたら、こうなってしまった。 (ちなみに、「シェーラ」シリーズでありながら、おひめさまたちがでてこないという、きわめて変則的な巻であります^^)。
それにしても今回の話、シリーズスタート時に、「こんなエピソードいれたいね」と、担当氏と話していたことが、いくつか書けたので、楽しかったです。 伏線も、ほとんど消化しおわって、さて、という感じで、来年刊行の九巻十巻につづく新シェーラなのでした^^
新シェーラ9「伝説への旅」は、九月刊行予定です。おたのしみに^^
☆週末は、市内のどこかのホテルに、パソコンもって逃げ込もうと画策中。 八月初めに締め切りのばしていただいた「ミラクル」を集中して書きたいので。 部屋にあるクーラーが、いまいち冷えすぎるのと音が大きいので、使い勝手が悪くて。 あ、そうか。クーラー買い換えようかな…。 とおもいつつ、まだ立派に動いているものは捨てられないんだな^^;
しかし、この暑いのに、ほんっとーに、猫たちは暑くないんですね。 それなりに風通しが良いところにはいるんですが、でも、人間だったらいないような暑苦しいところに、ころころ寝転がってる。
☆メールその他おくれてます。すみません。
<追記>で、カウンセリングネタ少々。 七月十三日の日記に関連して。
たとえば、私が、過去の母の子育てについて、「まちがっていたんだな」と認識することは、現在の母を否定することにはならないわけです。 つまり、現在の母を責め、糾弾するために、カウンセリングに通っているわけではないです。
というのは、どういうことかというと… 私の中には、子どもの頃の自分(いわゆるインナーチャイルドですね)がいて、それが、子どもの頃の、未消化な感情にいまもとらわれているんです。が、簡単にいうと、その「不幸」は、自分のせいだとおもってないているし、自分を責めている。 それが、いまの私のじんましんやら頭痛につながっているわけですね(ものすごいショートカットな説明してますが^^;)。 また、心の中のこどもが泣くので、他人が泣いていると、共鳴してしまう。 過度にひとの世話を焼いてしまうこともある。
でもそれは、人としてあまり健全なことではない。 ので、インナーチャイルドに、「昔のあなたはまちがってなかったし、昔のあなたが辛かったのは、あなたのせいじゃないんだよ」と、教えてあげるためのカウンセリングを、いまの私は受けている、ということです^^
☆今日は、弟の誕生日でした。その数日前に誕生日だった、彼の奥方様とこみで、お誕生お食事会をしました。 「ええ、もうこんな年なのか」と、みんなでびっくり^^; 自分の弟はずうっと小さいままのような気がするし、その奥方様は、結婚したときのお嬢さまだったイメージがずっと残っているので。 年月って、ふしぎなものですね。 姪一年生も、どんどん背が伸びていくしなあ^^; お誕生日、おめでとうでした^^ >ローカルアナ氏&奥方様
☆金曜日は、今度のポケット文庫のルルーにはいる予定のちらしにのる、短い言葉を考えてだしました。ひゃくろくじゅうじ…。短くて難しかった^^;
それと、来年刊行の、新シェーラ九巻、十巻のタイトルとあらすじを考えて、だして。 九巻はサファイヤの話、十巻はシリーズ最終巻です。
☆で、土曜日の今日は、手元に来ているシェーラ新刊のげらもどき(火曜日必着締め切り)をしているのですが… 暑くて、だめだー。すすまないー。 なんだか今年のばて方は、特にひどい感じがします。 具合悪い〜
家の中の、クーラーがある部屋とそうでない部屋との温度差が、かなり「くる」というか。 夕べ暑くて寝付けなかったので、いま(土曜日夕方)は、寝不足でふらふらしてるし。 ああ、やっぱり、夏は鬼門だなあ。
そんなこんなで、なかなかネットに戻れないままでいます。 紅茶のみんな、応援してくれていて、ありがとう。 やすみやすみ、ちょっとずつ、はたらきますね。
☆続く猛暑の中、今日はカウンセリングの日でした。 あまりの暑さに具合が悪くなっていたので、やすもうかなあとおもわなくもなかったのですが、そういうのも病院に悪いしで… いってみたら、待合室で待っている間に、何件も、「予約の日を変えてください」らしい電話が^^;
みんな倒れそうな、そんな暑さでしたね、今日は。 全国的に暑いらしいですが…いつまで続くのかな、というか… あれ? 梅雨あけてましたっけ^^;? これから夏が来る、とか、さらに猛暑が、とかいったら、どうしたらいいんでしょうか。
☆今日は、待合室で涙を流している患者さんがいて、私はその人の悲しさに同調してしまって、かなり辛かったです。 ぜんぜん知らない人、今日も言葉すら交わさなかった人ですが、でも、感情が同調して、ほうっておけなくなってしまう。 自分の番が来たとき、先生に、「今日はもう私は良いですから、あの方をもう一度みてさしあげてください」とお願いしてしまった… (そして先生に、「いや、あなたも病気なんですから(笑)」と、諭される患者であるところのワタクシ<病人だとつい忘れがち)。
私は、一言でいうと、「親の育て方が悪かったせい」で、生来のセンシティブな素因もあったんでしょうけれど、いろいろ不安定な要素をもったおとなに成長してしまっています。 たとえば、今日みたいに、目の前で泣いているひとがいたりすると、比喩でなく、「自分も悲しい」のです。いたたまれない、です。
これは、小さい子どもや動物が、お母さんの感情に同調するのと同じ感覚です。つまり、子どもはそうやって、親から喜怒哀楽及び、その感情表現を学ぶのですね。動物だと、群れのなかで同調することも学ぶんだったかな。 普通の人間は、成長するにつれ手放す感覚らしいのですが、私は、「まだそれが残ってるんですねえ」(先生談)。
自分がそういう同調しやすい性格なのはわかっていたし、上記のことも知識としてはありましたけれど、その感覚も、自分を不幸にしている要素の一部だとは思わなかったです。うん。思っていなかった。 むしろ、作家としては、有利な「素質」だと思っていたし。
そしてまた、他人の喜怒哀楽に同調しやすいということは、いろんな立場の人に共感しやすい素地があるということで。「他者に共感できる人」を高評価したい私は、けっこう自分のそういうところが好きでもありました。
でもだけど。 他人の喜怒哀楽や、他人の幸不幸を最優先で考え「すぎる」のは、自分の感情や幸不幸あとまわし、ということにもつながりかねないわけなので。 まあやっぱり、改善していかなければいけないんでしょうね。
☆ところで、私が、病院で治療を受け続ける一番の「決めて」になったのは、希死念慮です。この希死念慮、というか、どこか人のいないところで静かに休みたい、という思いは、本当に子どもの頃から常にあるものでした。 ので、自分の中では、あまり問題視していなかった。 私の場合、この「死にたい」想いは、他者に対する攻撃由来のものではなく、つまり誰かに何かを訴えたいとか、そういうものでもなく、ただ、「里帰り」みたいな気持ちで、静かな世界に憧れていたので… 客観的に、「自分では」悪いと思っていなかったんですよね。
私にとって、「悪」とは、他人を傷つけるもののことで、自分を傷つけることは、悪の範疇に入っていなかったのです。 だから、「自分」が死に憧れることを、「まちがっている」とか「おかしい」と思う回路が、心になかった。
でも、じんましんがきっかけで心療内科にいったとき、ちょっとこの、「死にたい気持ち」が大きくなっていて、自分でやばいな、と思ったので、さりげに先生に話したら、通院することになってしまったという…。 眠れない、起きられない、という症状もありましたし。 いま現在は、うつの症状を投薬で抑えて、AC由来の生きづらさを、カウンセリングで矯正していっている、という感じでしょうか。
だけど。 「自分の幸せ最優先」「自分を大事にしましょう」と、先生に説得されても、どうしたらいいのやら、皆目わかりません^^; ただ、毎回、少しずつ、低い階段を上っていくように、「正解」への道のりができあがってくるので、それを楽しみにしていようと思います。
☆ローカルアナくん。 メール返事できなくて、ごめんよう^^; 今日はそういうわけで、ばたばたしていたのさ。 明日にでも、メールします。
☆楽天の紅茶やさんの、カリビアンなラム酒風味のお茶とか、アイスでいれて飲んでます。ひさしぶりにまったりの夜^^ お仕事せっぱつまってるときは、気持ちに余裕がないので、マグカップにティーバッグ入れて、そのまま冷めるに任せたのを飲み続ける、とか、アイスでもアイスコーヒーとか(こちらは氷を入れたまま放置になるので、水出しコーヒーならぬ、水増しコーヒーみたいなものになります^^;
あー。今朝六時に、やっと、原稿を送りました。 (書くのに、予想外に時間かかるなと思ったら、九十枚くらいで書き上がる予定が、百四十枚くらいまで増えていて、削るのにまた時間がかかったという…。ここ数日は、夜明けとともに寝てました…。ひさしぶりに短距離走な書き方をしてしまった。童心社H氏、お待たせしてしまって、本当に、すみませんでした…)。
☆今週は、この「ゲラもどき」が戻ってくるので、それをさらに削ってみがいて完成させて、あとは来月の文庫のルルー関係で、ポプラ社さんにお渡しする短い文章を書いて。それで終わりになる……かな。
☆長崎市も暑くなってきて、おとといだったかは、三十四度こえちゃって。もうたすけてくれ、な、シロクマなみに暑さに弱い私なのでした。
ちょこっとずつ、ネットに復帰します^^ もう夏休みだから、子ども対応に気を使わないといけないし^^;
☆引き続き、シェーラかいてます。あらすじを書いて提出したときは、さらりとすませていたこと(今までのお話の経緯とか)が、文章にするとどんどこふくらんでいくので、枚数が増える増える(涙)。 でも、いまは思いつくままに書いているので、あとでかなり削れそうです。
☆その昔、旧シェーラの時代の時には、二日半とか三日で一作分の原稿を仕上げていたものでした。 けっして手抜きをしていたというわけではなく、そのぶん寝ずに休まずに書けるだけの体力があったということですね。 今はさすがに、もうあれはできません^^; そして、新シリーズは、旧シリーズのキャラクターと設定も背負っているので、作家の側で旧作を参照しながら書かなくてはいけないという、けっこうな大変さが^^;
旧シリーズの設定をふりかえりつつ、新シリーズのキャラクターのお話にしなくてはいけないし、お話の大きな流れとしては、新旧まとめたラストに向かって上手に収束させていきたいし。 構成とものがたることに命かけてる作家としては、やりがいがあって楽しい仕事ではあるんですけどね。 でもやっぱり、旧作を書いていた頃と比べると、年取ったなあ^^; 前は睡眠三時間で目覚ましで起きられたけど、いまは起きたあとしばらくはぼーっとして使い物にならないので、睡眠時間削っている意味がない…。 もう今夜は早寝してしまおうかしら…。
☆まあ大変は大変なんですが、旧シリーズで「その後」についてふれられていなかった人々の、「お話のあと」の幸福や、彼らなりにだした結論を追ってゆき、読者のみなさまにお話しする、というのは、なんていうか……ほっとする仕事ではあります。今度こそ、彼らとさよならをするような。
旧シリーズからの読者の皆様も、どうか、同じ感慨を持って、「その後」の彼らとであってくださいますように。 執筆中の原稿の方は、もうまもなく、大商人ハッサンの描写をひさしぶりにするところにさしあたります^^ ハッサン大好き。人力飛行機もひさしぶりに描写します。 元大盗賊のハッサンも、いまはもう、白髪頭のおじいちゃんです^^
☆まだしばらくはネット落ちの日々が続きます。 しばらく無愛想ですみません^^; おでこにコンビニで買った、「ひやしま専科」を貼ってがんばってます。
☆新シェーラひめ8「伝説への旅」を、書いています。おとといラヴィがたちあがらなくなっちゃって、焦ったりしましたが、その後持ち直した…のかな? あと少しだ、がんばれ、ラヴィ。 …とかいってると、今日は猫一号レニに、キーボードのキーを二枚、いつのまにか、はがされていて、この忙しいのに、部屋中の床を探し回る羽目に^^; 結局、ライティングデスクのそばの、マガジンラックの中に入っていました。ちなみに、「へ」と「れ」のキーでした。
ここ数日の間に、このシェーラをかきあげなくてはいけないので、掲示板へのレスなどが遅れています。 もうしばらく、ごゆうよくださいまし。
>ミケさん、かもめ亭への書き込み、ありがとうございました^^
☆今夜は父の命日でした。家でお食事会などしました。平成七年に見送ったので、さすがに今年になると、もうみんな笑顔で、一年生の姪を中心に学校の話で盛り上がったり、ひょいとでてきた、弟の同じ年頃の時のテストや習字や絵でもりあがったり。 こうして、静かに、亡くなった人は、忘れられていくのでしょう。 でも、見下ろしている遺影は、幸せそうだった、と、弟が言っていました。
☆偕成社Bさんとの短いメールのやりとりによりますと、次の偕成社のサイトの更新で、「砂漠の歌姫」関係の情報がでるそうです。 偕成社の新しい軽装版のシリーズの、第一冊目の本となります。
☆八月のポプラポケット文庫の新刊で、風の丘のルルー4「魔女のルルーと風の少女」の刊行が、予定されています。謎の少女サラ登場の巻ですね。 私も懐かしいです^^
☆お手紙や、新刊など、いろいろ拝受しております。なかなか反応できなくて申し訳ございません。ありがとうございます。
|