☆で、病院に行ってきました。長崎駅前そばの脳神経外科。 母のMRIと血液検査の結果の方は、とてもいい感じで、先生曰く、「注意すべきことは何もありません。水気を多めにとって、あとは普通の暮らしに戻るようにしてください。ちょっと自分をかわいがりすぎてます」だそうで。
ほっとした気持ちで、打ち上げ気分で、駅ビルのお魚が美味しいお店で、ふたり、ゆったりと、お昼ご飯など食べて帰りました。
☆一方、ついでに首を診てもらう予定だった私の方は… 今日に限って、首がちくっとも痛くない ^^; この状態では、診察を受けても、どこが痛いかよく話せないし、MRIを撮影した場合、万が一、写りが悪かったりしたら、なんだかもったいないし、で。 今日は、診察は受けませんでした。 それに、今日は、雨の日だったせいか、病院がもんのすごーく混んでいて、その中に、「あの、今日は痛くないんですけど、首を診ていただきたくてv」なんて、割り込めたものでもなかったのでした。
母がもともと(駅前の病院に入院するより前に)検査を受けた、別の脳神経外科さんがあって、そちらにどのみち、お借りしたままになっている画像を返しに行かなくてはならないので、そのときに、私はそちらで、診察を受けようかな、と、考えています。
どのみち、病院にかかる決心はついたので、昨日、母の検査が延期になったのは、結果的には「よいきっかけ」になったのかもしれません。
☆今夜の夕食は、さっき駅ビルの西友で買った、ニジマスの塩焼き、の予定です。ニジマスなんて食べるの、ひさしぶりだ〜v グリルで、こんがり焼いて、おいしくいただくんだv あと、夕べおそくに作ったトマトの缶詰とコンソメのスープ♪ 熱いのをベビーリーフにさっとかけて食べるとおいしいのです。 さて。そろそろ作り始めますか。
2006年04月25日(火) |
同じ世界で違う世界で |
☆今日は母の検査がある予定の日で、それにつきあうつもりで時間を空けていたのですが、病院の機械の調子がよくなかったそうで、検査は中止に。 仕方がないこととはいえ、母も私も、予定が狂って、ちょっと気分がダウナー。 ああ、半日無駄になってしまった。 それどころか、明日また半日使うのか。…と腕組みして考えていたのですが、ちょうど首もまた少し痛いので、母の検査と結果を待つ間、自分の首の相談もしようかな、とか思いつきました。 良い機会だったかもしれず。
☆かもめ亭の狐百合さんの投稿を拝読していて、また数日後に、つづきのレスをしようかなあ、とかおもっているのですが。
まあ、生きる美学が違うひとっていうか、生き方が「怠惰」なひと(あ、いっちゃった)には、何をいっても無駄なのよ、狐百合さん。 ていうか、自ら泥沼に踏み込んで生きている衆生には、なにをいっても通じない、というか、そんなカンダタに手を差し伸べるようなことをしてもな、というのが、私の気持ちだったりします。 いや、「手を差し伸べる」(これはちょっと上からみているなあ)とか、「説得する」「話しかける」ならまだいいけれども、彼女がしたことは、カンダタをしかりつけてるとか、カンダタに喧嘩売ってるとか、そういうことなわけで。 で、それはそれで、「罪」なのだとおもうわけです。泥沼にいる相手に喧嘩売るのに、自分が泥沼にはまりこんでどうする、という^^; もっとやりようはあったとおもうんだけど、そのへんが若さなんだろうなあ。
☆二十代の頃だったかな。 ふと思ったことがありまして。…このネタは前にもどこかに書いたかな。 仏教では、命は輪廻して、いろんな世界をめぐるといわれているけれど、実は、いろんな世界は、この地球上に、同時に存在しているのではないかな、と、思ったわけです。 同じ現代の地球に生きていても、その人の心がけ次第で、みえてくる世界は違ってくる。感じる幸せの度合いも違ってくるんじゃないかなあ、と。 極楽やら地獄やらが、別個にあるわけじゃなく、同時に、この世界に存在するんじゃないかなあ、と。
つまり、同じ現代日本にいながら、修羅の道を歩む人もいれば、色情の世界に苦しむひともいる、針山を上り続けるように、ひとと争い先頭に立つことしか考えない人もいて、誰よりも愛されたいと飢え続ける人もいる。 たくさんの幸福に包まれているのに、私は不幸だ地獄に生きていると贅沢をいうひともいる、と。 そして、苦しむ人々の横で、「ああ今日も良い天気だ。空気が美味しいなあ」と、極楽に近い世界で、笑顔で生きる人もいる、と。
基本的に、ひとはにた世界観を持つ同士がよりそってゆくものです。また縁というものは、そういうふうによりあわされてゆく。 ひとをあざけり嗤うことを是とするひとびとは、そういう人同士集まってゆくものです。そういう泥沼に違和感を憶えず、それが楽ならば、その中で過ごすのが、その人々の自然で、必然なのではないかと。 ただ、他人を嗤うものは、いずれ、他人から嗤われる。また、自分が他人を嗤うひとならば、その人の心の中では、「人間とは他人を嗤うものである。それこそが人間である」という定義づけがなされているでしょうから、その人のみる世界は、どれほど暗い世界なのだろうなあと。 それはやはり、客観的にみて、「不幸」な生き方であろうといいたくはなります。
☆でもね。だからって、「そこ」で生きている人に、「そんな考え方はするべきじゃないです」といったって、言葉は通じないですし。 上手に相手の行為だけを否定したりすることができるならば、いってみてもいいと思いますが、その行為の中でどこかで、相手の人格そのものを否定してしまったり、「いってやったぞ」「あいつに勝ちたい」みたいな心の動きがあったりしたら、それはやはり暴力、ともに泥沼に堕ちることだと思います。美しいことではない。ほめられるべきことでもない。
他人がどんな世界を輪廻していこうと、それは、その人の選択なので、黙って見守っているのが良いんだと、今の私は思っています。その中で、少しずつ、他者の人格のよいところを発見して、よりそうことができたらいいよな、と。「行為」には善し悪しがあっても、「人格」にはそれはないとおもいたいと、おもっているので。 …「今の」ってあえてかいてるということはつまり、昔の私は違ったってことで、大学時代までは、ひとの考え方にどうこう難癖つけていたものです。 あの頃は若かった。ほんと、いろんな意味で。
☆なんて書きながら、「他者をあざけり嗤うひとびと」を、「泥沼に生きている人」とたとえるあたりが、やはり私もそういう人々を下にみているわけで、まあこれが私の「業」で「限界」なんだろうとおもうわけです。 この私のもつ「業」をもたない、「限界」をこえているひとたちからみたら、私もまた、カンダタの仲間に見えることでしょう。
金曜日の夕方に家を出て、土曜日の夜に長崎に帰ってきました。 ちょっと人に会いに。飛行機の旅です。
一泊二日は、一日目も二日目も移動の疲れと一緒になるので、なかなかハードですが、お仕事や、留守番の家族や猫たちの心配を比較的しないですむだけ気が楽かな、と思いました。 当分、これでいくしかないかなあ。
にしても、名古屋は食べ物が美味しいな、と、セントレアでおみやげにかっていただいちゃった天むすとか、夜の自宅で食べながら、うなずいたのでした。またいこうっと♪
来週末は、土日、と、東京の予定です。 その次は五月。また東京。
☆久々に、少しだけですが、サイトの更新をしました。 やっとこさ、「天のオルゴール」関係のことが書けたり、著書数を、訂正することができました…。
著書四十四冊。 次の「たそがれ堂1」で、四十五冊。「砂漠の歌姫」で四十六冊、ですか。 ここまで長かったような、もうこんな冊数だ、というような…。
更新がすんだところで、偕成社のお仕事に戻ります^^
明日体力があったら、早くから、街にお仕事抱えていきたいけれど、いま現在、朝の三時だから、今すぐに寝たとしても、ちょっと目が覚めないような予感^^;
☆今日は、「たそがれ堂」のゲラもどきを、めでたく翌朝便に乗せました。長崎中央郵便局を出てすぐに、ポプラ社担当K嬢にメールしたところ、再来週にはゲラになって返ってくる、という話だったので… ひょっとして、当初の予定通り、五月にでてしまうのかしら、「たそがれ堂」。すごいなあ^^; 五月が無理だとしても、近いうちなのは間違いなさそうです^^
☆「めでたく」翌朝便にのせはしたのですが、実は、ぎりぎりまで家で仕事していて、タクシーで郵便局に飛び込んで出したので、今日はろくにお化粧をしていなかったし、服も普段着だったので、そのままバスに乗って家に帰りました。 いつもなら、一仕事すんだあとは、打ち上げ気分で、浮かれて街へふらつきにいくのですけれど。 ゲラやゲラもどきのように、原稿がほぼ完成した段階の仕事になってくると、感覚がとぎすまされて、神経がぴりぴり緊張するので、どこかしらなにかしらたのしいことをして気持ちをゆるめないと、とてもじゃないですが、日常には戻れません。
でも今日は、おとなしく家に帰りました。 だけど、それでも、少しだけは、打ち上げ気分なことをしたのです。 楽天市場経由で、今日、ちょうどとどいた、徳島の卵と、卵ご飯の専用のお醤油で、美味しく卵ご飯をいただいたのでした。 卵も卵ご飯も大好きですが、今夜の卵ごはんはとりわけ美味しかったな…。 この新鮮な卵六個と、自然な鰹だしがきいたお醤油のセットで、送料込みで千数百円なら安い、と思う美味しさでした。
☆昭和十年生まれであり、戦時中に子どもであった私の母の世代にとって、卵は貴重品でした。 そして、その娘である私の世代は、子どもの頃、母の世代や、その上の年令の作家たちが書いた子どもの本を読んで育っています。 そのために、「卵」というたべものに、なんともいえない魔法や、ファンタジーを感じたりもするところがあるような気がします。 卵、といえば、それは、とっておきのごちそうであり、きれいに紙で包装してかごにいれ、病気のひとへのお見舞いにさしあげるものなのです。大事に両手で抱いて運び、万が一割ってしまったりしたら、泣いて悔やむような貴重品なのです。 実際には、私が食べて育ったのは、もう、安くなり始めた、ありがたいタンパク源としての卵、なのですけれど。
最近、我が家は母も私も病人モードですので、ちょっと、自分たちにお見舞いしたくなったのでした^^ 昔風に、大事に包装された、とっておきの卵、を。
一仕事のあと、母と大事にいただいた、はるばる四国から届いたうみたての卵の味は、昔の物語の中の卵の味のように、たしかに、「とっておき」で「貴重品」の、魔法の卵の味がしたのでした。
2006年04月12日(水) |
入学式とか低気圧とか |
☆ここ数日の低気圧で、またちょっと首が痛くて滅入り気味です。 たとえていうなら、首の中に、雑に丸めたアルミホイルがあって、それが動作のはずみで、首の神経にあたる感じ…。 以前のような激痛じゃないんですけど、これはこれで嫌な痛みだなあ。
昔の翻訳物の児童文学や、ミステリーなんかで、お年寄りが、「今日は雨だから節々が痛むよ」とか、「嵐が来ると神経痛が…」とか、よくいってるのを読みましたけれど。 これがつまり、「それ」だったのか、と^^; あーもう。私は年寄りですよ、もういいや(笑)。
これからは、痛みと共存することを考えて、お仕事していかなければ。 それは「あきらめる」ということではなく、「そういうもの」として、「あるがまま」に、痛みそのものを自分の一部として認め、ひっくるめて一緒に生きていくということ。 このままの状態で、いままでどおりに、幸せな時間をつくりだし、探していくということ。
晴れるとてきめん、体が軽くなるので、早く晴れないかなあとおもっています。冬物で、クリーニングに出さないものの洗濯もしたいしなあ。
☆今日水曜日は、ポプラ社K嬢と「たそがれ堂」関係で、短いメールのやりとり。画家さんのお名前を出しても良い、ということでしたので、発表しますが、「とんがり帽子のメモル」のアニメーター、名倉先生です。 えへへ。かなり幸せな感じであります^^ 主人公、というか狂言回しのような役どころ、の、コンビニのお兄さん(正体は、お稲荷様)の、ラフとか見せていただいているのですが、ふんわりと優しそうで、でもたしかにあやしげで、ハンサムで、と、「さすが、あの、名倉さん!」と、うっとりする感じなのでありました^^
「コンビニたそがれ堂」。当初は五月刊行の予定でしたが、いま私がゲラもどきをしていて、これから名倉先生が絵を描かれるので、さすがに五月には本にならないのではないかしら…。でもポプラ社さんは、本が出るのが早いので、奇跡があるかもしれないしなあ。はっきりとした日付が決定したら、お知らせしますね。
☆もひとつ。電話で、偕成社Bさんと、「砂漠の歌姫」関係の短い打ち合わせ。こちらは夏予定、ということで、公にしてもいいというお話でしたので、ここでお知らせ。森友さんの絵は完成していて、これから再校ゲラが、私の手元にとどくところです^^ 「はるそら」や「マリリン」が好きな方は、こちらを楽しみにしていてくださいね。いつもの私の、剣と魔法の冒険物語です。
☆新刊関係の情報とか、新シェーラ関係の更新とか、ぜんぜんできていませんが、いま手元にある、たそがれ堂のゲラもどきを返したら、せめて、新刊情報だけでも(涙)。情報が古いんじゃ、作家が自分でやってる公式サイトの意味ないですし。
☆先日、姪の小学校の入学式を、ちょこっとのぞいてきました。 あいにくの雨風に、桜の花も散っていっていましたが、それはそれで、美しい情景でした。祝福するような、花の舞い。 桜色の服を着た姪はかわいかったですし、涙ぐむ姪のお母さんも、少しさみしげなお父さん(うちの弟)も、忘れがたい姿として、こころの中に残りました。 明るい雰囲気の小学校の中で、姪は少しずつ成長し、やがて、春の日に新入生を迎える側にまわり、卒業してゆくのでしょう。 そのとき、桜吹雪の中で迎えた、入学式の日のことを、彼女はなつかしくおもいだすのかな^^
小学校の桜。風にふるえています。 どこか、ガーデン水晶の模様のよう。
☆風の丘の常連の子どもたちも、それぞれに、進級したり、進学したりと、春を迎えている、そんな書き込みが掲示板にいくつも^^ どきどきや不安もあるでしょうし、期待で胸がふくらみすぎて、痛くなったりもしているでしょう。 進学して新しい世界に入った子の場合は特に、今年の春が「特別」な気がして、緊張のあまり、握りしめた手が白くなっちゃったりしているかもしれない。 でも、「特別な」今年の春も、やがて過ぎてゆき、そうすれば、いつもと同じ、過去の「ある年」の春、になってゆく。 現在進行形で生きている、子どもたちには実感としてわかりづらいことだとおもうのですけれど。 どきどきしながら、わくわくしながらも、肩の力を抜いて、落ち着いて、深呼吸してらくにいこうよ、と、声をかけたくなる、昔子どもだったわたしがいます。
☆今日は、長崎市は寒くも暖かくもないよい天気。 姪のヤマハの発表会があったので、母と一緒にききにいってきました。 壇上には、ピアノとエレクトーン(STAGEA)があり、子どもたちは、ある子どもはピアノ、ある子どもはエレクトーンの前に座って、練習してきた曲を奏でるのでした。
ほとんどの子が同じ課題曲を演奏したので、わたしのように音楽に知識のないものでも、ひとりひとりの演奏の違いがわかるようで、おもしろかったです。 どの子もみんな、親に愛されているような、かわいらしい、お行儀のよさげな子ばかりで、どの子もみんな、一生懸命演奏していたのですが、なんというのかこう、性格と表現方法の違いが、演奏にあらわれるようで。 おっとりしていたり、押しが強かったり、マイペースだったり…。
姪の場合は、メリハリのきいた、はっきりとした感じの演奏に聞こえました。 ついでにいうと、演奏のあとの、先生に質問されて少しおしゃべりするコーナーで、他の子たちがあがってしまって「……」という感じだったのに、ちゃんと顔を上げて、滑舌よく、敬語を使ってしゃべれていたのは、やはり、アナウンサーの娘なのだなあ、とか^^; しかしまあ、かわいかったのであります(笑)。
☆ところで、姪はピアノコースだったので、その前にはいかなかったのですが、エレクトーンのSTAGEA、かっこよかったです。 なかなかリアルで演奏を聴く機会がなかったので、みとれききほれてしまいました。 ご存じの方も多いかもしれませんが、STAGEAは、進化した電子オルガンで、ネットにつないでデータをダウンロードできたり、内部のバージョンアップができたりします。分解組み立てもできるらしいです。 音色も他機種より、ひときわ綺麗で豊かだという話ですが、今日、子どもたちが一生懸命曲を奏でているとき、まるでそのようすは、大きな優しい馬か何かが、乗り手にあわせてあゆんでいる姿のようにみえました。 ラストに教室の先生が、歌の伴奏を奏でたときは、はなやかに疾走する馬のようで。 そのときどきに、うつくしく、壮大な、魔法があふれだすような音。
☆いつかの日記にも書いたような記憶がありますが、ひとのそばにあり、ひとの暮らしにより沿って生きる機械は、どれもいとしく美しいとおもいます。とくに音楽を奏でる機械は、そのなかでもとりわけ、やさしい、愛すべきものだと、憧れてしまいます。 楽器そのものの姿も美しいですが、その楽器を開発し、作り上げ、売っているひとびとの想いを重ね合わせてしまうし、電子オルガンが誕生する以前から続く、ひとと音楽との長い歴史のようなものもさらに重ね合わせ、音楽とひとの技術を融合させてみようとしたひとびとの想いまでも、さらに重ねて重ねて、と、ひとつの音の響きの中に、たくさんの人の想いの連鎖を感じてしまうから…なのかもしれません。
小さな子どもが鍵盤の前に座ったとき、ボタン一つであふれだす、ゆたかで多彩な音たち。リズムの流れ。弱い力で鍵盤を押しても、しっかりと奏でられる美しいメロディ。 ひとに手をそえ、守り、力を貸すためにうまれた存在である機械の、そのある意味、一番美しい情景がそこにあるのだと思います。 ひとと機械の関係には、いろいろなかたちがありますが、その中でとりわけピュアな、平和な、祈りに満ちたすがたのような気がするのです。
いやほんと、自分が上手にオルガンを弾けるひとなら、そばにおいておきたいですもの、STAGEA。自動車かえそうなくらい高いオルガンですが(笑)。 またいつか、あの音が聞ける日が来ることを祈って。
☆<香水日記> カルバン・クラインのユーフォリア・ブロッサム。 すごく良い香りで、あんまりない香りなんですが…うーんどういったらいいんだろう? どこかしら華やかなお香? とにかく都会的でおしゃれです。 甘くはないんですが、でも女性的なやわらかな優しさもある。 癒されるというよりは、脳の奥がすっきりと覚醒してゆく感じ。 宣伝文句に、「この香りを付けた人が通り過ぎると、思わずふりかえりたくなるような、きれいなかっこいいお姉さんのイメージ」というような一文があったと記憶していますけれど、たしかにそういう感じですね。 お仕事できそうな、都会を歩く女性のイメージ。 でもこれを、ふわひらな服のお嬢さんがつけていても、それはそれで素敵な気もする。
☆ひさしぶりに、お仕事もって、駅ビルのカフェに行きました。 五月刊行(予定)の、「コンビニたそがれ堂」のゲラもどきを読みにいったのです。 あいまに、携帯やPDAで、仕事関係の連絡を取ったりしながら、お昼ご飯に、桜エビと菜の花のパスタなどいただいたりしました。
「たそがれ堂」は、担当K嬢から「完成度が高いです」とおほめいただいた作品で、内容の直しはなく、言葉のチェックがあるのかな? …どこにあるんだ^^;? まだみつけてないなあ、という感じの、手間のかからない作品です。 が。読み返すとやはり、自分で文章に不備を発見するのが多々。 せっせと赤を入れております。 ゲラもどきで直し、初校ゲラで直し、再校ゲラでまた手を入れ、と、このさきも、お米をとぐようにみがきあげてゆくのです。 読者の皆様のお手元に届く頃には、さらに完成度があがっていることとおもいます^^ できるだけ、がんばれるだけ、思い切り、ぴかぴかにしますからね。
「ささまほ」系の作品なので、読んでいて自分で泣けるのがまずい… もともと他の方のつくったお話でもすぐに泣けるほど涙もろいのに、自分で書いた話は、自分で感動できるように、ある意味、自分のつぼにくるように書き上げているのですから、よみかえせばそれは、泣けちゃうのです。 しかしまあ、客観的にみれば。 カフェで紙のたば凝視しながら、目をうるませているあやしい女、ってなによ、という感じです。
ちょっと失敗気味の写真なのですが^^; Afternoon Teaの桜エビのパスタ。春の限定のパスタセット。 食してみたかったのですが、母の病気と自分の疲れで、注文する余裕がなかったのでした。 Afternoon Teaは、母の入院先の病院のすぐ側にあったので、病院に母を見舞いに行っていた頃、何度もお茶を飲みに行ったのですけれど、このメニューはたのんでいませんでした。 こういう「春メニュー」のような、明るいものを食べるだけの余裕が、心になかったのかもしれません。 メニューが変わる前に、食べることができてよかった(涙)。 エビの味の出汁のきいた、おいしいパスタでありました。 グリーンピースの香りがきいてましたね^^
食後には、木苺のティオレもちゃんといただきましたv これも、春だけのメニュー。 木苺ジャムと、ホワイトチョコが美味しかった。 まねっこしてうちでいれてのんでみよう^^
☆ひさーしぶりで、ちゃんと手抜きでないメイクをして――少し前のYSLの口紅の上に、封を切ってなかった、ランコムのジューシーチューブ、今年の春夏の限定の69番Vert sifflant(いい色だなあ)を重ねて、とどいたきりになっていた(ちょうど母の入院でばたばたしていた時期でした)草花木果のアイシャドウもおろしてしまった。前から家にある、シックショックの茶色系のWマスカラとあわせて、春っぽい淡いピンク基調のメイクとか試みてみました。楽しかった! やっぱり、色物大好きなのでした)――お仕事抱えて、おいしいお茶を飲んで。 夜になるまで、大きな窓から、町の景色がゆうぐれてゆくのを見守って。
香りは前の日につけそこねた、ラブリーチェリーブロッサムの2006年限定のもの。なにかでみた記憶によると、元のラブリーチェリーブロッサムよりも、シアーな香りという話だったようなきがするのですが、けっこう甘あまで、一瞬、どうしようかとおもいました。…いや、あんまり甘いと、年齢的に外で使うのを控えたくなるので。かっこわるいですから。 が、ミドル以降が桜餅のようにおちついた甘さで、とても気に入りました。またこれがねえ。金色のラメ入りで、瓶を振るとまるで金色の桜が散るようなのが素敵なのです^^
生き返るような解放感と、ここちよさを味わって、夜に家に帰りました。 結局、まだ本調子に戻るには、早かったのか、翌日の今日は疲れが出ちゃって、反省しているのですが。 体重いし。また、微妙に、首筋が凝ってきてしまっているし。
でも、昨日は楽しかったし、仕事も進んだから、いいのです。
今日はサイト周りのことだけをして、あとは休もうと思います。 明日もあさっても、仕事するための時間はあるのですから。
☆なんにせよ。 「コンビニたそがれ堂」お楽しみに、なのです。 ポプラ社の「ポプラの木かげ」というシリーズ、つまり、「ささまほ」と同じシリーズの新刊として刊行されます。
☆ここ数日、母の体調と精神状態が、ようやっと落ち着いて、笑顔がふつうにみられるようになってきました。 それといれかわりのように、こっちはどっと疲れが出て、ちょっと寝込んだりしていたのですが、今日は起きあがって、夕方が近い昼下がりに、平和公園あたりの桜を見に行ってきました。 毎年、桜だけは、みないわけにはいきません。 だって、その年の桜には、その春でないとあえませんものね。
そういうわけで、桜です。 ちらほら葉桜なのですが、わたしは、桜の若葉の色も、小鳥の羽の色や、宝石の色みたいで好きなので、これはこれでまんぞくでした。
平和公園の桜は、慰霊の桜なので、みあげて歩く人々は、誰もみな静かです。でも、それぞれがほっこりと微笑みを浮かべていたりして、おだやかな午後のひとときを、みんなで楽しんでいるような、そんな時間でした。
谷川俊太朗の詩に、百年後の未来には、いまここにいる自分もみなもいないだろう、とうたった、儚い、でも朗々とうたいあげるような詩がありますが、鎮魂のために咲き、散っていこうとする桜の花たちと。静かに花を愛で歩いている、多くは老いた人々と。 みながふっといつかは消えてしまう、そんないのちたちなわけで。 みんなが、儚くて、でも、たしかにいまここにいて、でも、みんなといっしょに、時は過ぎていくわけで。見えない川の流れがここにあるように。いつかはわたしたちを、優しくそっと時の彼方に押し流してゆく、やさしい流れのただなかに、わたしたちはつつまれ、たっているわけで。
それは約束で、でも、祝福なわけでもあり。
その中を、私もいっしょにあるいていたのでした。 毎年思うことですが、みあげると桜の花は、光でできているように、輝いて見えるな、と、そんなことを思いながら。
☆ポプラポケット文庫の「風の丘のルルー3」が、今月発売になっています。自分でもとても気に入っている、「時の魔法」です。 今日、ポプラ社さんから見本がとどいたのですが、例によってカバーがすてきでした^^ ただでさえ美しいふりやさんの絵が、さらにかわいくポップに。色合いが、おいしいキャンディかなにかみたい。
☆<香水日記> ナイルの庭。柑橘で緑で蓮の花で、とにかくナイルなのです。 少し早いかな、とおもったのですが、今の時期のナイルの庭も、なかなかクリアな感じでよかったですね。 …でも、桜を見に行くのにつけていくのは、ちょいとミスマッチでありました^^; 朝からつけていたので、そのままいっちゃったんですよね。
☆細々としたお仕事いろいろと、家のことがおちついてきたので、ちょっと生気がよみがえってきています。 でもなんかまだ元気なくて、パソコンの前に長時間いると足腰が疲れるなあ^^; そしてまだまだ、仕事の山は、目の前にそびえ立っているのでした。 お友だちや身内のみなさまのお手伝いがないと、とてもサイトを維持できないような状態が、とうぶんまだ続くと思います… メールのお返事をお待たせしている、友人知人の皆様、ごめんなさい。 今月のうちには…。
☆円山夢たん。バトンなかなか答えがかけなくてごめんよう^^; やーわたしゃ、オサレさんじゃないし(笑)。 とりあえず、まじめに、「お勧めブランド三つ」だけ、は考えたけど、私ごときが好きなブランドといえば、メジャーなものばかりで^^; こんな中途半端な状態じゃ、次の人には回せないけど、せっかく考えたから、一応書いておこう。
自分が「着ない」という前提で(笑)、Cynthia RowleyとANNA SUIあたり。絵のようで美しい。 実際着てるのは、最近はdrug store'sの、きれいめ系のデザインのですねえ。かわいくて丈夫で、ゆったりしてるから。先月買った春先にちょうどいいようなカーディガン、まだ一度も袖を通してないなあ(涙)。 たまに着るという意味では、カネコ系は軒並み好きですが、さすがにどれでも着られるというわけではないですね。 (そういや、洋服とはカテゴリが違うのかもしれないけど、最近、カジュアルな感じの靴にこりだして、ビルケンシュトックとか、楽天のお店でみてひとりでにこにこしています。かわいいものや、美しいものの画像を見るのは好き)。
てな感じで、中途半端にバトンをとめちゃう私なのでした(笑)。 ごめんなさい。
☆ああしかし、最近、ふとしたはずみに、都内新宿方面の情景や風の肌触りを思い出します。自分や家族の病気その他の理由で、最近おなじみのあたりにいってないからなあ。なんかこう、「東京分がたりない」という感じです。 五月のおわりごろには、なんとか上京できる状態になっているといいんですけれど。 天に伸びる高層ビルや、都会の緑、古いホテルや喫茶店に地下道が、私を呼んでいる(涙)。 きれいな服着て、フルメイクして、背筋伸ばして、好きな音楽ききながら、まちを歩きたい。 なじみのひとたちと、お茶を飲みたい。
☆桜も見に行けないような忙しさと気ぜわしさのなか、気持ちだけは、と、春の新作香水をいろいろ予約したり、注文したり^^ ユーフォリアの桜色のと、ベビードールの今年の限定がとどくのが楽しみ♪ ゲランのラブリーチェリーブロッサムの今年のは、今日到着しました。もったいなくて、まだ封を切っていないけれど、桜見に行く日には開けて、香りをたのしんでみたいですね。 桜が長崎で咲いている間に、そんな時間ができますように。
☆さて、夕食に、天むすでも作ろうかな…
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