今日は、ポプラ社の雑学の女王K嬢と電話で打ち合わせしたあと、駅ビルのファミレスで、「新シェーラ4〜炎の少女」のゲラもどきをしていました。
ゲラもどきというのは、前にも何回か書いたような記憶がありますが、初校ゲラの前の段階で、一度、編集の皆様に、ゲラのかたちに紙に印字して、送ってもらったもののことです。<命名ポプラ社N嬢
私は毎度、ゲラの段階で、嵐のように直すので、悩んだN嬢が考えだした方法でした。 で、これが両方にとって、とてもやりやすいかたちだったので、以後、他の出版社さんとお仕事する時も、「お願いします」と頼んでいるのでした。
結局、私はゲラを三回やってることになるのですが、それくらいやらないと、原稿を手放せなくて。 だって、けっこう神経使って見ているはずなのに、必ずあとで、なにかしら「あ、ここ直せばよかった」とか、「ここまちがってる」とかあるから…
それにしても、「炎の少女」は、いい本になりそうです。 前巻からすると、重たい話ですが。 なるべく、子ども読者を傷つけすぎないように演出に配慮はしたけれど。 どうかなあ(^^;)?
九月をお楽しみに、としか、今の私にはいえないです。
新シェーラ4のゲラもどきと、ルルー7のゲラもどきがお部屋にありまして。 それにいろんな他の仕事の書類とかが散乱しておりまして。 その上で猫どもは寝るわ、体をなめるわですごいことになっています。
ああ、部屋を片づけたい(涙)。
佼成出版社さんの書き下ろしの方が、まだ手を付けられていないので、この数日のうちに書き上げたいなと思いつつ、最優先はシェーラで、その次になりそうな予感。 けど、七十枚だから、たぶん三日もかからないはず。 そしていい話になるはず(^-^)
まあ、ここ数日、仕事以外のことで胃が痛い思いをしていたのが(たぶん)一段落したみたいなので、ようやくお仕事最優先モードに戻れそうです。
しかし今年の夏は暑い。 でも暑い日々の中で、これからくる秋や、冬、クリスマスの時期のことを思うと、心がゆったりとしますね。たとえば、とても美しい、バイオリンの音を聞いているような気持ちになります。
ひそかに企画をたてているのは(笑)、冬を目指してまた髪を伸ばして、ひさしぶりに、巻き髪にチャレンジすることです。 最近ゆるみまくりの体の肉も落として、年齢相応のキレイをめざして、ポプラのクリスマス会で、「あれは誰?」と、(よい意味で(^^;)いわれてみたいもんですね。
とりあえず、永遠のお姫様の藤真知子先生をお手本に、及ばずともお手本にして、できる限りの、美しさを目指したいです。
さーて、がんばろう♪
…いやまずなによりも、お仕事が大事なんですけどね(笑)。
写真はLeya。 ウイッグのサイズがどう考えても大きいので、縫い縮めてみた。 薄水色のワンピースがよく似合いますねえ(^-^)
旅行のあとで疲れてたり、夏に負けてたりするんですが、でも、妙に元気だったりします。精神状態が落ち着いていて、いいなあ。ストレスもないし。 慢性的に、「時間がない」という危機感があるくらいかなあ?
今年の春くらいから、じわじわ復活の兆しはあったんですが、今はもう、ここ数年のマイナーな気分からは、完全に復調してると思います。
…でもなあ、時間がないのは、気力だけじゃどうしようもなく。 でもがんばろう、と思う夏の夜。
今週末の創作教室のために提出していただいた作品、八作品を、読み終わりました。 今回も楽しかったです(^-^) 土曜日が楽しみだなあ♪ 何が楽しいって、作者さんたちから、作品を書いた動機や、いいたかったこと、セールスポイントあたりをきくのが楽しくて。 で。みんなで、作品の良いところ悪いところを話し合い、意見を集約していくうちに、思わぬ真実が見えてきたりするのがまた(^-^)
金曜日に、長崎を発つのですが、まだ全然荷造りをしていないので、明日やらないと。でもさすがに、月に一回の上京にもなれてきて、昔ほどは時間がかからなくなりました。
ただ、暑さに負けて、へろへろ状態なので、明日は無理せず、仕事はしないで、荷造りに専念しようと思っています。 飛行機に乗れないと、教室の生徒さんたちや、児文協に迷惑をかけてしまうので…。
「健康であること」も責任の一つなんだなあ、と、あらためて思いました。
写真は、Leyaちゃん。 ウイッグの色に合わせて、眉毛とまつげを濃いめにしてみました。 ウイッグの方をかえる、という選択肢もあるんですが、Leyaはこの黒髪ウイッグがデフォルトで、私もそのイメージでうちに迎えたので、ウイッグにあわせたかったんですよね。
<香水日記> 最近は、マットをよく使ってます。この夏、ミニボトルで、いろいろセットになった、マットドロップスを買ったので。 お気に入りはヴェールとブルー。水とお茶の葉の香りがよいです。人気のあるイエローは、ラストのムスクが強すぎて、ちょっと苦手(^^;)
| 2004年07月20日(火) |
なんだかへたってますが(^^;) |
…いやもう、夏には弱いもので(^^;)
ここ数日、どうもだるいなーとか思ってたら、今朝から過呼吸の気配がやってきたので、打ち合わせの電話とメールとファックス(月曜日は、毎度、連絡が多いのでした)の間は、おとなしく寝てました。 水枕して、じーっと気分をよそに向けていると、けっこう忘れるので。
で、ねながら、「いっしょなの」の色校を見直していました。 色校より、主人公の「お人形」さんです。画・森友典子先生。
佼成出版社のF嬢にきいたら、画像もうだしてもいいということだったので、携帯で撮った写真ですが。 着せ替え人形が、腕組みして、すねてるところです。
「お人形は、口を とがらせました。 『おねえさんに なるって、 つまらない ことなのね。 いつまでも、小さいままなら よかったのに」
という文章が入ります(^-^) レトロな雰囲気が素敵なお人形さん。 一年生になった仲良しの女の子が、あんまり遊んでくれなくなったので、すねている、というシーンなのです。
本になる日が楽しみです。 来月の発売が、とても楽しみで。 読者の皆様も、期待していてくださいね。 我ながら、すてきにかけたと思って、気に入ってるんです。
幼年童話なので、絵本の近くの棚に並ぶのではないでしょうか? 佼成出版社の「おはなしドロップ」というシリーズに入ります。 価格は、1100円+消費税、のようです。 お人形やぬいぐるみが大好きな、小さな子どもたち向けの本です。
あとは今日は、「新・シェーラ4〜炎の少女」の表紙のラフのファックスが、すごくかっこいいのがとどいたので、うきうきしちゃいました。 佐竹先生のイラストもまた、いいんですよねえ。 今回は、映画のように派手なシーンが多いので、中のイラストも楽しみです。早く九月にならないかなあ。
今日の暑さは、なんだかすごかったですね。 気温をチェックしていないですが、さぞかしすごかったろうと(^^;)
あまりの暑さに、今日は一日仕事はしないで過ごしました。 真夏用の洋服を出したり、お人形と遊んだり、冷たいお茶を作ったり飲んだり、そんな感じ。
それと。 夕方に、ポプラ社O編集長様からお電話があって、新シリーズについての打ち合わせを少し。楽しかったです(^-^) ご期待に添えるよう、がんばらないと。
明日は仕事に復帰して、そして、街に、限定のお化粧品、買いに行かなきゃ。 お化粧品は、もう、秋物なんですね。
Leya 韓国のお人形さんです。 今日からうちの子になりました。
とりあえずは、困っている人がいたら、手を貸すべきなんだ。
知っていることがあるなら、教えてあげるべきなんだ。
何ができるかわからない状態でも、一応は、その場に踏み込んでみて。
できなかったら、できなかったときということで。
失敗するかもだけど。
でも、何もしないで通り過ぎて、あとで後悔するよりはたぶんいいんだ。
…なんてことをあらためて考えた、夏の真夜中。
| 2004年07月14日(水) |
商店街の白猫さんは… |
数日前、長崎の古い商店街をのんびりと歩いていましたら、洋品店の軒先の、風がよく通るところに、一匹の白猫が眠っていました。
あちこち薄汚れてはいましたが、ちゃんと家がある証拠に、体にはよくお肉がついていたし、通り過ぎる人の気配に怯えることもなく、悠然と、昼寝を楽しんでいるようでした。
その彼を(顔の輪郭からいって、若い雄猫だと思いました)、四年生くらいの女の子と、一年生くらいの女の子が、優しくなでてやっていました。
何回も、何回も。
もっとも、「優しく」といっても、子どもの手加減ですから、たまには、皮膚を引っぱっちゃったり、ぐに、っと押しちゃったりもしていたのです。
でも彼は、目を開けることもなく、気持ちよさそうに寝ているのでした。
そのうち、そばにいた若いお母さんが、子どもたちに声をかけました。 「猫さんは眠いんだから、じゃましちゃだめよ」 (ほんとは長崎弁なんですが、うまく再現できないんで(^^;) 以下の台詞も、実際はどれも、長崎弁です)。
子どもたちは、お母さんの声に、つまらなさそうな顔をしながら立ち上がり、そのそばにいきました。 三人で歩き出して、お姉ちゃんの方がいいました。 「でも、あの猫さん、いやがらなかったよ。ずうっとなでさせてくれてたもん。怒らなかったもん」
すると、お母さんは、その子を振り返って、笑いながらいいました。 「そりゃ怒らないわよ。だって……」
「だって」のあとが、聞こえませんでした。 ちょうどどこかで大きい音がしたので。 そしてその親子は、私とは違う道を行ってしまったので、それっきり、その親子の会話を聞くことができませんでした。
お母さんは、子どもたちに、そのあとなんてはなしたのかなあ、と、私はしばらく想像して楽しみました。
「だって、人間が怖かったでしょうし」 「だって、商店街の猫だから、お客さんには手を出せないのよ」 「だって、お人好しだから(猫だけど)、怒らないの」
私が、いちばん、こんなふうにいったかな、と、おもったのは… 「だって、せっかくなでてくれてるんだから、悪いでしょ?」 かなあ?
私には、あの猫の表情は、そんな風に見えました。
中通り商店街の猫。 結局、通り過ぎたあと、元に戻って撮影。 私が携帯で撮影しても、そのまんま寝てました(^-^) (でもほら、よくみると、耳だけこっちを向いてるの)。 すのこが涼しげだったなあ。
| 2004年07月12日(月) |
おじいちゃんのゴーストフレンド |
☆佼成出版社さんから執筆の参考にといただいた、九冊の本のうち、文句なしに「これが一番よかった!」と思ったのは、安東みきえさんの「おじいちゃんのゴーストフレンド」でした。 さすが、わが猫友達! とかいったりして。 「天のシーソー」の安東さんの本です。
主人公の少年の友達の家に引き取られてきたおじいさんと、おじいさんだけに見える、不思議な親友、見えないけどそこにいる小さな白い犬。それに風が鳴る鉄塔と、形見にもらう懐中時計、窓辺の籐の揺り椅子、なんてモチーフが出てくる物語です。 過去の幸せにひたり続けることと、未来へと足を踏み出すことと。 そのどちらもがもつ価値をささやく物語というか… ひとりの人が人生を終わろうとする時、主人公たちが、そっとその人の人生の欠片を受け継ぐ物語というか…
リアリズムなんですが、限りなく、ふわふわと柔らかい、それでいて磨き込まれた夢のような、うつくしいお話でした。
ひとりの人の人生を慈しみ、筋の通った重いテーマを持ち、でも、押しつけがましくなく、あくまでも透明感があって、しゃれていて、肩が凝らない。 もちろん、文章も過不足なく、うまいです。 構成、ばっちりです。
この本、私はとても好きです。 村山早紀、イチオシです。もう、我が心の本です。 表紙とタイトルは、少しばかり地味かもですが、でも、ぜひ手に取ってみてください。 (ちなみに、表紙は地味…っぽいのですが、裏表紙も、中の絵も素晴らしいです。絵の一枚一枚がばっちり本にあっていて、もうこの本にはこの絵(杉田比呂美さんの絵です)しかない、素敵だ、と、思いましたね!)。
「きらきらジュニアライブシリーズ」と銘打たれたこのシリーズには、小学校中学年以上が読者対象の、リアリズムの作品が集められています。 テーマは、「日常の価値、生きることの喜び、ささやかな幸せ」なんてふうに、私はうかがいました。 (で、私はこのシリーズに執筆のご依頼をいただいたので、今から書かせていただくところなわけですね)。
児童文学作家だけではなく、「え、こんなメジャーな人も?」と驚く、おとな向けの本の方の書き手さんも加わっている豪華なシリーズで、通して読むと、読み応えがあっておもしろかったです。 私のお薦めの本は、「グッバイ ムカつきベイビー」(花形みつる)、「げんこつ雲の空へ」(植松二郎)と、この「おじいちゃん」ですね。
「ムカつきベイビー」は、一言でいうと、男の子たちの友情物語なんですが、その「一言」を、ここまで面白い七十枚にしてしまう才能ってすごいなあと思いました。素直じゃないけど、かっこよくてちょっと不器用な少年たちが、友情のためにスズメバチの巣(大量のハチ付き…)と戦うという、蜂嫌いの私には、ホラー小説のように怖いお話でしたが、いやほんと、面白かった。文章の語りが勢いがあるんですね。キャラが立ってて。
「げんこつ雲の空へ」は、映画みたいでしたね。それもお洒落な小さな映画館でひっそり上映されていそうな。 ある日少年の前に現れた、謎のレインコートの男(体におそろしげな傷跡あり)の正体とは? という物語なんですが、全体の雰囲気がふうわりと素敵だったなあ。 この本は筋立てというより、ほんと「雰囲気」がよかったので(ストーリーを紹介すると、ほんとあっさりした話かもしれず)、できれば、どこかで味わっていただきたいなあ、という感じがします。
植松さんといえば、毎日の授賞式だったか、サンケイの時だったかに、会場でお会いしたことがあるのですが(当時、公募でライバル同士だったんですよね。よくご一緒しました、名前が)、私のこと、おぼえていらっしゃるかしら…。
シリーズの他のご本も、それぞれに良い作品でした。 人によって、評価するポイントが違うかも、ということで…。 とにかく私のお薦めは、上記の三冊(^-^)
☆今日は、何をしたかというと… いただいたお中元へのお礼状を書いたり、全日出版からこの夏にでるアンソロジイのゲラをチェックしたりしてました。 (アンソロジイは、他の作家さんといっしょのもので、私は五枚くらいの掌編と、二十枚くらい?だったかな、の、短編が掲載されます)。
ゲラのチェックは、喫茶店でやっていたのですが、短編「猫姫様」が、自分で読み返すと泣けてしまう話なので、お化粧がはげそうで困りました。 なんでこう涙もろいんだろう?
「猫姫様」は、ひたすら清らかな心のお姫様が、きよらかな行いをして、幸せになるという物語なのですが、こういうきれいな話を書くのも読むのも、私は好きなのです。
けっこういつも、「いい人が出てくる、きれいなお話」しか書けないので、私の書くものは受け付けない人は受け付けないらしいんですが(嘘っぽく思えるのかなあ?)、私が見ている世界は、本当にきれいで美しいので、リアルに写し取ると、こんなになっちゃうんですよ。
世界は、美しいと思う。 人間は、優しいと思う。
…そりゃ時として、そうじゃない時もあるけど。
でも、「美しさ」や「優しさ」を、否定しきってしまうのは、それはそれで、嘘なんじゃないかなあと、私は思うので。 どっちかというと、きれいな方を見つめて発見して、教えることで、社会とつきあっていきたいので。
今日もまた、美しい物語を書くのです。
写真は、フランシーヌさん。SD旧ののカスタム。 瞳は造形村Bブルー22�弌�
選挙に行って、そのあと、金魚関係の品物を買いに、遠くのホームセンターまで、日がささして、てくてく歩いていきました。 一時間半くらい、歩いたかなあ? 汗をたくさんかいて、気持ちよかったです。
ゆうべに食べたウナギのせいか、なんだか元気なのでした。 今夜も、これからきのうの残りをいただきます(^-^) ひつまぶし、と、少しウナ茶にしよう♪
今年のお仕事の予定は、まだまだいろいろあるんですが、とりあえずは、シェーラ&ルルーのめどがついたので、肩の荷が下りた感じです。
上の二つのシリーズものは、子どもたちが本当に楽しみにしているのと、編集さんたちの期待を裏切ってはいけないのとで、プレッシャーが凄いのです。
でまた、ルルーは作品の密度と完成度が濃いことを要求されていて、それがハードだし、シェーラは文字数が少なく時間がない状態で、どこまで面白くかけるか、というハードさがあるし… 毎度、胃が痛いですよー。
同じシリーズものでも、「アカネヒメ」や「マリリン」は、そこまでは辛くないんですけどねえ。たぶん、アカネヒメは内容のわりに枚数が長めでかけるから、マリリンは、定期的に締め切りが来るわけじゃないから、楽なような気持ちがしているのだとおもいます。
書く作業そのものは楽しいんですけど、でも、体や心を削ってゆく作業でもあるので、とくに今のような夏の時期には辛いですね。 何が楽しくて作家やってるんだろうと思うくらいに、辛い瞬間もあるけど、でも、透明感のある、本当に純度の高い幸福な気持ちを味わう瞬間もあるので、やっぱり私は、書き続けてゆくのだと思います。 なんだかんだいって、これが天職なのでしょうし。
写真は猫のレニちゃん。「寝てるのよ、なあに?」
| 2004年07月05日(月) |
東京紀行つれづれ語り3 |
ちょっと今日は夏ばてモードなので、文章がへろへろしてるかもしれません(^^;) と、あらかじめいいわけしておきます。 BGMは、今井美樹「Ivory III」。今夜の香りは、カフェカフェアイス。 レモンとフリージアに洋なしと、なかなか、心地よい香りです。
さて。東京紀行の続きです。
佼成出版社様のゴージャスマンションに滞在中のある日の夕方、童心社H氏とN嬢、ポプラN嬢とK嬢が差し入れをもって遊びに来てくれました。 本家苺豆大福とか、いいかおりの石鹸セットとか、ハートの鍵とか、いろいろさしいれていただいちゃって、らっきーvでありました。 嬉しかったです、ほんと(^-^)
で。 みんなでマンションの豪華さに驚いたあと(なんていうか、芸能人が住んでいそうなひろいひろいお部屋でした…)、近くの街に、晩ご飯を食べにいったのです。
童心N嬢だけ、先に帰ったので、私も入れて全部で四人のメンバーで、そろそろくれてきた時間の東京の街を、とことこと歩きました。 高円寺商店街の方を目指して歩いたのですが、途中で、くらいくらい、住宅地を抜けていくことになりました。
場違いな、大型トラックの駐車場がありました。 無人のトラックたちが、ひっそりと、並んでいます。 そのあたりは、ひときわ、闇が濃く、またトラックの背丈も、相当大きかったので、私は内心、びびっていました。 人の乗っていない大きな車は、怖いものです。 何か、異形のものが、ふいに動かしそうな気がするから。 そう、その段階で、私はすでに背筋がぞっとしていたのです。
と。 駐車場を通り過ぎた、ポプラ社K嬢が、叫びました。 「ちょっといまの、怖いですよね。なんでしょう、あれ」 一同、駐車場を振り返ります。 私以外の何人かが、あ、っと叫びました。 K嬢、言葉を続けます。 「作り物ですよね。趣味が悪いですよね、あんな怖いものをおくなんて」
怖いもの… 怖いもの?
「え、なんのこと?」とききながら、私はトラックを凝視しました。 なにやら、違和感があります。
するとそこに…
運転席の前の、ガラス窓に…
こちらを向き、目を閉じた、子どもの生首が見えたのです。
逃げました、そりゃもう(^^;) たぶん、同行のみんなも、何歩か逃げたと思う。
でも、私はそのメンバーより、三歩ほど先まで走り、そしてわれに返りました。 実は私は、内心決めていることがありまして。それはつまり、「なにかあったとき、その場にいるほかの人たちよりも先に逃げることだけはやめよう。かっこわるいから」というものでした。
…しかし、三歩も先まで逃げてしまった。 我ながら情けなくて、笑ってごまかしながら、みんなと歩調を合わせました。
編集さんたちが話します。 「あれは、ホログラフとか、そういうのかなあ?」 「うん。リアルだったよね」 「お店に売ってるのかもですね。ああいう能面」
「え、能面???」 私は聞き返しました。「あれって、子どものデスマスクじゃなかったの?」
「子どものデスマスク〜?」 みんな、首をかしげ、顔を見合わせます。 「能面でしたよ。能面がいくつか、車内にかざってあったんです」 「えー? じゃあ私は能面を見間違えたのかなあ?」 「じゃないですかねえ」
私は歩きながら、脳内の画像を検索し、たしかめました。 …どう考えても、さっきみたあれは、能面とは思えませんでした。 年の頃なら、幼稚園の年長さんくらい。 とてもリアルな男の子の死体の、その頭部に見えました。
「デスマスクの、作り物を、かざっているトラックもあったのかなあ」 トラックは、複数台その場にとまっていました。 そういう趣味が悪いものを造る人や、企業があるんだろうか、なんて話をしながら、私たちはその場を通り過ぎました。 霊現象で、私だけがほんとの霊をみたのかも、なんて話も、半分冗談で笑いながらいったりもしましたっけ。
そして、楽しいお食事がすんだ、帰り道。 みんなでもう一度、あのトラックの謎の能面あるいはデスマスクの正体をたしかめようということになりました。
…結論から言うと。 能面をかざっていたトラックと、デスマスクがいたトラックは、別の車でした。 能面トラックは、仕事に出かけたのか、駐車場にはいなくなっておりまして。 そして。 デスマスクの、その正体を、私は自分で見極めたのです。
なんのことはない、ヘルメットでした。 あれは後ろ向きにおいてあったのかな、それが、その表面のでこぼこが、ぼんやりとてらす街頭の光を受けて、ちょうど子どもの顔のような、陰影を造りだしていたのです。
「なるほどー。ほんとに子どもに見えますねー」と、編集者さんたちは、かわるがわる、そのヘルメットを見上げていいました。
「最初に、Kさんが、『怖い』っていったでしょう? あれで私、自分に暗示をかけたんだと思う。何か怖いものがあるって。で、無意識の中で、一番怖いものが、見えたんだと思うな」 私が言うと、ポプラ社N嬢が、いいました。 「すると、村山さんにとって、一番怖いものっていうのは、子どもの死体ってことになりますね」
そうかもな、と、私は思いました。 子どもの死、そのものが恐ろしいということもあるし、子どもが死んでしまうような情景に陥った現場、というのを想像すると……つまりそれは、よほどの非常時、でしょうから……本当に、恐ろしいです。
そして、「生首」と、とっさに思ってしまったのは、あるいは、このあいだの佐世保のネット殺人、去年の長崎の駿ちゃん事件、それから連想して思い出していた、サカキバラ事件の犠牲者の子どもの無惨な姿のイメージのせいもあったのかもしれません。
非日常は、恐ろしいです。 日常の、当たり前の朝が来て、夜が来る、その繰り返しの中で、子どもたちも、おとなも、普通に暮らせる日本であってほしいと思います。
ゴージャスマンションの前まで、みんなに送ってもらって、ありがとうおやすみなさい、と手を振ってみんなを見送りながら、私は本当に、みんなの、今と今につながる未来が、当たり前にゆるゆると続いていってくれますように、と、祈らずにはいられませんでした。
↑なーんて書いてますが、みんなと夜の道を歩いて帰ってくる時、私は、「きっと、能面トラックは、妖怪トラックだったんだよ。今に能面トラックが、みんなをスピルバーグの『激突!』みたいに、どこまでもどこまでも追ってくるよ。怖いねえ」なんて、けらけら笑いながら、話していたんでしたっけ(^^;)
…ほんとはね。内心はこんなだったのですよ(^-^)
| 2004年07月02日(金) |
東京紀行つれづれ語り2 |
佼成出版社さんご提供の、超ゴージャス高層マンションに缶詰されて、お仕事をしていた時のことです。
かもめ亭管理組合の連絡網を通して、「脚本家の野沢尚さんが自殺したそうだ」というニュースが飛び込んできました。<どもでした、midさん
44才だったそうですね。 思っていたよりも、若い方だったので、驚きました。 私より、ほんの数年、年上なだけだったんだ…。
この日記は、うちのサイトに来る子どもたちも読んでいるので、あえて、きちんと書いておきたいことがあります。
死んだ人を責めるな、と。 自殺は卑怯だとか逃げだとか、そんなことだけは、いってはいけないよ、と。 子どもや若い人は、正義感が強いから、ついそんなことをいいがちだけど。 世の中を正しいことと正しくないことの二つで割り切りがちで、「正しくない」と思えば、責めてしまいがちだけど、それはいけないよ、と。 世の中には、善と悪との二つでは、割り切れないこともあるのです。
もちろん、私だって、自殺はするべきではないと思っています。
とくに、子どもの自殺は絶対反対。もし子どもが死にたいといったら、なにがなんでも反対し、説得し、叱ります。 なぜって、子どもは概して、世界の広さを知らない。自分の未知の可能性も、死の本当の意味も、命の価値もわかっていないことが多いから。 子どもの自殺の話を聞くたびに、「なんてもったいない」と、私は口惜しくなります。悲しく、切なくなります。できるなら、助けてあげたかったと思う。知らない町の子どもの話だって、涙してニュースを聞いてしまう。
でも、おとなが自ら死を選んだ場合は、それは、周りがどうこういう問題ではないと思うのです。ましてや、責めるなんてとんでもない。 残されたものに、その人の人生を裁く権利はないと思うのです。 なぜなら、命も人生も、その人のものだから。 その人だけの、ものです。他の誰のものでもない。 ひとりの人間がどう生きるか、どんな一生を全うするか、またしないかは、その人が自由に決めるべき問題だと思います。 だからその選択が、死に傾いたとしても、責める権利は誰にもない。 …責めていいのは、家族や友人知人だけ、じゃないかなあ。
もちろん、もったいない、とは思う。 生きていればなんとかなったんだろうなあ、なんて、いろんな人の自殺の話を聞くたびに、切なくなる。 「生きていてほしかったのにな」と思う。
でも、その自分が感じる「もったいなさ」や「切なさ」をもって、故人の選択を責め、むち打つのは、許されることではないと私は思うのです。
「命を大切にするべきだ」 「死ぬことを考えれば、どんなことだってできるだろう」 「生きたくても生きられない人のことを考えろ」 よくきく言葉です。…死者をむち打つ時の常套句だ。
でも、自殺者は、なにも死にたくて死ぬわけではないでしょう。 楽をしたくて死ぬわけでもない。 生きたくて生きたくて、愛する人々とも別れたくなくて、でも、心が疲れてしまって、死ぬしかなくなってしまうのではないでしょうか。
体が疲れた時、睡眠を求めるように、心が疲れれば、人は死を求めます。
…なんてことは、私自身が、子どもの頃から何度も、死の側にひっぱられる傾向が強い人間だったから、思う実感でもあります。 まあ、私は、それでも、基本的に明るく前向き楽天家、な人間なので、今日まで元気に生きているわけですが。 明日には今日よりいいことが待っている、って、いつも信じてるし。 だから、明日をみずに死ねるか、といつも思って、そのくりかえしで生きている。 でも、どこかの一線を越えれば、私自身が、「命を大切にしない人間」として、むち打たれる側に回っていた、ということも忘れてはいません。
死んでいった人々は、私よりもっと繊細で、もっと苦労をしていて、もっと環境に恵まれなかったり、あるいはいろんなタイミングが悪い方に動いてしまったのでしょう。どこかで、心の疲れを癒す機会を失ってしまったのでしょう。
死を選んだのは、悲しいことでしたが、でも、死者たちを責めたりむち打ったりは、私はしません。 ただ、惜しいとだけ、思います。残念だった、とだけ。 「もっとがんばるべきだった」とはいいません。だって、死に追いつめられるまでに、その人は充分戦い、がんばったのだと思うから。
野沢尚さんの作品は、デビュー作の「Vマドンナ大戦争」のシナリオから知っていました。その後、いくつかドラマを見て、とくに、「眠れる森」には、楽しくはまり、「ネットバイオレンス」のシナリオを見て、これはテレビで見たかったな、と、思いました。 「砦なき者」を見損なったのが、悔やまれます。
正直な話、世の中や人間を見る目がどこか暗かったので、大好きな脚本家だった、とまではいえないのです。それはもう好みの問題ですから。 でも、面白いドラマが書ける人でした。 熱い、メッセージや思いがこめられたドラマを書く人だった。 もっといろんな作品を見てみたかったなあ。 小説作品の方は、私は未読だったのですが、読んでみようかと思っています。もう、ドラマの新作は、みることができないのでしょうから…。
くりかえしますが、子どもの自殺は、私は認めません。 死が美しいことだとも思いません。 生きることは素晴らしいことだと思ってる。だから私は生きているのだし。 だから、できるなら、みんなに生き続けていてほしいと思っている。 (くりかえしのくりかえしだけど、問答無用で子どもは絶対に生きること! 今がどんなに辛くても、子どもは死んじゃだめです。村山先生が許しません。死んだりしたら、怒るよ、私は)
ただ、私は、生きることの戦いの果てに、疲れはて、死を選んでしまった人を、今更むち打つようなことはしないというそれだけのことです。 それは、私には、傲慢なことにしか思えないから。
<追記> 自殺は、鬱病の症状としてあらわれることがあります。鬱病の症状の一つである、と書いている書物もあります。 心が疲れた時は、心療内科や精神科を受診して、お薬をだしてもらうことをおすすめします。 ちなみに、鬱病は、「心の風邪」ともいわれるくらい、誰でもおちいる心の状態でありまして、受診することははずかしいことではありません。
写真は、都庁と月、ごくごく微妙に昨日と違うバージョン。
| 2004年07月01日(木) |
東京紀行つれづれ語り1 |
さて、今度の旅行であったことは、何から話しましょうか?
今夜はとりあえず、まだ疲れているので、軽い話でも。
滞在中のある夕方に、ポプラ社なじみのN嬢や、新担当雑学の星K嬢と、ポプラ社新社屋(壮麗というか美麗なビルでした)で打ち合わせしていた時のこと。
私が、「いつも新宿にきた時は、都庁界隈の道を、夜にひとりでお散歩してるの」という話をしたら、N嬢が、眉間にしわ寄せ、ため息交じりに、 「…そんなことしちゃいけませんよ。危ないじゃないですか?」
「え。でもあのへん、夜でも人通り多いし、道は見晴らしいいのに。 危ない道だったの? 月が都庁にかかると、すごくきれいなんだよ」 「危ないって、そういう意味じゃないですよ…」 「どういう意味?」 「あんな生活の匂いのないところを歩いていると、変なものにみいられますよ、きっと」
…魔界都市新宿ですか(^^;)?
たしかに、夜更けの都庁界隈は、しんと静まりかえっています。 大きな大きな建物が、青い夜の中にうずくまるようすは、まるで、名前も忘れられたような、滅びた文明の、巨大な遺跡のよう。 うつくしい廃墟、という感じはします。
でも、そこにかかる月は、本当に美しく、空は高くて。 いっぱいに夜の空気を吸い込むと、今この時代に自分が生きているということを、寒くなるくらいに感じられて、幸せになれるのです。
高い高いビルは、現実離れしているけれど、でも、これも人の知識と、研究と、理想と、建設した人たちの汗が造りだしたもの。 そう思うと、やっぱり、人に生まれた誇らしさを感じて、嬉しくなるのです。
私は、このしんとした景色が好き。 そして、この時代が大好きです。
帰りの飛行機の中で、高い高い空の上から、終わらない夕焼けを見た時も思いました。 純粋な黄金色の光をまとった落日も、カラメル色に染められた空も、夜の青色との境目に見える、にじんだペリドットのような緑色も。 少し前の時代の人間には、みえない景色でした。 この先、時代が悪い方に変わることがあるとしたら、未来の人にもみえなくなってしまう、贅沢な景色かもしれない。
でも、私は、昨日、04年6月30日の夕方に、飛行機に乗り、このうつくしい空を見ている。そうして、今日、7月1日の日記に、その時の思いを書くことができて、WEB上にアップして、いろんな人によんでもらうことができる。……ひょっとしたら遠い未来の、私が知らないまだ生まれていない人たちにも。
人は誰も、永遠に生き続けていくことはできない。 私だって、いつかは死んでしまうわけで。私ももういい年ですから、リアルな気持ちで、自分の未来は考えていたりするわけで。 でも、その限られた人生の時間を、私は、この時代に与えられて、よかったです。私は、この時代が、いまの日本が、とても好きだから。
そりゃ、すべてにおいて、最高、な時代なんかじゃない。 でも、けっこういい時代じゃないの、みんながんばってるじゃないの、と、私は思っています。
楽観的で、ポジティブシンキングな作家なもので。 ごめんよう。
写真は、都庁と月。 900iで、上を見上げて根性で撮影。
夜の都庁といえば… いつだったか、中庭で、無心に「太鼓の叩き語り」をしている人がいたな。 あれは、どうコメントしたらいいかわからないような、不思議な情景でした。
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