日々の泡・あるいは魚の寝言

2001年12月24日(月) めりーくりすます

この日記にはたしか書いていなかったと思うのですが、11月のおわりに、右の卵巣が腫れました。ちょうど疲れて何もできなくなっていた時期でした。癌かもしれない、と病院でいわれ、数日後に再検査をしました。癌検診と腫瘍マーカーです。結果がでるまで十日ほどかかりました。

あの数日のつらさは、ちょっとない経験でした。
なぜって、卵巣の癌は怖いものだと、ネットで調べてわかったからです。
そうして私は、食道癌で父親を亡くしていますので、リアルな癌への恐怖をもっているのです。

仕事はとりあえず、書きたいだけの本は書いたので、もういいやと思いました。ただかきかけの原稿だけ仕上げなくてはならないなと思いました。
HPは闘病記にはしたくなかったので、どうしようと管理組合のMeatianさんにいったら、「あとはひきついであげましょう」といってくれたので、おまかせすることにしました。
そう、あのときは、友人や担当編集者のみなさまに、ずいぶんはげましてもらいました。夜の十時くらいから朝まで長距離電話で優しい言葉を聞かせてくれた人もいました。毎日、日に何回もメールをくれた人も、いろんな情報を調べて、電話をくれた人もいました。電話が嫌いなたちだといつもいっているのに、電話をくれた人もいました。「どんな病気だろうと、村山早紀は絶対に死なない」と、断言した編集の人もいました。私のために怒ったり、泣いてくれた人もいました。

結局は、癌ではなかったのです。
疲労で腫れたものらしかったのでした。
女性もなかなか、デリケートなものです。
(そうそう。それでまた、夏さんに「働き過ぎだ。不摂生だ」と怒られたりもしたんでした)。

今年もまた、東京に行きました。
懐かしい担当編集者の皆さんと出会いました。「癌じゃなくてよかった」と喜んでもらえました。
かもめ亭の関係者だと、アリスちゃんやアリスママさん、夏緑さん、すず猫さん、高橋桐矢さん、チルチルさん、Meatianさんにあいました。ハードスケジュールだったけど、とても楽しかった。

今日はクリスマスイブです。
今日になって、やっと気づいたような気がします。

私はひとりで生きてきたような気がしていたけれど、実はそうじゃなかった。
小さなろうそくの明かりが、たくさん集まると、あたたかくなり明るくなるように、いつも私のそばにはさしのべられたたくさんの灯火があったのです。
だから、ここまで歩いてこれたのです。

みなさん、ありがとう。

2001年のクリスマス、みなさまにいいことがありますように。

<追記>
夕べ深夜から、病気のことを知らなかった友人の方々からのメールが何通かとどいています。…「どうして、私に教えてくれなかったの?」という、悲しんだり怒ったりのメールであります。うう。ごめんなさい。
今度のことは、仕事関係の人と管理組合のみなさんには自分から連絡しましたが(いろんな意味で迷惑をかけるおそれがあるので)、友人知人関係には、どんなに仲がいい人にも、自主的には教えてなかったのです。弟夫婦にすら、ぎりぎりまで話してなくて叱られたくらいのもので。

私は人を励ましたり慰められたりするのは得意で好きなんですが、その逆が苦手なんです。どうしても、だめなの。弱みを見せるのも、かっこわるいのもだめ。甘えるのもだめ。だから、誰にも内緒でいようと思っていたのです。

では、どうして病気について知った人がいるかというと、私が滅入っていた時期に、たまたま電話をかけてきた人とか、メールをくれた人たちには、やはりばれてしまったりした、という、そういうことなのでした。
ていうか、さすがの私も、「癌かもしれません」といきなり病院でいわれた日には、たとえ暗くなっているお医者さんと看護婦さんを小ネタで笑わせて帰ってこようとも、夜になれば落ち込んで、ベッドでひとりでないちゃったりしたわけで、そのタイミングで電話が鳴ったり、メールが来たりすれば、つい口が滑ったりしてね。泣いちゃったりしてね。

ですから、あの夜、あなたが連絡をくれていれば、あなたに病気の話をしたかもしれません。ということです。
だから、落ち込まないでくださいね〜。

「知らせてくれなかった」って、怒ってくれたり泣いてくれたりした、あなたのメールが、私にはまた、何よりの宝物になりました。
この宝物の輝きもまた、道を照らす光になるでしょう。

そして、今度のことで、かもめ亭に書き込んでくださったみなさま。
ありがとうございます。私の命のことを、こんなに惜しんでくださる人がいるのなら、もっと自分を大事にしようと思いました。



2001年12月16日(日) 東京行き前日

……なんだけど、いけるのか、今の体調で。
頭痛腹痛腰痛胃痛に、吐き気まであるし。はかってないけど、熱もあると思う。
ううう。
でも、なんとしても、いかねばならぬ。
仕事関係で、あいたい人が大勢いるし、それ以外にもどうしてもあってお話ししなくちゃいけない人がいるんであります。

まあ、宿泊先は、ビジネスホテルじゃなく、一応ちゃんとしたシティーホテルだから、夜中に死にかけても、ホテルマンの人たちが助けてくれるでしょう。
それに、ホテルまで到着しさえすれば、あとはまあ寝込んでも、みんなが会いに来てくれるでしょう。地の利がいい場所にあるしさ。一大イベントのポプラ社のクリスマス会は、同じホテルの中であるから、はってでもいくぞ(悲愴)。だって、せっかくパーティー用にきれいなパンジャビ・スーツ買ったんだもん☆
かわいいお寝間着買って、もう宅急便で送ってあるのだけど、あれきてホテルで病気療養…ということになったりしたら、絵になるけど情けないなあ(涙)。

でも、私はいく。
いくってきめたんだから。



2001年12月05日(水) 朝の独り言

…おとなっていいなあ。

することがあって、こんな時間までおきていても、親にしかられないんだもの。
(ええっと、今ね、12月5日の朝の6時です)。
現在、「ルルー6」執筆中なんですが、ちょっとあんまり体調がよくないもので、いつものような速度ではかけないのがつらいところ…。
何が情けないって、仕事が進まないときの作家くらい悲しいものはないと思うわけで。

だって、作品を書いてはじめて、作家ですから。
作品が描けない作家のどこに、存在意義があるというのだ?

で、早朝の独り言です。
あんまり作品には関係ない話ですが。

今までどっちかというと、苦しいとかつらいとかそういうことは、一番つらい時を通り過ぎてから、人に話すことにしていました。
だって、自分のつらさをひとにのっけちゃうのはいやだから。
自分の悲しみを、ひとに背負わせちゃうのは、こっちがきついから。
できるだけ、見苦しくないわたしでいたいから。
悲しいこともつらいことも、通り過ぎたあとならネタになるじゃない?

でも、「大丈夫、さあ、こっちに荷物はよこしなさい」というひとがいるのなら、一番苦しいときに、少しだけなら、荷物を預けてもいいのかもしれないと思うようになりました。
まあわたしのことだから、預けたふりして、預けなかったりするかもだけど。
でもそれでも、わたしよりも強いひとがそこにいるのなら、みっともないところや、泣き顔を見せることがあってもいいのかな、と。

あるいは、わたしより強く思える人でなくてもいい、小さな手をあちこちからさしだしてくれる人たちがいて、余裕を持っているときだけ、そっとほほえみかけてくれる人たちがいるのなら、少しだけ、本当に少しだけ、たんぽぽの綿毛くらいの重さずつでも、みんなに背負ってもらってもいいのかな、と、思うようになりました。

つらいときは、つらいっていってもいいんだね。

それは、今までよりも、弱くなってしまうということかもしれないけれど、でも、自然に泣いたり苦しんだりして、みんなといっしょにささえあって生きていく方が、きっと、楽しいし、もっと優しい人間になれるような気がする。
いつも誰かを励まして、ささえる側にいたけれど、誰かに手を差し出されても、笑ってごまかしたり、はらいのけてきたけれど、でも、無理することもないのかもしれない。

なんてことを、わたしに気づかせてくれた、みなさまありがとう☆

…ああ、猫どもが暴れている。いったん寝ようかな?
明日もがんばって働こう。って、もう今日でしたか…。


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